2009年08月07日

ラオス・ルアンパバーンへ 7

ラオスの悲劇は、やはり、戦争である。

インドシナ戦争。

1954年5月、ベトナム北部ディエンビエンフーンが陥落し、第一次インドシナ戦争が、終結する。
だが、その時の、フランス軍の敗北は、新たな戦争の始まりになった。

アジアの共産化を恐れる、アメリカは、1941年に、ホーチミンが創設した「ベトナム独立同盟」べトミンが、ディエンビエンフーに集結していた時、原爆投下を計画した。しかし、国際世論の非難を恐れて、中止された。

フランス軍の八割の戦争費用を肩代わりしていたアメリカは、陥落後も、民間航空会社を装いながら、ラオスでのアメリカ軍の移動や、モン部族の武器補給などを秘密裏に行っていた、CATが、武器、弾薬を、モン・マキに、投下し続けるのである。

モン・マキとは、対べトミン、対毛沢東軍の戦闘集団である。

フランス軍は、ベトナム、ラオスの村から、戦闘に優れた、モン族の二万人を、サイゴンの南の、セントジャックの訓練キャンプに送り続けた。

そのキャンプで、トップの成績を修めたのが、ラオスのモン族、バン・バオであった。
後に、モンの軍事的、精神的指導者となる。
バン・パオは、その時、13歳である。

フランスが、敗北したことで、ラオスの村々の共産化を恐れたアメリカは、ディエンビエンフーで、生き残った、モン・マキ3000人を近代戦争にかなう兵士として、訓練し始める。

北ベトナムと、南ベトナムに延びる、兵士と、軍事物資を運ぶ、輸送路、ホーチミンルートは、その九割が、ラオスの山野を走る。

ホーチミンは、南ベトナムを解放するためには、まず、ラオスを共産化しなければならないと、声明を出した。

べトミンは、ラオスの、パテート・ラーオ軍を主導し、一気に、ラオス内のホーチミンルート南下を加速させた。
ラオスの村々を、共産化していったのである。

さて、その頃、朝鮮戦争が始まっていた。
アメリカは、インドシナの共産化阻止を、最優先課題とし、1961年、ラオス中部サイソンプン特別区のロンチェン渓谷に、秘密基地を作っていた。

アイゼンハワーに替わって、ケネディが1961年に、大統領に就任すると、フロンティアスピリットを掲げて、更なる反共の活動を開始する。

バン・パオを司令官とする、ラオス国軍第二管区は、モン特殊攻撃部隊を結成し、白人兵士の身代わり部隊として、過酷な運命をたどることになる。

1965年、アメリカは、ラオス北部の、モンの聖山の一つに、全天候型電子誘導施設「サイト85」を建設する。

ホーチミンルートに空爆を行う、アメリカ空軍の戦闘機を、レーダー誘導する、このサイトは、タイ領内の、ウドンタニ、ナコムパノム、タクリ秘密基地、更に、トンキン湾のアメリカ第七艦隊とも、連携していた。

サイト85を守ったのは、アメリカ海軍兵と、1000人あまりの、モン族兵士、300人のタイ兵士である。

ハノイが、ナパーム弾を浴びるようになると、このサイトの破壊が、ベトナム共産党の至上命令になった。

1968年3月、北ベトナム軍は、サイト85に、総攻撃をかけて、陥落させる。

アメリカ空軍は、サイトが陥落したことを知り、B52戦略爆撃機で、空爆を行い、証拠隠滅を計った。

この戦闘において、サイト85から、生還した兵士は、アメリカ海兵隊8人、モン兵士数十名のみ。

つまり、ラオスの戦争は、アメリカと、旧ソ連を後ろ盾にした、ベトナムとの、戦いであり、内戦とは、言い難い。

これは、悲劇である。

モン族の悲劇は、その後も続く。
多くのモン族の、青年、少年が、アメリカ軍によって、徴発されたのである。

現在、ラオス、サイブンプン特別区、ポリカムサイ、ルアンバパーンの、3地区を主に、モン族兵士2000人と、その家族、15000人あまりが、20の集団に分かれて、生活している。
ベトナム軍の、掃討作戦は、今も続き、餓死する者も、相次ぐ。

彼らは、ジャングルから、国連に救いを求めるが、ラオス政府は、国連人権委員会の、医師や、看護婦の現地入り要請を、拒絶したままである。

2005年、ラオス政府は、30年間否定し続けた、モン族掃討作戦を認めた。
しかし、ベトナム軍の関与は、いまだに、認めていないのである。

アメリカに加担した、モン族は、いまだに、敵として認識され、掃討作戦の上にあるという、悲劇である。

更に、ホーチミンルートには、不発弾の山である。
その被害も多い。

戦争処理は、いまだ終わらないのである。

気の遠くなるような、現状を、どのように、捉え、理解し、更に、治めてゆくのか。

ラオス政府は、中国寄りと、ベトナム寄りの要人が、対立する。
更に、中国も、ベトナムも、ラオスの資源を狙う。

いまだに、他国からの、影響を多大に受けるラオスである。

独立の気概が無いのは、フランス植民地化政策にもよる。

更に、愚行なのは、いまだに、化石のような、マルクス・レーニン主義を、新たに掲げて、精神教育を行うというもの。

要するに、国民を、精神的に、まとめるための、最も大切な、国の神話、権威が無いのである。

ベトナムには、ホーチミンが、タイ、カンボジアには、王様が、マレーシアは、イスラムがと、それぞれ、共同幻想を持つ。

国家とは、共同幻想の、共同体である。

日本の場合は、2669年という、天皇の伝統が、無形の権威として存在する。

マルクス・レーニンでは、無理である。

オーストラリアが、結局、原住民の、アボリジニの伝統と、文化に頼らざるを得なくなった。イギリスから、移民してきた人々は、伝統も、文化もオーストラリアにはないのである。

だが、後悔しても、遅い。
オーストラリアは、アボリジニ民族を同化政策によって、めためたに、貶めた。
その価値を、理解できず、彼らを、弱体化させ、今では、国の大きな、社会問題に発展するほど、アボリジニの人々の、問題が多いのである。

その根底には、偽善と、明確にすべき、キリスト教の、すべてを破壊し、その上で、キリスト教を押し付けるという、蛮行がある。

独善の、キリスト教こそ、民族破壊の、根っ子である。
そして、主義である。
その名は、共産主義。

私は、共産主義が、キリスト教から、生まれでたことを、知っている。
キリスト教の、反共運動は、身内争いなのである。

ラオスに存在する、少数部族の、数は、いまだに、不明である。
60から70ほども、存在すると、言われる。
驚くべきは、戸籍が無いということである。
戸籍を作ることが出来ないほど、ラオスは、遅れているのである。

信じられないの、一言。



神仏は妄想である 226

ヨーガ学派は、ヨーガの修行によって、解脱するということを、唱える。

その、根本経典は、ヨーガ・スートラである。
それは、西暦400から450年頃に、編纂された。

ヨーガの起源は古く、インド文明成立とともに、存在していたと、考える。そして、理論体系化されたのが、そのあたりである。

この学派は、仏教の影響も、ある。
しかし、形而上学説は、サーンキヤ学派と、ほぼ同じである。
ただ、最高神を認める点が違う。

最高神は、一個の霊魂である。
それは、永遠の昔から存在する、個我である。多数の霊魂の中で、ただ一つ威力に満ちる。そして、完全性を備えている。一切のものを、支配するが、世界創造は、行わない。

インダス文明初期から、森林樹木の下で、静座瞑想に耽る行為があった。
それは、境地の安楽を楽しむものだった。それが、次第に、宗教的な意味合いが加わり、意思を、制御する方法として、尊重された。

日常の、相対的な、動揺を超えた彼方の境地に、絶対静の神秘境地が、啓ける。その境地において、絶対者と、合一が実現する。
この、修行を、ヨーガと呼び、修行者を、ヨーガ行者と呼び、その完成者を、牟尼と、呼ぶ。

釈迦牟尼とは、釈迦仏陀のことであるが、彼が、静座して、悟った者という意味である。

更に、各学派は、ヨーガの修行を、実践法として、取り入れている。

ヨーガの語義は、心の作用の止滅である。

外部の束縛を離れ、内部の心の動揺を、静める。
五感を制して、誘惑を退け、進んで、心の集中に陥ることである。

そこでは、不殺生、真実、不盗、不淫、無所有という、五戒を定める、制戒があり、内外の清浄と満足、学修と最高神に専念する、内制、座法によって、身体を安定不動にし、呼吸によって、調息する。感覚機能を対象から離して、心をくつろがせる、制感、心を一箇所に、結合させる、総持、そして、静慮によって、念ずる対象に、観念が一致すること、最後に、三昧によって、対象のみが、輝いて心自体は、空になる。
以上を、ヨーガの、八実践法という。

ただし、三昧にも、有想三昧と、無想三昧がある。
有想は、対象の意識を、伴う三昧であり、対象に縛られ、心の作用の、潜在力を持つ。
無想三昧は、対象の意識を伴わない。対象に縛られることなく、そこには、心の作用も無く、無種子三昧とも言われる。

そして、この無想三昧が、真のヨーガであるとする。

プルシャは、観想者として、その自体のうちに安住し、ただ、精神が物質から、完全に、分離するのである。

さて、もう一つの、学派を紹介する。
それは、仏教にも大きな影響を与えたものである。

ニヤーヤ学派である。

ニヤーヤとは、理論、正理という意味である。
後に、論理学的研究一般の、呼称さなり、その本質は、理論をもって、真理を探究することと、考えられた。

仏教では、論理学のことを、因明と、呼ぶ。
方便心論というものが、著された。

ニヤーヤ・スートラは、西暦250年から、350年頃に、編纂された。

ニヤーヤ学派の、形而上学に関する部分は、ヴァイシェーシカ学派と、類似する。

認識の対象は、アートマン、つまり、霊魂と、身体、感官、感官の対象、思考作用、内官、活動、過失、死後の生存、行いの報い、苦しみ、解脱であると、定める。

ヴァイシェーシカ学派と、同じく、無数に多くの原子が、永遠の昔から存在し、不変不滅である。
それを、作り出した第一原因は、存在しない。
それらが、合して、自然世界を成立させている。

元素としては、地、水、火、風、そして、虚空を含めて、五つとする。

アートマンは、身体、感覚作用とは、異なったものであり、別に存在するものである。
アートマンの存在を、積極的に、論証している。
だが、世界主宰神については、若干の異説がある。

この、学派は、仏陀の、教えに近いものがある。

人生は、苦に悩まされる。
それは、人間が生存しているからである。

その人間の生存は、人間が、活動を起こすことから、起こる。それらの、欠点は、誤れる知である。

故に、人間に起こる苦しみの根源を突き詰めてゆくと、結局、誤れる知が、苦しみの起こる、究極の根源である。

この、根本的な誤った認識を、除去し、万有の真実相を認識して、苦しみから、離脱する。これが、解脱である。
解脱に達した人は、輪廻の輪を脱して、何物にも束縛されない。

かかる境地に到達するために、戒律を、守り、ヨーガの実践をする。

この学派が、もっとも力を入れたのは、認識方法と、論争の仕方である。

正しい知識を得るための、認識方法は、四つある。

直接知覚、推論、類比、信用されるべき人の言葉であり、それは、ヴェーダ聖典なども、含まれる。

論証がなされるにあたり、最初に、疑惑がある。
疑惑を解決しようとする、動機が働く。
動機とは、ある目的を目指して、人が働くところの、目的である。

そのためには、世人でも、専門家でも、万人が承認する、実例に基づいて、考察するものである。

そうして、出される見解は、定説として、示される。
それには、一切の学説の承認する定説と、特殊な学説の承認する定説と、他の事項を含む定説と、仮定的な定説がある。

論争に当たっては、五分作法と称する、論式の型で示される。

主張、理由、実例、適用、結論である。

最後に、叙事詩の完成を言う。
バラモンの社会的優位性が認められると、叙事詩も、おのずと、その線に則って、改変された。

西暦400年頃の、マハーバーラタが、ほぼ現形の如くに、まとめられた。

このような、環境にあって、仏教も、影響を受け、また、それらに、影響も与えた。

つまり、仏教を、理解することは、当時の、また、インド社会の、更に、そこから生まれた、様々な思想体系を理解して、はじめて、仏教、更に、大乗仏教というものを、理解できる。

単に、単独に、仏教を理解すると、誤る。

多くの仏教経典を、漢訳した、三蔵法師玄奘は、その、インドの、思想界の中で、様々な、学派を、論破し、ナーランダ一の存在になり、天竺から、当時の、中国、唐に帰国した。

それでは、もう一度、仏教の、変転に戻る。


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伝統について 7

恋するは 死するものに あらませば わが身は千遍 死にかへらまし

こひするは しにするものに あらませば わがみはちたび しにかへらまし

恋に苦しむと、死ぬものなのであれば、私の体は、千回も、繰り返し死んでいるだろう。それほど、命がけの恋をしているのだ。

激しい恋の告白である。
直情型である。
そして、これが、万葉の恋である。

恋愛遊戯なのではない。
恋は、生きる、死ぬことなのである。

恋に命を、掛けられる人は、いつも、若いのである。

そして、若さの特権である、恋である。


玉あへば 昨日の夕 見しものを 今日は朝に 恋ふべきものか

たまあへば きのうのゆうべ みしものを きょうはあしたに こふべきものか

玉逢い、魂を合わせた、昨日の夜の逢瀬である。そして、今日の朝は、もう、恋に苦しむわが身なのである。

たまあへば
魂合いをして。二人が会うことを、魂合いとは、恋というもの、そのものを、言う。
恋は、魂が、魂を、求めるのである。
別れた後から、すでに、恋の苦しみに、身を焦がす。

これは、今の、演歌にまで、受け継がれている。

逢えば、別れがこんなに辛い
逢わなきゃ、夜が、やるせない

大胆、豪快な、心情を歌う。

なかなかに 見ざりしよりは 相見ては 恋しき心 まして思ほゆ

なかなかに みざりしよりは あいみては こほしきこころ ましておもほゆ

なかなかに、かえって、逢わなかった時よりも、逢った後の方が、恋しい心が、募る。

見ることは、逢うこと。
一目だけでも、会いたいとは、見たいと、同じ意味。

逢わない時よりも、逢った後の方が、辛いと歌う。
しかし、逢いたい。逢えば、辛い。恋とは、このように、辛いものなのである。

万葉時代と、今の時代との、人の差に、何の差があるのか。大差はないのである。

玉ほこの 道行かずあらば ねもころに かかる恋には 逢はざらましを

たまほこの みちゆかずあらば ねもころに かかるこひには あはざらましを

玉矛の道を行かなければ、心を尽くすほどの、恋には、逢わなかったものを。

この道で、出会ったのである。命がけの恋の相手に。
どこで、出会うのか、解らない。それは、一瞬の出会いだった。
そして、魂合うことで、恋に生きるのである。

この道を、行かざりければ 無きものを 
恋という名の 神に逢いては
天山

ただ今、万葉集の、恋の歌を、読んでいる。
そして、今の今でも、人は、恋の歌を、詠む。
歌は、詩でもあり、話にもなる。
恋を扱わなかった時代が、あろうか。
万葉集には、この民族の精神の、黎明がある。
そして、これが、伝統となる。

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伝統について 7

恋するは 死するものに あらませば わが身は千遍 死にかへらまし

こひするは しにするものに あらませば わがみはちたび しにかへらまし

恋に苦しむと、死ぬものなのであれば、私の体は、千回も、繰り返し死んでいるだろう。それほど、命がけの恋をしているのだ。

激しい恋の告白である。
直情型である。
そして、これが、万葉の恋である。

恋愛遊戯なのではない。
恋は、生きる、死ぬことなのである。

恋に命を、掛けられる人は、いつも、若いのである。

そして、若さの特権である、恋である。


玉あへば 昨日の夕 見しものを 今日は朝に 恋ふべきものか

たまあへば きのうのゆうべ みしものを きょうはあしたに こふべきものか

玉逢い、魂を合わせた、昨日の夜の逢瀬である。そして、今日の朝は、もう、恋に苦しむわが身なのである。

たまあへば
魂合いをして。二人が会うことを、魂合いとは、恋というもの、そのものを、言う。
恋は、魂が、魂を、求めるのである。
別れた後から、すでに、恋の苦しみに、身を焦がす。

これは、今の、演歌にまで、受け継がれている。

逢えば、別れがこんなに辛い
逢わなきゃ、夜が、やるせない

大胆、豪快な、心情を歌う。

なかなかに 見ざりしよりは 相見ては 恋しき心 まして思ほゆ

なかなかに みざりしよりは あいみては こほしきこころ ましておもほゆ

なかなかに、かえって、逢わなかった時よりも、逢った後の方が、恋しい心が、募る。

見ることは、逢うこと。
一目だけでも、会いたいとは、見たいと、同じ意味。

逢わない時よりも、逢った後の方が、辛いと歌う。
しかし、逢いたい。逢えば、辛い。恋とは、このように、辛いものなのである。

万葉時代と、今の時代との、人の差に、何の差があるのか。大差はないのである。

玉ほこの 道行かずあらば ねもころに かかる恋には 逢はざらましを

たまほこの みちゆかずあらば ねもころに かかるこひには あはざらましを

玉矛の道を行かなければ、心を尽くすほどの、恋には、逢わなかったものを。

この道で、出会ったのである。命がけの恋の相手に。
どこで、出会うのか、解らない。それは、一瞬の出会いだった。
そして、魂合うことで、恋に生きるのである。

この道を、行かざりければ 無きものを 
恋という名の 神に逢いては
天山

ただ今、万葉集の、恋の歌を、読んでいる。
そして、今の今でも、人は、恋の歌を、詠む。
歌は、詩でもあり、話にもなる。
恋を扱わなかった時代が、あろうか。
万葉集には、この民族の精神の、黎明がある。
そして、これが、伝統となる。

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