2009年06月10日

性について110

1951年、C・S・フォード、フランク・A・ビーチによる、民族誌資料の調査によれば、76の未開社会で、同性愛が見られる。
また、その多くでは、子供や、特定の大人の同性愛が、認められている。その形態は、様々で、ある場合には、婚前の異性愛が、禁じられ、それまで、同性愛が行われるというものもある。

同性愛行動は、昆虫から、動物に至るまで、見出すことが、できるが、それが異性愛の代わりのものとして、明確なのは、チンパンジーなど、高度な知能を持った霊長類のみである。

人間の同性愛は、それとは、全く違う。
異性が得られないという、他の動物の、行為とは、別である。
異性がいても、同性にしか、興味を持たないという、完全な同性愛というものが、ある。

極めて人間的な、行為の一つに、同性愛という、行為があるのだ。

同性愛の形態やそれに対する態度は文化によってさまざまである。現代の「同性愛」は十九世紀以前の西欧文化によってつくられたもので、絶対的なものではない。古代や非西欧社会の形態を理解するのに、ギルバート・ハートは「同性愛のカルチャー研究」でそれを三つの関係によって分類している。年齢によって構造化された関係、ジェンダー転換的関係、特殊な役割によって構造化された関係、である。
海野弘

年齢構造化された、社会では、成人への通過儀礼として、同性愛が、認められる。
少年と、年長の青年との関係であり、子供を大人にするための、教育を含む。

パプア・ニューギニアの、ザンビア族では、七歳から、十歳の間に、はじまる。少年は、イニシエーション儀礼を受けて、秘密結社の仲間入りをする。

古代社会では、年齢グレード制は、かなり多く行われていたようである。

ジェンダー転換的関係は、同性の相手に、異性の役割を強制するものである。

そして、特殊な、役割による、構造化された関係である。
それは、ある特定な役割が、同性愛行為に至るものである。

古代において、宗教的団体が、寺院売春を、行った例などである。
宗教的奉仕としての、売春である。
また、役割としての、同性愛行為は、演劇などとの、関連が多い。
要するに、女装である。
更に、生活の中でも、女になるというもの。

日本では、年齢によって、構造化された部類に入る。

寺院での、稚児や、武家社会での、小姓である。
一応は、少年愛であるが、完全な同性愛行為と、いえるのかは、疑問である。

異性愛行為の、代償としての、稚児や、小姓ということも、いえる。

世阿弥などは、足利義満によって、寵愛され、能を大成させた。

ホメロス時代の、ギリシャ、古代中国、古代朝鮮も、そうである。

古代ギリシャの、少年愛は、ルネサンス期のイタリアで、復活したといわれる。

ギリシャの、同性愛は、ドーリア人が、軍隊組織の中で、発達させたという。

古代ギリシャとは、ホメロスの、英雄叙事詩が出来た、前800年から700年から、紀元六世紀頃までである。

その中でも、分割すると、ペルシャ帝国の攻撃を、打ち破った時期、アルカイック期、その後の、古典期、そして、マケドニア王国に、占領されて、終わる。
古典期が、最も、都市国家が、栄えた時期である。

それからは、アレキサンダー大王が、東方に至る遠征で、巨大な帝国を築いた。
そこで、ギリシャ文化を広めた、ヘレニズム期である。

そして、前146年、ローマがギリシャを合併して、ローマ期に入る。

紀元五世紀に、西ローマが滅び、東ローマ帝国に、ギリシャ文化が継承され、ビザンチン期に、入る。

更に、キリスト教文化に、呑み込まれてゆくのである。

ギリシャ民族は、大きく三つに、分けられる。
ドーリア人、アイオリス人、イオニア人である。

同性愛は、クレタから、スパルタにかけての、南西部の、ドーリア人が、もたらしたといわれる。

ギリシャにおける肉体の発見、裸の肉体の動きとバランス、プロポーションの美しさの発見は、新しい人間の発見、個人としての人間の発見であった。それは前七世紀から前六世紀に劇的にあらわれる。
海野弘

同性愛も、その時期に、愛として、明確に姿を現すのである。

それ以前は、性行為として、あったとしても、精神的、愛という、ものではなかったようである。

ギリシャの愛は、少年愛が、中心である。
12歳から、20歳に至るまでの間、年上の男が愛するのである。

一人一人の個性がはっきりしてくると、個人と個人の間の特別な関係「愛」が生まれる。
海野弘

古代、人は、明確な個人の意識というものを、持たなかったといえる。
集団の中にある、それに内包されている。それが、個という意識に目覚めたとき、個人の意思である、精神が、芽生える。

個人が個人を意識するという、意識革命である。

そこに、はじめて、愛という、情緒を伴う精神活動が、生ずる。

幼児が、自我意識に目覚めて、個性を発揮してくるのに、似ている。

その時、隣にいた、相手を、意識する。
男が、他の男を意識する。
そこに、同性愛の萌芽が起こる。

それは、人間の進化である。

起こるべくして、起こった、目覚めである。




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何故バリ島か 追加

サヌールから、戻った翌日の、昼前に、テロ慰霊碑の前で、追悼慰霊の儀を執り行った。

それも、はじめから、決めていたことである。

その場所は、クタ地区の、レギャン通りの、角である。
道が二股に分かれている場所にあった、ディスコだった。

その前に、車が止められ、爆発し、ディスコ客が、被害に遭った。
二百名以上が亡くなった。日本人は、新婚旅行に来ていた、二人である。

モニュメントには、名前が刻まれている。

そこで、私たち三人は、日拝し、清め祓いの祝詞を、上げて、追悼した。
御幣と、日の丸を、掲げた。

その途中で、続々と人が集ってきた。
イスラム教徒や、欧米人である。
オーストラリア人もいた。

あまり、長くその場を占領していられないと、思いつつ、祈った。
キリエレイソン、主よ哀れみたまえ。
アッラーと、三度、唱えた。

不思議だった。
どうして、私の口から、アッラーが、出たのかである。
キリエレイソンは、今までも、出たが、アッラーとは、思わなかった。

しかし、祈りの心は、何も変わらない。

辻友子が、日の丸を掲げていた。
日本人三人が、浴衣を着て、慰霊をしている。ただ、それだけである。

終わると、その場を、すぐに、立ち退いた。
それを見ていた、おじさんが、ありがとう、と言うのである。
道を、歩いていると、ありがとうと、日本語で、声を掛けられるが、おじさんの、ありがとうは、それとは、違った。
私たちの行為に、ありがとうと、言ったのだ。

昼近くの時間を、選んだのは、太陽である。
太陽が、昇る時に、慰霊をする。
つまり、浮遊する霊に、対処したのである。

もし、深夜行えば、万が一、霊的障害を受けることもあり得る。
霊的障害とは、説明するのに、難しい。
感受性である。
そのような、感受性を持つ人がいる。

霊の障りといわれるが、単に、霊的想念に、一時的に、影響される。それは、精神的動揺、不安定さなどである。
しかし、それが、強く出ると、活動できないことになることもある。

太陽が、出ていれば、それを、防ぐことが出来る。
太陽は、目に見える神であると、私は、認識している。

この宇宙に、超人的、人格的神というものは、存在しない。
存在するものは、霊である。

霊的存在のみが、正しい。
その、霊が、神や仏と、名乗るというならば、理解する。

もっと、詳しく言えば、この三次元の太陽は、次元を超えても、存在する。
つまり、多次元の太陽である。
三次元を超える太陽の存在を、霊的太陽と、仮定する。

その、霊的太陽により、霊的存在も、存在する。

太陽信仰を持った、古代人たちは、正しいと、私は、信じる。
太陽こそ、宇宙と、地球を生かすものである。

太陽系というのは、太陽を中心にした、惑星の系列である。
宇宙には、多くの太陽系があると、言われる。

だが、今、私が、生きている太陽系の、太陽は、今、目に見えている太陽である。
ゆえに、私は、太陽を神として、拝する。

日本の伝統は、天照、アマテラスとして、太陽を拝してきたのである。

それを、実在の人物と、混合させたものである。
つまり、太陽信仰を、説いた人物と、重ね合わせて、そのように、お呼びした。

日拝するとは、昔の日本人ならば、誰もが、行っていた。
実に自然な、礼拝の仕方である。

更に、これは、伝統であり、宗教的行為ではないということである。
実に、宗教的に、認識されるが、伝えられた、行為である。

さて、私たちは、レギャン通りの、レストランで、ジュースを飲んだ。
ぼったくりと、言えるほど高い、値段だった。
だが、それが普通の、観光客を相手にする、店である。

従業員が、私たちに、親しげに、声を掛けてくる。
日本人は、上客である。

浴衣姿の私たちと、写真を撮るのである。

それは、それでいいが、二度と、その店に行くことはなかった。
ジュースの値段が、通常の五倍だとしたら、他の料理も、同じである。
少し、小道に入れば、そんな値段の店は無い。

ちなみに、ジュースは、その店では、25000ルピアである。
地元の、店なら、5000ルピア、50円である。
250円の、ジュースは、高い。それなら、日本と変わらない。
だが、観光客には、安いのである。

観光は、お金を使うための、旅である。

今回は、大方、辻友子が、払った。その訳は、書いたとおり。
一時的に、金持ちになった、気分になるのである。
更に、海外の旅をしていると、日本語が、変になる。

聞きなれない、言葉を聞いていると、日本語に影響してくるのである。

辻友子は、テロの慰霊碑の追悼を、明日の朝の早朝にも、したいと言った。
早朝は、朝である。
更に、夜の食事の時は、コータに、自分の皿の、ライスを、コータ君よかったら、この、ライスの白いご飯、食べないと尋ねた。

ライスは、ご飯である。
その他、色々ある。

危険が危ないという、言い方である。

英語と、インドネシア語を、使用すると、更に、こんがらかる。
モーニング、シラマッパギ、おはよう、と、朝の挨拶である。
えーと、何だったっけ・・・
うーんと、
ハーイとなる。

面倒になると、ハーイで、済ます。
ハイではない、ハーイである。

おしまい

posted by 天山 at 00:00| 何故、バリ島か 平成21年5月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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