2009年07月20日

神仏は妄想である 249

あの真言密教の即身成仏法には、遺憾ながら欠陥がある。致命的な欠陥が二つあるのである。あの法をあのまま何千遍、何万遍修しても、即身成仏は不可能であろう。何故か?
桐山

私は、密教、特に、空海が発見発明したところの、密教の、批判と、嘘偽りを書いている。そこで、現代に、その体験者としてある、桐山氏の、密教入門を使い、解説している。

実は、空海については、まだまだ、色々な角度から見るために、準備している。

何故か。
空海は、日本の仏教の、基礎を作った一人である。
他宗にも、大きな影響を与えた、と、共に、彼は、天皇を、その祭壇に平伏すことを、願った、野心家である。

唐から、帰国しても、空海は、すぐに、都に入ることを、許されない。
それは、彼の資格は、留学生であり、二十年間、唐に留まって、修学することが、義務づけられていた。
修学期間を、大幅に短縮して、帰国することは、重罪に値するものである。

朝廷は、空海が、持ち帰った、仏典の目録を見て、その業績を認めたのだが、処遇に困惑し、暫く、筑紫に留めざるを、得なかったのである。

空海は、二年で、帰国した。
それに、比べられるのが、最澄である。

最澄は、正式な手続きを踏んだ、入唐である。
たった、一年と少しで、帰国している。

最澄の目的は、天台の教えを、受け継ぐことにあった。
唐に入ってすぐに、天台の教えを、授けられ、更に、禅、密教の教えを、学ぶ。が、果たして、その短い期間に、習い修めることが、できるか、である。

しかし、多数の経典と、若干の密教法具などを、携えて、帰国した。

帰国した、最澄は、法華一乗の教えを、確信をもって、説いたのである。

天台法華宗である。

法華経が唯一というのは、何も、日蓮だけではない。
最澄も、誤魔化されてしまったのである。

しかし、法華経には、即身成仏の修する方法が無い。

それで、また、話は、元に戻る。

それは先ず第一に、あの成仏法は、仏になることを教えながら、仏というものの本体をはっきり明示していないのである。仏というものの本体が漠然としているのである。
桐山

法華経には、龍女成仏が、書かれていて、その資格、能力を説いていて、具体的である。しかし、それも、方法に関しては、その具体的方法が無いのである。
桐山氏も、それを、指摘する。

真言密教の成仏法は甚だしく観念的である。かつ抽象的であって、仏とはこれだという率直明快な提示がない。仏のさとりの内容らしいものは説こうとしているのだが、肝心のところは、「言説不可得」といって逃げてしまっている。
桐山

仏になるどころではない、せいぜい、仏になったつもりになるだけである。
桐山

私も、同じである。

一体、仏とは、何か、である。

法華経の、方便品第二には、
諸仏の智慧は甚深無量なり。その智慧は難解難入なり
如来の知見は広大深遠なり。無量・無碍・無所畏・禅定・解脱・三昧あって深く無際に入り、一切未曾有の法を成就せり
である。

解釈で、どうにでもなるもの。
実に、馬鹿馬鹿しい言葉遊びである。

兎に角、形容して、形容して、深遠なりと、言うのである。
呆れる。

子供騙しも、いいところである。
それを、あたかも、知る如くに、説くという、仏教家であるから、詐欺師といっても、いい。

何も無い、空虚なところを指して、あそこには、こんな、大きなモノがあります。それは、とても、恐ろしいモノです。
そんな、按配である。

インド人の、言葉遊びの、罠に嵌っているのである。

もう一つは、漢訳の罠である。

すべての、大乗経典には、上記のような、説明以外に、仏を言うものは無い。

そこで、登場するのが、大日経である。

そこでは、釈迦仏陀の教えなどない。
何せ、教主が、大日如来である。

勿論、架空の存在である。

ただ、その訳が、日、なのである。
太陽である。

迷妄愚痴の暗黒を、太陽の光、それを、智慧とする、で、照らすというのである。

原始宗教の大元は、太陽信仰である。
インドも、それに漏れず、である。
ゆえに、太陽を、日を、以って、新しい宗教を拓いたと見る事が出来る。

密教では、愛も慈悲も、完全なる智慧の中にあると、観たのである。
それが、大日如来である、絶対の智慧そのものを、身体としているという。
ここに至ると、一神教に似る。

そうすると、太陽に成れとは、言わない。
一切智を得るというのである。

一切智を得るとは、超人になるということである。

人間は、人間以外のものには、ならないのであるが・・・

大日経にも、金剛頂経にも、それを、体得する、方法が、提示されているという。

桐山氏は、確信して言う。
おわかりであろう。密教の修行の、究極の目標は、この一切智を獲得することにあったのである。密教の即身成仏とは、この一切智を自身の上に完成することなのである。
桐山

そして、獲得すると、大日如来と、同じであり、即身成仏を、完成するのである、と言う。

大日経典は、大乗経典の後に、出来上がったものである。
今までの、経典には、無い、奇想天外なことを、書いて、人を騙すのである。

密教は、鎌倉仏教など、どうしようもない、堕落だと言うのである。
ただ、念仏、ただ、題目では、どうしようもない、と。

では、一切智とは、何かということになると、待ってましたと、ばかりに、説明が始まる。

それは、五つの智慧から、成りますという。

面倒だか、一々、それを、書いてゆくことにする。

それにしても、神仏に、嵌る人は、言葉遊びが、好きである。
ああでもあり、こうでもある、つまり、こういうことであり、ああいうことであり、そして、仏に成るのである。

まだまだ、馬鹿馬鹿しい話は、続くの、です。



posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

悲しみを飲み込んだハノイへ 5

橋のもと来た道を、戻り、またバスターミナルに、下りる。

手を振っていた、親子の家に、向かうために、市場に出た。
市場は、朝が、勝負で、その頃は、皆、休憩時間、あるいは、後片付けをしていた。

雨にぬかるんだ道を、あっち、こっちと、歩いて、親子のいた、方向を探す。

次第に、その場所に近づくと、匂いが強くなってゆく。
何の匂いなのか、解らないが、兎に角、鼻を突く。

スラムのように、立ち並ぶ家々の前に出た。
更に、その奥に向かう。

ようやく、コンクリートで出来た、長屋に出た。
それは、コンクリートで、長く建てられたもので、ただ、その中が、コンクリートで、仕切られている家だった。

まず、豚がいた。
家の前に、豚小屋があるのだ。
匂いは、そこから出ていた。

更に、奥に行くと、親子がいた。
手を振っていた親子である。
母親と、男の子、女の子である。

私は、早速、ぬいぐるみを、取り出した。
それを、素直に、喜んで受け取ってくれた。

母親に、衣服は、必要かと、衣類を取り出した。
母親は、頷いた。

そこで、私は、二人の子のサイズを、取り出して、渡した。
その間に、子供が、他の子供たちを、呼びに行っていた。
次から次と、子供たちが、出て来た。

その子供たちに、それぞれ、ぬいぐるみを渡した。
ここでは、抵抗なく、受け取ってくれる。

その間に、母親たちも、出て来た。
そして、いよいよ、衣服支援である。

皆、必要だと、言う。
私が取り出したものを、それぞれが、受け取る。
どんどんと、人が集まって来た。

私たちは、少しずつ、奥へと、入り込んで行く。
大人物も、取り出した。すると、それを、次々と手を伸ばして、受け取る。

どんどんと、奥へ入った。
皆、外に出て来た。

子供も、出て来る。
何か、お祭りのような騒ぎになった。

バッグに入っている物を、次々と、取り出すと、それぞれが、何か言いつつ、手を伸ばす。文具が出た時に、一人の母親が、何か言う。きっと、私には、子供がいて、勉強に必要だというようなことを、言っていると、感じた。

奥の最後まで、入った。
その先は、川である。

そして、再度、道を、戻った。
すると、一人のおばあさんが、出て来た。

何と、おばあさんが、出て来ると、皆、静かになった。
私は、おばあさんにと、バッグから、衣服を取り出した。
その時は、誰も、私の傍に来なかった。

おばあさんに、手渡すと、おばあさんは、何か、丁寧に、私に話し掛ける。
それは、何とも、威厳のあるものだった。
それで、理解した。

ここでは、目上、長上に対しては、絶対的、権威を、認めるのだと。

おばあさんは、すべての、インドシナ戦争を体験しているであろう。
言葉が、通ずれば、色々と話を、聞きたかった。

おばあさんの言葉が終わると、一人の若い男が、出て来た。
そして、私にも、何か、くださいと言う。
そのように、感じた。

そこで、彼に合うものを、取り出して、差し上げた。

すると、また、皆が、私に、近づいて来て、色々いと、バッグの中身を、探る。
必要な物を、探している。

私は、汗だくだった。
そろそろ、バッグも、空になってゆく。
もう、何も無いという、状態になり、皆が、落ち着いた。

私たちは、写真を撮った。
子供たちは、とても喜んでいる。
何か、特別なことが、起こったのである。
信じられないこと。

そう、私も、信じられないことである。
まさか、ハノイにて、このように、衣服を手渡すという行為である。
一体、一年前までは、考えてもいなかったことである。

最後に、手を振り、皆と、別れた。
また、来ますねと、言う私。

彼らは、何事が、起こったのかという、戸惑いもあったと、思う。前触れ無しの、考えられないこと。
それは、彼らの今夜の話題になるだろう。

私たちは、支援を終えて、元の道を、戻った。
ベトナム・ハノイの、衣服支援の様である。

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