2009年07月25日

神仏は妄想である 255

タントラの教えは、非アーリア系の先住民族である、古代インド人に、知られていたものである。

紀元前3000年頃の、インダス文明に属する、ハラッパ文化の中に、ヨーガのポーズや、女神崇拝像が、見られる。
それは、インド・アーリアン系に起源をもち、古代インドの伝統の中心を、なしていたといえる。

更に、紀元前1500年頃にできた、バラモン経典、ヴェーダ文学と密接な関係があり、タントラの儀式には、ヴェーダの、行法に起源をもつものもある。

更に、タントラ儀式が、多くのインド哲学の基礎にもなっているのである。

タントラ形式をもったものは、ヒンドゥー教にも、仏教にも、見られる。

更に、タントラの形式が、生成発展してゆくことで、ウパニシャドの秘伝書や、ヨーガ、そして、仏教などの思想的影響を受けつつ、インド、中世前期、八世紀から、十世紀までに、完全な形、展開になるのである。

ほとんどの、タントラの聖典には、著者がいない。
その聖典の種類は、実に、膨大である。
更に、大幅に違いがあっても、聖なる御言葉という意味の、アーガマとか、二ガマと、呼ばれる。

ヒンドゥー教や、仏教には、早くから文献があるが、タントラの行法ができたのは、聖典ができるよりも、古い。

文字で書かれた最古の、タントラ聖典ができたのは、西暦のはじめ頃であるが、成立が遅いものは、18世紀まで、年代が下がるものもある。

一つのタントラ聖典には、様々な時代の、考え方が付け加えられている。そのため、時代を特定するのは、難しいといわれる。

この、タントラの影響は、インドに留まらず、文献としてみると、世界各地、特に、ネパール、チベット、中国、日本、東南アジアの地域に広がり、地中海文化にも、及んだ。

タントラとは、己に目覚めるための、現実的方法である。
能力に応じて、様々な人間の、要求に見合った方法が、取られた。

目指す目的は同じでも、各人が、それぞれ、独自の方法で、邁進するという、自由がある。更に、自由といっても、束縛を否定するわけではない。積極的に、目覚めるという意味での、自由と、束縛である。

そして、目覚めることにより、宇宙に満ち溢れた普遍的な知識を、身につける事が出来るという。

タントラは、人生の目的や価値に気づかせるために、精神と肉体の、両面にわたる、理論と実践を展開してきたのである。

タントラは、原子理論や、時間・空間の関係や、天体観察や、宇宙論、そしてまた手相学、占星術、化学、錬金術などを高度な水準にまでひきあげ、磨きあげてきた。宇宙の原子理論をタントラが発展させたのは、大変早い時期である。
タントラ 東洋の知恵 アジット・ムケルジー

タントラによれば、宇宙は、オームという、単音節のマントラのような、基本音から、展開してきたという。
宇宙で、見たり感じたりする物体は、すべて、震動を凝縮した音なのであると、なる。

その、震動の一歩進んだ段階で、原子が誕生する。
宇宙は、たえず生成し、分解し、再び、生成すると考える原子集団から成ると、捉える。

そして、人間が、自分の体の、どこに、霊魂の中枢があるのかを、見出すことも、抽象的なシンボルを通して、様々なヨーガの行をすることも、すべて、タントラに則るのである。

タントラは、さまざまな形で現れる大自然や人生に、現実重視の要素をもちこんだという意味で、他に類を見ない。どのような形で顕われている大自然であれ、人生であれ、人間がおのれに目覚める上で役に立たぬものはない。
ムケルジー

その、タントラの人体星宿図を見ると、人間の肉体を、霊魂を発展させる最も強力な道具と見なすのである。
人間というものは、宇宙のミクロな次元を、肉体という枠組みの中に秘めていると、考える。

その図は、人体と天文現象との密接な関係を示す。
人体各部に記されたシンボルは、小宇宙としての、個々の人間に、天体が、どのように影響しているのかを、図にしたものである。

腕には、肩先から、太陽、月、火星、水星、木星、金星、土星、羅喉星、計都星の記号がある。
もう一方の、腕の符号は、月の二十七星群を表す。
九つの惑星と、太陽系の十二の星宿とともに、世界の人間の運命を支配している、弓なりになった人間の肉体は、絶えず、天体のエネルギーの流れに、反応する一つの、壮大な活力に満ちた大宇宙を表し、その宇宙本来の広大な網の目から、逃れることはできないと、する。

タントラによれば、この世に顕れるものは、すべて、プルシャという、男性原理と、プラクリティ、または、シャクティという、女性原理からなる、二元論である。

そこでは、男女の交合が、シヴァ神と、シャクティとの、創造的な結合まで高められるという、思想として、説かれる。

ありとあらゆるものに宿る、シヴァとシャクティは、火のように激しい抱擁、交合の結果、最高の非二元性、それを、解脱という、無二の悦楽の中で、ただ一つの原理となる。

単に、この、考え方が、誤解されて、交合ヨーガ、つまり、セックスヨーガとか、処女崇拝などの儀礼と、された。
呪術と性などという、解説するものもある。

タントラには教義といったものはなく、それはむしろ新しい世界観の誕生と考えられるべきなのである。
ムケルジー

更に、ムケルジーは、
タントラは、幅の広い人間観を大局的に説き、一切を包括した思考システムと経験に裏打ちされた技法をもって、人間それぞれの霊魂の根源を創造的に目覚めさせようとする。そこにタントラの今日的価値もあるといえよう。
と、言う。

密教発生に、大きな影響を与えた、タントラの思想を、詳しく見ることによって、密教の誇大妄想の様が、理解される。

自然発生的に、生まれたインド思想である、タントラの、究極は、性である。
シヴァと、シャクティに、表現されるように、二元論、男と女、ペニスと、ヴァギナによる、世界生成、宇宙生成のお話なのである。

そこから、始まり、そして、そこに、戻る思想が、タントラである。
しばし、タントラの、世界や宇宙、生物、無生物、生命、人間、更には、霊魂というものを、どのように、考えるのかを、見ることにする。

それは、人間の、妄想性を、見ることにもなるのである。




posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

悲しみを飲み込んだハノイへ 10

キエンにとっては、死んだ兵士たちは、影のように輪郭はおぼろながら、生者よりもずっと意味のある存在だった。彼らはいつも孤独で、物静かだった。
死者たちの多くは、目に見える形よりも、音で存在を示すのだった。ジャングルで遺体収集に努めていたMIA捜査隊員たちは、しばしば死者たちの奏でる楽器の音や歌声を聴いたと語っていた。彼らは、ある夜、アセッション・バスの麓の原始林で、老いを知らぬ巨木のざわめきにまじって、誰かがギターを巧みに爪弾きながら歌うのを聴いた。
「ああ栄光の歳月よ、ああ終わりなき苦しみよ・・・・」
名も知れぬその歌の、陰々滅々とした単調なトーンに、その場にいた全員が立ちすくんだ。歌詞も曲も、隊員それぞれの耳に違って聞えたが、夜ごとに聞えるということには違いはなかった。彼らは歌声に導かれてジャングルを歩きまわり、ある日ついに綿布に包まれて浅く埋められた遺骨を発見した。骨はぼろぼろに朽ちていた。そばには手製のギターが、まだ壊れずにころがっていた。
隊員たちの聴いた歌は、たしかに白骨の主の亡霊の歌だったのか。
それは誰にもわからない。だが、次のことは確かな事実だ。班員たちが骨を掘り出し、ちゃんとした墓をつくって埋葬し直したとき、真っ昼間というのに例の哀しい歌声がまた聞えた。それは森全体にこだまするようだった。以後、その歌声を耳にした者は一人もいない。
こういう話は、戦場にはざらにころがっていた。無名の戦死者の一人一人、遺骨の一体一体が怪談の種になった。それらの怪談は、抗米戦争の兵士たちを主人公とする一種の民話となって、真偽にかかわりなく各地に広がっていった。
戦争の悲しみ

朝、五時に起きて、出発する準備をする。
タクシーは、六時まで来るはずだった。
窓から、タクシーが来たかどうかを、確認しつつ、私は、部屋で、休んでいた。

まだ、荷物は、あった。
一つのバッグの衣類は、ホーチミンで、差し上げるもので、それは、帰りの道行きだった。

荷物を下に降ろすと、玄関に、従業員が寝ていた。
それは、夜間の、セーフティのためだろう。
悪いと思いつつ、荷物をまとめていると、彼は目覚めた。
そして、すぐに、玄関のシャッターを開けた。

タクシーは、すぐに来た。
すると、奥から、私たちを、受付した、お兄さんが出て来た。
ありかとうございますと、英語で言う。
また、ハノイに来たら、ここに泊まりますと、私は言って、スィアゲンと、別れた。

朝は、車が空いていた。
街から出るのも、スムーズだった。
街から、空港までの、距離が長いのが、難である。しかし、成田のことを思えば、ましである。

運転手の、お兄さんと、色々と話しをした。
私は、ロンビエン橋の付近のことを、聞いた。
ガイドブックでは、夜間は、危ないので、注意せよとあったので、どういう場所かを、尋ねてみた。

何のことはない。
そこは、女装をした男たちが、集まるという。
えっー
ハノイでも、レディボーイがいるの
います、います
それでは、ゲイは
います、います、でも、タイほどではない

体を売るということ
そうです

聞いてみなければ、解らない、見てみなければ、解らない。
私は、旅をはじめてから、本当に、そう思うようになった。

彼は、ホーチミンに仕事を探して行く、若者のことを、話したが、彼は、ホーチミンに行く気はないと言った。
経済的には、ホーチミンの方が活気があるとは、認めつつ、ハノイの方が、いいという。

コータが、ハノイの町は、きれいだと言うと、ありがとうと、答えた。
皆、自発的に、掃除をしているんですねー
そうです
決め事があるんですか
いや、ないです

本当に、ハノイの街中は、ゴミが少なかった。

空港に到着した。
野原に、突然、空港が現れるといった、感じた。

すでに、15ドルをホテルに支払っているので、彼とは、それで、お別れである。

空港に入る前に、私の目に入ったのは、女の子たち、八名の姿である。
女の子たちは、ペットボトルを集めていた。
どうみても、それは、普通の家庭の子供たちではない。

まず、チェックインするために、急いだが、バンコク行きの、受付は、まだだといわれて、私たちは、カウンターのある、カフエに入った。

そして、私は、コーヒーを頼んだまま、女の子たちと、話をするために、外に出た。

彼女たちは、時々、ばらばら、時々、まとまっていた。

一人の女の子が、紙に包んだ、ご飯を皆に、差し出して、皆が、そこに、手を伸ばして、食べていた。

ハローと、声を掛けると、ハローと、答える。
英語で、話した。すると、ペラペラ英語を話す子がいる。
皆は、友達なの
そうよ
ここで、何をしているの
ペットボトルを集めている
学校に行くの
行く
と、答えたが、さて、本当かどうかは、解らない。
中には、汚れたシャツを着ている子もいる。

だが、悲壮感は、無い、皆、楽しそうである。

そこで、私は、一枚のテーシャツを、汚れたシャツを着ている子に、渡そうと、戻った。
そして、それを持って、その子に、渡そうとすると、いらないと言う。傍にいた子も、拒否の手を振る。

受け取らないのである。
それは、確認済みなので、もう驚かない。
こんな、境遇にあっても、ハノイの精神が生きているのである。

だが、私が、ペットボトルの水を飲んでいると、それが、欲しいと、追いかけて来た。更に、彼女たちは、私が、出国ゲートに向かう時、手を振った。
コータが、教えてくれた。

皆が、私に向かって手を振っていた。
何かが、通じた。

次に来た時は、知らない人ではなくなったので、受け取ってくれるだろうと、思えた。そして、彼女たちの、生活について、もっと、よく聞いてみたいと、思った。


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