2009年08月18日

伝統について 18

淡海の海 沖つ白波 知らねども 妹がりといはば 七日越え来む

あふみのうみ おきつしらなみ しらねども いもがりといはば ななひこえくむ

淡海の海の、沖の白波のように、家路を知らずとも、妻の元に行くならば、七日かかろうと、越えて行く。

琵琶湖のことである。
知らないとは、場所を知らないのではない。
可能性のことである。

平たく言えば、恋の告白である。
あなたとの、恋が成就するかどうか、分からないけれど、私は、あなたとの、恋を成就させるために、超えられないところも、超えてゆきます。

七日とは、象徴である。
何日かかろうと、越えてゆくのである。

大船の 香取の海に 碇おろし 如何なる人か 物思はざらむ

おおふねの かとりのうみに いかりおろし いかなるひとか ものおもはざらむ

大船が、香取の海に、碇をおろすように、どんな人でも、深く物思わずには、いられないだろう。

物思はざらむ
強い否定の疑問である。

恋の一言もない。
ただ、物思わずには、いられないというのである。
物思う、すなわち、恋を思うのである。

恋は、人を、憂いに誘う。
人を思うと、人の心は、しばし、憂いに沈む。
センチメンタルに近い。
それほど、心の襞が、複雑になる。

何を見ても、あの人のことが、思われる。
一瞬一瞬、恋に死ぬのである。

沖つ藻を 隠さふ波の 五百重波 千重しくしくに 恋ひわたるかも

おきつもを かくさふなみの いほへなみ ちへしくしくに こひわたるかも

沖の藻を、隠すように、いほへ波が、幾重にも重なる波模様である。
私の恋心も、そのように、恋続けるのである。

それが、重なるように、しくしく、と、擬態語である。

しくしくと、思い続ける、恋と言うもの。
日本人の、心象風景は、恋の心にある。

しくしくと、思い続ける心模様を、後に、あはれ、と表現するようになり、その、あはれ、が、更に、すべての、心象風景に、言われることになる。

すなわち、もののあはれ、である。

喜怒哀楽という、人の心のみならず、自然の風景にも、更には、生き物すべてにも、あはれ、という言葉で、くくることになる。

もう、これ以上に、言い表しえないという、場面で、あはれ、が、出てくる。

可愛くても、極まると、あはれ、なのである。
愛おしさが、極まると、あはれ、なのである。

人の悲しみを、思って、極まると、あはれ、なのである。

そして、人生は、あはれ、なものなのである。

それは、恋心から、発したもの。
もののあはれ、なのである。




posted by 天山 at 00:00| 伝統について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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