2009年02月01日

もののあわれ 402


大将、頭の弁の誦しつる事を思ふに、御心の鬼に、世の中わづらはしうおぼえ給ひて、かんの君にもおとづれ聞え給はで、久しうなりにけり。初しぐれいつしかとけきだつに、いかがおぼしけむ、かれより、

尚侍
木枯の 吹くにつけつつ 待ちし間に おぼつかなさの 頃もへにけり

と聞え給へり。




大将、つまり、源氏は、頭の弁の、口ずさんでいたことを、考えると、心がとがめて、世の中が、煩わしく思えて、かんの君にも、便りすることなく、幾日も、過ぎてしまった。

尚侍
木枯らしの、吹くたびに、お便りを運んでくると、待っている間に、待ち遠しさに、耐えられなくなりました。
と、書いて、よこした。




折もあはれに、あながちに忍び書き給ひつらむ御心ばへも、憎からねば、御使いとどめさせて、からの紙ども入れさせ給へるみ厨子、開けさせ給ひて、なべてならぬをえり出でつつ、筆なども、心ことに引きつくろひ給へるけしきえんなるを、おまへなる人々、「誰ばかりならむ」とつきじろふ。源氏「きこえさせてもかひなきもの懲りにこそ、むげにくづほれにけれ。身のみ物憂き程に、

あひ見ずて 忍ぶる頃の 涙をも なべての空の しぐれとや見る

心の通ふならば、いかにながめの空も、物忘れし侍らむ」などこまやかになりけり。かうやうに、おどろかし聞ゆるたぐひ、多かめれど、なさけなからずうち返りごち給ひて、御心には深うしまざるべし。





時期も時期だけに、無理に、人目を忍んで書いたことであろうと、いじらしく思い、使いを待たせて、唐の紙を置いてある、御厨子を開けて、上等なものを、あれこれと、選び出して、筆なども、特に心を配って、整える様子は、恋する人と、見えるようである。周囲にいる人々は、どんなお相手なのかと、ひそひそと、話している。

源氏は、お便りしても、その甲斐のなさに、気が滅入りました。我が身が、辛くなるばかりに、思えるこの頃です。

お会いせずに、我慢している、私の涙です。それを、単なる、時雨だと、お思いですか。
こころの通う仲ならば、どれほど続く、時雨の、せつなさも、忘れることができるでしょう。などと、非常に、細やかに、書き付ける。

このように、君の心を、動かそうとかる、お方も多いようだが、ほどよく返事をされて、心の中にまでは、入らないのである。




中宮は、院の御はての事にうち続き、御八講のいそぎを、さまざまに心使ひせさせ給ひけり。霜月のついたち頃、御国忌なるに、雪いたう降りたり。大将殿より宮に聞え給ふ。

源氏
別れにし 今日はくれども 見し人に ゆきあふほどを いつとたのまむ

いづこにも、今日はもの悲しう思さるるほどにて、御返りあり。

藤壺
ながらふる ほどは憂けれど ゆきめぐり 今日はその世に あふ心地して

ことにつくろひてもあらぬ御書きざまなれど、あてにけだかきは、思ひなしなるべし。筋かはり、今めかしうはあらねど、人にはことに書かせ給へり。今日は、この御事も思ひけちて、あはれなる雪のしづくに、濡れ濡れ行ひ給ふ。




中宮は、院の、一周忌の法事に続いて、御八講の準備を、あれこれと、心配なさる。
十一月のはじめ頃に、御国忌の日に、雪が沢山降った。
大将から、中宮に、お便りを差し上げる。

源氏
院に、お別れした日が巡ってきました。
亡き人に、また、お会いすることができると、あてにすることが、できるでしょうか。

どちらも、今日は、悲しい思いをされている折、返事がある。

藤壺
生き長らえてきた、月日は辛いものでした。再び、今は昔の、あの時に、返ったようです。

特に、
注意して、書かれたわけではないが、品良く、気高く見えるのは、気のせいか。
変わった、筆の文字である。今の風情ではないが、誰よりも、上品である。
今日は、この宮のことも、強いて忘れて、心にしみる雪のしずくに濡れながら、お勤めをされる。

あはれなる雪のしづくに、濡れ濡れ行ひ給ふ
あはれ なる 雪のしづくに 濡れ濡れ 
濡れ濡れと、二度繰り返すのは、強調である。何を強調するのかといえば、あはれ、である。
あはれなる、雪の雫に、濡れて。
あえて、雪の雫に、濡れるのである。そして、あはれ、というものを、感じる。

その、雪の雫が、心に沁みるものなのである。
それを、あはれ、というのである。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第9弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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