2009年08月05日

ラオス・ルアンパバーンへ 5

朝、約束した、10時前に、ニッツが、バイクでやって来た。

そして、5分で、トゥクトゥクを連れて来ると言って、再び、バイクに乗って出た。

その間に、私は衣服支援のバッグ、二つを用意し、カメラ二台、パスポート入れの、財布などを、確認する。

現金は、部屋に置くことは無いが、この時は、日本円を、部屋に置いた。

ドルと、キップと、タイバーツを持った。

トゥクトゥクが、やって来た。
ニッツと、一緒に乗り込む。
行き先は、ニッツに任せてある。

つまり、私は、衣服の必要な子供たちのいる、村に出かけたいと、言ったのである。
ニッツは、ルアンパバーンの近郊の村、メコン川沿いの村に行くという。

街を抜けて、20分ほどで、村の道に入る。
すると、トゥクトゥクが、大きく揺れる。
雨の後の道であるから、ぬかるむ。

雨期の真ん中である。
ところが、私は、あまり、雨に当たらなかった。

最初に見えたのは、村に一軒だけある、商店である。

商店といっても、掘っ立て小屋である。

ニッツは、そこに、声を掛けた。
友達がいると言う。
更に、商店の主は、ニッツのお姉さんだった。
結婚して、この村に暮らす。

トゥクトゥクは、ぬかるみを走り、村の中心部に到着する。

家の前に、屋根だけがある、テラスのような場所である。
勿論、手作りの物である。

さて、私は、荷物を降ろした。

早速、ニッツに、紹介して貰う。
その時は、たいした人数ではなかったが、どんどんと、人が、子供たちが、集って来た。

何、何、何・・・

私は、ニッツに、日本から、皆さんに、プレゼントですと、言って貰った。

そして、バッグを開けて、取り出す。
最初は、よく意味が分からないようだったが、衣服が次々と出されると、歓声が上がった。

赤ん坊を抱いた女たちも、出て来た。
今回は、幼児用の物も多い。
どんどんと、手渡す。

すると、次第に、人々が慣れて、自分たちで、バックから取り出す。
ニッツが、それを、抑える。

一度、ニッツが、バッグを閉めた。
そして、写真を撮るという。
私は、ニッツに、従った。

ところが、どんどんと、人が集まる。
私は、写真を撮り終わり、また、バッグを開けた。

ニッツが、もう一つの村にも・・・と言うが、無理である。
そんなに、量は無い。

少し残して、村の、入り口に歩いて戻った。
すると、そこでも、人が集っていた。
もう、すべてを、出すしかないと思い、バッグを開けた。

どんどんと、手が伸びてくる。
何も残らなかった。

私は、ニッツのお姉さんの店で、休むことにした。
ニッツは、日本茶のボトルを選んだ。
おいしい、と、書かれた、ボトルである。
私は、コーヒー缶を選んだ。

子供たちが、やって来る。
私は、店の前に、吊るされた、お菓子袋を10袋買い、子供たちに、渡した。

ところが、また、どんどんとやって来る。
写真を撮るニッツ。

私は、更に、お菓子袋を取り、子供たちに、渡した。

コープチャイ・ライライ
ありがとう

何度も、そう言われた。
お金は、渡すことは、出来ないが、お菓子ならいいと、思ったのだ。

それを、ニッツは、見て、なんとも言えない表情をしていた。
ニッツも、一緒に、写真を撮りたいと、言うので、お姉さんの、ご主人に、撮ってもらった。

それから、私は、メコン川で、祈りたいと言うと、ニッツは、オッケーオッケー、すぐそこだよと、立ち上がる。

その後を、子供たちも、付いて来る。

村は、小船で、荷物運びをする仕事をする。
メコン川の、側には、日本のダンプカーが、三台置かれてある。つまり、廃車になったものである。
日本の会社の名前が、そのまま、書かれていた。
更に、住所まで。

私は、ニッツに、これから、日本の祈りをしますから、それを、写真に撮ってと、言った。
ニッツは、サンキューなんとかこんとか、チピリチュアルなんとかこんとか、それで、なんとかこんとかと、言う。

とても、感激し、興奮しているようだった。




神仏は妄想である 224

南インドで、竜樹が活躍していた時期、南インドの、ドラヴィダ民族は、独自の文化を、花咲かせた。
西暦後、二世紀ごろ、クラルという詩句集が作られた。
それは、タルミ語で書かれた、二行詩形の、1330の格言の集まりである。

真の施しは報酬を求めない。いったい世界は、雨を与えてくれる雲に対して何を報いるだろうか。

慈愛という富こそ富の中の富である。財産という富は愚民でも所有できる。

上記は、どこの、格言にも見られる言葉であり、考え方である。
つまり、人は、皆、多く、そのように生きることが、皆の、自分の、利益に適っていると、考えたのである。
そのまま、進化倫理学である。

仏教と、共に、ジャイナ教も、盛んだった。
教団のために、寺院を作り、ジナ像、石版などを、信者達は、寄進した。
ジャイナ霊場への、巡礼も、行われた。

ジナは、益々、超人化され、神格化されて、崇拝の対象となる。
これも、多くの宗教に見られる。教祖、開祖が、神格化されるというもの。

更に、仏教と同じく、ジナの、伝記が書かれて、更に、その前世物語も、出来るという、寸法である。
そして、仏教と、同じように、経典、宗教譚を、読誦することが、功徳あることとされた。

物語は、インドの、伝説、物語を、豊富に取り入れて、布教に利用したという。

仏教も、然りである。
純粋な、釈迦仏陀の、教えが、インド、バラモンなどから、取材されて、大量に取り入られた。

それが、次の時代には、更に、顕著になるのである。

それを、まともに信じてしまった、中国、日本仏教の、愛好者達である。

西暦三世紀に入ると、クシャーナ帝国および、アンドラ帝国が、次第に、衰微し、多数の、群小国家が、対立する。
中でも、マガダから起こった、チャンドラグプタ一世が、西暦320年に、即位して、グプタ王朝を、興した。

次の、サムドラグプタは、南北にわたる、全インドを制服し、マウリヤ王朝以来の、統一国家が、形成された。

この時代に、インドの古典文学が、花開き、更に、天文学、数学も、この前後の時期に、発展した。

しかし、五世紀には入ると、半ばに、匈奴が侵入し、グプタ王朝は、衰退し、六世紀には、また、インドは、分裂国家となった。

グプタ王朝時代の、社会構成は、インド古来の、バラモン教学が復興し、社会の固定化を基礎付ける理論として、採用された。

バラモン教の、国教化である。

社会秩序の維持のために、バラモンの法典が、規準とされた。

その間に、ヒンドゥー教諸派は、バラモン教の、学問、神話、習俗を取り入れ、バラモン教と、融合すべく、社会の上層階級に入り、支持を受ける。

更に、ヒンドゥー教の、壮大な寺院も、多数建設された。

ここで、注目すべきことは、バラモンの用語である、サンスクリット語が、全インドにわたり、公用語とされたことである。
つまり、言葉が、決定されれば、その言葉の、持ち主である、バラモンが、精神世界を、主導するということである。

仏教、ジャイナ教は、学問的研究は、盛んだったが、社会的趨勢は、弱まりつつあった。
更に、仏教も、ジャイナ教も、サンスクリット語を用い、後には、バラモン哲学の、術語を用いて、哲学的議論を交わすに至ったということである。
これは、見逃せない、点、である。

言葉の、概念を、バラモンから、取り入れたということは、バラモン流になるということである。

ここにおいて、仏教も、ジャイナ教も、ある種の伝統が、死んだといえる。

更に悪いのは、この時期に、諸派の、仏教も含めて、根本経典、教科書が、作成されたということである。

確かに、諸宗教は、宗派意識が、強くなったが、バラモンの身分制度を、受け入れる、それに、妥協するという、傾向が、顕著になった。

後に起こる、密教などは、完全に、バラモンに、影響を受けている、亜流の仏教である。
仏教とも、実は、言い得ないのである。

バラモンの、亜流とでも言うか。

社会組織に関する、理論体系としては、グプタ王朝時代前後に、諸種の法典が、作成されたが、西暦後300年頃に、出来た、ヤージニャヴァルキア法典が、特に、規制力のあるものとなった。

集権的国家成立とともに、国家神聖視の思想が、グプタ王朝時代と、それ以降、絶頂に達した。

そこでは、国王は、神的権威を持ち、人民は、国王に対して、絶対従順であるべきとされた。
国王の神聖視である。

王は、過去に、宗教的修行をしたゆえに、その功徳によって、王になったという、思想である。

それらは、仏教、ジャイナ教の経典を見れば、解る。
インドの、俗説を取り入れて、経典を作成したのである。

その、国王観を、仏教も、ジャイナ教も、容認したのである。



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伝統について 3

君が目を 見まく欲りして この二夜 千歳の如く 吾は恋ふるかも

きみがめを みまくほりして このふたよ ちとせのごとく われはこふるかも

君に会いたくて、昨夜も、今夜も、千年ものように、私は、恋する。

あなたの、目をみたい、つまり、あなたに会いたいと、思い続けて、昨夜も、そして、今夜も、千年も恋する如く、私は、恋する。

好きで、好きで、たまらないという、純真一途な思いに、溢れている。

千歳の如くに、という、深みに、陥る恋というもの。


うち日さす 宮道を人は 満ち行けど わが思ふ君は ただ一人のみ

うちひさす みやじをひとは みちゆけど わがおもふきみは ただひとりのみ

日が照り輝く、宮への道を、多くの人が行くが、私の思うあなたは、ただ、ひとりだけである。

ただ一人のみ、と、強く強く、意識する、恋する相手。
あなただけしか、目に入らないのだ。

どんなに人が多くても、好きな相手は、ただ一人なのである。

かけがえのない、あなた、である。


世の中は 常かくのみと 思へども はた忘れえず なほ恋ひにけり

よのなかは つねかくのみと おもへども はたわすれえず なほこひにけり

世の中は、いつも、こうであると、思っているが、やはり、また、忘れられず、恋に身を置くのである。

恋に破れて、苦しむことが、世の中の常であるが、それでも、また、忘れられず、恋に身を任せるのである。

恋に生きるしかない、という、切々たる思いである。


わが背子は 幸く坐すと 遍く来て われに告げ来む 人も来ぬかも

わがせこは さきくいますと まねくきて われにつげこむ ひともこぬかも

わが背子が、無事でいますと、何度も来て、告げる人も来ないのである。

情報は、人の口からの時代である。

人の口から、背子が無事でいるという、伝えを聞きたいのである。
せめて、誰かが、伝えてくれ、という。

まねくきて、何度も、何度も、好きな相手のことならば、聞きたいのである。


あらたまの 五年経れど わが恋の 跡無き恋の 止まなくも怪し

あらたまの いつとせふれど わがこひの あとなきこひの やまなくもあやし

あらたま、新玉の年を、五年経ても、私の恋の、この何も起こらない恋も、恋心は、止むこともないのである。

何も起こらない、つまり、成就しない恋である。
五年を待っても、何も起こらない。のだが、それでも、恋心は、収まることはないのである。

これを、片恋、かたこひ、という。
片思いである。

それが、怪しいのである。あやしい、不思議だ。恋は、不思議なものである。
何故、人は恋をするのか・・・生きるため。

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