2009年04月01日

ヤンゴンへ 1

三月一日、バンコクへ出発する。
到着は、深夜である。そして、ヤンゴンへは、翌朝の便で、行く。
だから、バンコク、スワナプーム空港で、時間待ちをすることになる。

到着して、そのまま、一階に降りて、勝手知ったる空港の、従業員で溢れる、食堂に行く。
私達は、いつもの場所と、呼んでいる。

数え切れないほど、この空港を利用している。また、更に、これからも、利用する。

食事をして、一階のベンチに、荷物のカートを横付けにして、休憩である。

私は、ムスリムの祈りの部屋で、休もうと思った。
そして、向かった。
その扉の、看板を見て、驚いた。
ノーと、英語で、書かれた文字を、しばし眺める。

食べるな、飲むな、寝るななどと、注意書きがあるのだ。
エーッ、私のエッセイを誰か、読んでいるのと、アホなことを、考えた。
まさか、空港の人が、私のブログを読むはずが無い。ということは、私のように、眠るために、入る人が多々いるということか。

コータと、協議した。
どうしたら、いいのかと。
コータは、もう一切、入らないという。つまり、それは、居心地が悪いそうである。
他人の部屋に、入る気分がするというのだ。

そこで、コータの、アイディアである。
祈りの姿勢で、寝たら、どうかと。

そこで、ベンチで、祈りの姿勢をして、試してみた。
正座して、両手を合わせて、額を床につける祈り方。しかし、それは、足が痺れて、長くは、続かない。
では、次の方法は、胡坐で座り、手を合わせて、額をつけて眠るという姿勢。しかし、腹がつかえて、苦しい、駄目だ。
すると、コータが、五体投地の、うつ伏せにして、手を合わせて寝るのは、どうかと、提案する。
しかし、それも、寝込んでしまうと、だらーんとして、見た目が、悪い。
つまり、ムスリムの部屋では、寝られないということを、理解したのである。

そうなったら、しょうがない。
ベンチにいるしかない。

ただ、苦痛はなかった。それは、ミャンマー・ヤンゴンに行くという、緊張感からである。
事前の調査で、ボランティア活動は、ミャンマー政府の嫌う行為であると、知っていた。それでは、どのように、支援物資を渡すのか。
観光ですと、言いつつ、サッと、渡して、サッと、立ち去るとこだと、心に決めていた。

実に、この旅日記を、書くのは、難しい。
どのくらい、ミャンマー・ヤンゴンのことが、正しく、見たまま書けるのかということだ。それは、複雑で、幾重にも重なるような、意味があるから、一面的ではない。

一つの事象を語るのに、色々な面から、書かなければ、理解出来ないのである。
それ程、ミャンマーという国は、複雑であり、大変な国である。

ミャンマー入国の、ビザも、自分達で、取るのではなく、地元の旅行会社を通して、取ることにしたのも、その一つである。
自分達で、取れば、その代金の、半額で、良かったが、ヤンゴンの旅行会社から取ると、手続きまでやってくれる。ちなみに、二人で、110ドルである。

私達の、支援物資に、難癖をつけられないためにも、それは、正解だった。

さて、搭乗手続きが、朝の六時前から、始まった。
隣の国でも、出国である。

出国手続きを済ませて、搭乗口に向かう。

国際線乗り場である。
タイの、格安航空会社の、更に、キャンペーンチケットを、買っていた。

待合室で、搭乗を待つ。
その時、私は、一人の僧侶に逢った。
というか、目で挨拶をした。向こうも、笑顔で、答えた。
それが、ヤンゴンへの、旅の始まりである。

搭乗が、始まった。
バスに乗り、飛行機の待機している場所に向かう。
バスは、人で、一杯。
飛行機の側に、バスが着いた。
ところが、扉が開かない。なかなか、開かない。
そして、扉が開かないままに、バスは、また発車した。
どういうこと。

バスは、また、元の乗り場に戻ったのだ。
そこで、扉が開いた。降りれということかと、皆、バスを降りる。そして、また、待合室に戻った。
そこで、初めて、説明である。

ヤンゴン空港から、30分待てとの、指示である。

その理由は、空模様が悪いから、である。
変なの、と、思いつつ、また、待合室のベンチに座る。
ついでに、トイレに立った。
そして、トイレから出て、先ほどの、僧侶と、目が合い、何となく、声を掛けた。
それが、事のはじまり。

若い僧侶は、英語である。
ところが、実に、聞き取りにくいのである。
訛りのある、英語というのか。

ついに、コータを呼んだ。
そして、三人で、話すことになった。

若い僧侶は、三十過ぎであろうか。
精悍な顔付きで、知的な雰囲気である。

そこでは、ヤンゴンを案内するということで、話が、まとまった。
私達のホテルに、夕方の六時に来るというのである。
断る理由なく、では、お待ちしていますと、答えた。

しばらくすると、アナウンスが流れた。もう一度バスに乗れという。
漸く、出発かと、皆の後について歩いた。

無事、離陸して、一時間と少しで、ヤンゴンに到着。
そこまでは、何事もなく、である。

それから、三泊三日、心身ともに、疲労困憊するなどとは、知らないのである。

ビザの手配を頼んでいた、会社の女性社員が、すべての、手続きを代行してやってくれた。
荷物も、コータのバッグを、開けられただけ。
ただし、そこに入れていた、女物の靴、支援物資であるが、それを見た、検査官が、ゥアーと、声を上げた。

女物の、靴を、どうするのか、これを、履くのかという、感嘆の声。
コータが、プレゼントですと、言い、何事もなかったのかように、通り抜けた。

旅行会社の車で、予約していた、安い料金のホテルに向かった。

posted by 天山 at 00:00| ヤンゴンへ 平成21年3月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月02日

性について 55

昨年、08年、続けて、三十代前後の男性から、相談があった。

そのものスバリ、中折れである。
中折れとは、セックスの最中、または、マスターベーションの最中に、ペニスが、萎えてしまうというものである。

結婚している男は、切実な問題である。
マスターベーションは、何とか出来るが、妻とのセックスが、続行できないというのもある。
本人も、不満であり、妻も不満である。

勿論、妻や恋人をオーガズムに導く方法はあるが、本人が、イケないてのであるから、悩みは深い。

そこで、少し調べてみた。
昔読んだ本を、探し出して、みた。

性的不能は、まず、抑鬱状態が、上げられる。
機能的なものは、一割にも、満たない。
インポテンツは、大半が心理的なものである。

精力絶倫を、誇っていた、ある男が、ある夜、勃起できなくなった。それが、軽い抑鬱状態のはじまりであり、更に、落ち込んで、つまり、勃起しなかったことを、考えすぎて、重い抑鬱状態に嵌ることがある。

それでは、何故、抑鬱が、起こるのかである。
それは、心の単純さにある。

喜怒哀楽である。

さて、その中で、最も、現し難いものは、怒りである。
怒りを、心に溜め続けると、抑鬱状態に移行する。

怒りを、露に出来ない人に多い。
特に、時代は、男の受難期である。
下手に怒りを、現すと、その後が、大変である。

つまり、怒りを、抑制、抑圧して、日々の生活を送る。
さらに、怒りを、自己解消できないのである。

モノは、立派だが、半立ちしかしないとの、悩みは、二十代後半の男だった。
治療法を、求めての電話である。
だが、昨年は、追悼慰霊の旅が多く、面談する時間がなかった。

それが、治るのなら、治療を受けたいとの、希望だったが、私の所より、心療内科あるいは、精神科に行くべきだと思うが、整体により、リラックス、更に、自己解消を促すことは、出来る。

また、勃起するための、きっかけ、つまり、何によって、物理的に勃起するのかを、発見することは、出来る。

例えば、自分の感じる部分を知るというのも、手である。

男は、マスターベーションと、射精を知ると、その後は、自分のペニスと、身体に、あまり興味を持たない。
女の体、あるいは、ゲイの場合は、別の男の体にのみ、興味を持つ。
これも、原因の一つである。

さて、更に、性格が、受動的であり、攻撃的性格を持つ男は、その攻撃性や、敵意という感情を、抑圧し、逃避することで、つまり、黙りこむという方法で、処理すると、まず、完全不能になる。

妻以外の女とは、セックス出来るという男に多い。
妻に対しては、敵意が募り、全く、不能になるのだ。

つまり、妻に対する性的不能は、妻への、敵意の、サインとして、成立しているのである。

これが、一番、やっかいなタイプである。

周期的な性的不能の原因は、ふつう抑うつである。性欲の喪失は、たぶん生理的基盤にもとづいたものであろうが、かなり多くの抑うつが、実際には解決されずに内向してしまった怒りである。ということは注目に値する。ある男は自分の性的不能の問題を、次のように要約している。「わたしは妻の体にねじ込まないことで、彼女をねじ込めているのだ」この人は、セックスを通して敵意を行動化していたと、気が付いてからは、性的能力を回復した。
怒りの精神分析 ジャック・バーンバウム

更に、仕事関係、対人関係などでの、怒りの、昇華が出来ない人も、性的不能に陥る。

相手が、その怒りを、聞いて、受け入れてあげるだけでも、解消することが、出来るが、相手、つまり、恋人も、ストレスを抱えて、怒りを、抑制し、抑圧している場合、恋愛関係は、長続きしない。

心理的なことが、第一で、次は、食生活である。
長年の食生活が、性的能力を、減退させる。

つまり、精液が、作られなければ、射精欲も、減退するのである。
ジャンクフードを食べ続けていれば、当然、いつの日にか、突然、勃起出来なくなるということもある。

ただし、例外がある。
抑鬱による、マスターベーションというものもある。
更に、それに、罪悪感を抱き、自己嫌悪を募らせることによって、攻撃性や、怒りを静めるものである。

実に、人間の心理は、複雑である。しかし、それも、大脳化ゆえである。

不安を和らげるための、マスターベーションもある。
ただし、その不安の底にあるものは、矢張り怒りである。

セックスは、喜怒哀楽に、大きく左右されるが、特に、怒りの感情に左右されるということだ。

人間のセックスが、単なる性欲として、括ることが出来ないほど、複雑化しているのである。しかし、それに答える、情報が、極めて少ないのである。

そして、男の多くは、何ゆえに、勃起するのかということを、知らなさ過ぎる。
女体を見たら、勃起するという、単純なものではなくなっているのである、時代は。
更に、変態として、認識されていた行為が、当たり前になっているという、事実である。
これについて、いずれ、詳しく書くことにする。


posted by 天山 at 00:00| 性について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヤンゴンへ 2

空港からの道は、混んでいた。
考えていた以上に時間がかかったのである。

車内で、案内の女性と、話した。
彼女は、お寺で、日本語を無料で学んだ。
そして、この仕事に就いたという。

英語は、出来ない。しかし、丁寧な日本語を話す。
私は、ヤンゴンの地図を見せて、サイクロン被害の場所を聞いた。特に、酷い場所は、川沿いである。そして、そこは、とても貧しい人々が、暮らすという。
私は、その場所の人たちに、衣服が必要かと、尋ねた。すると、必要ですと答えた。

私は、特に、子供の服を持って来たことを、伝えると、それは、喜びますと言う。
そこで、支援する場所を、川沿いの、彼女の示した場所に、決めた。

ホテルは、中心街、ダウンタウンの真ん中辺りの、安いホテルである。
一泊、18ドルである。
ミャンマーは、ドル建てである。
街中の買い物は、チャットという、これまた、0の多い、紙幣である。
私は、0を一つ取って、日本円に換算した。
例えば、1000チャットは、100円である。

ホテルにて、5000円を、チャットに替えた。50000チャットである。

安いホテルは、中々見つからない。
漸く、沢山ある小道の一つに、目指すホテルがあった。

昼前の、チェックインである。
朝ご飯があるので、食べていいと、言われた。
部屋に荷物を置いて、上の階の食堂に上がった。

部屋は、何と四階である。
エレベーターは無い。実に、しんどいのである。
すべての、荷物を持って上がったから、汗だく。

兎に角、朝ご飯を、昼ご飯にして、食べた。
取りたい放題であるから、たらふく食べた。

部屋に戻り、ようやく、ホッとする。
すると、バタンと大きな音かした。
電気が止まった。停電である。この、停電は、実に、頻繁に起こった。
電気が止まると、自家発電の電気が点く。

その繰り返しである。
バタンという音が、実に嫌な音である。
慣れるまで、暫くかかった。

電気が止まると、エアコンも、扇風機も、役立たずである。部屋の中が、蒸し風呂になる。
バス、トイレも、真っ暗になる。

まず、停電で驚いた。
そして、それが、当たり前なのである。

水を買うために、ホテルの一角を歩いてみた。
下町風情である。
兎に角、埃っぽい。
道端には、物売りが沢山いた。
色々な物を、売っている。

後で知るが、私達のホテルは、インド人街の中であった。
その隣には、中華街が広がる。
要するに、インド人と、中国人が占領する街なのである。

地図にも、チャイナタウンと載っている。

一回りして、結局、ホテルの三件隣の、店で、水を買う。
300チャットを、二本。つまり、30円を二本である。

水だけは、どうしても、買わなければならない。

空港で、夜過ごしたので、眠気が襲い、ベッドに、体を横たえた。そのまま、寝た。

気づくと、二人とも、寝ていた。
そして、若い僧侶の来る時間になる。
その前に、コータが、近くを見てくると言い、ホテルを一度出た。
その間に、僧侶がやって来た。

ホテルの女の子が、四階まで、案内して来た。

いよいよ、ヤンゴンの道行きのはじまりである。

コータも、戻って、二人で、僧侶の話を聞いた。

彼は、ミャンマー南部の出身である。
タイ南部と、隣接している、タニンダーリ管区である。その田舎である。
ご両親の写真を見せてくれた。非常に老いた二人である。

彼は、その故郷のパゴダ、つまり、寺の再建を計画していて、そのために、活動していると言った。
海外に出掛けるのは、その資金を得るためだと言う。

海外といっても、アジアの貧しい国である。
日本などへは、当然、高くて、来ることは、出来ない。

その時に、また、停電である。
バタンという音。

いつも、こうです。ミャンマーは、本当に、めちゃくちゃな国です。
と、現政権の批判が始まった。
何もかもが、めちゃくちゃだと言う。
そして、昨年のデモの話になった。
多くの友人僧侶たちが、殺された。更に、タイに逃げた僧侶も多いという。

警察に、手錠を掛けられたまま、タイに逃げた僧侶もいるらしい。
そして、密告者の話である。
誰が、通報して、逮捕されるか、解らないのだ。

政権の批判は、ご法度なのである。
一通り、彼の話を聞いて、さてと、私は、彼を信じて、私達の活動を話した。
明日、彼は私達を連れて、ヤンゴン案内をするというので、実はと、話し始めた。
すると、大変に喜んだ。
そこで、川沿いの地区に行き、そこで、子供達中心に、衣服を上げたいと言うと、一緒に行きますと、言う。

それでは、朝八時半に来ますと、彼は言う。
それで、目出度しめでたしであった。

僧侶と共に行動出来るならば、安心である。

ところが、状況が、変化してしまうのだ。

僧侶が帰るのを、一階まで降りて、見送ろうと、私達も、一緒に降りた。
一階に降りると、そのホテルの経営者である、インド人が出て来た。

そして、インド人社長は、僧侶に、合掌する。
それは、当然の礼儀である。
ミャンマーでは、僧侶は尊敬を受けるのが、当然なのである。

そこで、きっと、である。社長が、わざわざ、訪ねて来た僧侶に、どうしたのですかと、問い掛けたのではないかと、思える。

僧侶から話したのか、社長から話したのかは、解らないのである、私には。

僧侶は、真剣な面持ちで、社長に話している。
すると、私達も共に、椅子に腰掛けるように、促された。

飲み物が、運ばれた。
そして、とんでもない、大事の話に発展するのである。

日本語が、出来る従業員がやって来た。
彼が、二人の話を私達に、通訳する。
何でも、日本で、十年働いていたようである。
奥さんは、日本人で、子供を連れて、日本に帰ったという。


posted by 天山 at 00:00| ヤンゴンへ 平成21年3月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月03日

ヤンゴンへ 3

ここでは、外国人が、何かして人が集まると、警察が来て、尋問されます。色々と、聞かれて、面倒なことになります。
皆、貧しいから、一斉に集まります。すると、混乱して、必ず警察が来ます。

延々として、くどい説明が終わらないのである。

要するに、ヤンゴンでの支援活動は、政府の気に入らないことなのであり、それをすることは、大変なことで、危ないことなのである。

だから、今、社長が、ミャンマーで、三本の指に入る、高僧に相談すると言う。
社長は、すぐに電話を掛けた。

長い電話である。
そして、今すぐに、行きましょうということになった。
その、高僧の寺に出向いて、指示を仰ぐということだ。

そんな、大袈裟な・・・
私は、ウーンと、考えたが、皆が立ち上がり、社長が車を出すと言う。

確かに、これは、何か知ることになり、また、勉強になると、流れに従った。
社長の車の、後部座席に、私とコータが座り、助手席に、僧侶が乗った。

15分くらいと言ったが、30分は、かかったと思う。
漸く、その寺に到着して、高僧のいるという、建物に、向かった。
社長と僧侶、私達が続く。

高僧の部屋は、広く、その中にも、仏を奉る祭壇がある。
まず、その仏に礼拝し、更に、高僧に、礼拝するという、礼儀である。

若い僧は、高僧の足元に、額をつけて、礼拝していた。

社長と、高僧が、真剣に話し合うのを、傍で、黙って聞いていた。
若い僧も、黙っている。

私は、テレビに目をやった。
その高僧が、写っている。
暫く、話し合いが続き、結果、政府の許可を取るということになった。
高僧が言ったのだ。

明日の朝、ここに来て、その許可書を持って、一番困っている村の、人々に、支援物資を渡すということになった。

すると、高僧が立ち上がり、テレビの傍に行き、画面を指して、なにやら言う。
多くの僧たちに、説教をしているようである。

自分の写された、テレビを、繰り返し流していたのである。
そして、私達に、自分の載った記事も、渡した。

高僧。
そのイメージとは、遠い。
申し訳ないが、ヤクザの雰囲気である。どうしても、そのように、感じてしまう。
僧侶というものに対する、イメージが、持てないのである。
しかし、若い僧は、ハッハーと、ひれ伏すように、言葉を聞いている。
これが、ミャンマーの高僧なのであろう、きっと。
私は、慣れていないだけだと、肯定的に、捉えることにした。

その時の、話は、翌朝、もう一度、ここに来て、政府の許可を受けた書を貰いに来るということで、終わった。
そして、その村に、僧侶を差し向けるとも言う。
ここのことろを、覚えておいて欲しい。

後で、段々と、話が違ってくるのである。

さて、高僧との、会見を終えて、再び、ホテルに戻ることになった。

その前に、小便がしたくなり、トイレを尋ねた。
若い僧が、案内してくれた。

真っ暗な場所に、トイレがあり、更に、トイレも、真っ暗である。
えっーーー
ここで、するの。
ウンコでないから、いいものの、暗くて、何も見えない。
外から光を、利用して、何とか、便器に目掛けて、小便をする。
コータも、一緒だった。
大丈夫、と、コータに声を掛けた。
コータも、絶句している。

後で、コータ曰く、ああして、小僧さんたちを集めて、指導している偉いお坊さんとして、皆の尊敬を受けているが、トイレに電気もつけていないようなら、程度が知れる。

私も、同感であった。

しかし、あれが、当たり前なのだろう、きっと。
それに、ミャンマーの僧たちは、午後を過ぎると、何も食べない。水を飲むことだけ、許されている。だから、糞も、あまりしないのだろうと、憶測した。

さて、ホテルに着いて、明日の朝、八時半に、寺に行くということで、社長は、私一人で、行ってもよいと言うが、ただ、黙って頷いたのみ。

事の次第を、十分に考えたいと思った。

若い僧も、朝に来ると言って、帰った。

部屋に戻り、シャワーを浴びるが、停電で、温シャワーにならず、水シャワーである。

私は、水シャワーが嫌いで、苦手である。
しかたなく、下半身から、徐々に、上半身に上げてゆく。
水の温度に慣れるまで、足元に、水をかけている。

冷たいというのが、嫌なのである。
体が、しき締まるという、問題ではない。
心臓に悪いのだ。

シャワーを浴びて、コータと、話し合った。

さて、どうするか。
しかし、どうするも何も、ここまで、話が進んだのである。

明日の朝、寺に行くかどうかを、話し合った。
私は、行きたくない。コータも、行きたくない。
それでは、タンブン、つまり布施を渡して、社長に、行って貰おうということになった。

あらかじめ私達も、スムーズ支援出来るとは、思っていなかったが、何となく、観光しているように見せて、手渡しで、渡して、すぐに、その場から、離れればいいと、思っていた。

ここまで、話が、大袈裟になると、戸惑う。

停電が長く続き、エアコンも、扇風機も、駄目。
部屋の中が、蒸し風呂のようになってゆく。
私は、部屋のドアを開け放した。
それしか、方法が無い。

ちなみに、窓は、廊下側にある部屋である。外に向かっての窓は無い。

兎に角、彼らの流れに沿って行こうということで、次は、夜の食事である。
若い僧を、食事に誘ったが、先に書いたように、午後からは、何も口にしない戒律であるから、遠慮した。

考えるのが、面倒で、ガイドブックを見て、近くにある、インドカレーの店にした。
地図を頭に入れて、ホテルを出た。

10分程歩いて、目指す店を見つけた。
インドカリーと、英語で、書いてある。

辛さと、塩気の効いた味で、美味しかった。
体が疲れているせいもあり、味が濃い目でよかった。

お代わりをして、二人で、7800チャットである。780円。200チャットのお釣りを、そこで働く、中学生くらいの少年に渡した。

後は、寝るだけである。
酒も飲みたくない。
私も、コータも、非常に疲れた。

posted by 天山 at 00:00| ヤンゴンへ 平成21年3月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月04日

ヤンゴンへ 4

ヤンゴン、二日目の朝、私は、早く目覚めた。
そして、色々と思案した。といっても、朝、寺には行かないことにし、社長に、タンブン、布施を渡して、行って貰おうと、思った。

八時前に、一階のフロントに、降りた。
10000チャットを、封筒に入れて、タンブとして、渡すことにした。
日本円にして、千円であるが、この額を決めるのも、悩んだ。
最初は、三万チャットだったが、次第に冷静になり、一万チャットに、落ち着いた。

社長がフロントにいた。
挨拶して、タンブンを渡すと、即座に、中身を確認した。
それも、驚きだった。
封筒に入れたものを、寺に布施するのであるから、見るという行為に、アレッと、思った。

そして、車を用意してあり、八時半に出発すると、言う。
寺に行くものだとばかり、思っていたが、運転手もつけてある、云々と言う。
すると、昨日の、若い僧侶が、ホテルに入って来た。

一緒に行くのである。
八時半出発ということなので、私は、コータを起こすために、部屋に戻った。

寺に行かずに、直接、支援する場所に行くみたいだと、コータに伝えて、私も、出掛ける準備をした。
浴衣に、着替えた。

10分前に、一階に降りると、車の用意がされていた。
昨夜の日本語を話す男が、運転手と、案内役である。
寺に行く話しは無しになっていた。

その男が、途中で、高僧の派遣した僧侶と、落合、そこから、彼らの先導で、行くという。

だが、社長は、途中で、車を降りて、別の車に乗り換えて、行くことになり、チャットが必要になるから、100ドルほど、チャットを持って行った方がいいという。
しかし、私は、昨夜、更に50ドル、チャットに換えていたので、それを見せた。

何とも、腑に落ちない気持である。
そして、社長は、コータに、こちらの車代は、20ドルであると、言う。
コータから、20ドル必要だと、言われて、私は、社長に、20ドルを渡した。

そして、出発である。
その時、社長が、ペットボトルの水を二本、パンの袋を二つ、渡した。
親切であると、理解した。

私達は、朝食を食べていない。
ちなみに、ホテル代金は、朝食つきの料金である。

寺に行くことなく、現場に向かうことになって、出発した。

川沿いの道を通り、橋を渡って、ヤンゴン市内から、郊外へ出た。
一時間近く走ったと思う。
大きな通りに出て、そこから、左の道に入った時、車が止まった。
男が、電話を掛け始めた。
そして、また、大きな通りに戻った。

その通りに停車して、暫く過ごした。
合流する僧侶との、連絡をしていると、思うが・・・

屋台の物売りが、並んでいる。
バスが停車して、人々が混雑している。
一度、車から降りて、辺りを見回した。

実に殺風景な風景である。
日本の秋枯れのようである。
後で、その辺り一帯も、サイクロンにより、すべてなぎ倒されたと知る。

漸く、運転手件案内の男が、車に戻り、出発した。
といっても、戻った道を、また進んだ。
つまり、最初の通りを左に曲がった、道であり、サイクロンの被害の多かった場所である。

そして、少し進むと、男が、この辺りで、しましょうという。
変だなーと、思う。

合流する僧侶は、いないし、この辺りで、やりましょうと言う。
あらかじめ、支援する場所を、高僧が指定したのではないか。

ところが、その村の寺に支援物資を持って向かうと、何とも段取りがいい。
待ってましたという感じである。

そこの、僧侶に挨拶して、男から、説明を受けた。
ここで、お坊さんに、村の子供達に集まって貰うにしましたから、皆、来ます。そして、静かに、配ることが出来ます。今、皆に、連絡させていますと、言う。

私達は、その寺の中で、支援するものだと、支援物資の荷物を解いて、衣服を出した。
そして、待った。

すると、村の人、男三人がやって来た。
何やら、話している。

すると、男が、村の人の家に、子供達を集めて、そこで、配りますと言う。
段取りが、悪いのである。
寺の中で、配るはずだった。

私達は、もう一度、バッグに、物を入れ直して、それを村の人が運ぶ。

寺から、少し離れた、家である。
その一帯は、荒れ野原である。
家も、少ない。
田圃の刈り取った後のままで、緑が無い風景。

村の人が、話すことを、若い僧侶が、英語で通訳してくれる。
それを、私は、コータから聞いた。

この辺、一帯は、サイクロンで、すべて飛ばされてしまった。何も無い。今も、そのままである。

村の村長のような人の家に、到着して、荷物を再度、開けた。
そして、サイズ別に、並べて、子供達を待った。
すると、一人、二人と、やって来た。
本当に、子供達が来るのかと、思ったが、集うと、30名ほどの、子供達になった。
着ている物は、皆、汚れている。
確かに、何も無い風情である。

赤ん坊を抱いた女も、三人ほど来た。
そして、村の大人も、数名いる。

子供達を静かにさせて、一人一人に、私は、サイズの合う衣服を渡した。
次々と、子供が、前に来る。
確かに、一人一人に、手渡した。そして、赤ん坊を抱いた女達にも、幼児用のものを、渡し、更に、彼女達にも、必要な物を渡した。
大人物も、少し持っていたので、男達にも、渡すことが出来た。

一時間近くかかったようである。
私は、汗だくになった。

いよいよ、全員に渡し終えると、私に、家の奥さんが、飲み物をと、勧めてくれた。
男達数名もいて、私をねぎらう。
ふっと、家の中を見ると、子供達が、全員集合している。
静かなので、私は、皆、戻ったと、思ったが、皆、静かに、事の過ぎるのを、待っていたのだ。

男が、写真を撮りましょうと言う。
そして、子供達を、家の前に並ばせた。

段取りがいい。
確かに、何の問題もなく、支援物資を、配ることが出来た。これは、幸いであった。

写真を撮るためにも、子供達は、静粛にしていた。
何枚も、撮った。
若い僧侶も、ここぞとばかりに、写真を撮っている。

この若い僧侶は、家に着くと、村人に、何やら説教をした。
真剣な表情で、何やら、村人に話し掛け、それを、村人も、神妙に聞いていた。

今回の支援について、自分の関与を話しているようだった。
言葉が、解らないので、そのように、感じた。

子供達が、それぞれ、解散して、私は、持て成しのお茶を、飲んだ。

その家の、奥さんと、おばあさんにも、何がしかの衣類を渡した。

一人の村人の男が、私に感謝を示して、手の甲に、口付けした。
そして、何やら、トクトクと、話した。
ありがとう、ありがとうと、言うように聞えた。
決して、悪い気分ではなかった。

一度、寺の方に戻ると、寺の僧侶が、私たちを、田圃の中で待っていた。
私は、僧侶に、タンブンとして、5000チャットを渡した。

村の男達も、私たちを、見送りに来た。
車が走り始めるまで、見送ってくれた。


posted by 天山 at 00:00| ヤンゴンへ 平成21年3月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月05日

ヤンゴンへ 5

車は、元来た道を戻った。ヤンゴン市内に、入り、まず、僧侶を送った。
私たちが、別のホテルに変更することを、僧侶だけに、伝えていた。

どうも、今のホテルの社長に、腑に落ちないものを感じて、本日から、別のホテルに、移ることにしたのだ。

そのホテルは、私が、歩いて探したホテルである。
一泊、15ドルである。
より街の中心地に近い、スーレー・パヤーという、仏塔の近くである。

僧侶を降ろして、ホテルに戻った。
社長が出迎えた。

フロントの椅子に腰掛けることを、促された。
私は、まず、丁寧に、お礼を言った。

社長は、コータに、これからも、活動をするなら、私が全面的に、お世話をすると、言ったと、後で聞いた。

それからである、問題は。
私に、車代を、50ドル払えと言う。
英語が聞き取れず、コータから、聞いた。

突然の、50ドルである。

私は、何故かと、コータに、問わせた。
四時間かかっていると言う。

しかし、途中で、合流するはずだった僧侶がいなかったことと、別の車に乗り移るということだったが、それが、どうしてなかったのかと、問わせた。

それには、答えなかったようだ。

兎に角、普通ならば、全部で、80ドルかかるところだと言う。しかし、追加分は、50ドルでいいと言うのだ。

黙っていた私は、日本語で、それが、ヤンゴンの方法かと、言った。
平静に言ったつもりであるが、社長は、コータに、紳士的に、落ち着いてと言ったようである。

続けて、私は、それが、ヤンゴンの方法かと、二度言った。

すると、社長が何か言う。
コータが、20ドルに落ちたよと、言う。

50ドルが、20ドルになった。

私は、場合によっては、50ドル払ってもいいと、思っていた。トラブルを起こしたくないと、思った。

しかし、すぐに、20ドルになるところを、見れば、吹っかけているとしか、思えない。更に、この行定も、始めから、決めていたのではなかろうかと、勘ぐった。

兎に角、この場を、離れたいと思い、すぐに、20ドルを出して、社長に渡した。そして、私は、立ち上がった。すると、朝、私が出した、タンブンの封筒を取り出して、コータに、私が信用出来なければ、自分で、寺に持って行くといいと、言ったらしい。コータは、いや、信用しますと言った。すると、解ったと、その封筒を、受け取った。

部屋に戻り、すぐに、ホテルを出ると、コータに言い、荷物をまとめた。
支援物資が無いので、早い。

フロントに、鍵を置いて、ホテルを出た。
社長は、電話で、話している。
私たちのことかもしれなかった。

すぐに、通りに出て、タクシーを拾い、決めていたホテルではない、別のホテルの名を言った。
あの、僧侶とも、会いたくなかったからだ。

僧侶は、夜の六時にホテルに来ると、言ったからである。

距離を置きたかったのと、今までのことを、じっくりと、考えて、真偽を確かめたかった。

別のホテルは、偶然である。
決めていたホテルの近くの、ホテルで、たまたま、目にしたホテルである。

部屋は、空いていた。
14ドルで、エアコン、温シャワー、朝食つきである。
私たちが、入ると、すぐに、水を持ってきてくれた。
汗だくだったのだ。

フロントの女性は、エアコンがあるが、ここは、停電が多く、それを、承知して欲しいと言う。そして、地図を出して、ホテル周辺の案内をしてくれた。
非常に親切だった。

ところが、部屋は、また、エレベーターなしの、四階である。

その階段が、また、長い。
しんどい。
部屋は、窓がなく、廊下側に窓があるという、不思議な造りである。

兎に角、一息ついて、シャワーを浴びた。
十二時を過ぎていた。

コータに、ホテルの食堂で、昼ごはんを食べると言い、一階に降りた。
朝昼晩と、時間が決めてあり、食事が出来るのである。

私は、シーフードカレーを注文し、コータは、焼き飯を注文した。
暫く、無言でいた。
色々と、考えた。
考えがまとまらないので、沈黙していた。

私のカレーが、運ばれてきたので、食べ始めた。
その間も、無言である。

カレーは、量が多かった。
それに、店員が、注ぎ足してくれるという、サービスである。
途中で、やっと落ち着いてきた。

そこで、食堂の中に、人がいるのが、解った。
男が、挨拶した。
ここの、社長ですと、言う。日本語である。

日本からですね
ええ
ヤンゴンは、初めてですか
はい

それから、その社長と、色々なことを話した。
疑心暗鬼になっていたので、私は、慎重に、彼の話を聞いていた。

彼は、自分の経歴を、簡単に話してくれた。
イギリスでホテルマンの修行をして、その後、日本でも修行したという。品川にある、ホテルだった。

話し好きの方で、色々なことを、教えてくれた。
そして、驚いたのは、デモの時に、軍に撃たれて亡くなった、長井健司さんも、このホテルに泊まっていたという話だった。

一年経つまで、このことは、話さないで欲しいと、日本大使館に言われたと言う。

その時の、詳しい状況を聞いた。

実に、驚いた。

長井さんが、撃たれた場所は、ホテルのすぐ傍である。
翌日、私は、その通りで、デモで亡くなった方々の追悼慰霊を、行った。

どちらのホテルに泊まりましたか
Hホテルです
何か、問題がありましたか
それには、コータが答えた。

彼は、それを聞いて、参考にし、ホテルを、お客様の、居心地の良い場所にしたいと言う。
ここに泊まられる方は、家族の一人だと思い、対応しますと、言った。


posted by 天山 at 00:00| ヤンゴンへ 平成21年3月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月06日

ヤンゴンへ 6

昨年五月、巨大サイクロンが、ミャンマー南部、特にヤンゴン付近を襲った。

死者、行方不明者、14万人という、未曾有の被害をもたらした。
生き残りの住民も、多くは、家を失い、何もかも、すべて失った人も多い。

しかし、ミャンマー政権、軍事政権は、何も事を起こさないばかりか、海外からの支援も、入国を許さないという。
南部のデルタ地帯では、今も、井戸もなく、水道も勿論なく、雨水や、池の水を飲む。

それだけではない。
食べ物が無い。
絶望的な状態にある。

ヤンゴン近郊の、サイクロン被害の大きかった場所に行くと、辺り一面は、秋枯れの風景が広がり、ここで、何を食べているのかと、非常に気になった。

政権は、復旧のメドは立ったと、発表したが、それは、単なる世界に向けたパーフォーマンスの言葉。何もしていない。
ただ、市内の被害を受けた所が、自主的に、復興しただけのこと。

私が、二つ目に泊まったホテルも、被害は、酷かったという。
屋根が飛ばされて、表面の、ガラスが、すべて割れた。
建物が、ゆらゆらと、揺れるほどの風だったという。

宿泊客が、比較的少なく、皆、一階に集まり、事の推移を見守っていたという。
落ち着いたかと思うと、更に激しい風が、襲ってきたという。

ただ、ただ、過ぎるのを、待つしかなかった。

であるから、川沿いの、漁師たちの家は、皆、破壊され、流されたという。
私が、支援に行きたかった場所である。

市内でも、被害は、大きかった。

ホテルの社長から聞いた話を、まとめて、書くことにする。

私たちも、グループを作り、支援の手伝いを始めたという。

資金や、食料などを、被災地に持参したという。
だが、それを、続けるうちに、気づくことがあった。
このまま、支援を続けていると、相手側が、駄目になる。

漁師には、船と、網を与えることが必要であり、農民には、牛と、耕す機会を与えるべきだと。そうでないと、彼らは、仕事が出来ず、ただ、貰う生活になってしまう。

支援のあり方を、考えるようになったという。

着のみ、着のままである。
何も無い。
藁と、椰子の葉を使い、簡易の家を作る人は、まだ、いい。それらすら、手に入らない人もいる。

ほとんど、すべてを失った村は、呆然として、何も手につかない状態になった。

そこで、悪い奴らが、登場した。
憐れみ商売である。

特に、欧米人の、寄付や支援など、考えていない観光客の、ツアーに、そのような、すべてを失った村を見せて、憐れみを乞い、寄付を募るという商売である。
その場で、寄付を集める。そして、それを、そのまま、自分の懐に入れる者。

甚だしい者は、わざわざ、村人に、別の場所に建てた、質素な小屋にいてもらい、それを、見せて、金を得る者も、出たというから、驚く。

私が会った、インド系の社長は、即座に、私たちの活動を、商売に結び付けようとした。
次からは、すべて、俺が手配して、ツアーを作ると。

そのために、高僧の存在まで、使い、私たちの、信用を得たかったのか。
それにしても、高僧が言った、政府の許可書を、見たかったと、思う。
ヤクザの組長のような、高僧である。

寺なども、市内の寺は、タンブンが多く集まり、何の心配もないが、その近郊や、デルタ地帯の寺は、タンブンする人もなく、荒れたままになっている寺もある。

更に、疑問に思ったことは、警察が来るというが、市内なら解るが、近郊や、デルタ地帯に、警察が、すぐに駆けつけるだろうかということだ。

人が集まると、警察が駆けつける。特に、外国人が人を集めると、それは、大変なことになる。

確かに、私は、私服の警官というか、政府筋の男を見た。
手錠を持っていた。
市内では、至るところに、そういう、隠れ警察というか、憲兵のような者がいるかもしれないと、思う。

しかし、市内から、外れた、秋枯れの風景が広がる、あの場所にも、警察は、来るのだろうか。
今度は、俺が、支援ツアーを手配するという、インド人の男である。
何か、抜け道があるのだ。
政府の許可というのも、こけおどしのような、気がするのである。

ただ、日本語を話す社長は、矢張り、注目を集めるような行動は、控えた方がいいと言う。

例えば、私が、長井さんが、亡くなった通りで、多くの犠牲者のために、慰霊を行いたいと言うと、花などは、置かずに、ただ、黙祷するのであれば、いいでしょうと、言った。目立つ行為は、警察に、尋問され、その場を解散させられると、言う。

長井さんの、家族も、通りで、花を手向けて、手を合わせると、人々が集い、即刻、中止させられたという。

ミャマンーでは、大半の海外からのボランティア活動が、中止に追い込まれた。
建物を建てた団体も、政府に没収されて、自然消滅したという。

ユニセフや、私設のボランティア団体も存在するが、正規ルートを経てのものである。
それさえも、不確かである。

日本には、社団法人日本ミャンマー協会がある。
そこでは、サイクロン被害の、義捐金を募り、それを、確実に届けるために、ミャンマーの事情に詳しい、ミャンマー日本友好協会を通して、支援を、行っている。

何事も、手渡しが、原則である。

間違って、政府筋の人間を通すと、必ず、搾取される。
望外な、中間手数料などを、取られる場合もある。

兎に角、一筋縄ではいかない、ミャンマーの支援活動である。

ちなみに、ミャンマーと、カンボジアは、国連で、世界最大の最貧国として、位置づけられている。

posted by 天山 at 00:00| ヤンゴンへ 平成21年3月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月07日

性について 57

自分の肉体や持ち物にたいして前向きな考えをもつことが、性的パワーを飛躍的に増すための第一歩だからです。さあ、これから書くことをしっかりと肝に銘じてください。最高の恋人になる秘訣は女性の体にはありません。ペニスを理解し、コントロールする能力こそ性的パワーの源だ、という事実をしっかり把握すれば、誰でも最高の恋人になれるのです。
バーバラ

要するに、彼女は、男は、射精という、オーガズムを知ると、最早、自分のペニスに関心を持たなくなり、ただ、ただ、女の体のみに、興味を持つというのである。
ゲイの場合は、他の男の体のみである。

ここで、少し、私の考えを書く。
前回の、セルフラブの、ベティーも、そうだが、アメリカ人、そして、総称して欧米人は、得てして、止め処なく、追及する姿勢がある。
そこまで・・・と、思うことも、やってのける。
これは、生命力の強さなのか、単なる性格なのか、である。

徹底的にやる、のである。
それが、実に楽しい、面白い。
であるから、決して、隠微なものにならない。
これが、日本であると、隠微に傾く。
性愛追求などというと、秘密結社のように、なるのである。

今、私は、日本にての、性愛追求の書物を、読破しているが、実に、隠微である。

子宮セックスなどいう、テクニックは、エロ本を読む気分なのである。
勿論、いずれ、紹介するが、アメリカ式の、明るさはない。

密かに、隠れた部屋で、男と女が、汗だくで、繰り広げる、隠微な遊びといった、感覚になるのである。

勿論、イタリアで、恋人の女に、大股を広げられて、さあー来いと、言われて、勃起が萎えてしまったという、話は、よく聞いた。
それは、留学生から、一般人まで、である。

ベッドでは、女が、いじいじして、それを、やんわりと、探りながら、そして、静かに、挿入などという、イメージを抱いていると、ガツンとやられる。

日本の男は、矢張り、セックスに不向きなのかもしれない。いやいや、不向きではなく、民族性があるということだ。

だから、バーバラの指導も、参考にして聞いているべきである。

射精を覚える前までは、男の子は、ペニスが大好きである。
しかし、

ところが、オーガズムを経験するようになったとたん、すべてが変わってしまった。そうではありませんか?ペニスに強烈な快感が得られると知った瞬間から、ペニスそのものにたいするあなたの好奇心はしぼんでしまったはずです。
バーバラ

本当に役に立つ情報は少なく、誤った知識が野放しになっている現状では、それも仕方ないことかもしれません。・・・・
たとえば新しい恋人とベッドをともにしたときや、同じことの繰り返しにうんざりしたときなど、新しい方法に挑戦したこともあるかもしれません。が、おそらくあなたは、10年も、25年も、あるいは50年も、11歳のときと大して変わらない態度でペニスに接し続けているはずです。
バーバラ

それなのに、である。
男は、次々と、女を変えてゆく。
本当は、自分を変えなければいけないのに、相手を変えて、新しいセックスをと、勘違いする。

一人の女を、愛しつくせない者が、どうして、本当のセックスを知るだろうか、というのが、私の考えである。

女に飽きたという、男の話を、聞くたびに、私は、心の中で、笑った。
それは、自分のセックステクニックの未熟さを、披露しているようなものなのである。

要するに、頭が悪いので、マンネリを打破できないのである。
つまり、頭の問題なのである。

A子と、B子を、比べて、締りがいいだの、大味だのと、言う男は、大抵、女に捨てられている。女に、追いかけられていると言う男の、女は、強迫性神経症だからである。

女は、いつでも、すぐに、ノイローゼになる、素質がある。
それが、女である。
それ程、情緒的だとも、言えるのである。

さて、男性がペニスを自分とは別の人格として扱う理由は、いくつも考えられるでしょう。最も一般的な理由に、自分のセックスがうまくいかなかったことを他人、つまりペニスのせいにして、責任を逃れたい、という思いがあります。無神経さや、いい加減さの責任逃れとして、これほど有効な手段はありません。
バーバラ

そして、
自分の肉体をうまくコントロールできないもどかしさをとりつくろうために、自分とペニスを切り離して考えようとする男性はもっと多いかもしれません。自分ではなく、ペニスに落ち度があったと思えば、セックスがうまくいかなくても、それほど落ち込まずにすむからです。
となる。

ペニスコントロールが出来ないという、男の、悲しさである。
そして、最悪、それを、ペニスのせいにするという、哀れさである。

何事も、程度を、超えると、悩みになる。
例えば、早漏、遅漏など。
共に、多くの悩みを聞いた。

神経過敏の、早漏、生まれ持った、遅漏である。
過敏症も、生まれつきのものが多いが、生育に関係がある。

私は、早漏の男には、50を過ぎたら、治るけどねーーーと、話していたことを、思い出す。しかし、それでは、解決にならない。
早漏を、治すべくの苦労は、ご苦労様である。

夫の、早漏を、三年かかって、治したという、女は、その後、すぐに、夫が若い女に走ったと、聞いて、あーーーと、思った。

セックスに、自信がないから、あなたと、いたのにと。

今、一緒にいるのか、いられるのかは、人それぞれ。
治すのも、考え物である。
話が、外れてしまった。

自分で、自分を、変化、変容させることが、セックスの極意である。
そして、相手も、それによって、変化、変容させることである。

尽くし足りない私が、悪いとは、演歌の歌詞。
女は男に、セックスでは、尽くさない方がいい。

posted by 天山 at 00:00| 性について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヤンゴンへ 7

ヤンゴンのダウンタウンの比較的大きな通りでは、どこでも、路上で物売りがいる。
何から、何まで、売っている。
面白いのは、電話を掛けることの出来る店まである。
国際電話は、掛けられない。国内専用である。

私は、ほとんどを、路上の物売りから、買った。
特に、果物である。どれも、これも、美味しい。
コータは、すいかを食べて、当たったが、私は、全然平気だった。

また、路上での、屋台では、ほとんどの物が食べられる。
麺類は、様々な種類がある。
目の前で、それを、用意してくれる。
ただし、あまり、お勧めできないのは、実に、不衛生なのである。
しかし、それが、当たり前なので、何のことは無い。日本の衛生観念を、失うとよい。

ただし、注意は必要である。
様々な、細菌が溢れている。
今、最も、恐いのは、新型インフルエンザである。私は、予防用に、新しい薬を、持参していった。使用することは、なかったが、持っているだけで、安心した。
コータは、タミフルを、十錠、病院から貰ってきた。

二日目の夜の食事を、私たちは、近くの日本料理屋で、食べることにした。
意外なことに、日本料理の店が多いのである。

さて、どんなものかと、出掛けた。
名前は書かないでおく。

暖簾のかかる店である。
店内も日本風にしてある。

一つ一つの部屋の前にも、暖簾がかかっている。
その一つに、案内された。
従業員は、ビルマの人である。

やや不安定な、日本語であるが、対応も、日本語である。

メニューには、寿司をはじめ、多くの日本的料理がある。
だが、その値段は、高い。

料金を見て、私は、マーボー豆腐定食にした。コータは、鶏肉のソテー定食である。
日本料理屋に来た意味がないようだが、味付けは、日本的である。

支払いの時に、その額は、それ以上の額になった。
つまり、税金と、サービス料が、加算される。

一万チャット近くになった。
つまり、千円である。
ミャンマーでは、非常に高い料金だ。特に、私たちには、である。

女の店員に、尋ねた。
地元の人も、来ますか
はい、来ます
日本人も
日本人も、沢山来ます
と言う。

屋台で、食べると、その十分の一の価格であるから、どんなに、それが、高いのかが解る。

店を出て、ゆっくり歩いて、ホテルに戻る。
路上では、屋台が盛んである。

ある場所に来ると、人だかりである。
私たちも、足を止めた。
どうしたのかと、見ていた。

一人の、ジュース売りの、インド系のおばさんが、何やら、大声で、怒鳴っていた。
一旦、騒ぎが収まったようであるが、おばさんは、興奮が冷めないようである。

コータが、近くの、物売りの若い女に、英語で、声をかけた。
すると、向こうも、英語で、答える。
男同士の喧嘩があり、それを、おばさんが、止めに入ったと言う。

一人の男が、おばさんに、何か言った。すると、おばさんは、また怒鳴り声を上げた。すると、その男は、手錠をポケットから、取り出して、おばさんを、殴りかかりそうになった。と、一人の男が、それを、止めた。

驚いた。
手錠で、殴るという行為である。

私のビルマに対する、イメージが、変わった。
決して、穏やかで、優しい人たちではない。

この街の人々の表情を見ていると、いつも、一発触発なのである。
いつ、何が起きても、おかしくないほど、皆、苛立ちがあるように、見える。
何かに、苛立っているのである。

インド系と、中国系の人が多いが、ビルマ人も、大勢いるはずである。

ビルマというのは、ビルマ人の国ということである。
それが、軍事政権になり、ミャンマーと、国名を、変えた。
要するに、ビルマ人だけではなく、多くの民族がいるということだ。

未だに、赤カレン族たちは、反政府活動を繰り返して、武力闘争を、行っている、地域もある。

それは、以前は、色々な部族があったが、軍事政権が、武力で制圧したり、また、懐柔したりして、今は、一つのみ、残っている。

何かで、締め付けておかなければ、国民が、めちゃくちゃになるということも、有り得る国なのである。
それが、今は、軍である。だが、それをいいことに、独裁政権である。

アウナサン・スチーさんが、先頭に立ち、民主化を求めてから、15年が過ぎる。
民主化は、全く、可能性が立たない状態である。

ヤンゴンでは、第二の民主化運動を、求める声がある。

つまり、それは、アウンサン・スチーさんとは、別の動きである。

以下、私が、聞いた話である。

アウンサン・スチーさんを、支援していたが、彼女は、政権を批判し、すべて、政権に対して、否定する。歩みよりも無い。
政権は、実に悪いが、それでは、アウンサン・スチーさんが良いかといえば、それも、違う。

国民は、5年待った。しかし、何も変わらない。
そして、10年待った。それでも、何も変わらない。
今、15年を経た。それでも、何も変わらない。
もう、国民は、食べて行けない。

軍政府も悪いし、アウンサン・スチーさんも、期待出来ないのである。

共に、足りないものは、経済感覚である。
全く、両者は、経済というものを、理解していない。
今、世界は、経済によって、結ばれている。それに、参加出来ないでいる。
それが、問題である。

ちなみに、ミャンマー軍政を、後押ししているのは、中国である。

私の、実感として、ミャンマーは、果物などが、豊富である。それを、輸出して、外貨を稼ぐことが、考えられないのかと思う。

だが、軍政は、売春を、見て見ない振りをして、外貨を稼ぐ。

そこで、売春の実態を紹介する。
これは、タイで、出版されている、ある雑誌のからの、情報を元に書く。

私は、マッサージをしたいと思ったが、その大半が、ピンク系である。売春がついている。
真っ当なマッサージを受けるとしたら、高級ホテルに、併設されている、マッサージ店に行くべきなのである。しかし、それは、価格が高い。
だが、恐るべきは、そんなホテルでも、売春が、軽々と出来るシステムがある。


posted by 天山 at 00:00| ヤンゴンへ 平成21年3月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月08日

性について 58

ペニス革命の鍵は、PC筋である。

セックスはわけのわからない謎でもなければ、恐れを抱く対象でもありません。性機能は、呼吸や睡眠と同じ、生理的作用です・・・違うのは、はかり知れない快感をともなう、という点だけです。他の生理的作用と同じように、性行動は医学的に理解することも、向上させることも可能です。
バーバラ

ペニスの機能を左右する重大な筋肉がある。
その前に、ペニスは、筋肉ではない。
もし、筋肉であるならば、問題は、もっと早く解決する。

ピューボコクシギウス pubocoygeusという、筋肉である。
略して、PC筋という。

恥骨から尾骨にいたる、筋肉群である。

PC筋は、膀胱から尿道への尿の流れを止める筋肉であり、射精の時に、収縮して、精液を、放出させる、筋肉である。

日本名で、言う、肛門括約筋にも、連動している。

PC筋は、小さな筋肉のグループであり、大部分の男達のPC筋は、ほとんど活用されていないと、判断する。
それを、変化させることで、男の、マルチプル・オーガズムを手に入れようとする、指導を、バーバラは、行う。

さて、このPC筋であるが、例えば、スポーツや、舞踊などをする者たちは、無意識的に、活用している。
下半身に力を入れる時などに、無意識的に、力を入れているはずである。

スポーツをする者が、セックスも、強いというのは、そういうことからも、言える。

私が、健康のために、空手の道場に通っていた時期がある。
本当に、健康のためで、空手をしようとしたのではない。
そこでは、練習の前に、40分ほど、基本的な運動をする。
私は、それだけで疲れてしまったが、その後で、空手の基本形を学ぶ。その時である。私は、舞踊をしていたので、その型に、非常に興味を持った。

その、型を学んでいる時に、下半身に力が入り、更に、後で解るが、PC筋群を利用していたのである。

週一の、空手の練習の日は、終わると、ぐったりと、疲れて、一時間ほど、寝ること多々あり、更に、非常に強い、性的欲求を覚えた。

何故かと、それを、考えた時、PC筋を自然に鍛えていて、その刺激によって、勃起が、促されるということを、知ったのである。

空手の練習は、激しいものだが、舞踊の時も、それを、無意識に、使用していのである。

さて、バーバラが言う、マルチプル・オーガズムというものは、何度も、射精感覚を得るというものである。

つまり、一度の射精で、はい、終わりという、セックスではなく、男も、何度も高みに上るという、訓練なのである。
それは、相手、つまり、恋人にとっても、長く、セックスを楽しめる、そして、何度も、オーガズムを迎えることが、出来るという、理想の、セックスなのである。

PC筋は、ペニス革命の鍵です。強いPC筋こそ、新たな悦びに満ちた世界へのパスポートなのです。
バーバラ

更に、朗報なのは、年齢に関係ないということである。
幾つの人でも、鍛えられるのである。

また、更に、それにより、体を若く保つことができるのである。

どんなものであれ、筋肉強化のエクササイズは健康増進に役立ち、それは自信回復にもつながります。当然のことながら、自分を愛する気持もわいてくるでしょう。
ペニスも同じです。PC筋はごく単純な筋肉群ですから、他の筋肉と同じように反応します。鍛えることができるのです。
バーバラ

これから、それを紹介するが、彼女が、上げるその訓練の、具体例などは、書いていられないので、訓練法のみを、紹介する。

ただし、ここで、もう一つの、情報は、不能治療についてである。
PC筋を、鍛えることにより、インポテンツの解決をみるが、別な方法もあるということ。

矢張り、PC筋を、鍛えるというのは、少しの時間を要する。
そこで、機能的、生理的作用による、不能の人は、まず、ED治療を行う、医師の指示を受けることである。

全国には、不能から、中折れの悩みを抱える男達が、1130万人いると、いわれる。

そこで、薬物による、治療法が、行われる。
単なる、投薬治療なのであるが、朗報である。

雑誌や、通販の、よく解らない、精力増強などという、薬もどきに、頼らずに、医師に相談することである。

只今、日本では、医師の処方により、三種類の薬が、出されている。

バイアグラは、有名である。
効果が出るまでの時間は、およそ、30分から、一時間。
そして、作用時間は、4時間。服用後に、薬の効果が、最も高くなるのは、約一時間である。
初めて、ED治療をする人にお勧めである。
ただし、服用前後に、食べた物に影響を受けるので、医師に尋ねるべきである。

レビトラという、薬は、効果が出るまで、10分から25分と、早い。
作用時間は、8時間である。
最も効果が高くなるのは、約0,75時間。
これは、服用して、効果が出るのが、早く、副作用が少ない。
バイアグラを使用しても、効果の無い人にも、効果あり。

シリアスという、薬は、効果が出るまで、1時間前後。
作用時間は、何と、36時間である。
薬の効果が最も高く出るのは、3時間。
作用時間が、最も長く、副作用も少ない。
食事の影響も、受けない。

これらの、薬は、健康保険が適用されていないので、バイアグラは、25ミリグラム、一錠が、1300円。レビトラは、10ミリグラム、一錠が、1500円。シリアスは、10ミリグラム一錠が、1800円である。

値段が高いのは、信用していい、証拠である。

ED治療薬として、流通している、五割は、偽造品である。
気休めの、薬として、考えていると、よい。
どこにでも、悪徳業者というものがいる。

これらの、薬は、性行為の前に飲むだけでよい。
毎日、一定量を飲む必要はない。

次回から、PC筋を、鍛える、エクササイズを、紹介する。

posted by 天山 at 00:00| 性について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。