2008年12月10日

もののあわれ350

典侍
立ちぬるる 人しもあらじ あづまやに うたてもかかる 雨そそぎかな

とうち嘆くを、われ一人しも聞きおふまじけれど、「うとまししや。何事をかくまでは」と覚ゆ。

源氏
人づまは あなわづらはし あづまやの まやのあまりも 慣れじとぞ思ふ

とて、うち過ぎなましけれど、「あまりはしたなくや」と思ひかへして、人に従えば、すこしはやりかなるたはぶれ言などいひ交して、これもめづらしき心地ぞし給ふ。




典侍
東屋に、立って、濡れる人など、ありません。ここには、困ったことに、落ちる雨だれ。
つまり、私は泣いています、と言うのである。

と、嘆くのを、私だけが、恨みを負うわけではないのに、疎ましい女だ。こうして、随分と、しつこいと、源氏は、思う。

源氏
人妻は、面倒だ。
あまり、馴れ馴れしくしないでおこう。

と、言って、そのまま、立ち去りたいと思うが、それも、あまりにはしたなくや、つまり、現代風に言えば、素っ気無いなと、思う直して、女の言うままに、戸を開けて入り、少し浮いた冗談などを言って、これも、時には、面白いと、思うのである。


ああ、嫌だと、思いつつも、源氏は、女に付き合おうとする。
ここに、源氏の、優しさと、曖昧さがある。
そして、女と、向き合うと、これも、面白いものだと、思う余裕である。

傍から、見れば、単なる好き者なのであるが・・・

あまりはしたなくや
はしたない、とは、無礼な態度、礼儀がない、あばずれ、などいう意味合いが、現代にはあるが、当時は、思いがなさ過ぎかと、心の心象を言う。

相手に、答えないのは、はしたなくありや、という風になる。

そして、源氏は、女の部屋に入り、冗談などを言い合う。そして、それも、面白いことだと、思う。

これは、源氏が基本的に、やさしい性格だということ。
女にだらしないとも、受け取れるが、平安期の貴族の世界である。

もののあわれ、とは、はしたなくや、という、心象風景もあるということだ。




頭の中将は、この君の、いたうまめだち過して、常にもどき給ふが妬きを、つれなくて、うちうち忍び給ふ方々多かめるを、「いかで見あらはさむ」とのみ思ひわたるに、これを見つけたる心地、いとうれし。かかる折に、少しおどし聞えて、御心まどはして、「こりぬやと言はむ」と思ひて、たゆめ聞ゆ。




頭の中将は、源氏が、大変に真面目に、いつも、説教ばかりするのを、いまいましく思い、何食わぬ顔で、本当は、内々に、忍び歩きをしている所が、沢山あるらしいと、それを、突き止めようとして、その機会を、伺っていた。
それで、この一件を知った時は、大変うれしく思った。
この機会に、少し脅し、まごつかせたり、懲りましたかと、言おうと、わざと、油断させていた。




風冷やかにうち吹きて、やや更け行く程に、すこしまどろむにや、と見ゆる気色なれば、やをら入りくるに、君はとけてしも寝給はぬ心なれば、ふと聞きつけて、この中将とは思ひよらず、「なほ忘れ難くすなる、修理の太夫にこそあらめ」とおぼすに、おとなおとなしき人に、かく似げなきふるまひをして、見つけられむことははづかしければ、源氏「あな、わづらはし。出でなむよ。蜘蛛のふるまひはしるかりつらむものを。心憂くすかし給ひけるよ」とて直衣ばかりを取りて、屏風の後に入り給ひぬ。



風が、涼しげに吹いて、夜は更けて、少し寝入ったかと、思われる頃に、そっと入る。
源氏は、心を許して寝ていたわけではない。
ふと物音を聞きつけて、中将の君とは、思わず、今もなお、女を、忘れかねている修理の太夫だろうと、思うと、あんな老人に、こんな様の、悪い振る舞いを見つけられるのは、きまりが悪いと、ええ、もういい。帰ろう。あの人の来る事は、蜘蛛の振る舞いで、はっきりしていた。騙しは、酷いと、直衣だけを取り、屏風の後に入るのである。


修理の太夫とは、修理職、造営修理を司る、長官である。すりのかふ、と、読む。

おとなおとなしき人
あのような、老いた者である。

蜘蛛の振る舞い
古今集 
わがせこが 来るべき宵なり ささがにの 蜘蛛の振る舞い かねてしるしも
衣通姫
の、出典である。




中将をかしきを念じて、引きたて給へる屏風のみとに寄りて、こぼこぼとたたみ寄せて、おどろおどろしくさわがすに、内侍は、ねびたれど、いたくよしばみなよびたる人の、さきざきもかやうにて心動かす折々ありければ、ならひて、いみじく心あわただしきにも、「この君をいかにし聞えぬるか」と、わびしさに、ふるふふるふ、つとひかへたり。



中将は、おかしいのを、堪えて、引き立てされた、屏風に近づき、ばたばたと、たたみよせ、大袈裟に音を立てる。
典侍は、年は、とっているが、たいそう、色っぽい女で、今までにも、幾度か、このようなことで、狼狽することがあったので、慣れていた。
酷く、胸が、どきどきしてくるが、この君を、どんな目に遭わせるのかと、それが、辛く、ふるえふるえ、じっと、つかまる。


ドタバタ劇である。
滑稽といえば、滑稽だが、彼らが、実に、暇だったということである。

老女の元にいる、源氏を、懲らしめてやろうと、中将の君が、典侍の部屋に出向くという。
この、中将は、源氏より、少し年上である。
実は、中将は、源氏を愛している。
自分の妹の夫であり、義理の弟になる。
明確な、行為は、書かれないが、二人の関係も、実に、妖しい。

事の後は、女を置いて、いつも、連れ立って、帰るという、有様。
深読みすれば、この二人にも、性的関係は、ある。
勿論、研究家たちは、否定するだろうが。





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2008年12月11日

もののあわれ351

「たれと知られで出でなばや」とおぼせど、「しどけなき姿にて、冠などうちゆがめて走らむうしろで思ふに、いとをとこなるべし」とおぼしやすらふ。



どこの、誰かは、知らぬうちに、出てしまおうと、考える。
しかし、しどけない姿である。
冠なと、歪めたままに、走る後姿などを想像すると、いかにも、ばか者に見えるだろうと、躊躇するのである。




中将、「いかでわれと知られ聞えじ」と思ひて、ものも言はず。ただいみじう怒れる気色にもてなして、太刀を引き抜けば、女、「あが君、あが君」と向ひて手をするに、ほとほと笑ひぬべし。好ましう若やぎてもてなしたるうはべこそさてもありけれ、五十七八の人の、うちとけて物思ひ騒げる、けはひえならぬ二十の若人たちの御中にてものおぢしたる、いとつきなし。



中将は、どうかして、自分とは、知られまいと、何も言わずに、ただ、凄まじく怒ったように、見せかけて、太刀を引き抜くと、女は、あなた、あなたと、前に跪いて、手を合わせる。
それを見て、笑いだしてしまいそうである。
綺麗に若作りしている様子は、相当に見事なものであるが、五十七、八の、婆さんが、見栄も忘れて、あわてふためいている様、美しい二十歳の若者の間で、恐がっているのは、何とも不釣合いである。




かう、あらぬ様にもてひがめて、恐ろしげなる気色を見すれど、なかなかしるく見つけ給ひて、「われと知りて、殊更にするなりけり」と、をとこになりぬ。「その人なめり」と見給ふに、いとをかしければ、太刀抜きたるかひなをとらへて、いといたうつみ給へれば、ねたきものから、え堪へで笑ひぬ。




全くの別人のようにして、恐ろしげな有様をしているが、実は、目ざとく、知っているのである。
自分、つまり、中将と知って、わざと、そうして見せているのだと思うと、馬鹿馬鹿しくなる。
頭の中将だなと、解ると、大そうおかしく、太刀を引き抜いた肘を、強くつねったので、しまったと、思いつつ、とうとう、吹き出して笑う。

要するに、源氏も、典侍も、誰かと、気づいたのである。




源氏「まことはうつし心かとよ。たはぶれにくしや。いでこの直衣着む」と宣へど、つととらへて、さらにゆるし聞えず。源氏「さらばもろともにこそ」とて、中将の帯をひき解きて脱がせ給へば、脱がじとすまふを、とかくひこじろぬ程に、ほころびはほろほろと絶えぬ。中将、

つつむめる 名やもり出で むひきかはし かくほころぶる 中の衣に

上に取り著ば、しるからむ」といふ。君、

かくれなき ものと知る知る 夏ごろも きたるをうすき 心とぞ見る

と言ひかはして、うらみなき、しどけな姿に引きなされて、みな出で給ひぬ。




源氏は、本当に、正気の沙汰か。冗談も出来ない。さあ、この直衣を着ると、仰るが、中将が、しっかりと、つかまえて、離さない。
源氏は、それでは、仲良く、やりましょうと、中将の帯を解いて脱がせるが、脱ぐまいと、争う拍子に、縫い目が、ほろほろと、切れてしまった。
中将は、
隠していた浮名は、お互いに引き合って、ほころびた中着の縫い目から、漏れてしまった。

上に着たら、さぞ、目立つことでしょうと、言う。源氏も、

あなたの色事も、明るみに出ると、解っていながら、私を脅しに来たとは、浅はかだ。

と、言い交わして、二人ともに、恨まず、しどけない姿にされてしまい、二人で、出ることにした。




君はいと口惜しく、見つけられぬること、と思ひ臥し給へり。内侍は、あさましく覚えければ、落ちとまれる御指貫・帯など、つとめて奉れり。



君は、見つけられたことを、口惜しく思いつつ、お休みになられていた。
典侍は、呆れた事であると、思いつつ、残していった、指貫や、帯などを、翌朝、お届けになる。




典侍「うらみてもいふかひぞなきたちかさね引きてかへりし波の名残に底もあらはに」とあり。「面無のさまや」と、見給ふも憎けれど、わりなしと思へりしも、さすがにて、

源氏
あらだちし 波にこころは 騒がねど よせけむ磯を いかがうらみぬ

とのみなむありける。



典侍
お恨み申しても、何にもなりません。ご一緒に、いらして、ご一緒に、お帰りになられた、その後は。

底も、あらわになってしまい、悲しいことでございますと、ある。
あつかましく、憎いとも、思いつつ見るが、途方にくれたであろうと、思うと、それも、気の毒である。

源氏
暴れた中将は、何とも思わないが、中将を近づけたお前を、恨むぞ。恨まれずにいられようか。
と、返事をする。

何とも、ドタバタ劇である。

源氏の歌だけ、分析する。

あらだちし 波にこころは 騒がるど よせけむ磯を いかがうらみぬ

荒立つ、寄せる、磯、浦見 うらみ、は、縁語である。
さわぐ、は、心騒ぐと、波の騒ぐを、かけ、うらむ、は、浦見と、憾みを、かけている。

紫式部の教養が、伺われる。


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2008年12月12日

もののあわれ352

帯は中将のなりけり。わが御直衣よりは色深し、と見給ふに、はた袖もなかりけり。あやしの事どもや、下り立ちてみだるる人はむべをこがましき事も多からむ、と、いとど御心をさめられ給ふ。
中将、宿直所より、「これまづ綴ぢつけさせ給へ」とて、おし包みておこせたるを、「いかで取りつらむ」と心やまし。「この帯をえざらましかば」とおぼす。その色の紙につつみて、

源氏
中たえば かごとやおふと あやふさに はなだの帯は とりてだに見ず

とて遣り給ふ。立ちかえり、

中将
君にかく 引きとられぬる 帯なれば かくて絶えぬる 中とかこたむ

えのがれさせ給はじ」とあり。




帯は、中将のものであった。
ご自分の、直衣より、色が濃いと、気づいて、改めると、はた袖も、なくなっている。
様子の悪いことばかりだ。色事に夢中の人々は、こうして、狂態を演ずることも、多いのだろう。と、己を、戒める。
中将が、控えの間から、まず、これを縫い付けてくださいと、言い、押し包んで寄こしたので、何時の間に、この袖を取ったのかと、思い、憎らしい。
この帯がなければ、口惜しい事だったと、思われる。
帯と、同じ色の紙に包んで
源氏
女との仲が切れたら、私のせいだと言われるのが、心配で、この帯を取り上げてみることもない。

と、遣わす。その返事は

中将
あなたは、こんな事で、取られた帯です。こんなことで、女と、駄目になったと、恨みます。
逃げられませんよ、とある。

はなだの帯
催馬楽という、歌の歌詞にあるものから、連想している。




日たけて、おのおの殿上に参り給へり。いち静かに、もの遠きさましておはするに、頭の君もいとをかしけれど、公事多く奏し下す日にて、いとうるはしくすくよかなるを見るも、かたみにはほほえまる。人間にさしてよりて、中将「ものがくしは懲りぬらむかし」とて、いとねたげなるしり目なり。源氏「などてかさしもあらむ。立ちながら帰りけむ人こそいとほしけれ。まことは、憂しや世の中よ」と言ひ合わせて、
「とこの山なる」と、かたみに口がたむ。




昼過ぎ、二人は、殿上の間に、参上する。
大そう澄まして、よそよそしい様子でいる。
頭の中将は、ひどくおかしいと思うが、その日は、公事が多く、奏上したり、宣下なさる日にあたり、威儀を正して、改まった姿をみるにつけても、お互いに、笑むのである。
人の居ない所で、傍により、中将が、内緒事は、お懲りになったでしょうと、忌々しく、尻目で、睨むのである。
源氏は、そんなことがあるものか。無駄足の方こそ、気の毒。本当のところ、うしや世の中とでも、言うと、話し合う。
とこの山なる、我が名もらすなと、互いに、口止めするのである。

とこの山なる
古今集
犬上の とこの山なる いさや川 いさと答へよ 我が名もらすな

当時の貴族生活の中には、歌の世界をして、会話が成り立つ。つまり、歌の教養がなければ、話が出来ないほどである。




さてその後は、ともすれば事のついでごとに、言ひ迎ふるくさはひなるを、「いとどものむつかしき人ゆえ」と、おぼし知るべし。女は、なほいとえんにうらみかくるを、「わびし」と思ひありき給ふ。中将は、妹の君にも聞え出でず、「たださるべき折のおどしぐさにせむ」とぞ思ひける。




その後は、何かの機会があるたびに、冷やかしの種である。
これも、あの、厄介な婆さんのせいだと、酷く、懲りたことだうろとは、作者の感想。
しかし、女は、相変わらず、色っぽく、恨み言を言うので、困ったことだと、思う。
中将は、妹の君、つまり、源氏の妻にも、言わず、ただ、折りあれば、やりこめる材料にしょうと、企むのである。





やむごとなき御腹々の親王たちだに、上の御もてなしのこよなきにわづらはしがりて、いとことにさり聞え給へるを、この中将は、「さらにおし消たれ聞えじ」と、はかなき事につけても、思ひいどみ聞え給ふ。この君一人ぞ、姫君の御一腹なりけり。帝の御子といふばかりにこそあれ、われも、同じ大臣と聞ゆれど、御おぼえ殊なるが、皇女腹にてまたなくかしづかれたるは、何ばかり劣るべきはと覚え給はぬなるべし。人がらもあるべき限りととのひて、何事もあらまほしく、足らひてぞものし給ひける。
この御中どものいどみこそあやしかりしか。されどうるさくてなむ。




身分の高い方を、母君とする、親王たちでさえ、帝の寵愛をはばかり、大そう、特別に遠慮されているのに、この中将の君は、絶対に、ひけを取るまいと、つまらぬことでも、意地を張る。
この君一人が、姫君と、同じ腹から、生まれた。
陛下の御子というだけの、違いである。自分も、大臣の中でも、特別帝に、ご信任の厚い方の子として、しかも、内親王を母として、この上なく、大切に育てられた。何ほども、劣った身分であるとは、思わない。
人品も、条件も、すべて揃っている。何事も、理想的で、不足は無い。
二人の意地の張り合いには、おかしな話が、一杯あるが、しかし、うるさくなるので、申し上げません。
最後は、作者の言葉である。

ちなみに、母の身分が、子の身分となるとは、古代の社会からである。
豪族達が、天皇の下に、秩序を得てから、次第に、そのように、身分が整えられていった。

推古天皇の頃には、すでに、それが明確になっていた。

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2008年12月13日

もののあわれ353

七月にぞ后居給ふめりし。源氏の君、宰相になり給ひぬ。帝おり居させ給はむの御心づかひ近うなりて、この若宮を坊に、と思ひ聞えさせ給ふに、御後見し給ふべき人おはせず。御母方、みな親王たちにて、源氏の公事しり給ふ筋ならねば、母宮をだに動きなき様にし置き奉りて、つよりにとおぼすになむありける。弘薇殿、いとど御心動き給ふ、ことわりなり。されど、主上「東宮の御世、いと近うなりぬれば、疑ひなき御位なり。思ほしのどめよ」とぞ聞えさせ給ひける。げに、「東宮の御母にて二十余年になり給へる女御を置き奉りては、引き越し奉り給ひ難きことなりかし」と、例の、やすからず世人も聞えけり。




七月には、立后の事があった。
源氏の君は、宰相、つまり、参議になられた。
陛下は、位を、退かれる、支度を進める。
この、若宮、つまり、藤壺の子であり、源氏の子を、東宮にと、願うも、御後見、みうしろみ、後ろ盾する方がいない。
御母方は、皆、親王たちで、皇族が政治をされる筋合いはない。
せめて、母君を確固たる、地位に据えて、その力にとの、思し召しであろう。
弘薇殿の女御が、ひとしお動揺するのも、もっともである。
しかし、帝は、東宮の御世も、近いこと。もう疑いようがない地位です。安心するがよいとの、仰せである。
いかにも、東宮の御母として、二十年以上にもなる、女御を差し置いて、他の方を中宮の位には、しにくいことであると、例によって、世の人々は、噂するのである。





参り給ふ夜の御供に、宰相の君も仕うまつり給ふ。同じ宮と聞ゆる中にも、后腹の皇女、玉光りかがやきて、類なき御おぼえにさへものし給へば、人もいと殊に思ひかしづき聞えたり。まして、わりなき御心には、御輿のうちも思ひやられて、いとど及びなき心地し給ふに、そぞろはしきまでなむ、

つきもせぬ 心のやみに くるるかな 雲いに人を 見るにつけても

とのみ、ひとりごたれつつ、ものいとあはれなり。



中宮入内の夜の御供には、宰相の君、源氏も、出仕される。
藤壺の宮は、同じく中宮と、申し上げる中でも、先帝の皇后を母とする、内親王であり、玉の如く光り輝き、比類の無い、帝からの寵愛がある、お方であるゆえ、人々も、特別に、崇め敬うのである。
まして、切ない源氏の、心の中には、御輿のうちも、思いやられ、いよいよ、及びも付かない、気持になるのも、じっとはしていられないのである。

源氏
果てしない、暗い思いに、何も見えない。雲の上に、あの方が、登られたのである。

とだけ、独り言を口に出し、感慨無量である。




御子は、およづけ給ふ月日に従ひて、いと見奉り分け難げなるを、宮いと苦しとおぼせど、思ひよる人なきなめりかし。げにいかさまに作りかへてかは、劣らぬ御有様は、世に出でものと給はまし。月日の光の空に通ひたるやうにぞ、世の人も思へる。



御子は、成長されて、その月日に添って、ますます、区別し難いことを、宮は、お気に病む。
気の付く者は、いない様子である。
つまり、藤壺の産んだ子が、源氏にますますと、似てくるというのだ。
本当に、どのように、作り変えたら、君に劣らない、有様が、この世に、生まれることがあるのだろうか。
月と日の輝きが、大空に並んで、似通っているようなものだと、世の人も思うのであった。


しかし、作者、紫式部は、決して、源氏の、その姿形を書かないのである。

読者の想像力に、任せられてある。いや、それさえも、拒絶しているようである。
源氏の、美しさを、追及しては、いけない。
何故なら、源氏は、この世の者ではないのである。

つまり、これは、物語なのである。
だから、こそ、書き続けることが出来る。

源氏の容姿を、いくら詮索してもいいように、物語が、作られている。それは、また、それぞれの、物語によって、変化するのである。

紫式部も、源氏を描こうとしているのではない。
源氏を、描くという、スタイルを取りつつ、もののあはれ、というものを、求めている。
そして、それは、いつまでも、捉えることが出来ないのだが、それは、確実に存在するものである。

そして、それは、人の心の中にあり、つまり、内観なのである。
内道である。

もののあわれ、という、心象風景は、人の心の中にあるものなのである。
それを、出すことは、心を出すことと、同じである。

言葉に、解して、説明することの出来ないものを、言葉という、物語に託して、描き出すこと。それが、源氏物語の、存在意義なのである。

西洋哲学、思想にある、語り過ぎるという、言葉の世界は無い。

それは、所作として、表出するものである。
所作の中に、隠れるものである。
何故なら、心象風景だからである。

日本人は、対座して、話すということを、しない。
例えば、いけばなを、互いに見詰め合って、言葉を交わす。
一碗を間に置いて、茶を飲むという行為を、間にして、語り合う。

春夏秋冬という、風景を見つめつつ、人が対座する。
実に、奥床しいのである。
また、奥床しくなければ、通じないのである。

これは、自然豊かな、民族だからである。
この、豊かな自然によって、作られた、民族なのである。

自然と、共生、共感する民族であり、そこに、心を置いた。つまり、心を、自然に預けることが、出来る民族なのである。

太陽を、お天道様と、呼ぶ民族は、無い。
自然の、象徴である、太陽を、擬人化して、おてんとうさま、と、呼ぶ民族である。

ゆめゆめ、この、民族の心を、誤ってはならない。
そして、もののあはれ、ということを、考える時、それが、前提としてあるということ。

もののあはれ、という、心象風景は、伝統なのである。

紅葉賀を、終わる。


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2008年12月14日

もののあわれ354

花宴
はなのえん

二月の二十日あまり、南殿の桜の宴せさせ給ふ。后、東宮の御局、左右にして、参う上がり給ふ。弘薇殿の女御、中宮のかくておはするを、折節ごとに安からず思せど、物見にはえ過ぐし給はで参り給ふ。日いとよく晴れて、空の気色、鳥の声も心地よげなるに、親王達、上達部よりはじめて、その道のは、皆探韻賜はりて、文作り給ふ。宰相の中将、「春といふ文字賜はれり」と宣ふ声さへ、例の、人に異なり。



きさらぎの、二十日過ぎ、南殿、ししんでん、の、桜の宴を催しされる。
皇后と、東宮の、ご座所を、玉座の左右に設けて、お二人が参上される。
弘薇殿の女御は、中宮が、このように上座にいられることを、事あるごとに、不快に思うのだが、物見には、じっとしていられないので、参上される。
晴れて、空の様、鳥の声も、気持よく、親王たち、上達部をはじめ、その道の人々は、皆、文字を頂いて、詩を、作られる。
宰相の中将、つまり、源氏が、春という文字を賜ったと、仰る声まで、いつものように、人とは、違う響きである。

花見の宴は、この頃から、始まった。
その席で、帝から、文字を賜り、歌を詠むのである。
この場合は、漢詩文で、句の末に置く文字を、頂くのである。




次に頭の中将、人の目移しも、ただならず覚ゆべかめれど、いとめやすくもてなしづめて、声づかひなど、ものものしくすぐれたり。さての人々は、みな臆しがちにはなじろめる多かり。地下の人は、まして、帝、東宮の御才かしこくすぐれておはします、かかる方にやむごとなき人多くものし給ふ頃なるに、恥づかしく、はるばるとくもりなき庭に立ち出づる程、はしたなくて、やすき事なれど、苦しげなり。年老いたる博士どもの、なりあやしくやつれて、例なれたるも、あはれに、さまざま御覧ずるなむ、をかしかりける。



次の、頭の中将は、源氏を見た目で、自分を見る人々の注目は、いつもと違うと、感じているようであるが、体裁よく、落ち着いて、声なども、重々しくされる。
その他の、人々は、皆、気後れしているようで、きまり悪そうにしている者多い。
地下の人は、陛下も、東宮も、学才際立ち、皆、立派な方が、大勢いるので、恥ずかしく、広々とした庭に出るのが、きまり悪そうである。歌を作ることは、よいが、切なそうな感じである。
年を取っている、博士たちは、身なりが、いやに、みすぼらしいが、場慣れしているのも、気の毒であると、それぞれ、御覧になるのは、帝にとって、興味深いことであった。


地下の人とは、殿上人に対して、まだ、清涼殿の、殿上に上がることを、許されていない者達である。

博士とは、文章博士のこと。もんじょうはかせ、である。





楽どもなどは、さらにも言はず調へさせ給へり。やうやう入り日になる程、春の鶯さへづるといふ舞、いと面白く見ゆるに、源氏の御紅葉の賀の折、思し出でられて、東宮、かざし賜はせて、切に責め宣はするに、のがれ難くて、立ちて、のどかに、袖かへす所を、ひとをれ気色ばかり舞ひ給へるに、似るべきものなく見ゆ。左の大臣、うらめしさも忘れて、涙落とし給ふ。主上「頭の中将、いづら、遅し」とあれば、柳花苑といふ舞を、これは今少し過ぐして、かかる事もやと心づかひやしけむ、いとおもしろければ、御衣賜はりて、いとめづらしき事に人思へり。





舞楽など、十分に用意されている。
次第に、夕日が傾く頃は、春の鶯が、さえずるという舞いが、大変面白く見えるのである。
源氏の、紅葉賀の時のことが、思い出されて、東宮が、源氏に、花を授けて、しきりに舞いを、求めるので、辞退しかね、立って、ゆるやかに、袖をひるがえす所を、一区切りとし、少し形だけ、舞われた。それがまた、見事である。
左大臣は、恨めしさも忘れて、涙を流される。
頭の中将は、どうした、早くと、お声がかかると、柳花苑という舞いを、少し念入りに舞う。こういうこともあろうかと、心づもりをしていたようであり、大変面白い。
帝から、御衣を頂き、それは、大変珍しいことと、人々が、感心する。


いとおもしろければ
大変、素晴らしい。おもしろい、とは、すべてを含めている。
興味深い、引き込まれるなどなど。





上達部みなみだれて舞ひ給へど、夜に入りては、殊にけぢめも見えず、文など講ずるにも、源氏の君の御をば、講師もえ読みやらず、句ごとの誦しののしる。博士どもの心にもいみじう思へり。かやうの折にも、まづこの君を光にし給へれば、帝もいかでか疎に思されむ。中宮、御目のとまるにつけて、「東宮の女御の、あながちに、にくみ給ふらむもあやしう、わがかう思ふも心憂し」とぞ、自ら思し返されける。

藤壺
おほかたに 花の姿を 見ましかば つゆも心の おかれましやは

御心のうちなりけむこと、いかで漏りにけむ。夜いたうふけてなむ、事果てける。



上達部も、皆、順序なく舞われれるが、夜になると、上手、下手の、区別もつかない。
詩を披露するにも、源氏の君の、御作品を、講師も読むことが難しく、一句ごとに、読んでは、褒め称える。
博士達も、心底、感心している。
このような時にも、君を光のように思い、陛下も、疎かに思うこともない。
中宮は、この君に、目が留まるにつけて、東宮の女御が、むやみに、この君を憎むのに、理解が出来ないのである。
また、自分が、君を、このように思うことも、辛いことだと、深く反省する。

藤壺
何の関係もなく、この美しい花を眺めるのであれば、少しも、気兼ねすることは、あるまいに。

心の中で、詠む歌が、どうして人に知られてしまったのか。
夜が、すっかりと更けてから、宴は、終わったのである。

何故、藤壺の歌が、人の知られることになったのかと、作者は書くが、それは、作者のゆえである。

東宮とは、源氏の、腹違いの兄である。その女御は、妻である。
源氏に対して、悪感情を抱くのである。

中宮となった、藤壺は、それに、不可解な思いである。

しかし、次第に、源氏の、状況が、表れてくるのである。
それが、物語の楽しみ。


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2008年12月15日

神仏は妄想である 180

リグ・ヴェーダに対する、懐疑論者が現れ、それにより、哲学的といえる思想の芽生えがある。

最初は、神々の個性が曖昧である、区別が判然としない。
更に、神々は一つの神の、異名にほかならない。

ただ一つのものが、広がりて、この世のすべてとなりぬ

そして、懐疑論者は、多くの人はいう、インドラは存在せずと。誰かれを見し。われらは誰をか讃えん、である。

恐ろしき神につき人は問う、かれはいずこに在りやと。人は答えていう、-――かれは存在せず。

そして、思索がはじまった。

神々を超越した、根源的な世界の原理についてである。

リグ・ヴェーダの中にも、哲学讃歌とよばれるものがあり、世界原理を想定して、多様な現象世界を成立させるものを、説明しようとしている。

おおよそ、二つに分けられた。
一つは、宇宙創造であり、一つは、出生を司るもの、である。

中でも、特徴的なものは、祈祷主神の登場である。
ヴェーダの、ブラフマンを司る神として立てられたものが、世界創造神にまで、高められた。
そして、万有の唯一なる主宰者となるのである。

リグ・ヴェーダの神が、一神教であるが、原人は、汎神論である。

原人は、千頭、千眼、千足あり、既存、未存の一切である。
四分の三は、天にあり、不死である。
神々が、かれを犠牲獣として祭式を行うと、讃歌や、祭祀が生じ、馬、牛、羊など、畜類が生じ、その口からは、バラモンが、その両腕から、王族が、両股から庶民が、両足から、奴隷が生じた。
太陽は、その眼から、インドラとアグニ、火の神とは、口から、風神は呼吸から生じた。臍の緒から天空が、頭から、天界、足から、他界、耳から方位が生じた。

有にあらず、無に非ざるもの、として説く讃歌において、汎神論は、頂点に達した。
そして、天地創造を行い、神々も、宇宙の展開より後に、現れたという。

そして、更に、言葉を、最高原理とする、思想も現れた。
ことば、は太初において、原水から生じたものである。
あらゆる神々の保持者である。
自分が、欲する者を、バラモン、仙人、賢者とも為す、という。

ことばの、本性は、経験的知覚の領域を、超越して、見つつある多くの人々も、実はことばを、見ざりき。聞きつつある多くの人々も、これを聞かずと、ある。

未来生を見れば、肉体は死とともに滅びるが、霊魂は不滅である。
その楽土は、死者の王、ヤマの支配する王国であり、最高天にあるとする。
後に、このヤマは、仏教の、閻魔、夜摩天となる。

天界に達するためには、祭祀を行わなければならない。
他人に対する布施、特に、バラモンに対する、布施が称賛される。
種々の誓いをたもち、苦行を行うべきである。

悪人に対する、死後の審判は、未だ、不明瞭である。

明確な、地獄の観念は、説かれていない。

上記、これが、後々に、カースト制を、生む基盤になるのである。

西暦前1000年頃から、アーリヤ人は、ジャムナー河と、ガンジス河の、中間の肥沃な平原を占領した。

司祭者を中心とした、氏族制農村社会を、確立し、孤立的、閉鎖的な経済生活を営み、バラモン教の文化を完成させるのである。

後の、インドに広範囲に渡り、影響を及ぼすことになる。

職業は、世襲制になり、四姓の制度が成立する。
バラモン、王族、庶民、隷民である。

更に、後世になると、多数のカーストが成立し、異なる階級の間では、結婚や、食事を禁止され、若干のカーストは、不浄とされた。
バラモンは、以後、三千年あまり、インド文化を、保持する。

悪名高いバラモン教の、カースト制である。

更に、ヴェーダが発展し、聖典製作が行われる。
リグ・ヴェーダは、勿論、サーマ・ヴェーダとは、歌詠の集成である。ヤジュル・ヴェーダは、祭詞の集成。アタルヴァ・ヴェーダは、呪詛などの、集成である。これが、後に、密教に混合される。

更に、各ヴェーダに、付随するものとして、ブラーフマナ、アーラニカ、ウパニシャッドが出来る。
上記を、総括して、広義の、ヴェーダとなし、天啓文学を人間の著作とは、見なさず、それは、永遠の存在であり、聖仙が、神秘的霊感によって、感得した啓示としている。

西暦前1000年から、西暦前500年までに、順次作製された。

作製したのは、人間であり、人間の創作である。

それぞれについて、説明していると、次に進まないので、以上にする。
この、ヴェーダ成立後の頃、釈迦仏陀が、歴史に登場する。

更に、釈迦仏陀と共に、多くの思想家も登場する。
ヴェーダの宗教が、単なる、迷信であると、判定する者も、現れた。

新しい時代の、動きに、唯物論者、懐疑論者、快楽論者、運命論者等々が、現れるのだ。
更に、出家して、禅定をする者も、多数。

この時代に、現れた人々を、沙門、「つとめる人」と称した。
当時は、言論統制など無い故に、何を言っても、殺されるということがなかった。

ただし、この時代に、現れた諸説は、インド一般では、異端とみなされる。
それは、ヴェーダを否定したからである。
当時、その代表的な人物が、六人いたことで、六師と呼ばれた。

勿論、釈迦仏陀の、集団も、異端の一つであった。

ここでも、一つ一つを、説明していられないので、特徴的なことを、挙げる。

サンジャヤの懐疑論である。
来世が存在するか
もしもわたくしが「あの世は存在する」と考えたのであるならば「あの世は存在する」とあなたに答えるであろう。しかしわたくしはそうだとは考えない。そうらしいとも考えない。それとは異なるとも考えない。そうではないとも考えない。そうではないのではないとも考えない
彼は、常に、意味の把握できない、曖昧な答弁をして、確定的な返答をしなかった。
ここで、形而上学的問題に対する、判断停止の思想が、はじめて、明らかになったという。

当時、インド、マガダの首都、王舎城に住み、釈迦仏陀の、二大弟子である、サーリープトラと、モッガラーナも、サンジャヤの弟子だった。
後に、同門250名を、引き連れて、釈迦仏陀に帰依する。

ここで、面白いのは、仏教と共に、発展した、ジャイナ教である。

六師の一人、ニンガタ・ナープッタである。
ニンガタとは、彼より以前に、古くから存在した宗教の、一派の名である。
彼が、この一派に入門して、悟り、その説を改良し、ジャイナ教が成立した。

ちなみに、悟りを得てから、偉大なる英雄、マハーヴィラと、尊称された。

この、ジャイナ教の、伝説である。
彼が、世に現れるまでに、23人の、救世主が現れ、第23祖を、パーサと呼び、マハーヴィーラは、24祖に当たるという。

正統バラモン系以外の宗教として、仏教と共に、発展した。

特徴的な考え方は、相対主義である。
事物に関して、絶対的、あるいは、一方的な判断を下しては、いけないというもの。
事物は、実体、または、形式という点から見ると、常住であると言い得る。同時に、状態、内容という点から、見ると、無常であると言い得るという。
すべては、相対的に言い表し、相対的に解するべきである。

不定主義、つまり、相対主義である。

さて、このジャイナ教の、上記の伝説などは、大乗経典に影響を、与えたと思われる。

要するに、仏教、初期仏教と共に、次第に、教義として、成立してゆく様を、見ることなのである。

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もののあわれ355

上達部おのおのあかれ、后、東宮かへらせ給ひぬれば、のどやかになりぬるに、月いと明うさし出でて、をかしきを、源氏の君酔ひ心地に、見過ぐし難く覚え給ひければ、上の人々もうち休みて、かやうに思ひかけぬ程に、「もしさりぬべき隙もやある」と藤壺わたりを、わりなう忍びてうかがひありけど、語らふべき戸口も鎖してければ、うち嘆きて、なほあらじに、弘薇殿の細殿に立ち寄り給へれば、三の口あきたり。女御は、上の御局に、やがて参う上り給ひにければ、人少ななる気配なり。奥のくるる戸も開きて、人音もせず。「かやうにて世の中のあやまちはするぞかし」と思ひて、やをら上りてのぞき給ふ。人は皆寝たるべし。



上達部、かんだちめ、は、それぞれ、退散して、皇后と東宮が、お帰りになった。
ひっそりとしたところに、月が明るく射して、趣深く、源氏は、酔い心地で、見過ごしがたく思い、清涼殿の、宿直、とのい、の、人々も寝てしまったので、このような思いがけない時には、もしや、これて良い隙かもしれないと、藤壺のあたりを、無理に忍んで、歩いてみる。
しかし、手引きをする人の戸口が、閉めてあり、溜息をついて、それでも、ここままでは、気持が収まらなく、弘薇殿の、細殿に、立ち寄ると、三番目の戸口が、開いている。
女御は、上の御局に、宴の後で、すぐにお上がりになったので、人が少ない様子である。
奥の、扉も、開いていて、人の居る物音もない。
源氏は、こういうことで、男女の間違いが起こるのだと、思い、そっと、上がって、覗かれる。
人は、皆、寝ているだろうと。

源氏は、物を置く台に乗ったようである。
長押、なげし、というものだ。

何とも、好奇心旺盛である。そして、その、好奇心と共に、物語が、続く。





いと若うをかしげなる声の、なべての人とは聞えぬ、「朧月夜に似るものぞなき」と、
うちずして、こなたざまには来るものか。いとうれしくて、ふと袖をとらへ給ふ。女、恐ろしと思へる気色にて、女「あなむくつけ。こは誰ぞ」と、宣へど、源氏「何かうとましき」とて、

源氏
深き夜の あはれを知るも 入る月の おぼろげならぬ 契とぞ思ふ

とて、やをら抱き下して、戸は押し立てつ。あさましきにあきれたる様、いとなつかしうをかしげなり。わななくわななく、女「ここに人」と宣へど、源氏「まろは、みな人に許されたれば、召し寄せたりとも、なんでふことかあらむ。ただ忍びてこそ」と、宣ふ声に、「この君なりけり」と聞き定めて、いささか慰めけり。




大そう、若く美しい感じの声で、普通の人とは、思えない者が、朧月夜に、似るものぞなき、と言いつつ、こちらへ来るようである。
とても、嬉しくなり、ふっと、袖を、掴まえた。
女は、恐ろしいと、思い、ああ、気味が悪い、どなたかと、言う。
源氏は、なにゆえ、嫌なものですかと、言って、

源氏
あなたが、今夜の良い夜を、お解りなのも、私に逢うという、前世からの、宿縁です。

と言って、そっと、抱き降ろし、戸を閉めた。
あまりのことに、呆れている様子に、源氏は、思わず抱きしめたいほど、美しい。
震えながら、女は、変な人が、と、言うが、源氏は、私は、誰にも、許されている。人をお呼びになっても、構いませんよ。ただ、静かにしてくださいと、仰る声で、源氏の君だと、解り、少し、気持が、安らいだ。

源氏という男、とんでもない男である。
藤壺の所へと、思ったが、途中で、見つけた女を、口説くのである。
正に、エロ男である。

まろは、みな人に許されたれば、召し寄せたりとも、なんでふことかあらむ
私は、皆に、許された存在である。人を呼んでも、詮無いことだと言うのである。
自分の身分を利用して、好き放題である。

だが、これが、物語の所以である。
作者が、作る源氏像である。

女も、源氏だと、解ると、少し安心するのである。

恋において、源氏の行為は、許されるという、物語の、基本である。
その、人間の、どうしようもないモノを、見つめ続けて、紫式部は、もののあはれ、というものを、見つめている。






わびしと思へるものから、「なさけなくこはごはしうは見えじ」と思へり。酔ひ心地や例ならざりけむ、許さむ事は口惜しきに、女も若うたをやぎて、強き心もえ知らぬなるべし。らうたしと見給ふに、程なく明け行けば、心あわただし。女はまして、様々に思ひ乱れたる気色なり。源氏「なほ名のりし給へ。いかでか聞ゆべき。かうて止みなむとは、さりとも思されじ」と、宣へば


うき身世に やがて消えなば 尋ねても 草の原をば 訪はじとや思ふ

といふ様、えんなまめきたり。源氏「道理や。聞え違へたる文字かな」とて、

源氏

いづりぞと 露の宿りを わかむまに 小笹が原に 風もこそ吹け

わづらはしく思す事ならずは、何かつつましむ。もし、すかい給ふか」とも言ひあへず、人々起き騒ぎ、上の御局に参りちがふ気色ども繁くまよへば、いとわりなくて、扇ばかりを、しるしに取りかへりて出で給ひぬ。



嫌だと、思っているものの、無愛想な、強情な女とは、見られたくないと、思う。
源氏は、酔い心地が、いつもとは、違うようで、放すのは、残念であるし、女も、若くて、なよなよして、撥ね付けることもできないでいる。
可愛いと、思うが、夜は、足早に明けるので、心ぜわしい。
女は、君以上に、思い乱れている。
源氏は、是非、お名前を教えてください。お名前が、解らなければ、お便りも出来ません。これで、止めようとは、まさか思わないでしょうと、言うと、


不幸な私が、このまま、死んでしまえば、草の原の、お墓を探してくださらない、おつもりですか。

と、言う様子。美しく、優雅である。源氏は、もっともです。申し損ねましたと、言い、

源氏
あなたの、身の上を知ろうと尋ねている間に、人に噂が立って、二人の仲が、駄目にならないのか、心配です。

迷惑に、思われなければ、どうして、遠慮などしましょうか。もしや、私を騙すつもりですか。と、言い終わらないうちに、人々が起きて、ざわめき、上の御局に、行き交う気配がするのである。
源氏は、あわてて、扇だけを、後の証拠にと、取り替えて、その場を出た。


なんともはや、好き者の、源氏の姿というものが、明確にされている。
ただし、それでも、源氏の、姿は、見えない。
その、容姿も、定かではない。
それが、作者の狙いである。

読む者が、勝手に、想像、妄想する。

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2008年12月16日

神仏は妄想である 181

原始ジャイナ教を見ることにする。

当時、様々な思想が対立し、争っていた。
マハーヴィーラは、その中で、事物に関して、絶対的な、あるいは、一方的な判断を下してはならないと、教えた。

事物は、様々な立場から、多方面にわたって、考察すべきである。

もし、判断を下す場合は、或る点から見るという、制限をするべきであると。

例えば、事物は、実体、または、形式という点から見ると、常住であると言い得る。
状態、内容という点から見ると、無常であると、言い得る。
すべては、相対的に、言い表し、相対的に、解するべきである。

これを、見方といい、ジャイナ教は、不定主義、あるいは、相対主義と、言われる。

マハーヴィーラは、ヴェーダ聖典の権威を、否定し、更に、バラモンの祭祀は、無意義、無価値であると、主張した。
そして、祭祀における、獣を殺すことを、罪であると、言い切るのである。
また、階級制度に、反対した。
合理主義的立場に立ち、あらゆる人間が、あらゆる時、あらゆる所においても、奉るべき、普遍的な法、ダルマがあると、主張した。

生き物は、生き物を、苦しませる。見よ、世間における大いなる恐怖を。・・・・・
かれらは無力なる弱き身体もと破滅に趣く。

マハーヴラは、この苦痛から、解脱するために、形而上学的考察を開始する。

宇宙は、大別して、霊魂と、非霊魂から成るとする。
霊魂は、地・水・火・風・動物・植物の六種に存する、六種の霊魂がある。
それは、物質の、内部に想定される、生命力を実体的に、考えたものである。

非冷酷は、運動の条件と、静止の条件と、虚空と、物質との、四つであり、霊魂と合わせて数えるときは、五つの実在体とする。

非常にすぐれていることは、或る場合は、時間を一つの実在体と考え、六つを、想定する。

時間というものを、哲学すれば、ノーベル賞ものである。
いまだに、時間というものを、人間は、把握していない。
それは、魚が、水に生きるということを、知らないように、人間も、時間というものを、知らないのである。

人間は、時間の実在を知覚することは、出来ないのである。
私が救いというものを、唱えるならば、時間の実在の知覚を、言うだろう。

生命は、時間という、空気の中に浸り、空気という、媒体に取り込まれて、生きているという、実感を感じ取れないでいる。

この、空気は、水とでも、風とでも、何とでも言っていい。

あらゆる、哲学、思想なるもの、そして、学問全般、宗教でさえ、時間というものを、知覚できないでいる。

時間を超越するという、宗教の悟りというものは、ヒステリーである。
単なる、妄想である。

さて、続ける。

虚空は、大空所である。
この中に、他の諸々の実在体が存在する。
時間は、単一にして、永遠であり、空間的拡がりを有しない。
物質は、無数に、存在し、多数の物体を構成し、場所を占有し、活動と下降性を有する。

物質は、原子から構成されているが、原子は、部分を有せず、分割し得ず、また、破壊することもできない。

原子それ自体は、知覚され難いものであるが、それらが、集合して、現実の知覚され得る、物質を形成する。

世界というものは、これらの、実在性によって、構成され、大初に、宇宙を創造したり、あるいは、支配している主宰神などは、存在しない。

人間の身体が、活動し、身・口・意の、三業を現ずると、その業のために、微細な物質が霊魂に、取り巻いて付着する。
これを、流入と言う。

その、微細な物質が霊魂を囲んで、微細な身体を形成し、霊魂を束縛し、霊魂の本性を、覆っている。

これを、繋縛 けばく、と呼び、これにより、諸々の霊魂は、地獄、畜生、人間、天上の四迷界にわたって、輪廻するという。

業に、束縛された、悲惨な状態を脱し、永遠の寂静に達するために、一方では、苦行によって、過去の業を滅ぼし、他方では、新しい業の流入を防止して、霊魂を浄化する。
そして、本性を、発現させるというものである。

これを、制御といい、それを、実行するには、出家して、修行者になり、一切の欲望を捨てて、独身の遍歴、遊行生活を行うことを、勧める。

この、修行者を、比丘と称し、托鉢乞食の生活を行うのである。

多数の戒律があるが、特徴的なものは、不殺生、真実語、不盗、不淫、無所有である。

不殺生は、特に重大な、戒律だった。
生き物は、命を愛するものである、ゆえに、命を傷つけることは、最大の罪悪である。

無所有というのは、徹底して、一糸もまとわない裸体で、修行する者もいた。

後に、白布をまとうことを、許される、白布派と、裸体のままの、裸形派に分かれる。
保守的な、裸形派は、なんと、断食による、死が、極度に称賛される。

修行に当たり、自己力のみを頼り、一切の、救済者、救い主を期待しない。

上記、あるところまでは、受け入れられるが、極端に行く着くところが、受け入れ難い。

同じ時期に、釈迦仏陀は、極端を嫌い、中道の道を説く。

余談であるが、三蔵法師玄奘が、天竺に渡った頃は、まだ、ジャイナ教の修行者がいて、
面白い修行法をしている者多数と、その、旅日記に書いている。

ところが、仏教と、共に、ジャイナ教も、インドでは、壊滅する。
それは、共に、殺生戒があるからである。
殺しをしない。

殺しをする、宗教が、台頭してくると、彼らは、殺されたのである。

それでは、この信者は、どのように、行為したのかを、見ることにする。

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もののあわれ356

桐壺には人々多く侍ひて、おどろきたるもあれば、かかるを、人々「さもたゆみなき御忍びありきかな」と、つきじろひつつ、そら寝をぞしあへる。入り給ひて臥し給へれど、寝入られず、「をかしかりつる人の様かな。女御の御おとうとたちにこそはあらめ。まだ世になれぬは、五六の君ならむかし。




桐壺、つまり、源氏の宿泊所では、女房たちが、大勢いて、目を覚ましている者もいて、源氏の朝帰りを、あんなに熱心にお出歩きですと、互いに突っつきあいながら、寝たふりをしている。
源氏は、部屋に入り、横になったが、寝付かれない。
美しい人だった。女御の妹君のいずれかであろう。まだ、初心なのは、五の君か、六の君であろう。




そちの宮の北の方、頭の中将のすさめぬ四の君などこそ、よしと聞きしか。なかなかそれならましかば、今少しをかしからまし。六は東宮に奉らむとこころざし給へるを、いとほしうもあるべいかな。わづらはしう尋ねむ程も紛らはし。さて絶えなむとは思はぬ気色なりつるを、いかなれば、言かよはすべきさまを教へずなりぬらむ」などよろづに思ふも、心のとまるなるべし。




そちの宮の、北の方、つまり右大臣の三女であり、源氏の弟の、太宰そちの宮の北の方である。その北の方と、頭の中将が、嫌う四の君などは、美しいと聞いていたが、それだったら、少し面白いと、思う。
六の君は、父大臣が、東宮に差し上げようと、希望しているので、もしそれなら、気の毒なことだ。
面倒なことだが、詮索しても、誰なのかは、解らないだろう。
あれっきり、別れてしまおうとは、思っていない様子だった。どうして、手紙をやり取りする方法を教えなかったのか、などと、色々思うのも、心挽かれてしまったからだろう。
最後は、作者の思いである。



かうやうなるにつけても、まづかのわたりの有様の、「こよなう奥まりたるはや」と、ありがたう思ひ比べられ給ふ。



こういうことにつけても、何より、藤壺の辺りであるから、何とも奥深く、近づき難いことだと、こちらと比類ないことだと、比べてみるのである。

つまり、藤壺の宮と、弘薇殿とを、比べるものである。
それにしても、色事にかけては、節操がない風情である。
エロ事師である。





その日は後宴の事ありて、紛れ暮らし給ひつ。筝の琴仕うまつり給ふ。昨日の事よりも、なまめかしうおもしろし。藤壺は、暁に参り上り給ひにけり。「かの有明出でやしぬらむ」と、心もそらにて、思ひ至らぬ隈なき良清惟光をつけて、うかがはせ給ひければ、お前よりまかで給ひける程に、良清ら「ただ今、北の陣より、かねてより隠れ立ちて侍りつる車どもまかり出づる。御方々の里人侍りつる中に、四位の少将、右中弁など急ぎ出でて、送りし侍りつるや、弘薇殿の御あかれならむ、と見給へつる。けしうはあらぬけはひどもしるくて、車三つばかり侍りつ」と、聞ゆるにも、胸うちつぶれ給ふ。「いかにして、いづれと知らむ。父大臣など聞きて、ことごとしうもてなさむも、いかにぞや。まだ人の有様よく見定めぬ程は、わづらはしかるべし。さりとて知らであらむ、はた、いと口惜しかるければ、いかにせまし」と、思しわづらひて、つくづくとながめ臥し給へり。





その日は、後宴のことがあり、取り紛れて一日を過した。
後宴とは、大きな宴の翌日に行われる、規模の小さなものである。
源氏は、筝の琴を勤める。
昨日の催しより、優雅で、面白い。
藤壺は、朝早く、上の局に参上していた。
君は、あの有明の人が、退出してしまうのではないかと、気が気でない。
万事に、抜け目ない、良清や、惟光をつけて、見張らせたので、帝の御前から退出するした時、只今、北の陣から、あらかじめ、物陰に隠れて立っていました車が、退出しました。女御様方の、ご家族がいた中に、四位の少将や、右中弁などが、急いで出て来て、見送っておりましたのは、弘薇殿がたの、退出であろうと思われます。相当の方々らしいご様子が明らかで、車は、三つ程ありました、と、申し上げると、源氏は、ハッとするのである。
どうやって、どの姫だと、突き止めよう。
父の右大臣などが耳にして、大仰に婿扱いされたりするのも、困るし。
それにまだ、姫の様子も、よく見極めていないのだから、重荷になるかもしれない。
そうかといって、知らないでいるのは、それはそれで、残念至極であろうし、どうしたものかと、思案に暮れる。
ぼんやりと、物思いに耽っている。




「姫君いかにつれづれならむ。日ごろになれば、屈してやあらむ」と、らうたく思しやる。



姫君は、どんなに、淋しく思っているか。逢わないで幾日もになるから、塞ぎ込んでいることだろうと、いじらしく、思うのである。

この、姫君は、若草の姫である。若紫のこと。
突然、文中に、出て来るので、戸惑う。
物語の難しさは、こういうことである。




かのしるしの扇は、桜の三重がさねにて、濃きかたに霞める月をかきて、水にうつしたる心ばへ、目慣れたれど、ゆえなつかしうもてならしたり。「草の原をば」と言ひし様のみ、心にかかり給へば、

源氏
世に知らぬ 心地こそすれ 有明の 月のゆくへを 空にまがへて

と書きつけ給ひて、置き給へり。


あのしるしの、扇は、桜の三重重ねで、色の濃い方に、霞んでいる月を描いて、それを水に映してある趣向は、珍しくは無いが、持ち主の、趣味教養が、懐かしく偲ばれるまで、使い慣らしている。
草の原をば、と言った、女の様子ばかりが、思い出される。

源氏
未だ、経験したことのない、悲しく寂しい気持がすることである。
有明の月の行くへを空の途中で、見失ってしまった。

と、書き付けて、傍に置かれた。


かのしるしの扇
しるし、とは、契ったという意味。
扇は、後で、確認するための、渡し物である。

源氏の歌の、有明の月とは、昨夜の女のことである。


しかし、この物語の、凄さは、戦いの場面が一切ないということである。
実に、平安な日々である。
平安期とは、何と、平和な時期だったのか。

歴史は、この後、騒乱へと、進む。

色恋に、戯れる平安貴族の有様を、批判しつつ、紫式部は、平和であることも、見つめているのである。



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2008年12月17日

神仏は妄想である 182

神はいない。
何ら、救済者の存在を期待しないという、ジャイナ教である。

修行により、業の束縛が解かれ、微細な物質が、霊魂から離れる。それを、止滅と呼ぶ。

その結果、罪悪、汚れを滅ぼした、完全な智慧を得た人は、「生も望まず、死をも欲せず」なのである。

つまり、現世も、来世も、願うこと無しである。

この境地を、解脱、寂静、ニルヴァーナと、呼ぶ。
身体の壊滅とともに、完全な解脱が、完成するというのである。

その後、成立した、解脱観には、身体が死すると、解脱した霊魂は、本来有する、上昇性を発揮して、上方に向かい、世界を脱して、非世界に至る。そして、霊魂は、本性において現れて、絶対の安楽が得られると、なる。これが、真の解脱である。

私の解釈を、すれば、宇宙の外に出るということである。

上記は、すべて、観念である。

これは、大乗仏教に大きな影響を与えた。
微妙に相違は、あるが、非常に大乗に近いものがある。
釈迦仏陀の教えにも、近い。

さて、その信者である。

厳重な修行は、在家信者の行うことの出来ないものである。
信者は、因果応報の理を信じ、高僧の教えに従い、道徳的、正しい生活をすること。
それによって、死後、神々の世界に達して、楽しい生活が出来るという。

ただし、在家の信者にも、不殺生戒の厳守を要求する。
信者は、農業あるいは、一般的に、生産に従事せずに、職業として、商業を選ぶ。
従って、ジャイナ教は、商業、特に、金貸し、販売に従事することになる。

正直で、信用もあり、富裕層に内に入った。
19世紀まで、インド資本の、過半数は、インド人口の、0,5パーセントにすぎない、ジャイナ教徒の手中にあったといわれる。

ジャイナ教は、宗教と、資本主義の、関係において、問題提起する、インド最初の、事例であると、いわれる。

それでは、初期、原始仏教、つまり、釈迦仏陀は、いかなる方法をとったのか。

ゴータマは、当時の思想界において、本質的に相容れない種々の哲学説が、互いに相対化し、矛盾し、抗争している事実を注視し、反省した。「或る人々が「真理なり、真実なり」というところのその、「見解」をば、他の人々は「虚偽なり、虚妄なり」という。かくのごとく、かれは異なれる見解をいだいて、互いに論争をなす」しかし人がいずれか一つの哲学説の立場から離れて、この思想史的現実を、客観的・通観的視点から眺めるならば、それらは互いに対立・抗争しているという点において、いずれも相対的・一方的である。
中村元 インド思想史

そして、釈迦仏陀が、取った行動は、結局解決しない、形而上学的問題についての、論争などに、関わらない。
更に、無意味である、無意義であるとして、論争に加わらないのである。

かれは一つの立場に固守して他の者と争うことがない。かれは種々の哲学説がいずれも特殊な執着にもとづく偏見であることを確知して、そのいずれにもとらわれず、みずから省察しつつ、内心の寂静の境地に到達しようとした。かれはみずから真実のバラモン「つとめる人」沙門となる道を説くのだと標榜していた。仏教はどこまでも人間の生きるべき道を明らかにしたのであり、この道またはきまりを法、ダルマとよんだ。
中村元

大乗仏典が、書かれて以降、上記にある、当時の思想界のような、状態になる。
仏教に関してである。

それを否定した釈迦仏陀の、仏教が、そのようになるという、皮肉である。

これが、唯一の、これが、真理である、これが真実である、等々である。
しまいに、仏典の一つを、もって、真理ありだの、甚だしくは、仏典の一説を持って、これが、唯一の道などと、ほざくのである。

何度、繰り返してもいいと、思うので、釈迦仏陀の、原始仏教を、もう少し見る。

その前に、私は、釈迦仏陀という、釈迦族のことを言う。
仏陀が、出た、釈迦族は、仏陀の目の前で、滅ぼされている。

つまり、仏陀が、そのまま、城にいれば、確実に殺されていた。
出家をしたことにより、仏陀は、その滅びから、免れている。

誰も、このことを言わないので、言っておく。

滅ぼされる因縁のある、釈迦族に生まれたのが、釈迦仏陀である。
確かに、二度、仏陀は、その軍勢を止めている。しかし、三度目は、止められなかった。
何故か。
かれ自身の、因果の法で、解釈すればいい。

生老病死は、苦であると、観たのである。
生まれることも、老いることも、病気になることも、死ぬことも、苦である。
つまり、人生は、苦であるということである。

苦とは、自己の欲するがままにならないこと、であるという。
ということは、生まれたことも、思うに任せなかったということである。つまり、生まれたくなかった。
これに対して、私は、きっぱりと、明らかに言う。
人は、生まれたくて、生まれてきた。
生まれたことが、苦である、思うようにいなかかったというのは、傲慢不遜であり、釈迦仏陀も、悟れなかったという、こと、明々白日である。

私は、10歳の年、夏のある日、明確に、生まれたくて、生まれてきたと、感得した。
それは、悟りか。
悟りでもないでもない。私の感性である。

人生は、私の欲するままにならないものである、ということである。
つまり、成功したなら、それは、嘘である。
欲するままに、ならないのが、人生なのである。

何一つとして。

そのように、人生を捉えるのである。

さて、ここで、下世話な話である。
私の父が、七十を過ぎて、癌になった時、私は、病室で、父に、父さん、そんなに生きなくてもいい、こんな世の中に、長くいることはないと、言った。周囲の人は、騒然とした。
また、唖然としたようである。
一日でも、長く生きてと、言うと、思ったようである。

父は、お前が、本当のことを言うから、俺は、目が覚める。そこで、もう少し、生きることにしたと、言うのである。
俺は、生きてみる、と。
そうして、82歳まで生きた。

「ああ短いかな、人の生命よ。百歳に達せずして死ぬ。たといさらに長く生きるとしても、また老衰のたるに死ぬ」
上記は、仏陀の言葉であるが、本当は、お笑いである。
仏陀が言ったというから、神妙になるが、実に、お笑いである。

癌が完治した。それでも、人は、死ぬ。

父さん、10年長く生きたところで、どうなるものでもないと、私。
お前が、見舞いに来ると、目が覚めると、父は、言う。

俺は、生きると、三度も、手術を受けて、生き延びた父は、矢張り、死んだ。
本当に、十年長く生きてしまった。

そして、その、10年長く生きて、一番恩恵を受けたのは、父ではなく、私であった。

季節ごとの、海や山の幸を、私は、定期的に送ってもらい、いつも、食卓には、北の他の食べ物があった。

早く死んでも、いいものをと、思い、見ていたが、あらまーと、生きて、最後に、静かに、くたばった。

人生は、苦である。
そう、釈迦仏陀は観た。
それは、仏陀の観たものである。

人それぞれ、観るものは、違う。
喜怒哀楽。
それから、一つ取り出して、人生は、喜びである、怒りである、哀しみである、楽であると、言ってもいい。
お好きな方を、どうぞ、である。

釈迦仏陀も、
私に言わせれば、死ぬまでの、暇潰しをしたのであり、それも、また、良きことである。

あまり、力まない方が、身のためである。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第4弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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