2009年06月07日

何故バリ島か 7

夜の七時を過ぎた。
さて、どうするか。

最初に子供達に逢うか。

三人で、兎に角、通りに出ることにした。
その通りは、ここ、二、三年で、大きく変わった。
賑やかな、街になった。

実は、16年前、私が初めて、バリ島に出掛けた時に、その通り近くのホテルに泊まった。その当時は、荒地であり、何も無かったのである。
それが、今では、立派な繁華街になっている。

コータが、子供達と、約束した場所に、出たが、まだ、子供達が、来ていない。

そこで、近くのレストランで、食事をすることにした。

立ち並ぶレストランの中から、約束の場所に近い、レストランにしたのはいいが、値段が、やたらに、高いのである。

食事を止めて、ジュースを飲むことにした。

日本円で、計算すると、決して高くはないが、バリ島の現地感覚では、高いのである。
こんな高いところで、食べられないと、私は言う。
二人も、そうだ、そうだと、ジュースにするが、ジュースの値段も高い。

ケチケチ旅行であるから、価格には、敏感である。

兎に角、ジュースを決めて、注文。
それを、飲みつつ、子供達を待つ。

私は、バッグに、子供達の分だけを、取り除いていたものを、入れて持っていた。
もう、それで、支援物資は、最後である。
きれいさっぱりと、無くなった。

中々、子供達が、来ない。
子供の声がすると、コータが、見に出た。

ジュースを飲み終わる頃である、見つけたと、コータが言うので、早速店を出て、対面である。

三人といっていたが、男の子と、赤ん坊を抱いた、女の子の、二人である。

道端で、衣服を見せる。
丁度、三着づつ、渡すことが出来た。
男の子には、大き目のものもあったが、彼は、それでもいいと、受け取った。きっと、仲間に上げるのだろう。

男の子は、ワヤンという名で、9歳。女の子は、名前も、年齢も、解らない。赤ん坊は、兄弟なのか。

私は、衣服を渡すと、後は、コータに任せた。

写真を撮って、また、次に来るからと、日本語で言うと、二人が頷いた。


これで、今回の、すべての日程を終えた。
私と、辻友子は、先に、歩いた。
行く先は、地元のレストランで、行き着けの、安くて、美味しい店である。

クタの通りの、店で、ジュースを一杯飲む料金で、その店では、五杯分が、飲める。これで、おおよその、価格が理解出来ると、思う。

コータが、戻って、夕食である。
私は、ステーキを頼んだ。
28000ルピア、280円である。奮発したが、実は、辻友子の、おごりであるから、それにした。
今日は、私に任せてと、言うから、任せた。

しかし、辻友子は、多く、私に任せてと言った。
バリ島の暑さに、頭が、やられていたと思うし、気が大きくなってしまったのだろう。
何せ、一万円が、100万ルピアである。
何となく、金持ちになった気持ちになるのである。

これは、しめしめと、辻友子に、おごらせた。

なんで、私、こんなにお金があるのだろうと、感心していた。
三万円を、両替したと思う。つまり、300万ルピアである。
使い切れないわーーーであるから、なれない人を連れて行くのは、楽しい。

さて、私は、あの、二人の子供達に、非常に興味を持った。
何処に住んでいるのか。赤ん坊は、兄弟なのか。親は、どうしたのか・・・

コータは、女の子のことは、あまり解らないと、言った。女の子は、英語が出来ない。
男の子、ワヤンは、英語が、ペラペラである。
すべて、路上で、覚えたのである。
凄い。
必要に迫られると、覚えるのである。

翌日の、夜、私は、一人で、二人の所に出掛けた。
もう一度逢って話がしたいと思った。

ところが、同じ場所を、行ったり来たりして待ったが、現われない。
そこで、二人の、物売りの少年に、尋ねた。
小学生程度の、少年である。

赤ん坊を抱いた女の子は、どこかと、尋ねた。
彼らも、英語が達者である。
私の方が、怪しい。

知らないと言う。
いやいや、ユーフレンドよー
そう言うと、すぐに、あのホテルの道にいると、教えてくれた。

早速、早足で、向かった。
見つけた。
赤ん坊を抱いた女の子である。

向こうも、私に気づくと、笑った。
ボーイは・・
と、言うと、指差す。
屋台で、ラーメンのような物を、注文していた。

彼は、そのどんぶりを、持って私と、三人で、話し始めた。
私は、一日に、何度食事をするのと、聞いた。
一度、二度、三度と、言うと、首を振る。
一度の時も、二度の時もあると、理解した。

何処に住んでいるの・・・
クタに、住まいがある。皆で、住んでいる。

次に、女の子に、話し掛けた。
その子は、兄弟なの・・・
ワヤンが、答えた。
何と、彼女の子供だと言う。驚いた。
彼女は、いくつ・・・
17歳と、ワヤンが言う。
えっーーー
12歳程度にしか、見えない。栄養状態も悪く、そんな年に見えないのである。

ドゥユーニード フード
食べ物が必要かと、尋いた。
その英語は、思いついた言葉である。

うんと、頷くので、ここで、待っていてと、私は、コンビニに、走った。

パンや、ビスケットなど、5万ルピア分を買った。
そして、彼らの所に戻ると、二人で、ラーメンを食べていた。
一つの、お碗を、二人で食べている。
彼らは、フレンドである。しかし、ワヤンは、彼女の世話をしているようである。

コンビニの袋を渡し、それぞれに、2万ルピアを渡した。
これは、例外中の例外である。
決して、お金は、渡さないと、私は、決めている。

しかし、である。私は、後で、失敗したと思った。コンビニの食べ物は、普段彼らが、食べられるような物ではない、高価なものである。
屋台の、食べ物を買って、上げるべきだった。

後の祭り。
そして、してはいけない、僭越行為であった。

彼らの、傍にいた、おじさんが、次は、いつバリ島に来るのかと、尋くので、三ヵ月後と、言った。そんな予定はないが・・・
おじさんは、ありがとうと、言うのである。

二人にも、次も、逢いに来ると行った。
そして、さよなら、と言い、立ち去ると、後ろから、言葉が聞えた。
おじさんが、二人に、良かったなーと、言っているように、聞えたのである。

この、何とも言えない気分は、たまらない。
これは、私の自己満足である。
ただ、彼らが、人生には、突然、このようなことがあるものだと、おもってくれれば、いいと、思った。

石を蹴ったら、宝くじに当たることもあると、思えばよい。

そして、次の時に、また、逢う楽しみが増えた。
その時、彼らが、少しでも、幸せであればいい。

次の時、私は、彼らの住んでいる家を訪ねたいと思っている。

ストリートチルドレンたちの、溜まり場である。

ちなみに、彼らの売る、手首に巻く皮製の物の、卸し値段を聞いた。
実に、良心的な値段である。
ここでは、それを、バラす訳にはいかないので、書かない。
彼らは、それを、1000ルピア程度で、売る。10円である。
それも、レストランなどに入り、客に、跪いてである。
通りで、売る子は、実に、しつこいのである。生きるために、である。



posted by 天山 at 00:00| 何故、バリ島か 平成21年5月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

性について 107

ゲイという言葉は今日英語を始め現代語で、同性とのエロティックな接触を好む者を指して用いられているにもかかわらず、これまでのところ学問の領域で使用することには反発があった。
ボズウェル

同性愛者、ホモセクシャルという言葉は、ギリシャ語の接頭辞と、ラテン語の語源を使用した、複合語である。

それは、同種の意味である。
つまり、同性の、という意味なのである。

人間関係もしくは性行為に関しては、この定義はまったく適切である。
ボズウェル

だが、問題は、ホモセクシュアルな人とは、なんであろうか、ということである。

つまり、同性愛者とは、何者なのか・・・という、テーマである。

同性愛の行為に耽る人のこと・・・
では、一回でも、同性愛を体験した人は、同性愛者か・・・

更には、その行為を、夢見るばかりで、行為しない人は、どうなのか・・・
その人は、同性愛者か・・・

歴史的人物の同性愛と異性愛の経験を定量化する方法はほとんどの場合考えることもできないし、かりに可能だとしても、そのような分析はほとんどなに一つ示してくれないであろう。たとえば、アレクサンドロス大王には数百人の女および二人の男との性交渉があったが、二人の男の一人バゴアスが彼の性生活の中心であることが疑いない、といった場合、統計学ではひどく誤解を招く構図しか得られないことになろう。
ボズウェル

ホモセクシュアルという言葉は、19世紀後半の、ドイツの心理学者たちによって、作られた言葉である。

ゲイという言葉は、それより、多分に数世紀さかのぼるようである。
そして、はるかに、厳密な意味を込めて、使用されていたといわれる。

その、ゲイという言葉は、同性に対する、性的嗜好を自覚して、用いられたようだ。

ゲイのカテゴリーを主として、自己決定的なものとすることで、ホモセクシュアルという語の、欠点を未然に防いでいるようである。

アメリカの、三分の一以上の成人男性が、同性愛の行動に関わったことになっているが、これと同じ割合で、自分をゲイと、認めることはないのである。

アルフレッド・キンゼイーは、異性愛の経験のみを、0とし、同性愛の経験のみを、6、両方とも等しく経験している者を、3、などと七段階の基準を設けた。

キンゼーは、行動ばかりではなく、空想も説明しようとしたが、十分な実例史のない人々の特徴を、明らかにするには、この基準は、役に立たないのである。

ちなみに、同性愛という、定義、概念が出来てから、異性愛という、言葉が出来た。

それは、つまり、古代は、性愛に関しての、枠組みが、曖昧であり、同性、異性愛と、明確なカテゴリーを持たなかったといえる。

ボズウェルは、同性愛、ホモセクシャアルは、形容詞として、用いるという。

「主として同性に対して性的な興味をもつ」とい意味の省略表現として用いる、という。

つまり「同性愛」は、意識的な選択によるか、意識下の欲望のためか、切迫した状況のせいかを問わず、同性に対する者同士のあいだに生ずるすべての性現象を包含する。これと対照的に、「ゲイ」という言葉が指すのは、同性に対する性的嗜好の目安となる一特徴として自覚しているひとびと、もしくは、漠然とした用法だが、「ゲイの詩」のように、そのようなひとびとに関連する文物である。「ゲイの性愛」は自覚された好みに従う色情のみを指す。
ボズウェル

ホモセクシャアルの反対は、ヘテロセクシャアル、異性愛である。
それも、選択によるか、潜在意識のためかを問わず、異なる性の間に生ずる、すべての性現象を包含する。

俗語では、ゲイの、反対語は、ストレートである。
だが、これは、実証できる、語誌がないのである。

ボズウェルは、そこで、ノンゲイ、非ゲイという言葉を、用いるという。

ただ、ホモセクシュアルという言葉には、ゲイの性生活を含ませる感覚がある。

言葉の好みは、人それぞれであるが、ホモセクシュアルとは、病理学の分野で、作られ、広まったゆえに、ゲイ・ピープルは、ゲイという言葉を、好む。

このように、ホモセクシュアル、ゲイという言葉の定義、更には、それを、自覚する者によっても、実に、難しい問題なのである。

一切、同性愛の欲求が無かったという、男子が、先輩に強要されて、同性愛行為を続けるうちに、気づいてみると、同性愛者になっていたという、事実もある。

また、少年期に、年上の男から同性愛行為を、強いられていたが、それがなくなり、異性愛として、生きるという者もいる。

更に、バイセクシュアルという、両性愛という、者もいる。

男女共に、性的対象となり、そして、性行為を行う人である。

日本の、江戸時代で、色遊びといえば、両性愛性行為のことであった。

女とも、男とも、性愛を楽しむことが、粋であるという、色遊びである。

これからは、海野弘、ホモセクシャルの世界史からも、引用して、話を続けることにする。

結論から言えば、性愛というのは、その環境から、感性から、あらゆるものを、総合して、性行為というものが、行われるということである。
異性愛から、同性愛へ。また、その反対もあり得る。
つまり、八割程度の人の、性愛の形は、実に、不安定なのである。
二割の人は、明確にすることが、出来るかもしれないが、八割方は、明確に出来ないで、生きていると、言える。

posted by 天山 at 00:00| 性について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

性について108

種々の人間関係の色情的性格を示す外的証拠は文化と時代によってきわめて多様であり、愛の表現ないし描写に対して予想される同時代人の反応こそもっとも重視されねばならない。アッティカの古典文学作品の場合、二人の男性の熱い関係の好色な実態を詳述する必要はなかった。それは恋愛関係であることは自明のこととされていたからである。
ボズウェル

古代ギリシャ人は、フィリアー、エロース、アガペーの、呼称で、感情のカテゴリーをたくみに、言い分けた。
しかし、それは、誤りだという。
これらの、三つの用法には、重複さと、曖昧さが、付きまとうのである。
フィレオーという動詞は、情熱のかめらもない愛を示すこともあれば、焼け付くようなキスを指すこともある。
どちらの意味に、とるかは、文脈と慎重な、推論によって、計られる。

ラテン語の、場合は、アミークス「友人」と、アマーンス「恋する人」は、同じ動詞、アモー「愛する」からの、派生語であり、多くの場合、互換可能であるという。

要するに、古代社会は、現代ほど、友情とか、ロマンスなど、その境界を認識していなかったといえる。

古代社会においては同性愛行動を奇妙だとか異常だと考える者はほとんどいなかったから、同性愛の病因に関する所見もめったに見られないわけだ。
ボズウェル

古代や、中世の、同性の友人と、恋人を、区別する確かなものを、探しても、せん無いことであると、思われるのだ。

事実、どの古典文学にも同性愛に対する説明は見られず、誰もが同性愛をどこでもあるまったく正常なことと考えていたことは明らかなのだ。人間行動のべての側面を嘲笑したアリトファネスは、アテナイの名立たるゲイたちをもしばしばからかったが、それにもかかわらず同性愛の欲望を異性愛の欲望や、食べたり飲んだり笑ったりすることと同じく「
自然の必要」とみなしていた。
クセノフォンが同性愛は「人間の自然」の一部であると述べたとき、彼はその時代の大半のギリシャ人の意見を代弁したのである。愛に関するプラトンの議論はすべて誰もが同性愛に魅力を感じることを前提としており、そうした議論のいくつかには異性愛がいくぶん低級な好みとして見えている。また数世紀後には、フィロストラトスが、彼の愛情に答えようとしない若者は「自然の命令に逆らっているのだ」と嘆いているのである。
ボズウェル

そろそろ、古代社会の、結論を言えば、結果は、同性愛か、異性愛という、カテゴリーそのものが、重要だと、考えた者、社会は、無かったといって、よい。

それが、何故、ある社会が、他の社会と違い、人種や、信仰、性的好み、その他の、個人的特質を基準として、不公平な区別を設けたのか・・・
更には、差別という、意識を持つに至るのか。

人間が、その精神が、複雑になったからなのか・・・

同性愛行動は異文化の接触を通じて「学び伝えられ」た、という一般通念があって、これが今でも幅をきかせている。早くも紀元前五世紀にヘロドトスが、ペルシャ人は同性愛行動をギリシャ人から学んだと主張し、この見解は七百年ほどののちのアテナイオスにもなお知られていたが、クイントゥス・クルティウス・ルフス「紀元後一世紀」は明らかにこれを信じず、同性愛関係はペルシャ人に知られていないと主張している。
同性愛の伝習という観念は中世を通じてとぎれることなく受け継がれた。十字軍の戦士たちは同性愛を中東からヨーロッパへ持ち帰ったと考えられた。
シャティヨンのワルターは、若者たちは都会で同性愛を学んでいる、と主張したし、ウェールズのギラルドゥスは、イギリス人はそれをノルマン人から学び取り、さかのぼって、ノルマン人はフランス人から取り入れた、と考えたのである。
ボズウェル

それでは、いつから、同性愛というものが、差別の対象、不寛容の対象とされたのか。

それは、中世の異端思想からである。

また、ユダヤ人は、旧約聖書により、同性愛は、異端者のもの、という認識があり、旧約の神は、それを嫌った。ゆえに、同性愛は、罪であるとの、認識に立った。

罪という、概念は、その多くは、宗教から、はじまる。

一気に、現在の宗教から、それを俯瞰すると、仏教は、同性愛を話題にもしない。
ヒンドゥー教は、同性愛を一般的に受け入れている。
イスラム教とキリスト教は、同性愛の項目自体がない。つまり、認めていない。
ユダヤ教は、ゲイは認めないが、この頃では、認めるとする派閥も、出ている。

だが、時代は、それを、無視して進むことが、困難になってきているのである。

この、テーマの最初に取り上げた、例の通り、現実問題として、切実に、迫ってきたのである。

女性誌に、取り上げはじめられた、男性ヌードが、次には、男性誌までにも、席巻しはじめたのである。

新しい時代は、確実に、訪れる。
そして、そこには、時代性と、時代精神というものによって、貫かれる。

「プレイボーイ」たちは、ホモセクシャルとはっきり向きあうことをおそれているかのようだ。もしかしたら、そこには鏡があって、自分自身が映るからだろうか。
男らしさを強調し、男の世界を特権化する男性誌こそ、最もホモセクシャルに敏感である。それがないと男と女の境界がはっきりしなくなるからである。
海野弘  ホモセクシャルの世界史

多くは、母親が、息子によって、告白されるケースが、多いようである。
このテーマの、最初の例も、息子によって、告白されたケースである。

20年前ほど、ファジー、曖昧さという言葉が、流行したことがある。
男女の差に、関しても、そうだった。

男性化する女性、女性化する男性という。
あらゆる意味で、である。

それから、ジェンダーという言葉である。
性差である。

性差を無くすという、実に、馬鹿げた、考え方を、取り入れようとする、人たちが、現れた。

男女の、性的役割の、混乱も、甚だしい。

一つの例である。

通常の、女好きである、男が、その場の、雰囲気に飲み込まれて、男と、セックスをしたという。
それも、受身である。
彼は、ゲイでも、ホモでもないのである。

それ以降は、関係を持たないと言うが、いつまた、その時が来るかは、解らない。

性向は、生き方になる。
そして、性的嗜好も、生き方に、大きな影響を与える。

人の無意識の、世界は、無限大である。

性については、避けられない問題となるのである。

posted by 天山 at 00:00| 性について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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