2009年05月26日

性について 96

「性」をまるでアレルギーのように拒絶する父系男性宗教が出現することによって、それ以前の「性」に無邪気で、大らかだった母系礼拝宗教をしだいに圧倒し、駆逐した。
柴山 肇 江戸男色考

父系男性宗教とは、ユダヤ、キリスト、イスラム教のような、一神教であり、仏教も、それに入る。
性欲をはじめに、肉体的欲望を、否定することで、人間の心は、至福の状態になり得るという、実に偏狭な教義を、掲げた。

それが、また、女性蔑視、いや、それ以上に、女性の地位を下げた。家畜以下の存在が、女である。

それ以前の、母系的な考え方は、性というものが、実に、大らかで、無邪気なものであり、極言すれば、性とは、母性であるとも、いえる。

古代信仰形態は、それである。

であるから、男根信仰や、女陰信仰が、当然の如くにあった。
それは、また、産みの思想である。

性は、産みの思想なのである。

父系男性宗教は、性本能の、すべてを、排撃し、否定した。
恐るべき、偏狭であり、一体、何がそうさせたのかを、考えるべきである。

更に、ユダヤ、キリスト教では、男色、ソドミズムというものを、女色以上に、排斥した。
何故か。

仏教では、女色は、危険であるが、男色に関しては、比較的、穏やかに対処した。
それは、日本の仏教だけにいえるのか、他の仏教も、そうだったのかは、解らない。
しかし、男性の社会の中では、当然、起こるべきものだった。

日本の男色の歴史は、寺院から、はじまる。

そして、後に、武家社会に、衆道となり、更に、江戸時代には、市民権を得るまでになる。

あえて、宗教感覚と言う言葉で、言えば、日本人の場合は、神道における、多神教の信仰形態であり、その活動が、女人を、不浄として、嫌い、少年愛、男色傾向を深めたものと、いえる。

日本の男色の、歴史を俯瞰してみる。

古代から、鎌倉時代にかけては、仏教伝来により、大きく変化した。
山岳に、設けられた、寺院の中で、稚児対象のものとして、僧侶たちに、愛されることになる。
主として、10歳から、16,7歳までの、少年である。

彼らは、髪型、衣装も、少女のように、装われた。
支配階級の、高僧、貴族の間でも、性戯というものも、相応に発展したといわれる。

つまり、女性を、演じる、稚児である。
これは、即、男色と、決めかねるのである。

更に、原始の武士の男と男の、契りは、主従の絆が、寺院と同様に、女を遠ざけて、成り立つゆえに、自然発生的に、男色を生むことになる。

この、男色の、影響は、鎌倉武士から、薩摩藩の、「へこ組」の男色まで、続き、明治期まで、残ったのである。

古代からの、男色は、稚児に象徴される。
だが、万葉時代も、男色の関係は、存在した。
若者同士の、関わりの一つとして、認められていたと、思われる。

稚児から、少年愛に移行するのは、室町期から、江戸初期である。

その時代は、民衆が、表舞台に登場する、時期である。

その端的な、例は、猿楽をはじめとする、無数の芸能が、少年を中心として、発達し、後に、貴族社会の、式楽となる、能楽、更に、江戸初期の、歌舞伎へと、進む。

芸能が、少年を対象した、男色売春を生み出す。

江戸初期には、町人層にまで、浸透した。

若道、衆道とも、呼ばれて、武士階級の、男色と同様に、11歳から、二十歳までの、少年を対象とした。

少年の時期の、美しさは、女のそれよりも、勝るという、考え方があった。
現に、今でも、少年の美は、中性的で、妖しい、輝きを放つ。

男に、成りつつある、過程で、醸し出す、独特の、少年美である。

更に、進むと、現在言われる、ニューハーフ的存在としての、男色が、登場する。
つまり、女色的男色時代である。

あくまでも、女の代わりである。
女色が、あり、男色に、女色を付加する存在である。

純粋に、男と男が、愛する、そして、性的関係を、結ぶという、同性愛と、判定できる、段階は、まだ、先のことである。

女を抱くより、女に似た、男を抱くという、感覚は、何か、ということも、問題である。

人の心が、複雑に、なると、性的嗜好も、複雑になる。
同性愛と、いっても、実に、百人百様の姿があるということだ。

江戸中期になると、武士階級の女性化と同時に、町人階級による、男色の変貌がある。
男色が、町人階級になると、大きな質的変化を遂げるのである。
これが、男色を女色化として、享楽という、感覚で、捉えるようになる。

寛永から、登場した、若衆歌舞伎、慶安からの、野郎歌舞伎が、生み出した、若衆の女形によって、決定的になる。

井原西鶴の、男色ものを持ち出すまでもなく、色遊びは、女とも、男とも、出来る、することが、粋といわれるのである。

であるから、多分に、女性を主題にした、男色という、形を取っていた、それまでの時代というものが、見えてくる。



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最後の沈黙を破る 26

11月15日、シンガポールで、開催された、米・アセアン首脳会議で、オバマ大統領と、ミャンマー軍事政権の、テイン・セイン首相が、初めて、顔を合わせた。

オバマは、各国首脳の面前で、ミャンマー問題に触れた。
民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんを、含む政治犯の開放、民主化の進展を率直に求めた。

しかし、テイン・セイン首相からは、具体的な発現はなかった。

軍政の出方は、曖昧である。

何故、軍政が、それほど、強硬姿勢を取るのか。
その背後にあるものである。

それは、中国である。

軍事政権の、諸々の、悪行を、推し進めているのが、中国である。

アセアン当局者は、ミャンマーは、慎重だ。中国の後ろ盾があるかぎり、スー・チーさんを含む、様々な、カードは、簡単に切らないというのである。

中国の支援に頼る、ミャンマーである。
というより、中国は、ミャンマーを、属国化しているのである。

金の、流れは、中国による。
更に、中華系の、台頭は、甚だしい。

元の、首都、ヤンゴンでは、停電が、八時間など、ざらである。
ヤンゴンの都市機能を、麻痺させている。

何故か。
国民の力を、削ぐことだけを、考えている。
国民に力を、与えない。
そして、中国の、言いなりに、人権無視を、推し進める。

中国は、自国のみならず、そのようにして、他国にも、人権無視を、推し進めるようにするのである。

自国民を、1000万人殺した、毛沢東を、国父と、仰いでいる国である。
他国の国民など、何人殺しても、平気である。

中国は、何を目指しているのか。
それは、世界の覇権である。

中国によって、世界は、滅茶苦茶にされるのである。
ゴキブリのように、増殖する、中華系は、その国の、システムを、ずたずたにして、我が物にする。

今、ラオスも、そのように、中国の属国化が、進む。

中国の暴力を、徹底的に、抑制させないと、世界の輪も、和も、保てない。

アメリカの国力が、落ちて、中国台頭となれば、中国は、とんでもないことを、始めるのは、目に見えている。

中国人、漢民族の、増殖を、推し進める中国である。
その、国内の問題を、他国に、押し付ける意欲、満々である。

日本の、軍事化を、徹底的に、牽制し、自国の、軍事化は、徹底的に、推し進める。
それも、日本の支援金を、有意義に使ってである。

敵に、お金を出し続ける、日本という国は、どう考えても、おかしい。が、しかし、それを、声を出して言う事が出来ない。
何故か。

マスコミはじめ、多くの識者たち、中国共産党に、骨抜きにされた、アホ、ばか者が、日本の、言論を握るからである。

勿論、ようやく、まともな、意見を言う者が、出てきたことは、喜ばしい。

世界の平和を、考えるならば、中国の国力を、削減しなければならない。

中国の国内問題は、今にも、爆発寸前である。

すると、共産党の、考えることは、他に転ずることである。

生まれ持っての、魔界の者たちであるから、兎に角、悪行の数々は、朝飯前である。

これから、少し、中国の、悪行の様を、書くことにする。

知らないことは、実に、恐ろしいことである。

中国の同化政策は、まさに、漢民族一主義である。
チベットにしろ、ウイグルにしろ、それはそれは、残酷無残な行動である。

世界の、進化と、逆行する、中国共産党の、様を、今こそ、日本人は、知るべきである。

ゴキブリ中国人に、乗っ取られる、東南アジアを、救うためにも、知るべきである。

東アジア共同体などいうのは、中国支配を、推し進めるものに、他ならない。

鳩山は、即刻、退陣して、貰いたい。
あの、アホは、何も知らない。知る術も無い。

あんな、お目出度い、首相というのは、はじめてだ。

自国を、売る行為であることに、気づいていないのである。
アホも、極まれり、である。


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