2008年12月29日

もののあわれ 369

若君の御まみの美しさなどの、東宮にいみじう似奉り給へるを、見奉り給ひても、先づ恋しう思ひ出でられさせ給ふに、忍び難くて、「参り給はむ」とて、源氏「うちなどにも余り久しう参り侍らねば、いぶせさに、今日なむうひだちし侍るを、少し気近き程にて聞えさせばや。余りおぼつかなき御心の隔てかな」と、恨み聞え給へれば、人々「げにただひとへにえんにのみあるべき御中にもあらぬを、いたう衰へ給ヘリと言ひながら、物越しにてなどあるべきかは」とて、臥し給へる所に、おまし近う参りたれば、入りて物など聞え給ふ。御いらへ時々聞え給ふも、なほいと弱げなり。





若君の、目元の愛らしさなどが、東宮様によく、似ている。
それを、ご覧になるにつけても、自然、誰よりも、東宮を恋しく思い、じっとしていられなく、参上しょうと、思う。
源氏は、御所にも、あまり、長く参らず、気がかりで、今日は、初めて外出しようと思い、それでは少し、そば近くで、妻と話がしたいと、思います。このままでは、他人行儀なので、気になります。と、妻との会話を申し出る。
人々は、本当に、そうです。ひたすら、思わせぶりをしている、間柄では、ありません。
お元気でないとはいえ、お会いになるのが、よろしいと、言う。
源氏は、妻が、臥せている、部屋に入り、妻の傍近くの座について、お話をする。
それに対して、答えられるが、いっそう、弱々しげである。

今日はなむうひだちし侍るを
はじめて、立ち出る、という意味。

げにただひとへにえんにのみあるべき
げに ただ ひとへに えんにのみ あるべき
えんにのみ、とは、恋人同士の、澄ました雰囲気のこと。

物越しにて などあるべきかは
屏風や、凡帳を、隔てること。それを、しないのである。
おまし近参りたれば
傍近くにて、である。




されど、むげに亡き人と思ひ聞えし御有様をおぼし出づれば、夢のここちして、ゆゆしかりし程の事どもなど聞え給ふついでにも、かのむげに息も絶えたるやうにおはせしが、引きかへし、つぶつぶと宣ひし事ども、おぼし出づるに心憂ければ、源氏「いさや、聞えまほしき事いと多かれど、まだいとたゆげにおぼしためればこそ」とて、源氏「御湯参れ」などさへあつかひ聞え給ふを、いつ慣らひ給ひけむと、人々あはれがり聞ゆ。





されど、つまり、全く、亡き人と、思えた時の、様子を思い出してみると、夢のような、気持ちがする。
酷かった時のことを、お話することでも、全く、息が、絶えたようであったことが、打って変わり、細々と、お話されたことなどを、思い出すと、嫌な気持ちがする。
源氏は、いや、お話したいことは、沢山ありますが、まだ、大変そうですから、今度にしましょう。と言い、お薬を、召し上がれと、お世話をするのを、侍女たちは、いつ覚えられたのかと、感心するのである。

ゆゆしかりし程の事ども
死んでしまうかと、思えた。

まだいとたゆげにおぼしためればこそ
まだ いと たゆげに おぼし ためれば こそ
まだ、大変、辛そうだ。大変そうだ。だるそうだ。と、見えるのである。





いとをかしげなる人の、いたう弱り、損はれて、あるかなきかの気色にて臥し給へるさま、いとらうたげに心苦しげなり。御髪の、乱れたる筋もなく、はらはらとかかれる枕の程、ありがたきまで見ゆれば、「年頃何事を飽かぬ事ありて思ひつらむ」と、あやしきまでうちまもられ給ふ。源氏「院などに参りて、いととうまかでなむ。かやうにて、おぼつかなからず見奉らば嬉しかるべきを、宮のつとおはするに、心なくやと、つつみて過ぐしつるも苦しきを、なほやうやう心強くおぼしなして、例のおましどころにこそ。あまり若くもてなし給えば、かたへは、かくもものし給ふぞ」など、聞えおき給ひて、いと清げにうちさうぞきて出で給ふを、常よりは目とどめて見出だして臥し給へり。





大変、美しい人が、酷く弱り、憔悴する様は、生きているのかどうか、解らない状態で、寝ているのは、大変に可憐である。
痛々しい。
御髪は、乱れ毛、毛一筋とても、無く、はらはらと枕にかかる様の風情は、類ない程である。
源氏は、長年の間、この人の、どこに、不足を、感じたのかと、不思議なくらいに、じっと、妻を、見つめた。
源氏は、院などへ、参上して、早々に退出してきます。このようにして、お会い申し上げていましたら、何も気になることもなく、嬉しいのですが、母宮様が、お傍においでなので、不躾と思い、遠慮していました。
やはり、だんだんと、元気を出して、いつもの、お部屋に、移ってください。
母宮が、あまり、子供のように、扱われるので、このようになってしまうのかも、しれません。
などと、いいおきて、大変、美しい、装束をつけて、お出ましになる。
それを、妻は、いつもより、目を留めて、見送りつつ、臥している。

ありがたきまで見ゆれば
髪の乱れのさま、はらはらとして、枕にかかるという、風情を、たぐいなき、に、見るという。
もののあはれ、の、風情である。

あやしきまでうちまもられ給ふ
不思議に思うほどに、見つめている。
どうして、この人に、不足を感じていたのか。
そう、源氏は、自問自答するのである。
二人の不仲の原因は、何だったのか。
それは、作者、紫式部も、よく解らないのである。
そのような、縁であったというしか、言いようがないのである。

説明できないことは、説明しないで、いい。




秋の司召あるべき定めにて、大殿も参り給へば、君達もいたはり望み給ふ事どもありて、殿の御あたり離れ給はねば、皆ひきつづき出で給ひぬ。



秋は、定期異動がある。
秋は、中央官の移動で、司召という。つかさめし、である。
春は、地方官の移動で、県召、あがためし、という。

秋の、定期異動の決定される日であり、左大臣も、参内される。
ご子息たちも、懸命に、望まれることあり、父の大臣の傍を、離れない。
みな、引き続いて、お出ましになった。

源氏と、葵上は、ここで、ようやく、夫婦らしい会話をする。
ここ、ここに至ってである。
そして、葵上は、子を生んで、亡くなる。

葵上が、亡くなることで、作者が、表現したいものは、何か。
ここに、日本人の、死生観の、あはれ、というものを、観ることになる。

もののあはれ、は、死生の、あはれ、でもある。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第9弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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