2009年08月03日

ラオス・ルアンパバーンへ 3

夜、七時を過ぎた。
私は、食事をするために、ゲストハウスを出た。

さて、どこにするか。
今までとは、別の方向に歩いた。

街の西側である。
少し歩くと、レストランがあった。
中を覗いた。誰も、いない。
客のいないレストランは、美味しくないのである。が、しかし、引き付けられるように、中に入った。

だが、屋内ではなく、屋外のテーブルについた。
誰も、来ない。
しばらく、待った。

ようやく、男の子、ボーイが出て来た。
そして、その後から、ウエイトレスが、メニューを持って来た。

ラオス語と、英語である。

金額も、キップである。
実は、キップに両替をしていなかった。
ただ、水を買ったときに、ドルで、支払い、そのお釣りを、キップで、貰っていた。

買い物は、ドルが使えるが、割高になる。
例えば、三万キップが、3,5ドルであると、4ドルとなる。
5ドル紙幣を出すと、一ドル分が、キップとなり、お釣りである。
その、お釣りも、割高である。

長期滞在しなくても、キップに両替すべきだと、思った。

そのレストランは、ドル払いもオッケーであることを、私は、確認した。

ラオス料理のセットメニューを注文した。
そして、追加で、フライドポテトである。

私のテーブルに、準備をする、ボーイと、言葉を交わした。
英語である。
あまり、英語が出来ないボーイだった。私と、同じ程度である。

だから、なおさら、よい。
どこから来たの
街の北の山間部から、出て来たである。

家族は、皆、そこで暮らし、彼は一人で、ルアンパバーンにいる。

そのうちに、二人のボーイが、出て来た。
そして、客待ちの準備をする。

三人のボーイと、話すことになった。
客は、私一人である。

せっかくだからと、ラオスの缶ビールを頼んだ。
それを飲みつつ、三人と、話した。
一人のボーイが、実に見事な英語を話した。
独学である。

料理が運ばれて来た。
予想以上に、量が多い。
英語の堪能なボーイが、ひとつひとつの料理を説明する。

もち米だけは、タイと同じだった。他の料理は、すべて、揚げ物である。
海苔の揚げ物もあった。

それを食べつつ、彼らと、話した。
実は、明日のガイド役を、私は、探していた。

トゥクトゥクを二時間借りるのは、いくら
一番、背の低いボーイが、20ドルと、言う。
すると、英語の堪能なボーイが、バイクを持っている。それなら、10ドルでいいと、言う。

そこで、私は、何をしたいのか、言った。
私は、観光するのではなく、子供たちに、衣服を持ってきたので、それを、渡したい。
ガイドをしてくれないか

荷物が多いので、バイクでは、無理なので、トゥクトゥクを借りたい

どう、いくらでしてくれる

英語の堪能なボーイが、トゥクトゥク料金を含めて、30ドルと言う。

30ドル
高いなーーーー

通じたのか、よし、20ドルでいいと、答えた。

明日の朝、10時から、二時間ということで、話がついた。

英語の堪能なボーイの、名前は、ニッツという。

本当は、最初の、あまり英語が出来ないボーイの方が、よかったのである。
それは、互いに英語が通じるからである。

しかし、積極的な、ニッツに決まった。

その時、イギリス人が、予約にやって来た。
12名で来るという。

三人のボーイは、急いで、テーブルを付け合せて、用意をはじめた。

私は、それを、眺めつつ、食事をしたが、半分も、食べられなかった。
それは、ビールのせいである。コップいっぱいのビールが、腹を満たした。

大半を残して、テイクアウトにして貰った。
支払い総額は、10ドルである。
凄い、高い夕食だった。もちろん、それ一度きりである。
ニッツと、朝10時ということを再度、確認し、私は、ゲストハウスに戻った。



伝統について 5

君が目を 見まく欲りして この二夜 千歳の如く 吾は恋ふるかも

きみがめを みまくほりして このふたよ ちとせのごとく われはこふるかも

君に会いたくて、昨夜も、今夜も、千年ものように、私は、恋する。

あなたの、目をみたい、つまり、あなたに会いたいと、思い続けて、昨夜も、そして、今夜も、千年も恋する如く、私は、恋する。

好きで、好きで、たまらないという、純真一途な思いに、溢れている。

千歳の如くに、という、深みに、陥る恋というもの。


うち日さす 宮道を人は 満ち行けど わが思ふ君は ただ一人のみ

うちひさす みやじをひとは みちゆけど わがおもふきみは ただひとりのみ

日が照り輝く、宮への道を、多くの人が行くが、私の思うあなたは、ただ、ひとりだけである。

ただ一人のみ、と、強く強く、意識する、恋する相手。
あなただけしか、目に入らないのだ。

どんなに人が多くても、好きな相手は、ただ一人なのである。

かけがえのない、あなた、である。


世の中は 常かくのみと 思へども はた忘れえず なほ恋ひにけり

よのなかは つねかくのみと おもへども はたわすれえず なほこひにけり

世の中は、いつも、こうであると、思っているが、やはり、また、忘れられず、恋に身を置くのである。

恋に破れて、苦しむことが、世の中の常であるが、それでも、また、忘れられず、恋に身を任せるのである。

恋に生きるしかない、という、切々たる思いである。


わが背子は 幸く坐すと 遍く来て われに告げ来む 人も来ぬかも

わがせこは さきくいますと まねくきて われにつげこむ ひともこぬかも

わが背子が、無事でいますと、何度も来て、告げる人も来ないのである。

情報は、人の口からの時代である。

人の口から、背子が無事でいるという、伝えを聞きたいのである。
せめて、誰かが、伝えてくれ、という。

まねくきて、何度も、何度も、好きな相手のことならば、聞きたいのである。


あらたまの 五年経れど わが恋の 跡無き恋の 止まなくも怪し

あらたまの いつとせふれど わがこひの あとなきこひの やまなくもあやし

あらたま、新玉の年を、五年経ても、私の恋の、この何も起こらない恋も、恋心は、止むこともないのである。

何も起こらない、つまり、成就しない恋である。
五年を待っても、何も起こらない。のだが、それでも、恋心は、収まることはないのである。

これを、片恋、かたこひ、という。
片思いである。

それが、怪しいのである。あやしい、不思議だ。恋は、不思議なものである。
何故、人は恋をするのか・・・生きるため。

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伝統について 3

何せむに 命は継がむ 吾妹子に 恋ひざる前に 死なましものを

なにせむに いのちはつがむ わぎもこに こひざるまえに しなましものを


どうして、命を永らえようか。吾妹子に、恋して、苦しむ前に、死んでしまおうものを。

あまりに、恋心が強く、激烈ゆえに、恋の成就は、死をも、意味する。
激しい恋の告白である。

命など、永らえようと思わない。恋が成就すれば、それで、死んでもいいのだ。


よしえやし 来まさぬ君を 何せむに 厭はずわれは 恋ひつつ居らむ

よしえやし きまさぬきみを なにせむに いとはずわれは こひつつをらむ

よしえやし
もう、いいわ、どうでも
いらっしゃらない、あなたなのに、どうして嫌わず、私は、恋い続けているのだろうか。


好きで好きで、たまらないから、待つのである。
来ないあなたを、好きだから、いつも待っている。

恋する私の、激しい気持ちを、もてあましているのだが、それさえも、恋のためなのである。


見わたせば 近きわたりを 廻り 今か来ますと 恋ひつつそ居る

みわたせば ちかきわたりを たもとはり いまかきますと こひつつそをる


見渡せば、近い、渡し場だが、回り道をして、今こそ、来るだろうと、恋づけて、待っている。
回り道をして来るだろうと思う。
人に姿を見せないように、密かに、会いに来る。

今か来ます
今か、今かと、待っている。
きっと、遠回りをしてくるのだろう、私の君は。



愛しきやし 誰が障ふるかも 玉ほこの 道見忘れて 君が来まさぬ

はしきやし たがさふるかも たまほこの みちみわすれて きみがきまさぬ


可愛い誰かが、邪魔をしているのだろうか。玉ほこの道を、忘れてしまったのか、あなたの姿が現れない。

愛しきやし
可愛い人が、私への、行く手を邪魔しているために、あの方は、この、いつも来るはずの道を、忘れてしまったのでしょうか。

男が通ってくるのを、待つ。
勿論、こちらから、出掛けてゆくのもいいが、それでも、待つことに、恋の重さがあった。
来てくれると、信じて待つ間に、恋が熟してゆくのである。


恋すれば
苦しきものと
知りつつも
越すに越せない
絹の間合いを  天山


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