2009年06月04日

何故バリ島か 4

ビーチの様子を見るために、バッグ二つを持って、出掛けた。
私は、タイパンツ姿で、コータも、辻友子も、浴衣ではない。

慰霊をする場所も、確認したかった。

サヌールビーチは、ホテルが、プライベートビーチとしていて、中々、道が見つからない。ホテルを、通り抜けると、簡単なのだが・・・

ようやく探して、ビーチに出た。

美しい海である。

等間隔で、ビーチに張り出している、防波堤が、また、良い。
そこで、魚釣りをしている、人、子供達。泳いでいる子供達もいる。

物売り、マッサージのおばさんたちから、声を掛けられる。
どこも、ビーチは、稼ぐ場所なのである。

一つの、防波堤に出た。

子供達がいる。
一人の男の子に、しゃがんで、シャツは、必要かと、尋ねる。
男の子は、シャイで、もたもたしていると、隣の友人である、少年が、背中を押すのである。

そこで、私は、シャツを取り出した。
すると、子供達が、一斉に、集まり出す。
穴の開いたシャツを、来ていた男の子にも、渡すと、何と、彼は、その場で、着替えをはじめた。

次々に、少年、少女が、やって来た。

私は、辻友子に、ぬいぐるのバッグを開くように言った。

すると、少年も少女も、皆、ぬいぐるみを、欲しがるのである。
あっという間の出来事であった。

このような、支援の状態が、初めての辻友子も、驚いていた。

男の子も、欲しがるなんて・・・
日本では、こんな、モノ、見向きもされないのに・・・

辻友子の、普通の感想である。

結局、そこで、ぬいぐるみが、すべて、無くなった。
見事に、無くなったので、辻友子も、唖然である。

あらっー、全部出してしまったのーーーと、私。
明日、浴衣を着て、日本人であることを、知らせてと、思っていたが・・・

そして、写真を撮り、砂浜に戻ると、今度は、おばさんたちが、私たちにも、必要と、言う。

私は、それでは、明日の朝、もう一度来ますよ、その時、差し上げますと、言った。
続々と、おばさんたちが、集ってきたのも、驚いた。

ちなみに、ビーチで働ける人は、経済的には、良い人たちである。
ビーチにも、出られない貧しい人々がいる。

だが、暮らしは、楽ではない。
その訳は、後で、書く。

辻友子が、顔を、紅潮させて、こんなんですか、いつも、と尋くので、そうなのーと、答える。

一度、ホテルに戻った。

そして、明日の朝の、慰霊と、支援のための、準備をする。

早速、日の丸を出して、ホテルの部屋の前に、掲げてみた。
すると、従業員が、一々、ナントカコントカと、話しかけてくる。

日本にいても、国旗を見ることは、稀の稀である。

更に、バリ島に、国旗を持って来た日本人は、いないと思う。
それに対して、彼らは、感激しているのである。

だから、朝、日の丸を掲げて、歩くと、道々、皆から、声援を受けた。
更に、三人の浴衣姿である。

キモノ、キモノと、連呼された。

昨日の、防波堤に出て、天に昇る太陽に向かい、慰霊の儀を、執り行う。

釣りの、おじさん達も、凝視している。

バリ島では、祈る生活が、主たる生活の核であるから、何の違和感も無い。

神呼びをして、祝詞を献上する。
そして、この地で、亡くなった方々、更に、バリ島にて、戦争犠牲になった方々に、深く哀悼の意を示す。黙祷である。
祈りの、最高の形が、黙祷である。

そして、祓い清めを、行う。
道端で、手折った、枝に、大麻を、つけて、私の場合は、普通の紙であるが、それで十分通じるのである。

四方を清め、祓う。

三人で、二度、日拝をする。
神送りの、音霊で、お送りする。

今回は、バリ島の香も、焚いた。

日の丸と、御幣で、祓いたまえ、清めたまえと、唱える。

一通り終わると、おじさんたちが、ありがとう、と言う。
そのように、聞える。
一人の、おじさんは、終わった私たちの所に来た。
一緒に写真を撮った。
それを、帰国して、見ると、おじさんは、白いパンツ一貫である。

さて、次に、支援物資である。
一人の人に、差し上げると、すぐに、人が集うので、しゃがんで、一人の女性に、差し上げた。
すると、次から次と、現われる。

今回、女性の物は、辻友子が、担当して、どんな物があるかは、辻友子が、知っている。
辻友子に、任せたが、人が大勢で、私も、加わった。

昨日、約束した女性が、何と、私たちの所に、最初に来なかったと、嘆くのである。

一人一枚と、言いつつ、渡すが、一枚受け取ると、それを、置いて、また、貰いに来るという、おばさんもいた。

結局、終わって、皆さんが、私たちが、差し上げたものを、掲げて、ありがとう、と言う。それを、見て、あらー、あのおばさん、三枚も、持っているよ、何度も来たんだと、私たちは、その素直な、行為に、笑った。

しかし、衣服は、足りなかった。
渡すことの出来ない人も、大勢いたのである。
ホテルに戻れば、まだ、あるが、それは、海がめの島と、クタの子供達の分である。

差し上げる行為というのは、短時間であるが、実に、疲れる。
汗だくになるのである。

それは、気の交換をするからだと、思う。

更に、ビーチに出られない、奥地の人にも、持って行かなければならないと、思ったし、また、次の時は、そうしたいと、決めた。

サヌールでの、慰霊の儀と、衣服支援は、終わった。




posted by 天山 at 00:00| 何故、バリ島か 平成21年5月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

性について 104

西欧史のどの時代を取ってもこの20世紀の前半におけるほどゲイ・ピープルが広汎で激しい不寛容の犠牲となったとは考えられないし、現代の西欧諸国の生きるゲイ・ピープルを観察して同性愛に関する結論をひきだそうとしても、ナチス支配下のドイツにおけるユダヤ人あるいは南北戦争以前のアメリカ南部諸州における黒人に関して出された結論ほど正確で客観的な一般論を生み出すことは期待できない。ごく最近まで、ゲイ・ピープルで自分の素性を公けにする気になった者はほんの一握りにすぎないし、そのようなひとびとにしても、当然予期されるひとびとの反発を考えると、典型的なゲイではなかったにちがいない。
キリスト教と同性愛 ジョン・ボズウェル

これは、序章である。
問題は、何かということから、はじまるのである。

巷で、言われる、ホモとか、おかま、ゲイ、など、実に曖昧で、差別的発言であるということが、理解できる。

同性愛とは、何か。
その民族、文化に、おける、同性愛というもの、とは、何かである。

伝統や、風習として、行われる、同性愛的行為も、同性愛というのか。
友情を深くして、精神的に、結びついたものも、同性愛と、言うのか。

様々な、疑問が湧くのである。

私は、すべての、人間に、同性愛性というものが、存在すると、考えている。
そして、異性愛性というものも、である。

更に、ゲイという場合は、ゲイという、同性愛だけではなく、ゲイセックスという、同性愛性交の有無を問う。

日本の武士道における、師弟のあり方、君主との、あり方も、また、同僚に対する、あり方も、同性愛を伴うものである。

明確に、同性愛であるという、線引きをすることは、至難の業である。

更に、もっと、追求すると、異性愛を、実現できない者が、同性愛行為に、救いを見出すという、実例もある。

同性愛ではないが、同性愛性交を行うという、者もいるのである。

それでは、定義を、どこに置くのかということが、問題になる。

しかし、その前に、
したがって、現代のまったく典型からはずれているかもしれないサンプルからひきだされたゲイ・ピープルの観念を歴史データに投影することは極度に慎重でなければならない。
ボズウェル
ということになる。

たとえばゲイの男たちはあまり男性的ではなく、ゲイの女たちはあまり女性的ではないという観念が、経験による知識というより、同性愛に対する反感の結果であることはほぼ疑いない。
ボズウェル

更に、分析すると、
ゲイ・ピープルに対して寛容でない文化には、男性はその文化が女性的とみなすものによってのみーーーまたは女性は文化的に規定された男らしさによってのみーーー性的な刺激を受けるという一般の期待があるため、他の男性の興味を惹きたい男性は「女性的」になり、女性に性的な関心のある女性は「男性的」になる、という憶測がおのずと生じてくる。
ボズウェル
ということになる。

わずかの、例に捉われて、それを標準としがちな公衆の心にある、紋切り型のイメージは、そんな一部の例によって、強められると、言う。

だが、寛容な、古代民族にあっては、他の男を愛する男は、異性愛の男より、男性的になると、考えられたが、これは、男を愛する男は、男たちに見習って、彼らに似ようと、努めるという、論理的な理論に基づいていた。

これに対しては、説得力に欠けると、ボズウェルは、言う。

プラトンの、饗宴から見ると、
男を愛し男と寝たり抱き合ったりすることを喜ぶ男は、その人自身、生まれつきことに男らしいのだから、子供や若者のなかでもっとも美しいといえます。彼らのことを恥知らずだという者がいまが、それは誤りです。というのは、彼らがそのようなことをするのは、破廉恥のせいではなく、自分と似たものを追い求める勇気と男らしさと男伊達があるからです。これには大きな証拠があります。つまり、長じてから政治に向いていることがわかるのは、そういう男たちだけなのです。

これは、現代の偏見とは、逆の、最も、けたたましい例だと、ボズウェルは、指摘する。

性愛のカテゴリーとしての、同性愛と、判断する場合もあり、文化的、伝統的、更に、民族的な、様々な、同性愛の、考え方があるということだ。

人間の、欲望を分析すれば、恐ろしいほど、複雑奇怪になってくる。
つまり、一概に、定義や、決めつけなど出来ないということである。

例えば、全く、女に興味を示さなかった男が、精神分析によって、何故、女に、興味を示さなかったのかということが、解明されて、同性愛傾向から、抜けるという、場合もある。

更には、異性愛も、同性愛も、受け入れない、全く、別の、カテゴリーの者もいるのである。

極端な例だと、性的に、何ら、欲望を感じる事が無いという、者である。

それも、欲望が善だとすると、異常である。

また、プラトンより、数世紀後に、生じた、プラトニック・ラブという、概念の起源は、ゲイの関係には、セックスが欠けているべきだとする、プラトンの確信ではなく、同性同士の愛のみが、セックスを超越できるものだという、プラトンの、信念にあった。

様々な、民族の、同性愛の、証を俯瞰すると、実に興味深いことが、解る。

ゲイ・ピープルに対する不寛容の歴史を研究する際に付きまとうもろもろの困難が、たんに現代の神話や紋切り型のイメージの時代錯誤的な投射を避けるということだけで解決できるなら、事ははるかに容易であろう。残念ながら歴史家は、古代の同性愛と現代の同性愛を誇張する傾向という、もっと誘惑的でやはり事実を歪める危険にもさらされるのである。
ボズウェル

posted by 天山 at 00:00| 性について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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