2009年01月24日

もののあわれ 394

まねぶべきやうなく、聞え続け給へど、宮、いとこよなくもて離れ聞え給ひて、はてはては、御胸をいたうなやみ給へば、近うさぶらひつる命婦弁などぞ、あさましう見奉りあつかふ。男は、憂しつらしと、思ひ聞え給ふこと限りなきに、来しかた行く先かきくらす心地して、うつし心失せにければ、明けはてにけれど、出で給はずなりぬ。





ここには、伝えられないほど、言葉尽くして、かきくどかれたが、宮は、強く受け入れないのである。
しまいには、胸がひどく痛み、近くに控えていた、命婦や、弁などが、驚き、介抱する。
男は、つまり、源氏は、冷たい、つれないと思うこと、この上ない。過去も、未来も、真っ暗になったように思えた。
うつし心失せにければ、ものを考える力も無くなり、夜が明けたのでが、そのまま、そこに、留まるのである。

うつし心、とは、現実的な心の様である。



御なやみにおどろきて、人々近うまいりて、しげうまがへば、われにもあらで、塗籠に押入れられておはす。御衣ども隠し持たる人のここちども、いとむつかし。宮は、ものを「いとわびし」とおぼしけるに、御気あがりて、なほなやましうせさせ給ふ。





苦しみに、驚いた、女房たちが、傍近くに寄り、しきりに出入りする。
源氏は、いつの間にか、塗籠の中に、押し込められていた。
お召しものなどを、隠していた人々は、まことに、困ってしまった。
宮は、酷く辛いと、思い、逆上してしまい、更に、苦しそうにしている。





兵部卿の宮、太夫など参りて、「僧召せ」などさわぐを、大将いとわびしう聞きおはす。からうじて、暮れゆくほどにぞ、おこり給へる。かく籠り居給へらむとは思しもかけず。人々も、また御心まどはさじとて、人々「かくなむ」とも、申さぬなるべし。昼のおましに、いざり出でておはします。「よろしう思さるるなめり」とて、宮もまかで給ひなどして、おまへ人少なになりぬ。例も、け近くならせ給ふ人少なければ、ここかしこの物のうしろなどにぞ侍ふ。命婦の君などは、「いかにたばかりて、出だし奉らむ。今宵さへ、御けあがらせ給はむ、意図ほしう」などうちささめきあつかふ。





兵部卿の宮、太夫などが、駆けつけて、僧を呼べなどと、騒ぐのを、源氏は、とても、わびしく聞いている。
そして、やっと、暮れ近くに、出られたのである。
このように、潜んでいようとは、思わなかったのだが、女房たちも、重ねて、心を騒がせまいと、かくなぬ、とは、申し上げなかった。
藤壺は、昼の、御座所に、いざり出て、おいでになる。
楽になったことでもあり、兄宮も、退出され、御前は、人が少なくなった。
いつも、身近に、仕える人が少ないので、皆、ここかしこと、物陰に控えている。
命婦の君は、どうして、源氏を出したらよいのか。今晩も、逆上せられたら、お気の毒だと、囁きあうのである。




君は塗籠の戸の、細めにあきたるを、やをら押しあけて、御屏風のはざまに伝ひ入り給ひぬ。めづらしくうれしきにも、涙は落ちて、見奉り給ふ。




源氏は、塗籠の戸の細めに開いているのを、そっと、開けて、屏風の隙間に入ってゆく。
中宮、藤壺の姿が、珍しく、うれしくもあり、涙と、共に、見上げるのである。



藤壺「なほいと苦しうこそあれ。世や尽きぬらむ」とて、とのかたを見出だし給へるかたはらめ、言ひ知らずなまめかしう見ゆ。人々「御くだものをだに」とて、まいりすえたり。箱のふたなどにも、なつかしきさまにてあれど、見入れ給はず。世の中を、いたうおぼし悩めるけしきにて、のどかにながめ入り給へる、いみじうらうたげなり。かんざし、かしらつき、御ぐしのかかりたるさま、限りなきにほはしさなど、ただかの対の姫君に、たがふ所なし。年ごろ少し思ひ忘れ給へりつるを、「あさましきまでおぼえ給へるかな」と、見給ふままに、少し物思ひのはるけ所ある心地し給ふ。






藤壺は、まだ、とても、苦しい。死んでしまうのだろうかと、外に視線を向ける横顔が、言いようもないほど、美しい。
人々が、果物だけでも、と、御前に差し上げる。
箱の蓋などに、もってあるが、見向きもしない。
世の中を、悩む様子で、静かに、物思いに、耽る姿が、可愛らしい。
髪の具合、頭の形、髪の垂れ下がる様子や、この上にないほどの、肌の美しさ。
全く、対の姫君と、違わないのである。
源氏は、暫く忘れていたが、驚くほど似ていると、少し心の、晴れる思いがする。




け高う、恥づかしげなるさまなども、さらにこと人とも思ひ分き難きを、なほ限りなく、昔より思ひしめ聞えてし心の思ひなしにや、「さまことに、いみじうねびまさり給ひにけるかな」と、たぐひなくおぼえ給ふに、心まどひして、やをら御帳の内にかかづらひ入りて、御ぞのつま引きならし給ふ。けはひしるく、さと匂ひたるに、あさましうむくつけう思されて、やがてひれ伏し給へり。「見だに向き給へかし」と心やましうつらうて、引き寄せ給へるに、御ぞをすべし置きて、いざりのき給ふに、心にもあらず、御ぐしの取り添へられたりければ、いと心憂く、宿世のほど思し知られて、「いみじ」とおぼしたり。



気高く、気後れするところもあり、とても、別人とは、思えない。だが、この上なく、昔から、深く慕っていた気持ちゆえに、何かが違っている。実に、立派になられたと、思う。比べられる人などないという、気持ちであり、心乱れて、御張台の内に、滑り込み、着物の褄を、引き動かすのである。
誰のものと、はっきり解るほど、衣の香りがする。
藤壺は、思いもかけず、また、恐ろしくなり、そのまま、うつ伏せになった。
せめて、お顔をと、腹も立ち、情けなくもあって、引き寄せると、上の、お召し物を脱ぎ捨てて、いざりながら、逃れるのである。
君は、そのつもりがなかったが、髪が、着物と共に、手に残ったので、何ともいやな気分で、宿世のことも、心に浮かび、こんなことは、たまらないと、思ったのである。

何とも、とんでもない、濡れ場である。
逃れる藤壺と、追う、源氏である。
この時ばかりは、源氏も、手も足も、出せないでいる。

好色の行為とはいえ、ここまで、描くという試みである。

藤壺は、源氏の子を宿し、深く傷ついている。
更に、源氏もまた、深く、後悔しているのだが、人間の、どうしようもない性というものを、描き切るのである。

様々な、研究家の、分析はあるが、物語として、面白いか、面白くないかが、決め手である。
色々な角度から、物語を、眺めることが、出来る。しかし、私は、もののあはれ、という、心象風景に、焦点を当てている。

多くの評論活動、書評というものも、創作活動であるということが、解る。
そして、それには、答えというものが無い。

私は、答えを明示して、これを、書いている。
全く、物語の、捉え方が違う。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第9弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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