2009年06月19日

性について119

19世紀、イギリス
大英帝国の黄金期である。

それは男性中心の社会であった。クラブからパブにいたるまで、男だけの空間、男同士の社会が大きな勢力を持っていた。軍隊からスポーツまで、男だけの世界が花盛りであった。そこで男同士の友愛が生まれるのは当然である。だがホモセクシャルはタブーとされた。
海野弘

海野氏による、分析をみる。
男同士の関係を、分析すると、ホモソーシャル、ホモエロティック、ホモセクシャルと、三段階とする。

ホモソーシャルは、軍隊から、体育クラブまでを含む、男だけの集団であり、その交友である。そこでは、男同士の一体感、共同意識が、生まれる。
それが、更に親密になれば、ホモエロティックな段階に入る。
師弟関係や、友情が、生まれる。
そして、友愛とへ進む。
ホモセクシャルは、性的関係となる。

だが、難しい問題がある。
結婚している、女性と関係がある、といって、ホモセクシャルではないと、いうことは、出来ない。
更に、男同士の性行為をしたことがあるからといって、ホモセクシャルともいえない。

特に、ホモセクシャルが、抑圧されていた時代には、それは、隠されて、極めて、屈折した徴候としてしか、現れない。

海野弘氏は、具体的に、イギリスにおける、同性愛の人物を取り上げて、書き上げているが、それを、いちいち取り上げない。

私は、全体を、見渡すことにする。

19世紀は、現代に続く、同性愛の、系譜が、いよいよ現れる時期になったといえる。

1885年に、英国の刑法が、改正され、男同士のわいせつ行為が、犯罪になった。
それまで、ソドミーのみが禁じられていた。
1861年、ソドミーに対する、死罪は廃止になった。
ところが、1885年、男同士のわいせつ行為全体が、犯罪になったのである。

ここからが、現代に至る、同性愛というものの、定義に接触すると、私は、考える。

上記の刑法は、女性の人身売買の防止を中心にしていたという。
しかし、男性にまで、拡張された。

要するに、少女や、少年を人身売買したり、性的に堕落させたりすることの、防止が主旨であった。

だが、結果として、女性を守る方向に働かず、男同士のスキャンダルの、密告という、ヴィクトリア朝の、パリサイ主義、つまり、偽善的告発の、手段となってしまったのである。

これは、ソドミー、つまり、アナルセックスを、示す、性行為ではなく、男同士の、わいせつ行為、つまり、オーラル・セックスを含むものである。

あらゆる、男同士の、肉体的接触が、犯罪とされた。

私は、ここに、注目する。
それ以前までは、ソドミーのみに、限られていた、同性愛性交というものが、広範囲に解釈、認識されたということ。
これが、現代に、つながる、ホモセクシャルの世界に、なってゆくのである。

ここで、また、話しを、戻さなければ、ならなくなった。

同性愛という、形態が、様々な、原始民族に、現れたということから、再度、検証しなくてはならない。

例えば、一時的に、同性愛行為を、行うという、民族では、女性と、性行為をする前に、男同士で、性行為をしつつ、大人になるための、学びをする。
つまり、それは、同性愛行為とは、言えないのではないか。

それは、日本の、稚児にも共通する。

稚児は、女性の代用である。
限りなく、女に近い、中性的存在を、女性と、見立てて、性的満足を得るもので、同性愛とは、判定しにくいのである。

江戸時代には、陰間といわれた、少年売春が、盛んだった。
僧侶や、武士が、そして、町人たちも、通った。

天草、島原の乱の時に、幕府軍の陣地には、売春宿が、数多く建ったという。
その中でも、陰間の売春宿が、多いという、報告を、宣教師がしている。

何故、武士たちは、少年性交を好むのかと、宣教師は、呆けたことを書いているが、一体、それが、同性愛なのかということ。

もしや、人間は、男女区別なく、性行為を行うものであると、定義した方が、正しいのではないか。
そして、それは、好みの問題である。

武士は、結婚と、男色を、別の世界のものとして、当然に受け入れていた。
それは、当時の女性たちも、である。

更には、遊郭で、遊ぶことと、結婚生活も、別物なのである。

恋は、遊郭、家は、結婚である。

兎も角、19世紀には、現代に通じる同性愛性交の、芽生えがあるということ。

ソドミーとは、アナルセックスである。
そして、それは、旧約聖書の解釈から、はじまった。

ソドミーを、同性愛と、定義していたが、19世紀から、男同士の肉体的接触、すべてを、同性愛と、判断するという、考え方が、現れたということである。

オーラル・セックスも、十分、セックスであるという、意識が、芽生えた。それは、何も、男同士の関係だけではない。
男女間にあっても、セックスの世界が、単なる、性交というものだけではないと、いうことになってきたのである。
これは、性の進化である。



posted by 天山 at 00:00| 性について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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