2008年12月17日

もののあわれ357

「大殿にも久しうなりにける」と思せど、若君も心苦しければ、「こしらへむ」と思して、二条の院へおはしぬ。見るままに、いとうつくしげに生ひなりて、愛敬づき、らうらうじき心ばへいと殊なり。「飽かぬ所なう、わが御心のままに教へなさむ」と、思すにかひぬべし。男の御教へなれば、「すこし人慣れたる事や交らむ」と思ふこそうしろめたけれ。日頃の御物語、御琴など教へ暮らして出で給ふを、例の、と口惜しう思せど、今はいとようならはされて、わりなくは慕ひまつはさず。




左大臣邸にも、久しくご無沙汰したと、思い、また、幼い若君、若草も、可愛そうであり、慰めておこうと、二条の院へいらした。
若草は、見るたびに、とても可愛く成長して、優しく、利発な性質である。
不足のないように、自分の心のままに、教育しようとの、期待に応えてくれるだろうと思う。
男手の教育であるから、少し男に、馴れ馴れしくなるであろうかと、思うことが、不安である。
この数日、お話をしたり、琴などを教えて、一日を過して、お出かけになるのを、いつものように、残念と思われるが、この頃は、躾けられたせいか、むやみに、追いすがり、まといつくことはない。

今はいとようならはされて
いと よう ならはされて
大変躾けられて、である。




大殿には、例の、ふとも対面し給はず、つれづれとよろづ思しめぐらされて、筝の御琴まさぐりて、「やはらかにぬる割るはなくて」と謡ひ給ふ。



左大臣邸では、女君は、例の如く、すぐには、お会いにならない。
君は、所在なさに、色々と、思うこと多く、筝の琴を、まさぐりて弾き、やわらかに寝る夜はなくて、と、謡いになる。





大臣渡り給ひて、一日の興ありし事聞え給ふ。左大臣「ここらの齢にて、明王の御代四代をなむ見侍りぬれど、この度のやうに、ふみどもきやうざくに、舞、楽、物の音ども調ほりて、よはひ延ぶることなむ侍らざりつる。みちみちの物の上手ども多かる頃ほひ、くはしうしろしめし整へさせ給へるけなり。翁もほとほと舞ひ出でぬべき心地なむし侍りし」と聞え給へば、源氏「ことに整へ行ふ事も侍らず。ただ公事に、そしうなる物の師どもを、ここかしこに尋ねは減りしなり。よろづの事よりは、柳花苑、まことに後代の例ともなりぬべく見給へしに、ましてさかゆく春に立ち出でさせ給へらましかば、世の面目にや侍らまし」と聞え給ふ。





大臣が、おいでになり、先日の催しの、面白かったことを、申し上げる。
こんなに、年老いて、天子の御代四代を生きましたが、このたびのように、詩文が勝れて、舞も管弦の音も、完全にできていたことで、命が延びる思いをしたことはありません。諸道の名人たちが多い時代ゆえ、あなたが、それらのことを、詳しく知っておいででしたから、揃えられたのです。私のような、老人までが、踊りだしたくなるような、気持でした、と、申し上げる。
源氏は、特別に、揃えたことはありません。ただ、役目として、優れた専門家たちを、あちこちから、探し出したのでございます。何よりも、柳花苑の舞は、まことに、後世の手本ともなるに違いないと、拝見しました。まして、栄えゆく御代の春に、御前で舞われたら、一世の面目でございましたでしょう、と、申し上げる。





弁、中将など参りあひて、香蘭に背中おしつつ、とりどりに物の音ども調べ合はせて遊び給ふ、いと面白いし。


折から、弁や中将などが、集って、高欄によりかかり、思い思いの、楽器の音色を整えて、合奏されるのが、とても面白い。





かの有明の君は、はかなかりし夢をおぼし出でて、いともの嘆かしうながめ給ふ。東宮には、四月ばかりとおぼし定めたれば、いとわりなうおぼし乱れたるを、男も、尋ね給はむにあとはかなくはあらねど、いづれとも知らで、ことに許し給はぬあたりにかかづらはむも、人わるく思ひわづらひ給ふに、三月の二十余日、右の大殿の弓の結に、上達部、親王達多くつどへ給ひて、やがて藤の花の宴し給ふ。はなざかりは過ぎにたるを、「ほかの散りなむ」とやる殿を、宮達の御裳着の日、磨きしつらはれたり。はなばなとものし給ふ殿のやうにて、何事も今めかしうもてなし給へり。




あの、有明の女君は、儚い春の夜の、夢のような逢瀬を、思い出していた。
酷く、嘆かわしいほどに、物思いに耽る。
東宮には、四月頃にと、予定があるので、酷くやるせなく、思い乱れているのを、男君も、捜すのに、当てが無いわけではないが、どの姫ともわからず、特に、自分を嫌らう一家に関わりあうのも、体裁が悪いと思っている。
そこへ、三月二十日過ぎに、右大臣邸の弓の競技で、上達部や、親王たちを集めて、そのまま引き続き、藤の花の宴を、催すことになった。
桜の花の盛りは、過ぎていたが、ほかの散ってのちに、と教えられたのか、遅れて咲く、二本の桜が、また、趣がある。
新しくお造りになった、御殿を、姫君たちの、御裳着の日に、磨きたてて、飾られた。
派手な、家柄か、何事も、今流行りである。

ほかの散りなむ
古今集より
見る人も なき山里の さくら花 ほかの散りなむ 後ぞ咲かまし 伊勢
見る人もいない、山里の桜花は、他の桜が散ってしまった後に、咲いたらよい。さすれば、あるいは、見てくれる人もあろうに。
上記から、取られている。



源氏の君にも、一日、うちにて御対面のついでに聞え給ひしかど、「おはせねば、くちをしう、物の栄なし」とおぼして、御子の四位の少将を奉り給ふ。

右大臣
わが宿の 花しなべての 色ならば 何かはさらに 君を待たまし

うちにおはする程にて、上に奏し給ふ。主上「したり顔なりや」と笑はせ給ひて、「わざとあめるを、早うものせよかし。女御子たちなども、生ひ出づる所なれば、なべてのさまには思ふまじきを」など宣はす。




源氏の君にも、先日、御所で、対面の折に、お招き申し上げたが、お出でにならないので、御子の四位の少将を、お迎えに向かわせた。

右大臣
私の家の、藤の花が、普通の平凡な花ならば、どうして、殊更、あなたを、ご招待もうしましょう。

君は、御所に、いらした折なので、帝に奏上なさった。
得意顔だと、笑われて、わざわざ迎えに来たことであるし、早く行くかよい。内親王たちなども、育っている所だから、そなたを、他人のように、思うまい、などと、おおせられる。


物語の歌も、すべて、作者の詠む唄である。
その時々の、情景と、人物に合わせての、歌詠みである。
それも、大した、技である。
これにも、感心するのである。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第9弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である 182

神はいない。
何ら、救済者の存在を期待しないという、ジャイナ教である。

修行により、業の束縛が解かれ、微細な物質が、霊魂から離れる。それを、止滅と呼ぶ。

その結果、罪悪、汚れを滅ぼした、完全な智慧を得た人は、「生も望まず、死をも欲せず」なのである。

つまり、現世も、来世も、願うこと無しである。

この境地を、解脱、寂静、ニルヴァーナと、呼ぶ。
身体の壊滅とともに、完全な解脱が、完成するというのである。

その後、成立した、解脱観には、身体が死すると、解脱した霊魂は、本来有する、上昇性を発揮して、上方に向かい、世界を脱して、非世界に至る。そして、霊魂は、本性において現れて、絶対の安楽が得られると、なる。これが、真の解脱である。

私の解釈を、すれば、宇宙の外に出るということである。

上記は、すべて、観念である。

これは、大乗仏教に大きな影響を与えた。
微妙に相違は、あるが、非常に大乗に近いものがある。
釈迦仏陀の教えにも、近い。

さて、その信者である。

厳重な修行は、在家信者の行うことの出来ないものである。
信者は、因果応報の理を信じ、高僧の教えに従い、道徳的、正しい生活をすること。
それによって、死後、神々の世界に達して、楽しい生活が出来るという。

ただし、在家の信者にも、不殺生戒の厳守を要求する。
信者は、農業あるいは、一般的に、生産に従事せずに、職業として、商業を選ぶ。
従って、ジャイナ教は、商業、特に、金貸し、販売に従事することになる。

正直で、信用もあり、富裕層に内に入った。
19世紀まで、インド資本の、過半数は、インド人口の、0,5パーセントにすぎない、ジャイナ教徒の手中にあったといわれる。

ジャイナ教は、宗教と、資本主義の、関係において、問題提起する、インド最初の、事例であると、いわれる。

それでは、初期、原始仏教、つまり、釈迦仏陀は、いかなる方法をとったのか。

ゴータマは、当時の思想界において、本質的に相容れない種々の哲学説が、互いに相対化し、矛盾し、抗争している事実を注視し、反省した。「或る人々が「真理なり、真実なり」というところのその、「見解」をば、他の人々は「虚偽なり、虚妄なり」という。かくのごとく、かれは異なれる見解をいだいて、互いに論争をなす」しかし人がいずれか一つの哲学説の立場から離れて、この思想史的現実を、客観的・通観的視点から眺めるならば、それらは互いに対立・抗争しているという点において、いずれも相対的・一方的である。
中村元 インド思想史

そして、釈迦仏陀が、取った行動は、結局解決しない、形而上学的問題についての、論争などに、関わらない。
更に、無意味である、無意義であるとして、論争に加わらないのである。

かれは一つの立場に固守して他の者と争うことがない。かれは種々の哲学説がいずれも特殊な執着にもとづく偏見であることを確知して、そのいずれにもとらわれず、みずから省察しつつ、内心の寂静の境地に到達しようとした。かれはみずから真実のバラモン「つとめる人」沙門となる道を説くのだと標榜していた。仏教はどこまでも人間の生きるべき道を明らかにしたのであり、この道またはきまりを法、ダルマとよんだ。
中村元

大乗仏典が、書かれて以降、上記にある、当時の思想界のような、状態になる。
仏教に関してである。

それを否定した釈迦仏陀の、仏教が、そのようになるという、皮肉である。

これが、唯一の、これが、真理である、これが真実である、等々である。
しまいに、仏典の一つを、もって、真理ありだの、甚だしくは、仏典の一説を持って、これが、唯一の道などと、ほざくのである。

何度、繰り返してもいいと、思うので、釈迦仏陀の、原始仏教を、もう少し見る。

その前に、私は、釈迦仏陀という、釈迦族のことを言う。
仏陀が、出た、釈迦族は、仏陀の目の前で、滅ぼされている。

つまり、仏陀が、そのまま、城にいれば、確実に殺されていた。
出家をしたことにより、仏陀は、その滅びから、免れている。

誰も、このことを言わないので、言っておく。

滅ぼされる因縁のある、釈迦族に生まれたのが、釈迦仏陀である。
確かに、二度、仏陀は、その軍勢を止めている。しかし、三度目は、止められなかった。
何故か。
かれ自身の、因果の法で、解釈すればいい。

生老病死は、苦であると、観たのである。
生まれることも、老いることも、病気になることも、死ぬことも、苦である。
つまり、人生は、苦であるということである。

苦とは、自己の欲するがままにならないこと、であるという。
ということは、生まれたことも、思うに任せなかったということである。つまり、生まれたくなかった。
これに対して、私は、きっぱりと、明らかに言う。
人は、生まれたくて、生まれてきた。
生まれたことが、苦である、思うようにいなかかったというのは、傲慢不遜であり、釈迦仏陀も、悟れなかったという、こと、明々白日である。

私は、10歳の年、夏のある日、明確に、生まれたくて、生まれてきたと、感得した。
それは、悟りか。
悟りでもないでもない。私の感性である。

人生は、私の欲するままにならないものである、ということである。
つまり、成功したなら、それは、嘘である。
欲するままに、ならないのが、人生なのである。

何一つとして。

そのように、人生を捉えるのである。

さて、ここで、下世話な話である。
私の父が、七十を過ぎて、癌になった時、私は、病室で、父に、父さん、そんなに生きなくてもいい、こんな世の中に、長くいることはないと、言った。周囲の人は、騒然とした。
また、唖然としたようである。
一日でも、長く生きてと、言うと、思ったようである。

父は、お前が、本当のことを言うから、俺は、目が覚める。そこで、もう少し、生きることにしたと、言うのである。
俺は、生きてみる、と。
そうして、82歳まで生きた。

「ああ短いかな、人の生命よ。百歳に達せずして死ぬ。たといさらに長く生きるとしても、また老衰のたるに死ぬ」
上記は、仏陀の言葉であるが、本当は、お笑いである。
仏陀が言ったというから、神妙になるが、実に、お笑いである。

癌が完治した。それでも、人は、死ぬ。

父さん、10年長く生きたところで、どうなるものでもないと、私。
お前が、見舞いに来ると、目が覚めると、父は、言う。

俺は、生きると、三度も、手術を受けて、生き延びた父は、矢張り、死んだ。
本当に、十年長く生きてしまった。

そして、その、10年長く生きて、一番恩恵を受けたのは、父ではなく、私であった。

季節ごとの、海や山の幸を、私は、定期的に送ってもらい、いつも、食卓には、北の他の食べ物があった。

早く死んでも、いいものをと、思い、見ていたが、あらまーと、生きて、最後に、静かに、くたばった。

人生は、苦である。
そう、釈迦仏陀は観た。
それは、仏陀の観たものである。

人それぞれ、観るものは、違う。
喜怒哀楽。
それから、一つ取り出して、人生は、喜びである、怒りである、哀しみである、楽であると、言ってもいい。
お好きな方を、どうぞ、である。

釈迦仏陀も、
私に言わせれば、死ぬまでの、暇潰しをしたのであり、それも、また、良きことである。

あまり、力まない方が、身のためである。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第4弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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