2009年07月16日

悲しみを飲み込んだハノイへ 2

ハノイに出掛ける前に、泊まるホテルを、選び、予約していた。
私が、英語で、予約したのである。
なんとか、通じて、予約したのは、そのホテルが、一回だけ、無料にて、空港の送迎をするというからである。

だが、深夜到着する、ベトナム航空の、時間などが、伝わったのか不安で、コータに、再度電話をさせた。
それを確認しておいて、よかった。

はじめての、土地で、深夜に到着して、タクシーなどに乗るのは、実に危険である。
バンコクは、慣れているので、大丈夫だが、ハノイは、皆目検討がつかないのである。

さらに、ホテル料金は、ガイドブックの二倍の、28ドルである。
ガイドブックの情報は、古くなることが多々あるので、それで、決めた。

KIMURAと、パラカードを持つ男を、見つけて、安堵した。
迎えに来ていた。

タイと、同じく、ベトナムも、日本時間より、二時間遅い。

28ドルもするという、ミニホテルに泊まるのは、はじめてである。
バンコクでさえ、あの、スクンウィットの繁華街のゲストハウスで、500バーツ、約1500円である。

ハノイの街は、空港から遠い。
そして、夜なので、風景が見えない。
車は、次第に、田舎に向かっているように、暗い道を走る。
ホーチミンは、次第に、明るく、街に入るという、感じだが、ハノイは、違う。

ベトナムの首都である。
まさかと思いつつ、不安げに車の外を眺める。
しかし、コータは、大学時代に、一度ハノイに来ているので、平気である。

どんどん、暗くなるけど
大丈夫、街に向かっている、と言う。

車は、立派な日本車である。
運転手は、フリーのタクシーであった。ホテルからの依頼を受けて、仕事をしている。

忙しく、中々、彼女とも会えないと言った。それが、印象的だった。
つまり、仕事があるということだ。

街中に入っても、明かりは、それほどではない。
それに、高い建物は、無い。

北ベトナムの、中心であり、今は、ベトナムの首都であるが、そんな雰囲気は無い。

ホテルまでの道は、くねくねとして、中小路を通り、もう一度、通ることは出来ない、覚えられない道である。

細い通りに入り、ホテルに到着した。
後で知るが、その道も、ガイドブックに載るほど、有名な商店街であった。

フロントの男は、上半身裸でいた。
私たちが、入ると、急いで、シャツを着ようとしたが、私は、いいよ、いいよと、言ったので、そのまま、受付である。

しかし、チェックインをする前に、彼は、さて、何処に観光に行きますか、である。
ツアーの受付をするのである。

いやいや、私たちは、子供たちに、衣服を渡すために来たので、観光はしないと言うと、サンキューと言い、ようやく、パスポートを提示して、受付をする。

曰く、今部屋が、大きな部屋しかないので、そこに入ってください、そして、明日、部屋を、替わります、と言う。

本日のみ、特別扱いという、訳である。

案内された部屋は、五人が泊まれるほど、大きい部屋である。

そして、何と、私たちは、三泊、その部屋に泊まることになったという、幸運。
結局、部屋の移動はなかったのである。

エレベーターがないホテルの二階だったので、それも幸いである。

荷物を入れて、すぐに、食事に外に出た。
ホテル近くで、営業する、地元のレストランに出掛けた。

食べたのは、フォーである。
米の麺の、ベトナム名物である。
その店には、毎日、一度は、フォーを食べに行った。

そして、路上で売る、肉まんを二個買った。

ベトナム、ドンは、前回の時に、残してあったので、両替する必要はなかった。
今回、ドンは、安くなり、日本の一万円が、190万ドンである。
毎日、ドンは、安くなったから、得である。

ここで、整理しておくと、一万円が、190万ドン、千円が、19万ドン、百円が、1万9千ドン、10円が、1900ドンである。

私は、面倒なので、百円、二万ドンとして、計算した。

ペットボトルの水が、3000ドンからある。つまり、150円。
しかし、売り場によって、同じものが、3000ドンから8000ドンまであるから、迷惑である。

観光客と見れば、どこでも、ボルのである。
だから、コンビニに行き、本当の価格を知る。
だが、ハノイには、コンビニが少ない。

水は、安くはないが、他のものは、現地価格だと、安い。

チップの習慣はなかったが、次第に、チップというものの意識が芽生えていた。
チップを要求されるという、事態にも、遭遇した。

部屋に戻ると、すでに、日本時間では、深夜二時過ぎである。
だが、なかなか、眠られないのである。



神仏は妄想である 246

永久に救われざる存在としての自己確認という、一種の絶望に見舞われないだろうか。すべての求道の根本にはこの種の絶望があるにちがいない。
しかもなお成仏への道があるとすれば、生まれ変わり生まれ変わっての殆ど永劫の修行の結果か、さもなければ死後の可能性にすぎない。そうならばこの肉身における成仏の可能性とは、不可能と同じことになるではないか。求信の途上で、誰もが直面する壁のようなものであり、またこの点でニヒリズムにおちいる。
しかし「可能性」とか「不可能性」とかいうが、それはどういうことか。そうならば相対的なものにすぎない。仏智は無分別、無限定である。仏と人間の距離についての自意識そのものが、妄想ではないと言い切れるかどうか。これを撤去し、仏性「即」人間の世界に生きる道はないか。
亀井勝一郎

仏と、人間の、距離とは、妄想である。

すべての、大乗は、その妄想に、まっしぐらである。
釈迦仏陀は、ただ、生活指導としての、内道、内省、つまり、心のあり方と、その、見つめ方を教えたのである。

死後の世界云々も、霊のこと、云々も無い。
それらには、触れなかった。触れる必要がなかった。
いかに、心を平安にして、生きるか。それが、テーマだった。

心を平安にして生きる。そして、平安にして、死ぬ。
ただ、それだけの、釈迦仏陀の行為と、指導だった。

ここ、ここに至ると、それが、とんでもない、化け物になったのである。

三蜜加持すれば促身に成仏する。
空海

三蜜加持とは、何か。

仏の心のはたらきと、わが心のはたらきを同体にし、
仏のことばのはたらきと、わがことばのはたらきを同体にし、
仏のからだのはたらきと、わがからだのはたらきを同体にする。
桐山靖雄
具体的にすると、三蜜加持とは、「印契」いんげい「観想」「真言」である。

印契とは、手と指を使い、様々な形をつくる。
印相というもので、印を結ぶという。
それで、様々な物事を象徴するという。
身蜜ともいう。

観想とは、心の中で、定められた物事を、強く観念すること。
意蜜という。

真言とは、仏の真実の言葉とされる、梵語で成り立つ、一定の章句を口で唱える。
語蜜という。

この三つの所作が、連続して、一つの法を成立させる。
この、三蜜加持の手法をもとに、「金剛界の法」と「胎蔵界の法」と、二つの、即身成仏の体系がある。

説明する前に言うが、これは、自己暗示である。
自己暗示に入る、方法である。

密教が、釈迦仏陀の教えではないことが、よく解るものである。
これは、全く、バラモンのものである。
もし、これで、即身成仏するのならば、別に、こんな方法を使わなくしても、いくらでも、成仏できる。

我、成仏せりと、思い込めば、足りる。

全くもって、こけおどしである。

読みやすくして、以下、少し説明する。

金剛界の法である。

仏眼 合掌して、二頭指各々中指の上の節の背につけ、ニ小指の頭あい支えて、中間を開く。二大指もまたしかなり。
これ如来五眼の印なり。
胸の前に当てて真言七辺を誦して、身の四処を加持せよ。
真言にいわく。
のうぼう ぼぎやばとう うしゆにしや おんろろそはろじんばら ちしつちしつたろしやに さらばらた さたにえい そわか

このようにして、印を結び、真言を唱えて、心に仏を観念すると、成仏、すなわち、仏になるというのである。

一体、仏とは、何かということになる。

更に、梵語の、文字を、思い描き、それぞれを、体のそれぞれの位置で、思い描く。

あ ばん ばん らん らん か か か きや きや あ
という、梵語に意味を与えて、自己暗示をかけるというもの。

自律神経訓練法というものがある。
両肩が、温かい、温かい、温かい。
両腕が、重い、重い、重い。

それを、実に複雑に、ならやら、儀式的に行うことによって、何やら、何やらの、心境になってゆくというものである。

桐山氏は、
仏眼、この印明をむすぶがゆえに、自他一切の障害を排除して法が成就する。
というが、ご苦労なことである。

これから、少しばかり、桐山氏の、解説で、その方法と、意味を紹介するが、実際の、真言密教では、通常の言葉の理解では、理解できないし、彼らは、成りきっている、つまり、自己暗示に、嵌りまくりなので、人も、我も、解らない言葉で、語ることしか出来ない。

ただ、言い分はある。
実際に、行じることだと。そうすれば、解るというのだろう。

死ぬまでの暇つぶしでも、そんな暇は無い。
空海の時代なら、ともかく、そんなことで、時間を使っていたのでは、世界国家のためにならないばかりか、悪因縁を作るのが、オチである。

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神仏は妄想である 245

いづれの日かいづれの時か更につきん
貴き人も賎しき人もすべて死に去んぬ
死に去り死に去って灰燼と作んぬ

三界の火宅の裏に焼かるることなかれ
斗藪して早く法身の里に入れ
空海 経国集

斗藪とは、煩悩を祓うという意味。

上記は、密教的な要素は、ない。それよりも、法華経の世界に近い。

無常観は生を凝視するとともに死を凝視する眼であり、「死」眼を通じて生の意味をさぐる行である。それは同時に自己の空無の確認である。
亀井

空海は、天才であったと言ったが、上記のような、漢詩を読むと、単なる、無常観の虜になった、一人であり、唐、中国思想の影響を受けたというのみ。

人間はいかにして迷妄を去って、悟りの世界に入りうるか。いはゆる「転迷開悟」は、各宗に共通の根本の課題だ。
亀井

しかし、それが、嘘ならば。
そんなことが、あるわけが無い。それが、妄想であるとしたら・・・
私は、それを言う。

究極の救いとは何か。空海は自覚してそれを求めた最初の人だが、いかなる場にも自己を限定せず、能うかぎりの心と行動の振幅を示したところに、彼の固有性とともに苦悩があったと思う。
亀井

更に、亀井は、博学の苦悩があったとも、言う。
博学の空虚感も同時に、味わった。そこに、祈りが生じた。この場合の、祈りは、究極のものを示してくれるなにものかとの、邂逅の願いだと、亀井は、言うが、それは、評価のし過ぎである。

確かに、鎌倉仏教には、空海のように、多角的に活動した宗教家、開祖はいない。
どちらかと言うと、オタク的に、信心というものを、考えた人々である。

スケールも違う。
手っ取り早く言えば、天皇と、政治の上に、密教を置いて、支配するという、欲望と、野心である。

そうでなければ、本地垂迹などという、アホなことを、考え付かない。
つまり、日本の神々は、仏の化身である。
神々の上には、仏がいる。

そして、大日如来を天照と、ダブらせた。
大日如来については、後述する。

神々の上には、仏がいるというのは、インドの考え方である。それも、仏教のみの、である。
インド魔界の、神々を、仏の守護神として置いたという、堕落は、甚だしい。
それも、大乗である。

インド大乗仏教が、節操も無く、バラモンなどからの、影響を受けて、更に、インド民間信仰の様々に影響を受けて、変節、変節してゆくのである。
発展ではない。

更に、ヒンドゥーまでとも、限りなく、接近して、ついに、インド仏教は、ヒンドゥーに、飲み込まれたのである。

釈迦仏陀は、今では、ヒンドゥーの神の一人としてある。

大乗が発展するということは、堕落した、変節した、迎合したということである。

最も、堕落したのは、密教までも、仏教に取り入れたことである。

インドに起こった、密教は、仏教とは、似ても、似つかぬもの。更に、中国にて、起こったものは、それの、また、変形したものである。

空海は、密教の、何に、心を奪われたのか。

無常観というものを、超えられたのか。

超えられたというならば、それは、自己申告であるから、信用できない。
であるから、空海が、何を言ったのかを、検証する。

というより、修法というものである。
この、修法というものが、実に、怪しい。
更に、密教は、修法なくして、成り立たないのである。

成仏という、蒙昧に、迷う空海が、どのようにして、成仏という、妄想に至ったのか。

生きながらに、仏になるという、詐欺ペテンに、自らが、嵌まり込んでしまった、空海という、天才の、悲劇である。

亀井勝一郎は、実に、真面目に、このように書く。
ここで仏と人間との距離が問題となる。人間研究の結果は、この距離の無限を自覚せしめるであろう。たとえば自己の内心を観じたとき、それが煩悩と悪の巣であることを自覚せしめられたならば、どうなるか。それこそ、発心の動機にちがいないが、その深さは、この距離の無限をいよいよ明らかに自覚させるであろう。
と、言う。

どうしても、煩悩と、悪の巣が、内心と、観じたときと、それが前提になるのである。それは、どこからの、観念であろうか。
どこから、そのような、病的な観念を得たのであろうか。

自己内省とは、釈迦仏陀の、生き方指導であったが、釈迦仏陀は、単に無常観という、ものの見方を持って、人生を見たのではない。

そんな、煩悩と、悪の巣の人間ならば、死ぬことである。しかし、死ねない。だから、仏という妄想に、身を委ねるしかない。

天才空海は、何故、己、独りとして、その道を生きなかったのか。
実は、成仏という、即身成仏という、妄想により、世の中に君臨するという、欲望に生きたのである。
であるから、最悪の、詐欺師となる。
日本始まって以来の、ペテン師である。

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