2009年07月30日

神仏は妄想である 259

タントラ行者は、シャクティを絶対者というか唯一者と同じだと見る。というのは、男性原理と女性原理が神聖なかたちで合体したものを表しているのがシャクティだからである。おのれの真の姿に目覚めていくプロセスでは、最終の目的は肉体のなかに「クンダリニー」のエネルギーを呼び起こすことに他ならないが、それはシャクティを小宇宙である人間の肉体に移し変えたものと考えてもいいだろう。
ムケルジー

そこで、肉体の中に、エネルギーの中枢を、見出した。それが、チャクラである。

目を覚ました、クンダリニーは、種々のヨーガの行法によって、七つの、チャクラを、こじ開けながら、上へ、昇る。
クンダリニーは、上昇しつつ、それぞれの、チャクラに、蓄えられたエネルギーを、吸収し、最終的に、純粋エネルギーである、シヴァと、合体するという。

その前に、確認しておく。

女性は、すべて、女性原理の写しと見られ、実在の本質を表す、宇宙エネルギーの、生まれ変わりとされる。
タントラでは、男性原理は、様々な、要素を兼ね備えた、女性原理に匹敵するが、女性原理のほうが、優れているというのである。

シャクティが、宇宙的力であり、宇宙の循環サイクルの、主導力である。
更に、母体であり、永劫不滅な物質がものを生み出す力を反映するという。

そして、生きることを、全面的に肯定する態度を、表し、それとは、逆の一切の態度を、区別し、区分する根源であるという。

ここで、いかに、タントラの説明を聞いても、納得しないことがある。

結局、逆の一切の、態度を、区別し、区分するという。つまり、それらは、悪魔であるという、段取りである。

悪魔の示す、虚偽、暗黒の邪悪な力との宇宙的な闘争を、くまなく、描くという、マルカデーヤ・ブラーナという、一挿話を描いた、写本がある。

今まで、説いてきた、タントラの方法も、ここにいたると、結局、女神と、悪魔の戦いという、お話になってくる。

この、行法を行い、シヴァと、合一しても、それは、主観である。
人間は、肉体という、フレームに、宇宙のミクロな一面を秘めていると、考える。
つまり、肉体の中に、ミクロな宇宙をなす、同じような、エーテル状の、そっくりな人間がいるということだ。

それを、微細身と呼ぶ。

それは、目に見えない。
精神面で、肉体そのものと、関連するというのである。

チャクラについて、もう少し、詳しく見ると、タントラの聖典によって、多少の違いがあるが、霊魂の中枢は、六つあるといわれる。

人体にあって、蓮華に似たような、六つの霊魂センターは、脊柱基底にある、ムーラーダーラ・チャクラをはじめ、生殖器の近くに、スヴァーディスターナ、臍の近くの、マニプーラ、心臓に近い、アナーハタ、喉のそばの、ヴィシュダ、眉間のアージニャーなどである。
七番目の、サハスラーラ・チャクラは、頭上にある、四本の指の幅ほどの、千の花弁の蓮である。

七番目の、チャクラは、クンダリニー・シャクティが、純粋意識である、シヴァと出会う、ブラフマランドラといわれる、場所である。

サハスラーラは、あらゆる、両極端が、そこで、遺筆になる経験を味合わせる至高の、意識の中枢といわれる。

タントラヨーガの、最初の、瞑想は、肛門と、生殖器の間、会陰部の脊柱基底にある、霊魂中枢で、宇宙の要素、地球、四角形で示される、世界の創始者、ブラフマーの支配下にあるという。

クンダリニーが目覚め、チャクラを通過してゆくときは、激しい熱が生じる。クンダリニーが、上昇すると、肉体の下部は、冷たく、不活発になり、一方で、クンダリニーの通過する部分は、炎の如く、熱くなる。

クンダリニー・ヨーガは、物質が精神化される、プロセスであり、一切を超越した、経験を理解するための、内面への、旅であるという。

このような行をなしとげたとき、それをなしとげた最初の兆候が現れてくる。すなわち顔面は太陽のように輝き、肉体は沈静し、自らとも調和し、宇宙と一体化したリズムとも調和していく。
ムケルジー

後に、空海の言う、即身成仏である。

タントラの伝統のある国、インドには、聖者が多い。
大師といわれる人々もである。

更に、マザーテレサのような、聖者といわれる人も現れる。

本物から、ニセモノまで、である。
だが、本物も、ニセモノである。

人類の、意識の目覚めを、云々という。
不思議なことも、多々起こる。

世界中から、人を集める。

聖者たちは、すべてを、それは、私だと言う。
超能力など、吹っ飛ぶような、全能の力を発揮するのである。

彼らの言う、宇宙意識というものが、どこの、宇宙意識なのか、知らない。
それを、体験しなければ、解らないだろう。

何を持っての、宇宙意識との、合一なのか・・・

それは、私だと、言う、聖者や、大師たちの、意識は、どこの、宇宙意識と、繋がるのか。

私は、知らない。
しかし、私の、宇宙意識とは、違うことは、解る。
次元を別にする、多次元の世界は、妄想一色である。

不思議なことに、それらには、宇宙意識というが、宇宙の外という意識が無いのである。

勿論、宇宙意識が、ある、次元の世界のことで、宇宙は、意識と、呼べるものかも、解らない。

更に、宇宙の外の意識と、なれば、妄想することも、出来ない。

私は、タントラを否定しない。
だが、体験していないということであり、更に、私には、異質に感じられて、それを、採用するかと、問われれば、採用しない。

大半が、精神的に、狂うからだ。

万が一、大師たち、聖者たちのようになっても、延々と、それを、繰り返すのみである。

更に、霊的進化云々となると、それは、その世界だけの、ことであるとしか、言えないのである。



posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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