2009年08月19日

伝統について 19

人言は 暫し吾妹子 縄手引く 海ゆ益りて 深くしそ思ふ

ひとごとは しましわぎもこ つなでひく うみゆまさりて ふかくしそおもふ

人の言葉は、一時的なもの。私の恋人よ、綱手で、船を引く海の深さより、君を思う。

人の噂話は、一時的なものである。
そんな言葉など、平気である。
私は、海の深さより、思っている。愛しているとは、言わない。思うのである。つまり、思いの深さこそ、恋なのである。

思いは、思念である。
思念は、相手に伝わる。
意識下の思念は、草木にも、伝わる。

万葉人は、生きているもの、すべてに、思いがある、意識があると、知っていた。

淡海の海 沖つ島山 奥まけて わが思ふ妹が 言の繁けく

あふみのうみ おきつしまやま おくまけて わがおもふいもが ことのしげけく

淡海の、沖の島山の奥の如く、私の思う恋人。
その、恋人に関しての、噂がうるさいのである。

芸能人の恋愛沙汰が、人々の関心を集める。
実に、馬鹿馬鹿しいことだが、人のことに、興味を持つ人々がいる。
それを、笑うのであるが、しかし、自分のことになると、俄然、真剣になる。だが、それも、人の口に上ると、単なる興味になる。

万葉時代も、人の恋愛沙汰を、噂したのである。

近江の海 海沖漕ぐ船の 碇おろし 隠りて君が 言待つわれぞ

あふみのうみ うみおきこぐふねの いかりおろし こもりてきみが ことまつわれぞ

近江の海の、船が、碇をおろして、港に、籠もるように、私は、あなたの言葉を、待っている。

人目を避けて、恋人の言葉を、待っている。
待つこと、それが、恋だった。

その、待つ姿を、比喩で、歌う。
船が、碇を下ろして、隠れるように、私も、隠れて、あなたの言葉を待つ。
この、待つ時間に、恋の熟成がある。

時間をかけて、思いを凝縮する。
まさに、祈りである。

相手の心に、祈る。それが、恋である。

現代は、もはや、そんな、悠長なことは、無いと思われるか・・・
そんなことは、無い。

その心を、隠しているだけで、万葉人と、大差ないのである。
相手を大切に、思えば、思うほど、肉体の欲望は、制御される。

激しい性欲の、欲望が、更に、心を燃えさせる。
だが、それは、相手を、陵辱することではない。
相手から、向かってくる。それを、待つのである。そして、願いが、叶うとき、恋が成就するとき、無上の喜びと、歓喜がある。

セックスが、限りなく、輝くときである。

欲望が、恵みであることに、気づくとき。
現代は、それが、希薄になったのである。
つまり、それは、恋の希薄さである。

心を込める思いを、忘れて、単なる、エロスに行く。
エロスは、エロスに、帰結する。
勿論、それはそれで、いい。
だが、一人の女を知ることによって、すべての、女を知るという、奥深さは無い。




posted by 天山 at 00:00| 伝統について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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