2008年12月14日

もののあわれ354

花宴
はなのえん

二月の二十日あまり、南殿の桜の宴せさせ給ふ。后、東宮の御局、左右にして、参う上がり給ふ。弘薇殿の女御、中宮のかくておはするを、折節ごとに安からず思せど、物見にはえ過ぐし給はで参り給ふ。日いとよく晴れて、空の気色、鳥の声も心地よげなるに、親王達、上達部よりはじめて、その道のは、皆探韻賜はりて、文作り給ふ。宰相の中将、「春といふ文字賜はれり」と宣ふ声さへ、例の、人に異なり。



きさらぎの、二十日過ぎ、南殿、ししんでん、の、桜の宴を催しされる。
皇后と、東宮の、ご座所を、玉座の左右に設けて、お二人が参上される。
弘薇殿の女御は、中宮が、このように上座にいられることを、事あるごとに、不快に思うのだが、物見には、じっとしていられないので、参上される。
晴れて、空の様、鳥の声も、気持よく、親王たち、上達部をはじめ、その道の人々は、皆、文字を頂いて、詩を、作られる。
宰相の中将、つまり、源氏が、春という文字を賜ったと、仰る声まで、いつものように、人とは、違う響きである。

花見の宴は、この頃から、始まった。
その席で、帝から、文字を賜り、歌を詠むのである。
この場合は、漢詩文で、句の末に置く文字を、頂くのである。




次に頭の中将、人の目移しも、ただならず覚ゆべかめれど、いとめやすくもてなしづめて、声づかひなど、ものものしくすぐれたり。さての人々は、みな臆しがちにはなじろめる多かり。地下の人は、まして、帝、東宮の御才かしこくすぐれておはします、かかる方にやむごとなき人多くものし給ふ頃なるに、恥づかしく、はるばるとくもりなき庭に立ち出づる程、はしたなくて、やすき事なれど、苦しげなり。年老いたる博士どもの、なりあやしくやつれて、例なれたるも、あはれに、さまざま御覧ずるなむ、をかしかりける。



次の、頭の中将は、源氏を見た目で、自分を見る人々の注目は、いつもと違うと、感じているようであるが、体裁よく、落ち着いて、声なども、重々しくされる。
その他の、人々は、皆、気後れしているようで、きまり悪そうにしている者多い。
地下の人は、陛下も、東宮も、学才際立ち、皆、立派な方が、大勢いるので、恥ずかしく、広々とした庭に出るのが、きまり悪そうである。歌を作ることは、よいが、切なそうな感じである。
年を取っている、博士たちは、身なりが、いやに、みすぼらしいが、場慣れしているのも、気の毒であると、それぞれ、御覧になるのは、帝にとって、興味深いことであった。


地下の人とは、殿上人に対して、まだ、清涼殿の、殿上に上がることを、許されていない者達である。

博士とは、文章博士のこと。もんじょうはかせ、である。





楽どもなどは、さらにも言はず調へさせ給へり。やうやう入り日になる程、春の鶯さへづるといふ舞、いと面白く見ゆるに、源氏の御紅葉の賀の折、思し出でられて、東宮、かざし賜はせて、切に責め宣はするに、のがれ難くて、立ちて、のどかに、袖かへす所を、ひとをれ気色ばかり舞ひ給へるに、似るべきものなく見ゆ。左の大臣、うらめしさも忘れて、涙落とし給ふ。主上「頭の中将、いづら、遅し」とあれば、柳花苑といふ舞を、これは今少し過ぐして、かかる事もやと心づかひやしけむ、いとおもしろければ、御衣賜はりて、いとめづらしき事に人思へり。





舞楽など、十分に用意されている。
次第に、夕日が傾く頃は、春の鶯が、さえずるという舞いが、大変面白く見えるのである。
源氏の、紅葉賀の時のことが、思い出されて、東宮が、源氏に、花を授けて、しきりに舞いを、求めるので、辞退しかね、立って、ゆるやかに、袖をひるがえす所を、一区切りとし、少し形だけ、舞われた。それがまた、見事である。
左大臣は、恨めしさも忘れて、涙を流される。
頭の中将は、どうした、早くと、お声がかかると、柳花苑という舞いを、少し念入りに舞う。こういうこともあろうかと、心づもりをしていたようであり、大変面白い。
帝から、御衣を頂き、それは、大変珍しいことと、人々が、感心する。


いとおもしろければ
大変、素晴らしい。おもしろい、とは、すべてを含めている。
興味深い、引き込まれるなどなど。





上達部みなみだれて舞ひ給へど、夜に入りては、殊にけぢめも見えず、文など講ずるにも、源氏の君の御をば、講師もえ読みやらず、句ごとの誦しののしる。博士どもの心にもいみじう思へり。かやうの折にも、まづこの君を光にし給へれば、帝もいかでか疎に思されむ。中宮、御目のとまるにつけて、「東宮の女御の、あながちに、にくみ給ふらむもあやしう、わがかう思ふも心憂し」とぞ、自ら思し返されける。

藤壺
おほかたに 花の姿を 見ましかば つゆも心の おかれましやは

御心のうちなりけむこと、いかで漏りにけむ。夜いたうふけてなむ、事果てける。



上達部も、皆、順序なく舞われれるが、夜になると、上手、下手の、区別もつかない。
詩を披露するにも、源氏の君の、御作品を、講師も読むことが難しく、一句ごとに、読んでは、褒め称える。
博士達も、心底、感心している。
このような時にも、君を光のように思い、陛下も、疎かに思うこともない。
中宮は、この君に、目が留まるにつけて、東宮の女御が、むやみに、この君を憎むのに、理解が出来ないのである。
また、自分が、君を、このように思うことも、辛いことだと、深く反省する。

藤壺
何の関係もなく、この美しい花を眺めるのであれば、少しも、気兼ねすることは、あるまいに。

心の中で、詠む歌が、どうして人に知られてしまったのか。
夜が、すっかりと更けてから、宴は、終わったのである。

何故、藤壺の歌が、人の知られることになったのかと、作者は書くが、それは、作者のゆえである。

東宮とは、源氏の、腹違いの兄である。その女御は、妻である。
源氏に対して、悪感情を抱くのである。

中宮となった、藤壺は、それに、不可解な思いである。

しかし、次第に、源氏の、状況が、表れてくるのである。
それが、物語の楽しみ。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第9弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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