2009年05月26日

最後の沈黙を破る 26

11月15日、シンガポールで、開催された、米・アセアン首脳会議で、オバマ大統領と、ミャンマー軍事政権の、テイン・セイン首相が、初めて、顔を合わせた。

オバマは、各国首脳の面前で、ミャンマー問題に触れた。
民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんを、含む政治犯の開放、民主化の進展を率直に求めた。

しかし、テイン・セイン首相からは、具体的な発現はなかった。

軍政の出方は、曖昧である。

何故、軍政が、それほど、強硬姿勢を取るのか。
その背後にあるものである。

それは、中国である。

軍事政権の、諸々の、悪行を、推し進めているのが、中国である。

アセアン当局者は、ミャンマーは、慎重だ。中国の後ろ盾があるかぎり、スー・チーさんを含む、様々な、カードは、簡単に切らないというのである。

中国の支援に頼る、ミャンマーである。
というより、中国は、ミャンマーを、属国化しているのである。

金の、流れは、中国による。
更に、中華系の、台頭は、甚だしい。

元の、首都、ヤンゴンでは、停電が、八時間など、ざらである。
ヤンゴンの都市機能を、麻痺させている。

何故か。
国民の力を、削ぐことだけを、考えている。
国民に力を、与えない。
そして、中国の、言いなりに、人権無視を、推し進める。

中国は、自国のみならず、そのようにして、他国にも、人権無視を、推し進めるようにするのである。

自国民を、1000万人殺した、毛沢東を、国父と、仰いでいる国である。
他国の国民など、何人殺しても、平気である。

中国は、何を目指しているのか。
それは、世界の覇権である。

中国によって、世界は、滅茶苦茶にされるのである。
ゴキブリのように、増殖する、中華系は、その国の、システムを、ずたずたにして、我が物にする。

今、ラオスも、そのように、中国の属国化が、進む。

中国の暴力を、徹底的に、抑制させないと、世界の輪も、和も、保てない。

アメリカの国力が、落ちて、中国台頭となれば、中国は、とんでもないことを、始めるのは、目に見えている。

中国人、漢民族の、増殖を、推し進める中国である。
その、国内の問題を、他国に、押し付ける意欲、満々である。

日本の、軍事化を、徹底的に、牽制し、自国の、軍事化は、徹底的に、推し進める。
それも、日本の支援金を、有意義に使ってである。

敵に、お金を出し続ける、日本という国は、どう考えても、おかしい。が、しかし、それを、声を出して言う事が出来ない。
何故か。

マスコミはじめ、多くの識者たち、中国共産党に、骨抜きにされた、アホ、ばか者が、日本の、言論を握るからである。

勿論、ようやく、まともな、意見を言う者が、出てきたことは、喜ばしい。

世界の平和を、考えるならば、中国の国力を、削減しなければならない。

中国の国内問題は、今にも、爆発寸前である。

すると、共産党の、考えることは、他に転ずることである。

生まれ持っての、魔界の者たちであるから、兎に角、悪行の数々は、朝飯前である。

これから、少し、中国の、悪行の様を、書くことにする。

知らないことは、実に、恐ろしいことである。

中国の同化政策は、まさに、漢民族一主義である。
チベットにしろ、ウイグルにしろ、それはそれは、残酷無残な行動である。

世界の、進化と、逆行する、中国共産党の、様を、今こそ、日本人は、知るべきである。

ゴキブリ中国人に、乗っ取られる、東南アジアを、救うためにも、知るべきである。

東アジア共同体などいうのは、中国支配を、推し進めるものに、他ならない。

鳩山は、即刻、退陣して、貰いたい。
あの、アホは、何も知らない。知る術も無い。

あんな、お目出度い、首相というのは、はじめてだ。

自国を、売る行為であることに、気づいていないのである。
アホも、極まれり、である。




posted by 天山 at 00:00| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

性について 96

「性」をまるでアレルギーのように拒絶する父系男性宗教が出現することによって、それ以前の「性」に無邪気で、大らかだった母系礼拝宗教をしだいに圧倒し、駆逐した。
柴山 肇 江戸男色考

父系男性宗教とは、ユダヤ、キリスト、イスラム教のような、一神教であり、仏教も、それに入る。
性欲をはじめに、肉体的欲望を、否定することで、人間の心は、至福の状態になり得るという、実に偏狭な教義を、掲げた。

それが、また、女性蔑視、いや、それ以上に、女性の地位を下げた。家畜以下の存在が、女である。

それ以前の、母系的な考え方は、性というものが、実に、大らかで、無邪気なものであり、極言すれば、性とは、母性であるとも、いえる。

古代信仰形態は、それである。

であるから、男根信仰や、女陰信仰が、当然の如くにあった。
それは、また、産みの思想である。

性は、産みの思想なのである。

父系男性宗教は、性本能の、すべてを、排撃し、否定した。
恐るべき、偏狭であり、一体、何がそうさせたのかを、考えるべきである。

更に、ユダヤ、キリスト教では、男色、ソドミズムというものを、女色以上に、排斥した。
何故か。

仏教では、女色は、危険であるが、男色に関しては、比較的、穏やかに対処した。
それは、日本の仏教だけにいえるのか、他の仏教も、そうだったのかは、解らない。
しかし、男性の社会の中では、当然、起こるべきものだった。

日本の男色の歴史は、寺院から、はじまる。

そして、後に、武家社会に、衆道となり、更に、江戸時代には、市民権を得るまでになる。

あえて、宗教感覚と言う言葉で、言えば、日本人の場合は、神道における、多神教の信仰形態であり、その活動が、女人を、不浄として、嫌い、少年愛、男色傾向を深めたものと、いえる。

日本の男色の、歴史を俯瞰してみる。

古代から、鎌倉時代にかけては、仏教伝来により、大きく変化した。
山岳に、設けられた、寺院の中で、稚児対象のものとして、僧侶たちに、愛されることになる。
主として、10歳から、16,7歳までの、少年である。

彼らは、髪型、衣装も、少女のように、装われた。
支配階級の、高僧、貴族の間でも、性戯というものも、相応に発展したといわれる。

つまり、女性を、演じる、稚児である。
これは、即、男色と、決めかねるのである。

更に、原始の武士の男と男の、契りは、主従の絆が、寺院と同様に、女を遠ざけて、成り立つゆえに、自然発生的に、男色を生むことになる。

この、男色の、影響は、鎌倉武士から、薩摩藩の、「へこ組」の男色まで、続き、明治期まで、残ったのである。

古代からの、男色は、稚児に象徴される。
だが、万葉時代も、男色の関係は、存在した。
若者同士の、関わりの一つとして、認められていたと、思われる。

稚児から、少年愛に移行するのは、室町期から、江戸初期である。

その時代は、民衆が、表舞台に登場する、時期である。

その端的な、例は、猿楽をはじめとする、無数の芸能が、少年を中心として、発達し、後に、貴族社会の、式楽となる、能楽、更に、江戸初期の、歌舞伎へと、進む。

芸能が、少年を対象した、男色売春を生み出す。

江戸初期には、町人層にまで、浸透した。

若道、衆道とも、呼ばれて、武士階級の、男色と同様に、11歳から、二十歳までの、少年を対象とした。

少年の時期の、美しさは、女のそれよりも、勝るという、考え方があった。
現に、今でも、少年の美は、中性的で、妖しい、輝きを放つ。

男に、成りつつある、過程で、醸し出す、独特の、少年美である。

更に、進むと、現在言われる、ニューハーフ的存在としての、男色が、登場する。
つまり、女色的男色時代である。

あくまでも、女の代わりである。
女色が、あり、男色に、女色を付加する存在である。

純粋に、男と男が、愛する、そして、性的関係を、結ぶという、同性愛と、判定できる、段階は、まだ、先のことである。

女を抱くより、女に似た、男を抱くという、感覚は、何か、ということも、問題である。

人の心が、複雑に、なると、性的嗜好も、複雑になる。
同性愛と、いっても、実に、百人百様の姿があるということだ。

江戸中期になると、武士階級の女性化と同時に、町人階級による、男色の変貌がある。
男色が、町人階級になると、大きな質的変化を遂げるのである。
これが、男色を女色化として、享楽という、感覚で、捉えるようになる。

寛永から、登場した、若衆歌舞伎、慶安からの、野郎歌舞伎が、生み出した、若衆の女形によって、決定的になる。

井原西鶴の、男色ものを持ち出すまでもなく、色遊びは、女とも、男とも、出来る、することが、粋といわれるのである。

であるから、多分に、女性を主題にした、男色という、形を取っていた、それまでの時代というものが、見えてくる。

posted by 天山 at 00:00| 性について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月27日

最後の沈黙を破る 27

宗教、及び、宗教団体の、えげつなさ、は、皆の、知るところである。

カウンターテナー藤岡宣男が、宗教の勧誘にあった。

曰く、コンサートに、お客が集まる。成功する、というものである。

勿論、私は、大反対である。

芸の世界に、宗教団体の、信者が大勢、押し寄せるというのは、許しがたい。
良いも悪いも無い。その信者であるというだけで、客が来る。
笑わせる。

そうして、宗教団体というもの、えげつなさを、堂々と、行為する。

そして、実に、この私にも、宗教団体、S会の勧誘があった。
藤岡亡き後の、コンサートである。

人が少ない。
そこで、彼らの手は、人が集うというものである。

馬鹿馬鹿しい。
実に、馬鹿馬鹿しい。

下手糞な者でも、信者になれば、皆、お情けで、人が集うという、哀れさに、気づかないのか。

信長が、比叡山焼き討ちを、行ったのは、正しい。
傲慢不遜の、僧侶たち。更に、僧兵まで雇うという、宗教には、全く、ありえない、姿。
信長という、政治家の、面目である。

一人残らず、殺すという、焼き討ちは、正しい。
それほど、宗教とは、堕落するものだからである。

信じさせれば、こっちのものである。

浄土真宗の蓮如などは、何度殺されてもいい。

空海が、言う、人を酒に酔わせたようにする、信仰というもの。

信仰に、酔わせて、騙す、脅す、実に、甚だしい、人権侵害を、行う。

芸能人が、信者であると、大声で言う宗教団体の、手は、人をそれで、酔わすのである。

信じてしまえば、こっちのもの。

実に、実に、救われないもの、それが、宗教である。

更に、である。
その、ボランティア活動や、奉仕活動などは、全くもって、偽善の一言である。

無償の行為ではない。
宗教の宣伝である。
最も、卑劣である。

信者から、得た金で、援助したとは、笑わせる。
教祖、会長は、痛くも、痒くもない。
信者の金である。

この、罪は、計り知れない。

夢物語を、語り、信者を、騙す。

だが、馬鹿、アホはいるもので、人集めには、宗教に入るのが、一番と、思う。勿論、それで、宗教団体を、利用する程の、玉なら、認める。
しかし、結局、取り込まれるのである。

布施行為を、強要されて、元の木阿弥である。

個々の人の、信じる気持ちは、否定しないが、こと、団体となると、手がつけられない。

宗教団体とは、搾取の団体である。

これから、個々の宗教を、名指してして、私は、徹底攻撃する。

勿論、その教義なるものも、徹底解明する。

教義とは、妄想である。

そんなものは、無い。

虚無である。

人は、妄想と、幻想によって、生きる。それは、認める。
自己幻想の無い人はしない。

幻想があるから、生きられる。

釈迦仏陀が、目くそ、耳糞、鼻くそ、そして、体には、糞だまりであると、人間を示した。

そんな、糞だまりの、人間が、幻想を抱くというのは、理解するが、それでは、それらが無い、糞はしないという、嘘は、理解できない。

即身成仏した、教祖は、二度の、脳梗塞になっても、平然としている。
即身成仏したのであれば、即、死んでも、よいはずであるが、死なない。

それでは、即身成仏は、嘘であろうが、信者は、気づかない。
何故か。

騙されているのである。

信じると、騙されたことにも、気づかなくなる。

これを、日本的には、あはれ、という。

実に、あはれ、である。


posted by 天山 at 00:00| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

性について 97

江戸時代初期、日本は、世界一の、男色天国だった。

そして、明治以降は、世界最低の、男色の国になった。

この間の、説明は、明治期に西洋文明、特に、キリスト教文明、キリスト教が、入ってきたからである。
キリスト教は、性欲を罪とし、更に、女色より、男色を特に嫌った。
ソドミズムと呼ばれて、西洋では、死刑にまで、高まった時期もある。

だが、日本の男色を、説明する時に、西洋でいうところの、男色と、同じように考えていいのかという、疑問が湧く。

江戸時代初期、男色は、若道、若衆道と呼ばれた。

その、若道は、名前さえ、女の如くにつけ、姿は、売春婦に似る。髪を美しく結い、薄化粧をして、小袖の着物を着こなす。声も、細く、歌を歌うが如くである。

それは、女そのものと、いってもよい、姿、風情である。

限りなく、女に近い、または、女以上に、女らしい魅力を持つ、男たちである。

今、あえて言うならば、性同一性障害である。

ところが、明治期以降の、男色は、全く別物になるのである。

一時期の、心理学では、性倒錯といわれる、男が、男として、男を愛する、性交するという、関係である。

つまり、男が、本当の男を愛するのである。

勿論、それ以前も、存在したであろうが、表に出るものではなかった。

若道は、女と化した少年を、愛することである。
であるから、通常の、男色とは、言い難い。

女となった、少年を愛するのだから、女も、当然に愛する事が出来るのである。
現在、言われる少年愛とは、別物である。

それが、明治以降に、消滅するのである。
いとも、簡単に、である。

それは、少年が、女に化けるということを、極度に嫌悪するようになったからである。

それは、西洋思想の影響であり、当時の、富国強兵の思想からであろう。
明治から、昭和にかけて、オカマという言葉が、実に侮蔑的だったということでも、解る。

だが、深く検証すると、文明開化以前の江戸後期から、徐々に、形成しつつあったと、思われる。

江戸時代を通じて、武士道が、衰退してゆく。
武家社会が、事実上、消滅する。
これは、女色を遠ざけ、男と男の、信義を貫く、衆道の、精神が、衰退したと見ていい。

更に、信仰を衰退させた、仏教社会においても、女人を悪として、人里から離れた寺院にて、男だけの世界を作った社会も、堕落してゆく。

男女接触の禁が解かれ、異性が、すぐ傍に、存在するようになった。

明治の、文明開化は、衆道の世界を消滅させたのである。

キリスト教文明と、富国強兵と、質実剛健の思想的高揚が、拍車をかけて、少年が、女化することを、特に、忌み嫌うことになるのである。

更に、少年愛趣味も、強い侮蔑の対象となったのである。

それらが、消滅して、残るのは、少数派だった、成人男性同士が、性行為を伴う、男色が、変態として、認知されることになる。

明治という時代は、様々な西洋思想、文化に、翻弄された時代である。
新旧の狭間にあって、怒涛の如く、日本人の精神を、揺り動かした。

だが、西洋思想とは、ヘブライイズム、それは、キリスト教に裏打ちされた思想であり、当然、男色行為は、厳禁であり、甚だしくは、病とされた。

更に、マリア信仰に見るように、フェミニズム、女性崇拝思想である。
勿論、これにも、罠がある。

旧約聖書などから見れば、女は、家畜以下の存在である。

フェミニズムとは、女たちを誤魔化し、飼いならす方法である。
紳士の思想が、西洋にはある。
その紳士たるものは、弱い女を、守り、慈しみ、更には、畏敬して、敬愛するという、偽善的行為に、至るのである。

だが、この、フェミニズムというもの、今では、世界を、男を滅ぼすほどの、エネルギーになっている。

フェミニズムは、男を女に変質させる、力を持つようになった。
つまり、女になりたがる男たちの、出現である。

ゲイの世界的認知から、ゲイを超えて、世界の男たちが、女になることを、願い出るほどの、勢いを持つに至ったのである。
これについては、いずれ、深く検証する。

さて、日本の男色である。

明治期以降、長く男色、同性愛というものが、差別され、貶められ、侮蔑の対象とされた。その時期は、長い。
太平洋戦争以後も、それに対する認識は、変化しなかった。

男色、同性愛は、世の中の、日陰の存在としてあった。
また、変態として、認知された。
実に、同性愛の歴史は、暗いものである。

高度経済成長を過ぎて、徐々に、性に対する、囚われからの、開放が始まった。
フリーセックスの時代である。
その当たりから、同性愛というものの存在も、少しずつ変化してゆく。
オカマの時代を過ぎて、ゲイの時代が、到来する。

posted by 天山 at 00:00| 性について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月28日

最後の沈黙を破る 28

アホというのは、自分のことを、知らないという、ことである。

私の活動を、ある、おじさんが聞いて、言った言葉は、俺も、東南アジアには、よく行っていたという言葉である。

つまり、ある、大手企業に、勤めていて、海外赴任で、出掛けたというもの。

あっそう

私は、あまり、話をしたくないが、延々として、何事かを、話す。

ホント、アホなのである。

東南アジアに、赴任したということは、能力が無いと、言っているようなもの、なのである。

更に、拍車をかけて、世界を回った。
どうせ言うなら、世界の女を買ったと言うほうが、聞きやすい。

開店休業が、赴任先の、事務所のあり様である。
何も、別にすることが、無い。
あっても、日本からの、電話を受ける程度。
仕事らしいことは、しない。出来ない。
だから、海外に、飛ばされたのである。

また、言えば、領事館の職員なども、そうである。
大使館とは、聞えは良いが、サラリーマンより、悪い。

大企業の、お使いのような、領事館、領事もいる。

勿論、海外で、何事かあれば、お世話になるが、それは、当たり前のこと。そのために、領事館や、大使館がある。

私が、はじめて、訪れた、領事館は、タイ・チェンマイの、領事館である。
手厚く、持て成された。
それは、有難いことである。

しかし、批判する。

日本国の、出先機関である。
お話は、いいが、要するに、こちらが、何を特に望んでいるのかということに、気を使うべきである。

領事館が、音頭を取ってすることは、取ってつけたような、行事などである。
地元の、要するに、タイ国政府、または、地元の、行政などの、形通りの、なにがしかを、すること。

物々しい、厳重な、警備体制での、領事館には、ただ、驚くばかり。

入るのに、二度、三度の、扉を、通るのである。

タイから、日本に、旅行する人に、ビザを、発給する程度の、仕事で、それほど、厳重にする必要があるのか・・・と、思うほど。

要するに、自分たちのための、意識なのである。

だから、民間の、活動などは、理解し難いし、理解できない。

勿論、それで、いい。

民間の本当に、大変な、活動を知れば、彼らは、自殺したくなるだろう。自分たちの、仕事の、どうでもよいことに、である。

それも、仕事であるから、それでいい。
何も、期待しない。

晴れの舞台に出て、挨拶する程度で、仕事をしている気になる、程度が、国の、要するに、海外に出る、公務員である。

さて、大企業の、無能な者、海外赴任で、何をしているか。

ゴルフと、風呂である。

ゴルフは、そのまま。
風呂というのは、女を買うことである。

あちらでは、風呂とは、日本の銭湯ではない。
女が、つく。

女に、体を洗ってもらい、その後は、射精に至るまでの、時間を、過ごすのである。

勿論、ただの、旅行者も、風呂に行く。

それについては、人それぞれ。
何も、文句は、無い。

売春は、堂々とした、商売である。
誰の、世話も、受けず、体を売って、我が身を、養い、更には、家族を養う。見事である。

アホの、おじさんは、知ったかぶりをして、私に話すが、全く、役に立たない、情報である。

人は、見るものしか、見えない。
見ないものは、見えないし、無いものである。

私のように、街の、小路に入って、最低の生活をしている、ものなどは、見えないのである。

私は、天皇陛下と、同じく、観光はしない。
更に、特別に、遊ぶことは無い。
興味がない。

その国の、その町の人々が、どんな暮らしをしているのか、何が必要なのか、更に、国のあり方を見ている。
そして、価値観の違う、人々が、どのようにして、共生して生きるのか、生きられるのかを、考えている。

どこどこに、美味しいものがある、などという、情報は、全く興味なし。
どこどこの、売春宿は、若い女がいるという、情報も、興味がない。

射精に至る道は、それこそ、人それぞれ。

バスで、一同、売春に行くなどという、趣味は、全く無い。

20年ほど前に、タイ・パタヤに出掛けた時は、何も知らなかった。
だが、高級ホテルの、ボーイたちから、日本人であるということから、私は、蔑みの目で、見られた経験がある。
それの、意味を知ったのは、夜である。

日本人の、おじさんたちが、車を、チャーターして、出掛けた。
それが、売春ツアーだった。

それを、知った。つまり、はじめて、それを、目にした。
私の、身で得た、情報である。
ああ、これなら、蔑まれると、思った。

個人で、売春に行くというなら、それはそれ、である。
しかし、団体での、売春ツアーは、蔑みの対象となる。
当然である。

以下省略。

posted by 天山 at 00:00| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

性について 98

G・ラットレー・ティラー「歴史におけるエロス」から。

人類の歴史は、性的基準として、非常に対照的な、二つの態度が、たえず相克を繰り返してきたという。

一つは、父権的態度。
西洋の中世、キリスト教社会や、日本の封建社会である。
その特徴は、
セックスに対する制限的な態度
女性の自由の制限
女性を劣等で罪深いとみる
幸福より純潔を高く評価する
政治的には権威主義
保守的、反革命的
調査、研究を信用しない
自発性への恐怖、禁止が強い
同性愛への深い恐怖
性差の誇張
禁欲主義、快楽への恐怖
父親宗教
である。

次には、母権的態度である。
セックスに対する許容的な態度
女性の自由
女性に高い地位を認める
純潔より幸福を評価する
政治的には民主主義的
進歩的、革命的
調査、研究を信用する
自発性、自己顕示
近親相姦への深い恐怖
性差の減少
快楽主義、快楽を歓迎する
母親宗教
である。

勿論、この、中間的時代もある。
西洋史から見れば、ケルト民族時代である。

日本も、仏教伝来以前は、母権的であった。

ただ、皮肉なことに、父権的社会では、男色を嫌うが、逆に、男色が、甦るという、こと、多々あり。

ユダヤ、キリスト教の聖典である、旧約聖書では、男色を、徹底的に、嫌い、それは、異民族、異教徒のものだと、排斥するが、禁止が、強ければ、強いほど、男色が、広く行われていたということである。

歴史が、男性宗教型になると、女性を低く評価する。
ユダヤ、キリスト教、イスラム教は、見ての通り。

仏教では、女性は、修行しても、救われない存在と、決定するという、徹底ぶりである。

ただ今の、歴史という時、この、男性の宗教をもとに成立した、父権社会が、記録されているのである。

それ以前の、歴史は、母権社会であるが、神話とされる場合が、多々あり。

要するに、古代社会は、母権社会であり、セックスの抑圧がなく、更に、快楽への、制限がないのである。

何故、父権社会になると、セックスが、タブー視されるのか・・・

セックスにより、男が女に、飲み込まれるという、恐怖からか。

そして、男色が、強い関心を呼ぶのである。
それを、嫌ってもである。

更に、父権的、父親宗教でさえ、神殿では、神官による、男色行為が、公然と、行われていたのである。
更に、売春行為もである。

実に、不可解である。

中世の西洋では、徹底的に、セックスを拒絶したが、日本の場合は、仏教社会で、男色に対しては、比較的、許容的だった。

結果、西洋では、男色に対する、恐怖心が高まり、日本の場合は、男色に対する、賛美が、高揚したのである。

何事にも、表と裏がある。

男色、嫌悪の裏には、男色の流行があり、というふうに、である。

現代では、男色の繁殖は、激しさを通り越して、ゲイを抜きにして、語れないこと、多数ある。

それでも、父権宗教主体の、社会では、男色を嫌悪し、更に、宗教的に、罪と定めている。

イスラム社会では、甚だしい場合は、死刑である。

再度、同性愛の、歴史を俯瞰しつつ、同性愛というものの、存在する意義と、価値、そして、人間が、逃れられないという、セックスの多様性を、見ることにする。

実際、セックスの多様性は、百人百様であり、それは、国家や、宗教に、支配されるものではないが、それさえも、支配しようとするのが、強い支配欲を持つ、為政者たちである。
勿論、宗教指導者といわれるものたちも、である。

何故、人の、性行為に、関与するのかを、探ってゆくと、必ず、支配欲というものが、見えてくる。そして、性とは、最も、原始的人間の、欲求であるという、事実である。

人間の、原始的欲求を支配することで、絶対的、権力の頂点に立とうとするのである。

人間の、基本的欲求を、本能と呼ぶが、その本能を支配するというのが、宗教と、政治の、キーポイントである。
つまり、本能と、主義、ドグマの戦いでもある。


posted by 天山 at 00:00| 性について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月29日

最後の沈黙を破る 29

中国の本性である。

北朝鮮との、軍事協力である。

核問題をめぐる六カ国協議の停滞を、よそに、北朝鮮の、地下資源開発と、軍事協力を強化する。

中国の、嘘は、朝飯前。

11/22、平壌入りした、中国国防相は、両国の伝統的な友好をさらに打ち固めて発展させ、両軍間の友好交流を密接なものにするための訪問と、言う。

更に、
中朝両国の軍隊と人民の協力に何によっても壊れず、永遠である。
とのこと。

核兵器開発を、続ける北朝鮮でも、それが、在韓米軍と、中国の間の、緩衝地帯であり、安全保障に、欠かせないと、考えているのである。

つまり、北朝鮮は、中国の出先、軍事との、認識である。

更に、中国は、あの、独裁体制に、二億元、26億円相当の、経済援助をしている。
こうして、独裁政権の、維持を続けさせる。
人民のことなどは、どうでもいい。

人権無視の、中国は、支援する国、支配下におく国にも、人権無視を、推し進める。

ミャンマーのスーチーさんの、対応にも、了解しているのである。

兎に角、世界の混乱の種を、どんどんと、撒き散らしている。

六カ国協議など、眼中に無いのである。

これが、中国共産党なのである。

要するに、我が身さえよければ、他は、どうでもいい、だけではない。
他も、支配下に置くという、考えなのである。

東アジア共同体など、中国支配の、何物でもない。

中国の、企みは、何か。
世界制覇、世界支配である。
そして、中国共産党の、独裁である。

そこには、アメリカと、イスラムが、存在する。

いずれ、徹底抗戦の構えで、くる。

そして、その最初が、北朝鮮の日本への、宣戦布告となる。

北朝鮮の持つ、二つの核で、日本は、降参である。

そして、中国支配に、組み込まれる段取り。
さて、日本は、どうするのか。

友愛に、酔いしれる、鳩山という、アホは、それでも、友愛で、中国の支配下に、治まる気なのか。

実は、今年に入り、中国と、北朝鮮の、要人の往来が、激しくなっている。

北朝鮮の、核問題など、実は、中国には、どうでもいいこと。
六カ国協議は、茶番なのである。

北朝鮮に、核の一つ、二つを、維持していて、欲しいのである。

要するに、北朝鮮も、中国の支配下にあるのである。

北朝鮮の、人権問題は、中国のものであり、ミャンマーも然り。
そして、周辺国を、飲み込む勢いである。
それに、力を、与えたのが、日本の金。

中国は、イランと、イスラエル、そして、アメリカが、共倒れすることを、待っている。
更に、アメリカ軍の力が、アフガンなどで、弱るのを、待つ。

北朝鮮が、アメリカと、直接対話したいのと、同じように、中国も、アメリカしか、頭に無い。

韓国、日本などは、赤子の手を捻るより、やさしい。

一体、日本の、安全保障は、如何なることか。

本当に、日本の安全保障を、考えているのかと、思える。

攻撃されたら、終わりである。

原爆反対、平和を、求める。
と、叫んで、本当に、原爆、核兵器が、無くなり、平和が、訪れると、思っているのか。
妄想である。

日本の中だけで、通用する、運動であり、いったん、外に出れば、そんな話は、無い。
夢物語である。

オバマは、核兵器廃絶を言うが、アメリカの、核を、捨てない。
捨てたら、どんなことになるのか、目に見えている。

核の、均衡が、失われた時、世界は、未曾有の、混乱状態になる。
そして、中国は、それを、求めている。

この世は、地獄である。
地獄で、夢を見るのは、個人の勝手だが、日本という、国が、中国支配の手になるならば、夢を見るのは、止めた法が、身のためである。

いいか
個人の自由など、吹き飛ぶのである。
全体主義とは、いかなるものか。
一度、大東亜戦争で、経験しているではないか。

政治家の、見識を問う。

posted by 天山 at 00:00| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

性について 99

アラブやアジアの多くの国では、同性愛行為はごくありふれたものであり、たいていの人から気楽な無関心で見過ごされるため、大きな問題が生じること殆どない。しかし世界全体がアメリカの影響を蒙るようになった現在、事情は急速に変わりつつある。発展途上国の進歩的思想の持ち主たちは、原始的と解釈されそうな行動に関して大いに神経質になってきている。そしておそらくそういうことが原因で、アメリカの知識人の動きは法的規制廃止の方向をたどっているにもかかわらず、レバノンやモロッコなどの国々の近代刑法典には、同性愛を犯罪視する規制が取り入れられているのであろう。
同性愛 ウェスト

この、著作は、30年前のものである。

同性愛行為が極めて一般的な習性であることは昔も今も変わらないが、それに対する人々の考え方が西洋化するに従い、数々の社会問題が出現するようになった、というのがより正確な説明といえそうである。
ウェスト

上記は、すでに、加速して、変化している。

英米文明の、同性愛者に対する、極端で、不合理な敵視は、多くの社会悪を引き起こす、原因となっているというのである。

彼らに重くのしかかる罪の意識や疎外感がなければ、彼らの多くは社会にもっとよく適応し、より有能な仕事をすることができるであろうし、敗北的な行動や神経衰弱、意気消沈、自殺などに走ることもずっと少ないであろう。
ウェスト

だが、時代は、変わった。
イギリスでは、ゲイの存在を無視して、商売が成り立たなくなるほどの、勢いである。
更に、世界的に、行われる、ゲイパレードである。

それは、後戻りできないほど、ゲイの存在を、認知させる力になった。

兎に角、中世から、少し前の、現代に至るまで、同性愛というものは、タブーであり、敵視され、社会から、排除されていたのである。

そして、差別は、甚だしい。
だが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教社会においては、未だに、同性愛に対する、態度は、旧態依然としてある。

それはそれ、という、対応をしつつあるが、宗教的には、未だに、解決されない問題であり、罪の裁きを受けなければならないという、教義がある。

宗教的、観念の支配する、国の社会では、ゲイ解放といえども、まだ、それには、激しい抵抗があるのである。

ゲイ解放に至る道には、まだ、強い、困難があった。

倒錯者の実情が以前より世間に知れ渡るようになってきたことが、ある意味では事態を一層悪化させている。というのは、自己の立場に対して確固とした認識をもたぬ若い同性愛者は、ある程度の寛容さを期待させるような風潮をまともに受け取り、そのためにより強い疎外感を味わわされることが多いからである。また正常人の側の知識が増すにつれ、倒錯癖を隠すことはますます困難となり、詮索好きな親類縁者の目を逃れることは特に難しくなっている。自然な成り行きからほんの数回同性愛経験をもったというような若者たちは、倒錯者の陥る恐ろしい問題の数々を耳にし、自分のことを永久に無能で堕落した存在と思いこむかもしれないのである。
ウェスト

ウェストも、この程度の、理解なのである。

同性愛は、倒錯者である。

だが、30年前から、多くのゲイ小説が、世に登場するのである。

同性愛者の、反撃が、激しく展開される。

まず、倒錯という、言葉に対する、反撃である。

正常とは、何か・・・
正常とは、男女の性行為のみに言えることなのか。
同性愛行為は、正常ではないというのは、単に少数派だからであろう。

多い民族も、少ない民族も存在する。
少ない民族は、正常ではないのか。

更に、障害を持つ人たちは、どうか。正常ではないのか。

様々な、議論のうちに、ゲイのパワーが、増していった、経緯がある。

だが、R・E・L・マスターズは、同性愛擁護者たちの運動を評して、
彼ら同性愛者は正常な人間より優れているというような素振りをみせたり、適度の寛容さの枠を越える大幅な自由を要求したりする点において、世間の同情を失っている。
と、言う。

同性愛者たちは、社会の不当な、糾弾に対して、反撃を試みる。
ウェストは、それは、敗北者に特有の反動にすぎないと、言う。
そして、
結果的に、彼らが政治的な危険分子であるという、印象を広めると。

この、政治的危険分子というのが、ポイントである。
同性愛者が、政治的発言を得ることは、同性愛者以外の人たちからは、脅威なのである。

何とか、同性愛者たちの、政治的活動や、運動を阻止して、おかなければならない。
為政者も、同じく。更に、宗教家、その指導者たちも、である。

同性愛者は、支配し難い、という、イメージを、強く抱かせるのである。
これが、恐怖を呼ぶのである。

同性愛者が、団体となり、多数派を攻撃し始めたら、収集がつかなくなるという、恐怖である。

国家の、最小の単位は、家庭である。
家庭は、父と母という、男女によって、成り立つものである。
これが、強迫観念のように、為政者や、宗教家、その指導者たちを、同性愛者を否定させる、大きな要因なのである。

同性愛結婚などと、権利を主張されては、たまらないと、思うのである。
しかし、同性愛結婚を、認める国や、アメリカでは、州も、出来たのである。
更に、アメリカ軍は、軍隊における、同性愛者の入隊を、認めるという、段階に入ったと、
発表した。

時代は、どこかへと、流れてゆくものである。

posted by 天山 at 00:00| 性について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月30日

最後の沈黙を破る 30

中国の国家副主席と、陛下を特例で、会見させるという、アホ。

共同で、油田を開発しようと、約束していた中国は、さっとさと、油田を建設したのである。
その抗議もなく、唯々諾々と、言いなりになるという、アホ。

民主党の、小沢が、600名を引き連れて、中国へ。
次は、中国との、取引で、金儲けをするのだろうかと、疑う。

売国奴とは、小沢のことらしい。
日本を売って平気のへいさである。

利権を得るというのは、政治家の、最大の、旨み。

首相より、偉いらしい。

それにしても、中国は、やり手である。
陛下にお会いするためには、一ヶ月前に、文書で、申し出る。

しかし、中国の要人、つまり、次期、国家主席を目指すもの、11月の下旬に届け出た。
どこまでも、不躾に、やりたいようである。

嘘つき中国人の、最たるもの。

いよいよ、日本の中国化、中国の一部に取り入れようとする、算段か。

ゴキブリ中国人の、やり方である。

倫理観の無い、中国では、孔子の論語が、今、再び、注目されているという。
これは、異なこと。
中国共産党は、それ以前の、中国の、歴史的遺産を、すべて、捨てたはず。

今頃、論語など、持ち出して、どうするつもりなのか。

論語が、生きたのは、日本であり、その解釈も、日本ものである。
彼らは、論語さえ、読めないはず。

漢字の、文化は、日本で発展、完成した。

漢字を、どんどんと、簡略化させて、昔の漢字など、読めない中国人は、山といる。

更に、中国思想は、日本にて、開花したものである。
中国は、支配者が変わる度に、皆殺しにしている。
誰も、伝統として、解釈できるものなどいないのである。

自国の、伝統と、文化を破壊して、成り立った、中国に、何一つ、貴重なものは無い。

今の、中国共産党の、伝統は、汚職と、搾取である。
更に、倫理の無い、やり方。

平気で、自国民に、毒入りを、売って商売する者ばかり。
商売が、きちんとできるのは、共産党幹部と、癒着するもの。または、親族会社。

毎日、全土で、千件に上る、デモから、政府に対する、批判続出なのであるが、それを、隠す。
人権無視の国は、兎に角、隠す。

中国が、世界の経済大国第二位になるという。
笑う。

彼らは、言わせておけば、まだ、第三国であるから・・・
また、別の顔は、我らは、大国である・・・

口の渇く暇なく、嘘偽りは、朝飯前である。

反日教育の、凄まじさといったら、なかった。
捏造、捏造の歴史を子供たちに、教え、いつか、日本を叩き潰すという、根性を育てた。

悪いものは、すべて、日本からであるから、話にならない。

さて、陛下と、お会いしたいと、向こうからの、要求である。
いずれ、天皇陛下を、虐殺する計画であるから、しっかりと、顔を見て、確認するためであろう。

勿論、絶対、そんなことは、させない。

このまま、民主党が、中国寄りになると、とても、政権など、任せられない。

アメリカとの、安全保障を安定させず、中国と、友情をなどという、甘い考えを、持てば、即座に、裏切られる。

更に、取り込まれて、アメリカが、日本を仮想敵国とした場合は、即座に、日本は、分断されて、中国支配になる。

通常の神経ならば、そんなことは、即座に解ることだ。
しかし、利益、既得権益に、目がくらむと、小沢のようになる。

危険である。
実に、危険である。

サヨク系の人々は、日本が、中国になっても、いいと、思っているのだろう。
そんなことは、絶対にさせない。

来年の、参院選で、更に、民主党が、勝てば、極めて、危険な状態を、招くということ、国民は、十分に、理解するべきである。

アメリカの、核兵器に、守られて、日本が平和であった。
アメリカが、手を引けば、北朝鮮、ロシア、そして、中国は、平気で、日本を、核攻撃する。確実に、する。

平和ボケを通り越した、日本人を、脅すのは、簡単である。
もう一度、原爆の恐怖を、与えれば、何でも、言う事を聞くからである。

広島、長崎は、再び、原爆の、悲劇を受ける可能性がある。
一番、良い場所である。

自国の、自衛という、意識を、決して教育の場で、教えない。
更に、マスコミは、皆、サヨク系である。

毒ギョーザの話は、どうした。
油田の、約束は、どうした。

沖縄は、中国領だという、中国の歴史家に、何も言わない。
報道も、しない。

自衛隊は、国軍として、天皇陛下を、お守りする使命を、自覚して、日本を守るべきである。
文民統制などという、幻想は、もはや無い。

建国、2670年
富士王朝から、9060年の
伝統ある、日本を、このままにしては、いけない。

私は、英霊に祈る。
ただ今、日本の、危機である。
何卒、霊位を、お力を、お借りしたいと。

今までは、靖国神社とは、距離を持って接していた。
私は、古神道である。

しかし、今、靖国神社の英霊をはじめとして、皇祖皇宗に対して、切に祈る。
日本を、お守り下さい。

かしこみかしこみ、申す

posted by 天山 at 00:00| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

性について 100

ここで、少し、特に、ヨーロッパにおける、歴史的見地から、同性愛というものを、眺めてみる。

その、手引きは、キリスト教と同性愛、ジョン・ボズエル著である。
副題は、1世紀から14世紀のゲイ・ピープルである。

キリスト紀元の始めから中世の終わりまでのあいだに若干の少数者に対するヨーロッパ人の態度には大きな変化があった。はじめのうちは、目立たないとはいえ社会の本流の一部を形成していたのだが、しまいには差別され、軽蔑され、ときには過酷に抑圧される周辺集団を構成するに至ったのである。
ジョン・ボズエル

ゲイ・ピープルのことである。
当然の如くに、存在した、ゲイたちのことである。

中世ヨーロッパとその諸制度を異常に不寛容であるとか、不寛容を特徴として描くのは正確とも有効ともいえない。さらに、とはいわぬまでも、同じくらい社会的不寛容に傾きがちな時代がほかに多く存在した。
ヨーロッパの少数派の大多数は、「暗黒時代」よりも「ルネッサンス」のあいだのほうが生活水準が低かったし、他のいかなる世紀も20世紀のそれと同じほど破壊的な毒をもつ反ユダヤ主義を目撃したことがないのである。さらに、この二つのテーマーーー不寛容および中世ヨーロッパーーーを、あたかも互いに一方がある意味で他方の歴史的説明であるかのように扱うと、どちらのテーマを理解することもまず不可能になる。中世ヨーロッパの社会史、およびおそらくそれ以上に、社会的現象としての不寛容の歴史的起源とその影響といった問題ははるかに精密な分析が必要なのである。
ジョン・ボズエル

彼は、不寛容は、20世紀の良心の重圧となって、のしかかるという。
だが、歴史の流れの中での、不寛容の本質、広がり、起源、その影響については、ほとんど知られていないとの、論説である。

同性愛の、差別、つまり、社会の、不寛容について、学者として、大いに、分析を進めてゆくのである。

何故、同性愛が、差別の対象とされるようになったのか。更に、社会が、不寛容に、彼ら、ゲイ・ピープルを、差別し、抑圧するようになったのか。

勿論、キリスト教の、教義に発するものが、大きいのであるが、更に、それを、グローバルに、捉える研究をしている。

単に、旧約聖書の神、ヤハァウエが、同性愛行為は、異教徒の行為であり、許されないと、断定したことから、のみ、始まるのではないということ。

更には、教会が、性的快楽を、罪とする、判断をしたことにより、生殖を伴わない、男女間の性交も、更に、生殖を全く伴わず、快楽のみを求めた、同性愛行為を、罪と、定めたということは、大きい。

ヨーロッパ中世を通じて不寛容の対象となったもろもろの集団のなかでも、ゲイ・ピープルがこの研究のために役立つことには多くの理由がある。
ジョン

ユダヤ教徒とイスラム教徒と違い、ゲイ・ピープルは、ヨーロッパの至るところで、あらゆる階層の人々の間に、散らばっていたという。

彼らは、異端者や、魔女のようではなく、どの時代でも、少数者として、存在していたのである。

更に、ゲイ・ピープルに対する、敵意は、庶民の偏見と宗教的確信の混同を、他に例がないほど、明確にする。

特殊な、偏見を支えている、宗教的確信を、一般の人々が、抱いている限り、両者を分離することは、事実上不可能である。しかし、いったん、宗教的確信が、放棄されると、分離が完全なものとなって、元の結びつきは、大半が理解し難いものとなるのである。

例えば、ジョンは、一例を挙げて、ヨーロッパの、大半の国では、今日「ユダヤ人をその信仰のために虐げてはならない」というのが一信仰箇条であるが、14世紀には、「虐げなければならない」というのが、同様に、一信仰箇条であったという。

それは、前近代ヨーロッパの、多くのキリスト教徒に、極めて、重要な宗教的義務だったことである。

14世紀の、キリスト教は、ユダヤ人を改宗させること、というのが、宗教上の、信条だったこと。
ユダヤ人に対する、偏見の混同が、あまりに、完璧だったという。

だが、20世紀に入り、現代キリスト教徒の大半が、中世の、宗教的信念に、基づいて、加えられた、虐待の真剣さに、疑念を持つほどになった。

ジョンは、
宗教と偏見の混同が根強く残っているものの、それがまれで疑問視されるようになった時代のみ、両者の有機的関係を納得のゆくわかりやすい方法で分析することができるといえよう。
と、言う。

現代西欧社会は性的に特異なさまざまな集団について、まさにそのような移行期にあると思われ、ゲイ・ピープルはそうした偏見の歴史を研究する上で、またとない好個の機会を提供してくれるのである。
ジョン

ゲイは、今尚、厳しい禁止法、公衆の敵意、種々の儀礼的抑圧を、受けている。
そして、それは、すべて、宗教の、正当性を持つのである。

ジョン・ボズウェルの研究は、キリスト教であれ、他の宗教であれ、信仰が、ゲイに対する、不寛容の、原因であったとする、一般的な、見解を反駁することに、当てられている。

何故、ゲイが、宗教及び、それによる、不寛容の対象にされるのか。
更に、それは、時代と共に、変化し、ゲイの存在に対しての、寛容を見出す研究ともいえる。

注意深く分析してみればほとんどつねに、宗教道徳を良心的に応用することと、私的悪意や偏見を正当化するために宗教の教えを利用することとの区別は付くものである。
ジョン

そして、実に、興味深いことを提言する。

もし、虐待を正当化するために宗教の規制を用いるひとびとが、同じ宗教法典に含まれる同様に厳格な教えを常日ごろ無視しているならば、あるいは忌み嫌われる少数派を規制する禁止条項が絶対不可侵のものとして一語一句の疎漏もなく厳守されている一方で、多数派に影響のある同様の教えが緩和されたり解釈し直されているとすれば、虐待を動機付ける理由としてなにか別のものがあることを疑わねばならないのである。
ジョン


posted by 天山 at 00:00| 性について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。