2009年05月15日

最後の沈黙を破る 15

テラの会の、活動主旨は、戦争犠牲者の追悼慰霊である。

準じて、衣服支援を、行う。

私の、それは、長年の希望だった。

その時期が来たので、行っている。

戦争を反対する前に、するべきことは、その犠牲者の追悼慰霊以外に無い。
死ねば、終わりと思い込む人には、分からないし、それを、説得もしない。
死ねば、解ることだからである。

死んで、行くところ無く、浮遊して、はじめて、死の世界を知る。

タイ・チェンマイ在住で、昨年の暮れに亡くなった、兵士の生き残りの方がいた。
彼は、戦友の遺骨収集を行い、12000体ほどの、遺骨を集めて、慰霊碑を自宅近くに、建てた。

それから、毎晩のように、戦友たちが、現れたという。
霊である。

彼は、そこで、提案した。
俺は、クリスチャンだから、クリスマスイブに、皆のために、ご馳走を用意し、向かえるから、その時に、来てくれと、頼んだ。
すると、翌日から、戦友の霊は、出なくなった。

彼の潜在意識が、云々かんぬんという、問題ではない。

戦地にて、そういう現象に、見舞われる人は、多々いる。

ある、精神科の医者である。

相談に訪れた患者は、沖縄の女性だった。

治療を続ける、うちに、ある日、彼女の口から、私たちは、と、出た。
医者は、驚いた。
私たちとは・・・

どうしました
私たちは、沖縄戦で、死んだものです
どこですか
・ ・・・です。

医者は、理解不能に陥った。

だが、彼女の口から、それを聞いた医者は、・・・と、言われた場所に出掛けた。
そして、感得した。

霊がいる。

彼は、それから、毎年、そのための、慰霊を行っている。

私の友人の、知り合いの、精神科医である。

一人密かに、感じ取って、慰霊を行う人は、多くいる。
しかし、それを、私のように、人に語ることはしない。
ただ、黙々と、行為するのみである。

憑依現象の大半は、精神的なものである。
しかし、中には、稀に、本当に、霊が憑依する場合がある。

私は、それを、知っている。

さて、戦争犠牲者の追悼慰霊が、平和への、近道であること、それは、明白である。

何故なら、彼ら、戦死者は、二度と、戦争などしたくないと、思っているからである。

その彼らを、その場に、留めおいては、危険である。

事故多発地帯と、同じである。
戦争の想念を、持ち続けることは、戦争を呼び込む。

兎に角、霊位の行くべき場所に、案内するべきなのである。

それは、簡単なこと。
故郷に帰りたい霊は、故郷に、靖国に奉られたい霊は、靖国に、母の元に帰りたい霊は、母の元に。
母は、すでに、亡くなっていても、霊位の想念は、母に会う。
それで、彼らは、目覚める。
死んだ我という、自覚である。

後は、それぞれが、それぞれに、自ら、その先を行く。

それが、伝統行為である、神送り、清め祓いの行為である。
日本には、古から、その所作がある、唯一の国である。

言霊を語る人、音霊、おとたま、を、知らない。
更に、音霊には、数霊、かずたま、がある。

宇宙には、音と色がある。
色は音であり、音は色である。

白地に赤い、日の丸も、清め祓いの象徴である。
富士王朝時代に、それは、成った。
太陽の光を、真似て、創作された。

薩摩藩の、旗を国旗にしたのではない。
知らないゆえである。
元から、あった。

天皇家の、菊のご門というが、あれも、菊ではない。本来は、太陽と、その光を、映したものである。

日の本とは、日本のことである。

その象徴が、日の丸である。
私は、追悼慰霊、特に、日本人の追悼慰霊の際に、日の丸を持参することにしたゆえである。

沖縄戦で、犠牲になった、皆様は、明確に、日本人としてという、意識がある。

薩摩藩と、中国に、搾取され続けた歴史があるが、沖縄の人は、大和の国を、日本を、善しとした。

今の沖縄の人のことは、知らない。

ただ、戦争犠牲者は、確実に、日本人であるという、意識がある。

集団自決で、名高い、渡嘉敷島に出掛けたとき、案内してくれた、タクシーの女性から、単独で、単なる慰霊に、来られた方は、はじめてですと、言われた。

そして、その島の、当時のことは、話したくないのです、誰もが、と、言った。
しかし、私には、尋ねないことも、話した。

更に、集団自決跡には、島の人も、行かないと、聞いた。思い出したくないのである。更に、いまだに、迷う霊がいますと、言う。
その日も、彼女は、自決跡に、近づくと、朦朧とするという。

動悸が激しくなり、フラフラらしい。

大丈夫ですよ、すぐに終わります

私は、慰霊をしてから、はじめて、昭和天皇を、御呼びした。

そんなことは、何も考えていなかったことである。
皇祖皇宗を御呼びし、その地の、産土の神を御呼びして、慰霊なのであるが、昭和天皇を、御呼びすることになった。

あまつのりとの ふとのりとごと
これは、神道では、極秘にされている、唱え言である。

私も知らない。
ゆえに、その時、口から出る音に、任せる。

・ ・・・・・・
すべてが、終わり、私は、時間が迫るので、港に戻った。

何か、ありましたら、お電話くださいと、彼女に言われた。
携帯電話の、番号を聞いた。

自決の後、島の川の水が、血で、染まったという。

更に、スパイ容疑で、日本軍兵士に殺された人もいる。

無念の思い、満ち満ちてあり。

島には、神社しかないという。

葬儀は、昔ながらの、島民による、お別れの式である。

次に、私は、隣の島、座間味にも、行く。
ケラマ諸島は、アメリカ軍が、最初に上陸した、場所である。

勿論、他の沖縄戦場にも、出掛ける。

追悼慰霊なくして、平和は、無いのである。



posted by 天山 at 00:00| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

性について 85

タイは、感染爆発と、呼ばれるほど、急激な、HIV感染の拡大を、90年代に、体験した。

感染者は、推定、75万人。

アジアで、最も早く、深刻なエイズの流行に直面した。
同時に、最も早く、国を挙げて、エイズと、闘う姿勢を示した国である。

国連エイズ計画が、エイズとの、闘い例として上げるのが、タイと、ウガンダである。
しかし、その成果としても、なお、事態は、深刻であると、言われる。

タイのエイズ撲滅は、多くの犠牲者を出した。そして、今も、その後遺症に、苦しめられている。

タイは、途上国というより、今では、中進国である。
その国が、国を挙げて、取り組み、かなりの成果を上げても、感染拡大を、抑えるのに、精一杯である。

一度、HIVの感染が、拡大すると、いかに、エイズの流行と戦うことが、困難であるかを、知ることになる。

さて、90年代の後半、HIVに感染した人たちは、新たに登場した、治療により、以前よりも、長く生きられるようになった。
この、治療法は、カクテル療法とか、HAART、多剤併用療法と呼ばれる。

ただし、こうした、治療法が、普及したのは、先進国である。
途上国は、大きく異なる。

カクテル療法は、三種類以上の、抗レトロウイルス薬を使用し、効果を高める方法であり、薬代が、かかる。
途上国では、三種類は、おろか、一種類でも、服用することが、できないでいる。


この、途上国の、状態を、改善しなれば、エイズは、治まらない。
途上国から、幾度も、感染して、先進国に入るのである。

何故なら、途上国では、お金のために、体を売るからである。
国境なき医師団が、求めていることは、エイズのように、人の命に、関わる病気は、途上国の人たちも、使えるように、値段を下げて欲しいということ。

そして、そのためには、先進国の、基金で、薬を買い、途上国に提供することである。

更に、最も、効果的なのは、製薬会社のエイズ療法薬に対する、特許独占権を、緩めることである。
エイズの流行が、深刻な途上国で、安く薬を製造、輸出入できることである。

だが、薬だけ、提供しても、逆効果も、考えられる。
途中で止めてしまえば、薬剤耐性を持った、ウイルスが、生まれる危険もある。

だから、問題は、薬と共に、最低限の、保険基盤を整えることである。
それは、エイズに対する、知識と、教養である。
啓蒙運動である。

上記の、議論は、2000年以降、G8サミット、世界貿易機構の、知的所有権をめぐる会合など、様々な、場所で、重要課題として、取り上げられている。
その結果、事態は、改善されつつある。

エイズの、流行は、途上国の、貧困と、開発から、安全保障、通商問題まで、多くの問題に、幅広く、深くかかわる。

ちなみに、日本は、2000年の、九州沖縄サミットで、今後五年間に渡り、30億ドルの貢献をすることを、約束した、沖縄感染イニシアティブを発表した。

約、3600億円である。

これにより、感染症対策分野への、新たな追加的資金の必要性を、各国首脳が、認識することとなり、2001年、国連エイズ特別総会、更に、七月の、ジェノバサミットを経て、2002年の、世界エイズ・結核・マラリア対策基金創設につながる、流れを作った。

時代は、グローバルに移動することが、可能になった。
つまり、遠い国の、感染症が、いつ、入ってきても、おかしくない。

西ナイルウイルスなどは、2002年の、アメリカ全土で、確認されたという。
中国南部の、サーズ、新型肺炎も、日本をはじめ、アジアに、拡大した。

これは、世界的に、考えるべき、事態である。

人とモノが、行き交う。
素晴らしい世界だが、その反面、様々な、モノが、飛び交う。

エイズは、性感染症である。
皆が、その、意識を持ち、性的接触を、避けるべきだとは、簡単に言えない。
性的接触は、人間の、基本的、欲求である。

更に、性は、生でもある。

簡単に、クリアできる問題ではない。

今更、欲望のあり方などを、説いても、意味が無い。
更に、宗教的に、その欲望を裁いてみても、意味が無い。

それに、どのように、対処するかである。

さて、ここ、ここに至ると、エイズは、同性愛、特に、男性同性愛の、病気ではない。
異性間性的接触で、感染する方が多くなった。

ただし、日本の場合は、男性同性愛が、多数。

世界的には、異性間性的接触が、断然、多いのである。

国連エイズ計画の、報告書を見る。

麻薬注射の常用者、男性とセックスする男性、セックスワーカとその客など、感染リスクの高い行動をとるいくつかの集団に流行が限定されている国では、推計の方法は異なる。アジア、欧米諸国の多くがそうした国である。社会全般からみれば、HIV感染が少ないことや、感染の多くが主に男性で構成される集団で起きていることから、妊婦から得られるデータは限定的にしか活用することができない。

そして、感染リスクが、高いとされる行動は、
しばしば社会的に受け入れ難かったり、違法だったりするため、HIVに感染している人の割合も集団の規模もともに把握が困難である。
と、ある。

偏見や、差別的態度は、エイズを防ぐことは、出来ないということである。

正しく情報を、提供する、教える、啓蒙することの、大切さである。

posted by 天山 at 00:00| 性について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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