沖縄・渡嘉敷島へ 平成20年12月
2008年12月01日
もののあわれ342
内裏より大殿にまかで給へれば、例の、うるはしうよそほしき御様にて、心うつくしき御気色もなく、苦しければ、源氏「今年よりだに、少し世づきて改め給ふ御心見えば、いかにうれしからむ」と聞え給へど、「わざと人すえてかしづき給ふ」と聞ゆ給ひしよりは、「やむごとなくおぼし定めたることにこそは」と、心のみ置かれて、いとど疎くはづかしくおぼさるべし。
源氏が、宮中から、大臣邸にお越しになると、女君は、いつもの、取り澄ました姿で、やさしい素振りも見せない。
源氏は、それを、窮屈だと思い、せめて今年から、夫婦らしくしてくだされば、どんなに嬉しいことでしょうと、言う。
しかし、女君は、わざわざ女を、迎えて、大事にしていると、聞いてからは、そちらを大切な人と、決めているのだと、思い、心を奪われていると、顔も合わせたくない心境である。
いとど疎くはづかしくおぼさる
作者の注である。顔も合わせたくない気持なのであろうと、作者の感想が入る。
通い婚、複数恋愛の当時も、矢張り、女の嫉妬は、あった。
人間に、嫉妬の感情がなくなれば、大半が、死に体になる。嫉妬の力は、凄まじいものがある。
嫉妬心だけでも、生きて行かれる。
やむごとなく
やんごとない方、つまり、大切な方、特別な人である。
しひて見知らぬやうにもてなして、みだれたる御けはひには、えしも心強からず、御いらへなどうち聞え給へるは、なほ人よりはいと異なり。四年ばかりがこのかみにおはすれば、うちすぐし、はづかしげに、さかりにととのほりて見え給ふ。「何事かはこの人のあかぬ所はものし給ふ。わが心のあまりけしからぬすさびに、かくうらみられ奉るぞかし」とおぼし知らる。
強いて、知らぬ振りをして、戯れると、澄ましてばかりも、いられない。
返事をされるのも、やはり他人とは違うのである。
四つ年上であり、こちらが負けるほどの、女ざかりにある姿である。
この方の、どこに、不足があろうか。自分の、度を過ぎた浮気心のせいで、このように、よそよそしいのだと、反省もする。
作者の感想が多い。
源氏は、我が身の行動を、反省するというのである。
その、浮気心である。
わが心のあまりけしからぬすさびに
すさび、とは、行動である。
後に、荒んだと、書かれるのようになる。
荒れた生活などを、すさんだ生活という。
また、心が、すさむとは、心が荒れるということになってゆく。
つまり、すさむ、とは、正体を無くして、心が浮遊することを言う。
その、すさむ、ことも、あはれの風景の中にある。
同じ大臣の聞ゆる中にも、おぼえやむごとなくおはするが、「宮腹に一人いつきかしづき給ふ御心おごり、いとこよなくて、すこしも疎なるをば、めざましと思ひ聞え給へるを、男君は、「などかいとさしも」と、ならはい給ふ、御心のへだてどもなるべし。
同じ大臣という中でも、世の中の評判が大変良い方の、内親王の奥様との間に出来た、一人娘として、大事に育てられたゆえの、気位の高さは、無類である。
少しでも、粗雑にすると、なんということだと、驚くのである。
男君の方は、何も、そんなに、たてまつらなくてもと、躾ける気持がある。
その互いの、気持の溝も、大きいのであろう。
ここにも、作者の意見が登場する。
などかいとさもし
そんなに、奉らなくても、という気持である。要するに、そんなに、気取る必要はないということ。
ならはい
ならはし、習慣付け、つまり、教育して、躾けるという意味になる。
ここで、源氏は、高い身分にあるが、気さくな人柄であるということを、作者は、言う。
おとども、かくたのもしげなき御心を、つらしと思ひ聞え給ひながら、見奉り給ふ時は、うらみも忘れて、かしづき営み聞え給ふ。つとめて出で給ふ所に、さしのぞき給ひて、御装束し給ふに、名高き御帯、御手づから持たせて、わたり給ひて、御衣のうしろひき繕ひなど、御沓を取らぬばかりにし給ふ、いとあはれなり。源氏「これは、内宴などいふ事も侍るなるを、さやうの折にこそ」など聞え給へば、大臣「それはまされるも侍り。これはただ目慣れぬさまなればなむ」とて、しひてささせ奉り給ふ。
大臣も、このような、頼りなげな婿君の心を、辛い仕打ちだと思いつつも、目の当たりに、その姿を見るにつけ、日頃の恨み言も忘れ、ただ大切にするのである。
翌朝、出掛ける時、そっと、部屋を覗くと、御芽召し替えの最中で、有名な帯を持ってきて、着物の後を繕ったり、沓をとらんばかりの気配りは、いとあはれなり、つまり、気の毒である。
源氏は、これは、内宴ということですから、それは、その折に、使わせて頂きますと、辞退するが、大臣は、その時には、もっと、良いものを用意します。これはただ、珍しいというだけですと、仰せられ、無理に帯を締めるのである。
げによろづにかしづき立てて見奉り給ふに、生けるかひあり。「たまさかにても、かからむ人を出だし入れて見むにます事あらじ」と見給ふ。
大切な、お世話をして、その姿を見ると、しみじみと、生き甲斐が感じられる。
たとえ、疎遠とはいえ、このような方を、家に出入りさせる以上の、幸せはないと、思うほどの、婿であった。
大臣の、思いである。
かからむ人
このような立派な身分の方である。
源氏が、宮中から、大臣邸にお越しになると、女君は、いつもの、取り澄ました姿で、やさしい素振りも見せない。
源氏は、それを、窮屈だと思い、せめて今年から、夫婦らしくしてくだされば、どんなに嬉しいことでしょうと、言う。
しかし、女君は、わざわざ女を、迎えて、大事にしていると、聞いてからは、そちらを大切な人と、決めているのだと、思い、心を奪われていると、顔も合わせたくない心境である。
いとど疎くはづかしくおぼさる
作者の注である。顔も合わせたくない気持なのであろうと、作者の感想が入る。
通い婚、複数恋愛の当時も、矢張り、女の嫉妬は、あった。
人間に、嫉妬の感情がなくなれば、大半が、死に体になる。嫉妬の力は、凄まじいものがある。
嫉妬心だけでも、生きて行かれる。
やむごとなく
やんごとない方、つまり、大切な方、特別な人である。
しひて見知らぬやうにもてなして、みだれたる御けはひには、えしも心強からず、御いらへなどうち聞え給へるは、なほ人よりはいと異なり。四年ばかりがこのかみにおはすれば、うちすぐし、はづかしげに、さかりにととのほりて見え給ふ。「何事かはこの人のあかぬ所はものし給ふ。わが心のあまりけしからぬすさびに、かくうらみられ奉るぞかし」とおぼし知らる。
強いて、知らぬ振りをして、戯れると、澄ましてばかりも、いられない。
返事をされるのも、やはり他人とは違うのである。
四つ年上であり、こちらが負けるほどの、女ざかりにある姿である。
この方の、どこに、不足があろうか。自分の、度を過ぎた浮気心のせいで、このように、よそよそしいのだと、反省もする。
作者の感想が多い。
源氏は、我が身の行動を、反省するというのである。
その、浮気心である。
わが心のあまりけしからぬすさびに
すさび、とは、行動である。
後に、荒んだと、書かれるのようになる。
荒れた生活などを、すさんだ生活という。
また、心が、すさむとは、心が荒れるということになってゆく。
つまり、すさむ、とは、正体を無くして、心が浮遊することを言う。
その、すさむ、ことも、あはれの風景の中にある。
同じ大臣の聞ゆる中にも、おぼえやむごとなくおはするが、「宮腹に一人いつきかしづき給ふ御心おごり、いとこよなくて、すこしも疎なるをば、めざましと思ひ聞え給へるを、男君は、「などかいとさしも」と、ならはい給ふ、御心のへだてどもなるべし。
同じ大臣という中でも、世の中の評判が大変良い方の、内親王の奥様との間に出来た、一人娘として、大事に育てられたゆえの、気位の高さは、無類である。
少しでも、粗雑にすると、なんということだと、驚くのである。
男君の方は、何も、そんなに、たてまつらなくてもと、躾ける気持がある。
その互いの、気持の溝も、大きいのであろう。
ここにも、作者の意見が登場する。
などかいとさもし
そんなに、奉らなくても、という気持である。要するに、そんなに、気取る必要はないということ。
ならはい
ならはし、習慣付け、つまり、教育して、躾けるという意味になる。
ここで、源氏は、高い身分にあるが、気さくな人柄であるということを、作者は、言う。
おとども、かくたのもしげなき御心を、つらしと思ひ聞え給ひながら、見奉り給ふ時は、うらみも忘れて、かしづき営み聞え給ふ。つとめて出で給ふ所に、さしのぞき給ひて、御装束し給ふに、名高き御帯、御手づから持たせて、わたり給ひて、御衣のうしろひき繕ひなど、御沓を取らぬばかりにし給ふ、いとあはれなり。源氏「これは、内宴などいふ事も侍るなるを、さやうの折にこそ」など聞え給へば、大臣「それはまされるも侍り。これはただ目慣れぬさまなればなむ」とて、しひてささせ奉り給ふ。
大臣も、このような、頼りなげな婿君の心を、辛い仕打ちだと思いつつも、目の当たりに、その姿を見るにつけ、日頃の恨み言も忘れ、ただ大切にするのである。
翌朝、出掛ける時、そっと、部屋を覗くと、御芽召し替えの最中で、有名な帯を持ってきて、着物の後を繕ったり、沓をとらんばかりの気配りは、いとあはれなり、つまり、気の毒である。
源氏は、これは、内宴ということですから、それは、その折に、使わせて頂きますと、辞退するが、大臣は、その時には、もっと、良いものを用意します。これはただ、珍しいというだけですと、仰せられ、無理に帯を締めるのである。
げによろづにかしづき立てて見奉り給ふに、生けるかひあり。「たまさかにても、かからむ人を出だし入れて見むにます事あらじ」と見給ふ。
大切な、お世話をして、その姿を見ると、しみじみと、生き甲斐が感じられる。
たとえ、疎遠とはいえ、このような方を、家に出入りさせる以上の、幸せはないと、思うほどの、婿であった。
大臣の、思いである。
かからむ人
このような立派な身分の方である。
2008年12月02日
もののあわれ342
内裏より大殿にまかで給へれば、例の、うるはしうよそほしき御様にて、心うつくしき御気色もなく、苦しければ、源氏「今年よりだに、少し世づきて改め給ふ御心見えば、いかにうれしからむ」と聞え給へど、「わざと人すえてかしづき給ふ」と聞ゆ給ひしよりは、「やむごとなくおぼし定めたることにこそは」と、心のみ置かれて、いとど疎くはづかしくおぼさるべし。
源氏が、宮中から、大臣邸にお越しになると、女君は、いつもの、取り澄ました姿で、やさしい素振りも見せない。
源氏は、それを、窮屈だと思い、せめて今年から、夫婦らしくしてくだされば、どんなに嬉しいことでしょうと、言う。
しかし、女君は、わざわざ女を、迎えて、大事にしていると、聞いてからは、そちらを大切な人と、決めているのだと、思い、心を奪われていると、顔も合わせたくない心境である。
いとど疎くはづかしくおぼさる
作者の注である。顔も合わせたくない気持なのであろうと、作者の感想が入る。
通い婚、複数恋愛の当時も、矢張り、女の嫉妬は、あった。
人間に、嫉妬の感情がなくなれば、大半が、死に体になる。嫉妬の力は、凄まじいものがある。
嫉妬心だけでも、生きて行かれる。
やむごとなく
やんごとない方、つまり、大切な方、特別な人である。
しひて見知らぬやうにもてなして、みだれたる御けはひには、えしも心強からず、御いらへなどうち聞え給へるは、なほ人よりはいと異なり。四年ばかりがこのかみにおはすれば、うちすぐし、はづかしげに、さかりにととのほりて見え給ふ。「何事かはこの人のあかぬ所はものし給ふ。わが心のあまりけしからぬすさびに、かくうらみられ奉るぞかし」とおぼし知らる。
強いて、知らぬ振りをして、戯れると、澄ましてばかりも、いられない。
返事をされるのも、やはり他人とは違うのである。
四つ年上であり、こちらが負けるほどの、女ざかりにある姿である。
この方の、どこに、不足があろうか。自分の、度を過ぎた浮気心のせいで、このように、よそよそしいのだと、反省もする。
作者の感想が多い。
源氏は、我が身の行動を、反省するというのである。
その、浮気心である。
わが心のあまりけしからぬすさびに
すさび、とは、行動である。
後に、荒んだと、書かれるのようになる。
荒れた生活などを、すさんだ生活という。
また、心が、すさむとは、心が荒れるということになってゆく。
つまり、すさむ、とは、正体を無くして、心が浮遊することを言う。
その、すさむ、ことも、あはれの風景の中にある。
同じ大臣の聞ゆる中にも、おぼえやむごとなくおはするが、「宮腹に一人いつきかしづき給ふ御心おごり、いとこよなくて、すこしも疎なるをば、めざましと思ひ聞え給へるを、男君は、「などかいとさしも」と、ならはい給ふ、御心のへだてどもなるべし。
同じ大臣という中でも、世の中の評判が大変良い方の、内親王の奥様との間に出来た、一人娘として、大事に育てられたゆえの、気位の高さは、無類である。
少しでも、粗雑にすると、なんということだと、驚くのである。
男君の方は、何も、そんなに、たてまつらなくてもと、躾ける気持がある。
その互いの、気持の溝も、大きいのであろう。
ここにも、作者の意見が登場する。
などかいとさもし
そんなに、奉らなくても、という気持である。要するに、そんなに、気取る必要はないということ。
ならはい
ならはし、習慣付け、つまり、教育して、躾けるという意味になる。
ここで、源氏は、高い身分にあるが、気さくな人柄であるということを、作者は、言う。
おとども、かくたのもしげなき御心を、つらしと思ひ聞え給ひながら、見奉り給ふ時は、うらみも忘れて、かしづき営み聞え給ふ。つとめて出で給ふ所に、さしのぞき給ひて、御装束し給ふに、名高き御帯、御手づから持たせて、わたり給ひて、御衣のうしろひき繕ひなど、御沓を取らぬばかりにし給ふ、いとあはれなり。源氏「これは、内宴などいふ事も侍るなるを、さやうの折にこそ」など聞え給へば、大臣「それはまされるも侍り。これはただ目慣れぬさまなればなむ」とて、しひてささせ奉り給ふ。
大臣も、このような、頼りなげな婿君の心を、辛い仕打ちだと思いつつも、目の当たりに、その姿を見るにつけ、日頃の恨み言も忘れ、ただ大切にするのである。
翌朝、出掛ける時、そっと、部屋を覗くと、御芽召し替えの最中で、有名な帯を持ってきて、着物の後を繕ったり、沓をとらんばかりの気配りは、いとあはれなり、つまり、気の毒である。
源氏は、これは、内宴ということですから、それは、その折に、使わせて頂きますと、辞退するが、大臣は、その時には、もっと、良いものを用意します。これはただ、珍しいというだけですと、仰せられ、無理に帯を締めるのである。
げによろづにかしづき立てて見奉り給ふに、生けるかひあり。「たまさかにても、かからむ人を出だし入れて見むにます事あらじ」と見給ふ。
大切な、お世話をして、その姿を見ると、しみじみと、生き甲斐が感じられる。
たとえ、疎遠とはいえ、このような方を、家に出入りさせる以上の、幸せはないと、思うほどの、婿であった。
大臣の、思いである。
かからむ人
このような立派な身分の方である。
源氏が、宮中から、大臣邸にお越しになると、女君は、いつもの、取り澄ました姿で、やさしい素振りも見せない。
源氏は、それを、窮屈だと思い、せめて今年から、夫婦らしくしてくだされば、どんなに嬉しいことでしょうと、言う。
しかし、女君は、わざわざ女を、迎えて、大事にしていると、聞いてからは、そちらを大切な人と、決めているのだと、思い、心を奪われていると、顔も合わせたくない心境である。
いとど疎くはづかしくおぼさる
作者の注である。顔も合わせたくない気持なのであろうと、作者の感想が入る。
通い婚、複数恋愛の当時も、矢張り、女の嫉妬は、あった。
人間に、嫉妬の感情がなくなれば、大半が、死に体になる。嫉妬の力は、凄まじいものがある。
嫉妬心だけでも、生きて行かれる。
やむごとなく
やんごとない方、つまり、大切な方、特別な人である。
しひて見知らぬやうにもてなして、みだれたる御けはひには、えしも心強からず、御いらへなどうち聞え給へるは、なほ人よりはいと異なり。四年ばかりがこのかみにおはすれば、うちすぐし、はづかしげに、さかりにととのほりて見え給ふ。「何事かはこの人のあかぬ所はものし給ふ。わが心のあまりけしからぬすさびに、かくうらみられ奉るぞかし」とおぼし知らる。
強いて、知らぬ振りをして、戯れると、澄ましてばかりも、いられない。
返事をされるのも、やはり他人とは違うのである。
四つ年上であり、こちらが負けるほどの、女ざかりにある姿である。
この方の、どこに、不足があろうか。自分の、度を過ぎた浮気心のせいで、このように、よそよそしいのだと、反省もする。
作者の感想が多い。
源氏は、我が身の行動を、反省するというのである。
その、浮気心である。
わが心のあまりけしからぬすさびに
すさび、とは、行動である。
後に、荒んだと、書かれるのようになる。
荒れた生活などを、すさんだ生活という。
また、心が、すさむとは、心が荒れるということになってゆく。
つまり、すさむ、とは、正体を無くして、心が浮遊することを言う。
その、すさむ、ことも、あはれの風景の中にある。
同じ大臣の聞ゆる中にも、おぼえやむごとなくおはするが、「宮腹に一人いつきかしづき給ふ御心おごり、いとこよなくて、すこしも疎なるをば、めざましと思ひ聞え給へるを、男君は、「などかいとさしも」と、ならはい給ふ、御心のへだてどもなるべし。
同じ大臣という中でも、世の中の評判が大変良い方の、内親王の奥様との間に出来た、一人娘として、大事に育てられたゆえの、気位の高さは、無類である。
少しでも、粗雑にすると、なんということだと、驚くのである。
男君の方は、何も、そんなに、たてまつらなくてもと、躾ける気持がある。
その互いの、気持の溝も、大きいのであろう。
ここにも、作者の意見が登場する。
などかいとさもし
そんなに、奉らなくても、という気持である。要するに、そんなに、気取る必要はないということ。
ならはい
ならはし、習慣付け、つまり、教育して、躾けるという意味になる。
ここで、源氏は、高い身分にあるが、気さくな人柄であるということを、作者は、言う。
おとども、かくたのもしげなき御心を、つらしと思ひ聞え給ひながら、見奉り給ふ時は、うらみも忘れて、かしづき営み聞え給ふ。つとめて出で給ふ所に、さしのぞき給ひて、御装束し給ふに、名高き御帯、御手づから持たせて、わたり給ひて、御衣のうしろひき繕ひなど、御沓を取らぬばかりにし給ふ、いとあはれなり。源氏「これは、内宴などいふ事も侍るなるを、さやうの折にこそ」など聞え給へば、大臣「それはまされるも侍り。これはただ目慣れぬさまなればなむ」とて、しひてささせ奉り給ふ。
大臣も、このような、頼りなげな婿君の心を、辛い仕打ちだと思いつつも、目の当たりに、その姿を見るにつけ、日頃の恨み言も忘れ、ただ大切にするのである。
翌朝、出掛ける時、そっと、部屋を覗くと、御芽召し替えの最中で、有名な帯を持ってきて、着物の後を繕ったり、沓をとらんばかりの気配りは、いとあはれなり、つまり、気の毒である。
源氏は、これは、内宴ということですから、それは、その折に、使わせて頂きますと、辞退するが、大臣は、その時には、もっと、良いものを用意します。これはただ、珍しいというだけですと、仰せられ、無理に帯を締めるのである。
げによろづにかしづき立てて見奉り給ふに、生けるかひあり。「たまさかにても、かからむ人を出だし入れて見むにます事あらじ」と見給ふ。
大切な、お世話をして、その姿を見ると、しみじみと、生き甲斐が感じられる。
たとえ、疎遠とはいえ、このような方を、家に出入りさせる以上の、幸せはないと、思うほどの、婿であった。
大臣の、思いである。
かからむ人
このような立派な身分の方である。
2008年12月03日
もののあわれ343
参座しにとても、あまた所もありき給はず。内裏、東宮、一の院ばかり、さては藤壺の三条の宮にぞ参り給へる。人々「今日はまた殊にも見え給ふかな。ねび給ふままに、ゆゆしきまでなりさり給ふ御有様かな」と、人々めで聞ゆるを、宮、凡帳のひまより、ほの見給ふにつけても、思ほすことしげかりけり。
参賀をするといっても、多くの所へは廻らず、御所と東宮御所、一の院のみ。あとは、藤壺の三条の宮である。
人々が、源氏を見て、今日は、格別に美しい。御年が増すにつれて、ゆゆしきまでなりさり、恐いほど美しくなられると、褒めて言う。
宮は、凡帳の隙間から、そっと、源氏を御覧になり、複雑な心境である。
思ほすことしげかりけり
思うことが、多い。つまり、複雑である。
この御事の、十二月も過ぎにしが、心もとなきに、この月はさりとも、と宮人も待ち聞え、内裏にもさる御心まうけどもあるに、つれなくて立ちぬ。「御物の怪にや」と世人も聞え騒ぐを、宮いとわびしう、「この事により、身のいたづらになりぬべきこと」とおぼし嘆くに、御心地もいと苦しくてなやみ給ふ。中将の君は、いとど思ひ合せて、御修法など、さとはなくて所々にせさせ給ふ。世の中のさだめなきにつけても、「かくはかなくてや止みなむ」と、取り集めて嘆き給ふに、二月十余日の程に、男御子生れ給ひぬれば、なごりなく、内裏にも宮人もよろこび聞え給ふ。
お産は、予定の十二月を過ぎても、何の模様もなかった。
この正月こそはと、宮づきの人々が、待っていたし、宮中でも、その準備をしていた。
だが、何事もなく過ぎた。
物の怪の仕業であろうか、と、世間の人々も、噂するので、宮は、つまり藤壺は、大変心配し、この事のために、我が身を、滅ぼすのではないかと、嘆くにつけて、気持が苦しく、具合が悪くなるのである。
中将の君は、つまり源氏は、いよいよ、心に思いあたること強くて、御修法を、ひそかに、あちこちの寺でさせる。
世の中は、無常ゆえに、宮は、こうしてお亡くなりになり、二人の間は、終わるのかと、何もかにもが、嘆きの種になっている、二月の十日過ぎ、皇子が、誕生された。
今までの不安は、一掃されて、主上も、宮の内の人々も、喜ぶのである。
三条の宮でのことである。
藤壺の宮の心境が、語られるのである。
なごりなく
今までの不安が無くなる。
「命長くも」と思ほすは心憂けれど、弘微殿などの、うけはしげに宣ふと聞きしを、「むなしく聞きなし給はましかば人笑はれにや」とおぼしつよりてなむ、やうやうすこしづつさわやい給ひける。
生き続けるのかと、思うことは、辛いことであった。弘微殿などが、呪いをかけそうになったと聞くにつけて、死んだと、聞いたら、さぞ物笑いの種になっただろうと、気を強く持ち、病気も、少しづつ快方に向かうのだった。
上の、いつしかとゆかしげにおぼし召したること限りなし。かの人知れぬ御心にも、いみじう心もとなくて、人間に参り給ひて、源氏「上のおぼつかながり聞えさせ給ふを、先づ見奉りて奏し侍らむ」と聞え給へど、「むつかしげなる程なれば」とて、見せ奉り給はぬも、ことわりなり。
主上は、一日も早く、皇子を見たいと、思し召す。
また、かの人知れぬ親御も、大変気がかりである。それは、源氏のこと。
人にいない隙に、源氏は、主上、おかみが、待ち遠しく思っていますゆえ、私が、拝見して、奏上いたしましょうと、仰るが、まだ見苦しい所でありますと、お見せにならないのである。
ことわりなり
無理もない。見せないことも、無理はないのである。
さるは、いとあさましう、めづらかなるまで写し取り給へるさま、違ふべくもあらず。宮の、御心の鬼にいと苦しく、「人の身奉るも、あやしかりつる程のあやまりを、まさに人の思ひとがめじや。さらぬはかなき事をだに、疵を求むる世に、いかなる名のつひに漏り出づべきにか」と思しつづくるに、身のみぞいと心憂き。命婦の君に、たまさかに逢ひ給ひて、いみじき言どもをつくし給へど、何のかひあるべきにもあらず。
実に、呆れるばかりに、写し取ったような顔であり、見まごうべくもない。
宮は、我が心に問うて、苦しく、誰が見ても、その当時の過ちを、気づかないはずはない。なんでもないことでも、粗を探す世の中である。さらに、どんな噂が漏れるかもしれないと、思い続けて、我が身が、恨めしい。
源氏は、命婦に逢うと、言葉を尽くして、手引きを頼むが、なんの答えもない。
いみじき言どもをつくし給へど
言葉を尽くしても、哀切に満ちた思いを語っても、である。
源氏の子を産んだ、藤壺の宮と、源氏の、それぞれの、思いである。
これは、物語の核でもある。
父である、天皇の皇后に、わが子を、宿したという、源氏の罪深さ。
誰もに、その危険と誘惑があるという、世の無常、儚さ、それは、あはれ、である。
この事態が、源氏のこれからに、どのように影響して行くのか。
一体、紫式部は、それによって、何を描こうとしたのか。
参賀をするといっても、多くの所へは廻らず、御所と東宮御所、一の院のみ。あとは、藤壺の三条の宮である。
人々が、源氏を見て、今日は、格別に美しい。御年が増すにつれて、ゆゆしきまでなりさり、恐いほど美しくなられると、褒めて言う。
宮は、凡帳の隙間から、そっと、源氏を御覧になり、複雑な心境である。
思ほすことしげかりけり
思うことが、多い。つまり、複雑である。
この御事の、十二月も過ぎにしが、心もとなきに、この月はさりとも、と宮人も待ち聞え、内裏にもさる御心まうけどもあるに、つれなくて立ちぬ。「御物の怪にや」と世人も聞え騒ぐを、宮いとわびしう、「この事により、身のいたづらになりぬべきこと」とおぼし嘆くに、御心地もいと苦しくてなやみ給ふ。中将の君は、いとど思ひ合せて、御修法など、さとはなくて所々にせさせ給ふ。世の中のさだめなきにつけても、「かくはかなくてや止みなむ」と、取り集めて嘆き給ふに、二月十余日の程に、男御子生れ給ひぬれば、なごりなく、内裏にも宮人もよろこび聞え給ふ。
お産は、予定の十二月を過ぎても、何の模様もなかった。
この正月こそはと、宮づきの人々が、待っていたし、宮中でも、その準備をしていた。
だが、何事もなく過ぎた。
物の怪の仕業であろうか、と、世間の人々も、噂するので、宮は、つまり藤壺は、大変心配し、この事のために、我が身を、滅ぼすのではないかと、嘆くにつけて、気持が苦しく、具合が悪くなるのである。
中将の君は、つまり源氏は、いよいよ、心に思いあたること強くて、御修法を、ひそかに、あちこちの寺でさせる。
世の中は、無常ゆえに、宮は、こうしてお亡くなりになり、二人の間は、終わるのかと、何もかにもが、嘆きの種になっている、二月の十日過ぎ、皇子が、誕生された。
今までの不安は、一掃されて、主上も、宮の内の人々も、喜ぶのである。
三条の宮でのことである。
藤壺の宮の心境が、語られるのである。
なごりなく
今までの不安が無くなる。
「命長くも」と思ほすは心憂けれど、弘微殿などの、うけはしげに宣ふと聞きしを、「むなしく聞きなし給はましかば人笑はれにや」とおぼしつよりてなむ、やうやうすこしづつさわやい給ひける。
生き続けるのかと、思うことは、辛いことであった。弘微殿などが、呪いをかけそうになったと聞くにつけて、死んだと、聞いたら、さぞ物笑いの種になっただろうと、気を強く持ち、病気も、少しづつ快方に向かうのだった。
上の、いつしかとゆかしげにおぼし召したること限りなし。かの人知れぬ御心にも、いみじう心もとなくて、人間に参り給ひて、源氏「上のおぼつかながり聞えさせ給ふを、先づ見奉りて奏し侍らむ」と聞え給へど、「むつかしげなる程なれば」とて、見せ奉り給はぬも、ことわりなり。
主上は、一日も早く、皇子を見たいと、思し召す。
また、かの人知れぬ親御も、大変気がかりである。それは、源氏のこと。
人にいない隙に、源氏は、主上、おかみが、待ち遠しく思っていますゆえ、私が、拝見して、奏上いたしましょうと、仰るが、まだ見苦しい所でありますと、お見せにならないのである。
ことわりなり
無理もない。見せないことも、無理はないのである。
さるは、いとあさましう、めづらかなるまで写し取り給へるさま、違ふべくもあらず。宮の、御心の鬼にいと苦しく、「人の身奉るも、あやしかりつる程のあやまりを、まさに人の思ひとがめじや。さらぬはかなき事をだに、疵を求むる世に、いかなる名のつひに漏り出づべきにか」と思しつづくるに、身のみぞいと心憂き。命婦の君に、たまさかに逢ひ給ひて、いみじき言どもをつくし給へど、何のかひあるべきにもあらず。
実に、呆れるばかりに、写し取ったような顔であり、見まごうべくもない。
宮は、我が心に問うて、苦しく、誰が見ても、その当時の過ちを、気づかないはずはない。なんでもないことでも、粗を探す世の中である。さらに、どんな噂が漏れるかもしれないと、思い続けて、我が身が、恨めしい。
源氏は、命婦に逢うと、言葉を尽くして、手引きを頼むが、なんの答えもない。
いみじき言どもをつくし給へど
言葉を尽くしても、哀切に満ちた思いを語っても、である。
源氏の子を産んだ、藤壺の宮と、源氏の、それぞれの、思いである。
これは、物語の核でもある。
父である、天皇の皇后に、わが子を、宿したという、源氏の罪深さ。
誰もに、その危険と誘惑があるという、世の無常、儚さ、それは、あはれ、である。
この事態が、源氏のこれからに、どのように影響して行くのか。
一体、紫式部は、それによって、何を描こうとしたのか。
2008年12月04日
もののあわれ344
若宮の御事を、わりなくおぼつかながり聞え給へば、命婦「など、かうしもあながちに宣はすらむ。今おのづから見奉らせ給ひてむ」と聞えながら、思へる気色かたみにただならず。かたはらいたきことなれば、まほにもえ宣はで、源氏「いかならむ世に、人づてならで聞えさせむ」とて、泣い給ふさまぞ心苦しき。
源氏
いかさまに 昔むすべる 契りにて この世にかかる 中のへだてぞ
かかる事こそ心得がたけれ」と宣ふ。命婦も、宮の思ほしたるさまなどを見奉るに、えはしたなうもさし放ちきこえず。
命婦
見ても思ふ 見ぬはたいかに 嘆くらむ こや世の人の まどふてふ闇
あはれに心ゆるびなき御事どもかな」と、しのびて聞えけり。かくのみいひやる方なくて、かへり給ふものから、人のものいひもわづらはしきを、わりなき事に宣はせおぼして、命婦をも、昔おぼいたりしやうにも、うちとけ睦び給はず。人目立つまじう、なだらかにもてなし給ふものから、心づきなしとおぼす時もあるべきを、いとわびしく思ひの外なる心地すべし。
若宮のことを、しつこく見たがるので、命婦は、なぜ、そのようにしっこく、お責めになりますのでしょう。そのうちに、自然に御覧なさいますのにと、申し上げる。
心の中は、命婦も、穏やかではないのである。
表立って言うことの出来ないことであるから、そのまま、言うことも出来ず、源氏は、いつの世になったら、取り次ぎなしに、お話できるのかと、仰り、泣くのである。まことに、辛い。
源氏
前世で、どんな約束をしたために、この世で、このような隔てがあるのだろう。
こんなに、隔てることが、解らないと、仰る。
命婦も、宮の苦しみを知っているので、さらりと断ることはせず
命婦
若宮を見ての、宮も、嘆いていますが、見られない君も、どんなに、お嘆きでしょう。これが、子により、迷う闇でしょう。
まことに、いつまでも、苦しみが絶えない、お二人でございますと、密かに、申し上げる。
源氏は、どうすることも、出来ずに、帰られるが、世間の口は、煩いもので、宮は、つまり藤壷は、それも、困ったことと言うし、また思うのである。
命婦と以前のように、親しくもしない。
人目に立たないように、穏やかに扱うが、命婦の態度を、気に入らないと思う時もあるようで、大変辛く、それをまた、意外にも、思うのである。
なだらかにもてなし給ふものから
穏やかに、扱うのだが
心づきなし
心が、付かない、つまり、無関心、気持が入っていない。
いとわびしく思ひの外なる心地
大変、侘しく、つまり、切なく、思いのほか、つまり、意外に思う。
作者の、藤壺に対する心境の説明である。
四月に内裏へ参り給ふ。程よりは大きにおよずけ給ひて、やうやう起きかへりなどし給ふ。あさましきまで、まぎれ所なき御顔つきを、おぼしよらぬことにしあれば、「またならびなきどちは、げに通ひ給へるにこそは」と思ほしけり。
若宮は、四月に、参内される。
普通の成長よりも、早く、そろそろ起きかえなどする。
呆れるばかり、瓜二つの顔である。
おかみ、主上は、何もご存知ないので、他に類のない美しい者同士、いかにも似ていると、思われた。
つまり、若宮は、源氏と、瓜二つなのである。
主上、おかみは、何も知らないというが、果たして、本当か。
研究家たちは、帝は、それを知ったと、分析する。
物語では、帝は、知らないと、している。
源氏物語の、面白さは、多くの研究家たちの、妄想の、膨らまし方で、如何様にでもなる。
あたかも、作者のように、分析する者もいる。
評論家というのは、コバンザメのように、源氏物語を、生活の糧とするのである。
浅ましいこと、甚だしい。
物語の解釈など、誰が、とのように行ってもいい。
勝手な解釈、勝手な妄想である。
源氏物語に関して書かれた本は、腐るほどある。
この解説を、鵜呑みにして、読んだつもりになる者も、多数。
どんな風にして、読んでよろしい。
これは、歴史的娯楽小説である。
小説は、楽しいか、楽しくないか、である。
好きでない人が、無理やり読んでも、詮無いこと。
楽しく、面白い人が、読めば、それでいい。
また、それを、読んで楽しい時期というものもある。また、楽しくない時期というものもある。誰にも、強制させる必要はない。
受験勉強で、読んだ人は、二度と読みたくないという。当然である。
娯楽小説を、仰々しく、分析して、更に、性格の悪いテストを、受けるのである。二度と、読みたくなくなるのは、当然である。
人間を機械のように扱うのは、奇怪である。
源氏物語に、嫌悪感を、抱かせたのは、学校教育である。
源氏
いかさまに 昔むすべる 契りにて この世にかかる 中のへだてぞ
かかる事こそ心得がたけれ」と宣ふ。命婦も、宮の思ほしたるさまなどを見奉るに、えはしたなうもさし放ちきこえず。
命婦
見ても思ふ 見ぬはたいかに 嘆くらむ こや世の人の まどふてふ闇
あはれに心ゆるびなき御事どもかな」と、しのびて聞えけり。かくのみいひやる方なくて、かへり給ふものから、人のものいひもわづらはしきを、わりなき事に宣はせおぼして、命婦をも、昔おぼいたりしやうにも、うちとけ睦び給はず。人目立つまじう、なだらかにもてなし給ふものから、心づきなしとおぼす時もあるべきを、いとわびしく思ひの外なる心地すべし。
若宮のことを、しつこく見たがるので、命婦は、なぜ、そのようにしっこく、お責めになりますのでしょう。そのうちに、自然に御覧なさいますのにと、申し上げる。
心の中は、命婦も、穏やかではないのである。
表立って言うことの出来ないことであるから、そのまま、言うことも出来ず、源氏は、いつの世になったら、取り次ぎなしに、お話できるのかと、仰り、泣くのである。まことに、辛い。
源氏
前世で、どんな約束をしたために、この世で、このような隔てがあるのだろう。
こんなに、隔てることが、解らないと、仰る。
命婦も、宮の苦しみを知っているので、さらりと断ることはせず
命婦
若宮を見ての、宮も、嘆いていますが、見られない君も、どんなに、お嘆きでしょう。これが、子により、迷う闇でしょう。
まことに、いつまでも、苦しみが絶えない、お二人でございますと、密かに、申し上げる。
源氏は、どうすることも、出来ずに、帰られるが、世間の口は、煩いもので、宮は、つまり藤壷は、それも、困ったことと言うし、また思うのである。
命婦と以前のように、親しくもしない。
人目に立たないように、穏やかに扱うが、命婦の態度を、気に入らないと思う時もあるようで、大変辛く、それをまた、意外にも、思うのである。
なだらかにもてなし給ふものから
穏やかに、扱うのだが
心づきなし
心が、付かない、つまり、無関心、気持が入っていない。
いとわびしく思ひの外なる心地
大変、侘しく、つまり、切なく、思いのほか、つまり、意外に思う。
作者の、藤壺に対する心境の説明である。
四月に内裏へ参り給ふ。程よりは大きにおよずけ給ひて、やうやう起きかへりなどし給ふ。あさましきまで、まぎれ所なき御顔つきを、おぼしよらぬことにしあれば、「またならびなきどちは、げに通ひ給へるにこそは」と思ほしけり。
若宮は、四月に、参内される。
普通の成長よりも、早く、そろそろ起きかえなどする。
呆れるばかり、瓜二つの顔である。
おかみ、主上は、何もご存知ないので、他に類のない美しい者同士、いかにも似ていると、思われた。
つまり、若宮は、源氏と、瓜二つなのである。
主上、おかみは、何も知らないというが、果たして、本当か。
研究家たちは、帝は、それを知ったと、分析する。
物語では、帝は、知らないと、している。
源氏物語の、面白さは、多くの研究家たちの、妄想の、膨らまし方で、如何様にでもなる。
あたかも、作者のように、分析する者もいる。
評論家というのは、コバンザメのように、源氏物語を、生活の糧とするのである。
浅ましいこと、甚だしい。
物語の解釈など、誰が、とのように行ってもいい。
勝手な解釈、勝手な妄想である。
源氏物語に関して書かれた本は、腐るほどある。
この解説を、鵜呑みにして、読んだつもりになる者も、多数。
どんな風にして、読んでよろしい。
これは、歴史的娯楽小説である。
小説は、楽しいか、楽しくないか、である。
好きでない人が、無理やり読んでも、詮無いこと。
楽しく、面白い人が、読めば、それでいい。
また、それを、読んで楽しい時期というものもある。また、楽しくない時期というものもある。誰にも、強制させる必要はない。
受験勉強で、読んだ人は、二度と読みたくないという。当然である。
娯楽小説を、仰々しく、分析して、更に、性格の悪いテストを、受けるのである。二度と、読みたくなくなるのは、当然である。
人間を機械のように扱うのは、奇怪である。
源氏物語に、嫌悪感を、抱かせたのは、学校教育である。
2008年12月05日
もののあわれ345
いみじう思ほしかしづくこと限りなし。源氏の君を限りなきものにおぼし召しながら、世の人の許し聞ゆまじかりしによりて、坊にもすえ奉らずなりしを、あかず口惜しう、ただ人にてかたじけなき御有様かたちにねびもておはするを御覧ずるままに、心苦しくおぼし召すを、かうやむごとなき御腹に、同じ光りにてさし出で給へれば、疵なき玉と思ほしかしづくに、宮はいかなるにつけても、胸のひまなく、やすからずものを思ほす。
帝は、実に大切に、若宮を、お世話すること、このうえもない。
源氏の君を、この上もなく、大切な子供と考えながらも、世の人が、許さなかったので、春宮にも、立たせなかったことを、不満であり、残念なことだと、思い、家臣の身分としては、勿体無いほどの、姿、顔立ちに成長されたことを、見るに付け、可愛そうだと思う。
今度は、高貴な方を、母として生まれ、源氏と同じように、光り輝く有様の、皇子が誕生したので、疵なき玉、つまり、完全無欠の宝として、大切にお育てになるのである。
藤壺の宮は、その帝の思いに、何事につけても、心の晴れる時がなく、後ろめたい思いで、悩んでいる。
ここでは、帝の思いと、藤壺の思いが、語られている。
源氏の母は、身分が低いことにより、皇太子としての、位置を、上げられなかった。しかし、藤壺は、前帝の、第四子であるから、身分が高い。ゆえに、その子は、身分の高い者となる。
これは、万葉時代からの、伝統的考え方である。
母の身分が、子供の身分となるのである。
帝が、我が子を、大切にする様を見て、藤壺は、心を痛める。つまり、源氏の子を宿したという、意識である。
ここで、簡単に、現代の研究家たちは、それを、罪の意識というが、果たして、現代流に考えてもよいものかと、疑問を投げる。
紫式部は、源氏の子供だと、書くのであり、誰の子か解らないと、書かない。
源氏の子であるということで、物語を書き続けるのである。
当時、誰の子か、解らない人は、大勢いた。だから、母の身分、つまり、産み落とした女の身分に従って、その子の身分を決めたのである。
作者が、源氏の子であると、決めているから、罪の意識と、推測するが、果たして、当時の、罪の意識とは、どんなものか。
これは、子を産んだという罪の意識ではなく、帝の后である女が、帝の息子と、契ったことに、何かの通常ではない、意識が芽生えたと、考えるのである。
夫の、息子と、契ったということが、藤壺の苦しみを、作ったと、作者は、想定して、物語を、進める。
この時期は、仏教のみならず、儒教や、道教の教えも、輸入されて、大和の人々の間に、広がっていた。
例えば、夫の息子と契って、子を産むことの、何が悪いのだというと、どうだろうか。初めから、罪の意識などなければ、そんなものはない。
そこで、源氏物語によって、それは、罪の意識であると、提唱されたのか、それとも、紫式部が、そのように、それは、悪いことであり、悩むことであり、後ろめたいことであると、定義したとしたならば、どうだろうか。
何を言いたいのかといえば、意識というものも、作られてゆくということである。
そして、意識の固定化となる。
その意識の固定化を、因縁という、名で呼ぶ場合もあるのだ。
このことについては、また、別の機会に書くことにする。
例の中将の君、こなたにて御遊びなどし給ふに、抱き出で奉らせ給ひて、主上「皇子たちあまたあれど、そこをのみなむ、かかる程より明け暮れ見し。されば思ひわたさるるにやあらむ、いとよくこそおぼえたれ。いとちひさき程は、皆かくのみあるわざにやあらむ」とて、いみじくうつくしと思ひ聞えさせ給へり。中将の君、面の色かはる心地して、恐ろしうも、かたじけなくも、うれしくも、あはれにも、方々うつろふ心地して、涙おちぬべし。物語りなどして、うち笑み給へるが、いとゆゆしううつくしきに、わが身ながら、これに似たらむはいみじういたはしう覚え給ふぞ、あながちなるや。宮は、わりなくかたはらいたきに、汗も流れてぞおはしける。中将は、なかなかなる心地の、かきみだるやうなれば、まかで給ひぬ。
いつものように、源氏の中将が、藤壺の宮の部屋で、管弦の遊びをされる。
その時、帝が、若宮を、抱いて、お出ましになった。
皇子たちは、沢山いるが、そなただけを、このくらいの時から、明け暮れに見たものだった。そういうわけで、思い出すのか、若宮は、たいそう、よく似ている。小さなうちは、皆こんな風なのかと、言う。
若宮を、大変可愛らしいと申している。
それを聞いて、源氏は、顔色が変わるような心地がする。
恐ろしくも、父の言葉が、もったいなく、自分の子は、可愛いのは、嬉しいが、悲しくもあり、様々に気持が、揺れて、涙が、今にも、こぼれそうになる。
若宮が、片言に、何かを言い、笑う様が、非常に可愛らしいので、自分のことながら、この子に似ているとしたら、自分を大切にしなければならないとも、思うのは、自己中心の考えである。
藤壺の宮は、いたたまれない気分で、汗が流れる。
源氏は、心乱れてくるので、宮中を、退出した。
非常に難しい部分である。
帝の気持と、源氏の気持と、藤壺の気持が、入り乱れている。
更に、作者の考えも入るという。
源氏が、若宮に似ているということで、自分を大切にしようなどと思う気持は、自己中心だとは、作者の思いである。
いたましう覚えたまふぞ、あながちなるや
いたわしく思う気持は、勝手な思いであると、作者は、書くのである。
紫式部は、自分が、最も嫌いな男を、主人公にして、物語を書いたのである。
その、美しさも、好色、好き者も、紫式部が、最も嫌いなものである。
最後まで、源氏の具体的な、美しさを、書かないところが、ミソである。
糞ではない。
更に、深読みすれば、若宮は、疵なき玉であり、源氏は、疵ある玉である。
つまり、身分の低い母から、生まれている。
しかし、若宮は、身分の高い母から、生まれている。
この、エロの主人公の、悲劇は、それである。
美しいが、身分が低く、疵があるという。
これは、痛烈な批判である。
紫式部は、当時の、平安貴族の、退廃した、その生活を徹底的に批判しているのである。
人生は、もっと、峻厳なものである。
それは、紫式部日記を、読めば解る。
再度、その日記を、読んで欲しい。
日本人の心の、原風景を、知るならば、万葉集を。
日本人の精神の意識化を、知るならば、源氏物語を、深読みすることである。
帝は、実に大切に、若宮を、お世話すること、このうえもない。
源氏の君を、この上もなく、大切な子供と考えながらも、世の人が、許さなかったので、春宮にも、立たせなかったことを、不満であり、残念なことだと、思い、家臣の身分としては、勿体無いほどの、姿、顔立ちに成長されたことを、見るに付け、可愛そうだと思う。
今度は、高貴な方を、母として生まれ、源氏と同じように、光り輝く有様の、皇子が誕生したので、疵なき玉、つまり、完全無欠の宝として、大切にお育てになるのである。
藤壺の宮は、その帝の思いに、何事につけても、心の晴れる時がなく、後ろめたい思いで、悩んでいる。
ここでは、帝の思いと、藤壺の思いが、語られている。
源氏の母は、身分が低いことにより、皇太子としての、位置を、上げられなかった。しかし、藤壺は、前帝の、第四子であるから、身分が高い。ゆえに、その子は、身分の高い者となる。
これは、万葉時代からの、伝統的考え方である。
母の身分が、子供の身分となるのである。
帝が、我が子を、大切にする様を見て、藤壺は、心を痛める。つまり、源氏の子を宿したという、意識である。
ここで、簡単に、現代の研究家たちは、それを、罪の意識というが、果たして、現代流に考えてもよいものかと、疑問を投げる。
紫式部は、源氏の子供だと、書くのであり、誰の子か解らないと、書かない。
源氏の子であるということで、物語を書き続けるのである。
当時、誰の子か、解らない人は、大勢いた。だから、母の身分、つまり、産み落とした女の身分に従って、その子の身分を決めたのである。
作者が、源氏の子であると、決めているから、罪の意識と、推測するが、果たして、当時の、罪の意識とは、どんなものか。
これは、子を産んだという罪の意識ではなく、帝の后である女が、帝の息子と、契ったことに、何かの通常ではない、意識が芽生えたと、考えるのである。
夫の、息子と、契ったということが、藤壺の苦しみを、作ったと、作者は、想定して、物語を、進める。
この時期は、仏教のみならず、儒教や、道教の教えも、輸入されて、大和の人々の間に、広がっていた。
例えば、夫の息子と契って、子を産むことの、何が悪いのだというと、どうだろうか。初めから、罪の意識などなければ、そんなものはない。
そこで、源氏物語によって、それは、罪の意識であると、提唱されたのか、それとも、紫式部が、そのように、それは、悪いことであり、悩むことであり、後ろめたいことであると、定義したとしたならば、どうだろうか。
何を言いたいのかといえば、意識というものも、作られてゆくということである。
そして、意識の固定化となる。
その意識の固定化を、因縁という、名で呼ぶ場合もあるのだ。
このことについては、また、別の機会に書くことにする。
例の中将の君、こなたにて御遊びなどし給ふに、抱き出で奉らせ給ひて、主上「皇子たちあまたあれど、そこをのみなむ、かかる程より明け暮れ見し。されば思ひわたさるるにやあらむ、いとよくこそおぼえたれ。いとちひさき程は、皆かくのみあるわざにやあらむ」とて、いみじくうつくしと思ひ聞えさせ給へり。中将の君、面の色かはる心地して、恐ろしうも、かたじけなくも、うれしくも、あはれにも、方々うつろふ心地して、涙おちぬべし。物語りなどして、うち笑み給へるが、いとゆゆしううつくしきに、わが身ながら、これに似たらむはいみじういたはしう覚え給ふぞ、あながちなるや。宮は、わりなくかたはらいたきに、汗も流れてぞおはしける。中将は、なかなかなる心地の、かきみだるやうなれば、まかで給ひぬ。
いつものように、源氏の中将が、藤壺の宮の部屋で、管弦の遊びをされる。
その時、帝が、若宮を、抱いて、お出ましになった。
皇子たちは、沢山いるが、そなただけを、このくらいの時から、明け暮れに見たものだった。そういうわけで、思い出すのか、若宮は、たいそう、よく似ている。小さなうちは、皆こんな風なのかと、言う。
若宮を、大変可愛らしいと申している。
それを聞いて、源氏は、顔色が変わるような心地がする。
恐ろしくも、父の言葉が、もったいなく、自分の子は、可愛いのは、嬉しいが、悲しくもあり、様々に気持が、揺れて、涙が、今にも、こぼれそうになる。
若宮が、片言に、何かを言い、笑う様が、非常に可愛らしいので、自分のことながら、この子に似ているとしたら、自分を大切にしなければならないとも、思うのは、自己中心の考えである。
藤壺の宮は、いたたまれない気分で、汗が流れる。
源氏は、心乱れてくるので、宮中を、退出した。
非常に難しい部分である。
帝の気持と、源氏の気持と、藤壺の気持が、入り乱れている。
更に、作者の考えも入るという。
源氏が、若宮に似ているということで、自分を大切にしようなどと思う気持は、自己中心だとは、作者の思いである。
いたましう覚えたまふぞ、あながちなるや
いたわしく思う気持は、勝手な思いであると、作者は、書くのである。
紫式部は、自分が、最も嫌いな男を、主人公にして、物語を書いたのである。
その、美しさも、好色、好き者も、紫式部が、最も嫌いなものである。
最後まで、源氏の具体的な、美しさを、書かないところが、ミソである。
糞ではない。
更に、深読みすれば、若宮は、疵なき玉であり、源氏は、疵ある玉である。
つまり、身分の低い母から、生まれている。
しかし、若宮は、身分の高い母から、生まれている。
この、エロの主人公の、悲劇は、それである。
美しいが、身分が低く、疵があるという。
これは、痛烈な批判である。
紫式部は、当時の、平安貴族の、退廃した、その生活を徹底的に批判しているのである。
人生は、もっと、峻厳なものである。
それは、紫式部日記を、読めば解る。
再度、その日記を、読んで欲しい。
日本人の心の、原風景を、知るならば、万葉集を。
日本人の精神の意識化を、知るならば、源氏物語を、深読みすることである。
2008年12月06日
もののあわれ346
わが御方に臥し給ひて、胸のやる方なき程すぐして、大殿へとおぼす。御前の前栽の、何となく青みわたれる中に、とこなつのはなやかに咲き出でたるを、折らせ給ひて、命婦の君の許に、書き給ふこと多かるべし。
源氏
よそへつつ 見るに心は なぐさまで 露けさまさる なでしこの花
花に咲かむと思ひ給へしも、かひなき世に侍りければ」
とあり、さりぬべきひまにやありけむ、御覧ぜさせて、命婦「ただ塵ばかりこの花びらに」と聞ゆるを、わが御心にも、ものいとあはれにおぼし知らるる程にて、
藤壺
袖ぬるる 露のゆかりと 思ふにも なほうとまれぬ やまとなでしこ
とばかりほのかに書きさしたるやうなるを、よろこびながら奉れる、「例の事なればしるしあらじかし」と、くづほれてながめふし給へるに、胸うち騒ぎて、いみじくうれしきにも涙おちぬ。
ご自分の部屋に、お休みになり、胸の苦しみを鎮めて、左大臣の邸に行こうと思う。
庭先の、前栽は、一面に青く、その中に、とこなつの花が、華やかに色をつけているのを、折らせて、命婦の許に、こまごまと、手紙を書くのである。
源氏
あなたを、偲ぶつもりで、若宮を拝しましたが、心休まることなく、いっそう涙の露が、溢れました。
早く、花が咲いて欲しいと思いましたが、何もならぬことで、とある。
命婦は、藤壺にそれを渡すのに、丁度よい、機会があり、ほんの塵ほどでも、この花びらにと、申し上げると、藤壺も、しみじみと、あはれを感じて、
藤壺
あなたの袖を濡らすものかと思うと、これは大事にします
とだけ、かすかに書き記したお返事を、喜びつつ、源氏に差し上げた。
源氏は、いつものように、返事はないと思って、沈み込んで、ぼんやりと臥せていたところで、それを見て、胸が高鳴り、とても嬉しくて、涙がこぼれるのである。
ものいとあはれ
もの いと あはれ、となる。
以前も、この、もの、とは何かと、書いたことがある。
もの、とは、相手方である。対立するもの。
それを、日本人は、心ともした。心は、私の内にあるものであるが、私の心も、もの、として、対立したものと、捉えていた。
ここでは、つまり、心が、とても、あはれに溢れたということになる。
心が、勝手に動くという感触を持っていたということだ。
私のものであって、私のものではない、心というもの、である。
もののあはれ、とは、心のあはれ、である。
その、心は、山川草木から、ありとあらゆる、ものに、着くのである。
勿論、人にも、着く。
心の着くもの、すべてに、あはれがある。
そして、それは、また、心であり、その風景である。
もののあはれとは、心のあはれである。
心のあはれは、心に写るもの、すべての、あはれである。
つくづくと臥したるにも、やる方なき心地すれば、例の、なぐさめには西の対にぞ渡り給ふ。しどけなくうちふくみだみ給へる鬢ぐき、あざれたるうちぎ姿にて、笛をなつかしう吹きすさみつつ、のぞき給へれば、女君、ありつる花の露にぬれたる心地して、添い臥し給へる様、うつくしうらうたげなり。愛敬こぼるるやうにて、おはしながら疾くも渡り給はぬ、なまうらめしかりければ、例ならず背き給へるなるべし。端の方につい居て、源氏「こちや」と宣へどおどろかず。女君「入りぬるいその」と口すさびて、口おほひし給へるさま、いみじうざれてうつくし。源氏「あなにく。かかること口慣れ給ひにけりな。みるめに飽くはまさなき事ぞよ」とて、人召して、御琴取りよせて弾かせ給ふ。源氏「筝の琴は、中の細緒のたえがたきこそ所せけれ」とて、平調におしくだして調べ給ふ。かき合はせばかり弾きて、さしやり給へれば、え怨じはてず、いとうつくしう弾き給ふ。
いつまで、臥していても、物思いの尽きることが無いので、そんな時の、慰めは、西の対の、若草の部屋に行く。
しどけなく乱れた鬢の毛で、なまめかしい、うちぎ姿のままに、笛を、懐かしく吹き鳴らしているところを、覗き込む。
若草、女君は、先ほどの、撫子の花が、露に濡れたような、風情で、脇息に寄りかかっている。その姿は、美しく、可愛らしい。
愛敬溢れる有様であるが、源氏が、帰られて、すぐに、部屋に来なかったことを、恨み、いつになく、すねているのである。
源氏は、縁側に、膝を付き、さあ、こちらへと、仰るが、起き上がらず、若紫は、入りぬるいその、お出でにならぬと、口ずさんで、口を袖にあてる様、大変色っぽいのである。
まあ、憎らしい。よくそんなことを、覚えましたね。いつもお会いして、慣れてしまうのは、良くないことですと、人をお召しになり、琴を取り寄せて、弾かせる。
源氏は、筝の琴は、中の細緒の切れやすいのが、面倒ですと、平調に、下げて、お調べなる。
かき合わせばかりを弾いて、姫君の前に差し出されると、いつまでも、すねていられないと思い、大変、上手に弾くのである。
ここで、若草、若紫を、女君と、書くのは、一人前の女として、作者が、扱い始めたからである。
ありつる花の露に濡れたる心地して
先ほどの、花である。撫子の花が、露に濡れたるような、風情である。
なまうらめしかりければ
なま うらめし かりけりば
真に、恨めしいほどに、艶かしい。
少女から、女への、移行である。成長する様である。
女は、自然に女になるのである。
男は、自然に男になるわけではない。様々な、儀式において、男というものになる。
儀式というものは、子供のため、男のためにあるものである。
男には、儀式が必要なのである。
民族の、伝承は、そうして、出来上がってきたのである。
そして、女達は、それに、添ってきた。
役割分担である。男には、儀式が必要なことを、一番、女達が、理解していたと、思われる。
男に付属してきたことを、よしとするのは、我が身を守ってくれるのが、男だからである。
それ以外の、何ものでもない。
文化的行為も、男の存在から、出ぬように、配慮していた。
それが、この、漢字かな混じりの、源氏物語に結実している。
当時は、女子供のものであった。だから、紫式部は、書くことが出来た。
当時の正式文書は、漢語である。
しかし、それが功を奏して、世界初の小説を書くことが出来たのである。
時代を経て、読み継がれてきた訳がある。
それは、大和言葉だからである。
人が迷った時、基本に帰るという。
大和言葉の基本である、物語を、紫式部は、無意識に書いたということである。
芸術などという、意識はなかった。
ただ、書くことに、意味と、意義があった。
それは、彼女の、抑鬱の成果である。
愁いは、人の心を、病ませるが、病から、生まれ出るものが、芸術として、昇華するのである。
病むべき時には、病むことである。
源氏
よそへつつ 見るに心は なぐさまで 露けさまさる なでしこの花
花に咲かむと思ひ給へしも、かひなき世に侍りければ」
とあり、さりぬべきひまにやありけむ、御覧ぜさせて、命婦「ただ塵ばかりこの花びらに」と聞ゆるを、わが御心にも、ものいとあはれにおぼし知らるる程にて、
藤壺
袖ぬるる 露のゆかりと 思ふにも なほうとまれぬ やまとなでしこ
とばかりほのかに書きさしたるやうなるを、よろこびながら奉れる、「例の事なればしるしあらじかし」と、くづほれてながめふし給へるに、胸うち騒ぎて、いみじくうれしきにも涙おちぬ。
ご自分の部屋に、お休みになり、胸の苦しみを鎮めて、左大臣の邸に行こうと思う。
庭先の、前栽は、一面に青く、その中に、とこなつの花が、華やかに色をつけているのを、折らせて、命婦の許に、こまごまと、手紙を書くのである。
源氏
あなたを、偲ぶつもりで、若宮を拝しましたが、心休まることなく、いっそう涙の露が、溢れました。
早く、花が咲いて欲しいと思いましたが、何もならぬことで、とある。
命婦は、藤壺にそれを渡すのに、丁度よい、機会があり、ほんの塵ほどでも、この花びらにと、申し上げると、藤壺も、しみじみと、あはれを感じて、
藤壺
あなたの袖を濡らすものかと思うと、これは大事にします
とだけ、かすかに書き記したお返事を、喜びつつ、源氏に差し上げた。
源氏は、いつものように、返事はないと思って、沈み込んで、ぼんやりと臥せていたところで、それを見て、胸が高鳴り、とても嬉しくて、涙がこぼれるのである。
ものいとあはれ
もの いと あはれ、となる。
以前も、この、もの、とは何かと、書いたことがある。
もの、とは、相手方である。対立するもの。
それを、日本人は、心ともした。心は、私の内にあるものであるが、私の心も、もの、として、対立したものと、捉えていた。
ここでは、つまり、心が、とても、あはれに溢れたということになる。
心が、勝手に動くという感触を持っていたということだ。
私のものであって、私のものではない、心というもの、である。
もののあはれ、とは、心のあはれ、である。
その、心は、山川草木から、ありとあらゆる、ものに、着くのである。
勿論、人にも、着く。
心の着くもの、すべてに、あはれがある。
そして、それは、また、心であり、その風景である。
もののあはれとは、心のあはれである。
心のあはれは、心に写るもの、すべての、あはれである。
つくづくと臥したるにも、やる方なき心地すれば、例の、なぐさめには西の対にぞ渡り給ふ。しどけなくうちふくみだみ給へる鬢ぐき、あざれたるうちぎ姿にて、笛をなつかしう吹きすさみつつ、のぞき給へれば、女君、ありつる花の露にぬれたる心地して、添い臥し給へる様、うつくしうらうたげなり。愛敬こぼるるやうにて、おはしながら疾くも渡り給はぬ、なまうらめしかりければ、例ならず背き給へるなるべし。端の方につい居て、源氏「こちや」と宣へどおどろかず。女君「入りぬるいその」と口すさびて、口おほひし給へるさま、いみじうざれてうつくし。源氏「あなにく。かかること口慣れ給ひにけりな。みるめに飽くはまさなき事ぞよ」とて、人召して、御琴取りよせて弾かせ給ふ。源氏「筝の琴は、中の細緒のたえがたきこそ所せけれ」とて、平調におしくだして調べ給ふ。かき合はせばかり弾きて、さしやり給へれば、え怨じはてず、いとうつくしう弾き給ふ。
いつまで、臥していても、物思いの尽きることが無いので、そんな時の、慰めは、西の対の、若草の部屋に行く。
しどけなく乱れた鬢の毛で、なまめかしい、うちぎ姿のままに、笛を、懐かしく吹き鳴らしているところを、覗き込む。
若草、女君は、先ほどの、撫子の花が、露に濡れたような、風情で、脇息に寄りかかっている。その姿は、美しく、可愛らしい。
愛敬溢れる有様であるが、源氏が、帰られて、すぐに、部屋に来なかったことを、恨み、いつになく、すねているのである。
源氏は、縁側に、膝を付き、さあ、こちらへと、仰るが、起き上がらず、若紫は、入りぬるいその、お出でにならぬと、口ずさんで、口を袖にあてる様、大変色っぽいのである。
まあ、憎らしい。よくそんなことを、覚えましたね。いつもお会いして、慣れてしまうのは、良くないことですと、人をお召しになり、琴を取り寄せて、弾かせる。
源氏は、筝の琴は、中の細緒の切れやすいのが、面倒ですと、平調に、下げて、お調べなる。
かき合わせばかりを弾いて、姫君の前に差し出されると、いつまでも、すねていられないと思い、大変、上手に弾くのである。
ここで、若草、若紫を、女君と、書くのは、一人前の女として、作者が、扱い始めたからである。
ありつる花の露に濡れたる心地して
先ほどの、花である。撫子の花が、露に濡れたるような、風情である。
なまうらめしかりければ
なま うらめし かりけりば
真に、恨めしいほどに、艶かしい。
少女から、女への、移行である。成長する様である。
女は、自然に女になるのである。
男は、自然に男になるわけではない。様々な、儀式において、男というものになる。
儀式というものは、子供のため、男のためにあるものである。
男には、儀式が必要なのである。
民族の、伝承は、そうして、出来上がってきたのである。
そして、女達は、それに、添ってきた。
役割分担である。男には、儀式が必要なことを、一番、女達が、理解していたと、思われる。
男に付属してきたことを、よしとするのは、我が身を守ってくれるのが、男だからである。
それ以外の、何ものでもない。
文化的行為も、男の存在から、出ぬように、配慮していた。
それが、この、漢字かな混じりの、源氏物語に結実している。
当時は、女子供のものであった。だから、紫式部は、書くことが出来た。
当時の正式文書は、漢語である。
しかし、それが功を奏して、世界初の小説を書くことが出来たのである。
時代を経て、読み継がれてきた訳がある。
それは、大和言葉だからである。
人が迷った時、基本に帰るという。
大和言葉の基本である、物語を、紫式部は、無意識に書いたということである。
芸術などという、意識はなかった。
ただ、書くことに、意味と、意義があった。
それは、彼女の、抑鬱の成果である。
愁いは、人の心を、病ませるが、病から、生まれ出るものが、芸術として、昇華するのである。
病むべき時には、病むことである。
2008年12月07日
もののあわれ347
ちひさき御程に、さしやりてゆし給ふ御手つき、いとうつくしければ、「らうたし」とおぼして、笛吹きならしつつ教へ給ふ。いとさとくて、難き調子どもを、ただ一わたりに習ひとり給ふ。大方らうらうじうをかしき御心ばへを、「思ひし事かなふ」とおぼす。保曾呂倶世利といふものは、名は憎くけれど、面白う吹きすまし給へるに、かき合わせまだ若けれど、拍子たがはず上手めきたり。
小さい体で、背を伸ばし、ゆし給ふ、とは、由という、弦を左手で押えて、糸を鳴らすことである。
その手つきが、可愛いので、愛らしく思い、笛を吹きつつ、教えになる。
大変、物覚えが良くて、難しい曲も、ただ一度で、覚える。
何事につけても、集中する力があり、源氏は、これは、望みが叶うと、嬉しく思う。
ホソログセリという曲は、名は変だが、それを、面白く吹きなさったところ、それに合わせて、琴を弾くのが、未熟ながらも、拍子を間違えず、上手に聞えるのである。
らうらうじうをかしき御心
物覚えが良い。勘が良い。器用なのである。
源氏は、これは、望みが叶うと思うのは、理想的女性に、育てることが、出来ると、思うからだ。
大殿油まいりて、絵どもなど御覧ずるに、「出で給ふべし」とありつれば、人々声づくり聞えて、「雨降り侍りぬべし」などいふに、姫君、例の、心細くて屈し給へり。絵も見さして、うつぶしておはすれば、いとらうたくて、御髪のいとめでたくこぼれかかりたるを、かきなでて、源氏「ほかなる程は恋しくやある」と宣へば、うなづき給ふ。源氏「われも、一日も見奉らぬはいと苦しうこそあれど、幼くおはする程は、心やすく思ひ聞えて、まづくねくねしくうらむる人の心破らじと思ひて、むつかしければ、しばしかくもありくぞ。おとなしく見なしては、ほかへもさらに行くまじ。人のうらみ負はじなど思ふも、世に長うありて、思ふさまに見奉らむと思ふぞ」など、こまごまとかたらひ聞え給へば、さすがにはづかしうて、ともかくもいらへ聞え給はず。やがて御膝によりかかりて、寝入り給ひぬれば、いと心苦しうて、源氏「今宵は出でずなり」と宣へば、皆立ちて、御膳などこなたに参らせたり。姫君起こし奉り給ひて、源氏「出でずなりぬ」と聞え給へば、なぐさみて起き給へり。もろともに物などまいる。いとはかなげにすさびて、姫君「さらば寝給ひねかし」と、あやふげに思ひ給へれば、かかるを見棄てては、いみじき道なりとも、おもむき難く覚え給ふ。
大殿油、明かりを召し寄せて、絵など御覧になる時に、お出かけになると、仰せがあった。お供の人々が、催促して、雨になりましょうと言うので、姫君は、例によって、心細く思い、ふさぎ込むのである。
絵も、そのままに、うつ臥してしまうので、源氏は、可愛く思い、御髪のふさふさとした、こぼれかかるのを、撫でて、居ないのは、淋しいですかと、仰ると、頷く。
源氏は、私も、一日お目にかからない時は、大変つらいが、小さな間は、気安く思うので、まず、疑り深い、ひねくれた人の機嫌を損ねないと思い、更に、面倒になっては、困るから、こうして、出歩くのです。大人になれば、外へは、出ません。このように、人の恨みを受けないようにしているのも、長生きをして、思い通りに、逢いたいと、思うからなのです、などと、こまごまと、お話しすると、姫君も、恥ずかしくなり、黙って、膝に寄りかかって、寝てしまった。
それが、たいそう、いじらしいのである。
源氏は、今宵は、出掛けないことにすると、仰せになる。
一同は、席を立ち、お膳などを、運んでくる。
そして姫君を、起こして、出掛けないことにしましたと、言うと、機嫌を直して、起きて、一緒に食事をする。
ほんの少しばかりに、手をつけて、では、お休みなさいと、まだ、安心していないようで、源氏は、それを見ると、この様子を捨てて、たとえ、死出の旅なりとも、出掛けにくいと、思われるのである。
まづくねくねしくうらむる人
まづ くねくねしく うらむる人
気を回して、嫌味を言う女のことである。
心破らじと思ひて
その、心を乱さぬように。
源氏の、妻、女君を、想定している。
かうやうに、とどめられ給ふ折々なども多かるを、おのづからもり聞く人、大殿に聞えければ、人々「誰ならむ。いとめざましき事にもあるかな。今までその人とも聞えず、さやうにまつはし、たはぶれなどすらむは、あてやかに心にくき人にはあらじ。内裏わたりなどにて、はかなく見給ひけむ人を、ものめかして給ひて、人やどがめむと隠し給ふななり。心なげにいはけて聞ゆるは」など、さぶらう人々も聞え合へり。
このように、引き留められる折々の多いことを、どこからともなく、大臣邸に聞き込んでくる人がいて、左大臣家の人々に申し上げる。
人々は、誰なのだろうか、もってのほかです。今まで、どういう人などとは、聞いたことがない。そのように、傍に離れずに甘えているとは、生れの良い方ではないでしょう。御所あたりで、目に留まった人を、一人前に扱って、皆の悪口を恐れ、隠しているのでしょう。まだ、ものの解らぬ子供っぽいような噂もあります、などと、侍女たちも噂し合う。
心にくき人にはあらじ
奥床しい人ではない。
心にくき人とは、奥床しく、清楚で、教養のある人である。
このもてなし、心にくきばかりなりて、などと、言えば、ともて、そのもてなしが、心ある、深いものだったということになる。
内裏にも、「かかる人あり」と聞し召して、主上「いとほしく大臣の思ひ嘆かるなることも、げにものげなかりし程を、あぶなあぶなかくものしたる心を、さばかりの事たどらぬ程にはあらじを、などか、情なくはもてなすなるらむ」と宣はすれど、かしこまりたる様にて、御答も聞え給はねば、「心ゆかぬなめり」と、いとほしくおぼし召す。主上「さるは、すきずきしううち乱れて、この見ゆる女房にまれ、またこなたかなたの人々など、なべてならず、なども見え聞えざめるを、いかなるもののくまにかくれありきて、かく人にもうらみらるらむ」と宣はす。
帝におかれても、このような人がいると、聞かされて、気の毒に、左大臣も嘆いていることだうろ。まだ、幼い時から世話をして、ここまで育てた志が、どんなものか、それが解らないではないはず。何故、そのような心ないことを、するのかと、仰せになる。
それを聞いて、恐れ入った様子で、返事もされないゆえ、女君が、気に入らないらしいと、可愛そうに思われる。
帝は、だが、好色がましい振る舞いをして、宮中の女房や、あちこちの女達などにも、深く心を通わせているという話も聞かない。どうして、どのような影を隠れ歩いて、そのように、人に恨まれるようなことを、するのだろうかと、仰せられる。
心ゆかぬなめり
気に入らない。
すきずきしううち乱れて
好色がましい行為である。
いかなるものの くまに かくれありきて
どんな人の、隈に、隠れて、つまり、どんな人を、抱え込んでとなる。
若君、若紫、若草のことである。
まだ、その存在が、明確に知られていないのである。
知っているのは、惟光のみである。
小さい体で、背を伸ばし、ゆし給ふ、とは、由という、弦を左手で押えて、糸を鳴らすことである。
その手つきが、可愛いので、愛らしく思い、笛を吹きつつ、教えになる。
大変、物覚えが良くて、難しい曲も、ただ一度で、覚える。
何事につけても、集中する力があり、源氏は、これは、望みが叶うと、嬉しく思う。
ホソログセリという曲は、名は変だが、それを、面白く吹きなさったところ、それに合わせて、琴を弾くのが、未熟ながらも、拍子を間違えず、上手に聞えるのである。
らうらうじうをかしき御心
物覚えが良い。勘が良い。器用なのである。
源氏は、これは、望みが叶うと思うのは、理想的女性に、育てることが、出来ると、思うからだ。
大殿油まいりて、絵どもなど御覧ずるに、「出で給ふべし」とありつれば、人々声づくり聞えて、「雨降り侍りぬべし」などいふに、姫君、例の、心細くて屈し給へり。絵も見さして、うつぶしておはすれば、いとらうたくて、御髪のいとめでたくこぼれかかりたるを、かきなでて、源氏「ほかなる程は恋しくやある」と宣へば、うなづき給ふ。源氏「われも、一日も見奉らぬはいと苦しうこそあれど、幼くおはする程は、心やすく思ひ聞えて、まづくねくねしくうらむる人の心破らじと思ひて、むつかしければ、しばしかくもありくぞ。おとなしく見なしては、ほかへもさらに行くまじ。人のうらみ負はじなど思ふも、世に長うありて、思ふさまに見奉らむと思ふぞ」など、こまごまとかたらひ聞え給へば、さすがにはづかしうて、ともかくもいらへ聞え給はず。やがて御膝によりかかりて、寝入り給ひぬれば、いと心苦しうて、源氏「今宵は出でずなり」と宣へば、皆立ちて、御膳などこなたに参らせたり。姫君起こし奉り給ひて、源氏「出でずなりぬ」と聞え給へば、なぐさみて起き給へり。もろともに物などまいる。いとはかなげにすさびて、姫君「さらば寝給ひねかし」と、あやふげに思ひ給へれば、かかるを見棄てては、いみじき道なりとも、おもむき難く覚え給ふ。
大殿油、明かりを召し寄せて、絵など御覧になる時に、お出かけになると、仰せがあった。お供の人々が、催促して、雨になりましょうと言うので、姫君は、例によって、心細く思い、ふさぎ込むのである。
絵も、そのままに、うつ臥してしまうので、源氏は、可愛く思い、御髪のふさふさとした、こぼれかかるのを、撫でて、居ないのは、淋しいですかと、仰ると、頷く。
源氏は、私も、一日お目にかからない時は、大変つらいが、小さな間は、気安く思うので、まず、疑り深い、ひねくれた人の機嫌を損ねないと思い、更に、面倒になっては、困るから、こうして、出歩くのです。大人になれば、外へは、出ません。このように、人の恨みを受けないようにしているのも、長生きをして、思い通りに、逢いたいと、思うからなのです、などと、こまごまと、お話しすると、姫君も、恥ずかしくなり、黙って、膝に寄りかかって、寝てしまった。
それが、たいそう、いじらしいのである。
源氏は、今宵は、出掛けないことにすると、仰せになる。
一同は、席を立ち、お膳などを、運んでくる。
そして姫君を、起こして、出掛けないことにしましたと、言うと、機嫌を直して、起きて、一緒に食事をする。
ほんの少しばかりに、手をつけて、では、お休みなさいと、まだ、安心していないようで、源氏は、それを見ると、この様子を捨てて、たとえ、死出の旅なりとも、出掛けにくいと、思われるのである。
まづくねくねしくうらむる人
まづ くねくねしく うらむる人
気を回して、嫌味を言う女のことである。
心破らじと思ひて
その、心を乱さぬように。
源氏の、妻、女君を、想定している。
かうやうに、とどめられ給ふ折々なども多かるを、おのづからもり聞く人、大殿に聞えければ、人々「誰ならむ。いとめざましき事にもあるかな。今までその人とも聞えず、さやうにまつはし、たはぶれなどすらむは、あてやかに心にくき人にはあらじ。内裏わたりなどにて、はかなく見給ひけむ人を、ものめかして給ひて、人やどがめむと隠し給ふななり。心なげにいはけて聞ゆるは」など、さぶらう人々も聞え合へり。
このように、引き留められる折々の多いことを、どこからともなく、大臣邸に聞き込んでくる人がいて、左大臣家の人々に申し上げる。
人々は、誰なのだろうか、もってのほかです。今まで、どういう人などとは、聞いたことがない。そのように、傍に離れずに甘えているとは、生れの良い方ではないでしょう。御所あたりで、目に留まった人を、一人前に扱って、皆の悪口を恐れ、隠しているのでしょう。まだ、ものの解らぬ子供っぽいような噂もあります、などと、侍女たちも噂し合う。
心にくき人にはあらじ
奥床しい人ではない。
心にくき人とは、奥床しく、清楚で、教養のある人である。
このもてなし、心にくきばかりなりて、などと、言えば、ともて、そのもてなしが、心ある、深いものだったということになる。
内裏にも、「かかる人あり」と聞し召して、主上「いとほしく大臣の思ひ嘆かるなることも、げにものげなかりし程を、あぶなあぶなかくものしたる心を、さばかりの事たどらぬ程にはあらじを、などか、情なくはもてなすなるらむ」と宣はすれど、かしこまりたる様にて、御答も聞え給はねば、「心ゆかぬなめり」と、いとほしくおぼし召す。主上「さるは、すきずきしううち乱れて、この見ゆる女房にまれ、またこなたかなたの人々など、なべてならず、なども見え聞えざめるを、いかなるもののくまにかくれありきて、かく人にもうらみらるらむ」と宣はす。
帝におかれても、このような人がいると、聞かされて、気の毒に、左大臣も嘆いていることだうろ。まだ、幼い時から世話をして、ここまで育てた志が、どんなものか、それが解らないではないはず。何故、そのような心ないことを、するのかと、仰せになる。
それを聞いて、恐れ入った様子で、返事もされないゆえ、女君が、気に入らないらしいと、可愛そうに思われる。
帝は、だが、好色がましい振る舞いをして、宮中の女房や、あちこちの女達などにも、深く心を通わせているという話も聞かない。どうして、どのような影を隠れ歩いて、そのように、人に恨まれるようなことを、するのだろうかと、仰せられる。
心ゆかぬなめり
気に入らない。
すきずきしううち乱れて
好色がましい行為である。
いかなるものの くまに かくれありきて
どんな人の、隈に、隠れて、つまり、どんな人を、抱え込んでとなる。
若君、若紫、若草のことである。
まだ、その存在が、明確に知られていないのである。
知っているのは、惟光のみである。
2008年12月08日
もののあわれ348
帝の御年ねびさせ給ひぬれど、かうやうの方えすぐさせ給はず、采女蔵人などをも、かたち心あるをば、殊にもてはやしおぼし召したれば、由ある宮仕人多かる頃なり。はかなき事をも言ひふれ給ふには、もてはなるる事もあり難きに、目慣るるにやあらむ、げにぞあやしうすいたまはざめる、と、こころみにたはぶれごとを聞えかかりなどする折あれど、なさけなからぬ程にうちいらへて、まことにはみだれ給はぬを、まめやかにさうざうしと思ひ聞ゆる人もあり。
陛下は、お年を召したが、この道、すなわち、好色の道である、それは、いまだ、捨てられず、それで采女蔵人なども、器量才気のすぐた者を、特に、お傍に添わせていた。
それゆえ、自然に、気の利いた女官が揃っていた。
からかってみても、無視する者は、いない。
源氏は、それに慣れていた。
帝の言葉通り、変なことなのだが、女嫌いなのかと、試しに冗談を言う女房もいる。
源氏は、恥をかかせぬように、あしらい、本心、崩れることもない心なので、本気に、物足りなく思う、女官もいる。
帝は、源氏を、真面目な男だと、思っている。
女の元に出掛ける様子も、聞かないのである。
勿論、それは、誤解である。
源氏は、いつも密やかに、女の元に出掛けている。
げにぞあやしうすいたまはざめる
女官たちの、思いである。帝が言うように、女嫌いなのだろうか。
げにぞ あやしう すいたまはざめる
本当にそうなのかとでも、訳す事が、出来る。
だから、女房の中には、
こころみにたはぶれごとを聞えかかりなどする
が、源氏は、
なさけなからぬ程に うちいらへて
相手に恥をかかせないように、それらを、あしらうのである。
年いたう老いたる典侍、人もやむごとなく、心ばせあり、あてにおぼえ高くはありながら、いみじうあだめいたる心ざまにて、そなたには重からぬあるを、「かうさだ過ぐるまで、などさしもみだるらむ」と、いぶしかしう覚え給ひければ、たはぶれ言いひふれて試み給ふに、似げなくも思はざりける。「あさまし」とおぼしながら、さすがにかかるもをかしうて、物など宣ひてけれど、人の漏り聞かむもふるめかしき程なれば、つれなくもてなし給へるを、女は、いとつらしと思へり。
大そうな、年配の典侍で、家柄も良く、才気もあり、上品で、人々から尊敬されているのだが、非常に、好色な性分である。
その道には、尻軽な女である。
源氏は、こんなにいい年をして、どうして、ああまで、ふしだらなのかと、不思議に思い、冗談に言葉を掛けてみる。
すると、相手として、似合わないということもないと思い、呆れたことだと、思いもする。
それでも、こんなものも、面白いと、逢うこともしたが、人の耳に入ったら、余りに老人なので、つい、知らぬ顔をするが、女は、酷く恨めしく思うのである。
何とも、説明するのが、億劫になる、場面である。
さすがにかかるも をかしうて
自分でも、呆れたことだと、思うが、それも、面白いことだと、逢うのである。
つまり、関係するということ。
読者も、呆れる。
作者も、呆れる。
上の御梳櫛に侍ひけるを、果てにければ、上は御うちぎの人召して、出でさせ給ひぬる程に、また人もなくて、この内侍、常よりも清げに、やうだいかしらつきなまめきて、装束有様、いと花やかに好ましげに見ゆるを、「さもふりがたうも」と、心づきなく見給ふものから、「いかが思ふらむ」と、さすがに過しがたくて、裳の裾を引きおどろかし給へれば、かはほりのえならずえがきたるを、さし隠して見かへりたるまみ、いたう見述べたれど、目皮ら、いたく黒み落ち入りて、いみじうはづれそそけたり。「似つかわしからぬ扇の様かな」と見給ひて、わが持給へるに、さしかへて見給へば、赤き紙の、映るばかり色深きに、小高き森のかたを塗りかくしたり。片つ方に、手はいとさだすぎたれど、由なからず、「森の下草老いぬれば」など書きすさびたるを、「言しもあれ、うたての心ばへや」と笑まれながら、源氏「森こそ夏の、と見ゆめる」とて、何くれと宣ふも、「似げなく、人や見つけむ」と苦しきを、女はさも思ひたらず。
典侍は、帝の、おぐしあげに、同席していたが、終わったので、帝は、装束の係りをお召しになった。
そして、おめしがえに、出られると、後には、誰もいず、この典侍が、いつもより、小奇麗に、姿や髪の格好なども、なまめかしく、着物の着こなしも、大変に華やいで、色気たっぽとしている。
源氏は、それを、見て、若作りなことと、心づきなく見給ふもの、と、思うが、どう思うだろうと、そのまま、素通りも出来ない、惜しい気持がして、裳の裾を引いて御覧になる。
扇を、それも、派手な彩りの扇をかざして、こちらを見返ったまなざしが、とても、流し目の様子。
ただ、まぶたがすっかりと黒ずみ、凹んで、髪の毛も、そそけているのである。
似つかわしくない扇だと、御覧になり、ご自分のものと、取り替えて差し上げると、顔に映るほどの、濃い色をした赤い紙に、小高い森の絵の上に、金泥を塗ってある。
その片隅に、古めかしいが、うまい文字で、森の下草老いぬればと、書き散らしてある。
よりにもよって、とんだ文句だと、おかしくなり、森こそ夏のという意味ですねと、仰せになる。
なにやかにやと、更に仰りつつ、不釣合いだと、誰か、見つけて思われませんかと、迷惑に思うのであるが、女の方は、頓着しない。
心づきなく見給ふもの
この下りでは、いやらしい思いで、ということになるのか。
嫌だなーと、思う。
美しい源氏と、老いたババアの、色事である。
陛下は、お年を召したが、この道、すなわち、好色の道である、それは、いまだ、捨てられず、それで采女蔵人なども、器量才気のすぐた者を、特に、お傍に添わせていた。
それゆえ、自然に、気の利いた女官が揃っていた。
からかってみても、無視する者は、いない。
源氏は、それに慣れていた。
帝の言葉通り、変なことなのだが、女嫌いなのかと、試しに冗談を言う女房もいる。
源氏は、恥をかかせぬように、あしらい、本心、崩れることもない心なので、本気に、物足りなく思う、女官もいる。
帝は、源氏を、真面目な男だと、思っている。
女の元に出掛ける様子も、聞かないのである。
勿論、それは、誤解である。
源氏は、いつも密やかに、女の元に出掛けている。
げにぞあやしうすいたまはざめる
女官たちの、思いである。帝が言うように、女嫌いなのだろうか。
げにぞ あやしう すいたまはざめる
本当にそうなのかとでも、訳す事が、出来る。
だから、女房の中には、
こころみにたはぶれごとを聞えかかりなどする
が、源氏は、
なさけなからぬ程に うちいらへて
相手に恥をかかせないように、それらを、あしらうのである。
年いたう老いたる典侍、人もやむごとなく、心ばせあり、あてにおぼえ高くはありながら、いみじうあだめいたる心ざまにて、そなたには重からぬあるを、「かうさだ過ぐるまで、などさしもみだるらむ」と、いぶしかしう覚え給ひければ、たはぶれ言いひふれて試み給ふに、似げなくも思はざりける。「あさまし」とおぼしながら、さすがにかかるもをかしうて、物など宣ひてけれど、人の漏り聞かむもふるめかしき程なれば、つれなくもてなし給へるを、女は、いとつらしと思へり。
大そうな、年配の典侍で、家柄も良く、才気もあり、上品で、人々から尊敬されているのだが、非常に、好色な性分である。
その道には、尻軽な女である。
源氏は、こんなにいい年をして、どうして、ああまで、ふしだらなのかと、不思議に思い、冗談に言葉を掛けてみる。
すると、相手として、似合わないということもないと思い、呆れたことだと、思いもする。
それでも、こんなものも、面白いと、逢うこともしたが、人の耳に入ったら、余りに老人なので、つい、知らぬ顔をするが、女は、酷く恨めしく思うのである。
何とも、説明するのが、億劫になる、場面である。
さすがにかかるも をかしうて
自分でも、呆れたことだと、思うが、それも、面白いことだと、逢うのである。
つまり、関係するということ。
読者も、呆れる。
作者も、呆れる。
上の御梳櫛に侍ひけるを、果てにければ、上は御うちぎの人召して、出でさせ給ひぬる程に、また人もなくて、この内侍、常よりも清げに、やうだいかしらつきなまめきて、装束有様、いと花やかに好ましげに見ゆるを、「さもふりがたうも」と、心づきなく見給ふものから、「いかが思ふらむ」と、さすがに過しがたくて、裳の裾を引きおどろかし給へれば、かはほりのえならずえがきたるを、さし隠して見かへりたるまみ、いたう見述べたれど、目皮ら、いたく黒み落ち入りて、いみじうはづれそそけたり。「似つかわしからぬ扇の様かな」と見給ひて、わが持給へるに、さしかへて見給へば、赤き紙の、映るばかり色深きに、小高き森のかたを塗りかくしたり。片つ方に、手はいとさだすぎたれど、由なからず、「森の下草老いぬれば」など書きすさびたるを、「言しもあれ、うたての心ばへや」と笑まれながら、源氏「森こそ夏の、と見ゆめる」とて、何くれと宣ふも、「似げなく、人や見つけむ」と苦しきを、女はさも思ひたらず。
典侍は、帝の、おぐしあげに、同席していたが、終わったので、帝は、装束の係りをお召しになった。
そして、おめしがえに、出られると、後には、誰もいず、この典侍が、いつもより、小奇麗に、姿や髪の格好なども、なまめかしく、着物の着こなしも、大変に華やいで、色気たっぽとしている。
源氏は、それを、見て、若作りなことと、心づきなく見給ふもの、と、思うが、どう思うだろうと、そのまま、素通りも出来ない、惜しい気持がして、裳の裾を引いて御覧になる。
扇を、それも、派手な彩りの扇をかざして、こちらを見返ったまなざしが、とても、流し目の様子。
ただ、まぶたがすっかりと黒ずみ、凹んで、髪の毛も、そそけているのである。
似つかわしくない扇だと、御覧になり、ご自分のものと、取り替えて差し上げると、顔に映るほどの、濃い色をした赤い紙に、小高い森の絵の上に、金泥を塗ってある。
その片隅に、古めかしいが、うまい文字で、森の下草老いぬればと、書き散らしてある。
よりにもよって、とんだ文句だと、おかしくなり、森こそ夏のという意味ですねと、仰せになる。
なにやかにやと、更に仰りつつ、不釣合いだと、誰か、見つけて思われませんかと、迷惑に思うのであるが、女の方は、頓着しない。
心づきなく見給ふもの
この下りでは、いやらしい思いで、ということになるのか。
嫌だなーと、思う。
美しい源氏と、老いたババアの、色事である。
2008年12月09日
もののあわれ349
典侍
君しこば 手なれの駒に 刈り飼はむ さかりすぎたる 下草なりとも
といふ様、こよなく色めきたり。
源氏
笹分けば ひとやとがめむ いつとなく 駒なつくめる 森のこがくれ
わづらはしさに」とて、立ち給ふを、ひかへて、典侍「まだかかる物をこそ思ひ侍らね。今更なる身の恥になむ」とて、泣くさま、いといみじ。
「いま聞えむ。思ひながらぞや」とて、引き放ちて出で給ふを、せめておよびて、典侍「橋柱」とうらみかくるを、上は御うちぎはてて、御障子よりのぞかせ給ひけり。
典侍
あなたが来てくださるなら、お馬のために、草を刈っておきましょう。盛りすぎ、若くもない、下草ですが。
という様は、色気たっぶりである。
源氏
森の、木隠れの笹を分け入っていったら、誰に叱られるのだろう。色々な馬が立ち寄って行くらしいのだから。
それが、煩わしいので、と、言い捨てて、お立ちになろうとすると、引き止めて、典侍は、今まで、こんな目に、遭ったことは、ありません。この年になって、恥でございますと、激しく泣いた。
源氏は、それでは、すぐに便りをします。いつも、気にかけていますよと、袖を振り払って出ようとするのを、強いてすがり、橋柱でございます。つまり、年を取ったこの身が悲しい、恨み言を言っているのを、お召し替えされた帝が、襖の隙間から、覗いていらしたのである。
江戸時代まで、いや、明治期まで、三十代になると、年増と言われた。
源氏は、十八か、十九であるから、三十女は、年増であろうし、平安ならば、確実に、そうである。
今なら、年上の女との、付き合いである。それも、相手は、五十歳以上である。
当時の感覚ならば、ひぇー、であろう。
確かに、二十代と、六十代が、恋愛しても、おかしくない。恋に年齢は、関係ないのである。
「似つかはしからぬあはひかな」と、いとをかしうおぼされて、主上「すき心なしと、常にもてなやむめるを、さはいへど、過ぐさざりけるは」とて、笑はせ給へば、内侍は、なままばゆけれど、憎からぬ人ゆえは、濡れ衣をだに著まほしがるたぐひもあなればにや、いたうもあらがひ聞えさせず。人々も、「思ひの外なることかな」とあつかふめるを、頭の中将聞きつけて、至らぬ隈なき心にて、まだ思ひよらざりけるよ、と思ふに、つきせぬこのみ心も、見まほしうなりにければ、語らひつきにけり。
帝は、浮気心は、無いと、常々、女房達が、心配していたが、やはり、そうでもなかったと、笑う。
典侍は、酷くきまりが悪いが、可愛い人とならば、濡れ衣さえも、厭わないと、その類なのであろうと、弁解もしない。
それを、人々も聞きつけて、意外なことと、噂するのを、頭の中将が、聞きつけて、随分と、まめに気を配るほうだが、そこまでは、気づかなかったと、思うにつけ、幾つになっても、衰えない、典侍の男好きも、試してみたくなり、とうとう、懇意になった。
何か、滑稽な感じがする段である。
なままばゆけれど
非常に、きまり悪い気持である。
だが、源氏のような人と、濡れ衣を着せられても、いいと思う。しかし、濡れ衣どころか、関係を持つのである。
現在の、濡れ衣という意味合いと、微妙に違う。
ぬれぎぬ
根拠の無い、噂、決定事項のように、思われるが、ここでは、嘘でも、本当でも、噂されることの、心の有り様である。
好きな人との、関係を、詮索されるのは、厭わしくないのである。ましてや、相手は、光源氏である。
この君も、人よりはいと異なるを、「かのつれなき人の御なぐさめに」と思ひつれど、「見まほしきは限りありけるを」とや。うたての好みや。
この、頭の中将の君も、人よりも、勝れた方なので、あの薄情なお方の代わりにと、思うのだが、本当に逢いたい人は、お一人のみとか。
困った、物好きです。
これは、作者の注釈である。
また、作者の、批判である。
いたう忍ぶぶれば、源氏の君はえ知り給はず。見つけ聞えては、まづうらみ聞ゆるを、よはひの程いとほしければ、「なぐさめむ」とおぼせど、かなはぬもの憂さに、いと久しくなりにけるを、夕立して、名残涼しき宵のまぎれに、温明殿のわたりをたたずみありき給へば、この内侍、琵琶をいとをかしう弾き居たり。御前などにても、男方の御遊びに交じりなどして、殊にまされる人なき上手なれば、ものうらめしう覚えける折から、いとあはれに聞ゆ。典侍「瓜作りになりやしなまし」と、声はいとをかしうて謡ふぞ、少し心づきなき。「がく州にありけむ昔の人も、かくやをかしかりけむ」と、耳とまりて聞き給ふ。弾きやみて、いといたう思ひみだれたるけはひなり。君、あづまやをしのびやかに謡ひて、寄り給へるに、典侍「おし開いて来ませ」と、うち添へたるも、例にたがひたる心地ぞする。
それは、大変、秘密にしていることで、源氏も、知らなかった。
典侍が、源氏を見つけると、早速、恨み言を言うので、あの年になって、気の毒でもあり、慰めてやろうと、思うが、都合もつかず、気も進まない。
たいぶ、日にちも経ち、夕立が起こった後、涼しくなった夕暮れに、目立たぬように、温明殿、うんめいでん、の、あたりを、そぞろ歩きしていると、この典侍が、琵琶を大そう見事に、弾いている。
帝の御前などでも、男達の御遊びの中に加えられ、右に出る者がいなほどの、名手である。
何となく、世の中を、恨めしく思う時だったので、その音が、非常に身に染みて、感じられる。
瓜作りになりやしなまし、と、声は、若々しく謡が、少し気に食わない気もする。
昔、白楽天の愛でたという、がく州の女とやらも、こんな風情だったのかと、耳を止めて、お聞きになる。
弾き終わると、なにやら、思い乱れている様子。
君は、あずまや、を、小声で、謡い、部屋に近づくと、典侍は、おし開いて来ませと、声を掛けるのが、普通の女と、違っている気がするのである。
典侍が、弾くのは、催馬楽、山城という、歌である。
がく州というのは、白氏文集感傷で、古い調子の詩である。
あづまやを しのびやかに謡ひて
あづまやとは、催馬楽の、東屋である。
以下、その歌詞。
あづまやの まやのあまりの その雨そそぎ われ立ちぬれぬ
殿戸ひらかせ かすがひも 戸ざしあらばこそ そのとのど われささめ
押し開いて来ませ われや人妻
何とも、危険な、遊びの歌であろうか。
君しこば 手なれの駒に 刈り飼はむ さかりすぎたる 下草なりとも
といふ様、こよなく色めきたり。
源氏
笹分けば ひとやとがめむ いつとなく 駒なつくめる 森のこがくれ
わづらはしさに」とて、立ち給ふを、ひかへて、典侍「まだかかる物をこそ思ひ侍らね。今更なる身の恥になむ」とて、泣くさま、いといみじ。
「いま聞えむ。思ひながらぞや」とて、引き放ちて出で給ふを、せめておよびて、典侍「橋柱」とうらみかくるを、上は御うちぎはてて、御障子よりのぞかせ給ひけり。
典侍
あなたが来てくださるなら、お馬のために、草を刈っておきましょう。盛りすぎ、若くもない、下草ですが。
という様は、色気たっぶりである。
源氏
森の、木隠れの笹を分け入っていったら、誰に叱られるのだろう。色々な馬が立ち寄って行くらしいのだから。
それが、煩わしいので、と、言い捨てて、お立ちになろうとすると、引き止めて、典侍は、今まで、こんな目に、遭ったことは、ありません。この年になって、恥でございますと、激しく泣いた。
源氏は、それでは、すぐに便りをします。いつも、気にかけていますよと、袖を振り払って出ようとするのを、強いてすがり、橋柱でございます。つまり、年を取ったこの身が悲しい、恨み言を言っているのを、お召し替えされた帝が、襖の隙間から、覗いていらしたのである。
江戸時代まで、いや、明治期まで、三十代になると、年増と言われた。
源氏は、十八か、十九であるから、三十女は、年増であろうし、平安ならば、確実に、そうである。
今なら、年上の女との、付き合いである。それも、相手は、五十歳以上である。
当時の感覚ならば、ひぇー、であろう。
確かに、二十代と、六十代が、恋愛しても、おかしくない。恋に年齢は、関係ないのである。
「似つかはしからぬあはひかな」と、いとをかしうおぼされて、主上「すき心なしと、常にもてなやむめるを、さはいへど、過ぐさざりけるは」とて、笑はせ給へば、内侍は、なままばゆけれど、憎からぬ人ゆえは、濡れ衣をだに著まほしがるたぐひもあなればにや、いたうもあらがひ聞えさせず。人々も、「思ひの外なることかな」とあつかふめるを、頭の中将聞きつけて、至らぬ隈なき心にて、まだ思ひよらざりけるよ、と思ふに、つきせぬこのみ心も、見まほしうなりにければ、語らひつきにけり。
帝は、浮気心は、無いと、常々、女房達が、心配していたが、やはり、そうでもなかったと、笑う。
典侍は、酷くきまりが悪いが、可愛い人とならば、濡れ衣さえも、厭わないと、その類なのであろうと、弁解もしない。
それを、人々も聞きつけて、意外なことと、噂するのを、頭の中将が、聞きつけて、随分と、まめに気を配るほうだが、そこまでは、気づかなかったと、思うにつけ、幾つになっても、衰えない、典侍の男好きも、試してみたくなり、とうとう、懇意になった。
何か、滑稽な感じがする段である。
なままばゆけれど
非常に、きまり悪い気持である。
だが、源氏のような人と、濡れ衣を着せられても、いいと思う。しかし、濡れ衣どころか、関係を持つのである。
現在の、濡れ衣という意味合いと、微妙に違う。
ぬれぎぬ
根拠の無い、噂、決定事項のように、思われるが、ここでは、嘘でも、本当でも、噂されることの、心の有り様である。
好きな人との、関係を、詮索されるのは、厭わしくないのである。ましてや、相手は、光源氏である。
この君も、人よりはいと異なるを、「かのつれなき人の御なぐさめに」と思ひつれど、「見まほしきは限りありけるを」とや。うたての好みや。
この、頭の中将の君も、人よりも、勝れた方なので、あの薄情なお方の代わりにと、思うのだが、本当に逢いたい人は、お一人のみとか。
困った、物好きです。
これは、作者の注釈である。
また、作者の、批判である。
いたう忍ぶぶれば、源氏の君はえ知り給はず。見つけ聞えては、まづうらみ聞ゆるを、よはひの程いとほしければ、「なぐさめむ」とおぼせど、かなはぬもの憂さに、いと久しくなりにけるを、夕立して、名残涼しき宵のまぎれに、温明殿のわたりをたたずみありき給へば、この内侍、琵琶をいとをかしう弾き居たり。御前などにても、男方の御遊びに交じりなどして、殊にまされる人なき上手なれば、ものうらめしう覚えける折から、いとあはれに聞ゆ。典侍「瓜作りになりやしなまし」と、声はいとをかしうて謡ふぞ、少し心づきなき。「がく州にありけむ昔の人も、かくやをかしかりけむ」と、耳とまりて聞き給ふ。弾きやみて、いといたう思ひみだれたるけはひなり。君、あづまやをしのびやかに謡ひて、寄り給へるに、典侍「おし開いて来ませ」と、うち添へたるも、例にたがひたる心地ぞする。
それは、大変、秘密にしていることで、源氏も、知らなかった。
典侍が、源氏を見つけると、早速、恨み言を言うので、あの年になって、気の毒でもあり、慰めてやろうと、思うが、都合もつかず、気も進まない。
たいぶ、日にちも経ち、夕立が起こった後、涼しくなった夕暮れに、目立たぬように、温明殿、うんめいでん、の、あたりを、そぞろ歩きしていると、この典侍が、琵琶を大そう見事に、弾いている。
帝の御前などでも、男達の御遊びの中に加えられ、右に出る者がいなほどの、名手である。
何となく、世の中を、恨めしく思う時だったので、その音が、非常に身に染みて、感じられる。
瓜作りになりやしなまし、と、声は、若々しく謡が、少し気に食わない気もする。
昔、白楽天の愛でたという、がく州の女とやらも、こんな風情だったのかと、耳を止めて、お聞きになる。
弾き終わると、なにやら、思い乱れている様子。
君は、あずまや、を、小声で、謡い、部屋に近づくと、典侍は、おし開いて来ませと、声を掛けるのが、普通の女と、違っている気がするのである。
典侍が、弾くのは、催馬楽、山城という、歌である。
がく州というのは、白氏文集感傷で、古い調子の詩である。
あづまやを しのびやかに謡ひて
あづまやとは、催馬楽の、東屋である。
以下、その歌詞。
あづまやの まやのあまりの その雨そそぎ われ立ちぬれぬ
殿戸ひらかせ かすがひも 戸ざしあらばこそ そのとのど われささめ
押し開いて来ませ われや人妻
何とも、危険な、遊びの歌であろうか。