藤岡の歌を残すという、人の気持ちは、よく解る。
私も、その一人で、藤岡の録音を、すべて、所有し、保存しているのは、私である。
そこで、藤岡を、忘れない、忘れ去られないようにという、人の気持ちも、また、解る。
しかし、藤岡の歌を、残すという時、それは、藤岡の生き様を、残すということでもあると、私は、考える。
藤岡宣男という、人間は、人間としての、欲望を持ち、個人としても、生きたが、その他に、志というものを、持って生きた。
その志というものを、見つめて、それを、受け継いで生きるという人もいる。
そこで、単に、歌を残すということより、私は、藤岡の、生き様を、志を、残す、受け継ぐという、考えに、多く、共感する。
一つの例を、上げる。
私は、日本舞踊を、ある、歌舞伎の名門の方から、習うことが出来た。
その方は、女性であるから、歌舞伎の世界には、生きられなかったが、父親の芸を、受け継いでいた。
更に、実家が、日本舞踊の家元であるが、彼女は、父親の芸風を、持つ、別の流派に属していた。
それも、偉いことである。
実家の、流派の、教授をしていれば、もっと、彼女は、楽で、名誉を、受けられたはずである。
さて、その師匠が、私に、いつも、言った。
私は、あなたに、父親の芸風を、伝えている。
それを、あなたが、受け継いで、伝えてくれれば、父親の名前など、どうでもいい。
その、芸風こそ、父の、残すものであるから、あなたによって、伝えられれば、私は、本望だといった。
更に、名取など、取る必要は無い。
時代が、変わるのだから、あなたが、家元を、名乗り、舞踊を、するべきだと。
信じられない、考え方だった。
家元制の中に所属する、舞踊の師匠にあるまじき、思想だった。
私が、死んだら、私のすべての、振り付けの、保存したものを、あなたに上げるから、それで、家元を、やりなさいとまで、言われた。
勿論、私は、いまは、それら、和芸の世界、つまり、家元制の世界から、遠のいた。
我勝手に、やるという、ところに、身を置いている。
それで、いい。
芸というものは、そういうものであり、名前など、どうでもいいのである。
その、芸風とは、生き様である。
藤岡宣男は、三十にして、歌の道に、志した。
出世が、約束されていた社会から、出て、最も、厳しい世界に、身を入れた。また、入れざるを得ない、志を持ったということである。
それで、ある。
それを、伝えること。
それを、残すこと。
勿論、歌は、残っているが、その志を、受け継いで、残し、更に、それを、生きるということを、実践する人を、育てることが、最も、藤岡の意に、適うことなのである。
藤岡宣男の名前が、消えても、その志が、生きていれば、いいのである。
そうして、伝われるものが、伝統にまで、高まる時、藤岡宣男の、生き様が、輝く、そして、普遍のものになる。
芸術の道でなくても、いいのである。
生き方の、ことである。
人に、多大な影響を与える、生き様というものは、凄まじいことである。
私の、生き方は、父母の、祖父母に、大きな影響を受けている。
彼らの、名前など、誰も知らない。しかし、私の生き方によって、彼らの、生き様が、生きているのである。
更に、私の生き方に、藤岡宣男の、生き様が、生きているのである。
だから、人生が、素晴らしいものになる。
私の生き方に、多くの亡き人の、生き様が、生きている。
それ以外に、言うべき言葉は、無い。
一人で、生きているかに見えるが、私の生き方に、多くの人の、志が、生きているのである。
人は、歴史と、断絶して生きられるものではない。
歴史から、生き様を、受け継いで生きるものである。
人は、人の生き様と、断絶して、生きられるものではない。
多くの亡き人の、志を、抱いて生きるのである。
人間の存在は、絶対孤独でありながら、生きられるのは、志の、受け継ぎがあるからである。
つまり、一人ではない。
その志の道を、多くの人が、生きたのである。
それを、生きた哲学、生きた思想という。
そこには、言葉遊びは、無い。
藤岡宣男の、生き様の志を、受け継いで生きる者は、誰か。
それが、問題である。