2009年08月04日

ラオス・ルアンパバーンへ 4

ラオスが、ラオスになったのは、1893年である。
フランスと、シャム、現在のタイである、が、条約を締結し、メコン川以東、現在のラオスと、ほぼ同じ領域が、フランスの植民地となった時である。

それでは、ラオス人民民主共和国になったのは、1975年12月である。

そこに至るまでの、道のりは、実に長いものである。

書き続けると、終わらなくなるので、箇条書きにする。

1353年、ファーグム王のラーンサーン王国建設。

1560年、セーターティラート王が、ビエンチァンに遷都する。

1707年、ラーンサーン王国が、ビエンチャン王国と、ルアンパバーン王国に分裂する。

1713年、ビエンチァン王国から、チャムバーサック王国が、分離独立する。

1827年、アヌ王の独立運動開始。

1893年、フランス領、ラオスの成立。

1934年、インドシナ共産党ラオス支部の結成。

1945年、日本軍による、ルアンパバーン王国の成立。

第二次世界大戦、フランスが、ドイツに降伏すると、日本は、弱体化した、フランスに、インドシナへの軍隊の駐留を認めさせて、更に、タイが、失った領土の一部である、カンボジアと、ラオスの一部を、取り返すのである。

これにより、フランスは、ラオス統治を見直し、ラオスをフランスに繋ぎ止める、政策を取った。
1945年、日本軍が、クーデターを起こして、インドシナを単独支配することで、フランスは、インドシナ統治を一時中断することになる。

日本は、その年に、ルアンパバーン王国を独立させる。
だが、この独立は、世界大戦後、無効になる。

しかし、この頃から、ラオス独立の気運が高まってくる。それが、ラオス人による、初の政府、ラオス臨時人民政府である。
日本軍が、独立に目覚めさせたといえる。

ところが、1946年、フランスが、ラオスの再植民地化を開始すると、ラオス臨時人民政府は、バンコクへ亡命する。

フランスは、ルアンパバーン王国を、擁立し、ラオス王国を成立させるが、実質的には、植民地政策を取った。

1949年、フランスの懐柔政策によって、バンコクの亡命政府は、解散したが、その中の一部、ネオ・ラーオ・イサラ、ラオス自由戦線を結成し、フランスへの抵抗を続けた。

ネオ・ラーオは、ラオス北部を拠点に、解放区の建設を開始する。

だが、これにより、ラオスは、内戦に発展する。

フランスとの、交渉によって、ラオスの独立を得ようとする、右派と、徹底抗戦を掲げる、ネオ・ラーオ・イサラ、左派に分裂して、戦うのである。

ここからが、問題である。

1953年、フランスは、フランス・ラオス連合友好条約を締結し、ラオス王国を完全独立させる。が、ネオ・ラーオ・イサラは、抵抗した。

1954年、インドシナ問題を解決するために、ジュネーブ条約が、締結されたが、それは、ラオス王国が、国際的に認められると、同時に、ネオ・ラーオ・イサラの北部結集も、認められたのである。

つまり、二つの政府が、存在することになったのである。

撤退した、フランス軍に変わり、アメリカが、ラオス王国に、軍事援助を始める。

対して、ネオ・ラーオ・イサラには、ベトナム、ソ連が、援助を行うのである。

東西陣営の対立が、ラオスにも、反映された。

1956年、パテート・ラーオが結成される。左派勢力である。

1957年、ジュネーブ条約で、第一次連合政府が成立したが、すぐに崩壊し、内戦へと、突入する。

更に、1962年、第二次連合政府が成立するが、それも、10ヶ月で、崩壊する。

1964年、アメリカ軍の解放区への爆撃が開始され、内戦が激化する。

一進一退を繰り返していたが、結果、1969年から、パテート・ラーオが、優位に立ち、王国政府に、和平交渉を呼びかける。
その結果、1973年、ラオス和平協定が結成されて、1974年、第三次連合政府が、成立する。

更に、パテート・ラーオが、優位に立ち、右派が、瓦解してゆく。

1975年12月、軍事行動なく、パテート・ラーオに、政権が移譲される。
王政が廃止され、ラオス人民民主共和国が、誕生する。

この、パテート・ラーオを、指導していたのは、マルクス・レーニン主義を、標榜する、ラオス人民革命だった。

人民革命党は、社会主義国家を建設すべく、企業の国営化、農業の集団化という、性急な、社会主義政策を、とったのである。

だが、この政策は、経済活動を停滞させ、深刻な食糧と、物不足を招いた。

更に、西側諸国の、援助停止と、人口の一割に及ぶ難民の流出などで、社会は混乱する。

1979年、人民革命党は、性急な社会主義政策を、見直すが、経済の低迷からは、抜けられなかった。

1986年、ソ連の、ペレストロイカの影響を受けて、新思考政策といわれる、市場経済化政策が、とられた。
更に、政治、社会、外交なども、自由化、開放化を目指して、今、現在に至るのである。



神仏は妄想である 223

支配層・上位層も、立場と実力にまかせて集団内で思うがままに資源(獲得機会)を占有するのではなく、はじめから一定の「配分」を下位層に行い、彼らの資源確保を保証して集団の安定と存立を図った方が利益的である。つまり、集団内で優位な立場にいる支配層。上位層にとって、可能な限り自分たちで資源を占有する、そういう体制を作ることが一見「得」なようだが、実はそうではない。それは目先の「短期的な利益」にはなるが、「長期的な利益」を考えるなら、優位な立場にあっても資源占有を控え、下位の者に相応の「配分」をして集団の安定、規模の維持を図った方が「自分の利益」にかなう。そしてそれは、農民その他の下位層にとっても、専制や重税に苦しめられ反乱や抵抗運動で命を危険にさらすより明らかに利益になるので、集団の中で「資源獲得機会の配分」がなされる、「配分」的な体制が設定されることは、上位層/下位層を問わず、誰にとっても利益になる。
内藤淳

誰の立場からも、利益になるということで、正しい社会のあり方ということになる。

そして、その配分における、人為による、配分と、身分による、配分という、テーマに移ってゆく。

それは、このエッセイの主旨ではないので、省略して、配分原理としての、人権を見る。

近代以降の国家では、憲法の基本原理として、基本的人権の尊重が、謳われる。
憲法学では、人権とは、国家が成立する以前の、自然状態において、人間がもともと持っていた自然権ということになる。

これが、進化倫理学では、配分原理として、優れた意味を持つことになる。

人権には、自由権と、社会権の二つがある。
自由権には、思想・良心の自由、信教の自由、表現の自由、という、精神的自由権と、職業選択の自由、営業の自由、財産権という、経済的自由権がある。
これらは、国家集団の、国民誰もが、資源獲得のための、活動が出来るというものである。

権利保障という、形での、配分の具体化になっている。

社会権は、その中で、運や能力に恵まれない人、病気や、障害によって、働けない人などの、現実に必要な、資源を得られない人に、資源獲得機会が、行き渡るように、配慮した制度を、作る、保証するものである。

人権保障は、国家という、集団において、すべての人に、資源獲得機会を行き渡らせる、優れた、配分体制であると、いえる。

そして、それが、釈迦仏陀の、目指した、すべての人の福利なのであり、空の思想の、理念である、平等の、福利の姿である。

つまり、人間は、進化の過程で、それらを、選び取ってきたといえる。
それは、宗教ではなく、人々の、願いとして、政治に生かされてきたものである。

目先の利益にとらわれると、たとえば国家の指導者や支配層にとっては、国民の人権を抑圧して現体制に批判的な言論を封殺し、自分たちを批判する人を余計な手続きや審理を経ずに投獄したり、そういう人の財産を好きなように没収できたりした方が一見利益的に思える。しかし、そうやって「現体制に都合の悪い主張や活動は抑圧される」という社会体制を作ってしまえば、それは明白に「現体制の支配層には利益的だがそれ以外の人には不利益な社会体制」であって、「それ以外の人」の不満や抵抗の元になる。

そして、それは、

ある程度は実力や武力でそれを抑えられても、そうした抑圧的な支配体制には根強い抵抗が生じるのも世の常で、なにかのきっかけでそうした不満が爆発し大規模な暴動や反政府運動が広がるといった現実をわれわれはあちこちで目にする。
内藤淳

例えば、私は、ミャンマーを見たが、このままでは、いつまで、現政権が、それを、意地出来るのかは、時間の問題であると、見た。
更に、中国の人権問題も、然り。

人権を保障し、言論規制などを、控えた方が、現体制への批判的言論が、多少あろうと、社会全体が安定し、活性化するのである。
結果、体制も、安定し、支配層にも、利益になる。

人権保障は、国家の支配層にとっても、長期的展望に立つと、国民を含めて、国家の皆々に、利益的な、正しい、配分体制だといえる。

それが、また、釈迦仏陀の、平等の福利のあり方であるということ。

日本の国家体制は、釈迦仏陀の、方法に実に近いと言える。

このように、「正しい社会のあり方」もまた、われわれ個々人の利益に基づいて考えられる。われわれの社会が、人間という「利己的」存在の集まりであることに鑑みて、その社会の「正しいあり方」は、構成員各人の利益を基礎として決まる。メンバーのいずれにとっても利益になる「資源獲得機会の配分」はその重要な基準であり、人権保障の「正しさ」もまた、その中にいる個々人の人間の「利益」に還元して判断できる。個人の善悪と同様、社会的正義もまた、われわれ自身の利害損得によるのである。
内藤淳

倫理、道徳という、考え方に関して、進化倫理学は、とても、これからの時代に、貢献するであろうと、思う。

そして、それは、宗教という、偏狭なモノに、支配されずとも、人間が、人間として、その、人権と、権利を持って生きられるという、社会、国家政治に生かされるのである。

すでに、宗教の時代は、終わった。

結局、人間は、進化によって、より、人間であることを、追及してきた。
更に、神や仏という、化け物に、何ら左右されることもない。

信仰が、単なる、蒙昧であることに、気づく時代が、来たのである。

超越した存在を置かずとも、人間は、その進化の過程で、より、人間としての、特性、つまり、大脳を有する、人間として、未来に向かうのである。

勿論、この日本でも、問題は山積みであるが、これから、また、一つ一つと、進化を経て、進歩発展してゆくのである。

アジア各地を、回っている私は、あの、第二次大戦から、日本が、ここまで、理想の国に成り上がったことに、驚いている。

その、福祉も、福利も、日本は、断然トップを、行く。
アジア各国と、比べてであるが、大変なことである。

善悪、正不正はわれわれの利益にかなっている。「善いことをすると得」「悪いことをすると損」であり、「正しい社会」はわれわれひとりひとりにとって「得」である。・・・・
原則として人間一般社会に妥当する、普遍のセオリーである。そして、まさにそうであるからこそ、われわれにとって道徳や正義は大切であって、われわれは道徳を守り、正しい社会を作らねばならない。
内藤淳

空の思想が、このように、進化倫理学で、説かれるとは、考えもしなかったのである。

それとも、まだ、空とは、言葉で、表現しえないものであり、悟りを目指して、云々と言うのであろうか。

釈迦仏陀は、この世に生きるということを、説いたのであり、あの世に生きることを、説いたのではない。

転生輪廻云々は、個々人の勝手な、思いであり、今、この現実を、生きるという、生きる意味意識を、問うときに、はじめて、現実を逃避するのではなく、現実を最大限に利用し、生きるということになる。

アジア各国の、貧しい人々は、篤い信仰を持つ。
しかし、それを、見詰め続けていると、そこには、現実に、希望出来ない、諦めの、心と、絶望の心が、見える。
信仰が、現実逃避になっている、様を、見るのである。

ヤンゴンの朝早く、人々は、それぞれの、寺院に出向いて、祈りを、捧げる。
現政権の、退廃と、人権無視、国民無視、一部支配層だけの、政治の体制の中で、どうしようもない、絶望感から、逃避する姿に、私は観たのである。

神仏は妄想である。
神仏は、現実を変える力は無い。
人間が、この現実を、変化させ、変容させる力を持っている。

再び、インド思想史と、法華経に戻ることにする。


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伝統について 3

何せむに 命は継がむ 吾妹子に 恋ひざる前に 死なましものを

なにせむに いのちはつがむ わがもこに こひざるさきに しなましものを

どうして、命を永らえようか。吾が妹子に恋して苦しむ前に、死んでしまおうものを。

命など惜しくない。恋をして、死ぬならば、それが本望である。
その、恋とは、実に苦しいものである。
その苦しみを知るからこそ、死んでもいいと、思うのである。

だが、この歌は、だからこそ、生きるという、反実仮想である。


よしえやし 来まさぬ君を 何せむに 厭はずわれは 恋ひつつ居らむ

よしえやし きまさぬきみを なにせむに いとはずわれは こひつつをらむ

ああ、もういい、来ないあなたを、どうして私は、嫌わずに、待って、恋し続けているのだろうか。

何せむに、という、何ゆえに、である。
我が恋の、その理由などない。

待っても、待っても、来ないあなたを、私は、いやにならずに、恋し続けているのだ。どうしてなのか。自分でも分からない。


見わたせば 近きわたりを 廻り 今か来ますと 恋ひつつそ居る

みわたせば ちかきわたりを たもとほり いまかきますと こひつつそをる

見渡すと、近い渡し場だが、きっと、回り道をして、今こそ来るのだと、私は、恋し続けて待っている。

恋する人は、人目を避けて、きっと、遠回りしてくる。それを、私は、今か今かと、待っている。
その間の、恋心を、私は、抱きしめている。

恋する者は、どんな回り道にも、耐えられる。待つことに耐えること、それが、恋なのだ。


愛しきやし 誰が障ふるかも 玉ほこの 道見忘れて 君が来まさぬ

はしきやし たがさふるかも たまほこの みちみわすれて きみがきまさぬ

可愛い誰かが、邪魔をしているのか。
たまほこの道を、見忘れているのだろうか。

玉ほこを立てて、道としている。
その道に、恋する人が現れない。
きっと、誰かに邪魔されているのだろう。きっと、そうなのだ。


万葉の歌は、単純明快であるが、恋の歌は、それなりに、複雑な心情を歌い上げる。
行きつ戻りする、心の有様を、実に明快に歌うが、それ自体に、複雑な形相がある。

恋は、芸術を生む。
人は、恋により、詩人になるという、通俗的な言い方が出来る。
だが、恋は、通俗的なものである。
しかし、人は、それによって、生きられる。

何も、高尚なものでなくてもいい。
心躍る、恋というもの、それさえあれば、生きられる。

万葉時代も、今も、それに変わりは無い。

君が来まさぬ、と、二千年を経ても、人は待つ、人に恋をする。だから、人を信じられる。

真実は、単純明快である。



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