2008年11月13日

もののあわれ324

いとつつましげに思したれど、かやうの人に物言ふらむ心ばへなども、夢に知り給はざりければ、命婦のかういふを、あるやうこそは、と思ひてものし給ふ。乳母だつ老い人などは、曹司に入り臥して、夕まどひしたる程なり。



姫は、大そう恥ずかしいようだ。
このような人に、受け答えするような、心得などは、少しも知らないので、命婦が、あるやうこそは、あるべきようにあるということを、知りぬいていると、姫は、任せきるのである。
乳母などの、老人は、部屋に引きこもり、うつらうつらしている、時間である。


姫にとっては、いや、命婦にとっても、大イベントである。
源氏の君を、迎え入れるのである。



若き人二三人あるいは、世にめでられ給ふ御有様を、ゆかしきものに思ひ聞えて、心げさうしあへり。よろしき御衣奉りかへ繕ひ聞ゆれば、正身は、何の心げさうもなくておはす。


若い女房二三人は、起きている。
世間で評判の、その様子を見たいと、皆、いそいそとしている。
命婦が、相当な衣装をもって、着替えさせ、繕うが、本人は、いっこうに、いそいそともせずに、いるのである。

ゆかしきものに思ひ聞えて
ここでいう、ゆかしきは、後の、床しいである。
奥床しいという言い方もある。
源氏の姿が、ゆかしいものと思う、その、ゆかしいとは、何か。
世間で評判の、姿は、なかなか目にすることのできないものである。
現代の、ゆかしい、という意味とは、違う。しかし、ゆかしい、という言葉は、この頃から、使われていたということだ。

この場合は、目にすることが、出来ない、珍しさである。
更に、高貴でなければならない。
手の届かない、高貴な、御姿という意味である。
それが、変転してゆく様が、面白い。



男は、いとつきせぬ御様を、うち忍び用意し給へる御気配、いみじうなまめきて、「見知らむ人にこそ見せめ、何の栄あるまじきわたりを、あないとほし」と命婦は思へど、ただ、おほどかにものし給ふをぞ後やすう、さし過ぎたる事は見え奉り給はじと思ひける。「わが常に責められ奉る罪さりごとに、心苦しき人の御物思ひや出で来む」など、やすからず思ひ居たり。



男君は、まことに、限りなく美しい姿で、目立たぬように、注意していたが、すみずみまで整えて、目のある人には、見せたいほどである。
ものの見栄えの無い所なので、命婦は、お気の毒だと、思うが、姫君は、おっとりとして、いらしっしゃるから、心配ない。出過ぎたことは、しまいと、思っていた。
自分が、いつも、責め立てられる責任を逃れようして、手引きし、姫君の、物思いの種に、ならないかと、心配するのである。


物語で、男と女が、逢う場面では、皆、男、女と、書くだけである。
そこでの、身分には、触れない。
ここにも、紫式部の、意気がある。
粋とも、いうか。

命婦が、わが常に責められ奉る罪さりごとに、というのは、源氏が相手である。奉ると、敬語をつける。
いつも、源氏に責められて、責任を負わされるというのである。
それは、女に逢う手引きのこと。
源氏の横暴である。お前が悪いのだ、早く逢わせろ、なのである。



君は、人の御程を思せば、ざれくつがへる、今やうのよしばみよりは、こよなう奥ゆかしうとおぼさるるに、いたうそそのかされて、いざり寄り給へる気配、忍びやかに、えびの香いとなつかしう薫り出でて、おほどかなるを、「さればよ」と思す。年頃思ひわたる様などを、いとよく宣ひ続くれど、まして近き御答へは絶えてなし。源氏「わりなのわざや」とうち嘆き給ふ。




君は、姫君の身分の高さを知り、洒落た今時の、気取り屋よりも、さぞ奥床しいと、予想していた。
女房たちに、勧められて、いざり寄る様子は、物静かで、心ほぐれる、衣被香、えびの香が、漂い、いかにも、おっとりとした風情である。源氏は、やっばりと、思うのである。
久しい以前から、思い続けているということを、言葉巧みに、告げる。
手紙でさえ、返事が無いのだから、口からの言葉も、全く無い。
困ったことだと、お嘆きになるのである。


こよなう奥ゆかしう
とても、奥床しいという。
ここでは、現代に使われる、奥床しさという意味で、受け取る。

えびの香いとなつかしう薫り
衣からの、香が、懐かしく、薫るという。

これは、現代文に、訳す事が出来ない情景である。

懐かしいとは、しみじみと、切々と、と、訳してみるが、懐かしい薫りという言葉に、適わないのである。

旅先で、風景を見て、懐かしく感じる。
それは、切々と、風景が心に、迫ってくる。
どこかで、見た風景だと、思う程、心が、その風景に引き付けられる。
それを、懐かしいと、言う。

初めて逢う人にも、懐かしい気持というものがある。
知っていた人のようである。
それを、懐かしいという。なつかし
大和言葉の、骨頂である。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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