2009年07月24日

神仏は妄想である 254

ここで、再度、インドの、文化背景から、密教というものを、俯瞰する。

約五千年前、インダス河の渓谷に、ハラッパ、モヘンジョダロなどの、高度に発達した、文明が栄えた。
その遺跡から、インダス渓谷文明が、紀元前三千年ころの、インド最古の文明であることが、歴史的証拠として、明らかにされた。

ハラッパ文明が、発掘されて、シャクティ信仰と、シヴァ信仰が、古代インド人の基盤となっていたことが、解った。

その二つの、信仰から、タントラ信仰の二つの面が、解る。

特に、その崇拝の中心が、女性像であることから、インドでは、シャクティ崇拝、女神信仰が、極めて古いものであること。それは、地母神からはじまり、シヴァ信仰とも、密接に関わる。
そして、この二つの、信仰の中に、タントラ行法が、様々な形で、行われていた。

多くの女神像、ヨーガの姿勢で座るシヴァ神とみられる、神の印章が数多く発見された。

シヴァ信仰は、タントラ行者が、リンガ、つまり、男根、ペニスである、それを、シンボルにして、崇拝するという。

タントラの、行法と、神秘主義が、接近し、紀元前1500年頃に、アーリア民族が、後期ヴェーダ文化の思想と、信仰に、大きな影響を与えている。

インダス文明は、その頃に、滅びたのではなく、インド人の生活中に、脈々と、伝えられ、吸収させていった。

今日残る、文献を見ても、アーリア族は、思考、感情も、優れていたといえる。

ヨーガ哲学の、分野でも、彼らは、今日まで人類が高めた、最高峰に達していたといえる。

紀元前1500年頃まで作られた、ヒンドゥー教最古の、リグ・ヴェーダ、では、人間の魂の、目覚めの知識、宇宙の神秘をめぐる永遠の問いが、なされている。

さらに、ウパニシャドという、秘伝書である。
そこでは、人間の魂が、もともと神でありながら、運命に従う点を、見事な方法で、分析する。
究極的な真理を探究しつつ、魂を引き上げ、生と死、エネルギーと物質などを、真理と一体化しようとしている。

仏教においても、それらを無視することなく、普通の宗教行事を、幅広く取り入れていった。

アショーカ王による、仏教の国教化、その後の、紀元前二世紀頃も、仏教熱が、インド人の生活に取り入れられた。

文化の影響力として、仏教は、アショーカ王の時代から、数世紀の間は、力があったが、バラモン教が、ヒンドゥー教として、復活し、隆盛を見る前兆に際して、仏教は、再び、新たな、打開策を見つけださなければならない、ところまで、追い詰められた。

仏教の大乗派の、登場である。

仏陀生誕の地で、勢力を失いつつ、その影響を、インドのガンジス川以外の、国々で、教線を広げていった。

それは、インド美術と、共に、である。

例えば、中央アジアの、トゥルファンや高昌、チベット、中国、朝鮮、そして、日本へ。
アフガニスタンの国教にある、バーミヤン、ハッダの洞窟彫刻、カシガール、ヤルカンド、コータンの町々。
スリランカ、ビルマ、タイ、カンボジアの、アンコール、インドネシアのボロブドールなどである。

さて、密教形成の元には、タントラがある。

この、タントラについて、俯瞰する。

インドの文化の基盤を理解する上でも、タントラ理解は、欠かせないのである。

すべての、宗教に、哲学や、思想に、タントラは、多大な影響を与えた。
タントラの世界を知ることは、密教を知る上で、特に必要な、教養である。

タントラとは、精神的な知識を示す、サンスクリット語の、広げるという意味を持つ、言葉から出た。

知識を広げる、つまり、己に目覚めるための、知識を身につけるという意味である。

更に、タントラは、宗教ではない。

それは人生体験であるとともに、人間がもって生まれた精神的な力を引き出す方法であり、体系なのである。
アジット・ムケルジー タントラ 東洋の知恵

タントラの教えは、先住民族である古代インド人に知られていた。
更に、タントラの意味を、考えると、インド・アーリヤン系に起源を持ち、古代インドの伝統の中にある。
伝統である。
決して、宗教ではない。

更に発展し、紀元前1500年頃にできた、バラモン経典、ヴェーダ文学と関係深く、タントラの儀礼には、ヴェーダの行法に起源をもつものもある。
このタントラ儀礼が、インド哲学の基礎にもなるのである。

この、タントラが、形式を持つのは、ヒンドゥー教、仏教にも見られる。
そして、様々に、発展生成していった。

ウパニシャドの秘伝書、ヨーガ、仏教の影響を受けつつ、インド、中世期、八世紀から、十世紀までに、完全な展開をすることになる。完成といっても、いい。

ここで、確認しておくが、伝統によって、宗教も、支えられてあるということである。
伝統に支えられない宗教とは、今で言う、新興宗教、あるいは、新宗教である。

単に、どこからかの、教義を、少しばかり、変形して、教祖が生まれる。
そこには、伝統を、有することは無い。
つまり、出来損ないの、宗教なのである。
そして、商売としか、言いようが無い。

私が、何より、重んじるのは、伝統である。
それは、民族の有意義な幻想であり、民族を生かす、共同幻想となり、必要不可欠な幻想となるのである。




posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

悲しみを飲み込んだハノイへ 9

最後の夜の食事といっても、つつましいものだった。
それぞれが、焼き飯を、注文した。
私は、豚肉の、コータは、鶏肉の焼き飯である。

そして、折角だからと、ベトナム春巻きを頼んだ。
二種類である。
生春巻きだと思っていたが、出てきたのは、揚げ物の春巻きだった。
だが、美味しかった。

飲み物は、水である。
とうてい、アルコールなどは、飲めない。
日本では、毎晩、日本酒を飲む私も、全く、欲しない。

明日の朝が、早いので、食べて、そのままホテルに戻った。

だが、まだ、八時前である。

もう少し、ハノイの夜をと、思い、マッサージを受けることにした。
コータは、部屋にいるという。

実は、一度、二人で、最初の日に、フットマッサージを受けている。

小路を入った、小さなマッサージ店である。

一時間、60000ドンである。約、250円。
ところが、終わると、マッサージ嬢が、チップを求めてきた。
私は、10000ドン、約30円を出した。
すると、その嬢は、50000ドンと、要求した。

日本円にすると、たいしたことはないが、要求されると、ムッとくる。
だが、私は、彼女が、フエ近くの田舎から出てきて、働いていることを聞いた。
大変だろうと思い、黙って、五万ドンを渡した。

二人分だから、10万ドンである。約、500円。

別の店の、フットマッサージの価格を見ると、一万ドンであった。
そこで、私は、その店に入り、チップは、いるのかと、尋ねた。
いらないと、答える。
つまり、あの店は、最初から安くしているが、チップで、儲けるべくの、システムだった。

勿論、地元の人には、通用しない。
観光客だから、通用する。

さて、私は、食後の、マッサージに出た。
夜であり、皆目検討がつかない、街の中で、マッサージの店を探した。

一軒のビルの、三階に、マッサージがある。
そこに、上がった。

価格を見ると、20ドルである。
その時、私は、何を勘違いしたのか、安いと、思った。
20ドルは、二千円である。40万ドンになる。

実に、高い料金であるが、勘違いは、後で気づく。
一時間、20ドルを払い、個室に案内された。

嬢が出て来て、サウナを勧めるので、言われた通り、衣服を脱いで、サウナに、向かった。
ミストサウナで、霧のような中で、汗を流す。
すると、嬢が、足湯を持って来た。
それに、足を浸す。
その時、日本人かと、尋ねられた。ジャパニーズと答えると、彼女は、にこやかに頷いた。

ある程度、体が温まり、私は、サウナ室を出た。
そして、個室での、マッサージである。

マッサージは、オイルだった。
そこまでは、良かった。

うつ伏せになり、背中をマッサージするが、今ひとつ、物足りない。
ただ、撫でているだけである。

気づくのが、遅かった。

単なる、マッサージではないことが、解った。

仰向けになると、バスタオルを取り除いたのである。
全裸である。

嬢は、私の股間に、オイルをつけた手を置く。
そして、言った、チップ50ドルと。

矢張り、これは、違う。

ノー、いやいや、違う、マッサージオンリー
しかし、通じない。
50ドルは、破格のチップである。

それで、私は、少し面白半分に、チップは、20ドルと言った。しかし、彼女は、ノー、日本人は、50ドルというと、60ドルも、70ドルも、くれるという。

なんということか。

それで、最初、日本人かと、聞いたのだ。

無理無理、ノー、と、私は、言った。
しかし、彼女は、ひるまずに、私の股間を刺激した。

普通なら、激怒する私は、抑えて、静かに、日本語で、無理だ、無理だと、言った。そして、ノー。マッサージオンリーと言った。

すると、彼女は、40ドルでいいと、言う。
それでも、無理だ。

私は、PD筋を使い、彼女の刺激に、反応しないように、した。
彼女は、刺激すると、男は、反応すると、思い込んでいる。

激しい、股間への、マッサージが続いた。
それでも、私が反応しないので、彼女は、30ドルと、言う。

とんでもない、所に来たものだと、思った。

これは、セクッシャルマッサージである。
要するに、手コキといい、射精させて、チップを取るという、マッサージである。

さて、私は、どうしたら、彼女に、伝えられるかと、腕を示して、マッサージと言った。彼女は、渋々、腕をマッサージする。
しかし、左足のマッサージが、残っている。

左足のマッサージがはじまった。
すると、更に、股間に手を延ばして、20ドル、オッケーと言う。

50ドルから、20ドルに落ちたが、私には、大変な、金額である。
つまり、20ドルのマッサージ料金と、チップで、40ドルとなるのである。

それは、四千円である。一万円が、190万ドンであるから、大金である。

トラブルを起こしたくないと、私は、一時間のマッサージを終えるのを、待った。

ワンアワー、オッケー
そう、もう一時間を過ぎる。

彼女は、オッケーと、渋々言う。
私は、急いで、衣服を着て、個室を出ようとした。
すると、彼女が、私に、ぴったりと寄り添い、チップと言う。
私は、彼女を、ゆっくりと、解いて、一目散に、出口に向かった。

すると、彼女は、アーとも、ウーとも、エーともつかない、形容し難い声を上げて、仲間の居場所に走った。
私は、追いかけられると思い、急いで、階段を駆け下りた。そして、ホテルに急ぎ足で、向かった。

男は、刺激すると反応するという観念と、日本人は、チップを多くくれるという、観念を打ち破ったと、私は、思った。

実に、嫌な気分の、マッサージだった。
だが、最初の、20ドルということに、気づけば、解ることだったが、ドンの、ゼロの多さに、勘違いしたのである。

20ドルは、安いと、思い込んだのが、間違いだった。

これは、マッサージの顛末である。

部屋に戻って、コータに話すと、年だから、狙われたのだという。
金を持っていると、思われたのだというが、いや、私が、誤って入ったことが、誤りだったのだ。

ハノイの人は、毅然としているが、田舎から出てきた人は、何とか、金にするべく、努力奮闘しているということである。
これも、生きるためである。

ちなみに、PC筋については、性について、というエッセイで紹介している。勃起を自由自在に司る、筋肉である。

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