2009年03月12日

もののあわれについて。502

またの日は京へ帰らせ給ふべければ、少し大殿ごもり過ぐして、やがてこれより出で給ふべきを、桂の院に人々多く参り集ひて、ここにも殿上人あまた参りたり。御さうぞくなどし給ひて、源氏「いとはしたなきわざかな。かく見あらはさるべき隈にもあらぬを」とて、さわがしきに引かれて出で給ふ。





翌日は、京へお帰りになるご予定である。
少し、寝過ごして、そのままお帰りになる予定なのだが、桂の院に、人々が多く集まり、こちらにも、殿上人が、大勢伺うのである。
源氏は、装束などをつけて、本当に、きまりが悪い。簡単に、見つけられる場所ではないのに、と、言い、騒ぎに引かれて、お出でになる。




心苦しければ、さりげなくまぎらはして立ちとまり給へる戸口に、めのと、若君いだきてさし出でたり。あはれなる御けしきにかき撫で給ひて、源氏「見ではいと苦しかりぬべきこそいとうちつけなれ。いかがすべき。いと里遠しや」と宣へば、「遥かに思う給へ絶えたりつる年ごろよりも、今からの御もてなしのおぼつかなう侍らむは心づくしに」など聞ゆ。若君手をさし出でて、立ち給へるを慕ひ給へば、つい居給ひて、源氏「あやしう物思ひ絶えぬ身にこそありけれ。しばしにても苦しや。いづら。などもろともに出でては惜しみ給はぬ。さらばこそ人ごこちもせめ」と宣へば、うち笑ひて、女君に「かくなむ」と聞ゆ。




心苦しければ、とは、源氏である。
姫が可哀想で、何となく、立ち止まる戸口に、乳母が、姫君を抱いて、出て来た。
源氏は、可愛くてたまらない気持ちである。頭を撫でて、見ないでいるのは、とてもたまらないと、思うのは、全く、現金なもの。どうしたらいいのか。遠すぎる。と、仰ると、乳母は、明石で遠く、お慕いしていました。今までの年月よりも、これからの、先の、お扱いが、どんなものかと、心配で。などと、申し上げる。
姫君は、手を差し出して、源氏を慕う。源氏は、膝をついて、不思議に気苦労の絶えない、身の上だ。しばらく逢わないのは、辛い。御方に対して、どうしました。姫と、一緒に、出て来て、別れを惜しんでくださらないのか。そうあれば、気持ちも、穏やかになるのに、と、仰せられると、乳母が、笑い、女君に申し上げる。




なかなか物思ひ乱れて臥したれば、とみにしも動かれず。「あまり上衆めかし」と思したり。人々もかたはらいたがれば、しぶしぶにいざり出でて、凡帳にはた隠れたるかたはらめ、いみじうなまめいてよしあり。たをやぎたるけはひ、皇女たちといはむにも足りぬべし。





御方、つまり、明石は、とても、思い煩い、横になっているので、動くことも、出来ない。源氏は、貴婦人ぶっている、と、思うのである。
女房たちも、気をもみ、ざわざわとするので、御方は、しぶしぶと、いざり出て、凡帳に、半ば隠れている。その横顔が、素晴らしく美しい。気品があり、たをやぎたる、しなゆかな雰囲気は、皇女と、呼んでもいいほどである。





かたびら引きやりて、こまやかに語らひ給ふ。御前など、たちさわぎてやすらへば、出で給ふとて、とばかり顧み給へるに、さこそ静めつれ、見送り聞ゆ。




源氏は、帷子を引きのけて、こまやかに、お話になる。御前駆の者たちが、ざわついて、待っているので、出掛けようとして、ふっと、振り返る。あれほど、心を抑えていたが、見送りになる。




いはむかたなき盛りの御かたちなり。いたうそびやば給へりしが、少しなりあふ程になり給ひにける御姿など、かくてこそものものしかりけれと、御さしぬきの程までなきめかしう愛敬のこぼれ落つるぞ、あながちなる見なしなるべき。





源氏は、言いようもないほど、今が盛りの、容貌である。
明石では、とても、ほっそりとしていたが、少し太っている姿は、これこそ、貫禄があると、指貫の裾まで、美しさに溢れ、愛敬が、満ちていると、思うのは、あながちなる、贔屓目だろうか。




かの解けたりし蔵人もかへりなりにけり。ゆげひの丞にて、ことしかうぶり得てけり。昔にあらため心地よげにて、御はかし取りに寄り来たり。人影見つけて、丞「来しかたの物忘れし侍らねど、かしこければこそ。浦風おぼえ侍りつる暁の寝ざめにも驚かし聞えさすべきよすがだになくて」とけしきばむを、女房「八重たつ山は、さらに島がくれにも劣らざりけるを、松も昔のとたどられつるに、忘れぬ人もものし給ひけるに頼もし」など、あさましう覚ゆれど、丞「今ことさらに」とうちけざやぎて参りぬ。




あの、免官された、蔵人も、再び任ぜられている。
ゆげいの尉で、今年、従五位下に叙せられた。昔とは、違い、晴々とした風情で、御ハカシを取りに近くにやって来た。御簾の内に、女房の姿を見つけて、丞は、昔のことは、忘れていませんが、恐れ多いので、遠慮しました。明石の浦風を思い出した、今朝の寝覚めに、お便りする方法もなくて、と、意味ありげに言うと、女房が、雲が幾重もにも立つ、この山里は、全く、明石の浦に、劣らない景色ですが、松も昔のと、たどられつるに、昔話をする相手も、いないかと、頼りない気持ちでいました。忘れられない人もいらしたので、頼もしく思います、などと、言う。酷いものだと、思ったが、丞は、いずれ改めて、と、わざと、はっきりと、言って、御供に、参るのである。

女房の言葉は、古今集から、
ほのぼのと 明石の浦の 朝ぎりに 島がくれゆく 舟をしぞ思ふ

更に、
たれをかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに
から、取られている。

過ぎ去った頃のことを、思う。昔話をする、友もいないと、思っていたのに、忘れないでいた人もいるのね・・・である。
嫌味である。

それに対して、丞も、それでは、改めて・・・話しましょうか・・・ね、と、受けている。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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