2009年03月15日

もののあわれについて。505

物どもしなじなにかづけて、霧の絶え間に立ちまじりたるも、前裁の花に見えまがひたる色あひなどことにめでたし。近衛づかさの名高き舎人、物の節どもなどさぶらふに、さうざうしければ、「その駒」など乱れ遊びて、ぬぎかけ給ふ色々、秋の錦を風の吹きおほふかと見ゆ。
ののしりて帰らせ給ふひびき、大井には物隔てて聞きて、なごり寂しうながめ給ふ。「御消息をだにせで」と段人も御心にかかれり。





色々な、品物を、いただき、霧の絶え間に、見え隠れして、退出するのも、前裁の花かと、見違えるほど美しい色合いなど、素晴らしいのである。
かづけて、とは、左肩に、掛けていう意味。頂いた品物を、左肩に掛けて、退出するのである。
近衛府の、有名な舎人や、歌の上手な者などが、お供しているので、物足りなく思い、その駒、などを歌いはやして、お召しになる、着物を、次々と、お与えになる、その色は、紅葉を、風が一面に吹き散らすように、見える。
賑やかに、お帰りになるのを、大井では、遠く隔てて、聞いて、お立ちになった後で、いっそう、寂しい気持ちがして、沈み込むのである。
お手紙も、出さないでと、源氏も、気がかりに思う。




殿におはして、とばかりうち休み給ふ。山里の御物語など聞え給ふ。源氏「いとま聞えしほど過ぎつれば、いと苦しうこそ。このすきものどもの尋ね来て、いといたう強ひとどめしにひかされて、けさは、いとなやまし」とて、大殿籠れり。




二条院に、帰られて、しばらく、休息される。紫の上に、山里のお話をされる。
お約束の日が、過ぎてしまった。申し訳ない。あの、物好きな連中が、探し当て、無理に引き止めるものだから。今朝は、疲れた、と、お休みになられる。




例の心とけず見え給へど、見知らぬやうにて、源氏「なずらひならぬ程を、思しくらぶるも、わるきわざなめり。われはわれと思ひなし給へ」と、教え聞え給ふ。




紫の上は、いつものように、不機嫌の様子。それに気づかない振りをして、源氏は、比較にもならない人を、相手にして、考えるのは、よくないこと。自分は、自分と思っていることです、と、教える。




暮れかかる程に、内へ参り給ふに、ひきそばめて急ぎ書き給ふは、かしこへなめり。そばめこまやかに見ゆ。うちささめきて遣すを、御達など憎み聞ゆ。




夕暮れに、参内される時、横向きで、急いで、お書きになるのは、あちらえなのだろう。横から見ると、丁寧に、書いている。小声で、お使いを命じる。女房たちは、それを見て、憎らしく思うのである。




その夜は内にもさぶらひ給ふべけれど、解けざりつる御気色とりに、夜ふけぬれどまかでたまひぬ。ありつる御返事もて参れり。え引き隠し給はで御覧ず。ことに憎かるべき節も見えねば、源氏「これ破り隠し給へ。むつかしや。かかるものの散らむも、今はつきない程になりにけり」とて、御脇息に寄り居給ひて、御心のうちには、いとあはれに恋しう思しやるられば、灯をうちながめて、ことに物も宣はず。




その夜は、御所に、泊まられるはずだが、機嫌を直そうと、夜が更けていたが、退出された。先ほどの、返事を持って来た。隠すことも出来ず、ご覧になる。特に、機嫌を損じる箇所もなく、源氏は、これを、破って捨ててください。嫌なことです。こんなものがあっては、不釣合いな年になってしまいました。と、脇息に寄りかかって、いる。胸の中では、いとあはれに恋しう、思うのである。じっと、灯を見詰めて、何も言わない。





文は広ごりながらあれど、女君見給はぬやうなるを、源氏「せめて見隠し給ふ御まじりこそわづらはしけれ」とて、うた笑み給へる御愛敬、所せきまでこぼれぬべし。




手紙は、広げたままであるが、紫の上は、ご覧にならないようで、源氏が、見ない振りをする。まじりこそわづらはしけれ、その目が、煩わしいです。と、笑う。その愛敬が、一面に、広がり、こぼれるようである。




さし寄り給ひて、源氏「まことに、うらたげなるものを見しかば、契り浅くも見えぬを、さりとてもものめかさむ程もはばかり多かるに、思ひなむわづらひぬる。同じ心に思ひめぐらして、御心に思ひ定め給へ。いかがすべき。ここにてはぐくみ給ひてむや。ひるの子がよはひにもなりにけるを、罪なきさまなるも思ひ捨てがたうこそ。いはけなる下つかたも、紛らはさむなど思ふを、めざましちと思さずは、ひき結ひ給へかし」と聞え給ふ。




傍によって、源氏は、実は、可愛い姫を見ました。契りは、浅く思えないが、姫君扱いも、出来かねるので、困っています。私と同じ気持ちになって、決めてくださらないか。どうしたらいいのか。こちらで、育てて、下さらないだろうか。ひるの子、とは、三歳という、意味。三つになっている。罪なきさまも、幼い様子も、放っておけない。その感じの腰つきも、何とかしてやろうと、思うが、嫌でなければ、袴着をさせてください。と、仰る。

袴着とは、成長の祝いの儀式である。




紫の上「思はずにのみとりなし給ふ御心の隔てを、せめて見知らずうらなくやはとてこそ。いはけなからむ御心には、いとようかなひぬべくなむ。いかにうつくしき程に」とて、すこしうち笑み給ひぬ。
ちごをわりなうらうたきものにし給ふ御心なれば、えて、いだきかしづかばやと思す。




紫の上は、思い掛けない考え方をされるのは、分け隔てされるから。それを、無理に、気づかない振りをして、打ち解けることもないかと、思いました。小さい方の、気持ちには、私は、きっと、ぴったりでしょうね。どんなに、可愛らしい年頃でしょう。と、微笑むのである。
子供を、とても、可愛がる方なので、引き取り、大事に育てたいと、思うのである。




「いかにせまし、迎えやせまし」と思し乱る。渡り給ふこといと難し。嵯峨野の御堂の念仏など持ち出でて、月に二度ばかりの御契りなめり。年のわたりには、立ちまさりぬべかめるを、及びなきことと思へども、なほいかが物思はしからぬ。




明石の御方は、どうしようか、迎えようかと、心が揺れる。大井へ行くことは、大変難しい。嵯峨野の御堂の、念仏の日など待ち、月に二度ほどの逢瀬であろう。年に、一度会うより、まだ、ましだうろか。これ以上の、望みは、無理だと、思うが、それでも、嘆かずにはいられない。

源氏物語、松風、を、終わる。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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