2008年12月03日

もののあわれ343

参座しにとても、あまた所もありき給はず。内裏、東宮、一の院ばかり、さては藤壺の三条の宮にぞ参り給へる。人々「今日はまた殊にも見え給ふかな。ねび給ふままに、ゆゆしきまでなりさり給ふ御有様かな」と、人々めで聞ゆるを、宮、凡帳のひまより、ほの見給ふにつけても、思ほすことしげかりけり。




参賀をするといっても、多くの所へは廻らず、御所と東宮御所、一の院のみ。あとは、藤壺の三条の宮である。
人々が、源氏を見て、今日は、格別に美しい。御年が増すにつれて、ゆゆしきまでなりさり、恐いほど美しくなられると、褒めて言う。
宮は、凡帳の隙間から、そっと、源氏を御覧になり、複雑な心境である。

思ほすことしげかりけり
思うことが、多い。つまり、複雑である。




この御事の、十二月も過ぎにしが、心もとなきに、この月はさりとも、と宮人も待ち聞え、内裏にもさる御心まうけどもあるに、つれなくて立ちぬ。「御物の怪にや」と世人も聞え騒ぐを、宮いとわびしう、「この事により、身のいたづらになりぬべきこと」とおぼし嘆くに、御心地もいと苦しくてなやみ給ふ。中将の君は、いとど思ひ合せて、御修法など、さとはなくて所々にせさせ給ふ。世の中のさだめなきにつけても、「かくはかなくてや止みなむ」と、取り集めて嘆き給ふに、二月十余日の程に、男御子生れ給ひぬれば、なごりなく、内裏にも宮人もよろこび聞え給ふ。




お産は、予定の十二月を過ぎても、何の模様もなかった。
この正月こそはと、宮づきの人々が、待っていたし、宮中でも、その準備をしていた。
だが、何事もなく過ぎた。
物の怪の仕業であろうか、と、世間の人々も、噂するので、宮は、つまり藤壺は、大変心配し、この事のために、我が身を、滅ぼすのではないかと、嘆くにつけて、気持が苦しく、具合が悪くなるのである。
中将の君は、つまり源氏は、いよいよ、心に思いあたること強くて、御修法を、ひそかに、あちこちの寺でさせる。
世の中は、無常ゆえに、宮は、こうしてお亡くなりになり、二人の間は、終わるのかと、何もかにもが、嘆きの種になっている、二月の十日過ぎ、皇子が、誕生された。
今までの不安は、一掃されて、主上も、宮の内の人々も、喜ぶのである。

三条の宮でのことである。
藤壺の宮の心境が、語られるのである。

なごりなく
今までの不安が無くなる。



「命長くも」と思ほすは心憂けれど、弘微殿などの、うけはしげに宣ふと聞きしを、「むなしく聞きなし給はましかば人笑はれにや」とおぼしつよりてなむ、やうやうすこしづつさわやい給ひける。



生き続けるのかと、思うことは、辛いことであった。弘微殿などが、呪いをかけそうになったと聞くにつけて、死んだと、聞いたら、さぞ物笑いの種になっただろうと、気を強く持ち、病気も、少しづつ快方に向かうのだった。




上の、いつしかとゆかしげにおぼし召したること限りなし。かの人知れぬ御心にも、いみじう心もとなくて、人間に参り給ひて、源氏「上のおぼつかながり聞えさせ給ふを、先づ見奉りて奏し侍らむ」と聞え給へど、「むつかしげなる程なれば」とて、見せ奉り給はぬも、ことわりなり。




主上は、一日も早く、皇子を見たいと、思し召す。
また、かの人知れぬ親御も、大変気がかりである。それは、源氏のこと。
人にいない隙に、源氏は、主上、おかみが、待ち遠しく思っていますゆえ、私が、拝見して、奏上いたしましょうと、仰るが、まだ見苦しい所でありますと、お見せにならないのである。

ことわりなり
無理もない。見せないことも、無理はないのである。




さるは、いとあさましう、めづらかなるまで写し取り給へるさま、違ふべくもあらず。宮の、御心の鬼にいと苦しく、「人の身奉るも、あやしかりつる程のあやまりを、まさに人の思ひとがめじや。さらぬはかなき事をだに、疵を求むる世に、いかなる名のつひに漏り出づべきにか」と思しつづくるに、身のみぞいと心憂き。命婦の君に、たまさかに逢ひ給ひて、いみじき言どもをつくし給へど、何のかひあるべきにもあらず。





実に、呆れるばかりに、写し取ったような顔であり、見まごうべくもない。
宮は、我が心に問うて、苦しく、誰が見ても、その当時の過ちを、気づかないはずはない。なんでもないことでも、粗を探す世の中である。さらに、どんな噂が漏れるかもしれないと、思い続けて、我が身が、恨めしい。
源氏は、命婦に逢うと、言葉を尽くして、手引きを頼むが、なんの答えもない。

いみじき言どもをつくし給へど
言葉を尽くしても、哀切に満ちた思いを語っても、である。

源氏の子を産んだ、藤壺の宮と、源氏の、それぞれの、思いである。
これは、物語の核でもある。
父である、天皇の皇后に、わが子を、宿したという、源氏の罪深さ。
誰もに、その危険と誘惑があるという、世の無常、儚さ、それは、あはれ、である。

この事態が、源氏のこれからに、どのように影響して行くのか。
一体、紫式部は、それによって、何を描こうとしたのか。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第9弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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