2008年12月12日

もののあわれ352

帯は中将のなりけり。わが御直衣よりは色深し、と見給ふに、はた袖もなかりけり。あやしの事どもや、下り立ちてみだるる人はむべをこがましき事も多からむ、と、いとど御心をさめられ給ふ。
中将、宿直所より、「これまづ綴ぢつけさせ給へ」とて、おし包みておこせたるを、「いかで取りつらむ」と心やまし。「この帯をえざらましかば」とおぼす。その色の紙につつみて、

源氏
中たえば かごとやおふと あやふさに はなだの帯は とりてだに見ず

とて遣り給ふ。立ちかえり、

中将
君にかく 引きとられぬる 帯なれば かくて絶えぬる 中とかこたむ

えのがれさせ給はじ」とあり。




帯は、中将のものであった。
ご自分の、直衣より、色が濃いと、気づいて、改めると、はた袖も、なくなっている。
様子の悪いことばかりだ。色事に夢中の人々は、こうして、狂態を演ずることも、多いのだろう。と、己を、戒める。
中将が、控えの間から、まず、これを縫い付けてくださいと、言い、押し包んで寄こしたので、何時の間に、この袖を取ったのかと、思い、憎らしい。
この帯がなければ、口惜しい事だったと、思われる。
帯と、同じ色の紙に包んで
源氏
女との仲が切れたら、私のせいだと言われるのが、心配で、この帯を取り上げてみることもない。

と、遣わす。その返事は

中将
あなたは、こんな事で、取られた帯です。こんなことで、女と、駄目になったと、恨みます。
逃げられませんよ、とある。

はなだの帯
催馬楽という、歌の歌詞にあるものから、連想している。




日たけて、おのおの殿上に参り給へり。いち静かに、もの遠きさましておはするに、頭の君もいとをかしけれど、公事多く奏し下す日にて、いとうるはしくすくよかなるを見るも、かたみにはほほえまる。人間にさしてよりて、中将「ものがくしは懲りぬらむかし」とて、いとねたげなるしり目なり。源氏「などてかさしもあらむ。立ちながら帰りけむ人こそいとほしけれ。まことは、憂しや世の中よ」と言ひ合わせて、
「とこの山なる」と、かたみに口がたむ。




昼過ぎ、二人は、殿上の間に、参上する。
大そう澄まして、よそよそしい様子でいる。
頭の中将は、ひどくおかしいと思うが、その日は、公事が多く、奏上したり、宣下なさる日にあたり、威儀を正して、改まった姿をみるにつけても、お互いに、笑むのである。
人の居ない所で、傍により、中将が、内緒事は、お懲りになったでしょうと、忌々しく、尻目で、睨むのである。
源氏は、そんなことがあるものか。無駄足の方こそ、気の毒。本当のところ、うしや世の中とでも、言うと、話し合う。
とこの山なる、我が名もらすなと、互いに、口止めするのである。

とこの山なる
古今集
犬上の とこの山なる いさや川 いさと答へよ 我が名もらすな

当時の貴族生活の中には、歌の世界をして、会話が成り立つ。つまり、歌の教養がなければ、話が出来ないほどである。




さてその後は、ともすれば事のついでごとに、言ひ迎ふるくさはひなるを、「いとどものむつかしき人ゆえ」と、おぼし知るべし。女は、なほいとえんにうらみかくるを、「わびし」と思ひありき給ふ。中将は、妹の君にも聞え出でず、「たださるべき折のおどしぐさにせむ」とぞ思ひける。




その後は、何かの機会があるたびに、冷やかしの種である。
これも、あの、厄介な婆さんのせいだと、酷く、懲りたことだうろとは、作者の感想。
しかし、女は、相変わらず、色っぽく、恨み言を言うので、困ったことだと、思う。
中将は、妹の君、つまり、源氏の妻にも、言わず、ただ、折りあれば、やりこめる材料にしょうと、企むのである。





やむごとなき御腹々の親王たちだに、上の御もてなしのこよなきにわづらはしがりて、いとことにさり聞え給へるを、この中将は、「さらにおし消たれ聞えじ」と、はかなき事につけても、思ひいどみ聞え給ふ。この君一人ぞ、姫君の御一腹なりけり。帝の御子といふばかりにこそあれ、われも、同じ大臣と聞ゆれど、御おぼえ殊なるが、皇女腹にてまたなくかしづかれたるは、何ばかり劣るべきはと覚え給はぬなるべし。人がらもあるべき限りととのひて、何事もあらまほしく、足らひてぞものし給ひける。
この御中どものいどみこそあやしかりしか。されどうるさくてなむ。




身分の高い方を、母君とする、親王たちでさえ、帝の寵愛をはばかり、大そう、特別に遠慮されているのに、この中将の君は、絶対に、ひけを取るまいと、つまらぬことでも、意地を張る。
この君一人が、姫君と、同じ腹から、生まれた。
陛下の御子というだけの、違いである。自分も、大臣の中でも、特別帝に、ご信任の厚い方の子として、しかも、内親王を母として、この上なく、大切に育てられた。何ほども、劣った身分であるとは、思わない。
人品も、条件も、すべて揃っている。何事も、理想的で、不足は無い。
二人の意地の張り合いには、おかしな話が、一杯あるが、しかし、うるさくなるので、申し上げません。
最後は、作者の言葉である。

ちなみに、母の身分が、子の身分となるとは、古代の社会からである。
豪族達が、天皇の下に、秩序を得てから、次第に、そのように、身分が整えられていった。

推古天皇の頃には、すでに、それが明確になっていた。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第9弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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