2009年08月07日

伝統について 7

恋するは 死するものに あらませば わが身は千遍 死にかへらまし

こひするは しにするものに あらませば わがみはちたび しにかへらまし

恋に苦しむと、死ぬものなのであれば、私の体は、千回も、繰り返し死んでいるだろう。それほど、命がけの恋をしているのだ。

激しい恋の告白である。
直情型である。
そして、これが、万葉の恋である。

恋愛遊戯なのではない。
恋は、生きる、死ぬことなのである。

恋に命を、掛けられる人は、いつも、若いのである。

そして、若さの特権である、恋である。


玉あへば 昨日の夕 見しものを 今日は朝に 恋ふべきものか

たまあへば きのうのゆうべ みしものを きょうはあしたに こふべきものか

玉逢い、魂を合わせた、昨日の夜の逢瀬である。そして、今日の朝は、もう、恋に苦しむわが身なのである。

たまあへば
魂合いをして。二人が会うことを、魂合いとは、恋というもの、そのものを、言う。
恋は、魂が、魂を、求めるのである。
別れた後から、すでに、恋の苦しみに、身を焦がす。

これは、今の、演歌にまで、受け継がれている。

逢えば、別れがこんなに辛い
逢わなきゃ、夜が、やるせない

大胆、豪快な、心情を歌う。

なかなかに 見ざりしよりは 相見ては 恋しき心 まして思ほゆ

なかなかに みざりしよりは あいみては こほしきこころ ましておもほゆ

なかなかに、かえって、逢わなかった時よりも、逢った後の方が、恋しい心が、募る。

見ることは、逢うこと。
一目だけでも、会いたいとは、見たいと、同じ意味。

逢わない時よりも、逢った後の方が、辛いと歌う。
しかし、逢いたい。逢えば、辛い。恋とは、このように、辛いものなのである。

万葉時代と、今の時代との、人の差に、何の差があるのか。大差はないのである。

玉ほこの 道行かずあらば ねもころに かかる恋には 逢はざらましを

たまほこの みちゆかずあらば ねもころに かかるこひには あはざらましを

玉矛の道を行かなければ、心を尽くすほどの、恋には、逢わなかったものを。

この道で、出会ったのである。命がけの恋の相手に。
どこで、出会うのか、解らない。それは、一瞬の出会いだった。
そして、魂合うことで、恋に生きるのである。

この道を、行かざりければ 無きものを 
恋という名の 神に逢いては
天山

ただ今、万葉集の、恋の歌を、読んでいる。
そして、今の今でも、人は、恋の歌を、詠む。
歌は、詩でもあり、話にもなる。
恋を扱わなかった時代が、あろうか。
万葉集には、この民族の精神の、黎明がある。
そして、これが、伝統となる。



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伝統について 7

恋するは 死するものに あらませば わが身は千遍 死にかへらまし

こひするは しにするものに あらませば わがみはちたび しにかへらまし

恋に苦しむと、死ぬものなのであれば、私の体は、千回も、繰り返し死んでいるだろう。それほど、命がけの恋をしているのだ。

激しい恋の告白である。
直情型である。
そして、これが、万葉の恋である。

恋愛遊戯なのではない。
恋は、生きる、死ぬことなのである。

恋に命を、掛けられる人は、いつも、若いのである。

そして、若さの特権である、恋である。


玉あへば 昨日の夕 見しものを 今日は朝に 恋ふべきものか

たまあへば きのうのゆうべ みしものを きょうはあしたに こふべきものか

玉逢い、魂を合わせた、昨日の夜の逢瀬である。そして、今日の朝は、もう、恋に苦しむわが身なのである。

たまあへば
魂合いをして。二人が会うことを、魂合いとは、恋というもの、そのものを、言う。
恋は、魂が、魂を、求めるのである。
別れた後から、すでに、恋の苦しみに、身を焦がす。

これは、今の、演歌にまで、受け継がれている。

逢えば、別れがこんなに辛い
逢わなきゃ、夜が、やるせない

大胆、豪快な、心情を歌う。

なかなかに 見ざりしよりは 相見ては 恋しき心 まして思ほゆ

なかなかに みざりしよりは あいみては こほしきこころ ましておもほゆ

なかなかに、かえって、逢わなかった時よりも、逢った後の方が、恋しい心が、募る。

見ることは、逢うこと。
一目だけでも、会いたいとは、見たいと、同じ意味。

逢わない時よりも、逢った後の方が、辛いと歌う。
しかし、逢いたい。逢えば、辛い。恋とは、このように、辛いものなのである。

万葉時代と、今の時代との、人の差に、何の差があるのか。大差はないのである。

玉ほこの 道行かずあらば ねもころに かかる恋には 逢はざらましを

たまほこの みちゆかずあらば ねもころに かかるこひには あはざらましを

玉矛の道を行かなければ、心を尽くすほどの、恋には、逢わなかったものを。

この道で、出会ったのである。命がけの恋の相手に。
どこで、出会うのか、解らない。それは、一瞬の出会いだった。
そして、魂合うことで、恋に生きるのである。

この道を、行かざりければ 無きものを 
恋という名の 神に逢いては
天山

ただ今、万葉集の、恋の歌を、読んでいる。
そして、今の今でも、人は、恋の歌を、詠む。
歌は、詩でもあり、話にもなる。
恋を扱わなかった時代が、あろうか。
万葉集には、この民族の精神の、黎明がある。
そして、これが、伝統となる。

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神仏は妄想である 226

ヨーガ学派は、ヨーガの修行によって、解脱するということを、唱える。

その、根本経典は、ヨーガ・スートラである。
それは、西暦400から450年頃に、編纂された。

ヨーガの起源は古く、インド文明成立とともに、存在していたと、考える。そして、理論体系化されたのが、そのあたりである。

この学派は、仏教の影響も、ある。
しかし、形而上学説は、サーンキヤ学派と、ほぼ同じである。
ただ、最高神を認める点が違う。

最高神は、一個の霊魂である。
それは、永遠の昔から存在する、個我である。多数の霊魂の中で、ただ一つ威力に満ちる。そして、完全性を備えている。一切のものを、支配するが、世界創造は、行わない。

インダス文明初期から、森林樹木の下で、静座瞑想に耽る行為があった。
それは、境地の安楽を楽しむものだった。それが、次第に、宗教的な意味合いが加わり、意思を、制御する方法として、尊重された。

日常の、相対的な、動揺を超えた彼方の境地に、絶対静の神秘境地が、啓ける。その境地において、絶対者と、合一が実現する。
この、修行を、ヨーガと呼び、修行者を、ヨーガ行者と呼び、その完成者を、牟尼と、呼ぶ。

釈迦牟尼とは、釈迦仏陀のことであるが、彼が、静座して、悟った者という意味である。

更に、各学派は、ヨーガの修行を、実践法として、取り入れている。

ヨーガの語義は、心の作用の止滅である。

外部の束縛を離れ、内部の心の動揺を、静める。
五感を制して、誘惑を退け、進んで、心の集中に陥ることである。

そこでは、不殺生、真実、不盗、不淫、無所有という、五戒を定める、制戒があり、内外の清浄と満足、学修と最高神に専念する、内制、座法によって、身体を安定不動にし、呼吸によって、調息する。感覚機能を対象から離して、心をくつろがせる、制感、心を一箇所に、結合させる、総持、そして、静慮によって、念ずる対象に、観念が一致すること、最後に、三昧によって、対象のみが、輝いて心自体は、空になる。
以上を、ヨーガの、八実践法という。

ただし、三昧にも、有想三昧と、無想三昧がある。
有想は、対象の意識を、伴う三昧であり、対象に縛られ、心の作用の、潜在力を持つ。
無想三昧は、対象の意識を伴わない。対象に縛られることなく、そこには、心の作用も無く、無種子三昧とも言われる。

そして、この無想三昧が、真のヨーガであるとする。

プルシャは、観想者として、その自体のうちに安住し、ただ、精神が物質から、完全に、分離するのである。

さて、もう一つの、学派を紹介する。
それは、仏教にも大きな影響を与えたものである。

ニヤーヤ学派である。

ニヤーヤとは、理論、正理という意味である。
後に、論理学的研究一般の、呼称さなり、その本質は、理論をもって、真理を探究することと、考えられた。

仏教では、論理学のことを、因明と、呼ぶ。
方便心論というものが、著された。

ニヤーヤ・スートラは、西暦250年から、350年頃に、編纂された。

ニヤーヤ学派の、形而上学に関する部分は、ヴァイシェーシカ学派と、類似する。

認識の対象は、アートマン、つまり、霊魂と、身体、感官、感官の対象、思考作用、内官、活動、過失、死後の生存、行いの報い、苦しみ、解脱であると、定める。

ヴァイシェーシカ学派と、同じく、無数に多くの原子が、永遠の昔から存在し、不変不滅である。
それを、作り出した第一原因は、存在しない。
それらが、合して、自然世界を成立させている。

元素としては、地、水、火、風、そして、虚空を含めて、五つとする。

アートマンは、身体、感覚作用とは、異なったものであり、別に存在するものである。
アートマンの存在を、積極的に、論証している。
だが、世界主宰神については、若干の異説がある。

この、学派は、仏陀の、教えに近いものがある。

人生は、苦に悩まされる。
それは、人間が生存しているからである。

その人間の生存は、人間が、活動を起こすことから、起こる。それらの、欠点は、誤れる知である。

故に、人間に起こる苦しみの根源を突き詰めてゆくと、結局、誤れる知が、苦しみの起こる、究極の根源である。

この、根本的な誤った認識を、除去し、万有の真実相を認識して、苦しみから、離脱する。これが、解脱である。
解脱に達した人は、輪廻の輪を脱して、何物にも束縛されない。

かかる境地に到達するために、戒律を、守り、ヨーガの実践をする。

この学派が、もっとも力を入れたのは、認識方法と、論争の仕方である。

正しい知識を得るための、認識方法は、四つある。

直接知覚、推論、類比、信用されるべき人の言葉であり、それは、ヴェーダ聖典なども、含まれる。

論証がなされるにあたり、最初に、疑惑がある。
疑惑を解決しようとする、動機が働く。
動機とは、ある目的を目指して、人が働くところの、目的である。

そのためには、世人でも、専門家でも、万人が承認する、実例に基づいて、考察するものである。

そうして、出される見解は、定説として、示される。
それには、一切の学説の承認する定説と、特殊な学説の承認する定説と、他の事項を含む定説と、仮定的な定説がある。

論争に当たっては、五分作法と称する、論式の型で示される。

主張、理由、実例、適用、結論である。

最後に、叙事詩の完成を言う。
バラモンの社会的優位性が認められると、叙事詩も、おのずと、その線に則って、改変された。

西暦400年頃の、マハーバーラタが、ほぼ現形の如くに、まとめられた。

このような、環境にあって、仏教も、影響を受け、また、それらに、影響も与えた。

つまり、仏教を、理解することは、当時の、また、インド社会の、更に、そこから生まれた、様々な思想体系を理解して、はじめて、仏教、更に、大乗仏教というものを、理解できる。

単に、単独に、仏教を理解すると、誤る。

多くの仏教経典を、漢訳した、三蔵法師玄奘は、その、インドの、思想界の中で、様々な、学派を、論破し、ナーランダ一の存在になり、天竺から、当時の、中国、唐に帰国した。

それでは、もう一度、仏教の、変転に戻る。


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ラオス・ルアンパバーンへ 7

ラオスの悲劇は、やはり、戦争である。

インドシナ戦争。

1954年5月、ベトナム北部ディエンビエンフーンが陥落し、第一次インドシナ戦争が、終結する。
だが、その時の、フランス軍の敗北は、新たな戦争の始まりになった。

アジアの共産化を恐れる、アメリカは、1941年に、ホーチミンが創設した「ベトナム独立同盟」べトミンが、ディエンビエンフーに集結していた時、原爆投下を計画した。しかし、国際世論の非難を恐れて、中止された。

フランス軍の八割の戦争費用を肩代わりしていたアメリカは、陥落後も、民間航空会社を装いながら、ラオスでのアメリカ軍の移動や、モン部族の武器補給などを秘密裏に行っていた、CATが、武器、弾薬を、モン・マキに、投下し続けるのである。

モン・マキとは、対べトミン、対毛沢東軍の戦闘集団である。

フランス軍は、ベトナム、ラオスの村から、戦闘に優れた、モン族の二万人を、サイゴンの南の、セントジャックの訓練キャンプに送り続けた。

そのキャンプで、トップの成績を修めたのが、ラオスのモン族、バン・バオであった。
後に、モンの軍事的、精神的指導者となる。
バン・パオは、その時、13歳である。

フランスが、敗北したことで、ラオスの村々の共産化を恐れたアメリカは、ディエンビエンフーで、生き残った、モン・マキ3000人を近代戦争にかなう兵士として、訓練し始める。

北ベトナムと、南ベトナムに延びる、兵士と、軍事物資を運ぶ、輸送路、ホーチミンルートは、その九割が、ラオスの山野を走る。

ホーチミンは、南ベトナムを解放するためには、まず、ラオスを共産化しなければならないと、声明を出した。

べトミンは、ラオスの、パテート・ラーオ軍を主導し、一気に、ラオス内のホーチミンルート南下を加速させた。
ラオスの村々を、共産化していったのである。

さて、その頃、朝鮮戦争が始まっていた。
アメリカは、インドシナの共産化阻止を、最優先課題とし、1961年、ラオス中部サイソンプン特別区のロンチェン渓谷に、秘密基地を作っていた。

アイゼンハワーに替わって、ケネディが1961年に、大統領に就任すると、フロンティアスピリットを掲げて、更なる反共の活動を開始する。

バン・パオを司令官とする、ラオス国軍第二管区は、モン特殊攻撃部隊を結成し、白人兵士の身代わり部隊として、過酷な運命をたどることになる。

1965年、アメリカは、ラオス北部の、モンの聖山の一つに、全天候型電子誘導施設「サイト85」を建設する。

ホーチミンルートに空爆を行う、アメリカ空軍の戦闘機を、レーダー誘導する、このサイトは、タイ領内の、ウドンタニ、ナコムパノム、タクリ秘密基地、更に、トンキン湾のアメリカ第七艦隊とも、連携していた。

サイト85を守ったのは、アメリカ海軍兵と、1000人あまりの、モン族兵士、300人のタイ兵士である。

ハノイが、ナパーム弾を浴びるようになると、このサイトの破壊が、ベトナム共産党の至上命令になった。

1968年3月、北ベトナム軍は、サイト85に、総攻撃をかけて、陥落させる。

アメリカ空軍は、サイトが陥落したことを知り、B52戦略爆撃機で、空爆を行い、証拠隠滅を計った。

この戦闘において、サイト85から、生還した兵士は、アメリカ海兵隊8人、モン兵士数十名のみ。

つまり、ラオスの戦争は、アメリカと、旧ソ連を後ろ盾にした、ベトナムとの、戦いであり、内戦とは、言い難い。

これは、悲劇である。

モン族の悲劇は、その後も続く。
多くのモン族の、青年、少年が、アメリカ軍によって、徴発されたのである。

現在、ラオス、サイブンプン特別区、ポリカムサイ、ルアンバパーンの、3地区を主に、モン族兵士2000人と、その家族、15000人あまりが、20の集団に分かれて、生活している。
ベトナム軍の、掃討作戦は、今も続き、餓死する者も、相次ぐ。

彼らは、ジャングルから、国連に救いを求めるが、ラオス政府は、国連人権委員会の、医師や、看護婦の現地入り要請を、拒絶したままである。

2005年、ラオス政府は、30年間否定し続けた、モン族掃討作戦を認めた。
しかし、ベトナム軍の関与は、いまだに、認めていないのである。

アメリカに加担した、モン族は、いまだに、敵として認識され、掃討作戦の上にあるという、悲劇である。

更に、ホーチミンルートには、不発弾の山である。
その被害も多い。

戦争処理は、いまだ終わらないのである。

気の遠くなるような、現状を、どのように、捉え、理解し、更に、治めてゆくのか。

ラオス政府は、中国寄りと、ベトナム寄りの要人が、対立する。
更に、中国も、ベトナムも、ラオスの資源を狙う。

いまだに、他国からの、影響を多大に受けるラオスである。

独立の気概が無いのは、フランス植民地化政策にもよる。

更に、愚行なのは、いまだに、化石のような、マルクス・レーニン主義を、新たに掲げて、精神教育を行うというもの。

要するに、国民を、精神的に、まとめるための、最も大切な、国の神話、権威が無いのである。

ベトナムには、ホーチミンが、タイ、カンボジアには、王様が、マレーシアは、イスラムがと、それぞれ、共同幻想を持つ。

国家とは、共同幻想の、共同体である。

日本の場合は、2669年という、天皇の伝統が、無形の権威として存在する。

マルクス・レーニンでは、無理である。

オーストラリアが、結局、原住民の、アボリジニの伝統と、文化に頼らざるを得なくなった。イギリスから、移民してきた人々は、伝統も、文化もオーストラリアにはないのである。

だが、後悔しても、遅い。
オーストラリアは、アボリジニ民族を同化政策によって、めためたに、貶めた。
その価値を、理解できず、彼らを、弱体化させ、今では、国の大きな、社会問題に発展するほど、アボリジニの人々の、問題が多いのである。

その根底には、偽善と、明確にすべき、キリスト教の、すべてを破壊し、その上で、キリスト教を押し付けるという、蛮行がある。

独善の、キリスト教こそ、民族破壊の、根っ子である。
そして、主義である。
その名は、共産主義。

私は、共産主義が、キリスト教から、生まれでたことを、知っている。
キリスト教の、反共運動は、身内争いなのである。

ラオスに存在する、少数部族の、数は、いまだに、不明である。
60から70ほども、存在すると、言われる。
驚くべきは、戸籍が無いということである。
戸籍を作ることが出来ないほど、ラオスは、遅れているのである。

信じられないの、一言。

2009年08月08日

伝統について 8

朝影に わが身はなりぬ 玉かぎる ほのかに見えて 去にし子ゆえに

あさかげに わがみはなりぬ たまかぎる ほのかにみえて いにしこゆえに

朝影のように、細ってしましたのである。それは、玉の輝くような、あの子を見て、去ってしまったからである。

一目惚れか。
玉のように輝く、美しい、あの子を見た瞬間、恋に落ちた。だが、目の前を、ただ、去っていってしまったのである。

ほのかに見えて
微かに、目にしただけである。微かに、目に触れたと、訳すこともある。

あの子を、微かに見て、ということに。

それで、思い続けて、わが身は、細るのである。

恋煩いとでも、いうのか。


行き行きて 逢はぬ妹ゆえ ひさかたの 天露霜に 濡れにけるかも

ゆきゆきて あはぬいもゆえ ひさかたの あめつゆしもに ぬれにけるかも

行っても、行っても、逢えない女のために、久方の天の露霜に、濡れてしまった。

ひさかたの天の如くに、遠い存在の女である。
行き行きて、との、切ない情感。
ただ、露、霜に、濡れただけである。それも、これも、恋のため。

呆然と、佇む、恋する者。実に、愛しい存在である。
恋する心が、愛しいのである。

愛しいとは、また、かなしい、とも、読む。

たまさかに わが見し人を 如何ならむ 縁をもちてか また一目見む

たまさかに わがみしひとを いかならむ よしをもちてか またひとめみむ

たまさか、偶然に見た人を、どうした縁を持って、また、逢うことが、できるのか。

一目惚れである。

たまたま、見かけた人と、再び逢う縁を、どうして、見つけようか。見つけられないだろう。
絶望的である。

今も、昔も、同じである。
一瞬のうちに、恋に落ちる人の心の、有様を、何と言うのか。
どうして、その人に、心を奪われるのかを、人は、知らない。
何故、恋という、感情を、その場で抱くのか。

動物なら、発情期というものがあり、その期間だけ、オスとメスが、交尾するのである。しかし、人間は、いつも、恋に捉えられることがある。


暫くも 見ねば恋しみ 吾妹子は 日に日に来れば 言の繁けく

しましくも みねばこほしみ わがもこは ひにひにくれば ことのしげけく

ほんの少しの間も、逢わなければ、恋しい。だが、吾が妹子が、毎日来ると、その噂が、煩いのである。

人の恋は、人の格好の噂になる。これも、今も昔も、変わらない。

噂を立てられると、困る。恥ずかしい。それに、知らぬところで、人の口に上ることに、戸惑うのである。

見るば恋しみ
逢わなければ、恋しいし、それが、噂の元になる。
嬉しい、悩みである。

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神仏は妄想である 228

グプタ王朝の、集権的国家体制が、バラモン教思想を主軸として、思想の固定化、体系化を目指していた情勢に応じて、伝統的、保守的仏教諸派も、体系化を目指した。

更に、当時の、公用語である、サンスクリット語を採用したのである。

幾多の書が作成されたが、後世、もっとも、重要視されたのは、ヴァスバンドゥ、つまり世親の、書だった。

更に、大乗仏教も、哲学思想は、あったが、理論体系をもたなかった。
グプタ王朝に入り、体系化するに至ったのである。

サンスクリット語にての、著作であり、学派が確立する。

中でも、特出したのは、唯識説である。
中観哲学は、諸々の事物、つまり、諸法の空であることを、種々の論法によって、論証したが、体系的哲学説を持たなかった。
そこで、現実存在が、何故、かくのごとき、秩序に従い、成立しているのかと、その所以を、一定の体系的原理に基づき、組織的に、説明したのが、唯識派である。

唯識派を、ヨーガ行派ともいう。
ヨーガの行によって、唯識の理を観ずるからである。

唯識派の開祖は、マイトレーヤーである。
後世の、伝説により、弥勒菩薩と、同一視された。

マイトレーヤーの教えを受けて、唯識説を組織的に、論述したのは、アサンガ、つまり、無著である。

先の、ヴァスバンドゥは、アサンガの、弟であり、小乗を研究して、倶舎論を著したが、後に、アサンガの指導により、大乗に帰依し、多数の著書を著した。

唯識説は、人間の現実存在を構成している諸々の法は、実有ではなく、実相は、空である。
しかし、無差別一様な空という、一つの原理に従い、一定の秩序ある現実の差別相が、現れることはない。
諸々の法が、現にあるごとく、成立するためには、それぞれ空に裏付けられた、原因がなければならない。
それを、種子、しゅうじ、と呼ぶ。
種子とは、法を生ずる可能性である。
可能性は、それ自体、有でも、無でもなく、空である。
客体的なものではなく、純粋の精神作用、すなわち、識である。
それは、分別して、知る働きである。

万有は、識によって、顕現したものにほかならないとして、唯識を主張する。

外界の対象は、夢の如きであり、実在しないものである。
識の分別により、仮に映し出されたものである。
この動きを、識体の転変という。

識体が転変して、三種の識を成立させる。
第一に、アーラヤ識であり、根本識と呼ぶ。
一切の諸法の種子による。

第二に、思量の働きを成す、マナ織である。
アーラヤ識を、よりどころとして、それに依存して起こる。
アーラヤ識を対象として、我執を起こす。
我見、我疑、我慢、我愛を伴い、これによって、汚され、染汚意と、称する。

第三に、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識の六識であり、それぞれ、色、声、香、味、触、法を認識するというもの。

人が、自己の対象を、空と悟り、実在するものを、認めない場合は、心は、唯識性に住する。

その、究極の、境地において、無心であり、無得である。
その境地は、生死と、ニルヴァーナとが、異なったものではない。
そのいずれにも、住しない。
それは、真如の智慧、般若を有するゆえに、生死に、住しないのである。

そして、慈悲を有するがゆえに、衆生を救うことに努め、ニルヴァーナに住することもない。

このような、理屈を延々として、考え続けたのであるから、驚く。

如来蔵思想というものがある。
唯識説と似る。

凡夫の心のうちに、宿る、如来たる可能性を持って、如来蔵という。

その、観念に基づき、衆生の迷いと悟りを、成立させるという、説を唱える思想である。

これが、日本の仏教に、大きな影響を与えたと、思われる。

大乗とは、衆生心である。
心に、如来の本姓が宿るという、思想で、日本仏教の説教が、ここから、出る。

心の本来の面は、あらゆるものの、総体である。
不生不滅という、絶対の世界と、生滅するという、相対世界とが、一体をなしていて、同一でも、異なるものでもない。それを、アーラヤ識という。

いずれにせよ、当時の、バラモンの、思想的体系に、対抗して、出来上がったものである。
互いに影響を与えたことは、歴然である。

それを、進歩発展というのか、屁理屈というのか。

ただ、仏教は、バラモンの階級的差別に関しては、徹底抗戦したようである。

つまり、平等主義である。
これだけは、評価できる。

グプタ王朝以降の、動きについては、いずれまた、進めることにする。

再度、法華経に戻り、書き続けることにする。

唯識についても、また、登場させて、議論したいと、思う。
空の思想から、何故、慈悲の思想が出るのか、それが、疑問である。

随分と、それは、飛躍していると思うが、空が、何故、慈悲を生ずるのか、である。


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神仏は妄想である 227

法華経から、遠回りをして、ここまで書いてきた。
ここで、解ることは、空、の思想というものも、解釈によって、多々意味が違うということである。

空、というものの、観念を作り上げるのは、大変なことである。
そして、何故、空、というものを、必要としたかである。

空、というものは、何も無いという状態ではないということが、朧に解ったと、思うが、それは、また、行為によってでなれば、体得できないのかもしれない。
更に、本当は、そんなものは、無いが、有るかの如くに、対応しているともいえる。

無というものが、有と、対立するもので、無という状態は、心の、置き方の問題であることも、解った。

空とは、違い、無とは、単独に存在するものではない。
また、無とは、存在しないということでもない、ということが、解った。

更に、インドの空、無、というもの、中国思想、その言葉によって、一度、解釈されているものを、日本が、取り入れているということである。

漢語に、拘ると、本来の、無、空、という言葉の、意味が、変容する。

老荘思想の、無の境地というものに、近い感覚が、禅でいうところの、無に、近いということも、解ったのである。

だから、日本の仏教という場合は、中国仏教というものが、前提にあるということ。

であるから、仏典が、その、解釈ものが、バラモンの、サンスクリット語によって、書かれることによって、その言葉の観念は、バラモンよりのものとなり、それが、果たして、釈迦仏陀の、教えにあるものなのかという、疑問が起こる。

実に、釈迦仏陀の言葉とは、遠い仏法なるものが、誕生した。

法華経による、久遠実成の仏陀とか、秘密仏教、密教による、大日如来とかは、全く、妄想の産物であり、更に、神格化するなどとは、初期仏教には、無いことである。

真言密教などは、全く、仏教とは言えないものである。
バラモンの呪術の部分を取り出して、大日如来を創作し、更に、仏典を勝手に、解釈して、仏になるなどというのは、大嘘である。

空海によって、日本に伝えられたが、彼は、野心が強すぎる。
しかし、鎌倉仏教の開祖たちは、空海に、束になってかかっても、適わないだろう。

魔の力の強いことと、いったらない。
大魔であり、鎌倉時代の開祖たちは、小魔である。

それらの、流れを汲む仏教愛好者たちである。
程度が、知れる。

時代の風雪に耐えてきたのは、建物であり、その精神は、今は、堕落の一途である。

誰一人、開祖たちの中で、仏になったというものは、いなかった。
今でも、迷い続けている。

どこを、どう探しても、極楽などはないし、更に、阿弥陀如来というのは、地獄から、天国までの、間があり、ただただ、広い宇宙空間が広がるだけ。

仏典に入れ込んだだけ、迷うのである。

久遠の仏という存在も無いので、相変わらず、南無妙法蓮華経と、唱えて、迷い続ける様は、哀れである。

結局、建物の上空に集い、何やら、そこでも、生前のように、侃々諤々である。

中には、指導者もろとも、とんでもない、空間にいて、茫然自失の者もいる。

理屈、言葉遊びに始終した者ども、死んでからも、それを、続けているという様。

我が心の中にある、仏というものを、信じていたが、一切、仏など無かった者は、一体、どうすれば、いいのか。
すべての人の心に、仏性が宿ると、詭弁の最澄は、今頃後悔しているだろうが、後の祭りである。

人の心の中に、仏性など、あるわけが無い。
それは、キリスト教徒が、人は皆、神の子であるというのと、同じ。
人が、神の子であるなどというのは、真っ赤なうそである。

何より、仏や、神など、無いのである。
無いものが、どうして、宿るのか。

信じきれば、救われるという、大ばか者の言葉に、騙されて、ここまで、やってきたが、もう、お終いである。

三蔵法師玄奘は、頭脳明晰で、志高く、天竺に出掛けて、一度覚えたことは、二度と、忘れなかったが、膨大な経典を、持参して、それを、漢訳した。
それが、日本に伝わり、混乱の極みである。

玄奘の、描き出した、仏典の解釈によって、更に、日本仏教は、歪になり、どんでもない、宗教というものに、成り果てた。

仏典解釈が、漢字の解釈となる、という、驚きである。

それは、玄奘の、解釈を探るということで、釈迦仏陀を、探ることではないと、気づかない、アホどもである。

作られた、教え。
人間が作り上げたもの、それは、完全ではない。
しかし、それが、完全であるかの如くに、説くとは、笑止千万である。

中には、それを、取り上げて、仏教は、作られてゆくものであり、今、私の教えが、もっとも、正しいと、新興宗教並みのことを、行う者多数。

いずれにしても、仏教に迷うという、姿は、哀れである。
いや、宗教に迷うということは、哀れである。

宗教というもの、人間の、ファンタジー性が、いかに、高いものであるかということの、現れである。
それは、人間の、大脳化ゆえである。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ラオス・ルアンパバーンへ 8

再度、トゥクトゥクに乗って、ゲストハウスに向かった。

私は、汗だくになっていた。
浴衣の袖で、顔の汗をぬぐう。

風自体も、暑いのである。
ところが、現地の人は、あまり汗をかかないのである。
慣れなのであろう。

ゲストハウスに着いて、部屋に入り、まず、20ドルを渡した。
そして、ニッツに、チップとして、5ドルを渡した。

2500円で、とても、大事なことが出来た。
感謝した。

それじゃあ、と、再会の約束をして、別れた。
ニッツは、電話番号を教えてくれた。
次に来た時に、連絡することにした。

しかし、その後、私は、ニッツに、二度会うことになる。

シャワーを浴びて、まず、着替えをした。

ところで、ここでは、土曜日の、深夜3時頃から、日曜の夕方まで、停電になる。
停電だと、エアコンも、シャワーも、駄目。
だから、水シャワーになる。

水シャワーは、温かいので、平気だが、エアコンが効かないのは、困った。

昼過ぎていたので、買い物に出掛けた。
道端で、売っている物を買って、部屋で食べようと思った。

あの、ニッツのいるレストラン以外は、コーヒーショップにも入らなかった。
皆、路上の屋台から、買った。

ミニフランスパンの、サンドイッチが、一万キップである。
それを、夜の分と、二つ買う。
すると、コーヒーは、いかがですかと、声が掛かる。
と、そのように聞こえた。

コーヒーは、煎れたてで、五千キップである。

昼と、夜の、食事で、約、2,5ドルである。
と、思いきや、果物の屋台で、足が止まる。

丁度、多くの果物が、出る時期である。
兎に角、パイナップルが美味しかった。
一個分を、切り分けているものが、五千キップである。

部屋に戻り、窓を全開にして、昼ごはんを食べた。
部屋は、丁度、日陰になり、それほど暑くなかったのが、幸いである。

今夜で、この街と、お別れである。

マッサージにと、思ったが、諦めた。ここで、下手なマッサージをされると、益々、疲れると、思ったからだ。
何せ、こちらは、人に整体をし、マッサージにかかる、プロである。

ミニフランスパンは、多かった。
腹が満タンになった。

コーヒーも、大型のカップに、たっぷり入っている。

私は、そのまま、ベッドに、体を横たえた。

そして、うとうとしている時、ドアが、ノックされた。
ニッツだった。

三時頃だろうか。

彼は、私に会いたいという人がいると、誘いに来た。
それは、有難いと、思ったが、今は、これ以上に、何も出来ないのである。
会っても、何も出来ないのだから、申し訳ないと、その申し出を、断った。
しかし、ニッツは、少し、しつこく、誘うのである。
その人は、少し日本語が出来ると言う。

次に来た時に、会うことにすると、私は、固く辞退した。

渋々、ニッツは、帰っていった。
その時、ニッツが、今日は、まだ何も食べていないと、言うので、夜のために、買った、サンドイッチを上げた。

だが、再び、六時前に、来た。
何と、その時は、酔っ払っていた。

チップ分を、すべて飲んでしまったのかと、思えるほど、酔っていた。

矢張り、私に着物を着てくれ、会わせたい人がいると、言う。

いや、今回は、もう十分だと言ったが、ニッツは、酔っているせいか、頑固である。
と、ベッドに、横たわり、寝た。

酔いで、どろどろになっているようだった。
兎に角、私に会ったことが、嬉しくて嬉しくて、たまらないようだったことは、解った。

英語で、私を絶賛していた。

私は、ベッドに横になるニッツを、暫く眺めていた。
彼の幸せは、何か・・・

すると、彼の携帯電話が鳴る。
私は、ニッツを起こしてみた。
目を開けるが、再び、眠る。

こりゃあ駄目だ。

私は、意を決して、彼の勤める、レストランに行くことにした。
彼らに、迎えに来てもらおうと思った。
ところが、レストランに行くと、今日は、いつものボーイさんたちは、休みだというのである。

あららら
再度、部屋に戻り、ニッツを起こしてみたが、目は、開くが、起きる気配が無い。
また、携帯が鳴った。
また、私は、ニッツを起こした。

やっと、電話を取ってくれたが、受話器をきちんと、持てないのだ。

と、ニッツが、ぅえーと、声を上げて、トイレに、駆け込んだ。
そして、やや暫く、吐いていた。

私は、トイレットペーパーを持って、その横に立ち、ニッツに、少し千切って、渡す。それで、口元を、拭く。そして、吐くの、繰り返しである。

ようやく、収まり、やっと、携帯で、話すことが出来た。
何やら、色々と、言われているようだった。

終わると、フラフラしながら、戻りますと言い、今度は、本当の別れである。

必ず、また来るから。
私は、あなたと、ベストフレンドだと、言うと、ニッツは、安心した顔をして、バイバイと、出て行った。

私も、どっと、疲れた。

その頃は、電気が戻っていたので、エアコンをつけて、ベッドに体を投げ出した。

長い一日だった。
そして、内容の濃い、一日だった。

ニッツは、一体、誰に、私を会わせたかったのか。
きっと、日本人で、お金を持っているから、頼みを聞いてもらえると、思ったのだろう。
彼らから、見れば、とてつもなく、お金持ちに見えるのである。
ニッツは、私がドルを出したとき、財布のドル紙幣を見ている。
何かの時に、と、思う気持ちで、少しばかり、多めにドルを持っているのである。
お金は、見せては駄目である。

2009年08月09日

伝統について 9

朝影に わが身はなりぬ 玉かぎる ほのかに見えて 去にし子ゆえに

あさかげに わがみはなりぬ たまかぎる ほのかにみえて いにしこゆえに

朝影のように、細ってしましたのである。それは、玉の輝くような、あの子を見て、去ってしまったからである。

一目惚れか。
玉のように輝く、美しい、あの子を見た瞬間、恋に落ちた。だが、目の前を、ただ、去っていってしまったのである。

ほのかに見えて
微かに、目にしただけである。微かに、目に触れたと、訳すこともある。

あの子を、微かに見て、ということに。

それで、思い続けて、わが身は、細るのである。

恋煩いとでも、いうのか。


行き行きて 逢はぬ妹ゆえ ひさかたの 天露霜に 濡れにけるかも

ゆきゆきて あはぬいもゆえ ひさかたの あめつゆしもに ぬれにけるかも

行っても、行っても、逢えない女のために、久方の天の露霜に、濡れてしまった。

ひさかたの天の如くに、遠い存在の女である。
行き行きて、との、切ない情感。
ただ、露、霜に、濡れただけである。それも、これも、恋のため。

呆然と、佇む、恋する者。実に、愛しい存在である。
恋する心が、愛しいのである。

愛しいとは、また、かなしい、とも、読む。

たまさかに わが見し人を 如何ならむ 縁をもちてか また一目見む

たまさかに わがみしひとを いかならむ よしをもちてか またひとめみむ

たまさか、偶然に見た人を、どうした縁を持って、また、逢うことが、できるのか。

一目惚れである。

たまたま、見かけた人と、再び逢う縁を、どうして、見つけようか。見つけられないだろう。
絶望的である。

今も、昔も、同じである。
一瞬のうちに、恋に落ちる人の心の、有様を、何と言うのか。
どうして、その人に、心を奪われるのかを、人は、知らない。
何故、恋という、感情を、その場で抱くのか。

動物なら、発情期というものがあり、その期間だけ、オスとメスが、交尾するのである。しかし、人間は、いつも、恋に捉えられることがある。


暫くも 見ねば恋しみ 吾妹子は 日に日に来れば 言の繁けく

しましくも みねばこほしみ わがもこは ひにひにくれば ことのしげけく

ほんの少しの間も、逢わなければ、恋しい。だが、吾が妹子が、毎日来ると、その噂が、煩いのである。

人の恋は、人の格好の噂になる。これも、今も昔も、変わらない。

噂を立てられると、困る。恥ずかしい。それに、知らぬところで、人の口に上ることに、戸惑うのである。

見るば恋しみ
逢わなければ、恋しいし、それが、噂の元になる。
嬉しい、悩みである。

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伝統について 9

年きはる 代までと定め たのめたる 君によりてし 言の繁けく


としきはる よまでとさだめ たのめたる きみによりてし ことのしげけく

我が代が、極まるまでと、定めて、頼りにさせたあなた。でも、それによって、人の噂が、煩いことに。

男が、頼りだと、思う心を、あなたが、そうしたのだ。それで、人の噂が煩い。でも、いい。だから、そのつもりで、来てくださいという。

結婚するまでは、と、女が歌うのである。
男が、そう言った。だから、それまでは、人の噂も、煩いが、いいのである。


赤らひく 膚には触れず 寝ぬるとも 心を異しく わが思はなくに

あからひく はだにはふれず いぬるとも こころをけしく わがおもはなくに

ほんのりと、赤い肌には、触れずに、寝ているとも、私は、異心を、持ってはいない。

つまり、大切に思うから、共寝は、しない。セックスは、しないのである。
異心とは、別の人に対する思いは、無いのだという。

いで如何に ここだはなはだ 利心の 失せなむまでに 思ふ恋ゆ

いでいかに ここだはなはだ とごころの うせなむまでに おもうふこひゆ

ああ、どうなるのか。これほどに、酷く、確かな心が失せてしまうほどに、心を尽くした、恋の結果は。

利心、とごころ、とは、鋭い心である。それが、恋によって、失いそうになったのである。我を忘れるほどの恋である。

そして、その結果は、どうなるのか。
思ふ恋ゆ、とは、物思う心である。

恋ひ死なば 恋ひも死ねとか 吾妹子が 吾家の門を 過ぎて行くらむ

こひしなば こひもしぬとか わがもこが わぎへのかどを すぎてゆくらむ


恋をして、死ぬというなら、恋をして、苦しんで死ぬがいいと、吾妹子が、我が家の門を、通り過ぎてゆく。

相手の冷たさを、嘆くのである。
過ぎて行くらむ、に、切々とした、思いが、感じられる。

片恋なのだろうか。
女が、冷たすぎるのか。


妹があたり 遠く見ゆれば 怪しくも われは恋ふるか 逢ふ縁を無み

いもがあたり とおくみゆれば あやしくも われはこふるか あふよしをなむ

妻の住む辺りが、遠くに見える。それゆえ、怪しいほどに、恋心が、燃えてくる。しかし、逢う術がないのだ。

怪しいほどの、恋心である。
心が、乱れ乱れる、恋の形相を、怪し、という。

恋する心の中を、覗いてみれば、一体、どのような風景が、見えるのだろうか。

どれほどの、形容を使っても、それを、表すことができない。ゆえに、物語が、生まれる。

万葉の心を、継いだ、源氏物語が、登場するまでには、まだ、時が必要だった。

更に、歌道としての、教養が、深く広く、高まったといえる。
歌道こそ、床しいものである。
その、原点が、万葉集である。
民族の、心の原点を、有する、幸せである。

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