2009年01月01日

もののあわれ もののあわれ 372

大将の君は、二条の院にだに、あからさまにも渡り給はず。あはれに心ふかう思ひ嘆きて、行ひをまめにし給ひつつ、明かし暮らし給ふ。所々には、御文ばかりぞ奉り給ふ。かの御息所は、斎宮の左衛門の司に入り給ひにければ、いとどいつくしき御清まはりにことづけて、聞えも通ひ給はず。憂しと思ひしみにし世も、なべていとはしうなり給ひて、「かかるほだしだに添はざらましかば、願は式さまにもなりなまし」とおぼすには、先づ対の姫君の、さうざうしくてものし給ふらむ有様ぞ、ふとおぼしやらるる。夜は、御帳の内に一人臥し給ふに、宿直の人々は、近うめぐりて侍へど、かたはらさびしくて、「時しもあれ」と、寝覚めがちなるに、声すぐれたる限り、えり侍はせ給ふ、念仏の暁方など忍び難し。




大将の君、源氏は、二条の院にも、少しの間も、お越しにならない。
しみじみと、心のそこから、亡き人を偲び、嘆いて、仏前の勤めを心を込めて、なさりつつ、日々を送る。
あちらこちらからの方々には、お手紙だけを、差し上げる。
御息所は、斎宮が左衛門の司に、入られたので、いっそう、厳重な御潔斎にかこつけて、文通もしない。
嫌なことだと、思い込んでしまった、世の中も、今は、一切が厭わしく、こういう足手まといでも、新たにできなければ、念願の出家の姿にも、なろうと、思う。
ただ、西の対の、姫君、紫の上が、寂しくしているだろうと、自然、姿が、浮かぶ。
夜は、御帳台の上に、一人で、お休みになると、宿直の女房たちが、傍近くに、取り巻いて、控えているが、身の回りが、物足りなく、時もあろうに、この秋に別れとは、と、寝覚めがちである。
声のすぐれた、僧を選んで、傍に置くが、その念仏する暁方などは、耐え難い思いである。

時しもあれ
古今集 紀友則がみまかりける時よめる
忠岑
時しもあれ 秋やは人の 別るべき あるを見るだに 恋しきものを




深き秋の、あはれまさりゆく風の音、「身にしみけるかな」と、ならはぬ御独寝に、明かしかね給へる朝ぼらけの霧りわたれるに、菊のけしきばめる枝に、濃き青鈍の紙なる文つけて、さし置き往にけり。今めかしうもとて見給へば、御息所の御手なり。御息所「聞えぬ程はおぼし知るらむや。

人の世を あはれときくも 露けきに おくるる袖を 思ひこそやれ

ただ今の空に思ひ給へあまりてなむ」とあり。「常よりも優にも書い給へるかな」と、さすがに置き難う身給ふものから、「つれないの御とぶらひや」と、心憂し。さりとて、かき絶え音なう聞えざらむもいとほしく、人の御名の朽ちぬべき事をおぼし乱る。「過ぎにし人は、とてもかくてもさるべきにこそはものし給ひけめ。何にさる事をさださだとけざやかに見聞きけむ」と悔しきは、我が御心ながらなほえ思し直すまじきなめりかし。斎宮の御清まはりもややややや煩はしくなど、久しう思ひ煩ひ給へど、わざとある御返りなくは、「なさけなくや」とて、紫のにばめる紙に、源氏文「こよなう程経はべりにけるを、思ひ給へおこたらずながら、つつましき程は、さらばおぼし知るらむやとてなむ。

とまる身も 消えしもおなじ 露の世に 心おくらむ ほどぞはかなき

かつはおぼしけちてよかし。御覧ぜずもやとてこれにも」と聞え給へり。





深い秋の、あはれの増さる風の音が、身にしみることである。
慣れない、独り寝に、明かす朝ぼらけ。
一面に、霧の立ち込める折、菊の咲きかけた枝に、濃い青にび色の紙の手紙を、見つけた。置いていったものだろう。
気がきいていると、ご覧になると、御息所の筆跡である。

御息所
お便り申し上げない間のことは、お分かりになりますか。

あの方の、生涯をしみじみ、気の毒だと、聞くにつけても、涙が流れます。
死に遅れた方の、涙の袖は、いかばかりかと、お察しします。

ただいまの空の様子に、抑えきれず、お便りしました。とある。

いつもより、更に素晴らしい書きぶりだと、さすがに下に置きかねて、ご覧になる。
しかし、しらじらしい、ご弔問であると、嫌な気持ちがする。
だが、ぷっつりと、途絶えて、便りしないというのも、気の毒で、それでは、あの方の名が廃れるであろうと、思案する。
亡くなった人は、どの道そうなるはずの運命だったという気がする。ところが、何故、あんなことを、明確に見聞きしたのだろうかと、悔しい気がするのは、我が心である。
やはり、御息所への、気持ちを、改めることが、出来ないようである。
斎宮の御潔斎に対して、憚るべきではないかなどと、長い間、ためらっていたが、わざわざの手紙に、返事をしなくては、愛想がないことになりはしないかと、にび色がかった、紫の紙に、この上なく、ご無沙汰してしまいましたが、いつも、気にかけていますが、喪中につき、遠慮している間のことは、お分かりくださるでしょうと、存じます。

生き残る身にも、死んだ者にも、同じく、露のように儚い世です。
執着の心を持つことは、儚いことです。
私は、未練も執着も、持っていませんので、あなたも、執着の心を、お忘れになってください。喪中の手紙は、ごらんにならないこともあろうかと、思い、この手紙も、申し上げたいことをやめました。と、申し上げた。

御息所は、書の名手である。
源氏の故意のはじめは、御息所の、かな書を見てからのことである。




里におはする程なりければ、偲びて見給ひて、ほのめかし給へる気色を、心の鬼にしるく見給ひて、「さればよ」とおぼすも、いといみじ。




御息所は、お里に出掛けるときだったので、それを、こっそりと見て、書かれていることが、良心の呵責で、はっはきりと解る。
やはりそうだったのかと、思うのも、大変、辛い。

心の鬼
良心の呵責である。



「なほいと限りなき身の憂さなりけり。かやうなる聞えありて、院にもいかにおぼさむ。故前坊の、同じき御はらからといふ中にも、いみじう思ひ交しきこえさせ給ひて、この斎宮の御事をも、ねんごろに聞えつけさせ給ひしかば「その御かはりにも、やがて身奉りあつかはむ」など、常に宣はせて、「やがてうち住みし給へ」と、たびたび聞えさせ給ひしをだに、いとあるまじき事と思ひ離れにしを、かく心よりほかに若々しき物思ひをして、つひに浮き名をさへ流し果てつべき事」と、おぼし乱るるに、なほ例のさまにもおはせず。




わが身の、不運の酷さのせいだ。
このような噂が立ち、院におかせられても、どのように思われるだろう。
故前坊は、同じ腹の兄弟の中でも、お二人は、大変睦まじく、思いあっている。
この斎宮の、事も、懇切に、ご依頼したので、故前坊の、御代わりとしても、お世話しようと、いつも仰り、このまま宮中に、御住みなさいと、たびたび、仰せられていたのさえ、そんなことは、してはならないと、思っていた。だが、このように、思いのほかに、若々しい気苦労をして、はては、浮名を流してしまいそうだと、煩悶する。
やはり、気分は、普通ではない。

御息所の、心境である。

若々しき物思い
源氏との、恋愛関係である。

浮き名をさへ流し果てつべき事
源氏に捨てられることである。


さるは、大方の世につけて、心にくく由ある聞えありて、昔より名高くものし給へば、野の宮の御うつろひの程にも、をかしう今めきたる事多くしなして、「殿上人どもの好ましきなどは、朝夕の露分けありくをその頃の役になむする」など、聞き給ひても、大将の君は、「ことわりぞかし。ゆえは飽くまでつき給へるものを。もし世の中に飽きはてて下り給ひなば、さうざうしくもあるべきかな」と、さすがにおぼされけり。




しかし、社交などでは、奥ゆかしく、教養があるとの、評判である。
昔から、有名でいらっしゃる。
野の宮に、移られる折にも、趣深く、気のきいている事を、色々いとなさり、殿上人たちの、風流好みの者など、朝夕の露を、踏み分けて、野の宮に、通うのを、その頃の、仕事としているなどを、聞くにつけても、大将の君は、もっともなこと。趣味は、嫌になるほど、持っている。もし、私との事が、嫌になり、伊勢に下ったら、きっと、寂しくなることだろうと、さすがに、思われる。

源氏の、思いである。

大方の世につけて
恋愛関係を離れて、という意味。

朝夕の露分けありくを
紫野を、朝夕に訪問する。

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神仏は妄想である 190

インド精神史から、仏教を更に、見る。

ゴータマの死後、その教えは、諸都市の王侯、商工業者の帰依を受けて、マガダ国中心として、東部インドに伝播した。
特に、ここで、アショーカ王の絶大な援助、保護がある。

アレキサンダー大王が、西インドに侵入したのは、西暦前327年である。
諸所に、都市を建設したが、部下の将兵たちが、それ以上の行軍を拒んだだめ、王は、軍勢を引き連れて、インダス川を下り、西方に帰還して、前323年に、バビロンで、客死している。

当時、ガンジス川平原における最大勢力は、マガダ国であった。
ナンダ王朝の下にあったが、西暦前317年、同国の青年、チャンドラ・ドラグプタによって、王朝が覆された。
近隣諸国を併合して、マウリヤ王朝を創設した。
更に、西北インドから、ギリシャ人の軍事精力を一掃し、侵入してきた、シリア王、セレウコス・ニーカトールの軍隊を撃退し、インド全土を、勝伯する。
インド最初の大帝国を、築き上げるのである。

アショーカ王は、その孫である。
在位年限は、前268年から232年に渡る。

彼によって、マウリヤ王朝は、絶頂に達した。
インド史上空前の強大な、国家権力を持って、重要な、諸事業を成し遂げた。

余談であるが、インド古来からの、人生の目的は、法と、実利、愛欲と、解脱という、四つの、ものである。
この、ベースを持って、インド思想を、眺めるべきである。

アショーカ王の、政治については、省略する。
彼は、その、心情から、世界中の人間の守るべき、普遍的な法というものを確信して、法と、呼び、ゴータマの教えに帰依することになる。

戦いによって、多くの罪無き民衆、野獣を殺傷したことを、恥じた。
そこで、熱烈に、宗教的心情を吐露して、日月の存する限り、守るべき理法があるとして、国王といえども、一切の衆生からの、恩恵を受けていると、考えた。
彼は、政治は、債務の返還、それは、報恩の行為という行に他ならないと、判断した。

従来のインド人たちの、祭祀、呪術法は、無意義なものであり、仏教に帰依することを、説いた。
しかし、熱烈な仏教信徒であったが、他宗を排斥するということは、無かった。
更に、保護し、諸宗派、宗教の提携を勧めたのである。

彼は、国際的にも、理想の政治を、呼びかけて、西洋にさえも、仏教の影響を与えたのである。

その政治は、理想的なものであった。
アショーカ王の政治理念を、現代の政治家も、学ぶべきこと、多々ある。

その、アショーカ王は、仏にゆかりのある土地に、塔や、石柱を建てて、自らも、巡礼に出るほどだった。

そこで、保護された、仏教は、どのように発展したのか。

その頃の、ゴータマに対する態度は、在世中に真理を体得した覚者として、尊敬され、死後も、弟子たちの人格的感化を受けていたが、次第に、ゴータマ個人の記憶が、薄れるにつれて、独特の、仏陀観が、現れてきた。

つまり、理想化され、特別な偉人、超人であると、認識するようになる。

当時のインド人の、理想的偉人である、三十二相、八十種好の、特徴を備えた者として、認識され始める。

更に、心に、特殊な能力を持つ者、十力、四無畏、三念住、大悲の十八共仏法というものを、備えている。
現実の歴史的存在が、神格化されていった。

更に、ここに、大乗仏典などが、書く、かかる偉大な人間は、今の修行は、今のものだけではなく、過去の多数の生涯におけるものだという、仏陀の前世に関する、本生譚というものが、創作されるようになった。

それらは、元来、中央インドのガンジス川流域で、古くから民衆の間で、行われてきた、教訓的寓話であった。

それを、採用して、仏陀の前世を、創作し、前世と、結びつけて、仏陀の過去が、語られるようになるのである。

この、寓話は、一般民衆を仏教に帰依させ、道徳的にも、宗教的にも、非常に貢献したという。

仏教の隆盛と共に、仏陀本人、そして、弟子たち、聖者たちの、遺骨、遺品に対する崇拝が、盛んになる。

それらを、埋葬している場所には、塔が建ち、塔の周辺には、多数の、彫刻などが、作られた。
だが、その時は、まだ、仏像崇拝は、起こっていない。
多数の、彫刻にも、仏陀像は、彫られていない。

それらの、多くは、寄進により、商工業者と、農村の資産家が多い状態で、王族、武士、農民たちは、いない。

教団という形も、少しづつ整ってゆく。
教理を記した、経典は、説法の形をとりつつ、部分的に、編纂された。
それを、日常的に、読誦するという、行為も行われ始めた。

最も、特徴的なことは、上座部と、大衆部に、分裂することである。

仏滅後、百年後の頃、ヴァッジ族の比丘が、十事を主張し、そのため、教団の内部に、婦紛争が起こる。

十事とは、従来の戒律の細かな規定を無視して、十種の新しい規定を掲げたのである。
上座長老たちは、会議を開き、十事を、非法であると、決議した。
そして、その後、上座長老たちは、七百人の会議を、開き、経典の結集を行ったのである。

これに対して、この会議に、承服しなかった、進歩的改革派の、比丘たちが、一万人を集い、彼ら自身の結集を行った。

更に、彼らは、旧来の教団に対して、独立を宣言し、大衆部を、樹立したのである。
これが、後の、大乗仏教といわれる、ものである。


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2009年01月02日

神仏は妄想である 191

本格的に、仏教教団が、分裂したのは、西暦前180年頃に、マウリヤ王朝が、将軍プシヤミトラに、滅ぼされてからである。

インド史上空前の、大国家を建設したマウリヤ王朝であるが、中央集権化を徹底させえず、更に、経済的統制力が、弱く、アショーカ王没後に、急速に、勢力を失っていた。特に、経済的な基盤を薄弱にしたのは、仏教教団に対する、多大な荘園を与えたことだったといえる。

インド全体は、再び、分裂状態に陥った。

プシヤミトラは、シュンガ王朝を創ったが、仏教を弾圧し、バラモンの祭祀を復活させた。
次のカヌーヴァ王朝も、バラモンだった。
二つの王朝は、ガンジス川流域を支配していたに、留まる。

西北インドには、ギリシャ人の諸王が、幾つかの王朝を成立させた。
中でも、最も有力だったのが、メナンドロス王であり、アフガニスタンから、中部インドまでを、支配下に置いた。
大半の王は、ギリシャの神々を信仰したが、メナンドロス王は、密かに、仏教を信奉したという。
ナーガセーナ長老に師事し、教義に関する対話が、ミリンダ王の問い、という、書物で残されている。

ギリシャ人に続いて、サカ族が、侵入してきた。
サカ王朝の最初は、マウエースである。
自ら、諸王の王と、称した。

更に、パルチア族が侵入する。
そのアゼース王朝は、北西インドを支配した。

彼らは、ギリシャの神々を信仰した。ただ、インド的観念により、法を守る王と、称していた王が多いという。

東南インドでは、カリンガ国のカーラヴェーラ王が、勢力を広げて、転輪聖王と呼ばれた。
彼は、すべての宗教を崇敬し、諸宗派の神殿を建てたが、特に、ジャイナ教を保護した。

当時の、一般の信仰対象は、聖樹崇拝、星辰崇拝、竜神崇拝が、盛んだった。
更に、井戸を掘り、貯水池を作ることが、功徳があるとして、重要視されていた。

バラモン教は、依然として祭祀を行い、ヒンドゥー教の神々も崇拝された。
この頃は、宗教的、哲学的な、詩篇が数多く作製されたという。叙事詩、マハーバーラタとして収められてある。

だが、一番の活動は、仏教だった。
そして、ジャイナ教である。

この当時の、仏教の崇拝の対象は、釈尊である。
そして、過去七仏の、崇拝も行われた。

特徴的なのは、舎利の崇拝である。
多数の、ストゥーバが建てられ、それと共に、仏の足跡、菩提樹、法輪、夜叉までも、崇拝されたという。

インドのあるゆる階層に渡って、信仰されたようである。
更に、ギリシャ人や、サカ族の人などからも、崇拝された。

それでは、当時の、仏教の修行者は、どのように生活していたのか。
僧院に住む者が多くなり、その僧院は、いずれかの、部派に属すことになっていた。


アショーカ王の時代に、上座部と、大衆部の二派に分裂したが、その後、約百年の間に、大衆部系統が、細かに分裂した。
次いで、その後の、百年の間に、上座部系統が、細かく分裂する。

ここで、キリスト教の、分裂と比べると、相違点が解る。
カトリックから、その聖職者だった、ルターによって、新教、プロテスタントが、出たが、その、プロテスタントは、細かく分裂してゆく。

新教は、細かく分裂する要素が大きいのである。
それは、解釈の仕様で、如何様にでもなるからである。
権威というものを、置かなければ、また、否定すれば、幾らでも、分裂が、可能である。

仏教の、分裂は、凄まじく、教義が、多数、教えには、様々な、習慣や、風俗が取り入れられるという有様になる。

それらは、推測するしかないほど、分裂したのである。

上座部と、大衆部との、二つを、根本二部と呼び、枝末十八部と、合わせて、小乗二部と呼ぶ。
上座部系統は、西暦前100年頃に、分裂が完了したといわれる。

恐ろしいのは、各部派は、それぞれ、自派の教説を権威づけるため、正統であることを示すために、各派ごとに、それぞれの立場から、従来の経典を、編纂し直したのである。

ここに、経蔵と、律蔵が、成立した。

更に、各派が、争い、釈尊の、教えの教説に対する、反省究明が行われ、教説の、説明注釈、整理分類、諸説の矛盾を突く努力がされたという。

その結果が、アビダルマと称され、その総論を、論蔵と称する。
経蔵、律蔵、論蔵とを、総称して、三蔵と呼ぶ。

部派の中で、最も、有力だったのは、上座部の説一切有部である。
略して、有部である。

一切が実有なりと説く部派、である。
一切とは、一切の法、五蘊、十二所、十八界という、それぞれの、見方における、法の体系の意味を表す。

詳しい説明は、省略するが、経量部という、部派は、面白い。
経典のみを典拠として、有部の所説を批判的に改めたという。
そこでは、過去、現在、未来という、転生輪廻を認めず、現在実有・過去無体といい、現在のみが実在であり、過去と未来は存在しないとした、説を唱えたのである。

有部等その他の、仏教思想は、衆生は煩悩に促されて、諸々の行為をなして、身・口・意の三業をつくる。
その、果報として、苦を享受している。
苦とは、惑・業・苦の三道である。

迷いの結果として、現れている世界は、有情世間、物理的自然世界である、器世間である。
生きるもの各自の、姿は、業のもたらしたものであるが、物理的自然世界も、多数の過去の業が、重なり、積もったものであるとする。

その、器世間は、成・住・壊・空の四劫によって、循環する。つまり、物理的自然世界は、成立し、存続し、破壊され、空無に帰するという、四つの長い期間を経過して、その後また、空無の中から、成立して、四つの時期を経過し、この過程を繰り返すというものである。

苦しみからの、離脱は、煩悩が起こらないようにしなければならない。
諸々の煩悩が起こるのは、諸々の法が働き、その作用が現れていることであり、故に、諸々の法の働きを停止、静止しなければならない。
そのために、一切の、欲望を制して、執着を離れ、戒律を守り、禅定を行って、諸々の法の本体を観て、諸々の法の真相に通達することである。

法の真相を観ずる智慧には、特殊なすぐれた力があると、考えた。

修行の境地に達した人を、阿羅漢と呼ぶ。
そこに、到達するには、幾生涯をかけて、修行しなければならないのである。

多くの部派では、人格的主体の実存を認めなかったという。
しかし、主体の無い輪廻というものは、常識的に極めて、理解が困難である。
そこで、若干の部派では、仏教の伝統的な、無我説の立場を保持しつつ、何らかの主体を想定するに、至った。

上記の、小乗に対して、大乗は、仏の超人性・絶対性を強調し、菩薩の美徳を強調して、心性は、本浄なりと、説き、過去未来は是れ無、現在は是れ有なり、と唱えた。

小乗の阿羅漢は、大乗では菩薩となるのである。

この時期の、大乗は、思想形成の過渡的状態である。

要するに、作られていく思想である。
生活指導の、釈迦仏陀の行為と、言葉が、とんでもない、思想に展開してゆくということである。


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2009年01月03日

もののあわれ 373

御法事など過ぎぬれど、正日まではなほ籠りおはす。ならぬ御つれづれを心苦しがり給ひて、三位の中将は常に参り給ひつつ、世の中の御物語など、まめやかなるも、又例のみだりがはしき事をも、聞え出でつつ慰め聞こえ給ふに、かの内侍ぞ、うち笑ひ給ふくさはひにはなるめる。大将の君は、「あないとほしや。おばおとどの上ないたう軽め給ひそ」と、いさめ給ふものから、常にをかしとおぼしたり。かのいざよひのさやかならざりし、秋の事など、さらぬも、様々のすきごとどもを、かたみにくまなく言ひあらはし給ふはてはては、あはれなる世を言ひ言ひて、うち泣きなどもし給ひけり。




ご法事などは、すんだけれど、正日までは、まだ、お籠りになる。
生まれてはじめての、所在無い、生活を、心に留めて、三位の中将が、常に、参上する。
世間の話などをして、また、いつもの、女の話などを、されて、慰められるのだが、あの、典侍が、笑いの種になるようである。
大将の君は、ああ、可哀想に。おばあさまのことを、馬鹿になさるなと、話を止めるが、いつものように、面白がる。
あの、十五夜の月の清かでなかった折や、秋のことなど、そうではない事も、色々な浮気心の数々を、互いに打ち明ける。
あげくは、儚い、浮世のことを、言い合い、泣いたりするのである。

かたみにくまなく
何もかも、打ち明ける。




しぐれうちして、ものあはれなる暮つ方、中将の君、鈍色の直衣指貫、うすらかに衣がへして、いとををしうあざやかに、心は恥づかしきさまして参り給へり。君は、西の妻戸の高欄におしかかりて、霜枯の前裁見給ふ程なりけり。




時雨が降り、なんとなく、しんみりとした、夕暮れである。
中将の君が、鈍色の直衣と、指貫とを、薄い色のものに、衣替えして、大変男らしく、すっきりと、こちらが、恥ずかしくなるような、姿をして、参上された。
源氏は、西の妻戸の、高欄にもたれて、霜枯れの、庭を、見ていらっしゃるところであった。



風荒らかに吹き、しぐれさとしたる程、涙もあらそう心地して、源氏「雨となり雲とやなりにけむ。今は知らず」と、うちひとりごちて、つらづえつき給へる御さま、「女にては、見捨ててなくならむ魂、必ずとまりなむかし」と、色めかしきここちに、うちまもられつつ、近うつい居給へれば、しどけなくうち乱れ給へるさまながら、紐ばかりをさし直し給ふ。これは、今少しこまやかなる夏の御直衣に紅のつややかなる引きかさねて、やつれ給へるしも、見ても飽かぬここちぞする。中将も、いとあはれなるまみにながめ給へり。




風が、荒々しく吹きつけ、時雨が降った風情は、涙も、競うかの如くである。
源氏は、雨となり、雲となりけり。今は、知らずと、独り言を言う。
頬杖をついている様子は、もし、自分が、女の身であり、先立って死んでゆくとしたら、魂は、きっと、この世に、留まるだろうと、色気ある心地で、じっと一点を見つめつつ、近くに、座られた。
君は、しどけなく、つくろぐ姿で、紐だけを、直す。
源氏は、中将より、少し色の濃い、夏の直衣に、紅のつやつやとした、下襲をさ重ねて、地味にしているが、見ても、飽きないのである。
中将も、しんみりとした、目つきで、空の風情を見つめている。

どうも、この部分は、同性愛的、雰囲気を、醸し出す。




中将
雨となり しぐるる空の うき雲を いづれの方と わきてながめむ

ゆくへなしや」と、ひとり言のやうなるを、
源氏
見し人の 雨となりにし 雲居さへ いとどしぐれに かきくらす頃

と宣ふ御気色も、浅からぬ程しるく見ゆれば、「あやしう、年頃はいとしもあらぬ御志を、院など居立ちて宣はせ、大臣の御もてなしも心苦しう、大宮の御方ざまに、もて離るまじきなど、かたがたにさしあひたれば、えしもふり捨て給はで、ものうげなる御気色ながら、ありへ給ふなめりかしと、いとほしう見ゆる折々ありつるを、まことにやむごとなく重き方は、ことに思ひ聞こえ給ひけるなめり」と、見知るに、いよいよ口惜しう覚ゆ。よろづにつけて光失せぬるここちして、くんじいたかりけり。




中将
雨となり、時雨れる空の浮雲は、そのどれを、亡き妹の雲と、見分けるのかと、眺める。

行くへが、解らないことだと、独り言のように言う。

源氏
亡き妻の、雲となり、雨となってしまった空までも、時雨で、いっそう、暗くなる、今日のこの時。

と、仰る様子は、深い追憶の程が、伺える。
妙なことだ。長年、大して、深くない愛情ゆえに、院などから、仰せがあり、父大臣の、もてなしも気にして、大宮は、離れられない、血縁関係があるので、方々に、差し障りが、あり、可哀想に思われることもあったが、本当に、頑として、動かぬ地位の妻として、特別扱いだった、と分かると、いよいよ、残念に思われる。
万事につけて、光が、消えうせた感じがすると、中将は、妹の死を悼む。





枯れたる下草の中に、竜胆、撫子などの、咲き出でたるを折らせ給ひて、中将の立ち給ひぬる後に、若君の御乳母の宰相の君して、

源氏
草がれの まがきに残る なでしこを わかれし秋の かたみとぞ見る

におひ劣りてや御覧ぜらるらむ」と、聞え給へり。げに何心なき御えみがほぞ、いみじう美しき。宮は吹く風につけてだに木の葉よりけにもろき御涙は、ましてとりあへ給はず。

大宮
今も見て なかなか袖を くたすかな 垣ほ荒れにし やまとなでしこ




枯れた、下草の中に、リンドウや、撫子、などが、咲いている。
それを、折らせて、中将が、立ち去った後、若君の、乳母が、宰相の君を、使いにして、

草枯れの、垣根に残る、撫子は、母を亡くして寂しくする幼児を、死に別れた、形見と思って見ています。

母親より、色が色が劣っていると、思いですかと、大宮に、申し上げる。
無心の、笑顔は、大そう可愛らしい。
大宮は、吹く風につけてさえも、木の葉よりも、ひとしお、もろい涙で、君のお手紙を、開いて、いっそう、悲しく、お手紙を、手にすることもできない。

大宮
垣根の荒れ果てた、大和撫子、母を失った幼児である。それを、形見として、心を慰めるどころか、かえって、袖を涙で濡らします。





なほいみじうつれづれなれば、朝顔の宮に、今日のあはれはさりとも見知り給ふらむと、おしはからるる御心ばへなれば、暗き程なれど聞え給ふ。絶え間遠けれど、さのものとなりにたる御文なれば、とがなくて御覧ぜさす。空の色したる唐の紙に、

源氏
わきてこの くれこそ袖は 露けけれ 物思ふ秋は あまたへぬれど

いつもしぐれは」と、あり。御手などの心とどめて書き給へる、常よりも見所ありて、人々「過ぐしがたき程なり」と、人人も聞え、自らもおぼされければ、朝顔「大内山を思ひやりきこえながら、えやは」とて、

朝顔
秋霧に 立ちおくれぬと 聞きより しぐるる空も いかがとぞ思ふ

とのみ、ほのかなる墨つきにて、思ひなし心にくし。何事につけても、見まさりはかたき世なめるを、つらき人しもぞ、あはれに覚え給ふ、人の御心ざまなる。「つれなながらさるべき折々のあはれを過ぐし給はぬ、これこそかたみに情も見はつべきわざなれ、なほゆえづきよしすぎて、人目に見ゆばかりなるは、あまりの難も出で来けり。対の姫君を、さはおほし立てじ」とおぼす。「つれづれにて恋しと思ふらむかし」と、忘るる折なけれど、ただ女親なき子を置きたらむここちして、「見ぬ程うしろめたく、いかが思ふらむ」と覚えぬぞ心安きわざなりける。



いつまでも、やるせなく、朝顔の君に、今日の空の、あはれさは、いくらなんでも、解ってくださるだろうと、推し量る気質なので、すでに、暗い時分ではあるが、お手紙を、差し上げる。
絶え間は、久しくとも、そういう習慣になる、二人であるから、お傍の女房も、咎めずに、手紙を、お見せになる。
今日の空の色をしている、唐の紙に、

源氏
もの悲しく、思うこの秋は、長年経てきましたが、とりわけ、今日の、この夕暮れは、袖が、涙でいっぱいです。

毎年、時雨は、降りますがと、ある。
筆跡など、気をつけて、書かれている。
いつもより、見事で、このままには、出来ないと、女房も申し、姫も、思う。
朝顔は、お籠もりの、ご様子は、お察しいたしておりますが、こちらからの、お便りは、とても、と、書いて

朝顔
秋の頃、秋霧に先立たれて、奥様が、と、伺い、時雨れる空を見ても、お心、いかがと、推察いたします。

とだけ、ほのかに、墨色で、それは、奥ゆかしい。
何事も、思う以上ということはない、世の中であるが、つれない人を、かえって、慕わしく思うのが、君の、性格である。
打ち解けずにいるものの、しかるべき、折々、風情を見逃さない。
だからこそ、互いに、情を掛け続けることが出来る。
教養高く、風流が過ぎて、人目につく程だと、行過ぎることもある。
対の姫君を、そのように、育てることはしないと、思われる。
寂しがり、恋しがっているだろうと、忘れることはないが、母のない子を置いているような気持ちがする。
逢わずにいる間、気がかりである。どう、思っているのかと、心配がないのは、気楽なことであった。


交々に、源氏の、感情を、その相手により、表現する。
突然、別の人物のことが、出てきて、現代文に慣れた、私たちは、戸惑う。

源氏物語の、難しさは、それである。
これは、誰の心境であるのか、誰のことであるのか。

中には、文脈では、理解できない言葉も、出で来る。

更に、当時の感覚との、相違である。

しかし、それも、大和言葉により、耐えられる。


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神仏は妄想である 192

ジャイナ教も、仏教教団に、負けず、民衆に盛んになった。
中央、東南インドにかけて、教祖、マハーヴィラが信仰の対象となる。

舎利崇拝が、行われたのは、仏教と、同じである。
ストゥーバーの崇拝も同じく、その近くには、寺院が建てられ、在家信者たちは、そこに、多くの、祀堂、奉納堂、貯水池、給水所、遊園、柱、石版などを、寄進した。

更に、ジャイナ教も、細かく分裂する。

西暦200年前後から、マイトリ・ウバニシャドが、従来のウパニシャドの諸思想を、包括、継承するとともに、新しい思想的発展を示している。

厭世観から発し、身体を不浄なものとして見て、肉体と精神の関係を、問題とした。
アートマンは、微細なもので、不可取、不可見であるが、その一部分によって、ひとりでに身体の中に入っている。

それを、人は、プルシャと呼ぶ。
純粋精神が、いかにして、物質と結合したかを、創造神話を借りて、説明する。

更に、内我と、元素我との、二種のアートマンを想定し、元素我を、捨てて、我と融合することによって、解脱が得られるとした。

それに至る方法として、ヨーガの修行を規定している。

ウパニシャドと称する文献は、その後も、多数作られた。
実際には、200以上伝わるという。

その中で、後に作られた、ウパニシャドでは、六種に分類される。

純ウパニシャド、ヨーガを説くウパニシャド、隠遁遍歴を説くウパニシャド、ジヴァ神の崇拝を説くウパニシャド、性力派の影響のあるウパニシャド、ヴィシュヌ神の崇拝を説くウパニシャドである。

そして、インドのみならず、広く、東南アジアに、影響を与えた、叙事詩、マハーバーラタと、ラーマーヤナは、同時期に、成立した。

マハーバーラタは、哲学思想を説く。
これは、バラタ族の戦争を語る大史詞という意味で、18編10万の詩句により、付録として、ハリヴァンシャ約16000の詩句を持つ。

それは、仏教興起よりも、以前に行われた大戦争に関する物語が、語り継がれて、逐次集成されつつ、西暦前200年から、西暦後200年の間に、おおよそ出来上がり、西暦400年頃に、現在の形に成ったといわれる。

戦争を主にして、その他の、神話、伝説、物語を含め、当時の、法律、政治、経済、社会体制を知るうえで、無尽蔵の資料を提供するものである。
また、当時の、民間信仰、通俗哲学も、伝えるという。

ここで、驚くべきことは、釈迦仏陀の、教えと、同じことを言うのである。

叙事詩の本筋に登場するのは、すべて武人であり、バラモンは単に、介在的人物として、扱われている。更に、バラモンの優越性に対する反抗が、認められる。

中には、バラモンが、叡智ある猟師から、哲学、道徳に関する教示を受け、人の尊さは、身分や、儀式、学問によるものではなく、行いの如何によると、説かれる。


他方、現世否定的な厭世主義、消極的な無活動を尊ぶ、隠遁主義も、説かれる。
後代に成立した部分には、バラモン尊重の態度が、強く示されるのは、作為あるものである。

叙事詩の神話では、梵天、ヴィシュヌ、シヴァの三大神が、特に崇拝されている。
それぞれが、最高神を競うという。

また、世界の各方角を守護する神として、八つの世界守護神が、立てられた。
また、新たに、軍神、スカンダ、これは後に韋駄天となる。そして、愛神カーマなどが、現れた。

この叙事詩は、後の、サーンキャ哲学の前段階とする、多くの説が、説かれている。

マハーバーラタから、一編だけ取り上げるとしたら、インド精神を表現するものは、バガヴァッド・ギーターだと、中村元は、言う。

バニタ族の戦争は、クル国の百人の王子と、バーンドゥ王の五王子との間に行われた戦いである。

彼らは、互いに従兄弟同士であるという、骨肉の争いなのである。

バーンドゥの一人の王子、アルジュナは、その運命を嘆き、悲しみ、乗り物の御者である、クリシュナに向かい、悶々と、その情を訴える。
この、クリシュナこそ、最高神、ヴィシュヌ神の化身である。

クリシュナは、怯むアルジュナを激励して、躊躇なく、戦場に赴くべきであると、告げる。

汝の本務のみを見よ。決して戦慄することなかれ。何となれば武士族にとっては、正義の戦いよりも善きものは存在しないからである。

義務を果たすためには、一切を放棄するのである。

汝の専心すべきことはただ行動のうちにあり、決して結果のうちにあらず。行動の結果に左右せらるることなかれ

義務のために、義務を尽くすこと、それが、思想として、明確に表示されたのである。

アルジュナは、クリシュナの話を聞いて、戦いの意義を知る。しかし、彼は、なお、陰影が残っていた。
そこで、クリシュナは、最高の人格神、ヴィシュヌの信仰の、救済を明かす。

この書においては、ヴィシュヌ神は、ブラフマンおよび、最高我と同一視されている。世界の大主宰神であり、クリシュナは、その化身である。

個々の我は、最高我から、現れたものであり、最高神の一部である。
最高神は、最上の人として、人格的に、表象されている。

最高神は、一切の生類に対して、恩寵を与え、救済を行う。故に、この、最高神に対する熱烈な信仰は、最上の行為である。

我は一切の生類に対して平等でなり。我に憎むべきものなく、また愛すべきものもなし。されど信仰心をもって我を拝するものあらば、かれらは我の中に在り、また我もかれの中に在り。

ひとえに我に帰依すべし。我、汝を一切の罪悪より解脱せしむべし。汝、憂うることなかれ。

この神は、善人を救済するがため、悪人を絶滅させるために、それぞれの時期に、権化のかたちをとって、生まれる。彼に、信仰帰依するならば、悪人でも、救われる。

熱烈な信愛によって、最高神の恩寵にあずかり、最高神の本性を知るならば、輪廻の世界を脱する。解脱したものは、最高神と、本質を同じくする。

アルジュナ王子は、それを知り、我が覚悟は定まった。疑惑は、去ったと、戦場に赴き、偉功を立てた。

以上、物語であるが、それが、インドの精神史に、強く生きている。

最高神の恩寵により、すべての人が救われる。
すべての、宗教の元である、救いというものが、ここにもある。
そして、これらは、物語として、書かれるものである。

人は、生きるに、物語が必要なのである。
人は、物語によって、生きると、言い換えてもいい。

奇想天外、創造力逞しい物語は、人を生かしてくれる。

宗教は、その物語を一つ提供するのである。
宗教が、神話から、抜け出たのは、人間の支配欲からのものである。

物語という、空想の中で、かろうじて、生きられるのが、人間であり、それは、人間の大脳化ゆえのものである。

どれ程、進んだ科学でも、物語の中から抜けられないのである。
何となれば、すべては、決して、明らかにされないからである。

知ることによって、知らないことの、世界の広さを感じ取るのが、人間の、脳の働きである。

故に、信仰と帰依という、思考停止の状態は、生きているとは、言い得ないのである。
それは、物語に生かされているのである。

物語を作れる人は、教祖になれるとでも、言う。
それは、如何様にでも、創作することが、出来る。また、妄想することが、出来る。

ある神社には、決して、見てはいけないという、ご神体があった。
熱心な氏子たちによって、その神社は、手厚くお祭りされていた。
ある夜、一人の若者が、その、見てはいけないといわれる、ご神体を、どうしても、見たくなり、一人深夜、社の奥に入り込む。
いよいよ、ご神体の、扉を開けた。
そこにあったものは、石ころ一つである。

えっ、石ころ、と言ったのか、どうかは、解らない。
若者は、その石ころを、じっーーと見て、更に、目を凝らして見て、矢張り、単なる石ころである。

しかし、若者は、その石ころに、手を合わせて、その場を去った。そして、いつものように、皆と、その神社を、変わらず信仰したのである。

ここに、私の解釈は、差し挟まないことにする。

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2009年01月04日

もののあわれ 374

暮れはてぬれば、大殿油近く参らせ給ひて、さるべき限りの人々、おまへにて物語などせさせ給ふ。中納言の君といふは、年頃忍びおぼししかど、この御思ひの程は、なかなかさやうなる筋にもかけ給はず。「あはれなる御心かな」と見奉る。



日が暮れ果てたので、灯を近くに灯し、それなりの女房たちを相手に、御前で、話をさせる。
中納言の君という者は、年来、こっそりと、寵愛したのだが、この喪服の間は、そんなことを、考えもしない。
あはれなる御心かな、優しい、心だと、思うのである。





大方にはなつかしううち語らひ給ひて、源氏「かう、この日頃、ありしよりけに、誰も誰も紛るる方なく見なれ見なれて、えしも常にかからずは、恋しからじや。いみじき事をばさるものにて、ただうち思ひめぐらすこそ堪え難きこと多かりけれ」と宣へば、いとどみな泣きて、人々「いふかひなき御事は、ただかきくらすここちし侍ればさるものにて、名残なきさまにあくがれはてさせ給はむ程、思ひ給ぬるこそ」と、聞えもやらず。「あはれ」と見渡し給ひて、源氏「名残なくは、心浅くも取りなし給ふかな。心長き人だにあらば、見はて給ひなむものを。命こそはかなけれ」とて、灯をうち眺め給へるまみのうち濡れ給へる程ぞめでたき。





色恋を離れて、優しく語りかけて、このように、幾日もの間、以前にも増して、誰にも誰にも、すっかりと、馴染んできたが、しょっちゅう、こんなようにして、居られないことになれば、恋しくてなるまい。あれが、死んだのは、仕方ないとして、ただ、今後のことを考えると、堪らない気がすることが、多い。と、おっしゃる。
すると、皆は、いっそう泣いて、言っても、詮無いこと。真っ暗な気持ちがしますので、申し上げいたしません。
すっかりと、見限り、どこかへ行ってしまわれると、考えますと、と、それから、後は、言葉が出ない。
心を打たれて、一同を、見回し、源氏は、見限るなどとは、どうして、出来ようぞ。薄情と、思うのか。気の長い人なら、いつか、分かるだろうが。しかし、命は、あてにならない。と、燈火を眺めて、涙を浮かべるのである。
それが、素晴らしく見えるのである。





取りわきてらうたく給ひし小さき童の、親どもなくいと心細げに思へる、ことわりに見給ひて、源氏「あてきは、今は我をこそは思ふべき人なめれ」と宣へば、いみじう泣く。ほどなきあこめ、人よりは黒う染めて、黒きかざみ、かんぞうの袴など着たるも、をかしき姿なり。




姫が、格別に、可愛がっていた、幼い童女が、両親もいず、大変心細く思っているのを見て、無理もないと、ご覧になる。
源氏は、あてきは、今は、私を頼りにするんだよ、と、おっしゃると、ひどく泣く。
小さい、あめこを、人よりは、黒く染めて、黒い、かざみや、カンゾウ色の袴を着ているのも、可愛らしい。

あてき、とは、童女の名前。

源氏「昔を忘れざらむ人は、つれづれを忍びても、幼き人を見捨てずものし給へ。見し世の名残なく、人々さへかれなれば、たづきなさもまさりぬべくなむ」など、みな心長かるべき事どもを宣へど、人々「いでや。いとど待遠にぞなり給はむ」と思ふに、いとど心細し。





源氏は、昔を忘れない人は、寂しさを辛抱し、小さな人を、見捨てずに、居てください。
今までと、違う様子になって、あなたたちも、出て行ったら、来ることも、難しい。などと、皆が、気長にしているようにと、繰り返しおっしゃる。
人々は、どうやら、いっそう、足が遠のくと思うと、いっそう、心細いのである。




大殿は人々に、きはぎはほど置きつつ、はかなきもてあそびものども、また、まことにかの御形見なるべき物など、わざとならぬさまに取りなしつつ、みな配らせ給ひけり。





左大臣は、女房たちに、身分に合わせて、少しの、品々、また、形見となるものを、ことさらにならぬように、一同に、配った。


君は、「かくてのみもいかでかはつくづくと過ぐし給はむ」とて、院へ参り給ふ。御車さし出でて、御前など参り集まる程、折知り顔なる時雨うちそそぎて、木の葉誘う風、あわただしう吹き払ひたるに、お前に侍ふ人々、ものいと心細くて、少しひまありつる袖どもうるひわたりぬ。「夜さりは、やがて二条の院に泊り給ふべし」とて、さぶらひの人々も、かしこにて待ち聞えむとなるべし、各々立ち出づるに、今日にしもとぢまじき事なれど、またなくもの悲し。大臣も宮も、今日の気色に、又悲しさあらためておぼさる。





君は、源氏は、このように、ふさぎこんでばかりは、いられない。と、院へ、参上した。
お車を、引き出して、ご前駆などが、集まる中、この時の、あはれを知るような、時雨が、はらはらと降り、木の葉を誘う風が、あわただしく、吹き散らす。
御前に、控えていた人々も、なんとも心細くなり、少し乾く間のあった、袖を、誰も濡れてしまった。
夜は、二条の院に、泊まられるだろうということで、お傍の人々も、あちらで、お待ち申し上げようと、各々出て行く。今日で、最後というわけではないが、この上なく、悲しい。
左大臣も、宮も、今日の様子に、また、悲しみを、改めて、感じるのである。
今日のしもとぢまじき事
今日で、最後ではないが。

悲しさあらためておぼさる
悲しみが、新たに、深まるのである。

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神仏は妄想である 193

私は、インドにおける、身分制度、カースト制について、現在でも、機能していることに、実に不可解な思いである。

その、カースト制が、いつ頃に、確定したのか。おぼろげに、そのような身分というものが存在しても、時代の趨勢により、消滅し、人間平等のうちに立つのであるが、インドでは、未だに、それが、健全として、機能しているという、驚きである。

男と女とは、区別であり、差別ではないが、人間を差別するという、思想的基盤というもの、どこにあるのか。

それが、確定し、明確に機能し始めたのは、クシャーナ帝国時代であると、いえる。

朧なものが、より明確にされた。

クシャーナ族は、月氏族の一つである。
西暦25年頃、クシャーナ族の族長である、クジューラ・カドフィセースが、月氏の四つの部族を支配し、60年頃より、西北インドを攻略した。

その子の、ウェーマ・カドフィセースは、その帝国を拡大し、その後、カニシカ王が、インドに侵攻して、北インド全体を支配し、更に、中央アジア、イランまでに、及んだ。
アショーカ王以来の、大帝国が、出現した。
それは、三世紀半ばまで、続く。

帝国は、領土が、広大であったのみならず、シナ・ローマとも、政治、経済、文化的交渉があり、西北地方に、ギリシャ文化の影響を受けていたことから、東西の文化を包括し、融合させ、種々の文化的要素を併合した。

例えば、ギリシャ、ローマの天文学の影響から、インド古来の天文学が、変化し、新たな、天文学が起こる。
芸術では、ガンダーラ地方に、ギリシャ彫刻の影響を受けた、仏教美術が、起こる。

それが、土着するにつれて、インド古来の習慣、風俗に同化してゆくのである。

更に、クシャーナ諸王は、種々の宗教を認めていた。
ただし、クシャーナ王朝では、王が神的称号を用いていたということが、特徴である。

そして、社会変動に応じて、氏族制度の、秩序の儀準となっていた、律法経典、ダルマ・スートラが、拡大改編されて、マヌ法典として、大法典が、作成された。

ここに、カースト制の、根拠が、明確に示された。
バラモンが、最高位である。
そして、王族、庶民、最下層のシュードラである。
それぞれの、具体的な、道徳も、定められた。

最も、特徴的なことは、女性の地位である。
以前の、インドよりも、低下したのである。

それぞれの、カーストの女性は、男に、従属するものとして、扱われた。

更に、従来の、法典では、国は、国王のものであるという意識があったが、国家は、国王とは、別物として、解釈された。
しかし、王は、今まで以上に、権威ある者、神の代理者としての、地位を持つことになる。

バラモン教による、国王は、国王としての務め、王法というものが、ある。
専制君主の、神聖化、神秘化である。

勿論、最高位の、バラモンの策略である。

上記の、身分制度が、現在まで、行き続けているのである。

さて、カニシカ王は、仏教に帰依したといわれるが、クシャーナ王朝は、一つの宗教として、認めていただけである。

また、南方の諸王朝は、仏教に帰依し、保護したが、公には、バラモン教を奉じていた。

ただし、バラモン教と、並ぶ勢力は、あった。

当時の、仏教は、上座部仏教である。
大衆部系もあったが、いずれも、保守系、伝統仏教である。
いわゆる、小乗系である。

そして、仏教に対する、寄進は、多かった。
寺院には、広大な土地や、莫大な金銭が寄進され、土地から得る金銭の半額は、寺院のものとなり、現金は、組合制の中に組み込まれて、それらは、貸付され、利息を得ていた。

個人として、莫大な財産を所有する比丘も、現れた。
つまり、釈迦仏陀の、教えた、仏教というものの、堕落である。

衣一枚のみという、質素な生き方ではない。
莫大な財産を持ち、彼らは、教義と、経典の、制作に取り掛かるのである。

保守系仏教各派の比丘は、その社会基盤を得て、安穏とした生活を送ることになる。そして、議論の議論を、積み上げてゆくことになる。

最も、巨大な、集団である、説一切有部では、多数の、アビダルマ論書が制作された。

それらの、書籍は、省略する。

さて、北方、西方インドでは、サンスクリット語の、使用が盛んになる。
サンスクリット語の、仏教詩人も、現れる。

しかし、一般仏教徒は、依然として、俗語を使用していた。

更に、この時代の仏教の特徴は、大乗仏教の、宗教運動である。
小乗仏教という言葉は、大乗の者達が、蔑称として用いた言葉である。

保守系仏教、つまり、歴史的ゴータマの直接の教えに従う経典を、用いて、伝統的教理を忠実に、保存していたが、大乗仏教は、新たな経典を、創作したのである。

そこでは、ゴータマは、歴史的人物ではなく、理想的存在、超越的存在として、表されている。

この、大乗仏教運動は、最初は、民衆の間から、起こったものである。
信仰の純粋で、清きことを、誇りとし、寄進などの財産などは、持たない。

この時期から、経典の読誦を、最も、尊い行為、功徳のあるものとしたのである。
経典の、読経は、ここからはじまる。

そして、大乗の信徒は、小乗の、世俗を離れて、莫大な財産に依存し、瞑想、坐禅、煩雑な教理研究に没頭する、彼らを、激しく、攻撃することから、歩みを始めたのである。

要するに、分裂である。

巨大宗団は、分裂する。
では、バラモンは、何故、分裂しなかったのか。
それは、国家を、取り込んで、その最高地に存在したからである。

思想集団は、分裂を繰り返すのである。

次に、大乗仏教が、どのように、ゴータマの教えから、逸脱して行くのかを、見る。
インド思想史を、俯瞰することによって、大乗仏教の、成り立ちが、理解出来る。
膨大な、創作の、仏典を作る下地は、インド文化の、更に、物語文化の、故である。

仏教では、新興勢力であるが、インド文化からは、保守である。
要するに、インドの、思想体系に、準じたものである。

日本の、お馬鹿な、仏教愛好者が、大乗は、民衆運動だというが、何のことは無い。単に、インドの物語文化によって、生まれたものであり、それは、インドにのみ、通用する。

結果、インドの、大乗は、ヒンドゥーに飲み込まれて、久しい。


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2009年01月05日

もののあわれ 376

御帳の前に御硯などうち散らして、手習ひ捨て給へるを取りて、目をおししぼりつつ見給ふを、若き人々は、悲しき中にも、ほほえむあるべし。あはれなるふるさとごとども、からのもやまとのも書きけがしつつ、草にもまなにも、さまざま珍しき様に書きまぜ給へり。大臣「かしこの御手や」と、空を仰ぎて眺め給ふ。よそ人に見奉りなさむが惜しきなるべし。「古き枕古き衾、誰と共にか」とある所に

源氏
なきたまぞ いとど悲しき 寝し床の あくがれ難き 心ならひに

又、「霜の花白し」とある所に、

源氏
君なくて 塵積もりぬる とこなつの 露うち払ひ いく夜寝ぬらむ

一日の花なるべし、枯れて交れり。





御帳台の前に、硯などを置いたままになっていて、お書きになって、落ちたものを、取り上げて、目を、おししぼめて、ご覧になる。
若い女房たちの中には、それを、微笑んで見る者もいる。
哀れの深い数々の、言葉を、唐のもの、和のものも、書き流して、仮名書きや、漢字と、色々な書体で、書かれている。
大臣は、見事な、筆跡だと、空を仰いで、思いに耽る。
今後、他人として、接することが、残念である。
古き枕古き衾、誰と共にか、とある、所に

源氏
二人で寝た床から、離れにくいのが常となり、亡き魂も同じかと、思えば、更に悲しい

また、霜の花白し、とある所に

源氏
そなたが見えなくなってから、塵が積もってしまった、この床、涙の露を払いながら、幾夜、一人で、ねたことか

先日の、あの花なのであろう。枯れて、反古の中に、交じっている。




宮に御覧ぜさせ給ひて、大臣「いふかひな事をばさるものにて、かかる悲しきたぐひ世になくやはと思ひなしつつ、契り長からで、かく心を惑はすべくてこそはありけめと、かへりてはつらく先の世を思ひやりつつなむさまと侍るを、ただ日頃に添へて、恋しさの堪え難きと、この大将の君の、今はとよそになり給はむなむ、飽かず胸いたく思ひ侍りしを、朝夕の光り失ひては、いかでかながらふべからむ」と、御声もえ忍びあへ給はず泣い給ふに、お前なるおとなおとなしき人など、いと悲しくて、さとうち泣きたる、そぞろ寒き夕べのけしきなり。





大臣は、大宮、つまり、葵上の母親に、それを、見せて、言っても始まらない不幸は、置いておくとして、こんな悲しい話も、世間にはないでもない、強いて思い、親子の縁が長くなく、こんなに、心を悲しませるように、生まれてきたのだと、今は、死別のことより、前世の因縁を、恨めしく思うことにして、諦める。
ただ、日が経つにつれて、恋しさが堪え難いことと、この、大将の君が、これっきり、他人になってしまわれると思うと、たまらなく、悲しいことと、思われる。
一日、二日と、お見えにならないと、途絶えがちでいらしたことも、たまらなく胸苦しいと思ったことだが、朝夕の光なくしては、どうして、生きていけるだろう、と、声も抑えず、泣くのである。
御前にいる、年かさの女房などは、泣き出してしまい、なんとも、寒々とした、今宵である。





若き人々は、所々に群れいつつ、おのがどちあはれなる事どもうち語らひて、人々「殿のおぼし宣はするやうに、若君を見奉りてこそは慰むべかめれと思ふも、いとはかなき程の御かたみにこそ」とて、おのおの、人々「あからさまにまかでて、参らむ」と言ふもあれば、かたみに別れ惜しむ程、おのがじしあはれなる事ども多かり。





若い女房たちは、所々に、かたまり、お互いに、心を打つ話をする。
殿の、お考えの通り、若君のお世話をして、心を紛らわせるのがよいと思うが、それにしても、心細い、御形見ですと、言う。
それぞれに、少し里に、下りますという者もいて、互いに、別れを惜しみ、それぞれが、涙を流すのである。

源氏が、去った後の、大臣宅の様子である。
亡き人により、源氏も、家を出たのである。

他人といえば、他人である。

生まれた子供は、妻の実家で、育てられる。

いつの世も、人の死は、悲しい。
更に、子に先立たれる親は、更に、悲しい。
世の無常の習いに、平安期の人々も、悲しみ、苦しんだ。

人が死ぬ者であること、それは、人の確実な、定めである。
死というものを、いかに、捉えるかで、文化の基底が違う。

前世、来世という、考え方は、当時の、ハイカラな仏教、特に、浄土思想によるものである。
前世のえにし、因縁などという、言い方、考え方は、そのまま、仏教を取り入れている。

それは、今に至るまで、続く、日本は、仏教国といわれる。
仏、というものに、その人生の無常の救いを、見ようとした、平安期から、それ以後の、日本人の、無常観、死生観、そして、人生観である。

仏教伝来から、千五百年を経る。
果たして、仏教は、日本人の心象風景を、救ったのか。

心象風景である、もののあわれ、というものは、今も、厳然としてある。
言葉の、巧みさだけは、残ったが、基底にある、日本人の心情である、もののあわれ、の、心象風景は、何も、変わらない。

風吹けば、風に泣き、雨降れば、雨に泣く。

多くの別れの中でも、死別ほど、辛い、別れは無い。
この、別れを、どう、捉えるか。

それを、もののあわれ、という。

日本人の、心に響く、心象風景は、ただ、ただ、ものの、あはれ、にあるのである。

それを、表現するものを、日本では、芸という。
芸能である。
そして、それは、伝統である。

人は、伝統から、離れて、生きることは、出来ない。
無意識のうちに、伝統という、心象風景、もののあわれ、というものから、逃れることは、出来ないのである。


posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第9弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である 194

上座部仏教に対して、大乗仏教は、何と、新たな経典を創作した。
そこに現れる、仏陀は、歴史的人物ではなく、理想的存在として、描かれる。

更に、大乗の徒達は、初期には、一切の物を、所有しなかった。
民衆の間から、起こった運動である。
といえば、聞えはいいが、その経過を見ると、とんでもない、化け物に、発展してゆくのである。

初期の頃は、どの団体でも、理想を掲げて、それなりに、納得する、活動を展開するが、次第に、物を所有するようになる。
堕落である。

大乗の徒達は、創作した、経典の、読誦を、最も功徳があると、それを、勧めた。今に至るまで、そのようである。

大乗は、利他行を強調する。
つまり、人のためである。今で言えば、ボランティア活動に近い運動である。
慈悲の精神というものを、高く掲げたのである。

そして、生きとし生ける者、すべてを救うという。
自分が、彼岸に達する前に、まず他人を救うという。
それを、行う人を、菩薩と、呼んだ。

誰でも、衆生済度の誓願を立て、実践する者は、菩薩である。

ここに、大きな落とし穴がある。

その、菩薩行は、凡夫には、中々出来ないことであるから、諸仏、諸菩薩に、帰依して、その力によって、救われ、その力によって、実践するという、妄想を育てた。

信仰の対象は、超人的な仏陀であり、三世十方に渡って、無数に、多くの諸仏の出世、その存在を証明するという、蒙昧に陥ったのである。

仏の中でも、アクシュ仏、阿弥陀仏、薬師如来などが、熱烈な信仰対象となった。
勿論、架空の存在である。

更に、菩薩を作り出した。
弥勒、観世音、文殊、普賢菩薩である。

諸仏、諸菩薩に対する信仰は、多数の仏像を生む、きっかけを与えた。
像を拝むという、行為が、起こった。

それは、中央インドの、マトゥラーと、西北インドの、ガンダーラ地方が主として、仏像制作を行った。
マトゥラーは、インド美術の伝統であるが、ガンダーラは、ギリシャ美術の影響が強い。

大乗の、教化法は、民衆の精神的素養、傾向に、適合するように、された。つまり、迎合である。
そして、現世利益というものを、打ち出した。
仏、菩薩を信仰すれば、多くの富み、幸福が得られるというものである。

特に、重要なことは、バラモンの得意技である、呪術を用いたことである。
これは、効いた。
ところが、これが、大乗仏教を堕落させる、大きなポイントになったのである。

呪術とは、陀羅尼と、言われる文句である。
空海などが、それを、密教として、特に、強調して使用した。

それでは、経典は、どのように創作されたのかといえば、それ以前に民衆の間で、語られていた仏教的説話を元に、更に、以前の仏典から借用し、戯曲的構想の形を取りつつ、その奥に、深い哲学的思索を、忍ばせるかのように、作られたのである。

宗教的文芸作品である。

ここで、改めて、文芸作品であることを、明確にする。

そして、あらゆる、宗教経典は、文芸作品であり、そこから、逃れ得ないものであるということ。

つまり、如何様にも、解釈可能である。

キリスト教の、プロテスタントが、分派を、重ねたのは、それである。
聖書解釈の、都合で、如何様にでも、解釈出来ることから、新派が出来た。
どんどんと、好き勝手に、キリスト教を、名乗られるのである。

それに、似たのが、鎌倉仏教である。

日本の、大乗仏教は、中国思想が、加味されて、更に、複雑奇怪な、化け物のように、姿を変えた。

大乗仏典の、根本的思想は、空観である。
一切諸法、つまり、あらゆる事物が、空であり、それそれが、固定的な実体を有さないという、考え方である。

それは、考え方であり、真理であるというものではない。
真理といえば、妄想である。

原始仏教においても、世間は、空であると、説かれたが、般若経典では、その思想を更に、進めた。

玄奘訳の、大般若波羅密多経は、一大読み物である。

当時の、小乗、説一切有部等が、法の実有を唱えていたのに、対して、それを攻撃するために、更に、否定的に響く、空という、観念語を、般若経は、繰り返す。

それは、固定的な法という、観念を抱いては、ならない。
一切諸法は、空であるという。

一切諸法は他の法に条件づけられて成立しているものであるから、固定的・実体的な本性を有しないものであり、「無自性」であるが、本体をもたないものは空であると言わねばならぬからである。そうして、諸法が空であるならば、本来空であるはずの煩悩などを断滅するということも、真実には存在しないことである。
中村元

それを、体得することが、悟り、無上正等覚、むじょうしょうとうかく、であるとする。

その他に、悟りは無いという。

これを、突き詰めてゆくと、自分が衆生を済度すると思えば、それは真実の菩薩ではない。救う者も、救われる者も、空である。
救われて到達する境地も、空である。
身相をもって、仏を見てはいけない。
あらゆる相は、皆、虚妄である。
諸々の相は、相ではない。
それを知ることで、如来を見るという。

如来には、所説の教えは無い。
衆生を導く目的を達したならば、捨て去られるものである。

この、実践的認識を、智慧の完成という。
布施、持戒、忍辱、精進、禅定の、五つと、六波羅蜜という、六つの完成を得るというのだ。

与える、戒めを守る、耐え忍ぶ、務めに励む、静かに瞑想する。
という、五つの完成によって、六波羅蜜という、六つの完成に至るというのである。

諸仏、諸菩薩を対象にした信仰形態は、どうなったのか。
それらも、空ではないか。

仏教愛好者たちは、この、空観というものに、翻弄されて、無いものを、在るものと、思い込み、錯乱してゆくのである。

また、在るものを、無いものとして、認識するという、逆転作用に、迷い続けているのである。

勿論、死ぬまでの、暇を潰すというなら、何も言うことは無い。

大乗仏典は、次々に、新しい経典を、創作して、楽しい遊びに、没頭してゆく。
あること、無い事、自由自在に、お話を創り続けて、今に至る。

人間とは、実に、愚かなものである。
架空のお話に、一喜一憂するという、少女趣味を、地で行く。

仏教は、思春期の少女のためにある。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月06日

神仏は妄想である 196

2009年2月12日の、朝日新聞夕刊に載った、仏教系大学、花園大学教授である、佐々木閑氏の、日々是修行という、エッセイの一部から。

しかしそもそも釈迦の仏教は、信仰で成り立つ宗教ではない。仏教でも「信じなさい」とは言うが、それは、「釈迦の説いた道が、自分を向上させることに役立つ」という事実を「信頼せよ」という意味である。仏教の「信」とは、信仰ではなく信頼なのだ。この違いは大きい。
信仰とは、「絶対者に正しい存在がこの世にいる」と考えて、その前に自分のすべてを投げ出し身を任せることである。だから神や超越者に救いを求める宗教では、信仰が何より大切な原動力となる。一方、釈迦は絶対者の存在を認めなかったから、そこに信仰の対象というものがない。すべてを任せれば救ってくれる、そういう者はどこにもいないのである。

上記、実に、真っ当な感覚である。
仏教大学に、このような、真っ当な感覚を持つ先生がいることが、それこそ、救いである。

釈迦は、絶対者の存在を認めなかったとは、目から鱗であろう。
それを、釈迦を絶対者に仕立て上げた、大乗仏教というものが、いかに、誤りであるかということ。更に、である。
菩薩や、如来などの、神もどきを、沢山作り上げたということである。

それそこ、信仰の対象を、創り続けたのである。
勿論、釈迦仏陀も、その一人となった。

釈迦の教えには、信仰の対象というものがない、と言い切るのである。
その通りである。

すべてを任せれば、救ってくれるという、者は、どこにもないと言うことも、真っ当である。

それは、他力でも、自力でもない。
それこそ、知恵である。

更に、続けると、

釈迦自身は、普通の人間だ。ただ常人よりもすぐれた智慧があって、「超越者のいない世界で、生の苦しみに打ち勝つ道があること」を独力で見つけ出した。そしてそれを私たちに教えてくれた。だから私たちは、その道を信頼する。釈迦という人物を信仰して、「助けてください」と祈るのではない。釈迦が説いた、その道を「信頼して」、自分で歩んでいくのである。だから、釈迦が完璧な絶対者でなくても少しも構わない。道を信頼する気持があれば、それだけで仏教は成り立つのである。

それだけで、仏教は成り立つのである。
在家信仰を推し進めた、大乗は、これを、幾度も、読むことである。

更に、日本大乗仏教の、愛好者は、僧侶に、師事せずとも、我が身で、釈迦の教えた道というものに、歩み出せばよい。

この、考え方は、多分に、中国思想の匂いがするが、釈迦の教えは、実に、それに近いのである。
老荘思想も、絶対者を置かない。

絶対者を想定すると、妄想は、実に楽々である。更に、お任せするという、安心、あんじんという気持が、心地よい。

主よ、と呼びかける、キリスト教徒は、それだけで、酔いしれる。甚だしい場合は、涙を流す。その救いに預かっていると、信仰しているからだ。
アッラーも、そうである。
ユダヤ教徒も、同じく、全能の神である、主を、信仰する。そして、更に、それが、民族神であるから、やり切れない。

佐々木氏は、信仰と信頼の違いは、大きいと言うが、違いではなく、全く別物である。

帰依するという言葉ほど、上手い言葉は、無い。
絶体絶命の淵に立ち、帰依をするという、心境は、迷いの最高潮である。
それこそ、悪魔の誘いである。

人間として、立つという意識より、優れたものはない。
信仰者の、心理は、幼児心理学で、足りる。
更に、児童心理学を学べば、更に深まる。

宗教の心理は、その程度なのである。

ただし、言っておくが、だからといって、目に見えない世界を、軽んじる者も、甚だしく、愚かである。

唯物論というものは、実に、深いもので、単なる、唯、物ではないはずである。
その、物を、存在せしめている、目に見えない働きというものを、知っての、唯物論である。

見えるものは、見えないものによって、成り立つということを、知らなければ、表だけの、化け物である。

簡単に言えば、樹木には、見えない根があるということ。

見えるものしか、信じませんと、簡単に言う人には、注意しなければならない。
更に、聞えるものは、聞えないものに支えられてある。
聞えないものがあるから、聞えるものを、認識できるのである。

仏教にて、ぐだぐだと、説く言葉は、単なる、パズル遊びに等しい。
こうだから、こうで、だから、こうなり、そして、こうなって、更に、こうなるのである、という、言葉遊びに嵌ると、抜けられなくなる。
それが、信仰病である。

屁理屈、小理屈である。
それを、智慧だと、勘違いして、没頭するのは、学問が足りない故である。

そんな言葉遊びをしていても、どうにもならない。
ただ、どうにかなっていると、信じきるのみである。

ネズミが、クルクルと、輪を回るのに、似ている。
堂々巡りである。
しかし、その堂々巡りで、人生が輝くと、思い切るのである。そして、更に悪いのは、その暗示効果で、事が、上手くいっていると、思うことである。

信仰で、勝ったとは、迷いである。
信仰で勝つことなど、有り得ない。
それは、自己暗示の力である。

奇蹟というような、事態は、悪霊の関与するところのものである。
釈迦が、最も嫌ったのは、それである。
奇跡的な事柄を、特に嫌った。

生まれて、生きることだけでも、奇蹟なのに、それ以上の奇蹟を、求めて、どうする。
太陽が、東から出て、西に没することが、奇蹟である。それ以上の奇蹟はいらない。

事は、奇蹟ではなく、成る様になったのであり、それは、そうなるべくして成ったものである。

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