山から、持ち帰った、紅葉を、庭のものと比べて、ご覧になる。
特に、鮮やかに染めた、露の心やりも、捨てがたい。
ここのところの、無沙汰も、人目に立つほどだと、特に意味の無い贈り物として、藤壺の宮に、差し上げる。
命婦のもとに、参内されたことを、珍しい事と、思い、お二人のことが、気になっていたので、心落ち着かず、案じていながら、仏の勤めをしようと、思い立ちました。その予定の、日にちを、勤め上げないのは、どうかと思い、ご無沙汰していました。紅葉は、一人で見るのは、夜の錦と、思いますので、よい折に、ご覧に入れてくださいと、申し渡す。
ことに染めましける 露の心も見過ぐし難う
露により、紅葉の染めが、見事だという、実に、驚嘆する感性である。
その、露の心やりも、見事だというのである。
そして、
一人見侍る錦暗う思ひ給ふればなむ
一人で見るのは、夜の錦という。これは、古今集の
見る人も なくて散りぬる 奥山の 紅葉は夜の 錦なりけり
から、きている。
見る人もいない、山奥の紅葉は、まさに、夜の錦のようである、という、感性である。
げにいみじき枝どもなれば、御目とまるに、例の、いささかなるものありけり。人々見奉るに、御顔の色も移ろひて、「なほかかる心の、絶え給はぬこそいとうとましけれ。あたら思ひやり深うものし給ふ人の、ゆくりなく、かうやうなる事折々まぜ給ふを、人もあやしと見るらむかし」と心づきなく思されて、瓶にささせて、ひさしの柱のもとにおしやらせ給ひつ。
言葉通り、皆、美しい枝である。
宮の目にとまると、例の如く、小さな紙が、つけてある。
人々も、拝見しているので、顔の色も変わり、まだ、このうよな心が、なくならないのは、嫌なことだ。折角、思慮深くしている方が、また、こんなことを時々すると、誰もが、変だと、思うだろうと、嫌な気分になる。そして、その枝を、瓶にささせて、庇の間の柱に置くようにと、命じた。
藤壺は、人の目を、気にしているのだ。
おほ方の事ども、宮の御事にふれたる事などをば、うち頼めるさまに、すくよかなる御返りばかり聞え給へるを、「さも心賢こく、つきせずも」と、恨めしう見給へど、何事も、うしろみ聞えならひ給ひにたれば、「人あやしと見とがめもこそすれ」と思して、まかで給ふべき日、参り給へり。
普通の用事や、東宮に関係することなどは、頼りにしているように、他人行儀な返事を、藤壺が、源氏に寄越すのを、こんな上手に、あいも変わらずと、恨めしく思い、ご覧になる。何事も、お世話を申し上げてされてきたことも、誰かが、変だと、思ったりはしないかと、心穏やかではない。それで、藤壺が、退出される日に、源氏が、参内した。
藤壺は、我が子が、源氏の子であるということを、ひたすら、隠すために、心労している。
極力、人が、変だと、思うことのないようにと、細心の注意を払うのである。
それは、また、我が子のためでも、ある。
だが、源氏との、やり取りは、ぎくしゃくしている。
まづ、うちの御方に参れ給へれば、のどやかにおはしますほどにて、昔いまの御物語り聞え給ふ。御かたちも、院にいとよう似奉り給ひて、いま少しなまめかしきけ添ひて、なつかしう、なごやかにぞおはします。かたみにあはれと見奉り給ふ。
まず、主上の御前に参上すると、お暇なときであり、昔や今の、お話をされる。
顔立ちも、院によく似ている。
院にいとよう似奉り給ひて、とは、尊敬語である。訳すときは、院によく似て遊ばされ、などと、なる。
更に、院よりも、少し美しいところが、加わり、やさしく、穏やかであると、ある。
互いに、愛情を込めて、顔を見合うのである。
尚侍の君の御事も、なほ絶えぬさまに聞しめし、けしき御覧ずる折もあれど「何かは、今始めたることならばこそあらめ。ありそめにける事なれば、さも心かはさむに似げなかるまじき人のあはひなりかし」とぞ思しなして、とがめさせ給はざりける。
かんの君のことも、まだ仲の絶えていないように、聞いて、ご自身も、そんな素振りを見ることもあるが、いやいや、今はじまったことではないし、前々から続いていたことであるから、心を通じ合ったとしても、不釣合いではない二人だと、思い、帝は、源氏を、咎めることもない。
よろづの御物語、文の道のおぼつかなくおぼさるる事どもなど、問はせ給ひて、また好き好きしき歌語りなども、かたみに聞えかはさせ給ふついでに、かの斎宮の下り給ひし日の事、かたちのをかしくおはせしなど、語らせ給ふに、われもうちとけて、野の宮りあはれなりしあけぼのも、みな聞え出で給ひてけり。
色々なお話、学問のことで、不審に思うことなど、あれこれと、お尋ねして、また、色事の、恋歌の噂なども、互いに話し合ううちに、あの斎宮の伊勢の、下りになった日のことや、その姿の可愛らしいことなど、お話する。
源氏も、打ち解けて、野の宮の、心に染み入る、夜明けのことも、すべて、お話した。
帝は、源氏の、兄である。
物語の主人公は、天皇の弟という、実に、身分の高い人物である。
何故、それを主人公としたのか。
平安期の、象徴である、貴族社会の、有様を、まさに、記録するようである。