2009年06月03日

何故バリ島か 3

雨上がりの中を車が走り、25分程で、クタ地区のホテルに到着する。
はじめての、ホテルだった。
その付近のホテルには、四箇所泊まっている。

二件隣のホテルも、ツアー専門のホテルだ。
顔馴染みの、従業員と、挨拶したり、立ち話をする程になった。

このホテルの、感激は、シャワーが、威勢良く出ることと、朝食のバイキングである。
私は、昼の分も、食べることにして、朝、たらふく食べていた。
実に、賎しい根性である。我ながら・・・

荷物を入れ、着替えて、早速、夕食に出た。

知っていた、店が、二軒潰れていたので、驚いた。
クタは、激戦地である。

ここまで、書いて、最初の夜、どこの店で、何を食べたのか、忘れた。
ただ、酒は、飲まなかった。
飲んだのは、一度だけ、それも、ビール小瓶を、コータと、二人で飲んだだけ。
後は、一切、口にしなかった。

旅先では、酒を飲まない。
飲めないのである。

更に、日本では、微熱続きだったのが、治った。
日本に戻ると、また、微熱が出る。

翌日は、サヌールのホテルの、予約をし、支援物資の、仕分けを行う。
三人で、バッグに、入れ直すのである。

サヌールビーチでの、支援と、海がめの島で、有名な、スラガン島での、支援、そして、クタのストリートチルドレンたちである。

今回、ぬいぐるみは、サヌールの子供達への、挨拶として、持参する。

サヌールの、ホテルは、ゲストハウスに近い、こじんまりとした、一泊、2500円のホテルである。

実は、2000円のはずだが、26ドルと、言われた。更に、三人で、一つの部屋なら、26ドルですよと言う。
しかし、二つの部屋が必要である。

そこで、コータに交渉させて、25ドルにした。

次に、車の手配である。
荷物が多いので、バンが必要だが、250000ルピアである。
つまり、2500円。

ホテルに尋ねても、同じ料金だった。
駄目だと思い、メータータクシーにすることにした。

前々回のエッセイで、私が、メーターを下ろさなかったタクシードライバーに、怒鳴り散らしたことを書いたが、それ以来、タクシーは、すべて、メーターを下ろすのである。

まさか、私の旅日記が、読まれていることはないと思いつつ、望外な料金を、吹っかけるタクシーには、遭わなくなった。

翌日、タクシーで、サヌールに向かったのが、午後二時である。
朝食を、たらふく食べているので、腹が空かない。

普段は、朝食など、ほんの少ししか食べない、食べられない、辻友子も、私と、競うように、食べていたから、面白い。

どうして、こんなに、食べられるのか、しら、である。

それは、バリ島だから。
当然である。

感受性の解放である。

今回は、慰霊の儀に、使用する、日本の国旗を、持参した。
伊勢神宮の、日の丸の旗である。

すでに、テラの会の、活動に掲載しているように、辻友子が、私の傍で、国旗を、掲げていた。

白地に赤丸である。
インドネシアの国旗も、白と赤の、国旗である。

バリ島では、オーストラリアの国旗が、目立つ。
店や、タクシーの中にも、貼ってある。
聞くと、オーストラリア人が、依頼してくるという。

それなら、今度は、私も、日の丸の、シールを作り、持参しようかと、思った。

日の丸は、実に、目立つ。
それを、掲げて道を歩くと、皆々、声を掛ける。

慰霊の儀には、三人共に、浴衣を着たので、更に、声が掛かった。

インドネシアの公立学校では、日本語の選択科目がある。
それは、日本の支援に、応じたものである。
毎年、約、990億円という、大金を、支援しているのである。

学生の、集団から、おはようございます、と声を掛けられた時には、驚いた。

サヌールのホテルに、チェックインして、はじめての、サヌールの大通りに出て、レストランに入った。
コータが、この辺の人は、日本語が出来ますねと、言うと、ええ、ややさん、がーー、と言う。

この、ややさん、とは、何なのか、誰なのかが、私たちの、疑問になった。

サヌールにも、日本人が住んでいると、タクシー運転手に聞いたので、その人のことかと、思ったが、それも違うようである。

ややさん、とは、何かと、尋ねるが、誰も、明確に答えない。

日本語を、学ぶ場所が、ややさん、なのかという、結論に達したが、それでも、謎である。

私たちは、道々、ややさん、と、声に出して、歩いた。
馬鹿みたいである。

一度、ホテルに戻り、夕方のビーチに出ることにした。
その時、子供達への、プレゼントとして、挨拶として、少しの、子供服と、ぬいぐるみを、持参した。



posted by 天山 at 00:00| 何故、バリ島か 平成21年5月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

性について 103

ゲイ・ピープルに対する偏見を研究することによって、不寛容・信仰および社会がさらされるとされる想像上の危険の関係が多少とも明らかになるわけだが、ここで論ずべき利点をもう一つ付け加えるなら、この研究からは、多くの相異なる集団や特徴に向けられる不寛容の類似点と相違点への洞察が得られるのである。
ジョン

宗教上の多様性を、拘り無く、許す大半の、社会は、性の多様性も、多めに見ることができる。しかし、ユダヤ人と、ゲイ・ピープルの辿った、運命は、初期キリスト教徒による、迫害から、強制収用所における、大量虐殺に至るまで、ヨーロッパの歴史を通じて、軌を一にしている。

ユダヤ人を虐待した、その法律は、ゲイ・ピープルも、虐待したのである。

ユダヤ人排斥に専念した、その集団は、同性愛をも、一掃しようと、努めた。

ヨーロッパ史上、ユダヤ人の独自性を許容することのできなかったその時代は性的な反体制にも激しく反対した。
ジョン

ただし、ナチスにおける、同性愛迫害は、実に矛盾していた。
何故なら、ナチスに中に、大勢の同性愛者を、抱えていたのである。

上司と、部下の関係の、実に熱い、同性愛の関係は、見ぬ振りをしていたのである。

宗教の統一に腐心したその国々は性行動についても多数派の標準を押し付けた。そして宣伝活動についてもユダヤ人に対するのとゲイ・ピープルに対するのとでーーー多数派の子孫の撲滅にやっきとなる獣として描くというーーーその同じ手段が用いられたのである。
ジョン

ところが、皮肉なことに、それによって、ユダヤ人たちは、政治的智慧と、彼らの倫理上の戒律を、じっくりと、子孫に伝えた。

さらに
ユダヤ教精神はその信奉者に少なくとも抑圧に直面した際の団結という慰めを与えた。
ジョン

ユダヤ人の、集団生活は、史上再々、多数派から疎外された、一群の人々のための、主要な社会のはけ口として、個々のユダヤ人に当面の共同意識を与え、祖先の悠久にして、神聖な伝統への、帰属意識を高め、栄えることになった。

何故、ユダヤ人の排斥が、起こったか。
事は、簡単である。
キリスト教による。

ユダヤ教は、イエスキリストを、救世主とは、認めない。
一人の、預言者である。
ユダヤ教の、救世主は、まだ、この世に、現れていないのである。

ローマのキリスト教が、初期ユダヤキリスト教徒を、皆殺しにして、国教とした。
本来の、イエスキリストの、教えとは、別に、ローマキリスト教、つまり、カトリック教会が、生まれたのである。

イエスキリストは、ユダヤ人の、信仰の刷新を、目指した。しかし、その、教えと、神格は、ユダヤ人から、剥奪され、ユダヤ教とは、別の宗教組織として、発足したのである。

イエスキリストの、世界観は、ユダヤ人たちの、世界観である。
世界宗教への、道を歩み始めたのは、大航海時代の、植民地化政策に、最大の目的としての、キリスト教、カトリックの布教という、名目がある。
それが、ユダヤキリスト教を、変容させた。

それは、宗教というより、政治的目的、利用のための、ものである。

現在、世界に10億人の、信者を抱える、カトリック教会は、数名の、政治的野心から、出たものである。

スペインの、植民地政策を、今、裁くならば、国が消滅するほどの、罪の裁きを受けるだろう。

更に、かけがえの無い、各民族の、伝統文化を、皆、破壊した罪も、大きい。
それは、スペインが、植民地にした、国々に、出掛けてみれば、一目瞭然である。

ゲイ・ピープルは、世間の態度が彼らに好意的なときのみ表立った下位文化を形成する傾向がある。逆に反感を抱く社会のなかではそうしたグループは姿を消す。それは彼らの場合、標準からのずれが本来私的なものであるために許される贅沢なのだが、この贅沢ゆえに彼らの孤立化は大いに進み圧力団体としての効力が激減することにもなる。そして比較的楽な時代が戻るころには抑圧の再発阻止の動きを促進する機構は存在しなくなっている。

虐殺を記憶する古老はすでになく、生き残った者が死者の運命を思い出すよすがとなる流浪の文学はなく、危機と受難の時代を記念する祭壇も存在しない。今日でも、時節柄自分の置かれている立場のきわめて多種多様であることに気づいているゲイ・ピープルは比較的まれであるし、昔の社会ならなおさらそのことに気づいたものは皆無に等しかったと思われるのである。
ジョン

つまりは、ゲイ・ピープルは、完全に、彼らに対する、世間、社会の態度に、左右されてきたということだ。

同性愛に対する公衆の反感の歴史はこうしてある程度まで社会的寛容一般の歴史ともいえるのである。
ジョン

そこでは、ゲイ文化が、危ないものとして、多くの手が加えられて、全く、異質のものとして、歴史に残るという、馬鹿馬鹿しいことも、行われている。

神奈川県の、江ノ島にある、少年と、僧侶の心中の英語の書き込みは、二人が同性愛であることを、隠して、少年を少女に書き換えているという、馬鹿馬鹿しさである。

同性愛が、美談として、語り伝えては、ならないという、タブーを、誰が作ったのか・・・

ヨーロッパでも、そのような、小細工が、大手を振って行われた。
いちいち、例を上げるまでもない。

だが、文化を創った、ゲイ・ピープルの歴史的事実は、少しばかり、見ておきたい。
更に、ジョン・ボズウェルの著作から、引用することにする。

多くの歴史的遺産とも言うべき、文学の、ゲイ的要素が、乱暴な、堅物により、歪曲されて、紹介されるという、暴力である。
女を求めるように、男が、男を求めたという、事実は、隠せないのである。

posted by 天山 at 00:00| 性について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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