2009年04月08日

ヤンゴンへ 8

ビルマは、近隣諸国にまで、勢力を伸ばした王朝があったが、インドを植民地として支配していた、イギリスにより、19世紀に、ビルマ・コンバウン王朝と、三度の戦いで、勝ちをおさめ、1885年の第三次英緬戦争によって、コンバウン王朝最後のティボー王は、イギリス軍に捕らえられ、マンダレーの王宮から、インド・ボンベイに連れ去られ、ビルマ全土は、イギリスのものとなった。

イギリスは、最初、ビルマを、イギリス領インドの、一州として、インド総督の統治の下に置いた。
その後、1937年、インドから分離し、ビルマ総督が支配する体制になった。

だが、シャン、カチン、チン族などの、少数部族の多い、山岳地帯では、フロンティア・エリアとして、平原部のように、総督の直轄支配地域とはせず、藩王や、土侯などの、封建的権力者を通して、間接的に支配した。

このイギリスの、植民地支配は、後に、様々な問題を生むことになる。
ビルマ平原部と、辺境地域の統治形態が異なるために、住民の一体感が、薄く、独立運動においても、独立後も、両者が、協力体制を取ることが、難しかった。

更に、山岳部では、キリスト教に、改宗する人が多かった。
イギリス人は、仏教からの、改宗を拒むビルマ人より、キリスト教を受け入れ、西洋文明に理解を示す、小数部族出身者の方が、使いやすく、植民地政府の役人として、殖民軍の兵士として、採用する。

それにより、平原部のビルマ人からは、イギリスの犬として、見なされた経緯がある。
インドから、労働者として、ビルマにやってきた、インド系住民と共に、嫌われ者になったのである。

1930年代になると、イギリス植民地政府に対する、農民、労働者、大学生の抵抗が、組織的なものになっていった。

30年から、32年にかけての、ターヤワディ農民反乱、1936年のラングーン大学生ストライキ、中部油田地帯の石油労働者ストライキに端を発し、学生、民族主義的政治団体などが加わり、全国的反英闘争に広がるのである。

これは、ビルマ独立運動の先駆けとなった、愛国心の発露として、語られる。

だが、独立後の、ビルマ連邦を、悩ませたのは、少数部族の、反政府反乱の原因が、この時期に芽生えている。

例えば、取締りは、警察であり、殖民軍である。そこには、少数民族の人々がいた。
鎮圧の対象となった、ビルマ人には、不愉快である。

その逆のことが、日本軍の支配時代に起こっている。
日本軍の協力によって誕生した、ビルマ独立義勇軍は、日本軍政の元で、イワラジ・デルタ地帯を中心とする、下ビルマ一帯で、カレン住民と、しばしば衝突事件を起こした。
独立義勇軍は、カレン人は、親英派であり、逃げたイギリス軍と、密かに連絡を取り、武器を隠し持っているなどの、嫌疑をかけ、日本軍と協力して、カレン村を焼き討ちしたり、主たる者を、殺害した。

カレン族が、独立後の、ビルマ政府に協力的ではなく、逆に、分離独立、大幅な自治権獲得を、掲げて、反政府武装闘争を開始した要因の一つとして、このような、歴史的経緯がある。

今回は、日本軍の支配時代については、省略する。
いずれ、追悼慰霊の旅の、時に、それを書くことにする。

ビルマの地域を理解するには、上ビルマ、下ビルマが、主なる区分けの仕方になる。

上ビルマ、かみビルマは、平原地帯を北から南へ流れるイワラジ河の、上流部分であり、下ビルマ、しもビルマは、その下流地域を言う。

マンダレー、マグエ、ザガイシの、各管区が、上ビルマになり、イワラジ、ヤンゴン、タニンダイーの各管区に属する地域が、下ビルマになる。

上ビルマと、下ビルマでは、自然の様相が、かなり違うのである。

上ビルマは、イワラジ河沿いの地域を除いて、平原部といえ、それなりの起伏があり、山地もある。
下ビルマは、イワラジ・デルタを中心にした、平原が大部分を占める。

気候は、どちらも、熱帯モンスーン気候であり、上ビルマは、雨が少なく、乾燥している。下ビルマは、比較的湿潤である。

上ビルマの、中心は、コンバウン王朝の中心であった、マンダレーである。
マンダレーや、その近郊の、アラマプーラ、イワラジ河をはさんだ、対岸のザガイン、南に下った、バガンなどは、著名な仏教寺院が多くあり、ビルマの人々の、生きた信仰の地である。

下ビルマの中心は、ヤンゴンである。
ダゴンといわれた、小さな漁村が、ヤンゴンと呼ばれるようになったのは、ビルマ人の王が、部隊を率いて、北から攻め下り、刃向かう敵を、すべて滅ぼして海を望む、この地に至った時、敵、ヤンは、尽きぬ、ゴン、と、述べたからであるとされる。

片田舎だった、ヤンゴンは、植民地ビルマの、首都となり、王城のマンダレーを、遥かに凌ぐ大都市になった。

植民地時代は、イワラジ・デルタ地帯で、大規模な、米作農業の開発が行われ、成果最大の、米輸出国となり、デルタ中心地の、パテインや、ヤンゴンは、米輸出港として、名を馳せた。

行政、経済で、ビルマの中心が、下ビルマに移るにつれ、ヤンゴンは、首都としての、機能と、体制を整えてゆく。
上ビルマからも、人々が移動してきた。
中でも、圧倒的に、多かったのが、イギリス領のインドからのインド系住民である。

インド系の人々は、農業労働者や、港湾労働者として、出発したが、徐々に地歩を固めて、地主や、金融業者として、成功する者も多かったのである。

そして、植民地時代の後半になると、ヤンゴンの人口の半分ほどを、インド系住民が占めるようになり、ビルマ人たちは、ヤンゴンは、ビルマの町ではないと、嘆くほどになった。

中国雲南省と、陸続きだった、上ビルマに多かった、中国系住民も、南下して、ヤンゴンなどの、下ビルマに流れて、小売業や、金融業を営む者が、増えた。

その時期に言われた、言葉は、
インド人は金を稼ぎ、中国人は金を貯め、ビルマ人はただ金を使うだけ
である。

下ビルマ、ヤンゴンは、支配者としての、イギリス系住民、商業や金融業で活躍する、中国、インド系住民、そして、ビルマ人、カレン、カチン族といった、先住民族の混在する都市の、様相を示している。

私の見たところ、店を構えているのは、インド系、中国系が多く、路上での、物売りは、ビルマ人が多いように、見えた。

何とも、皮肉なものである。

庇を貸して母屋を取られる
そんな言葉が浮かぶのである。

ヤンゴンから、タイに戻った時、暫く、インド人の顔を見るのも嫌になったほどである。
ヤンゴンのインド人は、一度、釣ったと思うと、いきなり、料金を、吹っかけてくるのである。
そんな、イメージを持ってしまった。



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2009年04月09日

ヤンゴンへ 9

ヤンゴンから、車で、北へ一時間の所に、新しい日本兵の慰霊碑がある。また、南へ、一時間半の所に、昔からの、戦争犠牲者の慰霊碑がある。

今回は、新しい北の慰霊碑へと、考えていたが、変更した。

非常な疲れもあったが、長井さんが、射殺された、デモの通りでの、慰霊と、考えた。知られていないが、多くの人が、特に、僧侶達が、殺されている。

非常に、心を痛めた。
更に、長井さんの、泊まったホテルに、偶然に来たということも、何か意味深いものを、感じた。
この世の中に、偶然は無いという、考え方もあるが、あえて、偶然と言う。

あの、若い僧侶と、会わないと、決めて、変更したホテルである。
まさに、偶然である。

更に、私たちの、足取りを、最初のホテルのインド人社長に、気づかれないようにとの思いもあった。あの、僧侶に次のホテルを、教えていたので、心配になって、変更したのだ。僧侶が、私たちの変更したホテルを教えると、危ういと、思った。

コータに、明日は、通りで、慰霊をすると言うと、心配する。
それで、私は、ホテルの祭壇で、祝詞を上げて、通りでは、ただ、清め祓いのみをすると、言った。

ホテルの社長からも、目立つこと、つまり、花を置いたり、長く祈ったりすると、人が集まり、結果、警察に拘束されて、ホテルの名を聞かれて、警察が、ホテルに来ると、言われていたこともある。

瞬時のうちに、それを行い、何食わぬ顔で、その場を立ち去るということにした。

当日、朝の食事をした時も、社長から、色々な話を聞いた。
それは、社長が話したという形ではなく、この旅日記に、書いている。
どこで、どのように形で、伝わるかしれない。つまり、社長に、迷惑を掛けることを、避けるためだ。

話は、変わるが、このホテルには、ある、ポスターが貼ってあった。
そこには、児童買春は、犯罪です。児童買春ノーと、書かれてある。
つまり、児童買春が、行われているということだ。

それは、中部のタチレクという、タイとの、国境の町でも、そうだった。確実に、児童買春が行われて、日本人も、出掛けていると、聞いた。また、その証拠もあるということも。
これ以上は、書けない。

ただ、確実に、日本人も、お客になっているということだ。

さて、慰霊のことである。
マニラでも、今までにない、体験をしたが、ここでも、今までにない状態を、経験した。

これから、始めるという時に、部屋で、私の両腕が、震えだした。
寒くもなく、何もないはずだが、兎に角、ガタガタと、震えだす。

おかしい。
恐ろしいとも、思っていないのだが、どうしたことだろうか。
私は、実に不思議に思った。
そして、ホテル、二階部分にある、日本で言えば、仏間のような場所がある。仏を飾り、ビルマ人の仏教信仰の、普通の形である。

そこで、祝詞を唱えようとした時、今度は、両足が、ガタガタと、震え出したのである。
これは、急ぎ、祝詞を唱えて、実行すべきだと、神呼びをして、唱え始めた。
すると、震えが、収まり、次第に、体が、普通に戻る。

急いで、通りに向かった。
今回は、花を買い、それを、御幣と、見立てて、祓いにしようと思ったが、通りに出ると、いつも見た花売りがいない。
それで、通りの、木の枝を捜した。

デモ隊が、衝突した交差点に出た時、そこにあった、木の枝を一本折った。それを、御幣として、創り、後で知るが、私は、何と、警察の出先所の、目の前で、太陽を拝し、拍手を打ち、兎に角、四方を清め祓いし、追悼の思い深く慰霊したのである。

そして、すぐに、御幣を懐に入れて、その場を離れた。

離れた所で、コータが写真を撮った。

歩き出すと、日本語で、今、何をしていたのでか、と、男に尋ねられたが、コータが、何もしていませんと、答えた。
しかし、コータが、見ていると、その行為を、知っているような、おばさんなどが、足を止めていたという。

私たちは、すぐ側の屋台の店に向かい、一軒の屋台の店の、椅子に腰掛けた。

そこで、昼ごはんを食べることにした。

麺類の屋台で、それはそれは、不衛生な屋台である。
緬を選び、スープを入れてもらう。
何という名の料理なのかは、解らない。
立ち食い蕎麦の、雰囲気である。

緬を選ぶと、まだ若い男が、手づかみで、それを、丼に入れて、具を入れ、更に、手で少しかき混ぜる。それが、とても、不衛生に見えるのである。その手を、濁った水で洗い、また、緬を取って、丼に入れて、混ぜるという、繰り返しである。

ところが、魚の出汁で作った、スープなので、美味しい。
複雑な心境で、食べた。

私たちは、二種類の緬を食べた。つまり、お代わりした訳である。
地元の人は、スプーンで、それを食べるが、私たちには、箸を渡してくれた。

先の、慰霊の儀での、興奮もあり、食べることに、集中した。

浴衣姿の私は、目立つ。
通る人々が、見て行く。

さて、慰霊の行為について、少し書く。
各宗教には、それぞれの、考え方があり、死者に対する所作も、それぞれ違う。

天国に行くという宗教は、天国に行くということで、死者に対する、慰霊という行為が、薄い。
そして、仏教も、浄土、仏になるという、考え方と、転生輪廻がある。今世の報いが、来世にある。であるから、今世は、前世の報いであると。
あまり、死者に対する、追悼の思いはない。

更に、日本の伝統である、清め祓いという、考え方はない。

ただ、上記の考え方は、為政者には、都合がよい。
現世が、苦しいものなのは、前世の報いであると、信ずれば、為政者は、支配し易いのである。

イスラムのテロリストたちは、死んでも、神の国で、美しい乙女たちに、仕えられると、教えられる。食べ物、性愛もある。

信じさせれば、済むことである。

清め祓いの行為は、日本独特のものである。
それは、自然によって、清められ、祓われてきたからである。

チューク諸島、旧トラック諸島に慰霊に出掛けた時に、その自然の有様に、十分に、清められ、祓われてあることを、感じた。
朝風、夕風の心地よさと、海の美しさは、限りない。

多くの死者の遺骨が、海底に沈むが、実に、自然の力で、清められていた。

それを、古の、神道行為では、人為的にも、清め祓いをする。
想念の浄化である。
霊を清め祓うのではない。想念を清めて、祓うのである。

残像と考えてよい。
その場に、残る想念を、一旦、風にしてしまうのである。
留まる、想念を、引き上げる。つまり、流すのである。

供養するという行為とは、別物である。
あれは、霊に対処する。
霊も、勿論、想念の一つである。しかし、一つの霊に対して、特別の行為は、必要ではない。
それは、その霊の自由である。
好きにすれば、いい。

人間は死んだら、何も無いとする霊は、そのように、なる。つまり、無いものだと、思い込んでいるから、言うべきこともない。
浮遊するものに、関わることはない。

想念は、固まる。ゆえに、古代人たちは、いつも、そこに風を通した。そして、想念を流した。それが、清め祓いである。

私も、それをする。
現代流に言えば、自己満足である。
それでいい。
それ以上の説明は、必要ない。

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2009年04月10日

ヤンゴンへ 10

二人で、四杯の緬を食べて、1000チャット、100円である。

日差しが、どんどんと、強くなる。
三月からは、暑期に入る。そり前は、乾期で、雨期がある。
一番、暑い季節当来である。

三月のヤンゴンの、平均気温は、28,7度であるから、暑さが想像出来る。
ただ、朝と夕は、涼しい風が通る。

ホテルに戻る道で、果物を買う。
ほとんどが、300チャット、30円ほどである。

そこてで、パイナップルを買おうとすると、コータが、まだ、皮を剥いていないものを、と、言う。
四分の一が、250チャットなので、一つは、1000チャットである。

そうすることにした。
若い男は、手早く、皮を削ぎ落としてく。
そして、剥いたものを、一度、水につけようとするので、コータが、そのままと、言う。
その水が、汚いのである。
四分の一に、割り、それをさらに、カットする。

どうも、水につけることが、当たり前の感覚なのであろう。
その水が、濁って、そのまま使い続けているので、非常に不衛生である。

コータは、すいかを、食べて当たったが、それも、水のせいであると、思った。
私は、今回は、何事もなく、過ぎた。

ホテルに戻ると、どっと、疲れが出た。

一日が、一週間過ごしたような、疲れである。
一瞬の、慰霊の行為が、こんなに、疲れることは、今までになかった。

停電なので、電気が来るのを、待って、シャワーを浴びることにする。

私は、タバコをふかして、それを、待った。
二人ともに、無言である。

無意識の緊張感であった。

それは、マニラの、緊張感とは、違う。
マニラは、銃社会であり、いつ、撃たれるかもしれないという、明確な、緊張感。
ヤンゴンは、虚無の緊張感である。
つまり、妖怪である。
突然、ぬらりひょんが、出たり、砂かけ婆が出るという、感じ。

ちなみに、一つの寺院、パゴーに入ると、何ともいい得ない雰囲気がある。

仏の像があるのは、理解するが、その他、よく解らない像が多い。
だが、それらにも、信仰が集まる。
生まれた曜日の、それぞれの、守護の仏がいるというのは、理解するが、その他のものは、何かと、考える。

微妙に、ヒンドゥーや、チベット密教の影響も、受けているのである。

朝早くから、多くの人が、祈りに訪れる、寺の風景を見ていて、信仰のある生活の、美しさと、共に、庶民の信仰には、何か、現実逃避の潜在的な意識を感じた。

私が、感じたことであり、そうであるとは、言わない。

宗教と、軍事政権と、共産主義、全体主義に共通するものは、絶対支配である。
共に、反目しあっても、根は、同じであるから、うまく調整すれば、民を、思うがままに、支配出来るのである。

政治の堕落により、不都合なことが、多くても、宗教は、それを、難なく受け入れさせる力がある。

若い僧侶たちが、自発的に、デモを起こしても、チベットのように、高僧が、連行されて、殺されるようなことがないのは、高僧と、軍政が、つながっていると、見ていい。

私が伺った、高僧は、政府の許可書をもらうと、簡単に言った。
それだけの、力が自分にはあると、見せたかったのかもしれないが、それを、口に出来るということである。

そして、空港で、縁した、若い僧侶も、外国に、頻繁に出られる境遇であるということだ。彼の、友人達は、タイに逃れて、戻らないという。
では、彼は何故、自由な行動が出来るのか。

密告社会でもある。
そんな中で、彼は、自分の田舎の寺の再建のために、資金を集めると、国を出る。
それを、そのまま、信用するには、まだまだ、彼の行動を見ていなければならない。

実に、不透明である。
だから、妖怪が出る。
私も、ヤンゴンで、活動するならば、妖怪になることなのである。

漸く、バタンという音と共に電気がきたので、シャワーを浴びる。

そして、そのまま、ベッドで、休むしかなかった。

本当は、四週間滞在出来るが、私は、三泊四日とした。
予感が当たり、早々に、タイに戻りたいと思った。

明日の朝、六時にホテルを出て、空港に向かう。

それを、フロントに伝えると、実に親切な対応である。
私たちのために、ボーイ二人が、お世話して、五時半に、起こしてくれ、それから、朝食も準備し、車に荷物を積んで、見送るというものだ。

車の手配も、お願いした。
料金も、そこで決めて貰うので、交渉しなくていい。
6000チャットである。

夜の食事のために、外に出るのが、億劫で、ホテルの食堂で、済ますことにした。

ヤンゴンでは、日本料理屋で、一度だけ、マンダレービールを飲んだのみ。後は、一切、アルコールを欲しなかった。
毎日、日本では、酒を飲む私も、全く、飲みたくないのである。

食事の前に、荷物整理をするが、実に、簡単である。
支援物資が無くなると、ほとんど、荷物が無い。
三個のバッグが一つになり、後は、自分のバッグのみである。

買い物をした、ビニール袋を捨てずに、持ち帰る。
日本では、それを、ゴミ袋に使う。

アジアは、ビニールの袋で、溢れている。
これは、大量のゴミになるはずだ。

ミャンマーの時間は、日本時間より、一時間半遅い。
ミャンマーの、朝五時は、日本の六時半である。
タイに行くと、二時間遅くなる。

時々、日本時間を思い出して、体の調子と、合わせてみる。

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性について 60

マルチプル・オーガズムを身につけた男性は、回復期を必要としないまま、二回以上、続けてオーガズムを得ることができます。オーガズムとオーガズムの間に、ペニスが刺激に反応しにくくなる「無反応期」はありません。一度オーガズムに達しても、ペニスは勃起したままです。つまり、オーガズムとオーガズムの間も、女性の体にペニスを挿入したままでいることができるのです。一般の男性と違って、マルチプル・オーガズムを身につけた男性はオーガズムに達したあとも、ペニスの勃起状態を保つことができます。そのまま、二度、三度、四度と、休むことなくオーガズムを得ることができます。
バーバラ

つまり、日本の男達が、言うところの、抜かずの、何とかであるが、それとは、基本的に違うことは、意識するものと、無意識のものの違いである。

一度は、そういうこともあったが、それ以後は無いとか、時々出来るというものではなく、マルチプル・オーガズムとは、意識的に出来るということである。

PC筋の、訓練も、生まれつき、強く、無意識に、そのようになっている人、つまり、生まれつきの男もいる。
しかし、それも、放置しておけば、若い頃の、何とかで、終わる。

江戸時代の、医学者、貝原益軒は、接して漏らさずといったが、それは、接しても、射精しないことだというのである。
それは、マルチプル・オーガズムに近いが、それを、何度も繰り返し出来るとは、言わなかった。

例えば、50も、年を過ぎると、射精による、肉体の疲労が大きいので、接して楽しむ程度にして、射精をしない楽しみ方もあるという、考えである。

それは、それで、正しい。

以前に書いたが、勃起を楽しみ、何度かに、一度の、射精をする、マスターベーションというものが、ある程度の、年齢の男の、楽しみ方だと、言った。

それは、摩擦の、快感を楽しみ、何度かに、一度の射精で、射精感覚を楽しむという、マスターベーションの、奥義である。

勿論、マスターベーションでなくとも、相手との、セックスでもよい。

だが、このマルチプル・オーガズムというのは、それとは、根本的に違うということである。

バーバラも、そのことは、認めている。

男性の中には、とりわけ若者の中には、トレーニングも積まずにマルチプル・オーガズムに達することが可能な人もいます。彼らは、ごく、自然にマルチプル・オーガズムを経験できるのです。生理的にそれが可能だ、というわけです。オーガズムに達しても勃起状態を失わない場合もあれば、すぐに勃起状態が復活する場合もありますが、とにかく、肉体の結合状態をほとんど中断させることなく、セックスを続けることができます。
バーバラ

要するに、生まれつき、である。
しかし、それを、いつも、やれといわれても、出来ないのである。
更に、偶然出来たという場合もある。

そして、その多くは、感度が、鈍くなっているのである。
ただ、セックスに強いというだけである。
そして、それは、いつまでも、続かない。年齢と共に、落ちてゆくのである。

マルチプル・オーガズムに達する秘訣はごく簡単なことです。つまり、射精をしないでオーガズムを迎えればいいわけです。そうです。射精をしないで、完全なオーガズムにーー
二度、三度とーーー達するのです。射精しないのですから、無反応期もありません。勃起状態もそこなわれません。自分の意志で、オーガズムと同時に射精をしようと決めるまで、いつまでもセックスを続けることができます。
バーバラ

普通、男の、オーガズムは、射精感覚であると、考えている人には、理解できない。
その二つは、切っても切れないものだと、考えている。また、信じているのである。

ところが、そうではないのです。信じがたいことだとは思いますが、セックス・セラピストの大部分は、男性のオーガズムと射精はまったく別のことがらだ、と考えています。
バーバラ

射精欲が、強い若者ならば、信じられないことだろうが、ある程度の年齢を、重ねると、それが、理解できるようになる。

更に、生理学的に見ると、実は、それは、全く別のことで、射精しなくても、完全なオーガズムを迎えることが、可能なのである。

高度な、テクッニクではない。
脳である。
オーガズムを感じるのは、脳なのである。

そのために、肉体を、鍛えるのである。
正に、セックス革命である。

男の、性欲の激しい時期は、思春期である。
それは、単に排泄欲でもある。
射精感覚というより、排泄感覚の射精なのである。

そして、生涯に渡り、射精を、排泄感覚であると、思い続けている男もいる。

人間の、進化による、大脳化というのは、とてつもなく、限りない、可能性を、持つようになった。

脳と、切り離して、快感とか、快楽とかは、無い。
感じる部位は、脳なのである。
他の体の部位は、脳が、感じるためにある、出先機関である。

例えば、性的快感を感じ取る、脳の部位の、横には、食欲、満腹を感じる部位があり、逆の隣には、足先の感覚を受け取る部位がある。

性的快楽を得られない人が、食べ物に走るのは、知られている。
更に、性的快感を、得るために、足先への、愛撫の効果があることが、知られている。

以前に書いた、脳と、性のあり方を、参照して欲しい。

結局、快感神経は、すべて、脳に集約されて、快感と、認識するのである。

ちなみに、その働きを破壊された人や、その働きが、狂った人は、射精感覚を、拒絶するのである。

普通の人が、快感である、射精感覚が、苦痛であるという人を、私は、知っている。
それは、脳の一部の、損傷である。

まだまた、レッスンは、続く。

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2009年04月11日

ヤンゴンへ 11

行ってみなければ、解らない。
出掛けてみて、初めて解るのである。

ホテルからタクシーに乗って、空港へ向かう。
道は、早朝のせいか、スムーズである。
マニラと、同じように、出来れば、来たくない町である。

虚無の町、妖怪の町。
これほど、多くのインド人にも、出会ったことがなかった。
実は、細かなことは、書いていない。
後日に譲る。

いずれ、また、ヤンゴンに出掛けると思う。

だが、支援をするならば、タイから、半日程度回れる、田舎町の方が、無難である。
ヤンゴンになると、仰々しい。

搭乗手続きは、スムーズそして、搭乗口への検査も、ライターを取られただけ。

さっさと、飛行機に乗ってしまいたい。

私は、足のチリを払いたい、気持であった。

一つだけ、書いておく。
ヤンゴンに旅する男達は、大抵、売春が目的である。
勿論、若者の、パックパーカーの旅人もいるには、いる。

至る所で、売春が出来る。
マッサージ、ゴーゴーバー、飲み屋全般。ナイトバーなどだ。
ホテルの中にある、マッサージは、そのまま、部屋に連れ込める。
美容室も、売春斡旋の場である。

一晩の料金は、2万5000チャット、つまり、2500円程度である。
30ドルあれば、一晩女を買えるのである。三千円である。

売春を否定するのではない。
それで、生活を立てているのであれば、いうこともない。
貧しい国の女は、股で、外貨を稼ぐのである。

ヤンゴンにも、600人ほどの、日本人が暮らしていると、聞いたが、日本人には、会わなかった。

搭乗口にバスが来た。
満席のようである。
バス一台分の人。
飛行機に乗り込み、ホッとした。
もう気持は、タイである。

そして、タイに到着。一時間と少し。

ああー
解放された気分である。
何とタイの、美しいことか。
更に、食べ物までも、清潔に見える。今まで感じたことがなかった、感慨である。

初めての土地に行くのは、潜在的に緊張するということが、解った。
マニラに、一週間も、滞在していたと思うと、驚きである。
ヤンゴンは、三泊四日で、本当に良かった。

荷物は無い。
気持は、明るい。
楽しい気分。

しかし、コータが、考え込んでいる。
一階の、食堂で、食事をしつつも、考え込む。
つまり、彼は、バンコクに行き、私は、パタヤに行く予定である。
コータは、バンコクに行くのに、迷っていた。

私は、一緒に、パタヤに行こうと言った。
コータは、バンコクで、また、色々と調べたいことがあったのだが、今回のヤンゴンで、疲れ、何やら、億劫になっていたのだ。それを、私が見破った。

僕も、パタヤに行く。
それで、決まり。

それでは、今回は、バスで行くことにしようと、私は考えていたので、二人分の、バスチケットを、買った。
ひとり、105バーツである。
タクシーなら、1500バーツである。

一人の男が、パタヤまで、1000バーツで行くと、勧誘してきた。
いや、私は、バスに乗りたいと、日本語で言った。
すると、男は、タクシーなら、ホテルの前まで、行くと言う。
当たり前だ。私は、バスに乗りたいのーーーーと、日本語で言うと、男は、引き下がった。

真っ当な料金は、空港、パタヤ間は、タクシーで、800バーツである。高速料金が、60バーツである。
次第に、ディスカウントし始めた。
何度も来る旅人は、賢くなる。

バスは、満席だった。

話は、中抜きする。

コータは、パタヤで、初めて、世界一のレディボーイショー、ティファニーショーを見た。
更に、その中の、踊り子と、友達になり、大変充実した、パタヤになったようである。

私が、パタヤという町に惹かれるのは、奇跡的に、良い町だと、思うからである。
勿論、事件もあるが、世界の歓楽街にしては、安全で、安心出来る町である。

更に、あらゆる、トランスジェンダーが、集う町としても、興味がある。

レディボーイ、ゲイ天国でもある。
そして、あらゆる人種の集う町である。

今回、利用したホテルは、最初は、いつものホテルで、三泊目から、一番騒がしい場所の、ホテルにした。
一泊、500バーツ、1500円程度である。

食事も、地元の人が行く店。
ほとんど、お金を使わず、楽しめるのである。

半年ごとに、変化する町でもあり、今回は、新しく出来た、ゲイスポット、ボーイズタウンに、出掛けることが、出来たというより、行く気になった。

勿論、ビール一杯で、十分であった。

タイ全土から、ゲイや、レディボーイが集うので、タイの田舎の話も聞ける。
前回、コータは、レディボーイのボランティア団体を、女装して、訪ねたが、今回、本当は、ゲイのボランティア団体を、私が訪ねるはずだったが、ヤンゴンで、気力を使い果たしてしまい、中止である。

次の機会にする。

また、衣服を持参して、上げたい子供達がいた。
路上生活の、親子もいた。
矢張り、まだまだ、私の活動は、必要である。

ミャンマー政府は、そんな者はいないと、言うが、早朝、ヤンゴン市内を回ると、路上生活する親子が、寝ている。しかし、朝、六時を過ぎると、警察が回り、彼らを、追い払うのである。
ストリートチルドレンもいる。
しかし、彼らも、その姿を昼間は、隠す。

ミャンマー軍事政権は、穴だらけであるが、それを、隠しているつもりでいる。
隠しても、見られる。透けて見えるのである。

一応、終わりにするが、書いていないことも、多々あるということ。
ヤンゴンの一日は、一週間程の、内容になるのである。
私は、頻繁に街中に出掛けた。勿論、街を、見るためである。特に、路地裏である。
本当に、めちゃくちゃであった。

次に行くときは、根性を決めて行く。
単独行動で、衣服を渡す覚悟である。

posted by 天山 at 00:00| ヤンゴンへ 平成21年3月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

性について 61

あなたがこれから学ぼうとしているのは、射精しないでオーガズムを迎えるテクニックです。オーガズムの快感をたっぷりと味わいながら、射精を抑える技術です。オーガズムと射精を切り離せるようになれば、クライマックスに達してからもなお、勃起状態を保つことができます。無反応状態がないのですから、セックスを続けることだってできます。
バーバラ

ちょっとした訓練さえすれば、女性の体にペニスを挿入したまま、何度でも好きなだけオーガズムを経験することができます。射精をしようと決めるまで、いつでもセックスを続けることができるのです。
バーバラ

マルチプルとは、複数という意味である。

更に、私が、推奨するのは、不能防止、インポテンツ防止にもなるからである。
そして、性というものは、生だからである。
食欲、睡眠、性欲とは、人間の基本的、必要な行為である。

欲望ではない。
それは、恵みなのである。
それを、充実させることは、生きるという、感覚を、充実させることなのである。

どれ程、宗教が、性的欲望を罪とか、否定しても、各地各国には、性愛の古典的手引きがあるのは、そのためである。

私が、この、性について、を書くのも、そういう意味からである。
単なる、興味本位ではない。

ありとあらゆる、セクシャリティに関して、調べているのも、それである。
いずれ、私自身のことにも、触れて、更に、深く性というものを、考えてみたいと思っている。

この、マルチプル・オーガズムを身につけることは、それぞれの個性的セックスを展開できるということでもある。

つまり、マルチプル・オーガズムも、百人百様の、タイプがあるということである。

バーバラは、その実例を、上げて、紹介するが、それは、省略する。

先に、進むことにする。

セックス中の男性は一つの目標めがけて突進する傾向にあります。たいていの女性は、それがつまらないセックスの原因だと考えています。
バーバラ

そこで、次の、エクササイズは、興奮状態にある、肉体の変化をじっくりと、味わうためのものである。
つまり、肉体の、最も好ましい感覚を堪能するということである。そして、その感覚を、持続させ、高めるということである。

その点では、女性のために、マスターベーションを勧めた、ドットソンの、考え方が生きてくる。それが、今度は、男性に対して、言われるのだ。

肉体が興奮していくプロセスを自覚しないまま、マルチフール・オーガズムを身につけることはできません。・・・優秀なパイロットは、飛行機のありとあらゆる機能を熟知しているものです。また、楽器の名手はじょうずに楽器を演奏するだけではありません。楽器を自分の肉体の一部のように大切に扱います。
バーバラ

自分の性的反応の、微妙なニュアンスを熟知する。
今まで、そんなことを、誰も教えなかった。
兎に角、女の体については、自己満足げに、人に語るのが、精一杯だったのである。

だから、私が、男達に、その、性的快感の有様、マスターベーションの様を、質問すると、必ず、ゲイ、ホモと、意識された。
要するに、どれ程、自分のペニスというものに、意識を向けているのかを、知りたいと思ったが、大半は、アホだった。

ただ、ペニスを立てる、そして、射精する。その繰り返しが、セックスだと思うのである。実に、愚かで、勿体無いことである。

しまいに、年老いると、もう、そんな欲求などとは、無縁だという、アホもいる。

男のペニスは、健康の最たるものである。
ペニスが、勃起する力が、生きる力であることを、男が、知らないとは、笑わせるのである。

不能の男の性格が、次第に、陰険で、意地悪くなるのは、あまり、知られていない。
何せ、男として、一番大切な、男の、ペニスが、役立たずなのである。性格も、歪になる。
ペニスの力は、バイタリティの力である。

英雄色を好むというのは、何も、セックス好きなのではない。
要するに、我というものを、熟知しているということである。
面倒なので、説明は、省略する。

さて、感覚を集中させるコツは、セックス・セラピストによって、考案された、触れ合いのエクササイズを通して、養うとある。

それにより、
気持を集中させ、そのときそのときの、触れ合う感触や、次第に興奮していく感覚や、それが萎えていく感覚をじっくりと味わい、かつコントロールすることが可能になります。
バーバラ

これは、パートナーと、一緒に行うことも出来るものである。
勿論、一人でも、構わない。

バーバラのように、セックス・セラピストが、指導するものもある。

そして、その行為は、性的な行為ではない。
感覚を、じっくりと味わうことの、訓練なのである。

セックス・セラピストがいない場合、特に、日本には、まだ、そのスペシャリストは、いないので、一人訓練を目指すしかない。

それを、身につけると、人に指導することも出来る。
ただし、私は、指導することを、今のところ、考えていない。
教えることは、出来るが、時間と、お金が掛かり過ぎる。
ボランティアでは、到底出来ることではない。


posted by 天山 at 00:00| 性について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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