2009年06月10日

性について110

1951年、C・S・フォード、フランク・A・ビーチによる、民族誌資料の調査によれば、76の未開社会で、同性愛が見られる。
また、その多くでは、子供や、特定の大人の同性愛が、認められている。その形態は、様々で、ある場合には、婚前の異性愛が、禁じられ、それまで、同性愛が行われるというものもある。

同性愛行動は、昆虫から、動物に至るまで、見出すことが、できるが、それが異性愛の代わりのものとして、明確なのは、チンパンジーなど、高度な知能を持った霊長類のみである。

人間の同性愛は、それとは、全く違う。
異性が得られないという、他の動物の、行為とは、別である。
異性がいても、同性にしか、興味を持たないという、完全な同性愛というものが、ある。

極めて人間的な、行為の一つに、同性愛という、行為があるのだ。

同性愛の形態やそれに対する態度は文化によってさまざまである。現代の「同性愛」は十九世紀以前の西欧文化によってつくられたもので、絶対的なものではない。古代や非西欧社会の形態を理解するのに、ギルバート・ハートは「同性愛のカルチャー研究」でそれを三つの関係によって分類している。年齢によって構造化された関係、ジェンダー転換的関係、特殊な役割によって構造化された関係、である。
海野弘

年齢構造化された、社会では、成人への通過儀礼として、同性愛が、認められる。
少年と、年長の青年との関係であり、子供を大人にするための、教育を含む。

パプア・ニューギニアの、ザンビア族では、七歳から、十歳の間に、はじまる。少年は、イニシエーション儀礼を受けて、秘密結社の仲間入りをする。

古代社会では、年齢グレード制は、かなり多く行われていたようである。

ジェンダー転換的関係は、同性の相手に、異性の役割を強制するものである。

そして、特殊な、役割による、構造化された関係である。
それは、ある特定な役割が、同性愛行為に至るものである。

古代において、宗教的団体が、寺院売春を、行った例などである。
宗教的奉仕としての、売春である。
また、役割としての、同性愛行為は、演劇などとの、関連が多い。
要するに、女装である。
更に、生活の中でも、女になるというもの。

日本では、年齢によって、構造化された部類に入る。

寺院での、稚児や、武家社会での、小姓である。
一応は、少年愛であるが、完全な同性愛行為と、いえるのかは、疑問である。

異性愛行為の、代償としての、稚児や、小姓ということも、いえる。

世阿弥などは、足利義満によって、寵愛され、能を大成させた。

ホメロス時代の、ギリシャ、古代中国、古代朝鮮も、そうである。

古代ギリシャの、少年愛は、ルネサンス期のイタリアで、復活したといわれる。

ギリシャの、同性愛は、ドーリア人が、軍隊組織の中で、発達させたという。

古代ギリシャとは、ホメロスの、英雄叙事詩が出来た、前800年から700年から、紀元六世紀頃までである。

その中でも、分割すると、ペルシャ帝国の攻撃を、打ち破った時期、アルカイック期、その後の、古典期、そして、マケドニア王国に、占領されて、終わる。
古典期が、最も、都市国家が、栄えた時期である。

それからは、アレキサンダー大王が、東方に至る遠征で、巨大な帝国を築いた。
そこで、ギリシャ文化を広めた、ヘレニズム期である。

そして、前146年、ローマがギリシャを合併して、ローマ期に入る。

紀元五世紀に、西ローマが滅び、東ローマ帝国に、ギリシャ文化が継承され、ビザンチン期に、入る。

更に、キリスト教文化に、呑み込まれてゆくのである。

ギリシャ民族は、大きく三つに、分けられる。
ドーリア人、アイオリス人、イオニア人である。

同性愛は、クレタから、スパルタにかけての、南西部の、ドーリア人が、もたらしたといわれる。

ギリシャにおける肉体の発見、裸の肉体の動きとバランス、プロポーションの美しさの発見は、新しい人間の発見、個人としての人間の発見であった。それは前七世紀から前六世紀に劇的にあらわれる。
海野弘

同性愛も、その時期に、愛として、明確に姿を現すのである。

それ以前は、性行為として、あったとしても、精神的、愛という、ものではなかったようである。

ギリシャの愛は、少年愛が、中心である。
12歳から、20歳に至るまでの間、年上の男が愛するのである。

一人一人の個性がはっきりしてくると、個人と個人の間の特別な関係「愛」が生まれる。
海野弘

古代、人は、明確な個人の意識というものを、持たなかったといえる。
集団の中にある、それに内包されている。それが、個という意識に目覚めたとき、個人の意思である、精神が、芽生える。

個人が個人を意識するという、意識革命である。

そこに、はじめて、愛という、情緒を伴う精神活動が、生ずる。

幼児が、自我意識に目覚めて、個性を発揮してくるのに、似ている。

その時、隣にいた、相手を、意識する。
男が、他の男を意識する。
そこに、同性愛の萌芽が起こる。

それは、人間の進化である。

起こるべくして、起こった、目覚めである。




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2009年06月11日

性について111

同性愛も、人間のきずな形成の一つの形態である。異性間の性行動も、その大半は人間のきずなをかためる手段となっており、この点では、同性愛もまったく同じ働きを示していることになるからである。
社会生物学者 ウィルソン

同性愛という、形を、過渡的なものであり、それは、異性愛の男らしさを、獲得するために必要であるとも、いう。

少年が大人になるための通過儀礼として、同性愛教育があった、というのである。
海野弘

ここで、一つの提案をする。
それは、性行為の伴わない、友情というべきか、同性愛の精神的行為というのか、よく解らないが、同性を好む時に、伴う、精神の状態である。

私は、それを、共感能力という。

異性を理解する前に、同性との、共感によって、子供、少年は、成長すると、思う。

更に、成長して、性的欲求が、起こる。
その時、共感能力によって、同性間で、共に、性的行為を、行う。
相互マスターベーションのような形である。

同性の相手、友人との、共感が、高じて、つい、性行為を一緒にするというものである。
そこには、同性愛という、観念は無い。
ただ、性的欲求の、共感である。

勿論、それが、そのまま、大人の同性愛に、発展する者もいるだろうが、大半は、異性愛に、移行する。

自衛隊、男子学生寮など、女性のいない場所で、密かに行われる同性愛行動がある。

中には、それにより、性的満足を、同性からしか、得られなくなったという、者もいるが、それは、元から、つまり、生まれながらに、同性愛の種を、持っていた者であるといえる。

ここで、何度もいうが、同性愛性行為について、語るのであれば、問題は、実に楽である。何故、同性愛という、形を取った、共感能力、別名、愛という、精神的高揚に、至るのかということが、問題である。

人間の、大脳化と、進化の過程としか、考えられないのである。

性同一性障害などは、別にして、男として、男を、好きになる、愛する、そして、性行為を求めるという、それは、遺伝などでは、解決しない、複雑な、脳の仕組みがあるはずである。

それは、オスではなく、人間としての、男になってゆく過程である。

約70万年前、更新世中期から、はじまる、アフリカ、スペインには、かなり進んだ、ホモ・エレクトゥスがいた。
石器の技術を発達させ、この頃から、急激に、文化が、スピードアップしてゆく。

成人の、男は、荒々しく、獣めいていた。
女と、思春期前後の、少年は、ホモ・サピエンスに、近づいてきていただろう。

野獣的攻撃性を持つオスと、メスと少年は、情緒的関係性を、築きはじめていた。
少年は、母親といて、人間の持つ、やさしさを、身につけてゆく。

石器と、狩猟技術の発達で、食料を得ることが楽になる。
危険が少なくなり、いつも、攻撃的でいなくてもよくなると、少年の、やさしさを持続したまま、成人する、オス、男が、現れる。

それは、新しい、人間の、オスのタイプである。

強い男ではなく、繊細な男たちである。
社会生物学者は、そこで、彼らが、情緒的で、説得力を持つ、コミュニケーション、言葉を進歩させたのではないかと、推論する。

四万年前までに、現在につながる、ホモ・サピエンスが、現れる。
その進化の、過程で、人間的な、やさしさ、情緒的な、新しい種類の人間、新しい男たちが、人間そのものを、変容させるために、大きな役割を果たすのである。

男と女を、つなぐ、中性的、あるいは、両性的なタイプの人間である。

彼らは文明発生に大きく寄与した進化の副産物であり犠牲者なのだ。また彼らは私たちの社会にとって価値ある中性的な特徴をもっている。
シドニー・メレン 愛の起源

ここでいう、新しい人間ということが、面白い。

中性という、性は、存在しない。
ゆえに、中性的という。

両性的とも、いう。

そして、彼らは、文明発展に、大いに貢献した、犠牲者という、考え方も、面白い。

男を愛すことが、出来る男、つまり、それも、能力の一つと、考えてよい。
または、個性である。

私は、共感能力に、優れたものと、いう。

ただし、現代の同性愛者については、また、別に論じることにする。

何事も、時代と、その精神によって、歴史は、創造されてゆく。

同性愛の、歴史的変転を眺めて、更に、深く、人間というものを、理解したいと、思うのである。

ちなみに、動物には、発情期というものがあり、その時期のみに、性行為と、生殖が、行われる。
しかし、人間は、一年中、性行為が、可能であり、更に、遊びという、要素も、多分にある。性を楽しむのは、人間の最大の、喜びであろう。

性の欲望を、真っ当に、楽しみ、更に、同性、異性に関わらず、持続した、愛情関係を持って生きることは、人生の喜びになる。

その、極めて個人的な、欲望の有り様を、誰も、支配しては、ならない。
更に、差別しても、ならない。

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2009年06月13日

性について113

紀元30年前後、パレスチナにおいて、イエスが、十字架刑にかけられた。
それから、その弟子たちによって、キリスト教の布教が、ローマ全域に行われる。

最初は、迫害の歴史だった。
しかし、313年、コンスタンティヌス皇帝は、キリスト教を公認する。

ローマ帝国は、キリスト教と、ゲルマン民族によって、解体する運命を負う。

395年、ローマ帝国は、東西に分裂する。

ローマ帝国から、キリスト教世界への変化によって、性は、寛容から、不寛容の時代に、突入することになる。

だが、初期キリスト教は、同性愛については、沈黙している。
パウロの手紙に、そのようなことが、書かれたが、大きな混乱はなかった。

イエス在世当時は、同性愛は、珍しくない。
つまり、ユダヤ教であるが、同性愛を、厳格に、区別していた、形跡はない。

新約聖書には、同性愛については、全く、触れられていないのである。

そこで、同性愛、更に、性というものに、罪悪感を与えた、人物が現れた。
アウグスチヌスである。
以後、彼は、教父と、言われて、カトリックの理論家として、神学者として、普遍の地位を、築く。

ラテン教会の中で、明確に、性を語ったのが、アウグスチヌスである。

その、告白では、若い頃、欲望に身を任せたという。
子供まで、もうけた。

しかし、晩年、それを反省し、禁欲的な教義を、提起するようになる。

アダムが、イブに欲望を抱いたことが、人間の原罪であると、いうのだ。
そして、同性愛は、自然に、反するものであり、神への、大罪であると、激しく攻撃する。

だが、彼の、告白の中では、彼も、同性愛を、楽しんだのである。

友情の泉を汚れた肉体で汚し、その輝きを色欲の闇をもって曇らしていたのであるが、しかもわたしは醜悪でありながら、虚栄に満ちて、優美で洗練されていることを切望していた。
告白

いい気なものである。
若いときは、さんざんに、欲望に身を任せて、晩年になり、欲望が衰えて、それは、大罪であるなどとは、いい加減にせよ、と、言いたくなるのである。
人間、老いれば、いずれ、その欲望も、希薄になり、いくらでも、欲望は、罪である、大罪であるなどと、たわけたことを、言えるのである。

この、アウグスチヌスの、教義が、カトリックの根本教義となってゆく。つまり、同性愛、性に対する、不寛容の幕開けである。

しかし、当初は、同性愛の、伝統が、続いていて、即座に、神学者たちの、罪意識を、広めることは、出来なかった。

何せ、異性愛に関しても、色欲として、攻撃するあたりは、それこそ、自然に反するものである。

ローマ帝国では、533年まで、同性愛の、明白な、非合法化は、されていない。
しかし、この年、ユスティニアヌス皇帝は、教会の基準によって、同性愛を、姦淫に含めて、罰則を作った。

ただ、ボズウエルによると、十三世紀以前につくられた、同性愛反対の法律は、世俗権力によるもので、教会の影響を受けていない。それは、聖職者取締りに、使われたものだと、いわれる。

中世初期には、同性愛は、あまり、深刻に扱われていない。
擁護もされないが、排除もされなかった。
だが、初期の教会において、聖職者同士での、情熱的友愛が、大きなテーマとなったという。

つまり、その共同生活の中に、おける、同性愛的要素が、あったということである。

修道院生活は、同性愛の巣でもあったと、いえるのである。
その、証拠は、数多くある。しかし、それらは、省略する。

ただ、面白いのは、十一世紀、最も、権威のあった、神学者である、アンセルムスは、修道院の禁欲生活に、同性愛を、組み込める神学を、考案したという。

ただし、現在の同性愛行為に、結びつくのは、十九世紀からであり、その頃の、同性愛は、ソドミー、男色のことであり、それは、動物との性行為に含まれるものだった。
つまり、アナルセックスのことである。

現在の、同性愛の、多様的、性行為は、十九世紀にから、はじまる。
つまり、オーラルセックスである。

現在でも、知らない者は、男同士が、性行為をすることは、アナルセックスをするのだという、短絡的思考の持ち主がいる。

性行為というものも、進化しているのである。

セックスしない、セックスというものも、提案される時代なのである。
それは、禁欲ではない。

シトー派の修道会を、拓いた、アンセルムスは、若い頃に、同性の性愛に、溺れていた。
修道院に入ったのは、そこから逃れるためだといわれる。しかし、彼は、友愛、そして、友情というものを、神への愛に沿うものであると、認識した。

友愛とは、性を伴うものである。
友情とは、精神的愛の形である。

当時の、友愛を、現代の友愛と、考えるのは、誤りである。

性は、愛に結びつくのである。

であるから、その後の、キリスト教、カトリックにせよ、プロテスタントにせよ、実に、不寛容になっていったのである。
それが、教義になるほどである。

人間の、抜き難い、神聖な欲望を、抑圧して、信者を、支配するというのは、どこの、宗教にも、当てはまる。
一番、人間の弱いところを、握って、支配するという、驕りである。

実に、唾棄すべき、行為である。

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2009年06月14日

性について114

突然だが、現在の世界の、憲法で、最も、優れて、進化している、憲法がある。南アフリカである。

人種、ジェンダー「社会的文化的性別」、セックス「生物学的性別」、妊娠、配偶者の有無、民族的または社会的な背景、肌の色、性的指向、年齢、障害があること、宗教、良心、信念、文化、言語、出自により直接的または間接的に不当に差別してはならない。

人類は、進化しているのである。

ここにある、性的指向というのが、ゲイ、ホモセクシュアルにいえる。

それらを、不当に差別しないという。
ここまでに至るために、南アフリカでは、どれほどの、犠牲が払われたか。そして、同性愛を、不当に差別しないという、考え方が、起こるまで、どれほどの、時間を要したか。
更に、今でも、厳然と、差別し、更には、死刑をもって、当たる国々もある。

更に、言論である。

私に対して、性について、を、書くなとは、誰も言えない。言わない。
言論の自由である。

とてつもなく、人類は、進化した。そして、まだ、進化を続ける。

私は、だから、絶望しないのである。
未来は、希望に満ち溢れている。

全く、違った意見を人が、言う。その場合、その意見には、反対するが、あなたの意見を言う、権利を守るという、姿勢が、未来には、見えるのである。

歴史を通して、見えるものは、それである。

勿論、それに、未だに、付いてゆけない人も、国も、多くいるし、ある。
しかし、歴史を鏡としてみた場合、人類は、進化しているのである。
それは、精神である。

南アフリカの、憲法は、希望である。
そして、それを、現実に、実現する努力をする。

性について、を、考えることは、そういうことである。

ただ今は、同性愛という、テーマを取り上げている。
まだまだ、続く。
そして、同性愛セックスの様も、書くつもりである。

時々、あまりの、深さに、投げ出してしまいたくなることもある。
同性愛の次は、売春の歴史であり、更に、様々な、性の模様を、書きつける。

性と、性愛についても、書くつもりである。

それは、人間を、書くことと、同じエネルギーが必要である。

つい最近まで、同性愛は、差別の対象だった。
しかし、アメリカ、ニューヨークなどの、同性愛開放運動は、20世紀の後半になってからのものである。

それまで、どれほどの、時間を費やしたか。
日本でも、ニューハーフなどと言われて、マスコミに登場したのは、つい、最近である。

ゲイの問題も、真っ当に取り上げられるようになったのは、つい、最近である。

確かに、日本の場合は、同性愛は、武士道の中に、込められてあり、更に、寺院制度の中での、稚児という存在が、少しばかり、同性愛に近いものとして、認識されていた。

だが、稚児制度は、あくまで、女色の、代わりである。

男が、男として、愛し合うという、同性愛関係は、稚児制度の中でも、特別な関係だった。

江戸時代まで、少年愛というものが、当たり前にあった。
更に、寵童という、存在も、然り。

戦の現場に、女を連れてゆくことが、出来ないゆえに、女の役目を、それに負わせた。
要するに、ソドミーの相手、アナルセックスの相手として、である。

だが、そんな時代にも、同性愛は、存在した。

それが、混在していた時期が、日本は、長いと、言える。
明治期まで、それほど、深く認識しないで、済んでいた。

しかし、明治期の、西欧の思想、キリスト教思想による、差別の意識、認識が、入り込むと、途端に、男同士という関係が、不穏なものであるという、感覚になった。

同性愛は、病気であり、差別するべき、対象であるという、権威主義の思想である。

女遊びは、いくらしても、いいが、同性との、性的接触は、病であり、それは、罪であるという、まこと、目くらましのような、西欧の歪んだ考え方である。

だが、その西欧では、イギリス、フランス、ドイツをはじめとして、同性愛の無い国は、無かった。
日本以上に、盛んだった。

その良い、例が、カトリックの司祭たちの、同性愛行為である。
内密なされているが、独身の司祭たちは、とっておきの、隠れ蓑であった。

更に、ようやく、表沙汰になった、司祭による、男子児童に対する、性的虐待の様である。

その、虐待に遭った、少年が、青年になり、司祭を告発するようになる。
ついに、ローマ法王が、異例の、謝罪である。

性を、罪に、結びつけた、キリスト教という、宗教の断末魔がはじまる。
勿論、イスラム教も、然り。

性的快感を感じてはならないという、仰天するような、教えを繰り返した。

更に、夫婦の寝室までも、支配しようとした、宗教、教会の傲慢は、計り知れない。

割礼という、男子に対する、それは、納得するが、女子に対する、割礼は、クリトリスを切り取り、性的快感を得なくするという、呆れた、行為である。
それが、宗教という、蒙昧によってなされる。

宗教は、人間の性の、敵である。

素晴らしい恵みである、性の快楽を、すべての宗教は、否定した。
つまり、すでに、彼らは、時代遅れであり、未来に希望の無い、形骸化したものになったのである。

中には、性の快楽を、利用して、宗教まがいのことを、行う集団もある。
例えば、一部の、密教系、インドの瞑想系などである。
しかし、その内容は、実に、魔的なものである。

それについては、神仏は妄想である、を、参照してください。

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2009年06月15日

性について115

何故、歴史を通して、性的指向が、権力によって、また、宗教によって、裁かれるのか。
それは、非常に、興味深いものである。

人間の欲望は、性欲だけではない。
例えば、金銭欲なども、多くの人間を、囚われの身にする。しかし、金銭欲が深いということでは、裁かれないのである。

1400年から、1700年の、三世紀の間を、西欧では、ルネサンス時期と、いう。
人間再生の時代と、言われる。

中世は教会による、暗黒の抑圧時代であった。

しかし、ルネサンスは、面白いことに、同性愛に関しては、実に、不寛容であり、その抑圧が、中世よりも、強いのである。

ヴェネチアと、フィレンツェでは、多くの人が、同性愛で、告発され、厳しい法律で、裁かれている。

フィレンツェでは、1432年から、1502年の間に、2500人が、男色の罪で、告発された。
更に、この時期は、反同性愛の運動が盛んで、夜の警察、という、同性愛を取り締まる特別な警備隊が、作られたという。

しかし、厳しい規制にも、関わらず、ルネサンスにおいて、男同士の友愛の表現は、多々ある。

ルネサンスとそれにつづく宗教改革は、人間によりよき世界をもたらすはずなのに、世界を引き裂いてしまった。人間は愚かな中世から目覚め、賢い新世界に入ったはずであった。だがその賢い世界は、なぜかくも悲惨なのか。エラスムスは「愚神礼讃」でそのことを語ろうとしたのではないか。
海野弘

エラスムスは、ロッテルダムに生まれ、不幸な少年時代を過ごし、修道院に入る。そこで、セルヴァティウス・ロゲルスという、友人に友愛を、捧げる。

しかし、思いかなわず、修道院を出て、パリ大学にゆく。そこで、トーマス・グレイという若者を、教え、彼に惚れ込む。その後見人であった、スコットランド人が、その関係を、非難し、スキャンダルになる。

このような、話は、ルネサンス期は、実に多い。

レオナルド・ダ・ビンチや、ダヴィデ像のドナテロなど、美術界の面々は、大半が、同性愛である。

晩年の、レオナルドは、フランチェスコ・メルツィという若者を愛した。
そして、メルツィは、彼の死を看取り、その膨大なノートを遺産として、引き継いでいる。

ミケランジェロも然り。

ミケランジェロといえば、その圧倒的な「男の」肉体の表現が特徴である。繊細で抑圧的なダ・ビンチの表現に対して、マッチョともいえるような筋肉の誇示である。彼は女のヌードをとりあげてはいるが、女性的魅力を持っていない。
海野弘

ルネサンスのイタリアの同性愛の状況はきわめて複雑で矛盾している。古代の快楽主義とキリスト教の禁欲主義が衝突しているのだ。フィレンツェはその焦点であった。メディチ家とサヴォナローラがそれぞれ政治的力を代表していた。メディチが後援したプラトン・アカデミーは、ギリシア学者マルシリオ・フィチーノが主宰し、プラトンの「饗宴」の世界を復活しようとしたものであった。男同士の友情、ホモソーシャルな関係を推奨したのである。それは精神的なものであると強調されていた。
海野弘

1491年、サヴォナローラは、異教徒的快楽主義を弾劾し、禁欲的キリスト教への回帰を求める。
ギリシア美術、ヌードを否定し、フィレンツェのソドムの徒を、攻撃した。

ミケランジェロは、その両方に、引き裂かれて、悩んだという。
つまり、若者に、惹かれていたが、カトリックの罪にも、悩んでいたのである。

だが、当時は、法王から、枢機卿までが、同性愛行為に至っていた。

ルネサンス・イタリアにおいては、男色が取り締まられたにもかかわらず、法王から芸術家まで、その趣味を抑えることはなかった。ユリウス三世も快楽好きで、同性愛の噂があった。しかし後に、禁欲的となり、異端を厳しく審問し、同性愛を強く取り締まるようになった。

シクトゥス五世は、ローマを、震え上がらせたという。
男色の罪で、聖職者だけではなく、相手の少年まで、火炙りにしたのである。

だが、男色の取り締まりを、強化したにもかかわらず、芸術における、ホモエロティックな表現は、抑制されず、むしろ、高揚したのである。

男の、エロティックなヌード、両性的表現、生々しい肉体の感触などは、十六世紀末からの、バロック芸術に、溢れ出してくるのである。

バロックは反動宗教改革の禁欲と官能の不思議な結びつきの表現であった。
海野弘

ここで、面白いのは、同性愛を、快楽主義として、認識していることである。
要するに、男女の、性行為が、自然であり、同性愛は、快楽に負うとする、意識である。

教会は、いずれにせよ、人間の性欲、性的快楽を、禁欲的にせよと、教えたが、そんなことは、出来るはずもない。

同性愛ばかりを、見ていると、男女関係が、希薄になるが、男女関係でも、溢れるばかりの、欲望の渦だったはず。

快楽も、禁欲も、根は、同じものであると、私は、考える。

快楽と、禁欲の、間を、人間は、揺れ動く。

アウグスチヌスのように、若い時に、同性、異性に関わらず、性行為を持って快楽的だったのが、晩年に至り、突然の如く、禁欲的考え方に、傾向するという。
要するに、それ、に、囚われている証拠である。

快楽、禁欲というのは、それ、その欲望に、囚われているゆえに、起きる、心境の変容であり、根は、同じところにある。

どちらに、振れても、同じこと。
囚われない人は、その次元にいないのである。

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2009年06月16日

性について116

ルネサンスの、西欧は、ホモフォービア、つまり、ホモセクシャルを忌み嫌うという、意識が広がっていた。

人間主義ならば、同性愛に関しても、寛大な意識を持ったということは、全く無い。

勿論、その根拠は、キリスト教である。
そして、その異端審問の本拠が、スペインであったというから、それだけ、同性愛が、盛んだったといえる。

スペインの次が、イタリア、そして、フランスである。
イギリスは、まだ、のんびりしていた。デンマーク、スウェーデン、ロシアなどは、ほとんど、罪悪感がない。

フランス、アンリ二世が、メディチ家の、カトリーヌ・ド・メディシスと結婚したことにより、イタリアの、ルネサンス文化が、なだれ込んだといわれる。

時代は、そして、宗教戦争の最中である。

キリスト教の分裂と、抗争が、ホモフォービアを助長したとも、言われる。

中でも、カルビン派は、カトリックの腐敗を糾弾し、僧侶たちの、悪徳として、男色を攻撃した。
カトリックの方も、異端審問し、男色を異端として、裁いた。

フランスは、面白いことに、同性愛をイタリアの、悪徳と見て、それを排除する法律を作ったが、それは、中流以下の人々に、適応されたのであり、王侯貴族は、自由だったという、何とも、不思議なものである。

宗教戦争について、詳しく書くことは、避けるが、最高潮は、パリの、聖バルテルミ祭の、大虐殺であろう。
バリだけで、数千の、プロテスタント、ユグノーが、虐殺された。

当時の、アンリ三世は、カトリックに、そして、その子、アンリ四世も、暗殺されている。

そして、ルイ十三世の、登場である。
彼は、兎に角、女性を、恐れた。いつも、男たちといることを、好んだという。
その子の、ルイ十四世は、ホモを嫌ったが、何と、彼の周囲は、ホモセクシャルが、多く存在した。

1682年、一つの、キャンダルが、発覚した。
貴族の息子たちが、秘密結社を作り、男色関係を、行っていたという。その中には、ヴェルマンドワ伯爵も、入っていて、大問題となった。彼は、十五歳の、美少年で、ルイ十四世と、愛妾の間に生まれた、息子である。

ルイ十四世は、関係者を、容赦なく追放し、その息子も、公の前で、鞭打たれ、追放された。

だが、ルイ十四世の、弟の、フィリップは、バイセクシャルである。

兎に角、西欧でも、同性愛は、実に盛んだったということだ。

一々、書き上げていれば、きりが無い。

それでは、イギリスを見ると、17世紀までは、表立った議論はなかったのである。
当然、同性愛の迫害もなかった。

それを取り締まる法律が、出来たのが、1533年である。
当時の、ヘンリー八世は、ローマ法王と、対立し、カトリックへの、嫌がらせとして、決めたという。破産しかけた、ヘンリー八世が、その罪で、修道院を取り締まり、財産を奪おうとした。

つまり、同性愛は、修道院で、盛んだったということ。

その法律は、ヘンリー八世の娘、メアリ一世によって、緩められた。
彼女は、カトリックで、スペイン派である。修道院の、財産を守ろうとした。

次の、エリザベス一世は、また、ローマ教会と、スペインに対立し、同性愛を取り締まる法律を、厳しくした。

エリザベス時代に、英国法が、確立され、19世紀まで、そのままであった。

シェイクピアでさえ、ソネット集で、同性愛を歌うのである。
彼が、同性愛を歌うということに、困惑したのは、学者たちである。
何のかんのと、理屈をつけて、弁明したが、20世紀後半になって、やっと、その議論が真っ当に出来るようになった。

それ以後の、イギリスでも、同性愛に関する、情報は、こと書かない。

ここでは、単に、それらを俯瞰するのに、留める。

イギリスの、本格的、スキャンダルの幕開けは、1642年、チャールズ一世が、議会と、対立し、内乱がはじまってからである。

クロムウェルの、クーデターで、チャールズは、捕らえられ、処刑された。
そして、共和国の誕生である。
しかし、クロムウェルの死後、共和制が、崩れ、チャールズ二世による、王政復古がなされた。

その後、弟の、ジェームズ二世が、即位したが、カトリックであった彼を、国民は、支持しなかった。プロテスタントである、娘の、メアリに期待するのである。

メアリは、オランダの、オレンジ公ウィリアムと、結婚する。
ウィリアムは、ジェームズを追放し、妻の、メアリと共同で、王位に就いた。

時は、議院内閣制などの、イギリスの近代史がはじまる、時期である。

しかし、この、ウィリアム三世は、オランダから来た、外国人と見られ、国民の人気はなかった。
更に、彼は、ホモセクシャルであった。

メアリと、他の女性も、愛したが、それでも、彼は、同性を好んだ、

彼は、英国のスチュアートと、フランスのブルボンの、両方の王家の、ホモ・コネクションと、つながっていた。

ここでも、その、詳しい内容は、省くが、華々しい、同性との関係がある。

簡単に言えば、王の周囲には、ゲイの若者で、溢れていたといえる。

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2009年06月17日

性について117

イギリス
十八世紀には、それまであまり触れられなかった同性愛について、あからさまにとりあげられるようになった。性についての解禁は、それを強く意識させ、「ホモフォービア」をつくり上げるといった矛盾した結果を出現させた。
海野弘

ウイリアム三世は、その過渡期にある。
同性愛は、王侯貴族の、暗黙の悪徳であったのか、彼の時代から、公の攻撃とされるようになる。

王自身も、それで、風刺されるようになる。
だが、ウイリアム三世の伝記には、それに触れることがなかった。
だが、オランダにては、同性愛のタブーがなくなり、彼の伝記には、それが、触れられた。しかし、米英の伝記作家は、それを、避けているという。

十八世紀は「理性の世紀」といわれる。魔術的世界から近代的知性、科学が目覚めたといわれる。英国とオランダで、政治的自由を持つ国家ができた。しかし、それとは逆に、同性愛への攻撃や差別はより厳しくなっていく。この矛盾が近代化の不思議だ。ある意味で、「同性愛」「ホモフォービア」は近代がつくったものだとさえいえるのである。
海野弘

前回も、書いたが、十七世紀末から、パリなどでは、警察制度が確立し、監視が制度化して、覗きや、スパイが一般化した。それは、私生活が、組織的に、覗かれるということである。

同性愛の、監視が、警察の一つの仕事となる。
男色パトロールが行われる。

宗教的な、罪とされていた、同性愛が、世俗的な犯罪とされるようになる。
ペデラスティ、ソドミーなどの言葉は、ホモセクシャリティ一般を、意味するようになる。

だが、フランスの、それは、世俗化し、風俗犯罪としたが、そりにより、火炙りの刑という、重刑は、無くなった。

ぺデラスティ、ソドミーなどに、表現される、セックスに関しては、後で、書くことにする。要するに、同性愛セックスというものは、何かということで・・・
イギリスでは、十九世紀のはじめまで、厳しい、処罰が続いた。

フランスは、できるだけ、死刑を避けたが、イギリスでは、逆に、死刑をエスカレートさせたという。

しかし、イギリスで、同性愛を、厳しく取り締まることは、一つの伝統を破壊するということにもなる。
何故なら、王侯貴族の、男子は、それを通して、騎士道などを、学んだからである。

であるから、ロンドンの、大都市によって、ゲイ・カルチャーが、一挙に、花開いたという。王政復古後、クラブ文化が、賑わい、コーヒーハウスが、できる。

つまり、そこで、ホモソーシャルな集まりが、増えるのである。

中でも、ホモセクシュアルを明確に意識したのが、モリーズ・クラブである。
他の、クラブも、その流れにあったが・・・

モリーズとは、おかま、ミソジニイ、女嫌い、ホモセクシャル、である。
それは、ロンドンの、至る所で、見かけるようになったという。

1690年、風俗改良協会が、設立されて、アンチ・ホモセクシャルキャンペーンを展開する。
そして、協会は、ホモの、ブラックリストを発行したのである。

二千名ずつの名が、記され、付け加えられていった。
つまり、宗教に代わって、道徳が、支配するようになるのである。

フランスでは、1783年が、男色での、死刑が、最後であるが、イギリスでは、1835年まで、続いた。

後に、国家についての、哲学的考察の中に、同性愛を主たるものとる、考え方が出てくるので、紹介する。
実に、面白いものである。

さて、西欧の文化的、転変の中では、同性愛というものが、底流に流れているという、よい例がある。

十八世紀半ばから、イギリスでは、ゴシックが、流行した。

ゴシックとは、中世的な、奇怪な、野蛮な、などという、意味がある。
それは、美術史から出た言葉である。

ルネサンス以来、中世の建築などは、過去のものとされていたが、突然、それらの、廃墟に、価値を見出す動きがはじまる。

人々が、クラシックに、飽き飽きしたというのである。

そして、その、ゴシックリバイバルに、関わった人々が、ホモ・コネクションである。

その、先駆者が、詩人の、トーマス・グレイである。
詳しいことは、避けるが、勿論、ゲイである。

だが、後の、文学史の中では、彼の、ホモセクシャルについては、触れられていない。

ゴシックと、書簡というのは、ホモセクシャルを語る、キーワードだと、海野弘は、言う。

イギリスでは、取締りが厳しかったが、大陸では、その時代が終わり、自由な環境となっていたゆえに、多くのホモセクシャルな男たちが、イタリアなどに、渡ったという。

兎も角、ホモセクシャルを無視しては、語れない歴史の数々があるということで、調べている私も、驚いている。

さて、プロシア王であり、啓蒙君主として、有名な、フリードリヒ大王に、触れる。
父王が、没して、王位に就いた、フリードリヒは、その同性愛行為をもって、日々を暮らした。

哲学者、ヴォルテールは、その自伝の中で、フリードリヒとの、交友を、生き生きと描く。

王には、かねがね私より若い寵臣たちを相手に、異様な愛情表白を行う癖があった。そこであるとき王は、私が彼らと同年輩ではないことも、私が美しい手を持っていないことも忘れて、接吻するために私の手を取った。私は王の手に接吻した。そして彼の奴隷となった。
ヴォルテール
彼も、王に惚れてしまったのだ。

ただ、その態度は、
ヴォルテールは自分の中にひそんでいる、いくつもの性向にその都度正直に振舞いながら、決してそこにとどまれないで、そのどれをも絶対化することなく、飛び移ってゆく。
海野弘

何度か、書いたが、男性性というもの、女性性というものは、男女共に、意識下の中に有するものである。
その、振幅により、その性意識が、揺れ動く。

ホモ、ゲイを、嫌悪するという人に、私は、その要素を多分に感じる。
もし、そのような、要素がなければ、そのことに、反応することは、無い。
全く、ゲイ的要素の無い、男は、ゲイを、理解不能な感覚として、容認する。

差別の強さは、差別する側に、その要素が、潜んでいること、多々あり。

宗教的罪とした、時代も、その宗教者たちが、男色行為を行っていた。
それで、裁きを下すという、混乱である。

だが、まだ、現代に続く、ホモセクシャルの時代は、来ない。
現代に続く、ホモセクシャル、ゲイセックスも、進化ゆえのものであると、私は、考えている。


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2009年06月18日

性について118

1780年代は、ヨーロッパにおいて、刑法の改正が進み、多くの国で、ホモセクシャルを処罰する、法律が廃止された。

この時は、ホモセクシャルというより、ソドミーという言葉が合う。
ソドミーとは、同性愛性行為の、一つのカテゴリーとして、私は、認識している。
それは、アナルセックスに、表現される。

だが、以後、近代に入り、その、同性愛セックスの、形は、どんどんと、広がり、ソドミーとはいえない、セックスの形相になる。
ホモセックスについては、後半に、記述する。

さて、刑法の改正は、啓蒙君主の存在した国が、早かった。

フリードリッヒ大王の、プロシア、レオポルト二世の、オーストリア、エカテリーナ二世の、ロシアなどである。

先進国の、フランスと、イギリスでは、遅れていた。

フランスでは、18世紀末には、改正議論が、盛んになる。
ソドミーの刑法が、廃止される方向に向かったのは、三つの、理由がある。

一つは、死刑のような、極刑は、野蛮である。
二つ目は、ソドミーは、これまで、異端や、呪術などと一緒にされて、有罪とされてきたが、そのような、宗教による、断罪に対する、反感が、強くなったことである。宗教への、反感が、宗教的罪というものを、疑わせるものとなった。

三つ目は、個人的自由が、重視されて、被害者のいない、犯罪は、罰しなくてよいという、考え方が、強まったことである。
他の人の、迷惑にならなければ、何をしてもいいという、個人の自由が、認められたのである。

18世紀から、19世紀にかけて、法律的に、大きな曲がり角を、迎えたのだ。

だが、ソドミーが、犯罪ではなくなったが、そのトラウマが残った。
差別は無くなったが、差別意識は、残ったのだ。

10世紀には、ホモフォービアが、むしろ、強くなったのである。

更に、フランスでは、犯罪ではないが、警察は、ホモセクシャルの、ひそかな監視を、止めなかった。
それが、秘密であればこそ、支配する力が強くなるという・・・

それが、廃止されるのは、1981年になってからである。

それでは、イギリスでは、どうか。
フランスで廃止された、極刑が、残されていたのである。

イギリスで、それに、異を唱えたのは、ジェレミー・ベンサムである。
彼の、刑法改革は、先駆的なものだった。
1785年前後に、書かれた「自己にそむく違反、男色」という本は、実に新鮮な、ホモセクシャル論である。

彼は、男色の処罰に、反対する。
だが、論文は、当時、発表できなかった。
実際、彼は、同性の友愛を、高く評価していた。

特に、注目すべきは、人間の不合理な態度の解明に、挑み、そのことは、ある人を、無言の動物を殺すような、行動に駆り立てるというもので、それを、何かの正義にしようとすると、ホモセクシャルのうちにある、反感に、民族的差別と、反感が、宿るというのである。つまり、例えば、ユダヤ人への、反感などであると、見るのである。

ここで、少し、同性の友愛という、言葉に、触れる。

現在、友愛という言葉は、理想的なイメージによって、使用されるが、当時の、友愛とは、そのまま、同性を愛するという、意味である。

つまり、友愛とは、同性愛を言うのである。

更に、突き詰めてゆけば、同性愛性交を言うことになる。

精神的友愛であると、言っても、そこには、矢張り、愛という、感情があるのである。

精神的、友愛ならば、認めるという人がいるが、精神的友愛と、肉体的友愛との、違いは、何か。

それは、人間であれば、同じことになる。
精神だけの、愛情で、満足するというならば、異性関係にでも、言えるのである。

人間は、肉体と、精神の、存在である。

精神的に愛することは、肉体的に愛することも、出来るというものである。

勿論、精神的愛情だけで、両者が、十分に、満たされているというならば、問題は無い。
要するに、理想を掲げても、駄目だということである。

腹の空いた人に、救いの神の教えを説く前に、パンや、お握りを、与えなければならないのである。

昔、私の知り合いに、同僚から愛されて、戸惑った若者がいた。
ある日、どうしても、一緒に寝たいといわれて、断ることが出来ずに、床を一緒にしたという。
そして、為すがままに、従った。
深い口付けをされた。

それで、相手の男が、実に満足して、眠りについたという。

そこには、伏線がある。
彼は、同僚の男に、同情していた。
その、家庭環境の不遇に、である。
愛された、経験が無いという、同僚に、何かしてあげたいと、思ったというのだ。
それが、それを、受け入れる、きっかけになった。

それも、友愛である。

勿論、彼は、異性愛であるから、その同僚には、このことを、告げた。
それを、同僚も、納得し、以後は、仲良く仕事仲間として、付き合ったという。

さて、イギリスでは、1806年から、36年にかけて、60名が、絞首刑になったという。
大陸では、それが、終わりを告げたのに、イギリスでは、以前として、残っていた。

その違いは、何か。

カトリックと、プロテスタントの違いである。
フランスでは、カトリックへの、批判が強いゆえに、カトリックが排除してきた、ホモセクシャルの、権利を認めた。

イギリスでは、教会の権力が強くない。
宗教が発する、法律にも、反感は、少ない。

男色に、関する、法律も、イギリス、アメリカ、ドイツでは、そのまま、20世紀まで、残ったのである。

18世紀末から、廃止された、ホモセクシャルの、処刑は、全体に及ぶまで、二世紀以上も、かかったのである。


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2009年06月19日

性について119

19世紀、イギリス
大英帝国の黄金期である。

それは男性中心の社会であった。クラブからパブにいたるまで、男だけの空間、男同士の社会が大きな勢力を持っていた。軍隊からスポーツまで、男だけの世界が花盛りであった。そこで男同士の友愛が生まれるのは当然である。だがホモセクシャルはタブーとされた。
海野弘

海野氏による、分析をみる。
男同士の関係を、分析すると、ホモソーシャル、ホモエロティック、ホモセクシャルと、三段階とする。

ホモソーシャルは、軍隊から、体育クラブまでを含む、男だけの集団であり、その交友である。そこでは、男同士の一体感、共同意識が、生まれる。
それが、更に親密になれば、ホモエロティックな段階に入る。
師弟関係や、友情が、生まれる。
そして、友愛とへ進む。
ホモセクシャルは、性的関係となる。

だが、難しい問題がある。
結婚している、女性と関係がある、といって、ホモセクシャルではないと、いうことは、出来ない。
更に、男同士の性行為をしたことがあるからといって、ホモセクシャルともいえない。

特に、ホモセクシャルが、抑圧されていた時代には、それは、隠されて、極めて、屈折した徴候としてしか、現れない。

海野弘氏は、具体的に、イギリスにおける、同性愛の人物を取り上げて、書き上げているが、それを、いちいち取り上げない。

私は、全体を、見渡すことにする。

19世紀は、現代に続く、同性愛の、系譜が、いよいよ現れる時期になったといえる。

1885年に、英国の刑法が、改正され、男同士のわいせつ行為が、犯罪になった。
それまで、ソドミーのみが禁じられていた。
1861年、ソドミーに対する、死罪は廃止になった。
ところが、1885年、男同士のわいせつ行為全体が、犯罪になったのである。

ここからが、現代に至る、同性愛というものの、定義に接触すると、私は、考える。

上記の刑法は、女性の人身売買の防止を中心にしていたという。
しかし、男性にまで、拡張された。

要するに、少女や、少年を人身売買したり、性的に堕落させたりすることの、防止が主旨であった。

だが、結果として、女性を守る方向に働かず、男同士のスキャンダルの、密告という、ヴィクトリア朝の、パリサイ主義、つまり、偽善的告発の、手段となってしまったのである。

これは、ソドミー、つまり、アナルセックスを、示す、性行為ではなく、男同士の、わいせつ行為、つまり、オーラル・セックスを含むものである。

あらゆる、男同士の、肉体的接触が、犯罪とされた。

私は、ここに、注目する。
それ以前までは、ソドミーのみに、限られていた、同性愛性交というものが、広範囲に解釈、認識されたということ。
これが、現代に、つながる、ホモセクシャルの世界に、なってゆくのである。

ここで、また、話しを、戻さなければ、ならなくなった。

同性愛という、形態が、様々な、原始民族に、現れたということから、再度、検証しなくてはならない。

例えば、一時的に、同性愛行為を、行うという、民族では、女性と、性行為をする前に、男同士で、性行為をしつつ、大人になるための、学びをする。
つまり、それは、同性愛行為とは、言えないのではないか。

それは、日本の、稚児にも共通する。

稚児は、女性の代用である。
限りなく、女に近い、中性的存在を、女性と、見立てて、性的満足を得るもので、同性愛とは、判定しにくいのである。

江戸時代には、陰間といわれた、少年売春が、盛んだった。
僧侶や、武士が、そして、町人たちも、通った。

天草、島原の乱の時に、幕府軍の陣地には、売春宿が、数多く建ったという。
その中でも、陰間の売春宿が、多いという、報告を、宣教師がしている。

何故、武士たちは、少年性交を好むのかと、宣教師は、呆けたことを書いているが、一体、それが、同性愛なのかということ。

もしや、人間は、男女区別なく、性行為を行うものであると、定義した方が、正しいのではないか。
そして、それは、好みの問題である。

武士は、結婚と、男色を、別の世界のものとして、当然に受け入れていた。
それは、当時の女性たちも、である。

更には、遊郭で、遊ぶことと、結婚生活も、別物なのである。

恋は、遊郭、家は、結婚である。

兎も角、19世紀には、現代に通じる同性愛性交の、芽生えがあるということ。

ソドミーとは、アナルセックスである。
そして、それは、旧約聖書の解釈から、はじまった。

ソドミーを、同性愛と、定義していたが、19世紀から、男同士の肉体的接触、すべてを、同性愛と、判断するという、考え方が、現れたということである。

オーラル・セックスも、十分、セックスであるという、意識が、芽生えた。それは、何も、男同士の関係だけではない。
男女間にあっても、セックスの世界が、単なる、性交というものだけではないと、いうことになってきたのである。
これは、性の進化である。

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2009年06月20日

性について120

19世紀の、西欧は、ホモ、ホモ、ホモの、オンパレードである。

政治家から、文化人、哲学者、芸術家、あらゆる人たちの中に、蔓延した、ホモ的なもの、更に、ホモセクシャル。

一々、書き上げていれば、キリが無い。

そこで、特徴的な、ドイツの、世紀末を見ることにする。

ドイツでは、1898年、帝国議会で、同性愛を禁ずる法律の廃棄が、提案されたが、否決された。

要するに、それほど、同性愛旋風が、起こっていたということ。

1890年に、ヴィルヘルム二世が、ビスマルクを罷免してから、第一次世界大戦にいたるまで、ヴィルヘルム帝国といわれた、時代は、同性愛の花盛りである。

ドイツ世紀末の、詩人として、有名なのは、シュテファン・ゲオルゲと、ライナー・マリア・リルケである。

リルケは、隠れホモであった。勿論、ゲルゲオも、である。
ドイツ文学史では、それに、触れていない。

その、詳しい、経緯も、ここの主旨ではないので、省略する。

ホモセクシャルの世界史に、面白い記述がある。
ゲオルゲの非合理主義、神秘主義に対立したのはマックス・ヴェーバーであった。ヴェーバーは世界を合理的に解釈しようとした。だがそれにもかかわらず、合理の彼方にあるものに強い関心を抱いていた。それは、ゲオルゲとオットー・グロスによる「性愛」の世界であった。

フロイトの最も優秀な弟子で、性革命の先駆者といわれるオットー・グロスは、ゲオルゲ・クライスのコスミカー、クラーゲスなどと接触があり、バッハオーフェンの母権制論に影響を受けていた。彼とヴェーバーとは複雑な人間関係がある。
海野弘

その頃の、ドイツは、女性解放の思想も、甚だしく登場した。
マリアンネ・ヴェーバーは、「法の発展における妻と母親」を書いて、女性の法的平等を求め、グロスの、性愛を先行する、思想を批判する。

それらを、俯瞰すると
世紀末のドイツでは家父長社会のタブーである性への挑戦がはじまった。男性を中心とする社会に対し、男性性と女性性の境界が破られ、同性愛の認知と母権制への回帰が求められた。その先駆者がオットー・グロスであった。彼は父権的社会で抑圧された性的エネルギーを解放し、女性を解放しようとしていた。
海野弘

グロスは同性愛者ではなかったが、人間の両性具有を自明なものと認め、しかも、いかなる男性も自分の中の同性愛的要素を熟知しないうちは、なぜ自分が女性を愛するに足るかを理解できない、という持論を持っていた。
男性同盟と母権神話 カール・シュミットとドイツの宿命

グロスは精神分析と社会主義に橋を架けた。その点ではフロイトより先に行っていたわけである。グロスによると家父長的社会は暴力的であり、暴力構造は、性関係の中で示されている。男性性と女性性という二極化は、優越的=サディズムと服従的=マゾヒズムの差異となり、異性愛は、男性による女性の強姦、女性自身による強姦の甘受に結びついている。
海野弘

更に、分析すると、
しかし人間は両性的であり、だれもが、男性と女性の両方の要素を持っている。男も服従的に女性的要素を示し、女も自己保存的欲動という男性的要素を示すには、同性愛的な動機が求められる。
海野弘

つまり、19世紀末の、ドイツでは、一気に、性的革命が、起こったといえる。

異性愛は暴行と暴行の甘受に結びつく。「同性愛はこの破壊的に傾向に対する抵抗として、暴力のメカニズムに犯されない愛の形式として理解しうるのである。」
男性同盟と母権制神話

実に、面白い展開である。

グロスによれば、国家は、同性愛的である。
王に服従する、臣下のグループは、それを示している。
だからこそ、同性愛を表向き、禁じようとするのだ、ということになる。

更に、同性愛を、一次的、二次的なものに、分けている。

王に仕える、臣下の同性愛は、二次的なものである。
一次的同性愛は、暴力的異性愛を、超えて、他者への友愛、共同体の意識である。

だが、ここで、その考え方を、恐れた。
カール・シュミットである。

つまり、性的問題は、国家を、危うくするものである。
性について、語り出せば、女性の問題を、呼び起こす。

政治理論は、男性社会のもの。
母権制が、彼の政治学、彼の帝国を、崩壊させるという危険を感じたのである。

そして、ゾンバルドは、人間の両性性を、無視し、家父長制を維持しようとしたところに、ドイツの病を、見た。

そこには、女性への嫌悪と、女性への、恐れが隠されてある。

ビスマルクは家父長制によってドイツをつくり上げた。世紀末から第一次大戦までのヴィルヘルム二世の時代にそれがゆるみ、グロスなどのアナーキズムがあふれ出した。それに危機感を抱いたシュミットが、父権制を死守しようとした。
海野弘

ゾンバルドは、ドイツでは、友人、友情は、政治的概念であり、団体や、国家に関連するものであるという。

その言葉は、
したがって、「友情」は「国家」がそうであるように、もちろん男だけのものである。男だけが友人になれる。国家は「友人たち」のものなのである。国家の基礎は、友情の同盟であって、別の言葉でいえば「男性同盟」なのである。

ヴィルヘルム二世時代は、男性同盟が、盛んだった。
そして、勿論、ホモセクシャルが、大流行である。

ドイツ人の、ホモセクシャリティは、ヨーロッパの他の国とは、異質のものとなるのである。

その性格は、男性同盟、あるいは、国家と、結びついた、性愛なのである。

だから、ホモセクシャルが、戦争の、引き金になることもある。
第一次大戦が、そのようであった。

ただし、歴史家は、それを言わない、言えない。
私は、素人だから、それが、言える。

何せ、第一次世界大戦が、ホモセクシャルゆえに、起こったなどとは、学者に言えることではない。
それは、私のような、素人にして、言えることである。


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