2009年06月05日

性について 105

西側諸国の現代人は大半が、いやゲイ・ピープルでさえ多数が、ゲイの恋愛は、「しばしば理想化される」男女のそれよりも短絡的で肉体的だと考える傾向にある。これが本当かどうかという問題は社会の反感という変数との関連で考察しなければならない。敵対的な環境のなかでは永続的な関係の一方の当事者とならぬことがゲイの人間にとつて大変有利なことは明らかである。
ボズウェル

更に
同性愛が抑圧されているところでは、同性同士の関係が親密であればあるほど、また長続きすればするほどいっそう疑惑を招きかねない。抜け目のないゲイ・ピープルはうまく立ち回るかもしれないが、抑圧に対するもっとも効果的な防衛策は、注意を引きつけもせず疑惑を呼び覚ますこともない束の間のひそやかな関係を図ることにあろう。

だが、ゲイ・ピープルと、その愛が、公衆の賛美の的となるところでは、防衛する必要はない。

もっと、寛容な社会では、防衛のための、特徴的行動は、発達しないのである。

多くの、ギリシャ人が、ゲイの愛を、永続的、純粋、かつ、真に精神的でありうる、エロティシズムの、唯一の形態として、描いている。

アッティカの立法者ソロンは、同性愛のエロティシズムを、奴隷には高尚過ぎるとして、彼らには、それを、禁じた。

ヘレニズム時代の、物語の理想化された世界では、ゲイ・ピープルが、ゲイでない友人たちの、情熱に劣らず、持続的、あるいは、精神的な情熱を抱く不幸な、恋人たちとして、描かれて、異彩を放った。

ローマでは、亡き恋人アンティノオスに対する、ハドリアヌス皇帝の、尽きることのない、愛情が、恋の忠誠の、もっとも、よく知られた、美的表現の一つとなった。

イスラム教の、スーフィー派文学では、同性愛のエロティシズムが、神と人間の霊的関係の、重要な隠喩表現として、用いられた。

ペルシャの詩や、小説でも、精神的な愛の、実例として、ゲイの関係が取り上げられる、場面が多かった。

古代中国では、ゲイの愛情を示す、もっとも、ポピュラーな文学表現として、「断袖」という言葉がある。
前漢末期の皇帝が、謁見を賜るように請われて、自分の衣の袖を敷いて、寝入っていた、寵童薫賢を起こさぬように、袖を、断ち切ったという。

原始民族のあいだでさえ、精神性、あるいは、神秘性と、同性愛とは、何らかの、つながりがあったと、推測されている。

上記から、同性愛感情と、道徳的だらしなさが、関連付けられるようになったのは、比較的、最近のことである。

歴史家は、古代の同性愛と現代の同性愛の相違を誇張する傾向という、もっと誘惑的でやはり事実を歪める危険にもさらされるのである。
ボズウェル

一部の学者の間では、古代の同性愛と、現代の同性愛とは、違うと、主張する者もいる。
つまり、古代の、関係は、常に、異なる年齢、年長者と少年という関係などから、現代の同性愛とは、根本的に違うと、言うのである。

ただちに考えてみなければならないことだが、男と少女の異性愛関係は年齢の相違のためにいささかでも異性愛らしくなるであろうか。異性愛と同性愛の区別で基本的なことは、多種多様な性的感心をすべてーーー男と男か、男と女か、といったーーー性関係の諸カテゴリーに分類することであろう。「同性愛」という言葉に少しでも意味があるなら、男と少年の関係も男と男または少年と少年の関係と同じくそれに含まれることは明白である。
ボズウェル

古代の、成人男性と、少年の関係は、多分に、理想化された、文化的習慣に、帰結するかもしれない。

更に、その時代の、女という存在の、地位の問題もある。

女は、男の、付属物であるとした、古代の、女性蔑視がある。
特に、旧約聖書では、家畜と同じ程度の、モノとしての、認識である。

親族社会、つまり、民族社会とも、言い換える事が出来るが、男にとって、離婚は、たやすいことだが、女には、その自由がない。
更に、女は、夫以外の、男と関係を持つと、死刑である。

自由な身分の、女でも、たった一度の、過ちのために、破滅させられた、時代がある。

だが、男は、一夫多妻でよく、妾を何人持っても、いいのである。

同性愛問題が、女性の地位と、関連してくるという、問題である。

現代でも、イスラム社会の、イスラム法による、国々では、結婚以外の、女性の、性的関係は、死に、結びつく。
悲劇なのは、親に殺される場合もある。

だが、そのイスラムも、キリスト教も、ユダヤ教も、同性愛を、忌み嫌うのである。

その反面、逃げ道は、数多くあるという、不思議である。

再度、話しを戻し、
性によって作られる諸関係を組織原理とする文化での性的逸脱は、宗教が支配する社会での異端、あるいは政治によって組織される共同体での反体制と酷似している。親族社会のゲイ・ピープルは、カトリック教のヨーロッパの異端者や、近頃では西欧民主主義の社会主義者と同様、危険人物とみなされる。このような場合はいずれも、異説ないし逸脱は最初は反逆罪のように見えるかもしれない。時間と親交と教育によってのみ、無害な逸脱を許すゆとりが得られ、また変則的行動の形態を、現実に社会秩序を破壊するものとそうでないものとに区別することが、多数派にも、できるようになるのである。
ボズウェル

上記を、ボスウェルは、田舎風社会と言う。

それでは、都会風社会におけるものは、と言うと、
都会風社会の、性道徳は、拡大家族内での合法的位置の、確立という以外の目的に、向けられるという。

高度な都会風の社会では、同性愛は、容認される。更に、理想化される場合も、ある。

最悪の場合でも、同性愛は、文明と、余暇の無害な、副産物と、みなされる。
更に、都会に、害を与えるどころか、愛の追求に、関連する、芸術、商業、租税を通して、おそらくは、都会を豊かなものにすると、考えられると、述べている。

大半のアテナイ人がその民主主義を一対のゲイの恋人たちによって樹立されたものと考え、またゲイの性愛にもっとも好意的であったことで知られる西欧社会―――アテナイとローマーーーが都会風民主主義ともっとも関係の深い社会であったことは、おそらくたんなる偶然ではないのである。
ボズウェル




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2009年06月06日

性について 106

不寛容の岐路を辿ることでそれが横切る風景について多くのことがわかってくるし、その理由だけでも不寛容は研究に値する。またそのこと以上に、不寛容に関する調査研究によって、それにまつわる受難を減少ないし根絶しようと望むようなひとびとが有効な洞察を得られるよう期待することもあながち無理ではあるまい。
ボズウェル

少数派が、うまくやっていけるのは、どうしても、中央の権力が、それを、望む限りでのことであると、言う。

その少数派の、ゲイ・ピープルについては、
ローマの都市化が急速に進んだのは帝政期のことだが、ゲイ・ピープルが実際により安全だったのは、国家が市民の私的生活の面を統制する権威ないし手段をもつ自然の共和政体の下でであった。
ボズウェル

問題なのは、
およそ信仰のような個人的な事柄を統制しようという意欲と手段と権力を有する政体はセックスをも規制するであろうし、ゲイ・ピープルは見たところつねに少数派なのだから、彼らの利益が大いに重視される見込みは比較的薄いのである。
ということになる。

12世紀の、ヨーロッパ諸都市では、ゲイ・ピープルを、擁護しようとすることが、多々あったようである。

だが、多くの民主国家では、個人の権利を公共の下に置くという、それは、国家たらんとして、である。実践的な潮流が、擬似・宗教的な信仰箇条となり、多数派が、賛同するという、最大公約数的な、領域は、有利というより、神聖だとする、様相を呈するようになる。

中世において、この発展段階は、民の声は神の声という、標語に取り込まれたのである。

人民の、政府に対する、絶対的忠誠心を、叩き込む効果的手段ともいえる、この原則は、大衆のそれとは、異なる生活様式、ユダヤ人、そして、ゲイ・ピープル、更には、魔女などのような、人々にとっては、致命的と、なったのである。

政府というより、中世の場合は、カトリック教会である。
多数派を、善しとして、少数派を、排除することで、権威と、権力を、強めるという、構図である。

実に、少数派には、不寛容なのである。

更には、宗教は、他宗教に対しての、異端視である。
そこには、寛容の、かけらもない。

ボズウェルは、国民の大多数の好みが、神の好みと、同一視されるというが、それは、教会が、先導することであり、また、国民の多数が、ゲイ・ピープルを嫌えば、神も、彼らを嫌うという、同時進行による。

このことはもちろん教会の公式の教理ではなかったし、多くの神学者たちによって率直に否定されたが、いくつかの少数派に対する反感を含むさまざまの理由から宣伝家に利用され、多くの状況では自明のこととみなされるようになった。
ボズウェル

それで、迫害という、段取りになる。
教会の、教理ではない。更に、神学者たちによっても、否定されたというが、結果は、不寛容の道に走り、迫害、弾圧が、起こったのである。

教会、修道院の中で、行われる、同性愛行為は、実に多くあった。そして、それが、また、信仰の重さという、見解もあった。
だが、教会が、旧約聖書を、聖典として、取り上げた暁には、ゲイ・ピープルは、罪であり、裁かれる、対象となったのである。

ユダヤ教の、聖典でもある、旧約聖書の神は、男と男が、男と女と、するようなことを、しては、ならないと、明確にしている。
つまり、それだけ、同性愛行為が、広く行われていたということでもある。

時代や、時代精神は、いつも、何かの、少数派を、生贄にしたと、思われる。
それは、大衆の、カタルシスでもあった。更には、為政者たちにとっての、大衆を味方につける、方法でもあったと、いえる。

西欧史の大半を通じて、大惨事を、多数派と一線を画すなんらかの集団の邪悪な策謀の結果と説明することは由々しくも容易であったようであるし、特別の結びつきがほのめかされないときでも、怒り不安になったひとびとは変人奇人を始めとする異常者に対してくりかえし否定的感情をぶちまけた。
ボズウェル

時代性は、無視できないものである。

1世紀の活気に満ちたローマ、12世紀の喧騒の都パリでは、ユダヤ人、ゲイなどの、反体制派は、同時代の人にとって、多彩な人生絵巻の一つとして、幸福だった。
が、6世紀の、凋落し、危機に瀕したローマ、あるいは、14世紀の、パリでは、標準からの、逸脱は、不吉で、脅威的な様相を呈し、慣れ親しんだ世界秩序を破壊する、群れなす悪と見なされた。

歴史は、時代と、時代精神を、教える。
そして、その底流に流れるものは、何であろうか。

為政者や、権力者、あるいは、宗教的権威が、絶対性を帯びる時に、そして、大衆が、怒りと、不安に駆られる時に、不寛容という、時代の形相を持つに至る。

ただ今は、ゲイという存在を取り上げているが、これは、他の少数派に関しても、言えることである。

障害を持つ人たちに、関しても、その時代と、時代精神が、関与する。

更に、貧困という状況も、書き入れておく。
貧困とは、大衆に潜在するものであるが、それを、意識する時、少数派の中に、入り込むのである。

金持ちと、貧乏人の、住み分けが、明確に出来ている場合は、いいが、隣り合わせにある場合などは、実に、貧困者は、少数派に入れられるのである。

その数が、多くても、である。
そこで、救いとしての、共産主義思想、社会主義思想などが、現れるが、それらの、試みは、失敗している。

別の、権力構築を作りだし、民主的な、国家より、より、悲劇が起きるという。
更には、不寛容が、極みに至るのである。

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何故バリ島か 6

クタのホテルに到着して、運転手に、料金を払う。

私は、20万ルピアを出した。
おつりを出そうとしたので、いいです、と言った。
コータが、あなたは、誠実で良い人なので、チップですと、言った。
運転手は、神妙な顔で、頷いた。

次の時に、サヌールの、民家の中に連れて行って欲しいと言うと、大きく頷く。

もう、私たちの、目的が、彼には明確に、解ったのである。

時間は、夕方であった。

しばし、部屋で休むことにする。

後は、本日の夜に、コータが、約束した、ストリートチルドレンに、衣服を渡すことである。
彼らが、出て来るのは、七時過ぎなので、それまで、部屋にいた。

彼らが出て来る通りに、出て、食事をしてもいいと、私は思った。
食事が先か、食事が後か。
そんなことを、考えて、タバコをふかす。

インドネシアは、太平洋戦争時に、日本の統治下にあった。
であるから、色々な島々に、戦禍が残る。
バリ島も、一時期、統治下にあり、その犠牲は、食料調達による、食料不足だった。

ウブドゥの農民は、奴隷のように扱われて、海辺まで、米を運ばされた。

反抗する者は、暴力を受けた。
刀の傷跡が、残っていた老人も、いたという。

その一つ一つを、拾い上げて、記録するものはない。
皆々、忘れたい思いである。

戦争。
平和を、考えるためには、戦争を、理解しなければならない。
何も、攻撃を受けて、死んだという、ことだけではない。
島の人々の生活を、激変させたのである。

私は、インドネシアの島々を、追悼慰霊のために、回る予定である。

忘れ去られた、犠牲者の追悼慰霊を、進んで行う。
今年は、敗戦から、64年を迎える。
もし、64年に渡って、未だに、戦争の様のままにある、霊位がいるならば、それは、実に、哀れなことである。

私は、日本の伝統にある、言霊、音霊によって、ただ、清め祓いをするのみ。
想念の浄化である。
それは、僭越行為ではない。

皇祖皇宗、天照る神の、つまり、日本の祖先の総称により、霊位を覚醒させるのである。

そして、戻られることを、祈る。

簡単に言えば、戦争は、終わりました。
本当に、ご苦労様でした。
どうぞ、故郷、また、靖国に、お戻り下さい。
いや、母の元に、お戻り下さいと、黙祷するだけである。

パプア・イリアンジャヤの、上にあるビアッ島では、二万以上の日本兵が、出掛けて、帰った者は、600名程であり、アメリカ兵も、多くの犠牲を出した、太平洋戦争での、無駄な戦いと、いわれた、激戦地がある。

その他、パラオの、ペリリュー島戦地で、戦った、元アメリカ兵士の手記を読んでいる。
時々、読むのを止めなければならない、程、辛いものである。

いずれ、紹介することにするが、歴史の彼方に消えてしまうのでは、あまりに、彼らの死が、空しい。

バリ島は、きっかけである。

只今は、イスラムが、席巻しているのが、インドネシアである。
バリ島だけは、バリヒンドゥーという、特別地区である。

インドネシアの、イスラム指導者は、イスラム教の教えの強化を計っている。
実は、テロ行為に参加する者、インドネシアから、多く出る。
インドネシアの若者が、聖戦、ジハードに参加しているのである。

更に、インドネシアは、軍事政権である。
一見、そのようには、見えないが、確実に、言論統制する、軍事政権なのである。

ジャワ島、スラバヤから、日本に留学した、学生と、親交を結んだことがある。
その時、インドネシアの政権の、言論統制の様を、聞いた。

留学生同士でも、密告する者があるので、政権の批判は、出来ないというものだった。
更に、彼の父親は、反政権派であり、時々、拘束されるという。

彼の目標は、政権に遠い、日本の企業に勤めたいということだった。

更に、驚くべきは、首都、ジャカルタは、世界最大のスラムがある。
何故、そのように事態になるのか。

一部支配層が、経済を、掌握しているからである。
支配層とは、政治家たちであり、その親族たちである。

これ以上は、危険であるから、書かない。

女漁りの、旅ガイドなどを、のうのうと、書いている者もいるが、愚劣の一言。
貧しい国の、女を漁りに出掛ける男達の、呆れた行状は、どこにでもある。

勿論、貧しい国の女達は、生きるために、逞しく、その、体を使って、外貨を稼ぐこと、否定は、しないし、それも、方法であると、考える。
ただし、許せないのは、児童買春である。

貧しい国の子供達は、その危険にいつも、晒されている。

ストリートチルドレンを見ていると、女の子は、ある年齢になると、姿が、無くなる。
前回出掛けた時は、いたはずの、女の子が、いなくなっている。

そういうことが、多々ある。

インドネシアの、追悼慰霊と、衣服支援が、バリ島から、始まったことが、私の幸いであった。

漸く、イスラム国家の、島々に、出掛ける、心の準備が出来た。

私は言う。
日本には、宗教は、無い。
日本には、伝統があるのみ。

宗教の争いほど、愚かしいものはない。

日本は、このように、死者に対座する、伝統行為があり、私は、それを、行っている。
それは、宗教行為ではない。
そのように、私は、説明する。

つまり、日本人には、異教徒という、観念がない。
すべての、宗教行為を、尊重する。
教えによって、戦う観念は無いのである。

日本人の、この感性が、世界の平和に寄与するのである。
それを、大和心、やまとこころ、と言う。

大いなる和の心である。
ひらがなにする。

おおいなる やわらぎの こころ
である。

本来の、大和魂とは、それを言うものである。

誤った観念を持つな。
天照る、太陽を、祖先の総称とする、民族は、すべての民族を、包括するのである。

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2009年06月07日

性について108

種々の人間関係の色情的性格を示す外的証拠は文化と時代によってきわめて多様であり、愛の表現ないし描写に対して予想される同時代人の反応こそもっとも重視されねばならない。アッティカの古典文学作品の場合、二人の男性の熱い関係の好色な実態を詳述する必要はなかった。それは恋愛関係であることは自明のこととされていたからである。
ボズウェル

古代ギリシャ人は、フィリアー、エロース、アガペーの、呼称で、感情のカテゴリーをたくみに、言い分けた。
しかし、それは、誤りだという。
これらの、三つの用法には、重複さと、曖昧さが、付きまとうのである。
フィレオーという動詞は、情熱のかめらもない愛を示すこともあれば、焼け付くようなキスを指すこともある。
どちらの意味に、とるかは、文脈と慎重な、推論によって、計られる。

ラテン語の、場合は、アミークス「友人」と、アマーンス「恋する人」は、同じ動詞、アモー「愛する」からの、派生語であり、多くの場合、互換可能であるという。

要するに、古代社会は、現代ほど、友情とか、ロマンスなど、その境界を認識していなかったといえる。

古代社会においては同性愛行動を奇妙だとか異常だと考える者はほとんどいなかったから、同性愛の病因に関する所見もめったに見られないわけだ。
ボズウェル

古代や、中世の、同性の友人と、恋人を、区別する確かなものを、探しても、せん無いことであると、思われるのだ。

事実、どの古典文学にも同性愛に対する説明は見られず、誰もが同性愛をどこでもあるまったく正常なことと考えていたことは明らかなのだ。人間行動のべての側面を嘲笑したアリトファネスは、アテナイの名立たるゲイたちをもしばしばからかったが、それにもかかわらず同性愛の欲望を異性愛の欲望や、食べたり飲んだり笑ったりすることと同じく「
自然の必要」とみなしていた。
クセノフォンが同性愛は「人間の自然」の一部であると述べたとき、彼はその時代の大半のギリシャ人の意見を代弁したのである。愛に関するプラトンの議論はすべて誰もが同性愛に魅力を感じることを前提としており、そうした議論のいくつかには異性愛がいくぶん低級な好みとして見えている。また数世紀後には、フィロストラトスが、彼の愛情に答えようとしない若者は「自然の命令に逆らっているのだ」と嘆いているのである。
ボズウェル

そろそろ、古代社会の、結論を言えば、結果は、同性愛か、異性愛という、カテゴリーそのものが、重要だと、考えた者、社会は、無かったといって、よい。

それが、何故、ある社会が、他の社会と違い、人種や、信仰、性的好み、その他の、個人的特質を基準として、不公平な区別を設けたのか・・・
更には、差別という、意識を持つに至るのか。

人間が、その精神が、複雑になったからなのか・・・

同性愛行動は異文化の接触を通じて「学び伝えられ」た、という一般通念があって、これが今でも幅をきかせている。早くも紀元前五世紀にヘロドトスが、ペルシャ人は同性愛行動をギリシャ人から学んだと主張し、この見解は七百年ほどののちのアテナイオスにもなお知られていたが、クイントゥス・クルティウス・ルフス「紀元後一世紀」は明らかにこれを信じず、同性愛関係はペルシャ人に知られていないと主張している。
同性愛の伝習という観念は中世を通じてとぎれることなく受け継がれた。十字軍の戦士たちは同性愛を中東からヨーロッパへ持ち帰ったと考えられた。
シャティヨンのワルターは、若者たちは都会で同性愛を学んでいる、と主張したし、ウェールズのギラルドゥスは、イギリス人はそれをノルマン人から学び取り、さかのぼって、ノルマン人はフランス人から取り入れた、と考えたのである。
ボズウェル

それでは、いつから、同性愛というものが、差別の対象、不寛容の対象とされたのか。

それは、中世の異端思想からである。

また、ユダヤ人は、旧約聖書により、同性愛は、異端者のもの、という認識があり、旧約の神は、それを嫌った。ゆえに、同性愛は、罪であるとの、認識に立った。

罪という、概念は、その多くは、宗教から、はじまる。

一気に、現在の宗教から、それを俯瞰すると、仏教は、同性愛を話題にもしない。
ヒンドゥー教は、同性愛を一般的に受け入れている。
イスラム教とキリスト教は、同性愛の項目自体がない。つまり、認めていない。
ユダヤ教は、ゲイは認めないが、この頃では、認めるとする派閥も、出ている。

だが、時代は、それを、無視して進むことが、困難になってきているのである。

この、テーマの最初に取り上げた、例の通り、現実問題として、切実に、迫ってきたのである。

女性誌に、取り上げはじめられた、男性ヌードが、次には、男性誌までにも、席巻しはじめたのである。

新しい時代は、確実に、訪れる。
そして、そこには、時代性と、時代精神というものによって、貫かれる。

「プレイボーイ」たちは、ホモセクシャルとはっきり向きあうことをおそれているかのようだ。もしかしたら、そこには鏡があって、自分自身が映るからだろうか。
男らしさを強調し、男の世界を特権化する男性誌こそ、最もホモセクシャルに敏感である。それがないと男と女の境界がはっきりしなくなるからである。
海野弘  ホモセクシャルの世界史

多くは、母親が、息子によって、告白されるケースが、多いようである。
このテーマの、最初の例も、息子によって、告白されたケースである。

20年前ほど、ファジー、曖昧さという言葉が、流行したことがある。
男女の差に、関しても、そうだった。

男性化する女性、女性化する男性という。
あらゆる意味で、である。

それから、ジェンダーという言葉である。
性差である。

性差を無くすという、実に、馬鹿げた、考え方を、取り入れようとする、人たちが、現れた。

男女の、性的役割の、混乱も、甚だしい。

一つの例である。

通常の、女好きである、男が、その場の、雰囲気に飲み込まれて、男と、セックスをしたという。
それも、受身である。
彼は、ゲイでも、ホモでもないのである。

それ以降は、関係を持たないと言うが、いつまた、その時が来るかは、解らない。

性向は、生き方になる。
そして、性的嗜好も、生き方に、大きな影響を与える。

人の無意識の、世界は、無限大である。

性については、避けられない問題となるのである。

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性について 107

ゲイという言葉は今日英語を始め現代語で、同性とのエロティックな接触を好む者を指して用いられているにもかかわらず、これまでのところ学問の領域で使用することには反発があった。
ボズウェル

同性愛者、ホモセクシャルという言葉は、ギリシャ語の接頭辞と、ラテン語の語源を使用した、複合語である。

それは、同種の意味である。
つまり、同性の、という意味なのである。

人間関係もしくは性行為に関しては、この定義はまったく適切である。
ボズウェル

だが、問題は、ホモセクシュアルな人とは、なんであろうか、ということである。

つまり、同性愛者とは、何者なのか・・・という、テーマである。

同性愛の行為に耽る人のこと・・・
では、一回でも、同性愛を体験した人は、同性愛者か・・・

更には、その行為を、夢見るばかりで、行為しない人は、どうなのか・・・
その人は、同性愛者か・・・

歴史的人物の同性愛と異性愛の経験を定量化する方法はほとんどの場合考えることもできないし、かりに可能だとしても、そのような分析はほとんどなに一つ示してくれないであろう。たとえば、アレクサンドロス大王には数百人の女および二人の男との性交渉があったが、二人の男の一人バゴアスが彼の性生活の中心であることが疑いない、といった場合、統計学ではひどく誤解を招く構図しか得られないことになろう。
ボズウェル

ホモセクシュアルという言葉は、19世紀後半の、ドイツの心理学者たちによって、作られた言葉である。

ゲイという言葉は、それより、多分に数世紀さかのぼるようである。
そして、はるかに、厳密な意味を込めて、使用されていたといわれる。

その、ゲイという言葉は、同性に対する、性的嗜好を自覚して、用いられたようだ。

ゲイのカテゴリーを主として、自己決定的なものとすることで、ホモセクシュアルという語の、欠点を未然に防いでいるようである。

アメリカの、三分の一以上の成人男性が、同性愛の行動に関わったことになっているが、これと同じ割合で、自分をゲイと、認めることはないのである。

アルフレッド・キンゼイーは、異性愛の経験のみを、0とし、同性愛の経験のみを、6、両方とも等しく経験している者を、3、などと七段階の基準を設けた。

キンゼーは、行動ばかりではなく、空想も説明しようとしたが、十分な実例史のない人々の特徴を、明らかにするには、この基準は、役に立たないのである。

ちなみに、同性愛という、定義、概念が出来てから、異性愛という、言葉が出来た。

それは、つまり、古代は、性愛に関しての、枠組みが、曖昧であり、同性、異性愛と、明確なカテゴリーを持たなかったといえる。

ボズウェルは、同性愛、ホモセクシャアルは、形容詞として、用いるという。

「主として同性に対して性的な興味をもつ」とい意味の省略表現として用いる、という。

つまり「同性愛」は、意識的な選択によるか、意識下の欲望のためか、切迫した状況のせいかを問わず、同性に対する者同士のあいだに生ずるすべての性現象を包含する。これと対照的に、「ゲイ」という言葉が指すのは、同性に対する性的嗜好の目安となる一特徴として自覚しているひとびと、もしくは、漠然とした用法だが、「ゲイの詩」のように、そのようなひとびとに関連する文物である。「ゲイの性愛」は自覚された好みに従う色情のみを指す。
ボズウェル

ホモセクシャアルの反対は、ヘテロセクシャアル、異性愛である。
それも、選択によるか、潜在意識のためかを問わず、異なる性の間に生ずる、すべての性現象を包含する。

俗語では、ゲイの、反対語は、ストレートである。
だが、これは、実証できる、語誌がないのである。

ボズウェルは、そこで、ノンゲイ、非ゲイという言葉を、用いるという。

ただ、ホモセクシュアルという言葉には、ゲイの性生活を含ませる感覚がある。

言葉の好みは、人それぞれであるが、ホモセクシュアルとは、病理学の分野で、作られ、広まったゆえに、ゲイ・ピープルは、ゲイという言葉を、好む。

このように、ホモセクシュアル、ゲイという言葉の定義、更には、それを、自覚する者によっても、実に、難しい問題なのである。

一切、同性愛の欲求が無かったという、男子が、先輩に強要されて、同性愛行為を続けるうちに、気づいてみると、同性愛者になっていたという、事実もある。

また、少年期に、年上の男から同性愛行為を、強いられていたが、それがなくなり、異性愛として、生きるという者もいる。

更に、バイセクシュアルという、両性愛という、者もいる。

男女共に、性的対象となり、そして、性行為を行う人である。

日本の、江戸時代で、色遊びといえば、両性愛性行為のことであった。

女とも、男とも、性愛を楽しむことが、粋であるという、色遊びである。

これからは、海野弘、ホモセクシャルの世界史からも、引用して、話を続けることにする。

結論から言えば、性愛というのは、その環境から、感性から、あらゆるものを、総合して、性行為というものが、行われるということである。
異性愛から、同性愛へ。また、その反対もあり得る。
つまり、八割程度の人の、性愛の形は、実に、不安定なのである。
二割の人は、明確にすることが、出来るかもしれないが、八割方は、明確に出来ないで、生きていると、言える。

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何故バリ島か 7

夜の七時を過ぎた。
さて、どうするか。

最初に子供達に逢うか。

三人で、兎に角、通りに出ることにした。
その通りは、ここ、二、三年で、大きく変わった。
賑やかな、街になった。

実は、16年前、私が初めて、バリ島に出掛けた時に、その通り近くのホテルに泊まった。その当時は、荒地であり、何も無かったのである。
それが、今では、立派な繁華街になっている。

コータが、子供達と、約束した場所に、出たが、まだ、子供達が、来ていない。

そこで、近くのレストランで、食事をすることにした。

立ち並ぶレストランの中から、約束の場所に近い、レストランにしたのはいいが、値段が、やたらに、高いのである。

食事を止めて、ジュースを飲むことにした。

日本円で、計算すると、決して高くはないが、バリ島の現地感覚では、高いのである。
こんな高いところで、食べられないと、私は言う。
二人も、そうだ、そうだと、ジュースにするが、ジュースの値段も高い。

ケチケチ旅行であるから、価格には、敏感である。

兎に角、ジュースを決めて、注文。
それを、飲みつつ、子供達を待つ。

私は、バッグに、子供達の分だけを、取り除いていたものを、入れて持っていた。
もう、それで、支援物資は、最後である。
きれいさっぱりと、無くなった。

中々、子供達が、来ない。
子供の声がすると、コータが、見に出た。

ジュースを飲み終わる頃である、見つけたと、コータが言うので、早速店を出て、対面である。

三人といっていたが、男の子と、赤ん坊を抱いた、女の子の、二人である。

道端で、衣服を見せる。
丁度、三着づつ、渡すことが出来た。
男の子には、大き目のものもあったが、彼は、それでもいいと、受け取った。きっと、仲間に上げるのだろう。

男の子は、ワヤンという名で、9歳。女の子は、名前も、年齢も、解らない。赤ん坊は、兄弟なのか。

私は、衣服を渡すと、後は、コータに任せた。

写真を撮って、また、次に来るからと、日本語で言うと、二人が頷いた。


これで、今回の、すべての日程を終えた。
私と、辻友子は、先に、歩いた。
行く先は、地元のレストランで、行き着けの、安くて、美味しい店である。

クタの通りの、店で、ジュースを一杯飲む料金で、その店では、五杯分が、飲める。これで、おおよその、価格が理解出来ると、思う。

コータが、戻って、夕食である。
私は、ステーキを頼んだ。
28000ルピア、280円である。奮発したが、実は、辻友子の、おごりであるから、それにした。
今日は、私に任せてと、言うから、任せた。

しかし、辻友子は、多く、私に任せてと言った。
バリ島の暑さに、頭が、やられていたと思うし、気が大きくなってしまったのだろう。
何せ、一万円が、100万ルピアである。
何となく、金持ちになった気持ちになるのである。

これは、しめしめと、辻友子に、おごらせた。

なんで、私、こんなにお金があるのだろうと、感心していた。
三万円を、両替したと思う。つまり、300万ルピアである。
使い切れないわーーーであるから、なれない人を連れて行くのは、楽しい。

さて、私は、あの、二人の子供達に、非常に興味を持った。
何処に住んでいるのか。赤ん坊は、兄弟なのか。親は、どうしたのか・・・

コータは、女の子のことは、あまり解らないと、言った。女の子は、英語が出来ない。
男の子、ワヤンは、英語が、ペラペラである。
すべて、路上で、覚えたのである。
凄い。
必要に迫られると、覚えるのである。

翌日の、夜、私は、一人で、二人の所に出掛けた。
もう一度逢って話がしたいと思った。

ところが、同じ場所を、行ったり来たりして待ったが、現われない。
そこで、二人の、物売りの少年に、尋ねた。
小学生程度の、少年である。

赤ん坊を抱いた女の子は、どこかと、尋ねた。
彼らも、英語が達者である。
私の方が、怪しい。

知らないと言う。
いやいや、ユーフレンドよー
そう言うと、すぐに、あのホテルの道にいると、教えてくれた。

早速、早足で、向かった。
見つけた。
赤ん坊を抱いた女の子である。

向こうも、私に気づくと、笑った。
ボーイは・・
と、言うと、指差す。
屋台で、ラーメンのような物を、注文していた。

彼は、そのどんぶりを、持って私と、三人で、話し始めた。
私は、一日に、何度食事をするのと、聞いた。
一度、二度、三度と、言うと、首を振る。
一度の時も、二度の時もあると、理解した。

何処に住んでいるの・・・
クタに、住まいがある。皆で、住んでいる。

次に、女の子に、話し掛けた。
その子は、兄弟なの・・・
ワヤンが、答えた。
何と、彼女の子供だと言う。驚いた。
彼女は、いくつ・・・
17歳と、ワヤンが言う。
えっーーー
12歳程度にしか、見えない。栄養状態も悪く、そんな年に見えないのである。

ドゥユーニード フード
食べ物が必要かと、尋いた。
その英語は、思いついた言葉である。

うんと、頷くので、ここで、待っていてと、私は、コンビニに、走った。

パンや、ビスケットなど、5万ルピア分を買った。
そして、彼らの所に戻ると、二人で、ラーメンを食べていた。
一つの、お碗を、二人で食べている。
彼らは、フレンドである。しかし、ワヤンは、彼女の世話をしているようである。

コンビニの袋を渡し、それぞれに、2万ルピアを渡した。
これは、例外中の例外である。
決して、お金は、渡さないと、私は、決めている。

しかし、である。私は、後で、失敗したと思った。コンビニの食べ物は、普段彼らが、食べられるような物ではない、高価なものである。
屋台の、食べ物を買って、上げるべきだった。

後の祭り。
そして、してはいけない、僭越行為であった。

彼らの、傍にいた、おじさんが、次は、いつバリ島に来るのかと、尋くので、三ヵ月後と、言った。そんな予定はないが・・・
おじさんは、ありがとうと、言うのである。

二人にも、次も、逢いに来ると行った。
そして、さよなら、と言い、立ち去ると、後ろから、言葉が聞えた。
おじさんが、二人に、良かったなーと、言っているように、聞えたのである。

この、何とも言えない気分は、たまらない。
これは、私の自己満足である。
ただ、彼らが、人生には、突然、このようなことがあるものだと、おもってくれれば、いいと、思った。

石を蹴ったら、宝くじに当たることもあると、思えばよい。

そして、次の時に、また、逢う楽しみが増えた。
その時、彼らが、少しでも、幸せであればいい。

次の時、私は、彼らの住んでいる家を訪ねたいと思っている。

ストリートチルドレンたちの、溜まり場である。

ちなみに、彼らの売る、手首に巻く皮製の物の、卸し値段を聞いた。
実に、良心的な値段である。
ここでは、それを、バラす訳にはいかないので、書かない。
彼らは、それを、1000ルピア程度で、売る。10円である。
それも、レストランなどに入り、客に、跪いてである。
通りで、売る子は、実に、しつこいのである。生きるために、である。

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2009年06月08日

何故バリ島か 8

ホテル並びに、いつも、行っていた、美容院と、マッサージの店がある。
ママさんと、従業員が数名いた。

今回も、三人一緒に出かけた。
ママさんは、覚えていた。
二度目の、辻友子のことも、そして、その娘のことも、覚えていた。

さずが、この地で、13年の、キャリアである。
クタで、商売を続けることは、至難の業である。

今回は、そこで、実に有意義な話を聞いた。

辻友子は、ママさんに、ネールなんとかを、して貰い、私と、コータは、フットマッサージである。

コータには、娘が、私には、年配のおばさんが、ついた。

三人並んで、ママさんと、話をしながら、である。

何と、ママさんは、ティモール出身だった。
30年以上も前に、バリ島に来ていた。

コータの足を揉む、娘は、姪であり、その母親が、私の足を揉んでいた。
親子で、妹さん、つまり、ママの所で、世話になっていた。

それは、娘の看護学校費用を貯めるためだった。

そこで、なぜ、店に、前ローマ法王の、写真が掛けられてあるのか、理解した。
カトリックなのである。

少し説明すると、ティモールは、大変宗教対立の激しい土地である。
イスラムと、キリスト教である。
イスラムの村に入った、キリスト教徒が、簡単に殺されることも、多々ある。

インドネシアの、他の地域の紛争は、まず、宗教対立である。
更に、イスラム勢力が、圧倒的に強いのである。

更に、ティモールの場合は、まだある。
同じキリスト教でも、新興キリスト教と、カトリックの対立である。
例えば、エホバの証人が、乗り込んで、更に、複雑な対立を生むというようにことである。

こういうのは、手が付けられない。

東ティモールは、独立したが、経済混乱は、まだまだ拡大し、混乱している。
更に、公用語を、ポルトガル語にしたから、更に激しくなった。

そこに、学校を作ると、ある日本の女性歌手がいるが、彼女は、カンボジアにも、学校を作り、広く寄付を集めている。それはそれで、良しとして、建物を、作るということに、意欲を持つという、ボランティアの心には、なぜか、不審を感じる。

建物は、目に見えるものであるから、支援をしやすいということもある。
だが、学校とは、教育する現場であり、そのためには、先生が必要である。
それまで、維持するとなると、大変な事業である。

建物を、作ることは、簡単である。しかし、先生を雇い、維持することは、大変なことであるということ。
更に、あくどい者がいて、学校を建てて、日本から、寄付を募り、現地で、優雅に暮らすという者も、いる。

ベトナムでは、そういう、日本人の男が、現地の人の反感を買い、行方不明になった。
また、タイ、チェンマイでは、日本のNPO団体の代表の男が、世話をしていた、施設の女の子に性的行為を繰り返し、懲役刑である。

寄付をしても、それが、どんなことに、使われているのか、解らない。
もっと悪いのは、善意の寄付が、途中搾取されることである。
その団体も、気づかないのである。
ミャンマーに、その事務所を、作り、政治家を介して、活動を行う団体が、寄付金を、その政治家に、搾取されていたことを知り、撤退した。

私の衣服支援だって、丸投げしての、支援ならば、どうされるか、解らない。だから、手渡しするのである。

さて、ティモールには、日本人の血をひいた人々が多い。
それは、真珠取りに出た日本人たちが、ジャワから、美しい女を連れて、ティモールに来たからだと、ママさんは、言う。
そして、ママさんの、お母さんも、少しの日本語ができるという。

戦争前から、ティモールに渡った日本人たちが、いるのである。

ティモールは、とても、貧しい。
しかし、出稼ぎに出る人は、幸運である。
こうして、ママさんの、お姉さんと、その娘は、ママさんを、頼って、働きに来ているのである。

バリ島から、ティモールのクパンまで、国内線が出ている。
今度、私は、ティモールに行くと言うと、行く前に、寄ってくれと、ママさんが言う。
色々、情報を教えるというのである。

彼女たちは、カトリックかと、尋ねると、そうだと言ったのみで、後は、何も言わなかった。宗教の話は、一切したくないという雰囲気である。
それは、彼女たちの、環境を物語る。

宗教対立で、人を殺すことほど、哀れなことはない。

彼女たちの、母親は、フローレンス島にいて、今、その母親を、ティモールに転居させる準備をしていると、言った。高齢であり、暖かい、ティモールの方がいいと、言う。

同じ緯度にありながら、寒い土地もあるのだと、知った。
勿論、寒いといっても、日本の冬のようなものではない。

辻友子は、その娘に、後で、支援物資から、何枚か、衣服を抜き取り、渡していた。
日本円にすれば、大した額ではない、入学金や、授業料は、彼女には、大変な額なのである。
この場所で、働くことが出来なければ、体を売るしか方法がないのである。

バリ島には、擬似恋愛をして、外国の男に、貢がせるという、凄腕の、娘たちも、多い。
それで、大学を出て、資格を取り、一番給料の高い、公立学校の教師などになる者もいる。

ホント、頭と、体は、使いようである。

足を、よく揉まれると、随分と楽になる。
だが、タイと違い、単なるマッサージの店に入り、後悔することも多い。
技術の未熟な、若い女にやられて、何度も、具合が悪くなった。

しかし、タイと、違うのは、マッサージ店では、ノーセックスである。
決して、エロ行為に及ぶことはない。
それは、バリ島の文化ゆえである。

その手の、マッサージは、サヌールに多い。
その店は、ナンバーがつけられて、分るようになっているという。
ゲイ専用のマッサージ店もある。

さて、ママさんは、よくぞ、このクタの、競争激しい中で、生き残っていると思う。
それは、ママさんの、英語能力も、大きい。
自然に、覚えたものである。
必要に迫られると、人は、覚えるものである。

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2009年06月09日

性について109

同性愛については、フロイトが、最も、寛大な理解力があったと、いわれる。

レオナルド・ダ・ビンチの幼年期の一記憶への、注で、次のように書いている。
誰でも、たとい正常な人間でも同性愛傾向は多少に拘わらず持っているものであって、生涯に一度位はそれをやったことがあり、無意識にそれを保有しているか、あるいは精力的な反対態度を形成することによって、同性愛へ抵抗するかしているものだ。

フロイトは、だれにもある傾向と見ることで、「第三の性」という考え方や、先天的同性愛と後天的同性愛という二分化に反対した。同性愛を特殊なものと見るべきではない、というフロイトの精神分析の考えは、性科学になかなか受け入れられなかった。
海野弘

その、フロイトの、説を、支持したのが、キンゼイ報告である。
誰もが、多少は、バイセクシャルな傾向を持つというものだった。

性愛は、異性愛、同性愛に二分されるのではなく、0から6まで、七段階に、連続的に、変化してゆくというものだ。

更に、1981年に、ハイト・リポートである。
七千余人のアメリカ人を対象に、体験をリポートとして、具体的に書いたものである。

43パーセントの男性が、少年時代に、少年と性的関係を持ったと、答えている。
彼らの多くは、大人になり、異性愛者になる。
行為があったからといって、同性愛者になることは、ない。

また、その中で、男同士の友情についての、項目である。
多くの男性は、親友は、いないと、答えるのである。

学生時代には、いたが、今はいないのである。
何故か。

男は、一対一の付き合いを、避けるのである。
それは、ホモと思われたくないという、理由である。
男の付き合いは、グループの付き合いに、多く限定されるのである。

ホモフォービア、つまり、同性愛嫌悪である。
同性愛を恐れているのである。

その傾向は、特に欧米で強いのである。

我々の文化では、どれほど日常的で自然なものであっても、男同士の肉体的接触はタブー視されている。いかな大勢の男たちが、自分の息子が少し大きくなると、こわがって、さわることも抱きしめることもできなくなっているかということも判明した。
ハイト・リポート

ホモセクシャルという言葉には、同性・性的傾向と、訳すことができる。
同性愛という、訳は、愛という、精神的な言葉が入る。

セクシャリティの研究は、性だけを、扱うようである。
愛という、精神活動を見ないのである。

アンソニー・ギデンズは、性の問題について書こうとして、愛情や、ジェンダーを語ることになったという。
純粋な関係性とは何かである。
そこには、男女の性差が無く、対等という意味のみが、ある。

性差を超えて、純粋な、人間の結びつきを、どのように成立させるのかという、問題になった。

そこで、同性愛という、関係が、大きなヒントになるという。

社会生物学者である、E・O・ウィルソンは、人間の本性についてで、
同性愛は、もしかすると、生物学的な意味では正常なものかもしれない。それは、初期視線類の社会組織の重要な一要因として進化した、一種の明確な親切行動なのかもしれないのである。
と、述べている。

以前、出来損ないの男たち、という、本を取り上げたが、男の体は、女の体の変形であるというもの。

人間の最初は、女からはじまったというものだ。

同性愛とはなにか、生まれか育ちか、といった謎は、まだはっきりとは解かれていない。今いっているのは、人間はもともと両性的であり、多かれ少なかれ、同性愛的要素を持っているということだ。それだからこそ、同性愛は人間の絆、愛の歴史の中である役割を果たしてきた。それは、人と人はつながり合うことができるのか、人は他者を純粋に「性差を超えて対等に」愛することができるのかを問いかけてくる。
海野弘

今までの、価値観を、破壊して、改めて、同性愛、更には、異性愛と、様々な関係性における、愛の行為を、見詰めなおす時期なのかもしれない。

それは、寛容の歴史の、幕開けでもある。

政治によっても、宗教や、民族的価値観によっても、差別されない、愛の形である。

未来の萌芽は、今、現在にある。
そして、今、現在は、未来を内包して、進んでいる。

日本では、女っぽい男や、ゲイも、ホモも、侮蔑の意味を含んだ、おかま、という言い方をする。

同性愛と、一口に言っても、男として、男を愛するタイプ、そして、性愛を共有するタイプと、女らしい男を愛するタイプと、色々ある。

更に、ゲイと、ホモの違いは、あるのかといえば、ホモは、病理学により、命名されたもので、ゲイは、同性愛者が、自ら、ゲイと誇りを持って、自称するものと、私は、捉える。

いずれにせよ、同性愛として、統一して、語ることにする。

それには、精神的愛情も、含まれてある。

ゲイのセックスは、性の交わりのみを、追及するタイプも多いが、私は、ここで、ゲイセックスを取り扱うのではない。

ゲイセックスのみならず、異性間でも、セックスのみ、追及する人も実に、多い。
それは、売春の歴史を見れば、一目瞭然である。
単なる、性欲の一つとしての、同性愛を、見詰めるのではない。

射精欲、オーガズム欲のみを、求めるものは、マスターベーションで、足りる。しかし、何故、人間は、人間として、人間を求めるのか、である。

性欲、情欲、肉欲と、日本語では、多くの表現がある。

性欲、肉欲は、単に、セックスの楽しみに至る欲望であるが、情欲になると、情けという言葉がある通り、単なる、性欲、肉欲ではないものになる。

性も、我なるものを、求めて、漂流しているのである。
最も、我に近いもの、である。
人間の大脳化は、とてつもなく、人間を進化させた。

大脳の、性的快感のみならず、大脳の精神、心を扱う部分に、大きく負うものである。

同性愛を、探ることは、それを、より鮮明に意識することになる。

posted by 天山 at 00:00| 性について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

何故バリ島か 9

ホテルの朝食は、楽しかった。
バイキングである。
好きなだけ食べられる。

レストランのテラスに出て、食事をする。
一番乗りは、私であり、そして、辻友子がやってくる。

一番遅いのが、コータである。

何度も、立ち上がり、料理や、飲み物を取りに行く。

食事のときに、他のお客と、顔を合わせた。
中国の人が多かった。
日本人の、カップルにも、何組か会った。が、話はしない。

帰国日の、朝である。
ホテルの部屋一つを、夜九時まで、利用することにした。
迎えの車は、夜十時である。

ホテルのレストランで、夜の食事をして、そのまま、空港に向かう予定である。

支援物資が無くなり、荷物が、無い。
行きは大変だが、帰りは、楽々である。

本日は、クタ地区のマタハリデパートに出て、買い物をする。といっても、その一階にある、スーパーでの、買い物である。

スーパーの中に、おみやげ物も、売っている。そして、安い。
クタの街中で、売っている物は、高いのである。

私は、蝋燭と、お香を買う。
いつも、そうだ。タイに、出かけた時も、買うのは、それだけである。

それまで、部屋で休むことにした。

一泊だけ、サヌールであるから、五泊したことになる。
ボーイさん達とも、顔馴染みになる。
私は、廊下で、歌ったり、朝日に、拍手を打つので、特に、注目された。
辻友子も、朝の太陽を、拝していた。その拍手が、また、響く。

一度、朝早く、ホテルの前で、大きな声で、長崎の鐘を、歌った。
すると、隣近所の人が、感激してくれた。
更に、ホテルの厨房からも、大きな歌う声が聞こえた。

コックさんが、私に、負けじと歌っていたのだ。
レストランに入ると、コックさんが、私に、手を振る。

ホテル前の、商店のおじさんは、それから、毎朝、私に挨拶した。
そして、毎朝歌ってくれと、言う。
顔見知りが増えてゆく。

着物や、浴衣を着るので、一度で、覚えられるということもある。
誤魔化し両替屋は、私に声を掛けなくなった。

更に、一度、あることで、徹底的に、抗議した通りのホテルは、改装中なのか、営業しているのか、分からない。
どことなく、森閑としていた。
バリニーズも、日本の旅行会社も、巻き込んで、徹底的に、抗議したのである。

その後、ホテルから、営業改善の、親書が、送られてきた。

適当な、ボーイの対応から、部屋の設備の不備、そして、ホテルの付属のマッサージの、ボーイの、エロ作戦対応などなど、である。
マッサージルームで、セックスにまで、持ち込もうとした、ボーイは、日本人の女なら、喜ぶと、思っていたのである。
それに、引っかかった、日本の女も、多くいたと、思われる。

私には、冗談ではなかった。

日本人は、無理やりすれば、抵抗しないという、舐めた態度と、気持ちが、許せなかったのだ。

ということで、今回の、旅日記は、終わる。

出国も、入国も、何事も無く、スムーズ。
インフルエンザの、騒動も、どこ吹く風。
成田では、何事かあるのかと、思いきや。何もなし。

あれは、マスコミの、報道の仕方に問題がある。
あたかも、24時間、厳戒態勢のような、報道である。
健康状態の申告書に、記入して、オッケーである。

実は、私たちは、期待していた。
もしかしたら、無料で、色々な検査を受けられるかもしれないと。
辻友子などは、乳がん検査や、レントゲンまで撮ってもらおうと、思っていた。更に、血液検査で、どこか、悪いところが無いかと。

更に、疑いがあると、ホテルに、国のお金で、泊まれるという、期待。
ホテルに、留まって、しばらく、ゆっくり過ごす。
朝昼晩の、食事も、出るし・・・である。

だが、全く、そんな気配もなかった。
残念。

税関でも、何も聞かれず、はい、どうぞ、である。
私は、国際ボランティアですと、答えを用意していたのに・・・

すぐに、バスに乗り、横浜に向かう。
もう、寝るしかない。

旅は、楽しい。
そして、決して、観光旅行では、味わうことの出来ない、人との付き合いである。
今度は、いつ来るの。
そういわれると、嬉しい。

いつ来るの
えーと、三ヶ月後で
適当に言ってしまう。
次のバリ島行きは、年が明けてからである。

そして、私は、また、年を取っているのである。

あはれとも
気の毒なりと
思はざり
それ定めなり
生き抜くことを

posted by 天山 at 00:00| 何故、バリ島か 平成21年5月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月10日

何故バリ島か 追加

サヌールから、戻った翌日の、昼前に、テロ慰霊碑の前で、追悼慰霊の儀を執り行った。

それも、はじめから、決めていたことである。

その場所は、クタ地区の、レギャン通りの、角である。
道が二股に分かれている場所にあった、ディスコだった。

その前に、車が止められ、爆発し、ディスコ客が、被害に遭った。
二百名以上が亡くなった。日本人は、新婚旅行に来ていた、二人である。

モニュメントには、名前が刻まれている。

そこで、私たち三人は、日拝し、清め祓いの祝詞を、上げて、追悼した。
御幣と、日の丸を、掲げた。

その途中で、続々と人が集ってきた。
イスラム教徒や、欧米人である。
オーストラリア人もいた。

あまり、長くその場を占領していられないと、思いつつ、祈った。
キリエレイソン、主よ哀れみたまえ。
アッラーと、三度、唱えた。

不思議だった。
どうして、私の口から、アッラーが、出たのかである。
キリエレイソンは、今までも、出たが、アッラーとは、思わなかった。

しかし、祈りの心は、何も変わらない。

辻友子が、日の丸を掲げていた。
日本人三人が、浴衣を着て、慰霊をしている。ただ、それだけである。

終わると、その場を、すぐに、立ち退いた。
それを見ていた、おじさんが、ありがとう、と言うのである。
道を、歩いていると、ありがとうと、日本語で、声を掛けられるが、おじさんの、ありがとうは、それとは、違った。
私たちの行為に、ありがとうと、言ったのだ。

昼近くの時間を、選んだのは、太陽である。
太陽が、昇る時に、慰霊をする。
つまり、浮遊する霊に、対処したのである。

もし、深夜行えば、万が一、霊的障害を受けることもあり得る。
霊的障害とは、説明するのに、難しい。
感受性である。
そのような、感受性を持つ人がいる。

霊の障りといわれるが、単に、霊的想念に、一時的に、影響される。それは、精神的動揺、不安定さなどである。
しかし、それが、強く出ると、活動できないことになることもある。

太陽が、出ていれば、それを、防ぐことが出来る。
太陽は、目に見える神であると、私は、認識している。

この宇宙に、超人的、人格的神というものは、存在しない。
存在するものは、霊である。

霊的存在のみが、正しい。
その、霊が、神や仏と、名乗るというならば、理解する。

もっと、詳しく言えば、この三次元の太陽は、次元を超えても、存在する。
つまり、多次元の太陽である。
三次元を超える太陽の存在を、霊的太陽と、仮定する。

その、霊的太陽により、霊的存在も、存在する。

太陽信仰を持った、古代人たちは、正しいと、私は、信じる。
太陽こそ、宇宙と、地球を生かすものである。

太陽系というのは、太陽を中心にした、惑星の系列である。
宇宙には、多くの太陽系があると、言われる。

だが、今、私が、生きている太陽系の、太陽は、今、目に見えている太陽である。
ゆえに、私は、太陽を神として、拝する。

日本の伝統は、天照、アマテラスとして、太陽を拝してきたのである。

それを、実在の人物と、混合させたものである。
つまり、太陽信仰を、説いた人物と、重ね合わせて、そのように、お呼びした。

日拝するとは、昔の日本人ならば、誰もが、行っていた。
実に自然な、礼拝の仕方である。

更に、これは、伝統であり、宗教的行為ではないということである。
実に、宗教的に、認識されるが、伝えられた、行為である。

さて、私たちは、レギャン通りの、レストランで、ジュースを飲んだ。
ぼったくりと、言えるほど高い、値段だった。
だが、それが普通の、観光客を相手にする、店である。

従業員が、私たちに、親しげに、声を掛けてくる。
日本人は、上客である。

浴衣姿の私たちと、写真を撮るのである。

それは、それでいいが、二度と、その店に行くことはなかった。
ジュースの値段が、通常の五倍だとしたら、他の料理も、同じである。
少し、小道に入れば、そんな値段の店は無い。

ちなみに、ジュースは、その店では、25000ルピアである。
地元の、店なら、5000ルピア、50円である。
250円の、ジュースは、高い。それなら、日本と変わらない。
だが、観光客には、安いのである。

観光は、お金を使うための、旅である。

今回は、大方、辻友子が、払った。その訳は、書いたとおり。
一時的に、金持ちになった、気分になるのである。
更に、海外の旅をしていると、日本語が、変になる。

聞きなれない、言葉を聞いていると、日本語に影響してくるのである。

辻友子は、テロの慰霊碑の追悼を、明日の朝の早朝にも、したいと言った。
早朝は、朝である。
更に、夜の食事の時は、コータに、自分の皿の、ライスを、コータ君よかったら、この、ライスの白いご飯、食べないと尋ねた。

ライスは、ご飯である。
その他、色々ある。

危険が危ないという、言い方である。

英語と、インドネシア語を、使用すると、更に、こんがらかる。
モーニング、シラマッパギ、おはよう、と、朝の挨拶である。
えーと、何だったっけ・・・
うーんと、
ハーイとなる。

面倒になると、ハーイで、済ます。
ハイではない、ハーイである。

おしまい

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