2009年03月13日

もののあわれについて。503

いとよそほしくさし歩み給ふ程、う追払かしがましひひて、御車のしりに、頭の中将、兵衛の督のせ給ふ。源氏「いと軽々しき隠れが見あらはされぬるこそねたう」と、いたうからがり給ふ。中将など「よべの月に、くちをし御供に後れ侍りにけると思ひ給へられしかば、今朝は霧を分けて参り侍りつる。山の錦はまだしう侍りけり。野べの色こそ盛りに侍りけれ。なにがしの朝臣の、小鷹にかかづらひて立ちおくれ侍りぬる、いかがなりぬらむ」など言ふ。
源氏「今日はなほ桂殿に」とて、そなたざまにおはしましぬ。にはかなる御あるじし騒ぎて、鵜飼ども召したるに、あまのさへづり思ひ出でらる。





 
威厳を正して、歩む間、前駆が、大きな声で払いをする。車の末席には、頭の中将と、兵衛の督、かみ、を乗せる。
源氏は、こんな軽々しい隠れ家を、見つけられたとは、されぬるこそねたう、しゃくだ、と、酷く、嫌がり、辛く思う。
中将などは、昨夜の月のお供をしないで、残念に思っていましたので、今朝は、早くから、霧を分けて、やって参りました。山の紅葉は、まだのようですが、野原の秋草の色が、盛りでございます。何某朝臣は、小鷹狩りをいたしており、遅くなりますが、どうなりましたか、などと、言う。

源氏は、今日は、まだ桂の院にて、と、桂の方にいらした。急な、持成しに、大騒ぎして、鵜飼の者たちを、お召しになった。それらの、喋る声を聞いて、明石の浦の、海人たちの、声を思い出したのである。





野に泊まりたる君達、小鳥しるしばかりひきつけさせたる荻の枝など、つとにして参けり。おほみ酒あまた度ずん流れて、川のわたりあやふげなれば、酔ひにまぎれておはしまし暮らしつ。



鷹狩をして、野宿した若殿たちが、小鳥を、ほんの少しばかり、萩の枝につけて、みやげに持って参上した。盃が、何度も回り、川岸は、危ないゆえに、酔いにかこつけて、一日を過ごされた。




おのおの絶句など作りわたして、月はなやかにさし出づるほどに、おほみ遊びはじまりて、いと今めかし。ひきもの、琵琶、和琴ばかり、笛ども上手の限りして、折に合ひたる調子ふきたつるほど、川風吹き合せて面白きに、月高くさしあがり、よろづのこと澄める夜のややふくるほどに、殿上人四五人ばかり連れて参れり。




各自が、絶句などを作り、月が光を投げ掛ける頃に、管弦の遊びがはじまった。大そう、賑やかである。
管弦は、琵琶と和琴のみ。笛は、上手な人ばかりで、時候にふさわしい調子で、吹きたてる。川風も、音を合わせるように、面白くして、そこに、月が高く昇り、何もかも、澄み渡る夜の、やや更ける頃、殿上人が、四五人、連れ立って、参上した。





上に侍ひけるを、御あそびありけるついでに、主上「今日は六日の御物忌みあく日にて、必ず参り給ふべきを、いかなれば」と仰せられければ、ここにかう泊らせ給ひにけるよし聞し召して、御消息あるなりけり。御使ひは蔵人の弁なりけり。

主上
月のすむ 川のをちなる 里なれば かつらの影は のどけかるらむ

うらやましう」とあり。



主上の、御前にいたのであるが、管弦の遊びがはじまった時、主上が、今日は、六日間の物忌みが明ける日で、必ず大臣が参内されるはずだが、どうしてか、との、お言葉である。ここに、お泊りになっているのを、聞かれて、お手紙があったのだ。お使いは、蔵人の弁である。

主上
桂川の向こうの里であるから、月は、いつもそちらに、向いて、山の端に入ることなく、ゆっくりと、眺めることが、できる。

羨ましいことだ、とある。謹んで、お詫びを申し上げるのである。




かしこまり聞えさせ給ふ。上の御あそびよりも、なほ所がらのすごさ添へたる物の音をめでて、また酔ひ加はりぬ。
ここにはまうけの物もさぶらはざりければ、大井に、源氏「わざとならぬまうけのものや」と、言ひ遣したり。とりあへたるに従ひて参らせたり。きぬびつ二かけてあるを、御使ひの弁は疾くかへり参れば、女のさうぞくかづけ給ふ。




御前での、遊びより、こちらは、場所が場所だけに、身に沁みる音楽を賞して、更に、酒の酔いが加わる。ここには、お使いに上げる、品の準備がないので、大井に、源氏は、何か、大袈裟ではないものは無いか、と、お使いをやった。
有り合わせのものを、差し上げる。衣櫃二つであるが、お使いの弁は、すぐ宮中に参内するので、女の、装束を与えたのである。




源氏
久かたの 光に近き 名のみして あさゆふ霧も 晴れぬやまざと

行幸待ち聞え給ふ心ばへなるべし。



源氏
月の光が近く感じられますが、それは、名のみのことです。朝夕、霧も晴れない山里です。

行幸を、お待ちする、心境である。





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2009年03月14日

もののあわれについて。504

「なかに生ひたる」とうち誦じ給ふついでに、かの淡路島をおぼし出でて、みつねが「所がらか」とおぼめきけむ事など宣ひ出でたるに、ものあはれなる酔ひ泣きどもあるべし。

源氏
めぐりきて 手にとるばかり さやけきや 淡路の島の あはと見し月

頭の中将、
うき雲に しばしまがひし 月影の すみはつるよぞ のどけかるべき

左大弁、すこしおとなびて、故院の御時にも、むつまじう仕うまつり慣れし人なりけり。

雲の上 すみかをすてて 夜半の月 いづれの谷に かげかくしけむ

心心にあまたあめれど、うるさくてなむ。





なかにおいたる、と、口ずさむとき、あの淡路の島を、思い出し、みつね、人の名、が、所がらか、と、不審したことなどを、話し出すので、ものあはれなる酔ひ、しりみりとし、酔い泣きする人もいるだろう。
ものあはれ、なる、酔い、とは、しとやかなる、酔いとでも、言う。

心境を、あはれ、と、使用するのである。
だが、あはれ、とは、すべて、心境である。心象風景のあるものである。

源氏
都に戻り、手に取るばかりの、清らかに見える月は、あの、淡路島で、遠く眺めた月であろうか。

頭の中将
浮雲に、しばし、見えにくくなっていた月が、今は、澄み切って、今後は、平和なことであろう。

左大弁は、少し年をとっていて、桐壺院の御世にも、親しく仕えていた人である。
雲の上の、住処を捨てて、まだ先の長い月は、どこの谷に、光を隠したのか。

思い思いに、歌を詠んだが、うるさくてなむ、面倒だから、書きませんと、作者は、言う。




け近ううち静まりたる御物語、すこしうちみだれて、千年も見聞かまほしき御有様なれば、斧の柄も朽ちぬべけれど、「今日さへは」とて、いそぎ帰り給ふ。



親しみ深く、静かなるお話しは、少々くつろいで、千年も、見ていたい、聴いていたいと、思う姿である。幾らなんでも、今日までは、と、急いで、お帰りになる。


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2009年03月15日

もののあわれについて。505

物どもしなじなにかづけて、霧の絶え間に立ちまじりたるも、前裁の花に見えまがひたる色あひなどことにめでたし。近衛づかさの名高き舎人、物の節どもなどさぶらふに、さうざうしければ、「その駒」など乱れ遊びて、ぬぎかけ給ふ色々、秋の錦を風の吹きおほふかと見ゆ。
ののしりて帰らせ給ふひびき、大井には物隔てて聞きて、なごり寂しうながめ給ふ。「御消息をだにせで」と段人も御心にかかれり。





色々な、品物を、いただき、霧の絶え間に、見え隠れして、退出するのも、前裁の花かと、見違えるほど美しい色合いなど、素晴らしいのである。
かづけて、とは、左肩に、掛けていう意味。頂いた品物を、左肩に掛けて、退出するのである。
近衛府の、有名な舎人や、歌の上手な者などが、お供しているので、物足りなく思い、その駒、などを歌いはやして、お召しになる、着物を、次々と、お与えになる、その色は、紅葉を、風が一面に吹き散らすように、見える。
賑やかに、お帰りになるのを、大井では、遠く隔てて、聞いて、お立ちになった後で、いっそう、寂しい気持ちがして、沈み込むのである。
お手紙も、出さないでと、源氏も、気がかりに思う。




殿におはして、とばかりうち休み給ふ。山里の御物語など聞え給ふ。源氏「いとま聞えしほど過ぎつれば、いと苦しうこそ。このすきものどもの尋ね来て、いといたう強ひとどめしにひかされて、けさは、いとなやまし」とて、大殿籠れり。




二条院に、帰られて、しばらく、休息される。紫の上に、山里のお話をされる。
お約束の日が、過ぎてしまった。申し訳ない。あの、物好きな連中が、探し当て、無理に引き止めるものだから。今朝は、疲れた、と、お休みになられる。




例の心とけず見え給へど、見知らぬやうにて、源氏「なずらひならぬ程を、思しくらぶるも、わるきわざなめり。われはわれと思ひなし給へ」と、教え聞え給ふ。




紫の上は、いつものように、不機嫌の様子。それに気づかない振りをして、源氏は、比較にもならない人を、相手にして、考えるのは、よくないこと。自分は、自分と思っていることです、と、教える。




暮れかかる程に、内へ参り給ふに、ひきそばめて急ぎ書き給ふは、かしこへなめり。そばめこまやかに見ゆ。うちささめきて遣すを、御達など憎み聞ゆ。




夕暮れに、参内される時、横向きで、急いで、お書きになるのは、あちらえなのだろう。横から見ると、丁寧に、書いている。小声で、お使いを命じる。女房たちは、それを見て、憎らしく思うのである。




その夜は内にもさぶらひ給ふべけれど、解けざりつる御気色とりに、夜ふけぬれどまかでたまひぬ。ありつる御返事もて参れり。え引き隠し給はで御覧ず。ことに憎かるべき節も見えねば、源氏「これ破り隠し給へ。むつかしや。かかるものの散らむも、今はつきない程になりにけり」とて、御脇息に寄り居給ひて、御心のうちには、いとあはれに恋しう思しやるられば、灯をうちながめて、ことに物も宣はず。




その夜は、御所に、泊まられるはずだが、機嫌を直そうと、夜が更けていたが、退出された。先ほどの、返事を持って来た。隠すことも出来ず、ご覧になる。特に、機嫌を損じる箇所もなく、源氏は、これを、破って捨ててください。嫌なことです。こんなものがあっては、不釣合いな年になってしまいました。と、脇息に寄りかかって、いる。胸の中では、いとあはれに恋しう、思うのである。じっと、灯を見詰めて、何も言わない。





文は広ごりながらあれど、女君見給はぬやうなるを、源氏「せめて見隠し給ふ御まじりこそわづらはしけれ」とて、うた笑み給へる御愛敬、所せきまでこぼれぬべし。




手紙は、広げたままであるが、紫の上は、ご覧にならないようで、源氏が、見ない振りをする。まじりこそわづらはしけれ、その目が、煩わしいです。と、笑う。その愛敬が、一面に、広がり、こぼれるようである。




さし寄り給ひて、源氏「まことに、うらたげなるものを見しかば、契り浅くも見えぬを、さりとてもものめかさむ程もはばかり多かるに、思ひなむわづらひぬる。同じ心に思ひめぐらして、御心に思ひ定め給へ。いかがすべき。ここにてはぐくみ給ひてむや。ひるの子がよはひにもなりにけるを、罪なきさまなるも思ひ捨てがたうこそ。いはけなる下つかたも、紛らはさむなど思ふを、めざましちと思さずは、ひき結ひ給へかし」と聞え給ふ。




傍によって、源氏は、実は、可愛い姫を見ました。契りは、浅く思えないが、姫君扱いも、出来かねるので、困っています。私と同じ気持ちになって、決めてくださらないか。どうしたらいいのか。こちらで、育てて、下さらないだろうか。ひるの子、とは、三歳という、意味。三つになっている。罪なきさまも、幼い様子も、放っておけない。その感じの腰つきも、何とかしてやろうと、思うが、嫌でなければ、袴着をさせてください。と、仰る。

袴着とは、成長の祝いの儀式である。




紫の上「思はずにのみとりなし給ふ御心の隔てを、せめて見知らずうらなくやはとてこそ。いはけなからむ御心には、いとようかなひぬべくなむ。いかにうつくしき程に」とて、すこしうち笑み給ひぬ。
ちごをわりなうらうたきものにし給ふ御心なれば、えて、いだきかしづかばやと思す。




紫の上は、思い掛けない考え方をされるのは、分け隔てされるから。それを、無理に、気づかない振りをして、打ち解けることもないかと、思いました。小さい方の、気持ちには、私は、きっと、ぴったりでしょうね。どんなに、可愛らしい年頃でしょう。と、微笑むのである。
子供を、とても、可愛がる方なので、引き取り、大事に育てたいと、思うのである。




「いかにせまし、迎えやせまし」と思し乱る。渡り給ふこといと難し。嵯峨野の御堂の念仏など持ち出でて、月に二度ばかりの御契りなめり。年のわたりには、立ちまさりぬべかめるを、及びなきことと思へども、なほいかが物思はしからぬ。




明石の御方は、どうしようか、迎えようかと、心が揺れる。大井へ行くことは、大変難しい。嵯峨野の御堂の、念仏の日など待ち、月に二度ほどの逢瀬であろう。年に、一度会うより、まだ、ましだうろか。これ以上の、望みは、無理だと、思うが、それでも、嘆かずにはいられない。

源氏物語、松風、を、終わる。


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