2009年01月04日

神仏は妄想である 193

私は、インドにおける、身分制度、カースト制について、現在でも、機能していることに、実に不可解な思いである。

その、カースト制が、いつ頃に、確定したのか。おぼろげに、そのような身分というものが存在しても、時代の趨勢により、消滅し、人間平等のうちに立つのであるが、インドでは、未だに、それが、健全として、機能しているという、驚きである。

男と女とは、区別であり、差別ではないが、人間を差別するという、思想的基盤というもの、どこにあるのか。

それが、確定し、明確に機能し始めたのは、クシャーナ帝国時代であると、いえる。

朧なものが、より明確にされた。

クシャーナ族は、月氏族の一つである。
西暦25年頃、クシャーナ族の族長である、クジューラ・カドフィセースが、月氏の四つの部族を支配し、60年頃より、西北インドを攻略した。

その子の、ウェーマ・カドフィセースは、その帝国を拡大し、その後、カニシカ王が、インドに侵攻して、北インド全体を支配し、更に、中央アジア、イランまでに、及んだ。
アショーカ王以来の、大帝国が、出現した。
それは、三世紀半ばまで、続く。

帝国は、領土が、広大であったのみならず、シナ・ローマとも、政治、経済、文化的交渉があり、西北地方に、ギリシャ文化の影響を受けていたことから、東西の文化を包括し、融合させ、種々の文化的要素を併合した。

例えば、ギリシャ、ローマの天文学の影響から、インド古来の天文学が、変化し、新たな、天文学が起こる。
芸術では、ガンダーラ地方に、ギリシャ彫刻の影響を受けた、仏教美術が、起こる。

それが、土着するにつれて、インド古来の習慣、風俗に同化してゆくのである。

更に、クシャーナ諸王は、種々の宗教を認めていた。
ただし、クシャーナ王朝では、王が神的称号を用いていたということが、特徴である。

そして、社会変動に応じて、氏族制度の、秩序の儀準となっていた、律法経典、ダルマ・スートラが、拡大改編されて、マヌ法典として、大法典が、作成された。

ここに、カースト制の、根拠が、明確に示された。
バラモンが、最高位である。
そして、王族、庶民、最下層のシュードラである。
それぞれの、具体的な、道徳も、定められた。

最も、特徴的なことは、女性の地位である。
以前の、インドよりも、低下したのである。

それぞれの、カーストの女性は、男に、従属するものとして、扱われた。

更に、従来の、法典では、国は、国王のものであるという意識があったが、国家は、国王とは、別物として、解釈された。
しかし、王は、今まで以上に、権威ある者、神の代理者としての、地位を持つことになる。

バラモン教による、国王は、国王としての務め、王法というものが、ある。
専制君主の、神聖化、神秘化である。

勿論、最高位の、バラモンの策略である。

上記の、身分制度が、現在まで、行き続けているのである。

さて、カニシカ王は、仏教に帰依したといわれるが、クシャーナ王朝は、一つの宗教として、認めていただけである。

また、南方の諸王朝は、仏教に帰依し、保護したが、公には、バラモン教を奉じていた。

ただし、バラモン教と、並ぶ勢力は、あった。

当時の、仏教は、上座部仏教である。
大衆部系もあったが、いずれも、保守系、伝統仏教である。
いわゆる、小乗系である。

そして、仏教に対する、寄進は、多かった。
寺院には、広大な土地や、莫大な金銭が寄進され、土地から得る金銭の半額は、寺院のものとなり、現金は、組合制の中に組み込まれて、それらは、貸付され、利息を得ていた。

個人として、莫大な財産を所有する比丘も、現れた。
つまり、釈迦仏陀の、教えた、仏教というものの、堕落である。

衣一枚のみという、質素な生き方ではない。
莫大な財産を持ち、彼らは、教義と、経典の、制作に取り掛かるのである。

保守系仏教各派の比丘は、その社会基盤を得て、安穏とした生活を送ることになる。そして、議論の議論を、積み上げてゆくことになる。

最も、巨大な、集団である、説一切有部では、多数の、アビダルマ論書が制作された。

それらの、書籍は、省略する。

さて、北方、西方インドでは、サンスクリット語の、使用が盛んになる。
サンスクリット語の、仏教詩人も、現れる。

しかし、一般仏教徒は、依然として、俗語を使用していた。

更に、この時代の仏教の特徴は、大乗仏教の、宗教運動である。
小乗仏教という言葉は、大乗の者達が、蔑称として用いた言葉である。

保守系仏教、つまり、歴史的ゴータマの直接の教えに従う経典を、用いて、伝統的教理を忠実に、保存していたが、大乗仏教は、新たな経典を、創作したのである。

そこでは、ゴータマは、歴史的人物ではなく、理想的存在、超越的存在として、表されている。

この、大乗仏教運動は、最初は、民衆の間から、起こったものである。
信仰の純粋で、清きことを、誇りとし、寄進などの財産などは、持たない。

この時期から、経典の読誦を、最も、尊い行為、功徳のあるものとしたのである。
経典の、読経は、ここからはじまる。

そして、大乗の信徒は、小乗の、世俗を離れて、莫大な財産に依存し、瞑想、坐禅、煩雑な教理研究に没頭する、彼らを、激しく、攻撃することから、歩みを始めたのである。

要するに、分裂である。

巨大宗団は、分裂する。
では、バラモンは、何故、分裂しなかったのか。
それは、国家を、取り込んで、その最高地に存在したからである。

思想集団は、分裂を繰り返すのである。

次に、大乗仏教が、どのように、ゴータマの教えから、逸脱して行くのかを、見る。
インド思想史を、俯瞰することによって、大乗仏教の、成り立ちが、理解出来る。
膨大な、創作の、仏典を作る下地は、インド文化の、更に、物語文化の、故である。

仏教では、新興勢力であるが、インド文化からは、保守である。
要するに、インドの、思想体系に、準じたものである。

日本の、お馬鹿な、仏教愛好者が、大乗は、民衆運動だというが、何のことは無い。単に、インドの物語文化によって、生まれたものであり、それは、インドにのみ、通用する。

結果、インドの、大乗は、ヒンドゥーに飲み込まれて、久しい。




posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののあわれ 374

暮れはてぬれば、大殿油近く参らせ給ひて、さるべき限りの人々、おまへにて物語などせさせ給ふ。中納言の君といふは、年頃忍びおぼししかど、この御思ひの程は、なかなかさやうなる筋にもかけ給はず。「あはれなる御心かな」と見奉る。



日が暮れ果てたので、灯を近くに灯し、それなりの女房たちを相手に、御前で、話をさせる。
中納言の君という者は、年来、こっそりと、寵愛したのだが、この喪服の間は、そんなことを、考えもしない。
あはれなる御心かな、優しい、心だと、思うのである。





大方にはなつかしううち語らひ給ひて、源氏「かう、この日頃、ありしよりけに、誰も誰も紛るる方なく見なれ見なれて、えしも常にかからずは、恋しからじや。いみじき事をばさるものにて、ただうち思ひめぐらすこそ堪え難きこと多かりけれ」と宣へば、いとどみな泣きて、人々「いふかひなき御事は、ただかきくらすここちし侍ればさるものにて、名残なきさまにあくがれはてさせ給はむ程、思ひ給ぬるこそ」と、聞えもやらず。「あはれ」と見渡し給ひて、源氏「名残なくは、心浅くも取りなし給ふかな。心長き人だにあらば、見はて給ひなむものを。命こそはかなけれ」とて、灯をうち眺め給へるまみのうち濡れ給へる程ぞめでたき。





色恋を離れて、優しく語りかけて、このように、幾日もの間、以前にも増して、誰にも誰にも、すっかりと、馴染んできたが、しょっちゅう、こんなようにして、居られないことになれば、恋しくてなるまい。あれが、死んだのは、仕方ないとして、ただ、今後のことを考えると、堪らない気がすることが、多い。と、おっしゃる。
すると、皆は、いっそう泣いて、言っても、詮無いこと。真っ暗な気持ちがしますので、申し上げいたしません。
すっかりと、見限り、どこかへ行ってしまわれると、考えますと、と、それから、後は、言葉が出ない。
心を打たれて、一同を、見回し、源氏は、見限るなどとは、どうして、出来ようぞ。薄情と、思うのか。気の長い人なら、いつか、分かるだろうが。しかし、命は、あてにならない。と、燈火を眺めて、涙を浮かべるのである。
それが、素晴らしく見えるのである。





取りわきてらうたく給ひし小さき童の、親どもなくいと心細げに思へる、ことわりに見給ひて、源氏「あてきは、今は我をこそは思ふべき人なめれ」と宣へば、いみじう泣く。ほどなきあこめ、人よりは黒う染めて、黒きかざみ、かんぞうの袴など着たるも、をかしき姿なり。




姫が、格別に、可愛がっていた、幼い童女が、両親もいず、大変心細く思っているのを見て、無理もないと、ご覧になる。
源氏は、あてきは、今は、私を頼りにするんだよ、と、おっしゃると、ひどく泣く。
小さい、あめこを、人よりは、黒く染めて、黒い、かざみや、カンゾウ色の袴を着ているのも、可愛らしい。

あてき、とは、童女の名前。

源氏「昔を忘れざらむ人は、つれづれを忍びても、幼き人を見捨てずものし給へ。見し世の名残なく、人々さへかれなれば、たづきなさもまさりぬべくなむ」など、みな心長かるべき事どもを宣へど、人々「いでや。いとど待遠にぞなり給はむ」と思ふに、いとど心細し。





源氏は、昔を忘れない人は、寂しさを辛抱し、小さな人を、見捨てずに、居てください。
今までと、違う様子になって、あなたたちも、出て行ったら、来ることも、難しい。などと、皆が、気長にしているようにと、繰り返しおっしゃる。
人々は、どうやら、いっそう、足が遠のくと思うと、いっそう、心細いのである。




大殿は人々に、きはぎはほど置きつつ、はかなきもてあそびものども、また、まことにかの御形見なるべき物など、わざとならぬさまに取りなしつつ、みな配らせ給ひけり。





左大臣は、女房たちに、身分に合わせて、少しの、品々、また、形見となるものを、ことさらにならぬように、一同に、配った。


君は、「かくてのみもいかでかはつくづくと過ぐし給はむ」とて、院へ参り給ふ。御車さし出でて、御前など参り集まる程、折知り顔なる時雨うちそそぎて、木の葉誘う風、あわただしう吹き払ひたるに、お前に侍ふ人々、ものいと心細くて、少しひまありつる袖どもうるひわたりぬ。「夜さりは、やがて二条の院に泊り給ふべし」とて、さぶらひの人々も、かしこにて待ち聞えむとなるべし、各々立ち出づるに、今日にしもとぢまじき事なれど、またなくもの悲し。大臣も宮も、今日の気色に、又悲しさあらためておぼさる。





君は、源氏は、このように、ふさぎこんでばかりは、いられない。と、院へ、参上した。
お車を、引き出して、ご前駆などが、集まる中、この時の、あはれを知るような、時雨が、はらはらと降り、木の葉を誘う風が、あわただしく、吹き散らす。
御前に、控えていた人々も、なんとも心細くなり、少し乾く間のあった、袖を、誰も濡れてしまった。
夜は、二条の院に、泊まられるだろうということで、お傍の人々も、あちらで、お待ち申し上げようと、各々出て行く。今日で、最後というわけではないが、この上なく、悲しい。
左大臣も、宮も、今日の様子に、また、悲しみを、改めて、感じるのである。
今日のしもとぢまじき事
今日で、最後ではないが。

悲しさあらためておぼさる
悲しみが、新たに、深まるのである。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第9弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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