2009年07月17日

悲しみを飲み込んだハノイへ 2と3の間

この原稿は、2と3の間に、入るものだった。
だが、突然のように、消えた。いや、私が、疲れているのだろうと、思う。書いたのだが、保存をしなかったと、思う。
実は、毎日、微熱が出る。
風邪かと思いきや、熱中症である。つまり、暑い国に出掛けて、慢性的になってしまったようである。
熱中症は、ただただ、水分を補給し、果物を食べることである。か、または、点滴を受けるかである。
私は、点滴の時間が、耐えられないので、水と、果物を食べる。
順番が、交わるが、許していただきたい。



翌日の朝、ホテルのフロントの男から、昼間は、気温が凄く高くなるといわれて、私たちは、朝のうちに、ハノイの街中で、支援物資を手渡してみようと、思った。

まず、男の子に、ミニカーを渡して、手応えをと、考えた。

早速、朝七時過ぎの、ハノイの街中に出た。
ホテルから歩いて、もう、すぐに繁華街である。

ホテルから、数分の場所に、ホアンキムエ湖がある。
そこを通った。
すると、周辺には、大勢の人である。
何をしているのかと、思いきや、体操、太極拳、ダンスなど、自由に、体を動かす人たちである。

この光景は、上海を思い出させた。
15年以上前に、一人で、上海に行き、バンド地区の、川べりで、皆々、太極拳などをしていたのを、思い出した。

さて、のんびりしていられないと、大聖堂を目指して歩く。

まず、物売りの男の子を見つけたので、早速、ミニカーを取り出して、差し上げた。が、その子は、受け取らないのである。
ノーと、言われた。

驚いた。
そんなことは、今までになかった。

次に、父親と、道端で食事をしていた、男の子に、渡した。すると、すんなりと、受け取ってくれた。父親が、サンキューと礼を言う。

次に、母親と、祖母と一緒にいた子に、差し上げるために、ミニカーを出すと、ノーと母親に言われた。祖母も、いらないと、首を振る。

はて、どういうことか。

更に、子供を捜して、渡してみた。
そこで、半々の割合で、貰う子、拒否する子がいた。

どうも、意味が解らない。
その意味は、後で知る。

私たちは、よく、歩いた。

ハノイの街中には、細い小路が、沢山有る。
その一つに、興味半分で入ってみた。

そんな小路の中でも、商売をしている人がいる。
行き止まりまで、歩いてみた。

すると、扉が開いている、建物に行き着いた。
その中に、入る。

雰囲気が違う。
普通の建物ではない。
壁一面に、何か書かれている。

人の名である。
なんだろうと、奥まで入る。
写真がある。焼香台がある。
つまり、納骨堂か・・・

いや、単なる納骨堂ではない。
戦死者である。皆、戦争で亡くなった人である。

そういう建物が、ハノイの至るところにあることを、後で、知る。

私たちは、そこから出て、元の場所に戻った。
くるくると、回ったような感じである。

それから、また、街中に入って、歩いた。
矢張り、受け取る子と、受け取らない子がいる。

不思議だった。
私の格好は、和服ではない。タイパンツを履いていて、単なる、おじさんになっているのであるが・・・

二人の子供を連れた、母親と、出会った。
そこで、ミニカーを出して、プレゼントというと、母親が、受け取ってくれた。

一時間ばかり歩いて、何となく、解ったような気がした。

子供だけがいる時は、受け取らないのである。

つまり、子供の判断では、駄目なのである。
傍に、大人、親、祖父母などかいて、了承しないと、子供は、受け取らない。
更に、ハノイの人は、人見知りである。

または、疑い深いのかもしれない。

人生には、そんな、上手い話はないのである。
それは、ベトナムの歴史を見れば、解る。
そして、長年の戦争である。

人を疑うのが、当たり前である。
ベトナム人は、ベトナム戦争で、同じ民族が戦ったのである。

当然、そういう気質が出来るだろう。

私たちは、随分と歩き、ここでの、支援は、難しいと、思った。
どんなに、貧しく、欲しくても、長上の許しがなければ、受け取らないのである。
それは、また、儒教の影響であろうか。

昔のベトナム文化は、漢字の文化であった。
何せ、中国の統治が、千年も続いたのである。

次第に、気温が上がる。汗ばむのから、汗が出るようになった。
そして、どんどんと、車と、オートバイの数が多くなる。
いよいよ、街が、活気付いてきた。



神仏は妄想である 247

入我我入観

これは、文字の通り、対象とするものが自分の中に入り、自分もまた対象の中に入るということであるが、「入る」ということは、「合体一致」するということである。したがって、これが完全になされたら、当然、対象そのものになってしまうことになる。
桐山靖雄 密教入門

これが、密教の、根本原理であり、即身成仏とは、この、入我我入の対象を、仏に置いたものであると、いう。
この技法を体得したら、対象次第では、何にでも、変身できるというわけだ。

そして、驚くべきは、ここでは、大日如来を対象とする。
勿論、密教では、修法の種類によって、どんな仏にでも、変身するのである。

その前に、大日如来という、存在は、想像の産物である。
一体、どうして、その想像の産物と、一体になるのか。

頭が、イカレているとしか、思えない。

われわれの目の前に、本尊の浄土を思い浮かべ、そして、そこへ浄土におられる本尊を迎えて、これを合致せしめ、これに供養してから、入我我入観という、本尊と自分と無二一体であるという観想を凝らす・・・

例えば、不動明王に場合は、不動の真言を唱え、不動の心を心とし、我が三業が、仏の三蜜と一致する本尊加持の作法を修し、不動と無二一体であって、本尊我に入り、我本尊に入る。一切衆生もまた本尊に入る。本尊と我と一切衆生と無二であるとの観想を凝らすことが、入我我入観、即ち、身蜜の一致を示したものである。

仏の身、語、意のはたらきを、三蜜という。
それに対して、凡夫は、三業である。

三蜜加持とは、凡夫の三業を、仏の三蜜と合致させるという意味であり、入我我入は、その、最も、中心とするところである。

入我我入観は、三蜜加持のうちの、身蜜の成就である。

ここで、入我我入と、入我我入観とは、違う。
入我我入は、三蜜成就して、即身成仏を完成した状態であり、観の方は、身蜜だけの、一蜜成就法である。

そこでは、まだ、語蜜と、意蜜が、成就していないということになる。

意蜜成就の法は、字輪観と言う法である。

仏の心のはたらきを、観ずるものである。

真言密教では、本尊の種字の字義を観ずるのは浅略であるといい、その真言を観ずるのは深秘であるとし、その梵号の一々の字を観ずるのを最深秘とし、秘中の秘であるとする。
桐山靖雄

その、梵号とは、ア、バ、ラ、カ、キャの五字を、観ずることである。
この、五字は、地・水・火・風・空の、五大要素であり、森羅万象、宇宙のあらゆるものが、この五大によって、成り立つ。

この、五大において、我と仏とは、無二一体である。

また、この五字には、同時に、五智が含まれている。
つまり、五字は、五智の種字真言でもあり、五智獲得に通じて、これを観ずることは、意蜜の、行になるというのである。

まさに、インド哲学の、粋を集めての、行である。

つまり、バラモンの行である。

甚だしいのは、大日如来との、一致、合体などという、とんでも、妄想である。
更に、想像の産物としての、様々な、仏との、合体だの、一致だのと、掲げる。

勿論、本人は、その気であるから、何の問題もない。

それを、修行として、やる、というなら、止めることもない。
だから、それが、唯一絶対の、法であると、言うならば、私は言う。
妄想である、と。

生身の肉体を、持ち、糞、小便、目糞、鼻糞、耳糞と、糞まみれの、人間が、一時的に、仏になったという、感覚を得ても、所詮は、人間、つまり、生身の人間から、離れることは、出来ない。

ただ、知的刺激としては、お勉強するに、暇つぶしの最たるものである。

一体、全体、人間は、こうも、救われぬものなのか。
何故、人間として、生きて、それで、善し、としないのか。
どうしても、妄想の只中に、身を入れて、他とは、違う存在であると、差別を、優越意識として、持ちたいものか。

更に、その、基本は、妄想である。

空海という、人間の、偉大性、巨大性は、認めるが、ここ、ここに至ると、教祖、開祖が、持つ、異常性を見るものである。

我は、人と違う。
我は、特別な者であるという、意識。

それは、どんな宗教を、信じる人にも、共通する、選民意識に、似る。

宗教の教祖に見る、偉大性は、その、勝れた才能に見ることが出来るが、上記のような、行を持って、仏と、合致するなどいう、妄想は、とても、受け入れられるものではない。

現代で言えば、カリスマ性というのだろうが、それぞれの才能の場面での、カリスマ性というならば、理解するが、妄想の産物との、一体、合体、一致などというと、あはれ、というしかないのである。

この、密教系から、出た、多くの宗教団体は、兎も角、そのような、異常、異質な、感覚を善しとする。

甚だしいのは、霊能力者養成などという、馬鹿げた、修行を奨励するものもある。

特別な力を、得たいという、妄想の欲望を、手玉に取るのである。
人間は、人間以外のモノに、憧れてはいけない。

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2009年07月18日

悲しみを飲み込んだハノイへ 3

翌朝、朝食をとっていると、昼間は、非常に暑いということで、それでは、朝のうちに、行動したいと、街中に出てみることにした。

ちなみに、予定としては、明日、追悼慰霊を執り行う予定である。
場所は、ロンビエン橋である。
ベトナム戦争の際に、もっとも、利用され、攻撃を受けた橋である。
今は、鉄道が走る。
何度も、修理が行われて今に至るのである。

ただ、ハノイに到着してから、随分と体が重いのである。さらに、心も、何か、沈みがちである。不穏な空気が、漂う。

朝早く、街に出た。
すでに、人々は、活動をはじめている。

持ち物は、挨拶程度の、ミニカーである。
街の男の子たちに、手渡し、その反応を見るもの。

ところが、驚いた。
最初の、物売りの子に、差し出すと、ノーと、言われたのである。
予想しない、反応に、納得しない。

母親と、おばあさんと一緒にいた、子に差し上げる。
すると、母親も、おばあさんも、喜んでくれた。
ホッとする。

しかし、また、断られる。
道端で、父親と一緒に食事をしていた子に、差し出すと、受け取ってくれた。

おおよそ、半分が受け取り、半分が、受け取りを拒否する。

今までにない、反応に、少し、たじろいだ。
親からも、ノーと言われることもあった。

何故か。

知らない人から、物を貰うな、である。
そして、物を貰うという判断は、親、大人の、許可がいるのである。
これは、儒教の教えである。

ベトナムは、千年に渡り、中国の支配を受けた。そして、その後は、フランスの、統治である。

戦争後、はじめて、ベトナムは、独立国家として、成った。
まだ、30年を過ぎたばかりである。

人の哀れみは、乞わない。
毅然として、姿勢を保つ。
そして、戦争に勝った国としての、誇りである。
ベトナム語の発音のゆえもあるが、背筋がまっすぐ通っている。

一時間ほど歩いて、本当に疲れた。
探りを入れつつ、手渡してみるのである。
拒否される時は、駄目だと、思う。

ハノイでは、支援をするのが、大変難しい。どんなに、欲しいと思っても、いらない、ノーという人がいるのである。
矜持、プライドである。

それを、まざまざと、見せ付けられて、私たちは、どこまで歩いたのか、解らなくなり、街の、コーヒー屋に入り、休んだ。

15000ドンのコーヒーである。
ベトナムコーヒーは、濃い、そして、苦さの中に、甘さがある。
最初、コータが、ミルク入りを注文したが、甘すぎる。
私は、コーヒーのみを、注文した。

それに、お湯を足してもらう。
兎に角、美味しい。

大勢の街の人と共に、コーヒーを飲んで、私たちも、町の人になる。
着物を着ていても、別段、騒がれないというのも、ハノイらしい。
結果的に、気が楽である。

居場所が、分からなくなったので、タクシーに乗ることにした。
タクシーに、二種類ある。
ミニタクシーと、普通タクシーである。
料金は、メーター制である。

初乗りが違うが、使い方を考えて乗るといい。
中距離は、普通タクシーがいいが、短距離は、ミニタクシーである。

ホテル近くで、降りた。

ホテル付近の様子を、何度も頭に入れた。
込み合っている街の中であり、非常に、紛らわしい道々である。

部屋に戻ると、異常な疲れである。

コータが、今までにないことを、言う。
今日、慰霊をしましょう、と、言うのである。

慰霊は、明日する予定である。

どうした
いや、何か、慰霊をした方がいいような・・・気がする、と言う。

私も、同じだった。

ベトナム戦争と、言うが、それは、実に複雑である。
アメリカとの、戦いは、第二次インドシナ戦争である。

サイゴンに、樹立した政権は、アメリカの傀儡政権であり、反共カトリック勢力指導者、ゴー・ディン・ジェムを大統領とするもので、ベトナム共和国政府を擁立した。

その結果は、北緯17度の暫定軍事境界線で、南北に分断された。

南の、ジェム政権は、ジュネーブ協定が予定していた、1956年の全国統一選挙を、拒む。
旧ベトナムの人々、反対勢力を、すべて武力で弾圧し、住民の八割を占める仏教徒を、露骨に差別する。
ベトナム労働党は、60年、平和的手段による、南北統一を諦め、ジェム政権の武力打倒を目指す、南ベトナム解放民族戦線を結成した。

第二次インドシナ戦争である。

これを、多くの人、ベトナム戦争と呼ぶ。
対米戦争である。

解放戦線は、多くの住民の共感を得て、ジェム政権を窮地に、追い込む。
さらに、63年、ジェム政権は、軍上層部のクーデターで、崩壊する。

すると、アメリカは、サイゴンに、次々と、無能な、軍事独裁政権を擁立し、それでも、敗北が必至とみると、65年に、直接軍事介入に、踏み切るのである。

南への、地上軍派遣と、北への継続爆撃である。

さらに、である。
タイ、フィリピン、オーストラリアなどの、アジア、太平洋地域の、米同盟国がアメリカ側に立って参戦する。
日本も、非参戦の西側諸国も、物心両面で、アメリカを、全面的に、支援した。

この戦争で、米軍の使用した、弾薬は、第二次大戦の、2,5倍の、爆弾だけでも、住民六人に、一トンが、投下されたという。

ベトナム全土は、枯葉剤を含む最新兵器の実験場となり、地形が変わるほど、焦土と化した。

南の農村と、海岸都市は、おおかた壊滅した。
南北住民の半数以上は、戦争難民となり、軍民の死者は、推定300万人、別の調査では、400万人以上である。
行くへ不明は、今なお、30万人。
アメラシアン、つまり、米越混血児は、30万人。
韓越混血児は、1万人。
売春婦は、サイゴンと、その周辺だけで、人口の一割を超える、40数万人である。

それだれではない、悲劇は、続く。
その後、米ソ、中ソの、二重冷戦を背景とする、第三次インドシナ戦争、ベトナム・カンボジア戦争、中越戦争、カンボジア武力紛争が、待ち受けていたのである。


神仏は妄想である 248

五相成身観

即身成仏・五つの過程
五相成身観は、凡夫が、仏になるまでの、過程を五種類に分類したものである。

密教の即身成仏の技法は、さきに述べた通り、三蜜加持が中心であるが、その三蜜行の中で最も中心となるものは、いうまでもなく、意蜜の行である。この意蜜の行( 観法・または観想) にはいくつかあるが、その最も主なものは、この五相成身観と阿字観( 本不生観ともいう) である。このうち阿字観は「大日経系統」すなわち「胎蔵法」に属する法で、五相成身観は「金剛頂系統」すなわち「金剛界」に属する観法である。
桐山

五相成身とは、
一にはこれ通達心、ニにはこれ菩提心、三にはこれ金剛心、四にはこれ金剛身、五にはこれ無上菩提を証して金剛堅固の身を得るなり
とは、空海の、菩提心論にある。

その方法は、結跏趺坐して、数息観に入る。
静かな呼吸とともに、一から七までを数え、もどって、七から、一までを数える。
無識身三摩地といい、心を空虚に、何事も、心に留めない。
無心、無我の心を得るためである。
その境地に入ったら、続いて、「空観」に入る。観想中の、けんだつばしょう、は、空想上の城、旋火輪は、棒に火をつけて、くるくるまわすと火の輪のように、見える。
しかし、その火は、実在しない。
だから、もとに、架空の存在で、われわれが、実在と見ているものすべてそのように架空の存在に過ぎないと観ずるもの。
すなわち、「空」の定に入るのである。
この空の定に入ることにより、智を表示する、蓮華部の仏の加持を得て、その加持力により、次の、通達菩提の三昧に入る。

その後、延々と、行が、続くのである。

例えば、お茶のお手前のように、進んでゆく。
そして、即身成仏となるのである。

ちなみに、桐山氏も、観無量寿経による、阿弥陀仏の浄土に生まれるための、十六の観法を、紹介している。

一、 日没を観じて西方極楽を想う日想観
二、 水と氷の美しさを観じて極楽の大地を想う水想観
三、 水想観を完成して極楽の大地を想う地想観
四、 極楽の宝樹を想う樹想観
五、 極楽の池水を想う八功徳水想観
六、 極楽の宝楼を想う楼想観
七、 阿弥陀仏の蓮華の台座を想う華座想観
八、 仏像をみて阿弥陀仏の姿を想う像想観
九、 阿弥陀仏の真のすがたを想うことによって、一切の諸仏のすがたを見ることが、できる、遍観一切色身想観
十、 阿弥陀仏の脇侍である観音を想う観音観
十一、 おなじく勢至を想う勢至観
十二、 一切の浄土の仏・菩薩などを想う普観想観
十三、 以上、10から12の、観想のできないものが、大身、小身の阿弥陀仏などを、観ずる雑想観
そして、最後に、それぞれの能力、素質に応じた、修行により、極楽に生まれるさまを想う、14の、上輩観、15の、中輩観、16の、下輩観である。

この、十六観法は、極楽浄土に、往生成仏するための、修行法である。

それら、一切を、切り捨てて、念仏、一本槍で、救われると、説いたのが、法然、親鸞、その他、諸々である。

そこで、桐山氏は、
あきらかに、即身成仏の修行法としては、密教の三蜜加持の方法が最もすぐれ、最も進歩したものである。法然、親鸞は、皮肉にも、より高度に進んだ三蜜を捨てて一蜜をとることにより、それより古くて劣った「観無量寿経」を、「大日経」とおなじ地位にまで引き上げたのである。ただし、それは、目に一丁字もない平安、鎌倉の庶民を布教の対象にしたがゆえに可能であり、妥当であったのだ。

更に、日蓮にいたっては、最澄の苦悩である、法華経に、いかにして、三蜜加持を取り入れるかというものを、あっさりと、題目一蜜のみを採用することで、解決した。

日蓮は、仏教の知識なく、教養乏しい、庶民を対象にしたがゆえに、可能であり、妥当となったのである、と、桐山氏は、言う。

最もである。

鎌倉仏教は、三蜜加持を捨て、経典中の、観法をも、放棄した。

堕落。
そのように、専門職の、僧たちには、見えただろう。

ここで、桐山氏は、面白いことをいう。

私は思うのだが、まことに皮肉なことながら、鎌倉時代の民衆は、平安密教の高度で複雑な三蜜加持では成仏できず、単純素朴な唱題唱名念仏でなければならなかったが、高い教養と複雑な心理構造を持つ現代人は、それとはまったく逆に、単純素朴な唱題唱念仏で成仏することのほうが、かえってむずかしくなっていると想われるのだが、・・・・


ここ、ここに至ると、仏教経典というものの、いかがわしさというものが、顕著である。

鎌倉仏教は、即身成仏できるという、安心を与えるだけで、即身成仏することは、放棄してしまったと思われると、桐山氏は、言う。

私は言う。
それ以前に、即身成仏するという、経典を書いた者たちの、意図は、何だったのか、である。

そして、何故、人間は、人間ではなく、超越したかのように思える、即身成仏を目指す必要があるのかということである。

インド思考の、遊びに、乗せられたのである。
更に、それを、中国にて、徹底的に、味付けして、妄想逞しく、行法を完成させたと、思わせた。

つまり、騙しである。
こけおどしも、ここまで来ると、詐欺である。
スーパーマンのお話を、読んで、スーハーマンになるべく、努力するという、幼児の遊び心と、変わらない。

まとめて、言えば、空海の、密教が、高度な修行体系を作り、鎌倉仏教の開祖たちは、ハウツーものの、仏教を、作り上げたといえる。

兎に角、信じる者は、騙されるということ、である。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月19日

悲しみを飲み込んだハノイへ 4

こいつは若い。カトリック右派が、どういういきさつでアメリカの傀儡政権の前衛集団になったかなんてことは知るまい。そういう役割がいかに売国的であるかということもわかるまい。こいつは何も知らんのだ。歴史を知らんのだ。知らぬままに、つまりだまされて、コマンドーなんかになって・・・三人もの娘殺しを手伝って・・・馬鹿! 哀れな奴!
歴史の中に住む人間に、歴史をあるがままに認識することはむずかしい。歴史生成の現場を見なかった人間には、それはますますむずかしい。嘘の歴史を教えられればなおさらのこと。こいつも、まあ、言ってみれば歴史の犠牲者には違いないが・・・・
だがキエンは、この若者も許す気にはなれなかった。若者の無知に、むしろ最大限の怒りを覚えていた。彼はその若いカトリックの男を冷たくつき放した。
戦争の悲しみ バオ・ニン

ハノイでの、支援物資の手渡しが、大変であるということを知り、部屋に戻って、今までにない、疲れを感じた。
後で、受け取らない意味を知るが、それが、まだ、解らない時であるであるから、疲れが倍増する。

更に、重たい気分である。

計画、変更。
よし、今日、追悼慰霊をしよう。
その場所は、日本で、決めていた。

ホン川にかかる、ロンビエン橋の上である。
ハノイと、ロンビエン地区を結ぶ橋は、北ベトナム軍の補給路だった。爆撃のたびに、補修を繰り返し、最後まで、橋は、生かされた。ベトナム戦争を勝利へ導いた、陰の立役者である。しかし、その被害も、甚大である。

下に川が流れるのは、慰霊に最適である。

更に、衣服を持って行く。
慰霊を終えて、差し上げる人がいれば、それを、実行する。

その日は、雨模様であり、曇り空である。
雨の上がるのを、待ちつつ、用意する。

これも、偶然であるが、実は、雨が降る前に、とんでもない、雷が、何度も落ちた。
最初は、その音に、ベッドから、飛び起きた。

どこかで、爆弾が破裂したのかという、大音響である。
それから、しばらく、雷が、響いた。

一度、朝早く、ハノイの街に、出てよかった。

雨は昼過ぎまで、続いた。

雷の音を聞いて、更に、今日の慰霊が、良いということを、感じた。
そのためな、来たのである。

三つのバッグを用意し、慰霊の準備をして、外に出た時は、雨が上がり、空には、しかし厚い雲が覆う。

タクシーを拾い、ロンビエン橋へと向かう。
そこには、バスターミナルもあり、市場もありと、人の流れかが、すさまじいばかりの、場所である。

10分ほどで、到着したが、今度は、橋の上に向かって、歩かなければならない。
更に、橋の上を、また、歩いて、慰霊に相応しい場所まで、歩く。

勿論、だらだらと、汗が流れる。
浴衣が、汗に浸る。

ロンビエン橋は、鉄道が通り、その両側を、バイク、自転車、人が通る。
しかし、いつ、落下してもおかしくない、恐ろしい、橋である。

丁度、中間に、慰霊すべくの、広い場所があった。
木の枝の一本を折り、御幣を作る。

そして、太陽を拝する。
と、薄日が差した。
まさに、ここにいる、というべく、太陽が姿を現す。

言霊、音霊による、清め祓いを、執り行う。
更に、御幣で、四方を祓う。

最後に、多くの死者の霊位に、私の慰霊の意志を伝える。
つまり、黙祷である。

更に、僭越ながら、引き上げたまえと、この地に、囚われる霊位を、引き上げて頂く。

おおよそ、20分程度の時間である。

すべてが、終わると、何と、太陽には、薄雲が、幾重にも、かかり、その姿を隠すのである。

執り行っている最中に、バイクが、接触して、転倒した。
私の行為を、見て走っていたのだろう。
怪我はなかったから、良かった。

浴衣を着た、日本人が、一体、何をしているのかと、疑問に思うのは、当たり前である。

さて、私たちは、元来た道を、戻った。

その途中である。
下を見ると、橋の、下に、長屋建ての、住宅のような建物があり、その真ん中あたりに、親子三人がいた。

手を振ると、手を振る。
そこで、私は、ぬいぐるみを取り出して見せ、今、そちらに行くと、身振りで、示した。
彼らの、笑い声が聞えた。

そこまで、行くのが、また、大変である。
橋を降りて、広い道路に出て、市場の中を越えて行くのである。

私たちの出掛けた時間は、市場が終わって、皆、休憩をしていた。
さて、どの方向なのかと、歩く。
迷いつつ、歩く。
行き止まり。
また、戻って、あの、建物のある場所に向かう。

2009年07月20日

悲しみを飲み込んだハノイへ 5

橋のもと来た道を、戻り、またバスターミナルに、下りる。

手を振っていた、親子の家に、向かうために、市場に出た。
市場は、朝が、勝負で、その頃は、皆、休憩時間、あるいは、後片付けをしていた。

雨にぬかるんだ道を、あっち、こっちと、歩いて、親子のいた、方向を探す。

次第に、その場所に近づくと、匂いが強くなってゆく。
何の匂いなのか、解らないが、兎に角、鼻を突く。

スラムのように、立ち並ぶ家々の前に出た。
更に、その奥に向かう。

ようやく、コンクリートで出来た、長屋に出た。
それは、コンクリートで、長く建てられたもので、ただ、その中が、コンクリートで、仕切られている家だった。

まず、豚がいた。
家の前に、豚小屋があるのだ。
匂いは、そこから出ていた。

更に、奥に行くと、親子がいた。
手を振っていた親子である。
母親と、男の子、女の子である。

私は、早速、ぬいぐるみを、取り出した。
それを、素直に、喜んで受け取ってくれた。

母親に、衣服は、必要かと、衣類を取り出した。
母親は、頷いた。

そこで、私は、二人の子のサイズを、取り出して、渡した。
その間に、子供が、他の子供たちを、呼びに行っていた。
次から次と、子供たちが、出て来た。

その子供たちに、それぞれ、ぬいぐるみを渡した。
ここでは、抵抗なく、受け取ってくれる。

その間に、母親たちも、出て来た。
そして、いよいよ、衣服支援である。

皆、必要だと、言う。
私が取り出したものを、それぞれが、受け取る。
どんどんと、人が集まって来た。

私たちは、少しずつ、奥へと、入り込んで行く。
大人物も、取り出した。すると、それを、次々と手を伸ばして、受け取る。

どんどんと、奥へ入った。
皆、外に出て来た。

子供も、出て来る。
何か、お祭りのような騒ぎになった。

バッグに入っている物を、次々と、取り出すと、それぞれが、何か言いつつ、手を伸ばす。文具が出た時に、一人の母親が、何か言う。きっと、私には、子供がいて、勉強に必要だというようなことを、言っていると、感じた。

奥の最後まで、入った。
その先は、川である。

そして、再度、道を、戻った。
すると、一人のおばあさんが、出て来た。

何と、おばあさんが、出て来ると、皆、静かになった。
私は、おばあさんにと、バッグから、衣服を取り出した。
その時は、誰も、私の傍に来なかった。

おばあさんに、手渡すと、おばあさんは、何か、丁寧に、私に話し掛ける。
それは、何とも、威厳のあるものだった。
それで、理解した。

ここでは、目上、長上に対しては、絶対的、権威を、認めるのだと。

おばあさんは、すべての、インドシナ戦争を体験しているであろう。
言葉が、通ずれば、色々と話を、聞きたかった。

おばあさんの言葉が終わると、一人の若い男が、出て来た。
そして、私にも、何か、くださいと言う。
そのように、感じた。

そこで、彼に合うものを、取り出して、差し上げた。

すると、また、皆が、私に、近づいて来て、色々いと、バッグの中身を、探る。
必要な物を、探している。

私は、汗だくだった。
そろそろ、バッグも、空になってゆく。
もう、何も無いという、状態になり、皆が、落ち着いた。

私たちは、写真を撮った。
子供たちは、とても喜んでいる。
何か、特別なことが、起こったのである。
信じられないこと。

そう、私も、信じられないことである。
まさか、ハノイにて、このように、衣服を手渡すという行為である。
一体、一年前までは、考えてもいなかったことである。

最後に、手を振り、皆と、別れた。
また、来ますねと、言う私。

彼らは、何事が、起こったのかという、戸惑いもあったと、思う。前触れ無しの、考えられないこと。
それは、彼らの今夜の話題になるだろう。

私たちは、支援を終えて、元の道を、戻った。
ベトナム・ハノイの、衣服支援の様である。

神仏は妄想である 249

あの真言密教の即身成仏法には、遺憾ながら欠陥がある。致命的な欠陥が二つあるのである。あの法をあのまま何千遍、何万遍修しても、即身成仏は不可能であろう。何故か?
桐山

私は、密教、特に、空海が発見発明したところの、密教の、批判と、嘘偽りを書いている。そこで、現代に、その体験者としてある、桐山氏の、密教入門を使い、解説している。

実は、空海については、まだまだ、色々な角度から見るために、準備している。

何故か。
空海は、日本の仏教の、基礎を作った一人である。
他宗にも、大きな影響を与えた、と、共に、彼は、天皇を、その祭壇に平伏すことを、願った、野心家である。

唐から、帰国しても、空海は、すぐに、都に入ることを、許されない。
それは、彼の資格は、留学生であり、二十年間、唐に留まって、修学することが、義務づけられていた。
修学期間を、大幅に短縮して、帰国することは、重罪に値するものである。

朝廷は、空海が、持ち帰った、仏典の目録を見て、その業績を認めたのだが、処遇に困惑し、暫く、筑紫に留めざるを、得なかったのである。

空海は、二年で、帰国した。
それに、比べられるのが、最澄である。

最澄は、正式な手続きを踏んだ、入唐である。
たった、一年と少しで、帰国している。

最澄の目的は、天台の教えを、受け継ぐことにあった。
唐に入ってすぐに、天台の教えを、授けられ、更に、禅、密教の教えを、学ぶ。が、果たして、その短い期間に、習い修めることが、できるか、である。

しかし、多数の経典と、若干の密教法具などを、携えて、帰国した。

帰国した、最澄は、法華一乗の教えを、確信をもって、説いたのである。

天台法華宗である。

法華経が唯一というのは、何も、日蓮だけではない。
最澄も、誤魔化されてしまったのである。

しかし、法華経には、即身成仏の修する方法が無い。

それで、また、話は、元に戻る。

それは先ず第一に、あの成仏法は、仏になることを教えながら、仏というものの本体をはっきり明示していないのである。仏というものの本体が漠然としているのである。
桐山

法華経には、龍女成仏が、書かれていて、その資格、能力を説いていて、具体的である。しかし、それも、方法に関しては、その具体的方法が無いのである。
桐山氏も、それを、指摘する。

真言密教の成仏法は甚だしく観念的である。かつ抽象的であって、仏とはこれだという率直明快な提示がない。仏のさとりの内容らしいものは説こうとしているのだが、肝心のところは、「言説不可得」といって逃げてしまっている。
桐山

仏になるどころではない、せいぜい、仏になったつもりになるだけである。
桐山

私も、同じである。

一体、仏とは、何か、である。

法華経の、方便品第二には、
諸仏の智慧は甚深無量なり。その智慧は難解難入なり
如来の知見は広大深遠なり。無量・無碍・無所畏・禅定・解脱・三昧あって深く無際に入り、一切未曾有の法を成就せり
である。

解釈で、どうにでもなるもの。
実に、馬鹿馬鹿しい言葉遊びである。

兎に角、形容して、形容して、深遠なりと、言うのである。
呆れる。

子供騙しも、いいところである。
それを、あたかも、知る如くに、説くという、仏教家であるから、詐欺師といっても、いい。

何も無い、空虚なところを指して、あそこには、こんな、大きなモノがあります。それは、とても、恐ろしいモノです。
そんな、按配である。

インド人の、言葉遊びの、罠に嵌っているのである。

もう一つは、漢訳の罠である。

すべての、大乗経典には、上記のような、説明以外に、仏を言うものは無い。

そこで、登場するのが、大日経である。

そこでは、釈迦仏陀の教えなどない。
何せ、教主が、大日如来である。

勿論、架空の存在である。

ただ、その訳が、日、なのである。
太陽である。

迷妄愚痴の暗黒を、太陽の光、それを、智慧とする、で、照らすというのである。

原始宗教の大元は、太陽信仰である。
インドも、それに漏れず、である。
ゆえに、太陽を、日を、以って、新しい宗教を拓いたと見る事が出来る。

密教では、愛も慈悲も、完全なる智慧の中にあると、観たのである。
それが、大日如来である、絶対の智慧そのものを、身体としているという。
ここに至ると、一神教に似る。

そうすると、太陽に成れとは、言わない。
一切智を得るというのである。

一切智を得るとは、超人になるということである。

人間は、人間以外のものには、ならないのであるが・・・

大日経にも、金剛頂経にも、それを、体得する、方法が、提示されているという。

桐山氏は、確信して言う。
おわかりであろう。密教の修行の、究極の目標は、この一切智を獲得することにあったのである。密教の即身成仏とは、この一切智を自身の上に完成することなのである。
桐山

そして、獲得すると、大日如来と、同じであり、即身成仏を、完成するのである、と言う。

大日経典は、大乗経典の後に、出来上がったものである。
今までの、経典には、無い、奇想天外なことを、書いて、人を騙すのである。

密教は、鎌倉仏教など、どうしようもない、堕落だと言うのである。
ただ、念仏、ただ、題目では、どうしようもない、と。

では、一切智とは、何かということになると、待ってましたと、ばかりに、説明が始まる。

それは、五つの智慧から、成りますという。

面倒だか、一々、それを、書いてゆくことにする。

それにしても、神仏に、嵌る人は、言葉遊びが、好きである。
ああでもあり、こうでもある、つまり、こういうことであり、ああいうことであり、そして、仏に成るのである。

まだまだ、馬鹿馬鹿しい話は、続くの、です。

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2009年07月21日

悲しみを飲み込んだハノイへ 6

三日目である。
私は、一日、ハノイの街を楽しみ、ゆっくりとすることにした。といっても、ホテルで、休んでいる時間が長い。

コータが、バッチャン村という、陶芸の村に、支援物資を持って、出掛けたいというで、許した。

その、バッチャン村は、陶芸で有名であり、彼が、通った高校が、有田焼で有名な土地。そこで、興味もあり、出掛けたのである。

朝食をとって、すぐに出掛けた。

私は、のんびりと、過ごした。
まず、水を買うために、やや、遠いコンビニに出掛けた。
近くでも、水は、売っているが、高いのである。

3000ドンの水が、ところにより、8000ドンまでの、幅がある。

ゆっくりと、ハノイの中心街を歩く。
人で、賑わう街である。
道端の、屋台では、多くの人が、食べている。
その一つ一つを、興味深く見て回る。

東南アジアでは、多くの人、屋台で、飯を食うのである。
それは、実に、安い値段である。
毎日のことであるから、安い値段だから、食べられるのである。

だが、旅行者は、注意しなければならない。
それは、水である。
すべて、現地の水で洗う。それが、危ない。

付け合せの、野菜は、現地の水で洗うので、結果、下痢になったり、酷い場合は、食中りであり、もっと、酷くなると、食中毒である。

コーヒーなどは、一度沸騰させたものなので、安全である。

要するに、生のままの野菜を、現地の水で洗うという行為が、一番危険なのである。

果物も、現地の水で、洗われると、危ない。
だから、出来るだけ、買う場合は、その場で、切ったものを、買う。

魚介類も、美味しいが、屋台により、危険度が増す。
一度、煮たものを、焼いたりするのはいいが、ただ、焼いたものは、危ない。

熱いスープの麺類も、食中りすることがある。
それも、生野菜である。
麺の中に、生野菜を入れる習慣がある。半生の野菜は、怖い。

コンビニが、なかなか見つからない。
確か、この辺だったと思い、行きつ戻りつした。
結果、コンビニの玄関の看板工事が行われて、見逃していた。

買い物は、駄目かと、思いきや、おばさんが入ったので、私も、一緒に、急いで入った。

持てる限り、水を買った。
そして、元の来た道を、ゆっくりと、戻った。

道は、複雑である。
それでも、私は、中小路に入り、方向だけは、間違いないと、歩いた。
すると、大聖堂の横に出た。

カトリック教会である。
フランス統治時代からのものである。
いかにも、古めかしい。
せっかくだからと、中に入ろうとしたが、どこの扉も、閉まっていた。

フランス統治時代も、矢張り、カトリック布教が前提だった。
今では、カトリック信者も、多い。

私は、教会前の、一軒のコーヒー店に腰を下ろした。
ベトナムコーヒーを注文する。

戦争を忘れるのはむずかしい。いつ俺の心は安らぐのか。戦争の記憶という檻から、いつ俺の心は開放されるのか。人間の苦しみと楽しみ、醜さと美しさ、そして何よりも哀しさ・・・
戦争が俺の心に刻印した記憶の総体は、十年かかっても二十年たっても消えはしないだろう、おそらくは永遠に。これからも俺は夢とうつつの境界のどこかに棲むのだ。その境界に横たわるナイフの刃先に棲むのだ。
戦争で失われた年月は、誰の責任に帰することもできない。もちろん俺の責任にもだ。俺が確実に知っているのは、俺が生きているということと、これから自分ひとりで生きるしかないということだけだ。新しい生活。ヴェトナムの新しい時代。俺は生きる。生きのびてみせる。
戦争の悲しみ バオ・ニン

ハノイの街は、戦争でないということだけで、平和だった。
なんでもないことが、実に貴く思われる。
鶏の肉を売るおばさんが、コーヒー店の前に来て、声を掛けると、女主人が、バケツを持って出た。

そして、肉を選んでいる。
選ばれた肉は、塩でもまれて、洗われた。
何度か、それが繰り返される。
そして、立ち話である。

教会の鐘が鳴る。
正午である。

古めかしい、鐘の音。
実に、平和である。

アメリカ軍は、1965年、北ベトナム南半部への、継続爆撃を開始した。
そして、次第に、爆撃攻撃を、ハノイ首都圏を含む、北方へ広げた。
72年末、戦略爆撃機B52の大編成によるハノイ都心の猛撃を行って、多くの市民を死傷させた。
北ベトナム軍は、若いOLまでもが、ライフル、対機銃で、米軍機を狙うという、全民武装攻敵体制と、ソ連対空ミサイルSAMで、首都を守り抜いた。

日本の戦時中も、女子の訓練があったが、それを、ベトナムでは、実践したということである。
皆で、守り抜いたというから、凄まじいことである。

その生き残りの人々が、今も、ハノイにいるのである。

大聖堂の鐘の音を、聞きつつ、私は、ベトナム戦争に思いを馳せた。
今、人々は、平和を享受しているが、その享受の裏には、強い意志があると思うと、なんとも、襟を正される。

ところで、ハノイの街の、至るところに、ある建物がある。
それは、ほとんど、目立たない。
英霊を奉る、廟である。

最初の日の朝、コーターと、歩いて、中小路に入って、突き当たった所に、それが、あった。最初、何なのか、分からない。
よく見ると、人の名前が、壁に刻まれていた。
そして、写真が置かれている、所もあった。

それから、注意して、見ると、それが、至る所にある。
ホテルから、1分ほどの、物売りの店が並ぶ場所にもあった。

即座に中に入ると、おじさんが、出て来て、解説してくれた。
この付近の、インドシナ戦争で亡くなった人たちであるとのこと。

それぞれの、町内で、それぞれが、英霊を奉る廟を、持っていると、判断した。

大聖堂から、水を持ってホテルに、戻る道に、それが、また、あった。
その中に入ってみた。

漢字で、英霊と、書かれてあるので、中国系の寺院なのであろうか。
御簾が掛けられてあり、その奥を覗いたが、扉が閉まっていた。

その前で、黙祷した。

ベトナムを守り抜いた人々。
英雄である。
そこに、悲しみを飲み込んだハノイが、あった。

神仏は妄想である 250

一切智智とは、どんな智慧か。

法界体性智
智慧の本体である。他の四智の総合である。
密教では、全宇宙を法界という。この、智慧によって、宇宙の真理を理解体得するという。

大円鏡智
法界の、万象を如実に顕現する智慧である。実相を知る智慧である。実相の智慧を、清浄にして、円満、つまり、完全なる鏡に、たとえる。

平等性智
一切諸法の根本における、平等なる相を知る智慧である。宇宙の実在は、千差万別の姿を持つが、それを、存在たらしめている、根本の力、つまり、法則は、一つである。すなわち、平等である。

妙観察智
存在するものは、すべて、一つの法則によって、存在する。そのあらわれている相、その関係を見抜く智慧である。

成所作智
所作、つまり、活動して、成る智慧である。
一切諸法において、万物の実相を知り、平等にして、差別をあらわす宇宙の原理を体得するものは、一切法において、自由であり、自在である。すなわち、仏は、自由自在である。こころのままに、活動して、すべて成功しないということがない。
である。

これを、五智という。

桐山氏は、
大円鏡智は、われわれが持つ第八アーラヤ識を、ある行によって転換させたときに生ずる智慧だというのである。
また
平等性智とは、われわれの第七マナ識を、ある行によって転換させることにより得る智慧だという。
また
妙観察智とは、第六意識を、ある行によって転換するときにあらわれる智慧だという。
また
成所作智とは、前後識を、ある行によって転ずるときに発する智慧だという。
また
法界体性智は、第八アーラヤ識よりさらに深奥にある第九アンモラを識転換させたとき、おのずから獲得する智慧だという。

そして、桐山氏は、その方法が、あるというのである。
虚空蔵菩薩求持聡明法
こくうぼさつぐじそうめいほう
である。

この法を、修行して、空海は、即身成仏したという。

私は、かつて、この法を、自分の体験にもとづき、「目がカメラになり、耳はテープレコーダーになる」と表現した。
実際に、この法によって訓練した頭脳は、一度、目にし、一度、耳にしたことは、ぜったいに忘れぬ記憶機構を持つようになる。しかもそれはただ単になんでもおぼえてしまうというだけではなく、創造力を飛躍的に増大させ、発想が常人とまったくちがうようになる。まさに、大脳の生理機構が一変してしまうのである。
桐山

桐山氏は、師匠がなく、独自に、それを、独習したという。
空海も、桐山氏も、自己申告である。

空海は、
大聖の誠言を信じ、阿国大滝の嶽に登りよじ、土州室戸の崎に勤念す。谷響きを惜しまず、明星来影す
と、言う。

つまり、修行満願の日、明星が飛んできて、空海の口に入り、聞持、記憶の悉地を得たという。

明けの明星が、口に入る。

ここ、ここに至ると、冗談ではない。
明けの明星が口に入ったと、思い込むことは、勝手なことだが、その勘違いを持って、我、即身成仏せりとは、笑わせる。

かつて仏陀がなし、ナーガールジュナ、アサンガがなし、空海、・・・
が、なしたように、だ。そうでなければ、密教は、所詮、観念の遊戯、自己満足の域を脱せぬことになろう。
それを救うのが、この求聞持聡明法である。
桐山

桐山氏は、現在、88歳前後であり、二度の、脳血栓で、倒れている。

これは、おかしい。
脳血栓で、倒れはしないはず。

いやいや、即身成仏しても、体は、人間だから・・・

何とでも、言える。

わたくしはいま五十代半ばであるから、九十歳くらいになって、求聞持脳二十歳くらいになるのではないかと思われる。その頃がわたしの知能活動の最盛期になるであろうと思う。
桐山

今は、車椅子で、やっと、動ける方である。
肉体の、衰えを、見抜けなかったのが、不幸である。

昔、天理教の幹部が、信仰で、ガンを治したと、大いに喧伝していた。が、その方は、今でも、生きているのか・・・
死んでいる。

ガンが、治るのは、特別なことではない。
治る人もいる。

たまたま、信仰していたというだけである。
私は、何も信仰していない人も、ガンが治ったという人を、知っている。

それに、結びつける、根性が、気に入らない。

余談であるが、神道系の、霊的能力者が、空海の、明けの明星は、天狗です、という。
天狗は、そういう、驚いたことをする、という。
さも、ありなんである。

霊的レベルが、低いのである。

奇跡のようなことを、見せると、大半の人は、信じる。
そして、騙される。

高いレベルの霊は、奇跡など、起こさない。
それは、霊能的能力のある人は、当たり前に、理解する。

インド
あの土地は、そういう、レベルの低い、霊的存在が、跋扈する。
それに、引っかからなかったのが、釈迦仏陀である。

ナーガールジュナも、アサンガも、引っかかったのである。

空海は、修験道に似たものであり、それに、中国の密教思想を付加したもの。
修験道とは、道教の影響が大きく、丁度、中国の、密教を付加できたのである。

インド、バラモン教の、呪術が、中国道教の影響を受けて、密教も、中国式になり、即興のプロ、空海が、陥ったのである。

そんなことを、しなくても、空海の、業績は、評価に値するものである。
ここでも、野心が、曇らせた。

欲望の中で、野心は、恵みではない。
野心は、野心に、帰結する。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月22日

悲しみを飲み込んだハノイへ 7

ホテルに戻り、裸で過ごす。
それが、一番、疲れを取る。

ところが、二階の部屋から、向こう側の建物の、窓が見える。
最初は、誰もいないと、思っていたが、驚いた。
ベランダに女性が、出ていたのである。

と、いうことは、こちらの窓も見えるということである。
あーーー、向こうは、嫌なものを、見たと、思ったであろう。

そこで、私は、下着を、探した。
だが、下着は、着ていたものだけで、一枚も無い。
つまり、自分の着替えを、持って来なかったのである。

はっと、思い、支援物資の、バッグを開ける。
確か、下着があったような気がする。
一つの、バッグに、男物の、下着、パンツが、五着入っていた。
助かった。
支援物資を、頂いて、なんとか、この旅の間は、大丈夫だった。

実のところ、私の格好は、支援物資の、衣服より、破綻したものを、着て歩いている。
そのせいで、犯罪に巻き込まれないとも、言われる。

着物以外の時は、タイパンツで、その格好は、タイ人が、寝る時のものだそうだ。
つまり、パジャマ姿で、道を歩いているということ。
変な、おじさん、である。

ベッドに横になったり、起きたり、ガイドブックに目を通したりと、うたうたと、過ごした。

昼ごはんは、最初に行った、ホテル近くの店に出て、フォーを食べた。
フォーの発音も、実に難しいが、私は、日本語の、フォーで、通した。

店員たちは、非常に親切である。
ところが、互いに英語が通じない。
そうなると、笑うしかないので、笑っている。

昼間は、女の子が多く、夜は、男の子が多い。
15歳から、働いている。

一人の、男の子と、ようやく、英語が通じて、話した。
ハノイ近郊の村から、出て来たという。
学校は、もう無いという。つまり、最低教育で、働きに出たのだろう。

日本で言えば、中学、高校生である。

ハノイは、ホーチミンと比べると、とても、町並みが綺麗である。
それは、まずゴミが無いこと。
いつも、誰かが、掃除をしている。
本当に、ゴミが少ない街である。

これは、長年に渡る、伝統であろう。
儒教の影響を受け、更に、社会主義の教育を受けて、国民性が、出来上がった。勿論、そんな簡単なものではないだろうが、自然と身についたものである。

一人の意識が、全員になると、このようになるのだと、改めて、感じた。
一人一人の意識の、持ち方が、全体を作る。

また、戦争が始まっても、ハノイの人々は、誰もが、銃を持ち、戦うのだろう。

そういう、気概がある。

二時を過ぎた頃、コータが、戻って来た。

バッチャン村については、コータが、報告すると思うので、私は、特徴的なことだけを、書く。

矢張り、子供に、ミニカーを差し出すと、いらないと、拒否されたという。しかし、その子のおばあさんが、出て来て、子供に、貰うことを許すと、その子は、コータを追いかけて来たという。
そして、それを、受け取った。
欲しくても、親の許しがなければ、貰わないというのは、ハノイだけではなかったのである。

陶芸の村は、素晴らしく、コータは、人々と仲良くなり、少しばかり手伝ってきたというから、面白い。

そして、衣服も、すべて、差し上げてきた。
最初は、遠慮していたが、そのうちに、矢張り必要なのであろう、どんどんと、貰う人が増えたという。

この陶芸品は、街中で売っているが、相当叩かれて、買われるらしい。
食べていければいいと、いった雰囲気で、のんびりとしているようである。

コータは、バッチャン村で、昼の食事をしたという。
それでは、夕食まで、ゆっくりと、休むことにした。

ハノイでの予定は、終わった。
後は、ホテル近くの、英霊を奉る廟に行き、祈りたいと思った。
それは、夜の食事の前に、行うことにした。

明日の朝は、早くホテルを、出る。
空港までの、車の手配をすることにした。
朝、九時の飛行機であるから、六時に出ることになる。

最後の食事は、最初に出掛けた、ホテル近くの、食堂ですることにした。
高級でもなく、屋台でもない。
中級とでもいうレストランである。

水の値段が、3000ドンから、8000ドンの幅があることを書いたが、その他に、色々と、面白いことがあったので、それは、別にまとめて、書くことにする。

日本人からは、お金が、取れるという、見本のような、事態に遭遇したことを、紹介する。

矢張り、ベトナムでも、日本人は、金持ちだという、意識が強い。
それは、ホーチミンでも、そうである。
ホーチミンで、同じ水を、一ドルと言われた時には、驚いた。
一ドル、つまり、19000ドンである。これは、あまりに、暴利である。

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