2009年08月04日

神仏は妄想である 223

支配層・上位層も、立場と実力にまかせて集団内で思うがままに資源(獲得機会)を占有するのではなく、はじめから一定の「配分」を下位層に行い、彼らの資源確保を保証して集団の安定と存立を図った方が利益的である。つまり、集団内で優位な立場にいる支配層。上位層にとって、可能な限り自分たちで資源を占有する、そういう体制を作ることが一見「得」なようだが、実はそうではない。それは目先の「短期的な利益」にはなるが、「長期的な利益」を考えるなら、優位な立場にあっても資源占有を控え、下位の者に相応の「配分」をして集団の安定、規模の維持を図った方が「自分の利益」にかなう。そしてそれは、農民その他の下位層にとっても、専制や重税に苦しめられ反乱や抵抗運動で命を危険にさらすより明らかに利益になるので、集団の中で「資源獲得機会の配分」がなされる、「配分」的な体制が設定されることは、上位層/下位層を問わず、誰にとっても利益になる。
内藤淳

誰の立場からも、利益になるということで、正しい社会のあり方ということになる。

そして、その配分における、人為による、配分と、身分による、配分という、テーマに移ってゆく。

それは、このエッセイの主旨ではないので、省略して、配分原理としての、人権を見る。

近代以降の国家では、憲法の基本原理として、基本的人権の尊重が、謳われる。
憲法学では、人権とは、国家が成立する以前の、自然状態において、人間がもともと持っていた自然権ということになる。

これが、進化倫理学では、配分原理として、優れた意味を持つことになる。

人権には、自由権と、社会権の二つがある。
自由権には、思想・良心の自由、信教の自由、表現の自由、という、精神的自由権と、職業選択の自由、営業の自由、財産権という、経済的自由権がある。
これらは、国家集団の、国民誰もが、資源獲得のための、活動が出来るというものである。

権利保障という、形での、配分の具体化になっている。

社会権は、その中で、運や能力に恵まれない人、病気や、障害によって、働けない人などの、現実に必要な、資源を得られない人に、資源獲得機会が、行き渡るように、配慮した制度を、作る、保証するものである。

人権保障は、国家という、集団において、すべての人に、資源獲得機会を行き渡らせる、優れた、配分体制であると、いえる。

そして、それが、釈迦仏陀の、目指した、すべての人の福利なのであり、空の思想の、理念である、平等の、福利の姿である。

つまり、人間は、進化の過程で、それらを、選び取ってきたといえる。
それは、宗教ではなく、人々の、願いとして、政治に生かされてきたものである。

目先の利益にとらわれると、たとえば国家の指導者や支配層にとっては、国民の人権を抑圧して現体制に批判的な言論を封殺し、自分たちを批判する人を余計な手続きや審理を経ずに投獄したり、そういう人の財産を好きなように没収できたりした方が一見利益的に思える。しかし、そうやって「現体制に都合の悪い主張や活動は抑圧される」という社会体制を作ってしまえば、それは明白に「現体制の支配層には利益的だがそれ以外の人には不利益な社会体制」であって、「それ以外の人」の不満や抵抗の元になる。

そして、それは、

ある程度は実力や武力でそれを抑えられても、そうした抑圧的な支配体制には根強い抵抗が生じるのも世の常で、なにかのきっかけでそうした不満が爆発し大規模な暴動や反政府運動が広がるといった現実をわれわれはあちこちで目にする。
内藤淳

例えば、私は、ミャンマーを見たが、このままでは、いつまで、現政権が、それを、意地出来るのかは、時間の問題であると、見た。
更に、中国の人権問題も、然り。

人権を保障し、言論規制などを、控えた方が、現体制への批判的言論が、多少あろうと、社会全体が安定し、活性化するのである。
結果、体制も、安定し、支配層にも、利益になる。

人権保障は、国家の支配層にとっても、長期的展望に立つと、国民を含めて、国家の皆々に、利益的な、正しい、配分体制だといえる。

それが、また、釈迦仏陀の、平等の福利のあり方であるということ。

日本の国家体制は、釈迦仏陀の、方法に実に近いと言える。

このように、「正しい社会のあり方」もまた、われわれ個々人の利益に基づいて考えられる。われわれの社会が、人間という「利己的」存在の集まりであることに鑑みて、その社会の「正しいあり方」は、構成員各人の利益を基礎として決まる。メンバーのいずれにとっても利益になる「資源獲得機会の配分」はその重要な基準であり、人権保障の「正しさ」もまた、その中にいる個々人の人間の「利益」に還元して判断できる。個人の善悪と同様、社会的正義もまた、われわれ自身の利害損得によるのである。
内藤淳

倫理、道徳という、考え方に関して、進化倫理学は、とても、これからの時代に、貢献するであろうと、思う。

そして、それは、宗教という、偏狭なモノに、支配されずとも、人間が、人間として、その、人権と、権利を持って生きられるという、社会、国家政治に生かされるのである。

すでに、宗教の時代は、終わった。

結局、人間は、進化によって、より、人間であることを、追及してきた。
更に、神や仏という、化け物に、何ら左右されることもない。

信仰が、単なる、蒙昧であることに、気づく時代が、来たのである。

超越した存在を置かずとも、人間は、その進化の過程で、より、人間としての、特性、つまり、大脳を有する、人間として、未来に向かうのである。

勿論、この日本でも、問題は山積みであるが、これから、また、一つ一つと、進化を経て、進歩発展してゆくのである。

アジア各地を、回っている私は、あの、第二次大戦から、日本が、ここまで、理想の国に成り上がったことに、驚いている。

その、福祉も、福利も、日本は、断然トップを、行く。
アジア各国と、比べてであるが、大変なことである。

善悪、正不正はわれわれの利益にかなっている。「善いことをすると得」「悪いことをすると損」であり、「正しい社会」はわれわれひとりひとりにとって「得」である。・・・・
原則として人間一般社会に妥当する、普遍のセオリーである。そして、まさにそうであるからこそ、われわれにとって道徳や正義は大切であって、われわれは道徳を守り、正しい社会を作らねばならない。
内藤淳

空の思想が、このように、進化倫理学で、説かれるとは、考えもしなかったのである。

それとも、まだ、空とは、言葉で、表現しえないものであり、悟りを目指して、云々と言うのであろうか。

釈迦仏陀は、この世に生きるということを、説いたのであり、あの世に生きることを、説いたのではない。

転生輪廻云々は、個々人の勝手な、思いであり、今、この現実を、生きるという、生きる意味意識を、問うときに、はじめて、現実を逃避するのではなく、現実を最大限に利用し、生きるということになる。

アジア各国の、貧しい人々は、篤い信仰を持つ。
しかし、それを、見詰め続けていると、そこには、現実に、希望出来ない、諦めの、心と、絶望の心が、見える。
信仰が、現実逃避になっている、様を、見るのである。

ヤンゴンの朝早く、人々は、それぞれの、寺院に出向いて、祈りを、捧げる。
現政権の、退廃と、人権無視、国民無視、一部支配層だけの、政治の体制の中で、どうしようもない、絶望感から、逃避する姿に、私は観たのである。

神仏は妄想である。
神仏は、現実を変える力は無い。
人間が、この現実を、変化させ、変容させる力を持っている。

再び、インド思想史と、法華経に戻ることにする。




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ラオス・ルアンパバーンへ 4

ラオスが、ラオスになったのは、1893年である。
フランスと、シャム、現在のタイである、が、条約を締結し、メコン川以東、現在のラオスと、ほぼ同じ領域が、フランスの植民地となった時である。

それでは、ラオス人民民主共和国になったのは、1975年12月である。

そこに至るまでの、道のりは、実に長いものである。

書き続けると、終わらなくなるので、箇条書きにする。

1353年、ファーグム王のラーンサーン王国建設。

1560年、セーターティラート王が、ビエンチァンに遷都する。

1707年、ラーンサーン王国が、ビエンチャン王国と、ルアンパバーン王国に分裂する。

1713年、ビエンチァン王国から、チャムバーサック王国が、分離独立する。

1827年、アヌ王の独立運動開始。

1893年、フランス領、ラオスの成立。

1934年、インドシナ共産党ラオス支部の結成。

1945年、日本軍による、ルアンパバーン王国の成立。

第二次世界大戦、フランスが、ドイツに降伏すると、日本は、弱体化した、フランスに、インドシナへの軍隊の駐留を認めさせて、更に、タイが、失った領土の一部である、カンボジアと、ラオスの一部を、取り返すのである。

これにより、フランスは、ラオス統治を見直し、ラオスをフランスに繋ぎ止める、政策を取った。
1945年、日本軍が、クーデターを起こして、インドシナを単独支配することで、フランスは、インドシナ統治を一時中断することになる。

日本は、その年に、ルアンパバーン王国を独立させる。
だが、この独立は、世界大戦後、無効になる。

しかし、この頃から、ラオス独立の気運が高まってくる。それが、ラオス人による、初の政府、ラオス臨時人民政府である。
日本軍が、独立に目覚めさせたといえる。

ところが、1946年、フランスが、ラオスの再植民地化を開始すると、ラオス臨時人民政府は、バンコクへ亡命する。

フランスは、ルアンパバーン王国を、擁立し、ラオス王国を成立させるが、実質的には、植民地政策を取った。

1949年、フランスの懐柔政策によって、バンコクの亡命政府は、解散したが、その中の一部、ネオ・ラーオ・イサラ、ラオス自由戦線を結成し、フランスへの抵抗を続けた。

ネオ・ラーオは、ラオス北部を拠点に、解放区の建設を開始する。

だが、これにより、ラオスは、内戦に発展する。

フランスとの、交渉によって、ラオスの独立を得ようとする、右派と、徹底抗戦を掲げる、ネオ・ラーオ・イサラ、左派に分裂して、戦うのである。

ここからが、問題である。

1953年、フランスは、フランス・ラオス連合友好条約を締結し、ラオス王国を完全独立させる。が、ネオ・ラーオ・イサラは、抵抗した。

1954年、インドシナ問題を解決するために、ジュネーブ条約が、締結されたが、それは、ラオス王国が、国際的に認められると、同時に、ネオ・ラーオ・イサラの北部結集も、認められたのである。

つまり、二つの政府が、存在することになったのである。

撤退した、フランス軍に変わり、アメリカが、ラオス王国に、軍事援助を始める。

対して、ネオ・ラーオ・イサラには、ベトナム、ソ連が、援助を行うのである。

東西陣営の対立が、ラオスにも、反映された。

1956年、パテート・ラーオが結成される。左派勢力である。

1957年、ジュネーブ条約で、第一次連合政府が成立したが、すぐに崩壊し、内戦へと、突入する。

更に、1962年、第二次連合政府が成立するが、それも、10ヶ月で、崩壊する。

1964年、アメリカ軍の解放区への爆撃が開始され、内戦が激化する。

一進一退を繰り返していたが、結果、1969年から、パテート・ラーオが、優位に立ち、王国政府に、和平交渉を呼びかける。
その結果、1973年、ラオス和平協定が結成されて、1974年、第三次連合政府が、成立する。

更に、パテート・ラーオが、優位に立ち、右派が、瓦解してゆく。

1975年12月、軍事行動なく、パテート・ラーオに、政権が移譲される。
王政が廃止され、ラオス人民民主共和国が、誕生する。

この、パテート・ラーオを、指導していたのは、マルクス・レーニン主義を、標榜する、ラオス人民革命だった。

人民革命党は、社会主義国家を建設すべく、企業の国営化、農業の集団化という、性急な、社会主義政策を、とったのである。

だが、この政策は、経済活動を停滞させ、深刻な食糧と、物不足を招いた。

更に、西側諸国の、援助停止と、人口の一割に及ぶ難民の流出などで、社会は混乱する。

1979年、人民革命党は、性急な社会主義政策を、見直すが、経済の低迷からは、抜けられなかった。

1986年、ソ連の、ペレストロイカの影響を受けて、新思考政策といわれる、市場経済化政策が、とられた。
更に、政治、社会、外交なども、自由化、開放化を目指して、今、現在に至るのである。

2009年08月05日

伝統について 3

君が目を 見まく欲りして この二夜 千歳の如く 吾は恋ふるかも

きみがめを みまくほりして このふたよ ちとせのごとく われはこふるかも

君に会いたくて、昨夜も、今夜も、千年ものように、私は、恋する。

あなたの、目をみたい、つまり、あなたに会いたいと、思い続けて、昨夜も、そして、今夜も、千年も恋する如く、私は、恋する。

好きで、好きで、たまらないという、純真一途な思いに、溢れている。

千歳の如くに、という、深みに、陥る恋というもの。


うち日さす 宮道を人は 満ち行けど わが思ふ君は ただ一人のみ

うちひさす みやじをひとは みちゆけど わがおもふきみは ただひとりのみ

日が照り輝く、宮への道を、多くの人が行くが、私の思うあなたは、ただ、ひとりだけである。

ただ一人のみ、と、強く強く、意識する、恋する相手。
あなただけしか、目に入らないのだ。

どんなに人が多くても、好きな相手は、ただ一人なのである。

かけがえのない、あなた、である。


世の中は 常かくのみと 思へども はた忘れえず なほ恋ひにけり

よのなかは つねかくのみと おもへども はたわすれえず なほこひにけり

世の中は、いつも、こうであると、思っているが、やはり、また、忘れられず、恋に身を置くのである。

恋に破れて、苦しむことが、世の中の常であるが、それでも、また、忘れられず、恋に身を任せるのである。

恋に生きるしかない、という、切々たる思いである。


わが背子は 幸く坐すと 遍く来て われに告げ来む 人も来ぬかも

わがせこは さきくいますと まねくきて われにつげこむ ひともこぬかも

わが背子が、無事でいますと、何度も来て、告げる人も来ないのである。

情報は、人の口からの時代である。

人の口から、背子が無事でいるという、伝えを聞きたいのである。
せめて、誰かが、伝えてくれ、という。

まねくきて、何度も、何度も、好きな相手のことならば、聞きたいのである。


あらたまの 五年経れど わが恋の 跡無き恋の 止まなくも怪し

あらたまの いつとせふれど わがこひの あとなきこひの やまなくもあやし

あらたま、新玉の年を、五年経ても、私の恋の、この何も起こらない恋も、恋心は、止むこともないのである。

何も起こらない、つまり、成就しない恋である。
五年を待っても、何も起こらない。のだが、それでも、恋心は、収まることはないのである。

これを、片恋、かたこひ、という。
片思いである。

それが、怪しいのである。あやしい、不思議だ。恋は、不思議なものである。
何故、人は恋をするのか・・・生きるため。

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神仏は妄想である 224

南インドで、竜樹が活躍していた時期、南インドの、ドラヴィダ民族は、独自の文化を、花咲かせた。
西暦後、二世紀ごろ、クラルという詩句集が作られた。
それは、タルミ語で書かれた、二行詩形の、1330の格言の集まりである。

真の施しは報酬を求めない。いったい世界は、雨を与えてくれる雲に対して何を報いるだろうか。

慈愛という富こそ富の中の富である。財産という富は愚民でも所有できる。

上記は、どこの、格言にも見られる言葉であり、考え方である。
つまり、人は、皆、多く、そのように生きることが、皆の、自分の、利益に適っていると、考えたのである。
そのまま、進化倫理学である。

仏教と、共に、ジャイナ教も、盛んだった。
教団のために、寺院を作り、ジナ像、石版などを、信者達は、寄進した。
ジャイナ霊場への、巡礼も、行われた。

ジナは、益々、超人化され、神格化されて、崇拝の対象となる。
これも、多くの宗教に見られる。教祖、開祖が、神格化されるというもの。

更に、仏教と同じく、ジナの、伝記が書かれて、更に、その前世物語も、出来るという、寸法である。
そして、仏教と、同じように、経典、宗教譚を、読誦することが、功徳あることとされた。

物語は、インドの、伝説、物語を、豊富に取り入れて、布教に利用したという。

仏教も、然りである。
純粋な、釈迦仏陀の、教えが、インド、バラモンなどから、取材されて、大量に取り入られた。

それが、次の時代には、更に、顕著になるのである。

それを、まともに信じてしまった、中国、日本仏教の、愛好者達である。

西暦三世紀に入ると、クシャーナ帝国および、アンドラ帝国が、次第に、衰微し、多数の、群小国家が、対立する。
中でも、マガダから起こった、チャンドラグプタ一世が、西暦320年に、即位して、グプタ王朝を、興した。

次の、サムドラグプタは、南北にわたる、全インドを制服し、マウリヤ王朝以来の、統一国家が、形成された。

この時代に、インドの古典文学が、花開き、更に、天文学、数学も、この前後の時期に、発展した。

しかし、五世紀には入ると、半ばに、匈奴が侵入し、グプタ王朝は、衰退し、六世紀には、また、インドは、分裂国家となった。

グプタ王朝時代の、社会構成は、インド古来の、バラモン教学が復興し、社会の固定化を基礎付ける理論として、採用された。

バラモン教の、国教化である。

社会秩序の維持のために、バラモンの法典が、規準とされた。

その間に、ヒンドゥー教諸派は、バラモン教の、学問、神話、習俗を取り入れ、バラモン教と、融合すべく、社会の上層階級に入り、支持を受ける。

更に、ヒンドゥー教の、壮大な寺院も、多数建設された。

ここで、注目すべきことは、バラモンの用語である、サンスクリット語が、全インドにわたり、公用語とされたことである。
つまり、言葉が、決定されれば、その言葉の、持ち主である、バラモンが、精神世界を、主導するということである。

仏教、ジャイナ教は、学問的研究は、盛んだったが、社会的趨勢は、弱まりつつあった。
更に、仏教も、ジャイナ教も、サンスクリット語を用い、後には、バラモン哲学の、術語を用いて、哲学的議論を交わすに至ったということである。
これは、見逃せない、点、である。

言葉の、概念を、バラモンから、取り入れたということは、バラモン流になるということである。

ここにおいて、仏教も、ジャイナ教も、ある種の伝統が、死んだといえる。

更に悪いのは、この時期に、諸派の、仏教も含めて、根本経典、教科書が、作成されたということである。

確かに、諸宗教は、宗派意識が、強くなったが、バラモンの身分制度を、受け入れる、それに、妥協するという、傾向が、顕著になった。

後に起こる、密教などは、完全に、バラモンに、影響を受けている、亜流の仏教である。
仏教とも、実は、言い得ないのである。

バラモンの、亜流とでも言うか。

社会組織に関する、理論体系としては、グプタ王朝時代前後に、諸種の法典が、作成されたが、西暦後300年頃に、出来た、ヤージニャヴァルキア法典が、特に、規制力のあるものとなった。

集権的国家成立とともに、国家神聖視の思想が、グプタ王朝時代と、それ以降、絶頂に達した。

そこでは、国王は、神的権威を持ち、人民は、国王に対して、絶対従順であるべきとされた。
国王の神聖視である。

王は、過去に、宗教的修行をしたゆえに、その功徳によって、王になったという、思想である。

それらは、仏教、ジャイナ教の経典を見れば、解る。
インドの、俗説を取り入れて、経典を作成したのである。

その、国王観を、仏教も、ジャイナ教も、容認したのである。



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ラオス・ルアンパバーンへ 5

朝、約束した、10時前に、ニッツが、バイクでやって来た。

そして、5分で、トゥクトゥクを連れて来ると言って、再び、バイクに乗って出た。

その間に、私は衣服支援のバッグ、二つを用意し、カメラ二台、パスポート入れの、財布などを、確認する。

現金は、部屋に置くことは無いが、この時は、日本円を、部屋に置いた。

ドルと、キップと、タイバーツを持った。

トゥクトゥクが、やって来た。
ニッツと、一緒に乗り込む。
行き先は、ニッツに任せてある。

つまり、私は、衣服の必要な子供たちのいる、村に出かけたいと、言ったのである。
ニッツは、ルアンパバーンの近郊の村、メコン川沿いの村に行くという。

街を抜けて、20分ほどで、村の道に入る。
すると、トゥクトゥクが、大きく揺れる。
雨の後の道であるから、ぬかるむ。

雨期の真ん中である。
ところが、私は、あまり、雨に当たらなかった。

最初に見えたのは、村に一軒だけある、商店である。

商店といっても、掘っ立て小屋である。

ニッツは、そこに、声を掛けた。
友達がいると言う。
更に、商店の主は、ニッツのお姉さんだった。
結婚して、この村に暮らす。

トゥクトゥクは、ぬかるみを走り、村の中心部に到着する。

家の前に、屋根だけがある、テラスのような場所である。
勿論、手作りの物である。

さて、私は、荷物を降ろした。

早速、ニッツに、紹介して貰う。
その時は、たいした人数ではなかったが、どんどんと、人が、子供たちが、集って来た。

何、何、何・・・

私は、ニッツに、日本から、皆さんに、プレゼントですと、言って貰った。

そして、バッグを開けて、取り出す。
最初は、よく意味が分からないようだったが、衣服が次々と出されると、歓声が上がった。

赤ん坊を抱いた女たちも、出て来た。
今回は、幼児用の物も多い。
どんどんと、手渡す。

すると、次第に、人々が慣れて、自分たちで、バックから取り出す。
ニッツが、それを、抑える。

一度、ニッツが、バッグを閉めた。
そして、写真を撮るという。
私は、ニッツに、従った。

ところが、どんどんと、人が集まる。
私は、写真を撮り終わり、また、バッグを開けた。

ニッツが、もう一つの村にも・・・と言うが、無理である。
そんなに、量は無い。

少し残して、村の、入り口に歩いて戻った。
すると、そこでも、人が集っていた。
もう、すべてを、出すしかないと思い、バッグを開けた。

どんどんと、手が伸びてくる。
何も残らなかった。

私は、ニッツのお姉さんの店で、休むことにした。
ニッツは、日本茶のボトルを選んだ。
おいしい、と、書かれた、ボトルである。
私は、コーヒー缶を選んだ。

子供たちが、やって来る。
私は、店の前に、吊るされた、お菓子袋を10袋買い、子供たちに、渡した。

ところが、また、どんどんとやって来る。
写真を撮るニッツ。

私は、更に、お菓子袋を取り、子供たちに、渡した。

コープチャイ・ライライ
ありがとう

何度も、そう言われた。
お金は、渡すことは、出来ないが、お菓子ならいいと、思ったのだ。

それを、ニッツは、見て、なんとも言えない表情をしていた。
ニッツも、一緒に、写真を撮りたいと、言うので、お姉さんの、ご主人に、撮ってもらった。

それから、私は、メコン川で、祈りたいと言うと、ニッツは、オッケーオッケー、すぐそこだよと、立ち上がる。

その後を、子供たちも、付いて来る。

村は、小船で、荷物運びをする仕事をする。
メコン川の、側には、日本のダンプカーが、三台置かれてある。つまり、廃車になったものである。
日本の会社の名前が、そのまま、書かれていた。
更に、住所まで。

私は、ニッツに、これから、日本の祈りをしますから、それを、写真に撮ってと、言った。
ニッツは、サンキューなんとかこんとか、チピリチュアルなんとかこんとか、それで、なんとかこんとかと、言う。

とても、感激し、興奮しているようだった。


2009年08月06日

伝統について 6

巌すら 行き通るべき 健男も 恋とふ事に 後悔にけり

いはほすら ゆきとおるべき ますらをも こひとふことに のちくいにけり

巌ですら、通っていくという、たけきおとこでさえ、恋ということには、後で悔いたことである。

強気男も、恋には、弱い。
ますらをならば、ますらをらしく、とは、いかないのが、恋の道である。

男は、ますらをを、演じなければならない。
後に、悔いるというのは、失恋であろう。
失恋をして、その嘆きが、ますらをらしからぬ、心なのである。
それを、このように、歌にした、勇気である。


日並べば 人知りぬべし 今日の日は 千歳の如く ありこせぬかも

けならべば ひとしりぬべし きょうのひは ちとせのごとく ありこせぬかも

日々を重ねて会えば、人の知るところとなる。
ああ、今日の日が、千年もの、日の長さであったらなーあ。

恋人に会う、この時間が、千年もの、時間であれば、という、素直な思い。
つまり、君と、いつまでも、である。

恋は、秘密が、いい。
人知れぬ恋というもの、それ自体が、快楽である。


立ちて坐て たどきも知らに 思へども 妹に告げねば 間使も来ず

たちていて たどきもしらに おもへども いもにつげねば まつかひもこず

立っていても、座っていても、伝える術なく、妻を慕う。
この気持ちを、伝えてくれる、使いも来ないのだ。

妻にした、女に、気持ちを伝えたくて、両者の、間に入る使いを待っている。

通信手段のない時代は、その間に、人が、介入する。

何と、時間のかかる手間暇がかかる、ことだろうか。
だが、それが、心を深くした。
それにより、恋心が、熟してゆく。


ぬばたまの この夜な明けそ 赤らひく 朝行く君を 待たば苦しも

闇の、この夜は、明けないでおくれ。
赤々と明けてゆく、朝に、帰る君を、また、夜まで待つのは、苦しいものだ。

朝の別れを、衣々の別れ、きぬぎぬのわかれ、という、互いの、衣服を、分けるからである。
一緒に重ねた、衣を、朝になると、それぞれに、着なければならない。
それが、切ない。

恋をする者は、飽きない。
いつまでも、一緒にいたい。

朝の別れが、永遠の別れのように、思える。
次に会うまでの、時間の長いこと。

別れた瞬間から、次の会うまでの時間が、永遠に思えるのである。
それが、恋である。

全く、素直に、恋に没頭する、万葉時代の人々は、まさに、日本人の心の、原型である。
これが、伝統になり、文化を創る。

日本の文化が、恋心により、成り立つのである。

恋とは、魂を乞う、たまこい、であった。
相手の、魂を、乞うのである。

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伝統について 6

巌すら 行き通るべき 健男も 恋とふ事に 後悔にけり

いはほすら ゆきとおるべき ますらをも こひとふことに のちくいにけり

巌ですら、通っていくという、たけきおとこでさえ、恋ということには、後で悔いたことである。

強気男も、恋には、弱い。
ますらをならば、ますらをらしく、とは、いかないのが、恋の道である。

男は、ますらをを、演じなければならない。
後に、悔いるというのは、失恋であろう。
失恋をして、その嘆きが、ますらをらしからぬ、心なのである。
それを、このように、歌にした、勇気である。


日並べば 人知りぬべし 今日の日は 千歳の如く ありこせぬかも

けならべば ひとしりぬべし きょうのひは ちとせのごとく ありこせぬかも

日々を重ねて会えば、人の知るところとなる。
ああ、今日の日が、千年もの、日の長さであったらなーあ。

恋人に会う、この時間が、千年もの、時間であれば、という、素直な思い。
つまり、君と、いつまでも、である。

恋は、秘密が、いい。
人知れぬ恋というもの、それ自体が、快楽である。


立ちて坐て たどきも知らに 思へども 妹に告げねば 間使も来ず

たちていて たどきもしらに おもへども いもにつげねば まつかひもこず

立っていても、座っていても、伝える術なく、妻を慕う。
この気持ちを、伝えてくれる、使いも来ないのだ。

妻にした、女に、気持ちを伝えたくて、両者の、間に入る使いを待っている。

通信手段のない時代は、その間に、人が、介入する。

何と、時間のかかる手間暇がかかる、ことだろうか。
だが、それが、心を深くした。
それにより、恋心が、熟してゆく。


ぬばたまの この夜な明けそ 赤らひく 朝行く君を 待たば苦しも

闇の、この夜は、明けないでおくれ。
赤々と明けてゆく、朝に、帰る君を、また、夜まで待つのは、苦しいものだ。

朝の別れを、衣々の別れ、きぬぎぬのわかれ、という、互いの、衣服を、分けるからである。
一緒に重ねた、衣を、朝になると、それぞれに、着なければならない。
それが、切ない。

恋をする者は、飽きない。
いつまでも、一緒にいたい。

朝の別れが、永遠の別れのように、思える。
次に会うまでの、時間の長いこと。

別れた瞬間から、次の会うまでの時間が、永遠に思えるのである。
それが、恋である。

全く、素直に、恋に没頭する、万葉時代の人々は、まさに、日本人の心の、原型である。
これが、伝統になり、文化を創る。

日本の文化が、恋心により、成り立つのである。

恋とは、魂を乞う、たまこい、であった。
相手の、魂を、乞うのである。

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神仏は妄想である 195

もう少し、インド思想史の仏教を見る。

空の実践としての慈悲行は現実の人間生活を通じて実現される。この立場を徹底させると、ついに出家生活を否定して在家の世俗生活の中に仏教の理想を実現しようとする宗教運動が起こるに至った。
中村元

その、代表的な、経典が、維摩詰所説経である。ゆいまきつしょせつきょう
維摩詰という在家の資産家が、主人公となり、出家者たる、釈尊の弟子たちを論破して、追及し、畏敬させ、その後に、真実の真理というものを説いて、彼らを指導するという、作り話である。

その、究極の境地を、言葉では、表現できない、不二の法門として、維摩は、沈黙を持って、教えたという。

明らかに、大乗仏教の、小乗を貶める創作である。

その後も、在家の運動を讃える、経典が著される。

それらを、釈尊が、肯定するという、筋書きである。

更に、華厳経が、著される。

事事無碍の、法界縁起の説に基づき、菩薩行というものを、説く。
菩薩行には、自利と利他の二つがあるが、菩薩は、衆生救済という目的が、自利であるから、自利は、即、利他ということになるというものである。

この経典では、菩薩の修行の段階を、十段階に分けて、十地という説にいたる。
第六地のところで、十二因縁を説き、善財童子という者を、主人公に、五十三人の元に教えを乞い、最後に、普賢菩薩の教えを受けて、究極の境地に達するという、創作である。

更に、浄土教の誕生である。
これは、法然、親鸞、浄土宗で、触れたので、省略する。

ただ、念仏によって、死後、極楽に生まれるということで、それでは、現世とは、どういう意味を持つものかという、議論がなされたという。
兎に角、議論の議論をし続けたようである。

そして、
大乗仏教徒は小乗仏教徒を極力攻撃しているけれども、思想史的現実に即していうならば、仏教の内の種々の教説はいずれもその存在意義を有するものであると言わなければならない。この道理を戯曲的構想と文芸的形式をかりて明瞭に表現した教典が法華経である。
中村元

更に、中村元は、
ところで種々の教えがいずれも存在意義を有するのは何故であろうか。それらは肉身の釈尊の所説ではない。
と、明確にしている。

それは、久遠の仏という、意識である。
時間的、空間的限定を超えた、絶対者、諸法実相の理である、仏という、存在であると、認識したからである。

勿論、妄想である。

更にである。
インド、民衆の、本生譚から、取り入れた、人である釈迦仏陀は、永遠の昔に悟りを開いて、衆生を教化してきた存在として、位置づけたのである。
人間、釈迦は、単なる方便であるという、誇大妄想である。

そうして、仏身論というものが、急速に展開する。

法華経の態度が、更に、発展して、大般涅槃行などという、仏教以外の、異端説といわれるものも、取り入れての、経典創作が行われた。

仏教の所説を理解する上で、インド思想史は、欠かせないものである。
それは、仏教というものが、インド思想史において、様々に変転していく過程を見ることで、仏教という、宗教に至る過程が、理解出来るからである。

そして、それは、思想として、認識するが、宗教としての、価値ではない。
また、更に言えば、インド思想史は、思想即宗教という、形になっていったという、ことが、理解出来る。
宗教の成り立ちを知る上で、必要な、教養である。

つまり、宗教とは、作り上げて行くものなのである。

その支持者が、信者となり、信徒となり、次第に、組織化され、更には、建物を建てて、職業宗教家の発生である。

在家信仰活動も、結局は、職業宗教家というものを、生み出したのである。
この、矛盾に、彼らは、答えない。
何故か、既得権益というものを、持つに至ったからである。

建物を建てて、信徒を要すれば、物質的に、豊かになる。今で言えば、金が集まる。それでは、やめられない。そして、堕落以上の、体たらくであり、もはや、その、主である、仏教ならば、釈迦仏陀の、教えは、無に等しい。
ただ、暇な者が、作り上げた、小理屈、屁理屈に、準じて、のうのうとして、教団、教派というものに、甘んじているのである。

更にである。
そこから、新しい団体を作り出して、教祖の、自己顕示欲が、満たされ、それに、集まる者どもが、甘い汁を吸うために、教祖を、祭り上げるという、寸法である。

信者に、段階を設けて、教師や、布教師などの、称号を授けて、更に、教団を太らせる。そこには、高邁な理想などない。世俗まみれである。

政治に関与するに至っては、もはや、手のつけられない、集団になる。
更に、政治家も、それらに、媚を売り、票を集める。
新興宗教の数々に、入信して、票を集める政治家もいるほどである。

商売の基本である、貧乏人から、広く金を集めるという、方法を地で行くのが、それである。

信徒から、集めた膨大な、金で、資産を増やし、果ては、結局、子々孫々に譲り渡す手配をする。

それは、世俗の家系よりも、甚だしく、劣るものである。
こうして、宗教というものが、成り立つ過程を知るのである。
彼らは、何一つ、確定したものを、提示しない。
すべては、人の妄想の故のもの。
それを、金に変換していて、平気である。

宗教により、心が、救われるということは、有り得ない。もし、そうだとするならば、それは、皆々、勘違いである。
勘違いのまま、死に、勘違いのまま、霊として、浮遊するという、悲劇である。
これを、悲惨と言う。

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神仏は妄想である 225

正統バラモン系統哲学体系を、六つの教え、六派哲学と呼ぶことがあり、それは、サーンキヤ学派、ヨーガ学派、ヴァイェーシカ学派、ニヤーヤ学派、ミーマーンサー学派、ヴェーダーンタ学派と、それぞれ、連動している。

その他には、ことばの形而上学が文法学者によって、唱えられた。

これらの、諸派は、何らかの意味で、ヴェーダー聖典の権威を認め、またバラモンの階級的優越性を認めるゆえに、正統と、考えられている。

ただ、ヴェーダー聖典の教えと、矛盾したことを、説く者もいる。

これに対し、仏教、ジャイナ教、唯物論は、ヴェーダー聖典の権威を認めず、バラモンの社会的優位性も、認めない。
勿論、バラモンからは、そちらの方が、異端として、みなされた。

この、正統バラモン系統の、成立年代は、同一時期ではないが、グプタ王朝前後には、興隆したと、考えられる。

それぞれの、哲学的考察を、見ると、少なからず、仏教の教えにも、影響を、与えているのである。

更に、より、仏教に取り入れられた、学派もあると、いえる。

仏教を、理解するには、バラモンの哲学を、学ぶことも必要である。
何故なら、それらは、互いに影響し合いながら、その教えの、完成度を、高めたからである。

更に言えば、仏教の教えも、それらによって、大きく影響されて、複雑奇怪になっていったとも、言えるのである。

大乗の教えの中に、それらが、交じり込んでいると、考えても、間違いではない。

大乗の成立過程を、理解する上でも、それらの、教養が必要である。

そこで、簡単に、各派の、教えを、俯瞰することにする。

サーンキヤ学派は、ウパニシャドの哲人ウッダーラカの思想を、批評的に改革して、唯一なる、有の代わりに、二つの実体的原理を想定した。

ひとつは、精神原理としての、純粋精神、プルシャとか、アートマンと、呼ばれる。
もうひとつは、他の物質的原理は、根本原理であるが、現象世界の原理であり、未開展者といわれる。

純粋精神は、実体としての、個我であり、原子大で多数存在し、本質は、知、または、思、であるとする。

それは、活動することなく、根本原質を観照するだけである。非活動者といわれる。
それ自体は、常住不変で、純粋清浄であり、生も死も、輪廻も、解脱も、すべて、純粋精神そのもので、本質的関係は無い。

これに対し、根本原理は、本来、物質的で活動性を、有し、純質、激質、いん質という、三つの構成要素を持つ。

この、三つの、要素が、相互に安定しているときは、静止的状態にあるが、純粋精神の観照によって、激質の活動が起こると、開展が、開始される。

その際に、根本原質から、最初に生ずるものを、根源的思惟機能、または、大なるものと、呼ぶ。

それは、確認の作用を本質とする。
精神的な作用の元となるのである。純物質的なもので、身体の一機官である。

次に、根源的思惟機能が、激質によって、開展を起こして、自我意識を生ずる。

これも、純物質的な、一機官であり、三つの、構成要素よりなるが、自己への執着を特質とする。

これが、われが為す、このものは我に属する、これが、我であると、自己本位の見解を持つのである。
この、自我意識は、元来物質的な、根源的思惟機能を、自我と、誤認して、根源的思惟機能と、純粋精神とを、同一視する。
この、自己中心的な自我意識の、誤認が、輪廻を成立させるというのである。
その、自我意識から、更に、十一の機官と、五元素が、生じる。

この、開展から、人間の、感覚、知覚、思考、意欲などの作用は、物質に属するという。
純粋精神は、それらを、照らして、意識させるだけである。
精神には、道徳的、責任は無い。
微細なる、身体が、道徳的、責任を負う。

純粋精神は、本来、純粋清浄なものだが、物質によって、制されているため、この生存が、苦しみとなる。
それは、純粋精神が、根本原質を観照して、物質と、結合している間は、輪廻が、存在するから。

この、輪廻から、離脱するためには、特別の修行をもって、純粋精神を、汚れから、清め、純粋清浄な本性が、現れるようにしなければならない。

解脱の、直接の原因は、智である。

その、智のために、外的な智、ヴェーダ聖典の知識と、内的智、すなわち、純粋精神の、智とを、区別しているが、解脱をもたらすものは、内的智を、得ることである。

解脱の智を得るために、補助的に、ヨーガの修行を勧めている。

だが、その解脱も、根本質料因に起こり、純粋精神には、何の変化もないという。

解脱しても、生存しているのを、生前解脱。
死後、二元が完全に分離して、離身解脱と呼ぶ。

これにより、純粋精神は、独存となり、本来固有の、純粋精神性を発揮する。

実存するものは、二元のみで、創造神とか、主宰神というものを、想定しない。

以上、簡単に、俯瞰した。

この一つを、取り上げても、仏教思想に、大きな影響を、与えていることが、解る。

仏教が、どこまで、仏教のオリジナルかと、言われれば、解らない。
多く、バラモンの教義に、依るものと、思われる。
特に、大乗は、そうである。


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ラオス・ルアンパバーンへ 6

メコン川は、歩いて、すぐだった。
茶色の流れが、目の前に広がる。

緑と、茶のコントラストである。

子供たちも、一緒に付いてきて、私よりも、先に、メコン川で待っていた。
そして、私がその場に行くと、子供たちが、川に飛び込んで、歓声を上げる。

子供たちの、歓迎の儀式である。

バリ島の、海がめの島に行った時も、子供たちが、私に、海に飛び込んで、歓迎してくれた。

バクテンを見せてくれた男の子もいる。
何度も、それを、繰り返してくれた。

彼の、ズボンは、大きな穴が開いていた。
私は、今回、男の子の、下着や、ズボンを持ってゆくのを、忘れた。皆、上着である。本当に、済まないと思ったほど、男の子の、ズボンは、擦り切れていた。

私は、メコン川に向かって、拍手を打った。
途端に、子供たちが、静まり返った。

それは、見事だった。

だが、私は、長い言葉を、唱えるつもりはなかった。
ただ、アラテラス大御神と、三度、唱えただけである。

そして、祓い給え、清め給えと、四度、唱えた。
それで、十分だった。

拍手を打ち、終わると、また、子供たちが、私に、泳ぎを見せてくれた。

彼らは、祈る姿を、お寺で、いつも見ている。だから、私の行為も、理解した。

一人の男の子は、じっーと、私を見つめていたようである。
それは、写真を見て、分かった。

祈りは、当たり前にある。
生活の中に、祈りがある。

だが、それを、宗教と、勘違いする。
それは、伝統行為なのである。

その親が、その祖父母が、そのように、行為していたことを、子供たちも、する。
宗教行為ではなく、伝えられた行為、つまり、伝統行為である。

ニッツは、私の写真を何枚も、撮っていた。
私は、三枚で、いいと、言ったが、彼は、フイムルをすべて、それで、使ってしまったのである。

その写真を、見て、私の目の前の、メコン川が、光っていた。
ああ、良かったと、思った。
それは、フラッシュのせいで、あろう。
でも、雨雲の中で、光が、差すようにしてある写真は、気持ちのよいものである。

その後、ニッツは、その村の、小学校に私を連れた。
平屋の学校である。

だが、現実は、教科書が無い。文具が無い。そして、先生が、来ないのである。
先生は、副業で、忙しい。給与で、生活できないからである。
学校は、無料であるが、教科書も文具も無ければ、どのようにして、学ぶのか。更に、先生が、来なければ、生徒は、どうするのか・・・・

私は、ラオスの批判をすることは、出来ないのである。

私は、日本人である。
それを言うのは、僭越行為である。

次に来る時は、文具も、もって来ると、考えた。
だが、溜息が出た。

きっと、世界には、このように場所が、多くあり過ぎるのである。

それを、後進国という。

だが、後進国が、先進国になるとしたら、どうなるのか・・・

先進国とは、何か。

ニッツは、私を促して、村に戻った。

少し、考える時間が、必要だった。
何が、出来るのか。
だが、ニッツは、英語で、色々と説明する。
私に、考えるなと、言うばかりに、である。

しょうがなく、私は、ゲストハウスに戻る、と、ニッツに言った。

差し上げる物もなくなり、その場所にいる必要も無い。
しかし、子供たちが、着いてくる。

村の、寺院に、ニッツは、私を、案内した。
そして、子供たちと、寺の入り口で、写真を撮った。

帰国して、その写真を見ると、子供たちが、とても、喜んでいる様子が、写る。

私は、私の無力を、感じないわけには、いかなかった。

だが、私は、知っている。それ以上の行為は、僭越行為なのである。
私は、何様でもない。
ただ、追悼慰霊をする、一人の日本人である。
それで、よろしい。
それ以上のことは、実に、僭越なのである。

ただ、また、子供たちに、会いたいのである。それだけである。
いや、子供たちだけではない。村の皆さんに会いたいのである。

私は、その時、もし、一生、この村に私が住むことになったら、どうするだろうと、思った。

それは、無理だと、思った。そして、それを、運命づけられたらと、考えると、それで、善しと、思えた。

彼らは、知らない。だから、その村でも、生きられる。
そして、彼らは、その村が、故郷である。
捨てられるものではない。

と、いうことで、私は、今ある、私の、現実を、すべて、受け入れることが、出来たのである。

私は、日本に住む、日本人である。


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