2008年12月31日

もののあわれ 371

こなたかなたの御送りの人ども、寺寺の念仏僧など、そこら広き野に所もなし。院をばさらに申さず。后の宮、東宮などの御使ひ、さらぬ所々のも参りちがひて、あかずいみじき御とぶらひを聞え給ふ。大臣はえ立ち上がり給はず。左大臣「かかるよはひの末に、若く盛りの子に後れ奉りて、もこよふこと」と、恥ぢ泣き給ふを、ここらの人悲しう身奉る。





あちこちから、弔いの人々が、やってきて、寺の念仏の僧などで、あれほど広い野原に、隙間が無いのである。
院からは、申すまでもなく、皇后や、東宮などかも、お使いがあり、その他の、諸方からの使いも、代わる代わる参上して、残り多い人生であったとの、悲しみに満ちた、弔いの言葉である。
大臣は、立ち上がることも出来ず、このような、高齢になって、若い盛りの子に、死なれて、遅れて、這いずり回ることと、恥じて泣かれる。
大勢の人が、それを、痛ましく、拝見する。

もこようこと
うごめくこと。蠢く。
古語である。





よもすがらいみじうののしりつる儀式なれど、いとはかなき御屍ばかりを御名残にて、暁深く帰り給ふ。常の事なれど、人一人か、あまたしも見給はぬ事なればにや、たぐひなくおぼしこがれたり。八月廿日よ日の有明なれば、空の気色もあはれ少なからぬに、大臣のやみにくれ惑ひ給へるまさを見給ふも、ことわりにいみじければ、空のみながめられ給ひて、

源氏
のぼりぬる 煙はそれと わかねども なべて雲居の あはれなるかな

殿におはし着きても、つゆまどもまれ給はず。年頃の御有様をおぼし出でつつ、「などて、つひにはおのづから見なほし給ひてむと、のどかに思ひて、なほざりのすさびにつけても、つらしと覚えられ奉りけむ。世を経て、うとく恥づかしきものに思ひて過ぎ果て給ひぬる」など、くやしきこと多くおぼし続けらるれど、かひなし。にばめる御衣奉れるも、夢のここちして、「われ先立たましかば、深くぞ染め給はまし」と、おぼすさへ、

限りあれば うすずみ衣 あさけれど 涙ぞそでを ふちとなしける

とて、念誦給へるさま、いとどなまめかしさまさりて、経しのびやかに読み給ひつつ、「法界三昧普賢大士」とうち宣へる、行ひなれたる法師よりは、けなり。若君を見奉り給ふにも、「何にしのぶの」と、いとど露けけれど、かかる形見さへなからましかばと、おぼしなぐさむ。




一晩中、大変な騒ぎの中で、君、源氏は、まことに儚い、ご遺骸だけを残して、暁深くに、帰られる。
世の常のことであるが、君は、今までに、一人か、そこらあたりと、沢山の体験は無い。
この上もなく、亡き人を、恋しく思うのである。
八月二十日あまりの、有明の頃である。
空の様子、心打つ風情が少なくない中、大臣が、子を思う心の闇に、途方に暮れている様子を、ご覧になるにつけ、それはもっともなこと、痛ましいと、空ばかりを、眺めるのである。

源氏
空へ立ち上った、火葬の煙は、雲と一緒になり、どの雲か、それは分からないが、空が、しみじみと、胸に迫るものだ。

大臣邸に、着いても、少しも、眠られない。
年来の、有様を、思い出し、どうして、自然と、考え直されるのだろうかと、暢気に構えていたのか、少しの、浮気心で、辛いと、思わせてしまった。
生涯を通して、親しみのない、気のおけるものと私を思い、亡くなってしまった、などと、後悔されること、次々と、浮かぶのであるが、それも、何にもならないこと。
鈍い色、にぶいろ、の、お召し物を、着たということにつけても、夢のような、心地である。
もし、私が先に死んだら、もっと、濃い色に、染めるだろうと、思うことも、耐えられず、

源氏
喪服には、規定がある。妻の喪に着る、薄墨の喪服は、色は浅いが、涙が溜り、深い淵となってしまった。

と、念誦される。
その様子は、ひとしお優雅であり、経を低くお読みになり、法界三昧普賢太士と、唱えている様は、勤行に慣れた法師より、優れている。
若君を、ご覧になるにつけ、何に偲ぶと、ひとしお涙を、流し、もし、この形見がなければ、と、思い、心を慰める。


源氏の、後悔は、甚だしい。
亡き後に、こそ、今まで考えなかったことを、考える。

妻の喪は、喪服が薄い色。夫の喪は、色の濃い喪服である。

たぐひなくおぼしこがれたり
たぐひなく おぼし こがれたり
大変に、深く辛く、亡き人を、焦がれるのである。
人が人に、焦がれる思いを、また、もののあはれ、という、心象風景に観るのである。





宮はしづみ入りて、そのままに起き上り給はず。危ふげに見え給ふを、又おぼし騒ぎて、御祈りなどせさせ給ふ。はかなう過ぎ行けば、御わざのいそぎなどせさせ給ふも、おぼしかけざりしことなれば、つきせずいみじうなむ。なのめにかたほるをだに、人の親はいかが思ふめる。ましてことわりなり。またたぐひおはせぬをだに、さうざうしくおぼしつるに、袖の上の玉の砕けたりけむよりも、あさましげなり。



母宮は、沈みきって、そのまま、起き上がらない。
命も、危なげに見える。
それを、心配し、騒いで、ご祈祷などを、させる。
日にちが儚く、過ぎて行く。
法要の準備なども、することを、考えていなかった。思いもかけないことで、いつまでも、悲しくおもうのである。
平凡な、つまらない子でさえ、人の親ならば、どのように、思うか。
まして、姫を、深く思うのは、無理もないこと。
その上、他に、姫君がいらっしゃらないことが、寂しいと、思っていたのである。
袖の上の、玉が、砕けたということよりも、思いがけない思いである。


まただくひおはせぬをだに、さうざうしくおぼしつるに、袖の上の玉の砕けたりけむよりも、あさましげなり

これも、また、もののあはれ、である。

袖の上の玉の砕けたりけむより
袖の上の、玉とは、心の有り様である。
心の有様が、砕けたのである。
それよりも、辛い思いを、人は、生きている。

夫を、亡くした、紫式部は、心底、それを、思うことが出来る。
まさに、彼女自身の、経験である。
それを、投影する。

そして、源氏の、日々が綴られる。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第9弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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