2009年07月15日

神仏は妄想である 244

美女の花というべき目は、緑深き近くの川の流れのようであり、玉のような、美しい耳たぶは、松風の通う、谷のようである。しかし、朱をほどこす、紅の頬も、青きハエの集うところとなり、紅に、染めた唇も、化して、鳥に、ついばまれる穴となる。百の媚の巧みな笑みも、枯れて、晒され、暴かれて、骨の中には、更に見るものはない。千の媚を作った、姿態も、朽ちて爛れ、体の中は、見るも、無残である。・・・・白い手も、沈み、草中の腐敗となる。臭い匂いは、体から、吹き上がる
木村天山訳

美女をめぐる快楽に対して、死体をもって、対処する。
無常観想像力の、駆使であると、亀井は、言う。

このような、感覚は、古代日本には、なかった。
欲望は恵みであり、死体は、穢れとして、土に埋めて、見ることはなかった。
死体は、抜け殻であり、魂の世界に、遊び、子孫を見守る、先祖霊となるのである。

空海の、思考は、中国からのものである。

世の一切の無常と、生死のはかり難きを語り、「このゆえに勝心を因の夕に発し、最報のしんに仰ぐにあらずよりんば、誰か能く漂々たる海底を抜いて蕩々たる法身に昇らん」と、仏教が究極の真理たることを説き、・・・論破するわけである。
亀井

これが、18歳の頃の文章であるとすれば、確かに、頭脳明晰、とてつもない才能に恵まれていただろう。

しかし、頭脳明晰は、その明晰により、誤ること、多々あり。

ただし、当時の、18歳を、現代の、年齢として、理解することは、出来ない。
今は、昔の人の、倍の年月を生きる。

空海の修行は、ここから、はじまるのだ。

そして、二十歳前後から、三十歳までの、唐に行くまでの間、およそ、十年間は、不明である。

山岳に隠れて、修行を続けた。
ただ、高野山では、発見されている。

後年に、天皇に、高野山を乞う文章に
空海少年の日、好んで山水を渉覧して、吉野より南に行くこと一日、さらに西に向かって走ること両日日程にして、平原の幽地あり。名づけて高野といふ。
と、ある。

奈良学僧には、学ばず、山岳にて、禅定と、修法を主としていた、らしい。
らしい、であり、不明である。

空海は、名文家である。
もし、密教でなければ、日本文学に、多大な影響を与えたであろう。
世界的、名文の、文学を作り上げたと、思う。

しかし、それは、密教という、怪しげな、精神世界に、生かされた。

その、怪しげな、密教というものを、空海を通して、見ることにする。

その前に、先の、美女に対する、死体を想定しての、欲望壊滅などの、考え方は、中国には、腐るほどある。
しかし、それは、単なる、遊びの、言葉の羅列である。

そうして、無常という感覚に、酔うのである。
何も、真実、無常などは、どうでもいいのだ。
センチメンタルとでもいう、ほろ酔いである。

憂いにある、その憂いを楽しむのである。

少し、その心境に、浸ってみようかという、程度のもの。

老師になれば、欲望など、覚えることはなくなる。
何せ、年寄りであり、すでに、欲望を覚えるほど、精力は無い。
その、老師に、説教されて、欲望からの、開放などとは、笑わせる。

彼らは、若き時に、その欲望に翻弄された経験から、若き修行者を、脅す。
その程度の、精神レベルである。

若くして、欲望の無いものならば、それは、病気である。
または、体の、どこかが、故障しているのである。

生まれつきの、インポテンツでなければ、若い男は、同然、反応する。反応して、当然であり、自然なのである。

その、人間の欲望の自然の様を、否定しては、何も、成り立たない。

それを、克服するとか、囚われないためにとか、滅するとか、実に、馬鹿馬鹿しいのである。

マスターベーションをして、心の、もやもやが、消えるならば、その方がよい。
それを、罪などと、脅すのは、支配欲である。

何から、何まで、宗教は、人間を支配しようとする。
そして、最後は、政治、経済、人間の、ありとあらゆるところに、入り込み、支配しようとする。

そして、それはまた、人間が、神仏の名を借りて、行うという、蒙昧である。

美女が、腐ってゆく様を、想像して、欲望を、滅するとは、何と言う、いやらしい行為か。

下品極まる。

この、嘘に、嵌る者が、宗教、神仏というものに、騙される。

古代日本の伝統には、そんな趣味は無い。
欲望を恵みとして、その欲望を楽しむ心を、恋と呼び、その、恋心から発する、思いを、心象風景をして、民族の、心の原風景とした。
それを、言葉にしたのが、もののあはれ、である。

一切の、屁理屈は無い。
そして、無いものを、在るものとは、しない。

つまり、妄想を、最も、嫌ったのである。



posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

悲しみを飲み込んだハノイへ 1

キエンはこの地域をよく知っていた。1969年、彼の所属していた第27歩兵大隊は、ここで敵に包囲されて事実上全滅したのだった。残虐、凄惨、非道といった言葉を絵にしたような戦闘だった。あの不運な大隊で生き残ったものは数人だけだった。
あれは、そう、乾季の終わるころだった。太陽は容赦なく屋根屋根をこがし、風が谷間に吹き荒れていた。
敵はジャングル一面にナパーム弾を投下した。地獄の火だった。炎の海が大隊を取り囲んだ。ちゃちな野戦用の塹壕は、ナパームの火に対しては無力だった。兵士たちは塹壕から出て散り散りに逃れようとしたが、ナパーム弾は残酷に彼らを追いまわした。
大隊長は危険を承知で彼らを塹壕の一角に呼び集め、敵のヘリコプターに反撃しようとした。だが、集まろうとした兵士たちは、炎の中でたちまち方向感覚を失い、多くはコブラ「米海兵隊の攻撃用ヘリコプター」の機銃撃に身をさらして死んでいった。
コプラは木々とほとんど同じ高さで旋回し、逃げまどう兵士一人一人を撃ち殺した。彼らの背中から血が噴出し、赤土のように流れるのが見えた。
大隊長は狂乱状態になった。彼は「降伏するより死ね、お前ら、死んだ方がいいぞ」と叫び、キエンの目の前でピストルを振りまわし、あげくに銃口を耳に当てて自分の脳味噌を吹き飛ばした。キエンは喉の奥で声にならない叫びを上げたが、大隊長の死体にかまっている余裕はなかった。空からの攻撃に続いて、米軍陸上部隊の攻撃が始まっていた。

あとで知ったことだが、米軍はその戦場の一角に焼け残った草木をダイヤモンドの形に刈り取り、そこへキエンの戦友たちの死体を高く積み上げたと言う。全身ばらばらで誰のものともわからなくなった死体。四肢を吹き飛ばされた死体。焼けこげた死体。
これも戦後にキエンが聞いたことだが、その場所の空は数日間、死体を食らおうとするカラスと鷹の群で暗くなった。ナパームに焼かれてジャングルの各所にできた湿地は、二度とジャングルに戻らなかった。一本の木も生えなかった。

戦争の悲しみ バオ・ニン

ベトナム戦争経験者である作者の小説である。現実を、小説の形にして、作品にした、見事な文芸である。
戦争のすべては、事実であり、そこに、ストーリーを、作為的に取り入れた。

ハノイは、北ベトナムの、中心であり、今は、ベトナムの、首都である。

北ベトナム軍は、アメリカを、ベトナムから、追い出した。
あらゆる、悲劇を飲み込んで、戦争に勝利した。
アメリカに勝った、唯一の国である。

しかし、その代償は、大きかった。

まさに、悲しみを飲み込んだ街、ハノイなのである。

前回の、ホーチミン慰霊と、衣服支援の旅日記に、私は、ベトナムの歴史を俯瞰して書いている。
今回は、戦争というものを、見つめつつ、この旅日記を書くことにする。

私は、戦争に反対する。
それでは、戦争のない状態とは、何と言うか。平和と言う。
では、戦争がなければ、平和なのかといわれれば、解らない。

しかし、平和を望むのならば、平和を打ち破る、戦争を知らなければならない。それでは、戦争とは、何か。
私は、戦争を知らない。
では、戦争を知る方法とは、過去の戦争の、記しを見ることである。
そして、戦争後の、その場の様子を見ることである。
さらに、戦争後に、人は、どのようにして、生きるのかということを、見るべきである。

誰も、戦争は、したくない。しかし、戦争は、起きる。何故か。それも、よく解らないのである。

30年前まで、ベトナムは、戦時下にあった。
つまり、私は、ベトナム戦争終結を、二十歳前後の時に、知っているということだ。
そんな、少し前のことである。

実は、上記の、記述は、米海兵隊の手記である、ペリリュー・沖縄戦記の記述にも多く、似たようにある、悲惨な情景である。

戦争とは、人が人を殺すことである。
しかし、単に、簡単に殺すのではない。
こちらが死ぬか、相手が死ぬか、どちらが死ぬのか、皆目検討がつかない状況の中で、起こる、実に、不気味な、そして、実に、無意味な、殺し合いなのである。
そして、その人々は、顔も知らない、全くの他人である。
個人的な、恨みや、憎みも無い。

それだけでも、恐ろしい。

そして、人類は、延々として、その、戦争というものを、続けてきているのである。

人の命が、木の葉のように軽く、扱われている様。
敵兵を、殺して、喜ぶ様を、どのように、理解すれば、いいのか、私には、解らない。

更に、殺した後も、敵の死体を、蹂躙する様。
人の命の、尊厳も何も、無い状態に、ただただ、呆然とする。

殺してからも、その死体の、その人間を、屈辱するために、行う、様々な、虐待である。
人間が、ここまで、残虐になるものなのか。

日本兵が、殺したアメリカ兵の、死体を遊び、ペニスを切り取り、その口に、詰め込む様などを、記されると、絶句する。
さらに、次は、アメリカ兵が、日本兵の死体を、切り刻むという。

一体、そこまでの憎悪が、何ゆえに、芽生えるものだろうか。

つい先ほどまでは、知らなかった人間である。
ただ、敵であるというだけで、どうして、そのような感情が、湧いてくるのか。

戦争とは、何か。

平和を求めるということは、戦争に反対することなのか。
そして、反対すれば、戦争は、起こらないのか。
全く、逆である。
どんなに、平和を叫んでも、起こるべき時には、戦争が、起こる。

さらに、平和を、求めれば、求めるほど、戦争の危険性が高くなる。
つまり、平和を叫ぶということは、戦争を前提にしているからである。
平和を、求めているように見えるが、それは、戦争を引き付けているのではないのかと、私は、考えるようになった。
戦争が、前提にある、平和は、実は、平和でもなんでもない。
平和遊びである。
無意識に、人は、戦争を望んでいるゆえに、平和を、叫ぶとしか、思えなくなった。

もし、本当に、平和を、求めるならば、戦争で亡くなった人々の追悼慰霊にしか、無いのである。

追悼慰霊が、唯一、戦争を回避させる、方法であると、私は、気づくのである。
そう、このような、慰霊を、行わなくても、いいことが、いいことなのであると。


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