2009年07月22日

神仏は妄想である 251

ここで、少し空海を、見ることにする。

ほとんど、無名の、私度僧に過ぎなかった空海が、唐から、戻り、筑前で、三年間の待機をしなければならなかった。

だが、時が来た。

朝廷や、貴族たちの目が、冷たかったが、嵯峨天皇の即位により、空海は、注目されることになる。
唐の文化に、非常に関心を持った、嵯峨天皇の配慮により、空海は、一躍時代の、寵児となるのである。

天皇の、保護の元、高雄山寺を中心に、密教を広め、弘仁三年、812年には、最澄らに、灌頂を与えたのである。
あの、最澄に、灌頂を与えた・・・
つまり、最澄を従えたのである。

その後、高野山を開き、真言の道場とし、更に東寺を下賜された。つまり、天皇から、頂いたのである。

名声と、権勢の中で、62歳の生涯を閉じる。

その間の、活動は、密教に留まらず、文学、美術、書道、教育、建築、灌漑治水、医療など、ありとあらゆる、文化面に、及ぶ。
実に、教祖足りえる、活動である。

だが、その、天才的能力の、空海が、何故、密教を選んだか。
いや、密教の修行によって、天才になったのか・・・

桐山氏は、密教の修行によるというだろうが、私は、空海の、生まれ持った、天性の才能という。

もし、空海が、時を得なければ、どんなに、天才であっても、世に出ることは、出来ない。それだけの、運を、得て、生まれた。

空海は、勝手に修行していた時に、名も知らぬ沙門、おおむね、修験道の者であろう、から、虚空蔵求聞持法を、受けたといわれる。
しかし、確かなことは、解らない。

つまり、空海の創作と、考えてもいい。

虚空蔵求聞持法は、後に、中国で知ったものだが、それを、すでに、授かったという方が、面白い。また、謎めく。

空海の、訪れた、長安では、最新流行の、仏教だったということも、ある。

716年に、長安に着いた、善無畏、ぜんむい、が、大日経を伝え、720年に、金剛智が、金剛頂経を伝えた。

前者の系統では、一行が出て、大日経の解説を、為し、その思想を解明した。
解明とは、解釈であるから、自己申告である。

後者は、不空が、現れて、更に多数の、経典を、請来したという。
その弟子である、恵果が、空海の師である。

恵果は、両方の系統を、統合しようとしたと、いわれる。

顕教、けんぎょう、つまり、密教以外の教えでは、満足しなかったのが、空海である。

それらは、単なる、知識の学問であった。

空海は、それよりも、実際的な、能力を得たかった。
その能力とは、仏になるというもの、つまり、即身成仏するという、密教の、修行である。いや、方法である。

すでに、四国で、即身成仏していた、空海は、その根拠を得たかったと、私は、考える。

勿論、即身成仏というのは、観念である。

空海は、密教は、法身仏の説法だと、理解する。
つまり、仏直々の教えである、と。

顕教は、応仏、化仏という、仏の、手前の段階の者が、教えたもの。
それは、言葉は、顕かであり、簡略であるというもの。

しかし、密教は、法身仏の、説法であり、密蔵である。
言葉は、秘密で、奥深く、真実を、説いている。

もし、そうであるならば、鎌倉仏教などは、子供だましである。

言葉遊びに、始終する、単なる、思索、思考の、遊びである。
まあ、その通りなのであるが、秘密の言葉による、真実を説くものとは、また、薄ら、馬鹿馬鹿しいのである。

要するに、何とでも言える。

密教を説く、法身仏は、究極の仏であり、衆生の能力などとは、お構いなしに、最奥の真実を、直接、説くというのである。

それが、無常の生死流転の世界を、超えて、真理の世界が、開ける・・・

仏陀にほぼ近い境地の人や、それにつぐ十段階の菩薩も、仏の室に入ることはできない。まして小乗のものや、凡夫では、誰が仏の堂に昇ることができるだろうか、と、空海は、言う。

だから、秘密の教えなのである。

詐欺師、空海の、本領発揮である。
空海は、その、十段階を、説いている。

最後の、秘密荘厳心が、密教であり、その前の、九段階は、顕教であるというのだ。

だが、実は、天台も、法華経において、仏の最奥の真理が、表明されている。その世界に達してみれば、それまでの、教えも、すべて法華経に至る道であると、する。

また、華厳経では、仏が、悟りを開いたばかりのとき、人々の理解能力に関係なく説かれた、悟りの世界を、ストレートに説いたもので、その世界に入るには、長い修行の過程を必要とすると、説くのである。

仏教が、統一された、教義を得ていない。滅茶苦茶であると、西洋の宗教学から、言われるのは、当たり前である。

更に、釈迦仏陀の、仏なのか、久遠実成の仏なのか、色々ある。

要するに、仏教の仏とは、人それぞれの、嗜好なのである。

それは、神仏というもの、すべてに言える。
信仰している人それぞれの、神仏が、現れる。

つまり、極限すれば、私の神仏は、いずれ、私に行き着くのである。

私が、それであった。
神仏は、私であったと、なるのである。




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神仏は妄想である 252

即身成仏とは、何か。
日本仏教は、これにより、撹乱された。

この身のままに、仏になる、つまり、それは、他宗派が、いうところの、悟りである。

原始仏典には、仏の教えを聞いて、ただちに、悟りを得るということも書かれているが、次第に、教義が複雑になるにつれて、仏の悟りに至るには、何度も輪廻を繰り返して、修行を積まなければならないという、観念が、登場し、一般化した。

菩薩でさえ、その修行が完成して、仏になるには、サンアソウギコウ、阿僧祇という数え切れない意味の巨大な数の単位であるが、ほとんど、無限ともいえる、長期間の修行が必要となる。

つまり、脅しである。

ペテンである。

しかし、逆に、悟りは、遠くにあるものではないという、華厳経における、観念もあった。

それも、勿論、ペテンである。

だが、インドでは、つまり、本場では、そのような観念は、発展しなかった。
正統派の立場からは、それは、あくまで、前世で修行を積んだと特別の、場合である、とのこと。

広く一般の、修行者には、可能なものとは、考えられなかったのである。

いずれにせよ、悟りとは、それぞれの観念でしかない。

それでは、釈迦仏陀は、何を言ったのか。
静かに息を吸い、静かに、心の働きを、見つめて、心を、我がものとして、生活するという、生活指導を行ったのみ。

何故、怒りの心が、起こるのか、何故、悲しむのか、何故、嬉しいのか、何故、泣くのか・・・
兎に角、心を、見つめて、その心を、何にも囚われない状態にしておきなさい、である。

それは、内省であり、内観である。

外の世界以上に、わが心の世界は、無限に広いのである。
それを、言った。

法則と、秩序を、見なさい。
そして、我が心を、見つめなさい、である。

悟り・・・
何故、悟りが必要なのか。

さて、東アジアに、仏教が、伝えられると、輪廻の思想などは無い。
それゆえ、現世での、悟りというものを、追求し、可能であると、考えられるようになる。

それが、禅である。
特に、中国仏教である。

しかし、禅は、果たして、仏教のものかと、言えば、多分に、中国思想、老荘思想が、影響を与えたことは、以前に書いた。

更に、密教は、中国でも、一時的な思想だった。
であるから、中国では、即身成仏の思想も、展開することなく、発展もなかった。

それに対して、日本では、即身成仏の思想が、思想的に、大きなテーマになった。
空海のせいである。

更に、最澄も、法華経に基づく、独自の、即身成仏を、掲げた。

だが、空海は、密教以外に、即身成仏の方法は無いと、断定する。
他の宗派、顕教では、密教の悟りは、得られないのである。
空海の、作戦勝ちである。

最澄の、即身成仏は、法華経の、竜女の成仏を持って、即身成仏するのであるという。

海中に住む、竜王の八歳の、娘が、仏に宝珠を捧げて、変じて男となり、仏に成ったという、お話からである。
これには、無理がある。

竜は、人間ではない。
更に、それは、御伽噺である。

苦し紛れの、即身成仏である。

それでは、空海の、即身成仏義、を、見る。

六つの原理は障碍なく交じり合い、常に融合しあっている「本体」
四種類の曼荼羅は一体のものであって互いに離れることがない「性質」
身体・言語・心の三種のはたらきに仏が働いて、これを、三蜜加持という、速やかに悟りが顕われる「はたらき」
幾重にも重なって帝釈天の網のようであるこの身のまま「仏になること」と名づける「障碍のないこと」
おのずから自然のままに完全な智慧を身につけ
心の性質も心の本性も無限にわたりそれぞれが五つの仏の智慧と限りない広大な智慧とを具えている鏡のように完全に智慧であるから真実の悟りの智慧である「成仏」

これで、それ以来、撹乱され続けてきた。

前半四句で、即身を、説き、後半の四句で、成仏を説く。

前半は、即身成仏が可能になる原理を説き、後半は、仏の悟りに達した、境地を説く。

実は、裏技がある。

仏になるというのは、われわれは、元から、仏の素質、いや、仏なのであるから、即身成仏が可能となるというのは、本来、われわれは、すでに、仏と同質であるという、前提がある。
これを、本来成仏、という。

言わせておけば、いい気になって、である。

彼らは、何とでも、言う。
りんごは、みかんからは、出ない。
仏は、仏からしか、出ない。
人間が、仏になるのは、本来、仏であるから、だ、である。

空海は、凱旋するように、死んだ。
運である。

最澄は、論争の中で、死んだ、
運である。

その、論争相手は、法相宗の、徳一である。
つまり、最澄は、悉皆成仏。
人は、皆、仏になるという。

徳一は、三蔵法師玄奘の、絶対仏になれない、人間がいるとの、教義を、掲げた。

それを、無性という。
いずれ、それについては、書くことにする。

ちなみに、空海は、六つの、原理を、言うが、後に出た、かくばん、という、密教家は、五つとした。
六でも、五でも、ペテンであるから、どちらでもいい。

かくばん、に、関しては、論じるほどのものでなし。
省略。
今でも、霊界で、迷っているらしい。


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2009年07月23日

悲しみを飲み込んだハノイへ 8

ハノイ最後の夜、私たちは、食事をする前に、ホテル近くの、英霊を奉る、廟に詣でた。

早速、そこのおじさんが出て来た。
約9000名の死者の名前が、刻まれた壁の前に、焼香台が置かれてある。

線香代金として、5000ドンを箱に入れた。

おじさんが、火をくれるので、線香に火をつける。
そして、線香を両手で、はさみ、黙祷を捧げた。

この近所だけで、9千人の戦争犠牲者が出たということは、驚きである。
どんなに、凄まじい戦争だったのか。

アメリカとのベトナム戦争の後も、インドシナ戦争は、続いた。


しかし、あの戦争は、米国への抵抗戦争だったとはいえ、一面ではヴェトナム人同士の戦争、同胞相撃つ戦争だった。人民軍は勝った。その兵士たちは勇者の中の勇者だった。勇者はつねに心優しい。また勇者は怨まない。彼らは、敗れた側の人々を憎まず、むしろ憐れんでいた。そういう人民軍兵士たちにとっては、心ならずもサイゴン政権のもとに生きていた人々との和解に水をさすような拡声器の文句は、いささか耳ざわりなものだったようだ。彼らはそれらをブラック・ジョークに仕立てて、長旅の憂さ晴らしに役立てていた。
戦争の悲しみ バオ・ニン

懐かしいハノイの旧市街が近づくと、キエンの心も沸き立ってきた。香りのいい雲のてっぺんを駆けているような気分になった。涙が出て、両目がぼやけた。生きて家に帰れる!叶えられそうになかった帰郷の夢が叶えられる!
戦争の悲しみ 


だが、この七九年初頭、ハノイの町々は、攻仏独立戦争や抗米戦争の時期ほどでないにしても、ごく自然な市民多数の愛国心と英雄主義によって、かなり高揚した空気に包まれていた。新たな戦争が始まろうとしていた。ヴェトナム人民軍がカンボジアのポル・ポト政権を倒した結果、ポル・ポト政権の同盟者だった中国がヴェトナム北部国境を破ろうとしていたのである。
戦争の悲しみ

北部国境の状況について、熱のこもった議論が絶えなかった。誰もが中国の脅威を感じていた。カンボジアの代理政権をわが国につぶされた中国が黙っているはずがない、中国軍の侵攻は時間の問題だ、彼らは必ず来る・・・・。それはドンダーの決戦から二世紀にわたって薄れていた悪夢の再現だった。
戦争の悲しみ

ヴェトナム人の「好戦性」とやらを口にする一部の外国知識人は根本的に誤解している。戦争を強いられれば、この民族は仕方なく戦う。敵が手を引くまで戦う。だが、それは戦争を好んでいることをけっして意味しない。俺がその証拠だ、とキエンは思った。俺は勇敢だった。しかし、その俺が、戦争を好んだなんてことがあるだろうか。そんなことは一度だってなかった。あの戦争、俺の戦った戦争は、この国の庶民に千年も続くほどの苦痛をもたらしたのだった。もういい、戦争はもういい・・・・
戦争の悲しみ

日本人の感性として、あはれ、というしかない、ベトナム兵士の思いである。

誰も好きで、戦争をするのではない。
病むに病まれず、愛国心、祖国愛、戦わなければ、済まない状況に追い込まれての、兵士である。

私が、中学の頃、マスコミでは、ベトナム戦争反対の、反戦デモの様子を、報道していた。
その時に、小田実という人の、名を知った。

今、その反戦デモの時代の人は、六十を過ぎているはず。
学生運動も、盛んだった。

そして、ベトナム戦争終結に、彼らは、涙を流したはずである。
しかし、ベトナム戦争を終結させたのは、他ならぬ、ベトナム人であり、デモは、単なるデモンストレーションだった。

その彼らが、ベトナム戦争後に、何をしたのか、である。
戦争の遠くから、戦争反対を、叫ぶことも、大切だが、戦争後に、それほど声を大にしたならば、その後の、ベトナムの人々に、何をしたのか。

彼らは、結果、内輪での、戦いに走り、内ゲバなどに、明け暮れた。
ベトナム戦争を山車にして、自己解放と、自己満足を、行為しただけである。

戦争後に、どれだけの人が、ベトナム戦争犠牲者のために、慰霊に出掛けたか。

ベトナム戦争は、この国の庶民に、千年も続くほどの苦痛をもたらしたのだと、バオ・ニンは、書く。

戦争を、自分の問題として、取り上げた時、はじめて、平和というものを、考える素地が出来る。

私が、太平洋戦争の犠牲者の、追悼慰霊を、始めるきっかけは、幽霊が出るというものだった。
それでは、せめて、幽霊にならないために、追悼慰霊をしたいと思ったのである。
ところが、戦争というものを、勉強してみると、凄まじいばかりの、人間の生き様である。

もはや、太平洋戦争のみではない。
様々な、戦争に関して、私は、注意して、調べるようになった。

そして、更に、このままでは、いけない。
霊位に対しての、所作が、必要だと、考えたのは、日本人だからである。

日本人は、霊位に対して、見事な、所作を、作り上げた。
言霊、音霊の所作である。

次元を移動させるべくの、所作である。

日本には、宗教は無いが、霊位に対する、所作がある。
よって、宗教が必要無い民族となった。

それが、伝統行為である、カム送り、カム上がりという、所作である。

人は、人として、霊位に戻る。
それを、命、みこと、と呼ぶ。
命、という文字を、みこと、と、呼ばせている配慮は、素晴らしい感性である。
亡き人に、命、あり、なのである。
世界に類を見ない、死者への、所作である。

神仏は妄想である 253

最澄の曖昧さは、具体的に、どのようにして、即身成仏するのかという、方法が、説かれていないこと。
ゆえに、今でも、天台宗は、迷い続けている。

その後、天台宗は、密教化したが、曖昧なまま。
更に、禅、念仏などを、取り入れた。
しかし、今でも、不十分であることは、明らかである。

要するに、最澄は、ただ、勘違いしたのである。
その、勘違いに気づかぬままに、死んだ。
そして、どうなったのかを、誰も、言わない。

果たして、最澄は、成仏したのか。

していない。
何故なら、成仏というのは、観念であり、事実ではない。

さて、院政時代から、仏教が、次第に大衆化してゆく。
在家信者にも、可能な、密教の形態が、発展する。

その頃から、死者供養のために、五輪の塔を建てるようになる。
そうなると、即身成仏は、生前成仏とは、限らなくなる。
死後の成仏の可能性まで、広がる。

最澄は、苦し紛れに、現世だけではなく、三回の生まれ変わりの間で、成仏すれば、即身成仏であるという。そこまで、即身成仏に捉われたのは、何故か。空海に、対する思いである。
何とか、空海に、対決する、対処する、考え方をと、思ったのである。

その後、即身成仏という、考え方、観念、思想は、仏教の、死者供養の、重要な思想的源流となったことは、否めない。

この馬鹿馬鹿しさと共に、戒名などという、呆れた、形式が、出来上がってくる。

戒名とは、別名、仏弟子であるということの、名である。

意味もあるし、意味も、無い。

在家の信者に、戒名を与えるというのは、単なる商売である。

何でも無いものを、無用なものを、金にならないものを、売るのが、宗教である。

実に、馬鹿馬鹿しいのは、空海は、即身成仏したのであるから、死んだわけではなく、高野山で、禅定に入ったまま、弥勒仏の出現を待っているとの、アホらしい、伝説を生んだ。ところが、それを、本当に信じて、今でも、空海は、生きていると、高野山では、言う。

ある人は、
通常の死がじつは「死」ではなく、永遠の仏としての「生」であるという逆説的な信仰である。
と、言う。

つまり、永遠の、生の思想は、実は、裏返せば、死の思想である。

天才的詐欺師である、空海は、更に、壮大な、創作話を作る。

声字実相義、である。

身・口・意、の、三蜜のうち、口蜜の観点から、言葉の根源を論じたものである。

馬鹿な新興宗教の、真如苑では、この三蜜を、天台蜜、真言蜜、そして、我らの、真如蜜だと、教えている。
全く、論外である。

更に、とんでもない、教義を作り上げ、更に、霊能者養成まで、やっているという、馬鹿さ加減は、救いようがないが、信者は、救われていると、信じきるという、アホさ加減。
騙す方も、騙される方も、終わっている。

真言、陀羅尼といえば、呪文である。
空海は、それを、密教独自の法として、提案した。

兎に角、他宗派への、牽制である。

法身説法である。

その、法身は、最奥究極の仏そのものであり、衆生の能力などには、お構いなしに、根本の真実を直接説くという。

その、法身の根源的な本体が、六大である。
六大が、説く、言葉こそ、最も根源的な、説法である。

声字実相義では、その具体的な、姿を説くのである。

それは、自然の語り出す音であり、地獄から、あらゆる衆生が語りだす言葉である。

五大にみな響きあり
十界が言葉を具えている
六塵はことごとく文字である
法身はそのまま実相である

要するに、すべてが、仏の真理を語るというのである。
音という音すべてが、仏を、語る。
そして、それが、法身による、実相の開顕だというのである。

ある人は、
汎神論とも言ってよい自然説法の主張は、日本人の自然観にマッチするところが大きく、後に修験道などにも取り入れられて、広く普及することになる。また、あらゆる感覚的な事象がすべて仏として説法するという発想からは、感覚的な表現を重んじ、さまざまな造形芸術や、壮麗な儀礼を発展させることになる。
と、言う。

だが、しかし、自然の音が、そのまま、仏の説法だと単純に、解釈できないところが、空海の狙いである。
まだまだ、一層、深い深い奥に、隠されているという、ペテンの様。

生死の闇は、どうしても、こうしても、消えるものではない。
どこまでも、仏の声を求めて、追記せざるを得ないのである。
終わらない旅なのである。


ある人は、
矛盾に満ちた密教の世界を通俗化すると、きわめて日本的に受容されやすい汎神論に形を変ずる。密教の深遠さと、それが通俗化したときの分かりやすさと、その両方を併せ持つところに空海の天才的な見事さがある。両立不可能な矛盾を抜け抜けと両立させて平然としているところに、空海の巨大さと恐ろしさがあるのである。
と、言う。

単なる、こけおどしである。

何のことは無い。

古今集の、紀貫之の、序文を読めば、そんなことは、一発で、解る。

空海は、日本の言霊を、密教化したたけである。

それを、偉大な創作として、見せたところが、詐欺師の、天才的なところである。

嘘は、大きければ、大きいほど、信憑性があるということ。
これで、お解かりだろう。


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2009年07月24日

悲しみを飲み込んだハノイへ 9

最後の夜の食事といっても、つつましいものだった。
それぞれが、焼き飯を、注文した。
私は、豚肉の、コータは、鶏肉の焼き飯である。

そして、折角だからと、ベトナム春巻きを頼んだ。
二種類である。
生春巻きだと思っていたが、出てきたのは、揚げ物の春巻きだった。
だが、美味しかった。

飲み物は、水である。
とうてい、アルコールなどは、飲めない。
日本では、毎晩、日本酒を飲む私も、全く、欲しない。

明日の朝が、早いので、食べて、そのままホテルに戻った。

だが、まだ、八時前である。

もう少し、ハノイの夜をと、思い、マッサージを受けることにした。
コータは、部屋にいるという。

実は、一度、二人で、最初の日に、フットマッサージを受けている。

小路を入った、小さなマッサージ店である。

一時間、60000ドンである。約、250円。
ところが、終わると、マッサージ嬢が、チップを求めてきた。
私は、10000ドン、約30円を出した。
すると、その嬢は、50000ドンと、要求した。

日本円にすると、たいしたことはないが、要求されると、ムッとくる。
だが、私は、彼女が、フエ近くの田舎から出てきて、働いていることを聞いた。
大変だろうと思い、黙って、五万ドンを渡した。

二人分だから、10万ドンである。約、500円。

別の店の、フットマッサージの価格を見ると、一万ドンであった。
そこで、私は、その店に入り、チップは、いるのかと、尋ねた。
いらないと、答える。
つまり、あの店は、最初から安くしているが、チップで、儲けるべくの、システムだった。

勿論、地元の人には、通用しない。
観光客だから、通用する。

さて、私は、食後の、マッサージに出た。
夜であり、皆目検討がつかない、街の中で、マッサージの店を探した。

一軒のビルの、三階に、マッサージがある。
そこに、上がった。

価格を見ると、20ドルである。
その時、私は、何を勘違いしたのか、安いと、思った。
20ドルは、二千円である。40万ドンになる。

実に、高い料金であるが、勘違いは、後で気づく。
一時間、20ドルを払い、個室に案内された。

嬢が出て来て、サウナを勧めるので、言われた通り、衣服を脱いで、サウナに、向かった。
ミストサウナで、霧のような中で、汗を流す。
すると、嬢が、足湯を持って来た。
それに、足を浸す。
その時、日本人かと、尋ねられた。ジャパニーズと答えると、彼女は、にこやかに頷いた。

ある程度、体が温まり、私は、サウナ室を出た。
そして、個室での、マッサージである。

マッサージは、オイルだった。
そこまでは、良かった。

うつ伏せになり、背中をマッサージするが、今ひとつ、物足りない。
ただ、撫でているだけである。

気づくのが、遅かった。

単なる、マッサージではないことが、解った。

仰向けになると、バスタオルを取り除いたのである。
全裸である。

嬢は、私の股間に、オイルをつけた手を置く。
そして、言った、チップ50ドルと。

矢張り、これは、違う。

ノー、いやいや、違う、マッサージオンリー
しかし、通じない。
50ドルは、破格のチップである。

それで、私は、少し面白半分に、チップは、20ドルと言った。しかし、彼女は、ノー、日本人は、50ドルというと、60ドルも、70ドルも、くれるという。

なんということか。

それで、最初、日本人かと、聞いたのだ。

無理無理、ノー、と、私は、言った。
しかし、彼女は、ひるまずに、私の股間を刺激した。

普通なら、激怒する私は、抑えて、静かに、日本語で、無理だ、無理だと、言った。そして、ノー。マッサージオンリーと言った。

すると、彼女は、40ドルでいいと、言う。
それでも、無理だ。

私は、PD筋を使い、彼女の刺激に、反応しないように、した。
彼女は、刺激すると、男は、反応すると、思い込んでいる。

激しい、股間への、マッサージが続いた。
それでも、私が反応しないので、彼女は、30ドルと、言う。

とんでもない、所に来たものだと、思った。

これは、セクッシャルマッサージである。
要するに、手コキといい、射精させて、チップを取るという、マッサージである。

さて、私は、どうしたら、彼女に、伝えられるかと、腕を示して、マッサージと言った。彼女は、渋々、腕をマッサージする。
しかし、左足のマッサージが、残っている。

左足のマッサージがはじまった。
すると、更に、股間に手を延ばして、20ドル、オッケーと言う。

50ドルから、20ドルに落ちたが、私には、大変な、金額である。
つまり、20ドルのマッサージ料金と、チップで、40ドルとなるのである。

それは、四千円である。一万円が、190万ドンであるから、大金である。

トラブルを起こしたくないと、私は、一時間のマッサージを終えるのを、待った。

ワンアワー、オッケー
そう、もう一時間を過ぎる。

彼女は、オッケーと、渋々言う。
私は、急いで、衣服を着て、個室を出ようとした。
すると、彼女が、私に、ぴったりと寄り添い、チップと言う。
私は、彼女を、ゆっくりと、解いて、一目散に、出口に向かった。

すると、彼女は、アーとも、ウーとも、エーともつかない、形容し難い声を上げて、仲間の居場所に走った。
私は、追いかけられると思い、急いで、階段を駆け下りた。そして、ホテルに急ぎ足で、向かった。

男は、刺激すると反応するという観念と、日本人は、チップを多くくれるという、観念を打ち破ったと、私は、思った。

実に、嫌な気分の、マッサージだった。
だが、最初の、20ドルということに、気づけば、解ることだったが、ドンの、ゼロの多さに、勘違いしたのである。

20ドルは、安いと、思い込んだのが、間違いだった。

これは、マッサージの顛末である。

部屋に戻って、コータに話すと、年だから、狙われたのだという。
金を持っていると、思われたのだというが、いや、私が、誤って入ったことが、誤りだったのだ。

ハノイの人は、毅然としているが、田舎から出てきた人は、何とか、金にするべく、努力奮闘しているということである。
これも、生きるためである。

ちなみに、PC筋については、性について、というエッセイで紹介している。勃起を自由自在に司る、筋肉である。

神仏は妄想である 254

ここで、再度、インドの、文化背景から、密教というものを、俯瞰する。

約五千年前、インダス河の渓谷に、ハラッパ、モヘンジョダロなどの、高度に発達した、文明が栄えた。
その遺跡から、インダス渓谷文明が、紀元前三千年ころの、インド最古の文明であることが、歴史的証拠として、明らかにされた。

ハラッパ文明が、発掘されて、シャクティ信仰と、シヴァ信仰が、古代インド人の基盤となっていたことが、解った。

その二つの、信仰から、タントラ信仰の二つの面が、解る。

特に、その崇拝の中心が、女性像であることから、インドでは、シャクティ崇拝、女神信仰が、極めて古いものであること。それは、地母神からはじまり、シヴァ信仰とも、密接に関わる。
そして、この二つの、信仰の中に、タントラ行法が、様々な形で、行われていた。

多くの女神像、ヨーガの姿勢で座るシヴァ神とみられる、神の印章が数多く発見された。

シヴァ信仰は、タントラ行者が、リンガ、つまり、男根、ペニスである、それを、シンボルにして、崇拝するという。

タントラの、行法と、神秘主義が、接近し、紀元前1500年頃に、アーリア民族が、後期ヴェーダ文化の思想と、信仰に、大きな影響を与えている。

インダス文明は、その頃に、滅びたのではなく、インド人の生活中に、脈々と、伝えられ、吸収させていった。

今日残る、文献を見ても、アーリア族は、思考、感情も、優れていたといえる。

ヨーガ哲学の、分野でも、彼らは、今日まで人類が高めた、最高峰に達していたといえる。

紀元前1500年頃まで作られた、ヒンドゥー教最古の、リグ・ヴェーダ、では、人間の魂の、目覚めの知識、宇宙の神秘をめぐる永遠の問いが、なされている。

さらに、ウパニシャドという、秘伝書である。
そこでは、人間の魂が、もともと神でありながら、運命に従う点を、見事な方法で、分析する。
究極的な真理を探究しつつ、魂を引き上げ、生と死、エネルギーと物質などを、真理と一体化しようとしている。

仏教においても、それらを無視することなく、普通の宗教行事を、幅広く取り入れていった。

アショーカ王による、仏教の国教化、その後の、紀元前二世紀頃も、仏教熱が、インド人の生活に取り入れられた。

文化の影響力として、仏教は、アショーカ王の時代から、数世紀の間は、力があったが、バラモン教が、ヒンドゥー教として、復活し、隆盛を見る前兆に際して、仏教は、再び、新たな、打開策を見つけださなければならない、ところまで、追い詰められた。

仏教の大乗派の、登場である。

仏陀生誕の地で、勢力を失いつつ、その影響を、インドのガンジス川以外の、国々で、教線を広げていった。

それは、インド美術と、共に、である。

例えば、中央アジアの、トゥルファンや高昌、チベット、中国、朝鮮、そして、日本へ。
アフガニスタンの国教にある、バーミヤン、ハッダの洞窟彫刻、カシガール、ヤルカンド、コータンの町々。
スリランカ、ビルマ、タイ、カンボジアの、アンコール、インドネシアのボロブドールなどである。

さて、密教形成の元には、タントラがある。

この、タントラについて、俯瞰する。

インドの文化の基盤を理解する上でも、タントラ理解は、欠かせないのである。

すべての、宗教に、哲学や、思想に、タントラは、多大な影響を与えた。
タントラの世界を知ることは、密教を知る上で、特に必要な、教養である。

タントラとは、精神的な知識を示す、サンスクリット語の、広げるという意味を持つ、言葉から出た。

知識を広げる、つまり、己に目覚めるための、知識を身につけるという意味である。

更に、タントラは、宗教ではない。

それは人生体験であるとともに、人間がもって生まれた精神的な力を引き出す方法であり、体系なのである。
アジット・ムケルジー タントラ 東洋の知恵

タントラの教えは、先住民族である古代インド人に知られていた。
更に、タントラの意味を、考えると、インド・アーリヤン系に起源を持ち、古代インドの伝統の中にある。
伝統である。
決して、宗教ではない。

更に発展し、紀元前1500年頃にできた、バラモン経典、ヴェーダ文学と関係深く、タントラの儀礼には、ヴェーダの行法に起源をもつものもある。
このタントラ儀礼が、インド哲学の基礎にもなるのである。

この、タントラが、形式を持つのは、ヒンドゥー教、仏教にも見られる。
そして、様々に、発展生成していった。

ウパニシャドの秘伝書、ヨーガ、仏教の影響を受けつつ、インド、中世期、八世紀から、十世紀までに、完全な展開をすることになる。完成といっても、いい。

ここで、確認しておくが、伝統によって、宗教も、支えられてあるということである。
伝統に支えられない宗教とは、今で言う、新興宗教、あるいは、新宗教である。

単に、どこからかの、教義を、少しばかり、変形して、教祖が生まれる。
そこには、伝統を、有することは無い。
つまり、出来損ないの、宗教なのである。
そして、商売としか、言いようが無い。

私が、何より、重んじるのは、伝統である。
それは、民族の有意義な幻想であり、民族を生かす、共同幻想となり、必要不可欠な幻想となるのである。


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2009年07月25日

悲しみを飲み込んだハノイへ 10

キエンにとっては、死んだ兵士たちは、影のように輪郭はおぼろながら、生者よりもずっと意味のある存在だった。彼らはいつも孤独で、物静かだった。
死者たちの多くは、目に見える形よりも、音で存在を示すのだった。ジャングルで遺体収集に努めていたMIA捜査隊員たちは、しばしば死者たちの奏でる楽器の音や歌声を聴いたと語っていた。彼らは、ある夜、アセッション・バスの麓の原始林で、老いを知らぬ巨木のざわめきにまじって、誰かがギターを巧みに爪弾きながら歌うのを聴いた。
「ああ栄光の歳月よ、ああ終わりなき苦しみよ・・・・」
名も知れぬその歌の、陰々滅々とした単調なトーンに、その場にいた全員が立ちすくんだ。歌詞も曲も、隊員それぞれの耳に違って聞えたが、夜ごとに聞えるということには違いはなかった。彼らは歌声に導かれてジャングルを歩きまわり、ある日ついに綿布に包まれて浅く埋められた遺骨を発見した。骨はぼろぼろに朽ちていた。そばには手製のギターが、まだ壊れずにころがっていた。
隊員たちの聴いた歌は、たしかに白骨の主の亡霊の歌だったのか。
それは誰にもわからない。だが、次のことは確かな事実だ。班員たちが骨を掘り出し、ちゃんとした墓をつくって埋葬し直したとき、真っ昼間というのに例の哀しい歌声がまた聞えた。それは森全体にこだまするようだった。以後、その歌声を耳にした者は一人もいない。
こういう話は、戦場にはざらにころがっていた。無名の戦死者の一人一人、遺骨の一体一体が怪談の種になった。それらの怪談は、抗米戦争の兵士たちを主人公とする一種の民話となって、真偽にかかわりなく各地に広がっていった。
戦争の悲しみ

朝、五時に起きて、出発する準備をする。
タクシーは、六時まで来るはずだった。
窓から、タクシーが来たかどうかを、確認しつつ、私は、部屋で、休んでいた。

まだ、荷物は、あった。
一つのバッグの衣類は、ホーチミンで、差し上げるもので、それは、帰りの道行きだった。

荷物を下に降ろすと、玄関に、従業員が寝ていた。
それは、夜間の、セーフティのためだろう。
悪いと思いつつ、荷物をまとめていると、彼は目覚めた。
そして、すぐに、玄関のシャッターを開けた。

タクシーは、すぐに来た。
すると、奥から、私たちを、受付した、お兄さんが出て来た。
ありかとうございますと、英語で言う。
また、ハノイに来たら、ここに泊まりますと、私は言って、スィアゲンと、別れた。

朝は、車が空いていた。
街から出るのも、スムーズだった。
街から、空港までの、距離が長いのが、難である。しかし、成田のことを思えば、ましである。

運転手の、お兄さんと、色々と話しをした。
私は、ロンビエン橋の付近のことを、聞いた。
ガイドブックでは、夜間は、危ないので、注意せよとあったので、どういう場所かを、尋ねてみた。

何のことはない。
そこは、女装をした男たちが、集まるという。
えっー
ハノイでも、レディボーイがいるの
います、います
それでは、ゲイは
います、います、でも、タイほどではない

体を売るということ
そうです

聞いてみなければ、解らない、見てみなければ、解らない。
私は、旅をはじめてから、本当に、そう思うようになった。

彼は、ホーチミンに仕事を探して行く、若者のことを、話したが、彼は、ホーチミンに行く気はないと言った。
経済的には、ホーチミンの方が活気があるとは、認めつつ、ハノイの方が、いいという。

コータが、ハノイの町は、きれいだと言うと、ありがとうと、答えた。
皆、自発的に、掃除をしているんですねー
そうです
決め事があるんですか
いや、ないです

本当に、ハノイの街中は、ゴミが少なかった。

空港に到着した。
野原に、突然、空港が現れるといった、感じた。

すでに、15ドルをホテルに支払っているので、彼とは、それで、お別れである。

空港に入る前に、私の目に入ったのは、女の子たち、八名の姿である。
女の子たちは、ペットボトルを集めていた。
どうみても、それは、普通の家庭の子供たちではない。

まず、チェックインするために、急いだが、バンコク行きの、受付は、まだだといわれて、私たちは、カウンターのある、カフエに入った。

そして、私は、コーヒーを頼んだまま、女の子たちと、話をするために、外に出た。

彼女たちは、時々、ばらばら、時々、まとまっていた。

一人の女の子が、紙に包んだ、ご飯を皆に、差し出して、皆が、そこに、手を伸ばして、食べていた。

ハローと、声を掛けると、ハローと、答える。
英語で、話した。すると、ペラペラ英語を話す子がいる。
皆は、友達なの
そうよ
ここで、何をしているの
ペットボトルを集めている
学校に行くの
行く
と、答えたが、さて、本当かどうかは、解らない。
中には、汚れたシャツを着ている子もいる。

だが、悲壮感は、無い、皆、楽しそうである。

そこで、私は、一枚のテーシャツを、汚れたシャツを着ている子に、渡そうと、戻った。
そして、それを持って、その子に、渡そうとすると、いらないと言う。傍にいた子も、拒否の手を振る。

受け取らないのである。
それは、確認済みなので、もう驚かない。
こんな、境遇にあっても、ハノイの精神が生きているのである。

だが、私が、ペットボトルの水を飲んでいると、それが、欲しいと、追いかけて来た。更に、彼女たちは、私が、出国ゲートに向かう時、手を振った。
コータが、教えてくれた。

皆が、私に向かって手を振っていた。
何かが、通じた。

次に来た時は、知らない人ではなくなったので、受け取ってくれるだろうと、思えた。そして、彼女たちの、生活について、もっと、よく聞いてみたいと、思った。


神仏は妄想である 255

タントラの教えは、非アーリア系の先住民族である、古代インド人に、知られていたものである。

紀元前3000年頃の、インダス文明に属する、ハラッパ文化の中に、ヨーガのポーズや、女神崇拝像が、見られる。
それは、インド・アーリアン系に起源をもち、古代インドの伝統の中心を、なしていたといえる。

更に、紀元前1500年頃にできた、バラモン経典、ヴェーダ文学と密接な関係があり、タントラの儀式には、ヴェーダの、行法に起源をもつものもある。

更に、タントラ儀式が、多くのインド哲学の基礎にもなっているのである。

タントラ形式をもったものは、ヒンドゥー教にも、仏教にも、見られる。

更に、タントラの形式が、生成発展してゆくことで、ウパニシャドの秘伝書や、ヨーガ、そして、仏教などの思想的影響を受けつつ、インド、中世前期、八世紀から、十世紀までに、完全な形、展開になるのである。

ほとんどの、タントラの聖典には、著者がいない。
その聖典の種類は、実に、膨大である。
更に、大幅に違いがあっても、聖なる御言葉という意味の、アーガマとか、二ガマと、呼ばれる。

ヒンドゥー教や、仏教には、早くから文献があるが、タントラの行法ができたのは、聖典ができるよりも、古い。

文字で書かれた最古の、タントラ聖典ができたのは、西暦のはじめ頃であるが、成立が遅いものは、18世紀まで、年代が下がるものもある。

一つのタントラ聖典には、様々な時代の、考え方が付け加えられている。そのため、時代を特定するのは、難しいといわれる。

この、タントラの影響は、インドに留まらず、文献としてみると、世界各地、特に、ネパール、チベット、中国、日本、東南アジアの地域に広がり、地中海文化にも、及んだ。

タントラとは、己に目覚めるための、現実的方法である。
能力に応じて、様々な人間の、要求に見合った方法が、取られた。

目指す目的は同じでも、各人が、それぞれ、独自の方法で、邁進するという、自由がある。更に、自由といっても、束縛を否定するわけではない。積極的に、目覚めるという意味での、自由と、束縛である。

そして、目覚めることにより、宇宙に満ち溢れた普遍的な知識を、身につける事が出来るという。

タントラは、人生の目的や価値に気づかせるために、精神と肉体の、両面にわたる、理論と実践を展開してきたのである。

タントラは、原子理論や、時間・空間の関係や、天体観察や、宇宙論、そしてまた手相学、占星術、化学、錬金術などを高度な水準にまでひきあげ、磨きあげてきた。宇宙の原子理論をタントラが発展させたのは、大変早い時期である。
タントラ 東洋の知恵 アジット・ムケルジー

タントラによれば、宇宙は、オームという、単音節のマントラのような、基本音から、展開してきたという。
宇宙で、見たり感じたりする物体は、すべて、震動を凝縮した音なのであると、なる。

その、震動の一歩進んだ段階で、原子が誕生する。
宇宙は、たえず生成し、分解し、再び、生成すると考える原子集団から成ると、捉える。

そして、人間が、自分の体の、どこに、霊魂の中枢があるのかを、見出すことも、抽象的なシンボルを通して、様々なヨーガの行をすることも、すべて、タントラに則るのである。

タントラは、さまざまな形で現れる大自然や人生に、現実重視の要素をもちこんだという意味で、他に類を見ない。どのような形で顕われている大自然であれ、人生であれ、人間がおのれに目覚める上で役に立たぬものはない。
ムケルジー

その、タントラの人体星宿図を見ると、人間の肉体を、霊魂を発展させる最も強力な道具と見なすのである。
人間というものは、宇宙のミクロな次元を、肉体という枠組みの中に秘めていると、考える。

その図は、人体と天文現象との密接な関係を示す。
人体各部に記されたシンボルは、小宇宙としての、個々の人間に、天体が、どのように影響しているのかを、図にしたものである。

腕には、肩先から、太陽、月、火星、水星、木星、金星、土星、羅喉星、計都星の記号がある。
もう一方の、腕の符号は、月の二十七星群を表す。
九つの惑星と、太陽系の十二の星宿とともに、世界の人間の運命を支配している、弓なりになった人間の肉体は、絶えず、天体のエネルギーの流れに、反応する一つの、壮大な活力に満ちた大宇宙を表し、その宇宙本来の広大な網の目から、逃れることはできないと、する。

タントラによれば、この世に顕れるものは、すべて、プルシャという、男性原理と、プラクリティ、または、シャクティという、女性原理からなる、二元論である。

そこでは、男女の交合が、シヴァ神と、シャクティとの、創造的な結合まで高められるという、思想として、説かれる。

ありとあらゆるものに宿る、シヴァとシャクティは、火のように激しい抱擁、交合の結果、最高の非二元性、それを、解脱という、無二の悦楽の中で、ただ一つの原理となる。

単に、この、考え方が、誤解されて、交合ヨーガ、つまり、セックスヨーガとか、処女崇拝などの儀礼と、された。
呪術と性などという、解説するものもある。

タントラには教義といったものはなく、それはむしろ新しい世界観の誕生と考えられるべきなのである。
ムケルジー

更に、ムケルジーは、
タントラは、幅の広い人間観を大局的に説き、一切を包括した思考システムと経験に裏打ちされた技法をもって、人間それぞれの霊魂の根源を創造的に目覚めさせようとする。そこにタントラの今日的価値もあるといえよう。
と、言う。

密教発生に、大きな影響を与えた、タントラの思想を、詳しく見ることによって、密教の誇大妄想の様が、理解される。

自然発生的に、生まれたインド思想である、タントラの、究極は、性である。
シヴァと、シャクティに、表現されるように、二元論、男と女、ペニスと、ヴァギナによる、世界生成、宇宙生成のお話なのである。

そこから、始まり、そして、そこに、戻る思想が、タントラである。
しばし、タントラの、世界や宇宙、生物、無生物、生命、人間、更には、霊魂というものを、どのように、考えるのかを、見ることにする。

それは、人間の、妄想性を、見ることにもなるのである。


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2009年07月26日

悲しみを飲み込んだハノイへ 11

バンコクでは、二泊の予定である。
コータが、タイ語習得のために、二ヶ月滞在する、アパートを探し、更に、学校の入学手続きをする目的もあった。

スクンゥットの繁華街のゲストハウスは、改装工事中だった。
駄目かと、思いつつ、フロントへ。
使用している部屋がある。
ところが、500バーツが、600バーツに値上がりしている。

半分改装、半分は、使用していた。
全く、収入が無いのが、大変なのだろう。

何度も、使っているので、皆さんとは、顔馴染みである。
だが、聞いていないことも多々あった。
今回は、益々、そのゲストハウスの、皆さんと、親しくなった。

まず、フロントのおばさんの娘が、大学で、日本語専攻であり、娘は、日本語が出来るということが、解った。
それで、大変親日なのである。

私たちは、従業員の台所を使っていいですよと、言われた。
そこで、コーヒーなど、自由に飲むことが出来る。

私たちは、早速、コーヒーを煎れて、部屋にカップを持って、飲んだ。
値段が高くなった分の、サービスだったのかもしれない。

荷物は、大幅に減っていた。
支援物資のバッグは、あと、一つである。

それが、何と、矢張り、聞いてみなければ、解らない。

翌朝、ベッドメークに来た、おばさんたちと、話を始めた。
そして、そこには、九名のミャンマー・マンダレーから、出稼ぎに来ている人がいると、知った。
要するに、従業員が、皆、ビルマ人なのである。

彼らの、一ヶ月の給料は、5000バーツである。
それでは、生活することは、出来ない。
約、15000円である。

皆で、部屋を借りて、生活しても、大変な暮らしである。
その中で、お金を貯めて、マンダレーの家に送るとしても、僅かな額である。
それで、一人のおばさんが、チップが、頼りですと、言った。

支援物資の、バッグには、大人物が入っている。
私は、思い切って、衣類はあるが、必要ですかと、尋ねた。
すると、皆、欲しいと、言う。
そこで、九名のために、バッグを開けて、ベッドの上に、衣類を乗せた。
好きなものを、取ってくださいと、言った。

皆を呼びに出て、それぞれが、好きな衣類を取る。

男物が、残ったが、仕事のために、ここに来られないので、彼らのために、貰ってもいいかと、聞かれた。
そこで、それらも、すべて、差し上げた。
すべて、無くなった。
これで、支援物資は、何も無くなった。

私は、一度、マンダレーに慰霊に行きますと、言うと、おばさんたちは、合掌して、そうして下さいと、言う。

マンダレーには、日本兵の慰霊碑が、多くあるのを、皆、知っているのだ。

そして、最後に、一人、20バーツのチップを渡した。そこにいた、六名全員にである。
20バーツは、約60円である。それで、屋台売りの、果物を、二つ買うことが、出来る金額である。

ホーチミンで、差し上げるはずだったものを、すべて差し上げて、ホーチミンでは、慰霊のみを、行うことにした。

どこか、清清しい気持ちである。
これで、また、バンコクでの、知り合いが増えた感じ。

安いゲストハウスは、安い労働力に、支えられてあった。
ここは、コータが、連れ込み宿として、教えられたゲストハウスであるが、私たちは、定宿にしている。
これほど安い、ゲストハウスは、この辺では、見つからないのである。

改装工事が終わって、行くのが楽しみである。
今度は、新しくなった部屋に、泊まることになる。

ハウスの、オーナーから、従業員まで、すべての皆さんに、覚えられた、私たちである。
そして、実に親切である。
24時間体制で、フロントが開いているので、安全管理も良い。

その付近は、アラブ人街も近く、レストランが多い。
アラブ料理も食べられる。
私たちは、インドカレーの店が、安くて、旨いので、気に入っていた。
更に、屋台連合のようなタイ料理の、店があり、そこも、安くて、旨い。

路上の屋台売りの、果物から、とうきび、枝豆、焼き芋なども、10バーツから、20バーツで、買えるという、便利さである。

コータが、アパートを探し、学校の入学手続きをしている間、私は、マッサージを受けて、ゆっくりと、休んだ。
マッサージも、一番安い店である。
フットマッサージが、200バーツである。約、600円で、一時間。
オイルマッサージは、300バーツである。他の店では、500バーツである。

その、いつもの、マッサージ嬢に関する話も、聞いてみなければ、解らないことが、判明した。

そこで、働くマッサージ嬢は、皆、イサーンという、東北地方から出て来た、出稼ぎの人たちである。

見て、解り、聞いて、解ることは、旅の醍醐味である。
そして、彼女たちには、私たちの存在は、衣服を配る人という、イメージがある。
観光ではなく、衣服を配るために、来ていると、知っているのである。

2009年07月27日

悲しみを飲み込んだハノイへ 12

いつも行く、マッサージの店の、マッサージ嬢は、23歳である。
イサーン、東北地方から出て来た。

彼女は、10人兄弟がいて、現在は、四人姉妹で、バンコクに暮らす。
下の二人の姉妹が、一緒の店にいて、一番下の妹が、部屋で、家事をしているという。

これは、コータが夜にマッサージに出て、聞いてきた話である。

その中で、彼女と、コータは、共通の話題である、私の話になった。

彼女曰く、あの人は、よくバンコクに来るのだが、英語も、よく解らないし、タイ語も出来ないのは、どうしてなのかと、聞いたらしい。
彼女たちは、英語など、自然と覚えるものと、思っている。
別に、どこかに、習いに行く訳ではない。
必要に迫られて、覚える。

そこで、どうして、私が、英語も、タイ語も出来ないのかという、疑問である。

コータは、覚える気がないからと、言った。

そして、彼女の、話を聞いたコータは、驚いた。

実は、今、恋愛をしているという。
それで、そのことを考えて、今日は、朝から、お腹が痛いと言った。

誰と付き合っているの
アイルランド人
へー、じゃあ、あまり会えないね
そうなの。こっちに来た時だけ
寂しいね
うん。それに、彼に、会いたいし、来て欲しいと、連絡すると、彼は、君は、僕がいなくても、大丈夫と、返事をしてきたという。それが、ショックだった。

コータは、ところで、彼は、幾つなのと、尋ねた。
63歳
えっーーーーー
彼女は、23歳である。
彼は、63歳、ということは、30歳も違う、と、コータは、驚いた。

部屋に戻ったコータは、私に、危ないと、言う。
彼女は、ふけ専だと。
ふけ専とは、年上が好きなタイプである。

あまり、近づくと、深みに嵌まると言う。どうりで、私の話題を出すというのだ。

つまり、タイ人は、年齢など関係ないということ。
いや、今は、世界中が、恋愛には、年は関係ないのだと。

実は、私は、これからの予定は、パタヤに行くと、言った。
そこで、彼女に、パタヤに行ったことは、あるかと、尋ねると、無いと言う。
彼女が、精々、行くのは、バンコクの王宮のお寺である。

そこで、私は、それじゃあ、今度一緒に、パタヤに行こうと言った。何気なく。しかし、それは、彼女に、非常に大きな、影響を与えたらしい。

今まで、パタヤに行こうと言った人は、いないのである。
コータは、だから、私に、気をつけろ、と、言ったのだ。

要するに、彼女は、ふけ専だから、惚れられる可能性があるというものだった。
私は、笑ったが、それもありかもしれないと、思った。

これは、注意すべきだ。
そして、彼女は、来月、私が、もう一度来ると言ったので、その時なら、パタヤに行けると、言ったという。

あららら、である。
少しの社交辞令など、通じない。

次に行く時は、コータのアパートに泊まるので、マッサージ店から、遠い。だから、行くことはないと、少し安堵しているが、言葉には、注意すべきだと、思った。

常識が違う。

さて、翌日、昼にタクシーで、パタヤに向かった。
通常料金は、1500バーツと言われたが、私は、1000バーツの車を探した。そして、高速料金を入れて、1200バーツで、決めた。

パタヤでは、レディボーイショーを観劇する予定である。

コータの知り合いの、ショー出演の、レディボーイが、私たちのために、半額チケットを用意すると、言ったからである。

世界一といわれる、レディーボーイショーであるから、私も、一度、是非見たいと思っていた。

昔は、おかまショーといわれたものが、今では、世界中から、観劇に来る。
その、歴史は、30年という。

30年続けていて、世界的に成り上がったのである。

パタヤには、その、ティファニーショーと共に、もう一軒の大型、レディーボーイショーがある。観光収入の、30パーセントが、そこから出ると、言われるほどである。

一人の、レディボーイからはじまった、ショーは、見事に、成功した。
最初の、ショーは、三人から、始まったという。

私たちは、テラの会活動の他に、それぞれが、テーマを決めて、調査していることがある。
コータは、タイ、東南アジアの、レディボーイの実態であり、私は、児童買春の実態と、ゲイ関係の、ボランティア活動の有り様である。

更に、トランスジェンダーの問題を深めている。

自画自賛する訳ではないが、私たちは、時間を有効に使いたいと、思っている。折角、出掛けているのである。貪欲に、色々な事柄について、興味を持つことだと、思っている。これは、才能である。

コータは、フクションと、ノンフィクションの形をとった形式で、それらを、まとめている。
新しい表現方法だと、私も思っている。

更に、何度も言うが、見なければ解らない、聞かなければ、解らないということが、旅を通して、実感として、解るのである。

想像力は、現実を見て、聞いてから、逞しくするものだと、思っている。

で、あろうとか、ではないか、という、表現は、使いたくない。
その場に足を運んで、ナンボのものである。

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