2009年05月27日

性について 97

江戸時代初期、日本は、世界一の、男色天国だった。

そして、明治以降は、世界最低の、男色の国になった。

この間の、説明は、明治期に西洋文明、特に、キリスト教文明、キリスト教が、入ってきたからである。
キリスト教は、性欲を罪とし、更に、女色より、男色を特に嫌った。
ソドミズムと呼ばれて、西洋では、死刑にまで、高まった時期もある。

だが、日本の男色を、説明する時に、西洋でいうところの、男色と、同じように考えていいのかという、疑問が湧く。

江戸時代初期、男色は、若道、若衆道と呼ばれた。

その、若道は、名前さえ、女の如くにつけ、姿は、売春婦に似る。髪を美しく結い、薄化粧をして、小袖の着物を着こなす。声も、細く、歌を歌うが如くである。

それは、女そのものと、いってもよい、姿、風情である。

限りなく、女に近い、または、女以上に、女らしい魅力を持つ、男たちである。

今、あえて言うならば、性同一性障害である。

ところが、明治期以降の、男色は、全く別物になるのである。

一時期の、心理学では、性倒錯といわれる、男が、男として、男を愛する、性交するという、関係である。

つまり、男が、本当の男を愛するのである。

勿論、それ以前も、存在したであろうが、表に出るものではなかった。

若道は、女と化した少年を、愛することである。
であるから、通常の、男色とは、言い難い。

女となった、少年を愛するのだから、女も、当然に愛する事が出来るのである。
現在、言われる少年愛とは、別物である。

それが、明治以降に、消滅するのである。
いとも、簡単に、である。

それは、少年が、女に化けるということを、極度に嫌悪するようになったからである。

それは、西洋思想の影響であり、当時の、富国強兵の思想からであろう。
明治から、昭和にかけて、オカマという言葉が、実に侮蔑的だったということでも、解る。

だが、深く検証すると、文明開化以前の江戸後期から、徐々に、形成しつつあったと、思われる。

江戸時代を通じて、武士道が、衰退してゆく。
武家社会が、事実上、消滅する。
これは、女色を遠ざけ、男と男の、信義を貫く、衆道の、精神が、衰退したと見ていい。

更に、信仰を衰退させた、仏教社会においても、女人を悪として、人里から離れた寺院にて、男だけの世界を作った社会も、堕落してゆく。

男女接触の禁が解かれ、異性が、すぐ傍に、存在するようになった。

明治の、文明開化は、衆道の世界を消滅させたのである。

キリスト教文明と、富国強兵と、質実剛健の思想的高揚が、拍車をかけて、少年が、女化することを、特に、忌み嫌うことになるのである。

更に、少年愛趣味も、強い侮蔑の対象となったのである。

それらが、消滅して、残るのは、少数派だった、成人男性同士が、性行為を伴う、男色が、変態として、認知されることになる。

明治という時代は、様々な西洋思想、文化に、翻弄された時代である。
新旧の狭間にあって、怒涛の如く、日本人の精神を、揺り動かした。

だが、西洋思想とは、ヘブライイズム、それは、キリスト教に裏打ちされた思想であり、当然、男色行為は、厳禁であり、甚だしくは、病とされた。

更に、マリア信仰に見るように、フェミニズム、女性崇拝思想である。
勿論、これにも、罠がある。

旧約聖書などから見れば、女は、家畜以下の存在である。

フェミニズムとは、女たちを誤魔化し、飼いならす方法である。
紳士の思想が、西洋にはある。
その紳士たるものは、弱い女を、守り、慈しみ、更には、畏敬して、敬愛するという、偽善的行為に、至るのである。

だが、この、フェミニズムというもの、今では、世界を、男を滅ぼすほどの、エネルギーになっている。

フェミニズムは、男を女に変質させる、力を持つようになった。
つまり、女になりたがる男たちの、出現である。

ゲイの世界的認知から、ゲイを超えて、世界の男たちが、女になることを、願い出るほどの、勢いを持つに至ったのである。
これについては、いずれ、深く検証する。

さて、日本の男色である。

明治期以降、長く男色、同性愛というものが、差別され、貶められ、侮蔑の対象とされた。その時期は、長い。
太平洋戦争以後も、それに対する認識は、変化しなかった。

男色、同性愛は、世の中の、日陰の存在としてあった。
また、変態として、認知された。
実に、同性愛の歴史は、暗いものである。

高度経済成長を過ぎて、徐々に、性に対する、囚われからの、開放が始まった。
フリーセックスの時代である。
その当たりから、同性愛というものの存在も、少しずつ変化してゆく。
オカマの時代を過ぎて、ゲイの時代が、到来する。



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最後の沈黙を破る 27

宗教、及び、宗教団体の、えげつなさ、は、皆の、知るところである。

カウンターテナー藤岡宣男が、宗教の勧誘にあった。

曰く、コンサートに、お客が集まる。成功する、というものである。

勿論、私は、大反対である。

芸の世界に、宗教団体の、信者が大勢、押し寄せるというのは、許しがたい。
良いも悪いも無い。その信者であるというだけで、客が来る。
笑わせる。

そうして、宗教団体というもの、えげつなさを、堂々と、行為する。

そして、実に、この私にも、宗教団体、S会の勧誘があった。
藤岡亡き後の、コンサートである。

人が少ない。
そこで、彼らの手は、人が集うというものである。

馬鹿馬鹿しい。
実に、馬鹿馬鹿しい。

下手糞な者でも、信者になれば、皆、お情けで、人が集うという、哀れさに、気づかないのか。

信長が、比叡山焼き討ちを、行ったのは、正しい。
傲慢不遜の、僧侶たち。更に、僧兵まで雇うという、宗教には、全く、ありえない、姿。
信長という、政治家の、面目である。

一人残らず、殺すという、焼き討ちは、正しい。
それほど、宗教とは、堕落するものだからである。

信じさせれば、こっちのものである。

浄土真宗の蓮如などは、何度殺されてもいい。

空海が、言う、人を酒に酔わせたようにする、信仰というもの。

信仰に、酔わせて、騙す、脅す、実に、甚だしい、人権侵害を、行う。

芸能人が、信者であると、大声で言う宗教団体の、手は、人をそれで、酔わすのである。

信じてしまえば、こっちのもの。

実に、実に、救われないもの、それが、宗教である。

更に、である。
その、ボランティア活動や、奉仕活動などは、全くもって、偽善の一言である。

無償の行為ではない。
宗教の宣伝である。
最も、卑劣である。

信者から、得た金で、援助したとは、笑わせる。
教祖、会長は、痛くも、痒くもない。
信者の金である。

この、罪は、計り知れない。

夢物語を、語り、信者を、騙す。

だが、馬鹿、アホはいるもので、人集めには、宗教に入るのが、一番と、思う。勿論、それで、宗教団体を、利用する程の、玉なら、認める。
しかし、結局、取り込まれるのである。

布施行為を、強要されて、元の木阿弥である。

個々の人の、信じる気持ちは、否定しないが、こと、団体となると、手がつけられない。

宗教団体とは、搾取の団体である。

これから、個々の宗教を、名指してして、私は、徹底攻撃する。

勿論、その教義なるものも、徹底解明する。

教義とは、妄想である。

そんなものは、無い。

虚無である。

人は、妄想と、幻想によって、生きる。それは、認める。
自己幻想の無い人はしない。

幻想があるから、生きられる。

釈迦仏陀が、目くそ、耳糞、鼻くそ、そして、体には、糞だまりであると、人間を示した。

そんな、糞だまりの、人間が、幻想を抱くというのは、理解するが、それでは、それらが無い、糞はしないという、嘘は、理解できない。

即身成仏した、教祖は、二度の、脳梗塞になっても、平然としている。
即身成仏したのであれば、即、死んでも、よいはずであるが、死なない。

それでは、即身成仏は、嘘であろうが、信者は、気づかない。
何故か。

騙されているのである。

信じると、騙されたことにも、気づかなくなる。

これを、日本的には、あはれ、という。

実に、あはれ、である。


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