2009年05月20日

最後の沈黙を破る 28

日本にも、困っている人は、大勢いる、どうして、海外支援なの・・・

それでは、どうして、あなたが、しないの・・・と、私は、尋ねたい。

よく、海外支援を行う人が、言われることである。

困っている人は、国内だと、海外だと、支援できることは、するのである。
それが、丁度、その人に合っているから、しているのである。

例えば、衣服支援を、国内、この日本で行う場合は、アジアの国で行うより、十倍、いや、それ以上に、気を使う。
何故か。
人の着たものを、人様に、なんて・・・という人が多い。更に、また、貰う側も、戸惑う。人の着たものをと・・・

アジアの国でも、気を使い、必要ですかと、尋ねて、渡しているのである。

例えば、私は、沖縄・那覇の、港に来る、路上生活の人々に、衣服を差し上げた。しかし、それは、写真にも、撮れない。日本人だから、失礼に当たると、思う。
アジアの人々は、知らない人。それに、写真を撮ることを、喜んでくれる。
一度も、拒まれたことは、ない。

日本にせよ、ではなく、日本にも、必要な方がいれば、傍にいれば、するのである。

私は、何度も、道で見かけた、路上生活の人を追いかけたことがある。
知能障害や、知的障害を持たれている方であろうと、思う。
信じられない、格好をして、ゴミ箱を漁っている。

もし、彼らに、自治体の、福祉関係の施設などに、相談できる、知能があれば、するだろう。
しかし、それが、出来ない。

どんな形でも、やろうと、思えば、出来るのである。

さて、日本にも、困った人がいるのに、何故というのは、批判にもならない。

日本でも、格差社会到来と、言われるが、本当に、貧しい、貧しさというものを、知らない人が、平然として、そういうことを、言うのである。

日本では、困った人も、行政や、民間団体などで、救われること、多々あり。
色々な解決策がある。

しかし、全く無いという、国が、多々ある。
たまたま、出会った縁により、ボランティアなる言葉で、言われる活動を、始める人が多い。
それは、あまりの、悲惨さなのである。

黙って、素通りできない、悲惨さというものがある。

日本では、どんなに困っても、それほどのものではない。
と、私は、考えている。

日本は、福祉国家である。
政府を批判するのに、もっと、福祉政策をというが、日本は、立派な福祉国家である。勿論、まだまだ、足りない。どんどんと、福祉の進んだ国になることを、願う。

格好よく言えば、多面的、質の高い国家を、目指すべきである。

だが、そのためには、国民も、相当に、レベルの高い、知性を必要とする。

日本で、生活保護を、受けている世帯の、その、内容を見ると、日本人の、保護世帯より、在日朝鮮人が、その、十倍である。
国が、在日の人々に、手厚く保護の手を、差し伸べている。

国でさえも、である。

それほど、日本という国は、レベルが高いのである。

さて、元に戻ると、外国も、国内も、関係ないのである。
出来ることを、一人一人がすることが、世界的に、人間のレベルを上げることになる。

更に、情報のグローバル化である。
人の心も、グローバルになるべきである。
勿論、それを、強制するものではない。

しかし、日本にも、困っている人がいるのに、という、批判は、成り立たないのである。

それは、単なる、屁理屈であり、邪まな、考え方である。

よこしま、邪である。

出来る人が、出来ることを、する。それは、国境を、問わない。だから、日本人は、素晴らしいのである。

人それぞれ、好みや、傾向がある。
それぞれで、質の高い世界を、目指すために、活動することは、素晴らしく。それが、出来る、許される日本という国が、素晴らしいのである。

一つの例を、上げる。

タイ・チェンマイにて、ボランティア協議会のような、会合で、現地の団体から、日本のボランティア団体に、質問が、上がった。

欧米のボランティア団体には、キリスト教の布教という、目的があり、その活動を理解できるが、日本の団体の、目的は、何か、である。

つまり、日本の団体は、何の企みがあって、この、チェンマイくんだりまで、来ているだということ。

更に、日本でも、今は大変に、困っている人がいるでしょう、である。

そのように、憶測された。

そう、日本の団体は、布教目的ではないのである。

皆、絶句した。
思想的に、何か企んでいるなど、誰も、考えたことは無い。

勿論、中には、名誉目的、更には、支援金を頂くために、便宜上、タイという国で、ボランティア活動を行うという、人がいる。

しかし、また、中には、やむに止まれぬ気持ちで、行う人もいる。

何かの思想を、広めるために、日本人は、行っているのではないということを、タイの人に伝えるのは、実に難しいだろう。

欧米のボランティア団体は、必ず、福音宣教という、目的がつく。
それは、単なる、ボランティア活動より、非常に歪で、混乱を招く。
現地の、人の思想信条を、土足で踏み付ける。

甚だしいのは、お金を出してまで、教えを強要するという。

国内外を、問わずに、出来ることをする、それが、世界の、知的、そして理性のレベルを、上げる。更に、質の高い、関わりと、友情を育てる。

国内にも、困った人がいるのに、海外での、支援は、云々とは、批判にもならないということを、言っておく。



posted by 天山 at 00:00| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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