2008年12月30日

もののあわれ 370

殿のうち人ずくなにしめやかなる程に、にはかに例の御胸をせきあげて、いといたう惑ひ給ふ。うちに御消息聞え給ふ程もなく、絶え入り給ひぬ。足を空にて、誰も誰もまかで給ひぬれば、除目の夜なりけれど、かくわりなき御さはりなれば、皆事破れたるやうなり。




邸内は、人が少なく、物静かである。
その折に、葵上は、急に、いつものように、胸がこみ上げて、たいそう、酷く苦しまれる。
宮中に知らせる間もなく、息が絶えてしまった。
足も、地につかない、有様で、どなたも、どなたも、宮中から、退出された。
除目の夜だったが、このように、どうしようもない様であり、行事は、すべて、台無しである。

葵上が、亡くなったのである。
たえ入りたまひぬ
この、一行で、死を言う。

わりなき御さはりなれば
わりなき
やむをえぬ、どうしようもない、ことである。
御さはり
障り、障害である。

事破れたるようなり
予定の行事が、出来なくなったのである。





ののしり騒ぐ程、よなかばかりなれば、山の座主、何くれの僧都達も、え請じあへ給はず。「今はさりとも」と思ひたゆみたりつるに、あさましければ、殿の内の人、ものにぞあたる。所々の御とぶらひの使ひなと、立ち込みたれど、え聞えつがず。ゆすりみちて、いみじき御心惑ひども、いと恐ろしきまで見え給ふ。




大騒ぎの、時刻は、夜半過ぎである。
山の座主や、誰彼という、僧都たちも、呼ぶことが、出来なかった。
今は、もう、大丈夫と、安心していたところ、意外なことになり、御殿の内の人は、度を失って、物にぶつかっている。
方々から、ご弔問の、使いなどが、続々と入り込んで、取次ぎもせずに、上を下への、大騒ぎである。
身寄りの人の、悲しみなどは、怖いと言うほかない状態である。





御物の怪の度々取り入れ奉りしをおぼして、御枕などもさながら、二三日見奉り給へど、やうやう変はり給ふ事どものあれば、限りとおぼし果つる程、誰も誰もいといみじ。




今まで、物の怪が、度々入り込んで、気絶したことを、思い出して、枕などを、そのままにして、二三日、様子をご覧になるが、だんだと、変わり行く事なので、今は、これまでと、諦める頃、誰も彼も、全く、言いようも無い思いである。




大将殿は、悲しき事に事そへて、世の中をいと憂きものに思ししみぬれば、ただならぬ御あたりの御とぶらひどもも、「心憂し」とのみぞなべて思さるる。院におぼし嘆き、とぶらひ聞えさせ給ふさま、かへりておもだたしげなるを、嬉しきせもまじりて、大臣は御涙のいとまなし。人の申すに従ひて、いかめしきことどもを、「生きやかへり給ふ」と、さまざまに残ることなく、かつ損はれ給ふ事どものあるを見る見るも、尽きせず思し惑へど、かひなくて日頃になれば、「いかがせむ」とて、鳥辺野にいて奉る程、いみじげなる事多かり。





大将殿、つまり、源氏は、悲しいことの他に、嫌なことまであったゆえに、男女の情を、嫌なものと、身にしみて、思いになった。
並々ならず、思う方々からの、ご弔問も、嫌な思いをするばかりである。
院に、おかせられても、お嘆き遊ばして、ご弔問される様子は、かえって、面目を施すことなので、うれしいことも、相まって、大臣は、涙の乾く間もない。
人が申し上げるのに従い、厳粛な、祈祷などを、生き返ることもあろうかと、思い、様々と、試みる。
また、一方では、遺体が傷んでゆくこともあり、どこまでも、迷うが、その甲斐もないまま、幾日にもなるので、この上は、仕方がないと、鳥野辺に、お送りされることになる。
道々、見ていられないことが、多いのである。




これから、源氏の、嘆きが、始まる。
源氏物語の、ひとつの、テーマである。
死生観である。

もののあはれ、というもの、人の死をもって、極まる。

もの
それは、人である。
それは、
あはれ、である。

死によって、あはれ、という心象風景が、決定する。

これ以上でも、以下でもない、日本人の、心象風景である。

紫式部は、それを、源氏の心境として、細々と、書き付ける。
実に、読み応えのある、場面である。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第9弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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