2009年08月15日

国内慰霊

台風が、来て、朝から雨である。
予定していた時間は、朝の六時であるが、様子見をすることにした。

結局、出発したのは、朝、11:30である。
辻友子、テラの会理事の車で、千代田区の、千鳥が淵戦没者墓苑に向かう。

強く振り出した雨の中である。

やはり、日を改めるべきだったかと、思いつつ、後部座席で、外を眺めていた。

台風は、四国、高知沖から、太平洋をなめるように、通過するという。

被害が大きい。
死者、14名であり、行方不明者もいる。

千葉、都内でも、被害が出ている。

当然、雨は降り続くものと、思う。

30分ほどで、目指す、千鳥が淵墓苑に到着する。
この雨であるから、墓苑の駐車場には、車が無い。

私は、辻さんに、少し様子を見てからと、言った。
雨が強く降っている。

その後、上野公園に行き、東京大空襲の被災者の慰霊をする、予定だったが、私は、止めることにした。

御幣と、日の丸が、雨では、持たない。

しばらく様子を見て、小降りになったので、辻さんを促し、傘をさして、御幣のみ、持参して、墓苑に向かった。

雨が上がることは、もう、望めないのである。

正面から、入った。

急いで、屋根のある慰霊の場所に入る。

傘を置いて、御幣を、掲げる。
太陽の出ているであろう所に向かい、神呼びをする。

丁度、祭られている、逆の方向である。

辻さんが、写真を撮る。

そこでは、祝詞を長い時間唱えられないと、思い、私は、車の中で、唱えていた。

最低の時間で、慰霊を終わろうと思ったのだ。

だが、屋根があるお陰で、少し長い時間を、黙祷に当てた。

そして、四方を御幣で、清め祓う。
誰もいないので、たっぷりと、満足のゆく、ものだった。
更に、特別に、祝詞を唱えた。

ここには、遺骨収集などにより、海外から持ち帰られた、戦没者の遺骨のうち、遺族に穂渡すことの出来なかった、35万人、35万柱という、方々の遺骨が、納められてある。

先の大戦では、310万人の、戦没者が、いらっしゃる。
その中の、ほんの一部である。

およそ、30分ほど、慰霊の行為を行い、その後で、入り口の、戦争戦禍の地図の前で、写真を撮った。

ああ、まだ、私の行く場所が、多々あると、それを、見つめた。

そして、墓苑の事務所に向かい、色々なパンフレットを頂き、署名した。

いかに、日本が、広い範囲に渡り、戦争を繰り広げていたかということ、今更、ながら、感心した。

日清、日露戦争で、勝利した、日本は、その範囲を、無限大に広げるようだった。
しかし、大東亜戦争により、敗戦。
その広い範囲は、すべて、独立し、現在に至る。

アジアの国々の、独立を促した、戦争でもあったといえる。

勿論、植民地政策も、行った後である。

そして、駐車場に向かう時、傘を必要としていないことに、気づいた。
雨が、止んだのである。

だが、空には、厚い雲であり、また、雨が降るだろうと、思った。

靖国神社が、すぐ側にある。
私は、靖国に行く予定ではなかったが、辻さんに、靖国に行きますと、言った。

靖国神社に祭られる、英霊は、すでに、祭神として、その存在を認められ、毎日、神官たちによって、篤く、畏敬の念と、祈りによって、成っている存在であるから、私の行く所ではないと、考えていた。

私の行くべき所は、慰霊を必要とする場所である。

それは、その存在を忘れられた、また、知られないでいる、霊位の場所である。

さらに、靖国神社という、社、やしろ、を、通して、霊位の、地位のある、方々である。
説明するは、大変、専門的になるが、霊位の存在確かな場所であれば、私の行く必要は、無いのである。

神社の所作によって、納まる英霊の方に、私の所作は、必要ではない。
よって、私は、参拝といっても、通常の参拝はしなかった。

日の丸を、持参して、ただ、礼をし、黙祷した。

それ以上は、僭越行為である。

まさか、そこで、清め祓いなど、することは、出来ないのである。
それは、実に、おかしなことである。
靖国神社を、清め祓う人は、いないだろう。

私の、所作は、古、いにしえ、の、かむながらのみち、の、所作である。
それは、宗教ではない。
伝統行為である。

さらに言えば、神呼びの拍手も、打たない。

追悼慰霊の場所では、神呼びの拍手と、音霊により、執り行うが、靖国神社では、それは、出来ない。

要するに、レベルも、ラベルも、違う方法だからである。

そちらは、そちらの、こちらは、こちらの、方法である。

神社神道には、厳格な礼法所作がある。
それは、見事に、舞のような、所作である。
そして、一分の乱れも無いものである。

神主も、装束を見に付けて、格式を持って、行う。

私は、別である。

あくまでも、霊位に寄せる。
つまり、霊位に合わせるのである。
だから、その時、その場によっても、方法や、するべきことが、決まっている訳ではない。
簡単に言うと、臨機応変である。

しかし、それは、神主には出来ないことでも、ある。

神主は、式があって、神主なのである。

私は、式が無いのである。

とんでもない行為をすることも、多々ある。
念仏、題目のみならず、キリスト教の祈り、アッラーを呼ぶ場合もある。
便宜上である。

それは、霊位を優先するからである。
しかし、神社は、神社神道の儀式にあるものであり、それも、一つの伝統的行為である。

私の場合は、伝統行為であるが、あちらは、伝統的行為である。

伝統行為と、伝統的行為の違いは、伝統行為を、一定の儀式の中に、収めるものが、伝統的行為と、言えるのである。

さらに、私の伝統行為は、私の感受性によって、執り行われるものである。

霊位の中には、様々な霊位がいらっしゃる。
中には、熱心なクリスチャンがいる場合もあり、その時、どうしても、その場から、引き上げてもらう場合、引き上げていただきたい場合は、霊位の、想念を主にしなければならない。

私の黙祷が、霊位に、反応をして頂くには、キリエ・レイソン、主よ憐れみたまえ、という、祈りが必要な場合がある

端的に言えばである。

タイ、ラオス、ミャンマーの、ゴールデントライアングルでの、慰霊のときに、どうしても、お経を唱える必要を感じた。

長い経典は、唱えられない。ゆえに、般若心経を唱えた。

それは、大乗仏典であるが、小乗仏教の人にも、伝わるものだった。

説明が長くなった。

靖国神社では、太陽が、出た。
日の丸を、太陽にかざして、神呼びをした。

そして、参拝に向かった。
それ以降は、雨が止み、夜も、雨が降らなかった。
夜から、朝にかけて、大雨の予報である。

更に、これ以上の雨が、降れば、都内、千葉のみならず、関東一円に、大きな被害を与えるだろうと、思えた。

靖国神社で、太陽が出た時は、汗ばむほどだった。

大和朝廷以前の、富士王朝からの、伝統は、やはり、太陽崇敬であったと、確信するものだった。
今年、富士王朝開闢から、9059年を迎える。

建国2669年も、その中に入るものである。

まさか、雨が止み、収まるとは、思いもしなかった。
同行の、辻さんは、絶句していた。
これから、もっと、強く降るって・・・

しかし、その夜は晴れ、翌朝も、少し程度の雨だった。




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2009年08月16日

伝統について 16

遠山に 霞たなびき いや遠に 妹が目見ずて われ恋ひにけり

とほやまに かすみたなびき いやとほに いもがめみずて われこひにけり

遠山に、霞がたなびき、いっそう、遠くに思われる。それと、同じように、妻に、遠く離れて、逢わずにいる。ああ、恋しい妻よ。

通い婚である。
だから、逢わずにいることが、辛い。
そして、それが、また、更に、恋心を募らせる。


宇治川の 瀬瀬のしき波 しくしくに 妹は心に 乗りにけるかも

うじがわの せせりしきなみ しくしくに いもはこころに のりにけるかも

宇治川の、寄せては返す波のように、幾重にも、幾重にも、妻の存在が、私の心を、占めているのだ。

瀬瀬のしき波
しくしくに
この、言葉の、連なり、繰り返しにあるのは、思いの深さである。

しくしくに
しきりに、絶えず、である。
いつもいつも、妻を思うのである。

生きるとは、思うこと。
何を思うか。
好きな人を、思い続ける。
これほど、単純明快なことはない。


ちはや人 宇治の渡の 瀬を早み 逢はずこそあれ 後もわが妻

ちはやびと うじのわたりの せをはやみ あはずこそあれ のちもわがつま

ちはや人の、宇治の渡りが場の瀬が早いので、今、ひとときは、逢わずにいるが、後々までも、我妻と、思うことだ。

逢はずこそあれ
今のひとときは、逢わないけれど、後々には、妻として、逢うのだという、強い、希望である。


愛しきやし 逢はぬ子ゆえに 徒に 宇治川の瀬に 裳裾濡らしつ

はしきやし あはぬこゆえに いたずらに うじがわのせに もすそぬらしつ

愛する、逢えない子のために、宇治川の瀬に、空しく、裳裾を濡らして、佇んでいたのである。

愛しき
かなしき、とも、はしき、とも、読む。

いたずらに
ただの、空しさではない。いずれ、逢うべきときのことを、思いつつ、いたずらに、なのである。
その、いたずらは、祈りである。

ぼんやりとして、空虚なのではない。
その、空しさの中に、激しく燃える想いがる。

愛する、慕わしい人を、思う気持ちは、今も、昔も、変わらない。
万葉の時代と、人の心は、大差がない。
あるとすれば、一途さである。

一途に、生きられる時代であった。
そして、また、それが、生きることであった。
いずれ、この心象風景が、あはれ、という、言葉に、昇華してゆくのである。



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伝統について 16

遠山に 霞たなびき いや遠に 妹が目見ずて われ恋ひにけり

とほやまに かすみたなびき いやとほに いもがめみずて われこひにけり

遠山に、霞がたなびき、いっそう、遠くに思われる。それと、同じように、妻に、遠く離れて、逢わずにいる。ああ、恋しい妻よ。

通い婚である。
だから、逢わずにいることが、辛い。
そして、それが、また、更に、恋心を募らせる。


宇治川の 瀬瀬のしき波 しくしくに 妹は心に 乗りにけるかも

うじがわの せせりしきなみ しくしくに いもはこころに のりにけるかも

宇治川の、寄せては返す波のように、幾重にも、幾重にも、妻の存在が、私の心を、占めているのだ。

瀬瀬のしき波
しくしくに
この、言葉の、連なり、繰り返しにあるのは、思いの深さである。

しくしくに
しきりに、絶えず、である。
いつもいつも、妻を思うのである。

生きるとは、思うこと。
何を思うか。
好きな人を、思い続ける。
これほど、単純明快なことはない。


ちはや人 宇治の渡の 瀬を早み 逢はずこそあれ 後もわが妻

ちはやびと うじのわたりの せをはやみ あはずこそあれ のちもわがつま

ちはや人の、宇治の渡りが場の瀬が早いので、今、ひとときは、逢わずにいるが、後々までも、我妻と、思うことだ。

逢はずこそあれ
今のひとときは、逢わないけれど、後々には、妻として、逢うのだという、強い、希望である。


愛しきやし 逢はぬ子ゆえに 徒に 宇治川の瀬に 裳裾濡らしつ

はしきやし あはぬこゆえに いたずらに うじがわのせに もすそぬらしつ

愛する、逢えない子のために、宇治川の瀬に、空しく、裳裾を濡らして、佇んでいたのである。

愛しき
かなしき、とも、はしき、とも、読む。

いたずらに
ただの、空しさではない。いずれ、逢うべきときのことを、思いつつ、いたずらに、なのである。
その、いたずらは、祈りである。

ぼんやりとして、空虚なのではない。
その、空しさの中に、激しく燃える想いがる。

愛する、慕わしい人を、思う気持ちは、今も、昔も、変わらない。
万葉の時代と、人の心は、大差がない。
あるとすれば、一途さである。

一途に、生きられる時代であった。
そして、また、それが、生きることであった。
いずれ、この心象風景が、あはれ、という、言葉に、昇華してゆくのである。



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2009年08月17日

伝統について 17

宇治川の 水泡逆巻き 行く水の 事反らずそ 思ひ始めてし

うじがわの みなわさかまき ゆくみずの ことかへらずそ おもひそめてし

宇治川の、水泡が、逆巻きつつ流れてゆくように、恋に目覚めた心は、後戻りすることは、できないのだ。

恋の芽生えである。
後戻りできない、恋の初めである。
何とも、初々しいのである。

誰もが、一度は、こういう経験をするだろう。


鴨川の 後瀬静けく 後も逢はむ 妹にはわれは 今ならずとも

かもがわの のちせしずけく あともあはむ いもにはわれは いまならずとも

鴨川の、下流の瀬のように、静かに、後々に逢おうと、妻に私は。今でなくても、いいのだ。

後瀬静けく
のちせしずけく、という、逢引である。
今でなくても、いい。後で、逢うのだ。

きっと、今は、逢えない理由があるのだ。下流ということが、それを言う。


言に出でて 言はばゆゆしみ 山川の 激つ心を 塞かへたりけり

ことにいでて いはばゆゆしみ やまかわの たぎつこころを せかへたりけり

言葉に出して言うことは、恐ろしい。山川のように、激しい心は、抑えて、言わない。

言はばゆゆしみ
言えば、言うことは、恐ろしいのである。
だから、山川のように、激しく内部は、動いていても、言わないでいる。
その心は、恋なのである。

恋心を、堪えているのである。

水の上に 数書く如き わが命 妹に逢はむと 祈誓ひつるかも

みずのうえに かずかくごとく わがいのち いもにあはむと うけひつるかも

水の上に、数を書くと、消えてしまう。そんな、私の命でも、妻に逢おうと、占いをして、確かめるのである。

祈誓ひつるかも
つまり、吉凶判断の占いである。

占いをして、心を静める。
深い思いを、凝らして、妻を思い、占う。占う行為に、恋を託すのである。


荒磯越し 外ゆく波の 外ごころ われは思はじ 恋ひて死ぬとも

ありそこし ほかゆくなみの ほかごころ われはおもはじ こひてしぬとも

荒磯を越して、外に溢れるようなふた心を、私は待たない。恋に死んでも、本望なのだ。

つまり、他に、心を動かさないのである。
この恋に、死んでもいいのである。

他の人を、恋することなんて、無い。
この恋にこそ、命を、賭けている。

自己決定の強さ。自分に言い聞かせるようである。

ここでも、また、一途な恋の心が、ある。
万葉の恋は、兎に角、一途であり、それは、純粋無垢である。


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2009年08月18日

伝統について 18

淡海の海 沖つ白波 知らねども 妹がりといはば 七日越え来む

あふみのうみ おきつしらなみ しらねども いもがりといはば ななひこえくむ

淡海の海の、沖の白波のように、家路を知らずとも、妻の元に行くならば、七日かかろうと、越えて行く。

琵琶湖のことである。
知らないとは、場所を知らないのではない。
可能性のことである。

平たく言えば、恋の告白である。
あなたとの、恋が成就するかどうか、分からないけれど、私は、あなたとの、恋を成就させるために、超えられないところも、超えてゆきます。

七日とは、象徴である。
何日かかろうと、越えてゆくのである。

大船の 香取の海に 碇おろし 如何なる人か 物思はざらむ

おおふねの かとりのうみに いかりおろし いかなるひとか ものおもはざらむ

大船が、香取の海に、碇をおろすように、どんな人でも、深く物思わずには、いられないだろう。

物思はざらむ
強い否定の疑問である。

恋の一言もない。
ただ、物思わずには、いられないというのである。
物思う、すなわち、恋を思うのである。

恋は、人を、憂いに誘う。
人を思うと、人の心は、しばし、憂いに沈む。
センチメンタルに近い。
それほど、心の襞が、複雑になる。

何を見ても、あの人のことが、思われる。
一瞬一瞬、恋に死ぬのである。

沖つ藻を 隠さふ波の 五百重波 千重しくしくに 恋ひわたるかも

おきつもを かくさふなみの いほへなみ ちへしくしくに こひわたるかも

沖の藻を、隠すように、いほへ波が、幾重にも重なる波模様である。
私の恋心も、そのように、恋続けるのである。

それが、重なるように、しくしく、と、擬態語である。

しくしくと、思い続ける、恋と言うもの。
日本人の、心象風景は、恋の心にある。

しくしくと、思い続ける心模様を、後に、あはれ、と表現するようになり、その、あはれ、が、更に、すべての、心象風景に、言われることになる。

すなわち、もののあはれ、である。

喜怒哀楽という、人の心のみならず、自然の風景にも、更には、生き物すべてにも、あはれ、という言葉で、くくることになる。

もう、これ以上に、言い表しえないという、場面で、あはれ、が、出てくる。

可愛くても、極まると、あはれ、なのである。
愛おしさが、極まると、あはれ、なのである。

人の悲しみを、思って、極まると、あはれ、なのである。

そして、人生は、あはれ、なものなのである。

それは、恋心から、発したもの。
もののあはれ、なのである。


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2009年08月19日

伝統について 19

人言は 暫し吾妹子 縄手引く 海ゆ益りて 深くしそ思ふ

ひとごとは しましわぎもこ つなでひく うみゆまさりて ふかくしそおもふ

人の言葉は、一時的なもの。私の恋人よ、綱手で、船を引く海の深さより、君を思う。

人の噂話は、一時的なものである。
そんな言葉など、平気である。
私は、海の深さより、思っている。愛しているとは、言わない。思うのである。つまり、思いの深さこそ、恋なのである。

思いは、思念である。
思念は、相手に伝わる。
意識下の思念は、草木にも、伝わる。

万葉人は、生きているもの、すべてに、思いがある、意識があると、知っていた。

淡海の海 沖つ島山 奥まけて わが思ふ妹が 言の繁けく

あふみのうみ おきつしまやま おくまけて わがおもふいもが ことのしげけく

淡海の、沖の島山の奥の如く、私の思う恋人。
その、恋人に関しての、噂がうるさいのである。

芸能人の恋愛沙汰が、人々の関心を集める。
実に、馬鹿馬鹿しいことだが、人のことに、興味を持つ人々がいる。
それを、笑うのであるが、しかし、自分のことになると、俄然、真剣になる。だが、それも、人の口に上ると、単なる興味になる。

万葉時代も、人の恋愛沙汰を、噂したのである。

近江の海 海沖漕ぐ船の 碇おろし 隠りて君が 言待つわれぞ

あふみのうみ うみおきこぐふねの いかりおろし こもりてきみが ことまつわれぞ

近江の海の、船が、碇をおろして、港に、籠もるように、私は、あなたの言葉を、待っている。

人目を避けて、恋人の言葉を、待っている。
待つこと、それが、恋だった。

その、待つ姿を、比喩で、歌う。
船が、碇を下ろして、隠れるように、私も、隠れて、あなたの言葉を待つ。
この、待つ時間に、恋の熟成がある。

時間をかけて、思いを凝縮する。
まさに、祈りである。

相手の心に、祈る。それが、恋である。

現代は、もはや、そんな、悠長なことは、無いと思われるか・・・
そんなことは、無い。

その心を、隠しているだけで、万葉人と、大差ないのである。
相手を大切に、思えば、思うほど、肉体の欲望は、制御される。

激しい性欲の、欲望が、更に、心を燃えさせる。
だが、それは、相手を、陵辱することではない。
相手から、向かってくる。それを、待つのである。そして、願いが、叶うとき、恋が成就するとき、無上の喜びと、歓喜がある。

セックスが、限りなく、輝くときである。

欲望が、恵みであることに、気づくとき。
現代は、それが、希薄になったのである。
つまり、それは、恋の希薄さである。

心を込める思いを、忘れて、単なる、エロスに行く。
エロスは、エロスに、帰結する。
勿論、それはそれで、いい。
だが、一人の女を知ることによって、すべての、女を知るという、奥深さは無い。


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2009年08月20日

伝統について 20

隠沼の 下ゆ恋ふれば すべを無み 妹が名告りつ 忌むべきものを

こもりぬの しもゆこふれば すべをなみ いもがなのりつ いむべきものを

こもりぬの下に、籠もるように恋していると、どうしようもない気持ちになり、妻の名を告げてしまった。それは、言ってはいけないことなのに。


名を名乗ることは、当時、大変なことだった。
名を名乗ることは、相手に、我が身を許すこと。
この場合は、妻の名を言ってしまったことの、重大さである。

言ってはいけないことだった。
それほど、名を名乗る、名を言うというのは、重大なこと。

大地も 採り尽さめど 世の中の 尽し得ぬものは 恋にしありけり

おほつちの とりつくさめど よのなかの つくしえぬものは こいにしありけり

大地の土でも、採り尽くすことがあろうが、世の中で、採りつくすことが、出来ないものは、恋の心尽くしだ。

恋の心には、際限が無い。
思っても、思っても、これでいいということは、無い。
人を好きになるという、感情、気持ちは、一体なんだろうか。
それが、不思議であると、当時の人も思う。

物思いとは、恋心なのである。
何故、人は、恋に陥るのか。

人は、人によって人になる。
男は、女によって男になる。その逆も、である。
説明抜きに、そのようである。

隠処の 沢泉なる 岩根をも 通して思ふ わが恋ふらくは

こもりどの きはたつみなる いわねをも とおしておもふ わがこいふらくは

人目に、つかない、沢の泉の、岩根までも、通し貫くほどの、我が恋の激しさ。

その思いは、岩根をも、通すという、激しい恋心である。
それほど、思うのである。

つまりは、死を賭けても、恋するのである。
恋に死ぬ。

小細工した、心では、このような、恋などしない。
小細工、つまり、性欲、欲望の恋である。

恋する相手は、命を、賭ける相手である。
人は、最も、大切なものに、命を賭ける。

捧げ尽くして、納得し、満足する。

その恋の、相手に相応しくなろうとする、心。
それを、あはれ、という。

あはれ、の、心象風景は、恋心にある。

時に、男は、それが、大義に向かうこともあり、女は、子供を守ることに、向かうこともある。

人が生きられるのは、あはれ、なのである。
大和心とは、あはれの心。

万葉人が、行き着いた、あはれ、の、心象風景を、平安期は、物語として、表現し、更に、歌道は、いつも、あはれ、という、心象風景を持って、続けられてきた。

日本人とは、歌道にある、あはれ、を、見つめて生きるのである。

言霊とは、それなのである。


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2009年08月21日

伝統について 21

白真弓 石辺の山の 常盤なる 命なれやも 恋ひつつをらむ

しらまゆみ いそへのやまの ときはなる いのちなれやも こひつつをらむ

白真弓とは、弓である。それを射る石辺の山の、岩のような命ならば、こうして、恋に苦しみ続けていられるだろう。

しかし、命なれやも、は、否定を伴う疑問である。
つまり、自分は、常盤の命ではない。だから、恋に死ぬ。

単純明快ではない。
万葉人も、このような、複雑な歌を詠んだ。

淡海の海 沈く白玉 知らずして 恋せしよりは 今こそ益れ

あふみのうみ しずくしらたま しらずして こひせしよりは いまこそまされ

淡海の海底に沈む、白玉のように、人に知られず、契りを交わさず恋した時より、今こそ、恋しさが増すのだ。

恋せしよりは、つまり、契りを結んだのである。すると、その恋心が、益々と、燃え上がるのである。

契るとは、情を交わす。訳ありの関係になる。
肉体を交わす。
そうして、増す増すと、恋心が、燃えるという。

和泉式部日記では、情交を、契りて、と、表現するのみだった。

恋心深ければ、深いほど、その快楽は、深い。
その快楽こそ、生きるエネルギーになる。

白玉を まきて持ちたり 今よりは わが玉にせむ しれる時だに

しらたまを まきてもちたり いまよりは わがたまにせむ しれるときだに

白玉を手枕にしている。つまり、白玉は、恋人である。
今から、私の玉にする。こうして、わが手にある時だけでも。

しれる
知れる、とは、知ることであり、知ることは、我が物になったことである。

女を知った、男を知った、つまり、情を交わしたということ。

知る者は、言わず、知らぬ者は、言う。という、ことわざがあった。
知る者は、知るゆえに、言わない。何故か。知ることが、とても大切なことであるから。

知らない者は、平気で、言う。知らないからである。

知るということの、重大性は、万葉時代からあった。
何せ、相手に、名を名乗ることだけでも、相手に、気を許すことになった。

知る者が、言うときは、覚悟がある。
相手に、知って貰いたいという、強い希望があって、いうのである。

学習とは、自らが、学ぶことであり、人から、何でもかんでも、教えてもらうことではない。
学習の、基本は、独学である。

独学から、新しい学問が生まれる。
オウムのように、教えられていたら、ただ、それだけの知識である。
その、知識を得るための、努力の中に、新しい発想と、新しい、目覚めがある。
それが、学問である。

そして、学問は、その名の通り、学の門であるから、終わることがない。
それからは、道になる。

学問が、学道にならなければ、意味が無い。



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2009年08月22日

伝統について 22

白玉を 手にまきしより 忘れじと 思ほゆらくに なにか終らむ

しらたまを てにまきしより わすれじと おもほゆらくに なにかをはらむ

白玉を、手にまいてから、忘れまいと思う。
どうして、この恋が、止むことが、あろう。

なにか終らむ
どうして、止むことが、あろうか、であり、忘れることは、ないのである。
忘れないと思う心に、更に、追加して、そんなことは、あり得ないというのである。

鳥玉の 間開けつつ 貫ける緒も 縛り寄すれば 後に逢ふものを

ぬばたまの あいだあけつつ ぬけるをも くくりよすれば のちにあふものを

黒玉の間を隔てて、通した紐も、くくり寄せると、結局は、逢うものだ。

ぬばたま、とは、鳥扇の実である。
白玉の両端に、黒玉を置くのである。
それを、縛ると、黒玉が、合うことになる。

その形に、恋心を、重ねるのだ。

くくりよすれば のちにあふ
必ず、逢うことになるのだという、祈りに似る歌である。


香具山に 雲居たなびき おははしく 相見し子らを 後に恋ひむかも

かぐやまに くもいたなびき おははしく あいみしこらを のちにこひむかも

香具山に、霞が、たなびく。そのように、ぼんやりと逢う子にも、後に、恋をするのか。

おははしく
ぼんやりと、出会う娘に、いずれは、恋をするのだろうか。
何とも、和やかな歌である。


雲間より さ渡る月の おははしく 相見し子らを 見むよしもがも

くもまより さわたるつきの あははしく あいみしこらを みむよしもがも

雲の間を、渡る月のように、ぼんやりと出会った子に、もう一度、逢う術が、欲しい。

よし もがも
縁であり、もがも、は、願望である。
縁を持ちたい、つまり、逢いたいのである。

見るということは、逢うということである。


天雲の 寄り合ひのきはみ 逢はずとも 異手枕を われまかめやも

あまくもの よりあひのきはみ あはずとも ことたまくらを われまかめやも


天雲の、寄り合う果てのように、遠く、離れて逢わずとも、他の手枕を、どうして、できようか。

寄り合いの極み、である。
つまり、天の雲が地上に、見えるほど、遠い風景である。
それほど、遠い、恋人の存在である。
その替わりに、他の手枕を、求めることは、できるはずもないのである。

まかめ やも
強い否定の疑問であり、できるはずがない、というのである。

恋人以外の、人を、求めることは、ない。

純粋に、恋する心を、歌う、万葉恋歌である。


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2009年08月23日

伝統について 23

雲だにも しるくし発たば 心遣り 見つつもせむを 直に逢ふまでは

くもだにも しるくしたたば こころやり 見つつもせむを ただにあふまでは

雲だけでも、はっきりと立てば、それを、見つつ、こころやりを、しようと思うものを。
直接逢うまでは。

雲や、風は、人の存在と、人の息吹と感じていた時代である。
雲を相手に、見立てている。

雲を見て、離れて逢えない、恋する人のことを、こころやり、つまり、逢えないという、憂さを晴らすのである。

雲を見て、憂さを晴らしている。逢うときまでは、である。

亡き人を、雲と、見立てて、歌う、挽歌も多い。

雲や、風という、自然の働きに、人の心、亡き人の霊を、感じるという、能力である。

風が、吹けば、相手の思いが、風になっていると、感じる、感性である。

更に、我が思いが、風になって、相手に伝えよという、心も、起きる。

遠くの、相手に、伝える手段のなかった時代である。
逸る心を、そうして、治めていたのである。


春楊 葛城山に たつ雲の 立ちても坐ても 妹をしそ思ふ

はるやなぎ かつらぎやまに たつくもの たちてもみても いもをしそおもふ


春の楊を、かずらにする、葛城山に、湧き立つ雲のように、立っても、座っても、妻のことを、思う。

素直な歌である。
雲を見て、立っても、座っても、妻を思うというのだ。
通い婚の時代である。

妻の方は、妻の方で、やってくる夫を、待っている。
同じ雲を、見て、それぞれが、思うのである。

少し違う感覚であるが、私は、出掛ける国で、太陽を見て、この太陽を、日本でも、見ている。世界の人が見ていると、思う。
同じ太陽の下で、生きている。

諸々の 人の見るもの 太陽と 思えば思う 日の下の民
太陽の 光届かぬ 所なし 万民浴す 日の光あり

出会った皆さんも、この太陽を見ていることだろうと、連帯感を感じる。

これは、万葉の心に、近い感覚。


春日山 雲居隠りて 遠けども 家は思はず 君をしそ思ふ

かすがやま くもいかくりて とほけれど いえはおもはず きみをしそおもふ

春日山が、雲に隠れて、遠い。こうして、家には遠いが、家のことより、あなたのことを、思うのである。

注釈では、旅に出た者の、歌とある。

段々と、家は、遠くなるが、家よりも、あなたのことを、思うのである。

何の、作為もない歌である。
素直に歌う。

ただ、そのままを、歌う。
古今が、出るまで、そのように、素直だった。
古今、新古今も、また、それぞれの時代性を、歌う。共に、よし。


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